◇伝えたい「いのち」
前橋市の市立粕川中で今月18日。群馬県太田市の助産師、鈴木せい子さん(60)は体育館に集まった全校生徒と保護者を前に、ゆっくりと語りかけた。「あなたは小さい時から、自分で生きることを選んでこの世に誕生した。お母さんはあなたに会いたくて何時間も頑張った。あなたは生きているだけで、周囲を幸せにしているの」
鈴木さんはこの10年間、全国延べ約700の小中学校を回り、生命誕生の重さを伝える「いのちの教育」を行ってきた。「助産師だからこそできる教育」と全国の助産師相手にもセミナーなどで伝授してきたが、今年、独立行政法人・福祉医療機構の助成を受け、全国8カ所で助産師や教師らを対象に実践的な研修会も行っている。
昨年、講演先で中学生1488人に行ったアンケートで、420人が「死にたいと思ったことがある」と回答した。「自分が好き」「自分をかけがえのない存在だと思う」と答えた生徒は、いずれも半数に満たなかった。鈴木さんは「子どもたちに必要なのは『自尊感情』。自分を大事にできれば、自殺を考えたり他人をいじめたりはしないはず」と指摘する。
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中学2年の娘が叫びながら、冷蔵庫に頭を打ちつけていた。
02年の夏、岐阜市に住む畑中治美さん(55)=仮名=の娘は、クラスの球技大会で同級生らが決めたチーム分けに自分の名がないのに気づいた。担任に訴えたが「そんなの知らん」と面倒がられた。やがて、同級生らに話しかけると顔を見合わせてクスクス笑われるようになった。理由は思い当たらなかった。不登校になった娘を、父親は「悔しかったら学校に行ってみろ」と追いつめた。娘は家で暴れるようになった。
娘がパニックに陥るたびに、畑中さんはギュッと抱き締めた。「落ち着け。大丈夫だから」。胸の中で娘は声を上げて泣いた。「学校に行かなくてもいいんだよ。ゆっくり休みなさい」。自分も涙を流した。そんな日々を重ねるうち、娘は落ち着いていった。
娘は現在、通信制の高校に通っている。「母だけは分かってくれると安心を感じた」と当時を振り返る。まだ同世代の人間に会うと息苦しくなることがある。それでも「せっかく『はみ出しちゃった』んだから、自分のペースを大切にして生きられたらいいな」と穏やかな表情を見せた娘に、畑中さんは目を細めた。
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警察庁が小学生以上の学生についてまとめた昨年1年間の自殺者数は886人。過去4年間で最悪だ。
粕川中での講演で、鈴木さんは受精卵が子宮に着床する際に自ら粘液を出して「生きよう」とすることを教えた。赤ちゃんが産道を抜ける時や、産声を上げる時の苦しさを、ストローを使った呼吸で疑似体験させた。生徒の表情が真剣になる。出産の時を思い出し、涙ぐむ母親もいた。
鈴木さんから「いのちの教育」を伝授された助産師や教師は全国で1000人以上になった。「10年間で種はまいた。うまく育てて各地で花を咲かせてほしい」(この企画は中村かさね、鈴木敬子が担当しました)
毎日新聞 2007年10月26日 中部朝刊