サン・モーリス・ド・レマンスの村は頂上部に城館がある丘を中心にかたちづくられています。丘の麓を県道がかすめ、教会や城館への登り口に、県道を挟んで広場・食堂や村役場・郵便局があります。
麓の道路に面して北側には、村役場と郵便局(手前)が。
村役場正面の出入り口。
バカンス中は週に1回開くだけ。
この日はお休みでした。
村役場の前に、道路を挟んでサンテグジュペリ広場があり、道路側には
村出身の戦死者を記念するモニュメントが建てられています。
大戦で国に命を捧げた村人の名。
1944年の項にはサンテックスの名前も。
広場の東側にレストランバーが2軒ありますが、うち一軒は開いているのを観たことがありません(村を訪問したのは4回におよびます)。ウイークエンドの夜だけ開くのでしょう。
こちらは、原則的に常時開いているレストラン。
ここのマダムはサンテックスファンで、雑多な資料をどっさり見せてくれ、
サン・モーリス城の管理人やリケルミ氏とのつなぎを取ってくれました。
入り口を入ったカウンターバー後ろの壁には
サンテックス関係の記事切り抜きがびっしり。
没後50周年を記念して1994年に開催された「愛書家旬間」に際しては
臨時の郵便局が開設されたようです。
そのとき発売された記念スタンプ押印の絵はがき2種。
スタンプはサン・モーリス・ド・レマンスだけのものです。
サン・モーリス・ド・レマンスで行われた没後50周年記念式典のパンフレット。
サン・モーリス城を「サン・テグジュペリ城」と呼んでいます。
これからはこれが正式名称となるのでしょう。
式典の式次第。晩餐会も含まれています。
サン・モーリス・ド・レマンス以外でもいろいろな記念行事が行われました。
(1日と2日、最高級の鶏肉で有名なブルカンブレスの飛行場名があります。)
城郭へ行く途中の村の様子。
人家を縫って上がってゆくと、丘の中腹には教会があります。
2000年に整備された駐車場。
共同便所まで作ったというのに、今や観光客の陰もありません。
サンテックス館通用門(このページトップ画像。現在は
事実上の正門)前の道路から見下ろした村のたたずまい。
サンモーリス村から少し下った畑の外れに、村の墓域があります。狭いものなので、村全家族の墓域というわけではなさそうです。塀は明らかに新しく、塀の外にある小さな駐車場所と合わせて、ごく最近作られたか、補修されたかしたものです。
墓域中央にトリコー家・サンテグジュペリ家の墓があります。両家ともにこの村の領主だった家系です。親戚ですからひとつの墓。他は棺を地面に埋葬する方式の中で、ひとつだけチャペルをかたどった建物型です。
このタイプの墓は、ブエノス・アイレスで見たものと同じです。アルゼンチンでは、中流以上の家族ならごく普通の「××の墓」と見受けました。ここでは別格です。
銘板が捧げられているのは、サンテックス5兄弟姉妹と母親、それにトリコー伯爵夫人だけです。コンスエロはもちろんのこと、サンテックスの父親の名前もありません。
アンベリュー へ。
サンテックス一族の墓
墓の地下室に棺が安置されるのですが、この墓は形だけのようで、トリコー家やサンテグジュペリ家の面々すべてがここに葬られているわけではありません。代わりに、故人をしのぶ銘板が取り付けてあります。
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