道路を問う
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【社会】母のいない庭 ヒマワリ大輪 春日部医療ミス、院長書類送検2008年3月17日 夕刊 難しくないと言われていた手術で、母は命を落とした。家族を愛し、草花を慈しみ、手術の二日前も普段と変わらぬ笑顔だった母。「複雑な気持ちです。母が帰ってくるわけじゃありませんから…」。医療ミスが母の死を招いたと警察が判断した今も、息子の悲しみは癒えない。 二〇〇五年七月、埼玉県春日部市の春日部厚生病院で腰椎(ようつい)手術を受けた際、腰動脈を傷つけられて大量出血し、出血性ショックによる多臓器不全で死亡した同市の小林とくさん=当時(75)。埼玉県警は十三日、執刀した男性院長(53)を業務上過失致死容疑で書類送検、刑事責任の追及が始まった。 二年半余りにわたり、病院や警察に真相究明を求めてきた二男の文男さん(49)は「病院がもっと早く出血に気付き、専門医のいる病院に転院させてくれたら母は助かったかもしれない。謝罪ひとつなかった病院が今も許せない」と話す。 とくさんが、同病院で腰椎圧迫骨折と診断されたのは〇五年四月下旬。入院して様子をみたが状態は上向かず、腰椎に骨を移植し器具で固定する手術を受けることになった。手術を二日後に控えた七月五日。文男さんが「あさっては付き添うよ」と言うと、とくさんは「おまえは仕事に行きなさい。病気でもないのに病院に来る必要はないよ」と笑ったという。 病院側からは「難しい手術でない」と説明を受けていた。だから文男さんら家族に大きな不安はなかった。もちろん、これが最後の笑顔になるとは思ってもみなかった。 手術の終了予定時刻を過ぎた同七日午後、病院の兄から職場に連絡があった。「出血が止まらないらしい」。文男さんが駆けつけると、慌ただしく輸血用の血液を運ぶ看護師らの姿が目に入った。医師から納得のいく説明がないまま翌日未明になり、急きょ転院。同十日、帰らぬ人となった。 とくさんの葬儀が済んだころ、庭のヒマワリが花を咲かせた。種をまいたのはとくさんだった。太陽を向いて、ほほ笑むように咲く大輪に、文男さんはとくさんの面影を重ねた。 「今でも玄関で物音がすると、『母かな』と思ってしまうんです。大量出血に気付きながらも動脈損傷を疑わず、やみくもに輸血を続けた医師への怒りは消せません」。文男さんの悲しみは深まるばかりだ。 院長は「慎重さが足りなかった」と供述しているという。少しの油断が取り返しの付かない事態を招いた。病院側はそのことを決して忘れてはならない。 (池田悌一)
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