標石さえもない伊藤博文暗殺現場(下)
安重根は、ロシアのウラジオストクから列車で到着した1909年10月22日から、旅順監獄に移送された11月1日まで、11日間をハルビンで過ごした。だが、ハルビンで安重根の足跡を探すのは容易ではない。安重根がハルビンに到着してから、伊藤博文を狙撃する日の朝まで滞在していた同胞の金成白(キム・ソンベク)の家があったのは、ハルビン駅の北側、現在の森林街34番地だが、ここは今では黒竜江省建設建築工程有限公司が入っている6階建てのビルになっている。
安重根が伊藤博文を狙撃した直後に連行された日本総領事館は、現在の花園街の大通り沿いにあったが、そこは現在、花園小学校になっている。建物は古そうな感じだが、2002年に新築されたものだ。安重根はこの場所にあった領事館の地下の独房に収監され、10月30日に日本の検察から取り調べを受けた。ここで安重根は堂々とした態度で、「韓国の王妃を惨殺し、韓国に不利な条約を押し付け、韓国の皇帝を強制的に退位させ、韓国の軍隊を解散させた」など15項目にわたる「伊藤博文の罪」を列挙した。だが、この地下室は今では学校の施設となり、かつての面影はない。
ハルビン市安升街にある朝鮮民族芸術館の1階には、06年7月にオープンした安重根記念館がある。広さ500平方メートルの同記念館は、安重根の胸像や手形、写真など300点余りの資料を展示している。これまでに李寿成(イ・スソン)元首相や女優イ・ヨンエをはじめ、7000人余りの韓国人がここを訪れた。だが、徐鶴東館長は「オープン当初から比べると、韓国人の入場者は予想よりもはるかに少ない」と嘆いている。
06年1月、韓国の「安重根義士崇慕会」がハルビン駅近くの広場に建てた安重根の銅像は、中国当局によってすぐに撤去されてしまった。一方、兆麟公園の西の隅には、記念館と同じ時期に建てられた小さな記念碑がある。安重根は伊藤博文を狙撃する直前、同公園の正門近くにある写真館で、仲間たちと記念写真を撮っている。安重根が揮毫した文字が前後に刻まれている記念碑は、同公園で開かれている「ハルビン氷祭り」で作られた、景福宮や独立門など韓国の建物の氷像に囲まれていた。
ハルビン=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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