これは標題にあるとおり“草稿”です。少しづつ書き足して行きます。訂正したり、削除したり、
アイデアやメモを書き込んだり。原稿が作られ・推敲されて行く過程をネットの上で公開してしまおうというのです。おそらくインターネット始まって以来初めての試みでしょう。
素人の手すさびですから、内容は大したものではありません。時間があるときに書き足すのですから、
完成まで何年掛かるか見当がつきません。惨めな失敗に終わってしまう可能性も大きいのです。でも、
挑戦してみる価値はあろうと思います。
ご返事できないかも知れませんが、いろいろなご意見をお寄せ戴ければ、執筆の参考にさせていただきます。
この草稿も、リンクフリーです。ご自由にリンクしてくださって構いません。ただし、著作権法に定める権利を放棄している訳ではありません。テキストや画像をダウンロードしてお使いになる場合は、引用元を明記してくださるようお願い致します。
恣意的な改変や、部分部分をつまみ食い的につなぎ合わせて趣旨の誤解を起こすような要約はご遠慮下さい。
レオン・ヴェルトへの献辞(1)
この物語は、作者刎頚の友 レオン・ヴェルト へ捧げられている。「子どもだったころの . . .」とういう、有名な、しかし、わけの判らない理不尽な言葉を紡ぎだし、この物語りにある種の香りづけをすることになる献辞である。この献辞には、ふたつの大きな問題点が孕まれている。ひとつは「なぜレオン・ヴェルトなのか?」(=コンスエロに捧げられるべきだ)という問題であり、いまひとつは、「レオン・ヴェルトの名前を出すべきではなかった」という非難である。
この物語がレオン・ヴェルトに捧げられるべき必然性は、全くない。極めて唐突に、異質な人物が冒頭に掲げられて物語りの幕が開く。もちろん、それ以降この人物は登場しないし、その影を割り込ませる隙すらない。
サンテックスは、「きちんとコンスエロに捧げるべきだった」と後悔頻りであったと伝えられる。気まぐれでチャランポランなサンテックスのことだから、言葉そのままに受け取るわけには行かないが、半分は本当の気持ちだったろう。いろいろな説が提起されてはいるけれど、バラのモデルがコンスエロであることは動かし難い。少なくとも、モデルがただひとつだけであるとするならば、コンスエロ以外の候補はあり得ない。それ以外の候補を推す人は、最低限の読解力とまともな資料収集能力に欠ける人物である。
「それなのに、なぜレオン・ヴェルトなのか?」が、この物語りの本質を左右する大問題なのだ。この献辞があればこそ、「3本のバオバブは、ドイツ・イタリア・日本を指す」のであり、「ボアの6箇月間の食後休眠とは、ドイツの戦略上の侵攻インターバルを表している」という指摘が、反論の余地ない説得力を獲得することとなるのである。<未完>
「コンスエロに捧げればよかった」というサンテックスの言葉は本音だろう。しかし、そんなことができるわけはなかった。それをしたら、「陰の正夫人」B夫人の立つ瀬がない。それに、執筆当時はシルビアと抜き差しならぬ仲になっていた。シルビアには「コンスエロとは疾うに離婚した」と言ってある。こちらも紛糾するだろう。「戦う作家」としての男ぶりを売り物にしてきたのに、「童話」を書いて妻に捧げたとあっては、イメージダウンは避けられまい。女々しい献辞を書くわけにはゆかなかった。とするならば、献辞など書かなければよい。にもかかわらず献辞は掲げられた。単なる気まぐれでないとすれば、何らかの形で残さねばならないメッセージが、この献辞には潜んでいることになる。それが、レオン・ヴェルトへの励ましなどでないことは明らかである。
レオン・ヴェルトはナチスの追求を逃れて、ジュラ地方に潜伏中の身であった。あのような形でレオン・ヴェルトへの献辞がおおやけになされれば、追求は厳しさを増したであろうと推測される。無事であったからよかったものの、もしレオン・ヴェルトが逮捕されたら(当然、拷問死かガス室送りかの運命だ)、サンテックスは何とするつもりだったのだろう。「ひもじい思いをしている人への激励」は軽薄なサンテックスの独り善がりに過ぎない。必要も必然性もない、それどころか、してはならないことをサンテックスはやってのけたのだ。周りの状況も、他人の思惑も、まったく顧みることのないサンテックスの身勝手な性格が、この物語りの冒頭に姿を現している。
レオン・ヴェルトへの献辞(2)
さてこの献辞、はじめは「闘うレオン・ヴェルト」に捧げられる。飢えや寒さに苛まれながら敢然としてナチの暴虐に戦いを挑む戦士を、慰め・励ますためにである。それが大人であることに関しては、「彼は子供のこともよく判る人だから」と言い訳を試みる。そして、「それで駄目なら」と表現を修正する *。「子供だった頃のレオン・ヴェルト」に捧げるというのである。
用心しなければならない。「子供に捧げる」とは言っていない。捧げる相手は依然としてレオン・ヴェルトその人だ。
そして、「子供の頃の」レオン・ヴェルトとは、長じてフランスのための戦士となり、揺らぐことなくトロツキストの立場を堅持することになる少年のことをいっている。対象となる「子供」は厳しく選別されているのだ。戦士の素質を持つ者だけが読者としての仲間入りを許される。甘ったれはお呼びではない。
* この言い換え、列子にある「朝三暮四」の逸話を思わせる。もちろん、朝四暮三のまやかしに喜ぶサルは、この物語を「子供のための童話」と信じてやまない読者達である。 |
子どもだったころの . . .
物語りの主人公である王子も、操縦士も、疑いもなく作者自身の分身である。とするならば、「子どもだったころの . . . 」の後に続く名前はレオン・ヴェルトではなく、アントワーヌ・ドゥ・サンテグジュペリそれ自身なのだろう。
<未完>
『花嫁人形』:判ってたまるか、ガキなんぞに!
よく知られた「童謡」に『花嫁人形』という作品がある。日本人ならばたいていの人は耳にしたことがあり、多くは唄った経験もあるはずだ。一見「赤とんぼ」と同じように、子供時代の想い出を唄った童謡のように錯覚する。しかし、歌詞を仔細に読んでみれば明確になることだが、これは一筋縄で解釈できる詩ではない。もちろんそのことは、多くの批評家に指摘され、万人の認めるところである。この歌を「子供向けの童謡」と主張する馬鹿者はいない。
これを「子ども向き」に書き直すことは到底不可能であるし、それをしたら、この歌が持つ詩情は雲散霧消してしまうことであろう。
それなのに、Le Petit Prince に限っては、「童話」扱いされることが多い。むしろ多数派といって良いであろう。新訳のあとがきで「本来子ども向きの」などと書かれたのを見つけると、めまいを覚えてしまう。この程度の読解力しか持ち合わせていない訳者によって日本語化された作品を読んだのでは、Le Petit Prince の奥の深さを理解できよう筈もない。「子ども向き」に平仮名の多い文章で綴られた物語の中には、薄っぺらな世界が広がるばかりである。
Le Petit Prince は、子供に理解できるような作品ではない。「子供なりの理解」すら不可能な、人生の機微に富む精神世界を描いた作品である。カフカの作品を「子ども向き」に書き直すバカはいない。それなのに、Le Petit Prince にはそれが横行するのは一体なぜなのか?<未完>
コリント人への手紙(第一)13章11節
聖書の中でも、コリント人への手紙(第一)13章は「愛の章」と呼ばれて、よく読まれる部分である。そこでは15種のキリスト教的な「愛」が列挙される。しかし、パウロが最も言いたかったことは、人間の成長・成熟についてであって、他人のことを考えられるか否かでその人の成熟度がはかられると諭しているのである。その11節にはこうある。
完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。(コリント一 13:10) 私が子どもであった時には、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、大人になった今、子どもであることをやめました(コリント一 13:11) |
子供は不完全な存在なのだ。まともな大人になったのなら、子供であることはやめなければならない。それがキリスト教世界での規範である。サンテックスが言う「子供であった頃のことを忘れない大人」は、聖書の教えを否定する価値基準の転換。キリスト教に対する反逆なのだ。サンテックスが打ち出したテーゼは、キリスト教社会にあっては驚天動地の反乱劇なのである。これがどれほど凄まじいことかを、よくよく考えた上で Le Petit Prince を読まなくてはならない。サンテックスの真意がどこにあるのか、行間に目をこらす必要がある。「子供は天使」「大人の目は濁っている。子供の純真な目こそが、真実を見抜くのだ」などと、浮ついたたわごとを弄していてはならないのだ。
おとな批判? 星巡りの失策
「Le Petit Prince は、子供の目を通してのおとな批判だ」と主張する人が多い。全編通してその臭いが濃厚なのだが、とりわけ星巡りの数章が決定的な役割を果たしている。
何度も強調しているとおり、作品の解釈は全面的に読者にゆだねられる。それは読者の特権であると同時に責任でもある。読者は自身のレベルにあった作品を手にすることになる。作品が作り出す空間は、広くも狭くも読者次第。それこそが文学のすばらしさであり醍醐味である。がしかし、それは読者の責任においてする「読者の解釈」の話。「作者の意図」と主張するならば、それなりの検証と批判を避けることは出来ない。
「王子」のものの考え方が子供のものでないことは論を俟たない。子供の姿をしたサンテックスが、王子の口を借りて大人社会を批判する。それは、大人社会から指弾され続けた「おちこぼれ大人」のサンテックスがする意趣返しに過ぎない。「子供の目を通した大人批判」という主張は、全くの見当違いである。
このような王子批判が私一人のものでないことは、多くの例を引くことができる。たとえば:
この著者は「哲学の問いとは、この世のありとあらゆることに対する『なぜ?』という単純な問いかけ」であり、子どもの目線と直感こそが「真に哲学的」であると主張する。その立場から、「文明批評の臭みを持つ」「『星の王子さま』は哲学的ではない」と断ずる。 |
それでは、「作者の意図」としての「サンテックスの大人批判」は受容に耐えるものだろうか?
<未完>
ヤヌスの扉:ウワバミ帽子
サンテックスにはふたつの顔がある。ひとつは、俗物だけれど憎めない、精神的には発育不全で、夢想癖がある浪費家の市民。トランプ手品で人を惹きつけ、ときに雄弁で感動を誘ったりもする。優しいけれど女癖は最悪で、非常識なわがままを押し通す。
ふたつめはストイックな戦士の顔である。国を嘆き、民族を憂い、人類の行く末を愁い、人を鼻白ませるお説教を垂れる。はては身の程知らずにも、役にも立たない前線パイロットとして自己満足の世界に身を沈める。
Le Petit Prince には、サンテックス自身が意識して設けた二面性がある。そして、それぞれの世界へ読者を誘導する分岐点は、物語の冒頭に据えられている。ウワバミ帽子がそれである。帽子が帽子にしか見えない純真な「子供」には、ロマンチックな童話が提供される。皮肉な罵声を浴びせはするものの、サンテックスはそれらの人々を拒まない。物語の最後には「屍体が見つからなかった」から王子は星へ還ったに違いないと救いの手を伸べ、「姿を見かけたら手紙をください」とまで追い打ちをかけてハッピーエンドを演出する。サンタクロースの実在を信じ、一心に手紙を書く子供たちを彷彿とさせるではないか。
その一方で、ウワバミの中身を描いてみせ、バオバブの危険性に気づく人々に向かっては、「起て」と強要する。責任を果たすために、自ら前線へと翔び発ってみせるのだ。
サンテックスには思いも及ばなかったであろう第3の読者層が大量に出現した。前2者のどちらにも属さない Le Petit Prince の奉信者達である。あろうことか、帽子にしか見えないのは「濁った大人の心」の持ち主だと主張し、星巡りをさまざま勝手に解釈して、しかも尚、童話の世界から足を踏み出すことは断固拒み続けるモラトリアム人間達。「大人になってしまったのが間違いの元だった」のと同様に、世界中でこんなにも売れてしまったのが「間違いの因」なのだ。サンテックスが生きていたら、何と言って嘆くだろう。
彼の二面性を見据えることなくして、Le Petit Prince の読み解きは叶うまい。古代ローマのヤヌスは城門を護る戦の神であった。厳しく外敵を威嚇する外向きの顔と、市民の動向を静かに見守る内向きの表情と、ふたつの顔を前後に持つ。その神殿の扉は、平時には堅く閉ざされ、戦時には開け放たれたという。Le Petit Prince は、まさしく「戦時」に執筆された。アメリカ参戦を画策しながら果たせず、二派に分かれて争うフランス人たちの諍いに巻き込まれて更に情緒不安定が亢進した。そうこうするうちに、サンテックスの思惑とは無縁なところで歴史の歯車は回り、一転アメリカの参戦が決まった。「ルーズベルトの陰謀」説さえある真珠湾の騙し討ちが、「異国の戦争」に冷淡だったアメリカ国民の心に火をつけたのだ*。このような状態の中で Le Petit Prince は書かれ、躁鬱症で説教屋のサンテックスが<未完>
* 調子に乗ってサンテックスは、極秘作戦の東京初空襲へ義勇志願さえ行なっている。もちろん受け入れられるわけもないが、「爆撃機」搭乗を志願したことの意味は重大である。この後アフリカ戦線復帰に際しては、爆撃機副操縦士に発令されながらそれを忌避して、勝手に古巣である偵察部隊に潜り込んでしまうからだ。この軍律違反の勝手な行動を「人殺しを嫌ったからだ」と擁護する人々がいる。彼等は、ドゥリトル爆撃隊への志願をどのように説明するのだろう。 |
マジックナンバー“6”
キリスト教徒にとって“6”は、創世記での神の労働時間を表す数字である。世界を創り終えて7日目は休息する。(神だって働けば疲れるのだ!)
こうしたキリスト教文化の感覚とは別に、Le Petit Prince には数字“6”が意味ありげに繰り返される。砂漠で王子と出逢ったのが6年前である。原始林の物語を読んだのは6歳のときだった。ウワバミは獲物を消化するのに6箇月かかる。王子は6個の惑星を遍歴する。
サンテックスが Le Petit Prince を執筆したのは 1942 年のことである(6月執筆開始,10月脱稿)。その年のクリスマスに向けて発売されるはずだった(挿絵が進捗せず、翌年4月にずれ込んだ)。 とすれば、「6年前」は 1936 年を指していると考えるのが素直というものであろう。この年に「何があった? 」
スペイン市民戦争が勃発した。メルモーズが行方不明になった。その他こまごまとした出来事はあるものの、「砂漠への不時着」や「王子との出会い」に対応する事柄は見あたらない。強いて言うならば、メルモーズの死(屍体は見つからなかった)が「王子の地球出立」と照応するのかもしれない。
その前年、1935 年 12 月は、忘れもしない、あのリビア砂漠での墜落事故を起こしている。「砂漠への不時着」が6年前のことならば、1年のずれがある。
王子が地球へ「落ちてきた」のは、「6年前」の更にちょうど1年前。すなわち、1935 年 に当る。一方的に別居宣言をしてコンスエロの許を飛び出したのもこの年の6月である。すなわち、B-612 からの「旅立ち」がそれだ。サンテックスはバラであるコンスエロと別れて“6”箇月後にサハラ砂漠*に墜落したのである。物語と重ね合せれば、「星巡り」は6箇月間の出来事ということになる。(墜落後の救出劇が新聞種になり、サンテックスは心ならずもコンスエロと合い、出発時と同じように「妻と夫」を演出しなければならなかった。この時点からカウントすれば6年弱である。)
* 北アフリカの大西洋岸から紅海まで、世界最大の「沙漠」が“サハラ”(現地語の「砂漠」がそのまま固有名詞化した。因みに、その周辺の、草が生える程度のステップ気候地帯は“サヘル”)。 リビア砂漠はそのほんの一部。 |
夢の胡蝶か胡蝶の夢か:幻想文学としての Le Petit Prince
主を失った肉体が崩れ落ちても音が立たない静寂の空間。死ねば屍体が掻き消える妖精の世界。王子消滅の描写は、 舞台がこの世のものではないことを読者に告げている。語り部である「操縦士」が、異世界から現実の世界へ生還したものか(浦島伝説型)、あるいは、幻覚の世界に魂を浮遊させていたのか(荘子,胡蝶の夢型)。いづれにせよ、幻想文学の定型でこの物語は締めくくられる。
荘子の顰みに倣うならば、王子の夢の世界に操縦士が迷い込んだのか、操縦士が見る夢に王子が侵入を企てたものか、醒めてしまえばこのふたつは杳として判じ難い。砂丘と星と、そしてそのさなかに取り残された己が肉体と、それ以外には実在するものとてない茫漠の世界は、物語の「終り」を表してはいても、未来への希望を読み取ることはできない。
「操縦士」が作者自身であることは論をまたない。「王子」のモデルが少年時代の作者自身(および、夭折した作者の弟)であることも、多くの人が指摘しているとおりであろう。作者の分身である王子と操縦士は、幽明処を分かちながら、砂の舞台に寄り添って二人静の舞を舞う。夢のように過ぎた過去と、こもごもの苦しみに満ち満ちた現在と。それはまた、ひかり輝いていた少年時代と、「大人になってしまった」現在の己が姿との比較でもある。呼び戻されたかりそめの幻影は肉体を持ち得ない。形に寄り添う影の舞。夢とうつつの交わりが切り放されるとき、ふたつは、それぞれの世界へ引き戻される宿命にある。
<未完>
出発地点へと急ぐ王子は、眠っている操縦士の近くを通りかかった。操縦士が回りに張り巡らす夢の世界の結界に近づいたのだ。王子には、それがウワバミの中のゾウを見透すことができる人物であることが判った。「ヒツジを描いてもらおう。」 王子は、操縦士の夢の世界へ入り込む。<未完>
王子の不可思議な出現と屍体を残さぬ一方的な消滅は、雨月物語の世界に似ている。
竹取物語との類似性。白鳥伝説の系譜。
復活と肉体
「死後、屍体が消失した」と聞けば、キリスト教徒なら必ず思い浮かべる名前がある。「イエス」その人である。金曜日に処刑されて、岩をくりぬいた墓に投げ込まれる。日曜日、彼の姿を見たという風説に接して墓が検められ、屍体の消失が確認された。イエスは神の国へ還ったのだとされる。肉体が不要な天国へ帰るのになぜ身体を必要とするのか、信者ならぬ身には首をひねるしかないが、とにかくここでも、復活には肉体が必要なのである。そして、屍体が消えたことは、どこか別のところへ行ったことの証しなのである。
Le Petit Prince はアメリカで執筆・出版された。その内容は、潜伏中の刎頚の友「レオン・ヴェルト」と「フランスの子供たち」に宛てられている。サンテックスは、少なくとも敬虔なキリスト教徒ではなかった。レオンはユダヤ人である。しかし、この作品がキリスト教文化圏に属するものであることは否めない。
もちろん、サンテックスは、王子をイエスになぞらえているわけではない。サンテックスは信者ではないし、そもそも、ナザレのイエスが神の名を口走り始めるのは30歳を過ぎてからである。王子は子供の年齢に設定されている。類似点は全くない。とはいうものの、<未完>
いつ身体を捨てたのか?
人間が正気でいられるのは、魂がその肉体にしっかリと留まっているからだ、と昔の人は考えていた。死と眠りとがまだ判然とは区分されていなかった頃、このふたつは共に、魂が肉体を抜け出した状態であると信じられた。魂魄が肉体に戻れば目覚め、戻らなければ死である。いずれにせよ、肉体を抜け出した魂は、宙に浮遊するものと信じられていたから、火の玉・鳥・蝶といった空中を飛行するものによって、魂はメタフォライズされるのが常であった。コウノトリが運んでくるものは、赤ん坊の肉体ではなく、その生命である。肉体は母親の胎内に宿っている。魂を吹き込まれてはじめて人として生れることができるのだ。その魂は空を飛んでやってくる。鳥は魂の運び手なのである。屍体を鳥に啄ませる「鳥葬」という風習も、肉体を天に返すのではなく、死者の魂を天へ運んでもらうのである。「鳥」は、しばしば魂の隠喩として使われる。
王子は野鳥の渡りを「利用して」(またはそれに「便乗して」)彼の星を後にした。「鳥」である。 B612 脱出は自殺だったのではないか? 最初から肉体を持たずに宇宙を旅したのだ。だとしたら、身体は星に残したままになっている。王子はその肉体をあてにして、B612 での復活を期待できる。バラが生き残っていれば、王子とバラとの甘い生活が約束されていることになり、物語の解釈は別の展開になってしまう。
地球で肉体を捨てたのならば、王子とバラの生活が復活することはもはやあり得ない。Le Petit Prince は絶望的な遺書であり、自殺予告でもある。
身体が B-612 で王子の帰りを待っているのであれば、「もうじき戦争は終わる。二人でやり直そう。」とコンスエロに呼び掛けていることになる。
無音の世界
王子と操縦士は、通常の会話を交したのだろうか? 彼等は、互いにテレパシーで意思を通い合せたふしがある。
この物語には音がない。砂漠が静寂の世界であると思うのは、砂漠を知らない人の幻想である。日射や放射冷却による温度差は、砂を軋ませ、風を作り、夜ともなれば空気の密度差に依るレンズ効果で遠くの音を運んでくる。耳を澄ませば砂漠には、「静かな騒音」が満ち満ちているのだ。砂漠での生活経験が長いサンテックスは、その事を重々承知していたはずだ。挿絵に描かれた砂漠には、井戸を汲む崖の描写以外に地平線が描かれていない。空と地表との境界は砂丘の曲線で埋められている。砂漠を知るサンテックスならではの描写である。そのサンテックスが、砂漠の「音」を語らないのはなぜか? 現実の砂漠ではない、異様な世界を設定しているからだろう。
ギリシャ悲劇の匂い
この物語りにハッピーエンドはあり得ない。それを拒む伏線が、2重3重に張り巡らされているからだ。互いに誤解を投げかけ合って、思惑が行き違い運命に翻弄されて悶え嘆きながら滅びの淵へと押しやられる、あのギリシャ悲劇の真骨頂が、<未完>
サンテックスの主観的自画像:小惑星の住人たち
星巡りで出会った小惑星の孤独な住人たち。多くの人はこれを、痛烈な「おとな批判」であり、カリカチュア化による現代社会への風刺・諧謔であると主張する。そうした読み方は可能だろう。しかし私はこの住人たちに、抽出・純化された作者自身の一面を見る。
幸福な王子(オスカー・ワイルド)との類似性
ツバメ=王子,葦=バラ,幸福な王子=キツネ
<未完>
ヘビへのこだわり
物語はヘビ(Boa)で始まり、ヘビ(serpent)で終わる。Boa と serpent を同列に「ヘビ」と称する*のは、ライオンとネコを一緒に扱うようなもので、問題はあるのだが、それにしても同族ではある。サンテックスは何故「ヘビ 」にこだわったのだろう。
* Boa と serpent操縦士が子どもの頃、初めて読んだのは「蛇」の話だった。王子が地球で初めて出会ったのも「蛇」である。前者はこの物語りの前座の役目しか果たしていないのに対し、後者は王子の地球での出現(=誕生)を出迎え、地球からの出立(=死)を執行する。
serpent は、日本語の「ヘビ」に相当し、蛇族一般を指す。
Boa(王蛇)はボア科ニシキヘビ亜科に属する特定の種を指し、欧米では誤って大蛇の代名詞として使われる(Boa Constrictor)。確認されている最大記録は 4.5 m (トリニダードで記録された 5.6 m はアナコンダの誤り)に過ぎず、通常は2〜3 m 程度。ヤギやそれ以上の大きさの動物を餌とすることはない。地上性で、木登りが得意。美しい文様を持つため狩猟の対象とされ、数が減少した。攻撃性が強く、現地住民からは恐れられている。中南米に分布。
『星』からの脱却 −新たなる旅立ちへ−
「サンタクロースは実在する!」と本気で主張できる類の人は、「星の王子さま」(内藤王子さま)を読み続ければよい。事実と虚構の世界を混同することなく、Le Petit Prince を文学作品として、より高い次元で読み解くことに意義を感じる人には、新しい、もっとましな日本語訳が必要だ。
<未完>
この草稿も、リンクフリーです。ご自由にリンクしてくださって構いません。ただし、著作権法に定める権利を放棄している訳ではありません。テキストや画像をダウンロードしてお使いになる場合は、引用元を明記してくださるようお願い致します。
恣意的な改変や、部分部分をつまみ食い的につなぎ合わせて趣旨の誤解を起こすような要約はご遠慮下さい。
少しづつ随時増設いたします。時々覗きに来てください。