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標石さえもない伊藤博文暗殺現場(上)

安重根
 今年創刊88周年を迎えた本紙は、安重根(アン・ジュングン)が伊藤博文を暗殺してから来年で、また処刑されてから再来年で100年を迎えるのを前に、安重根記念館の改築など、さまざまな記念事業を進める計画を打ち出した。これに先駆け、まずは安重根が伊藤博文を暗殺したハルビン(中国黒竜江省)と、処刑された旅順(遼寧省大連市)を訪れた。

 今年1月、ハルビンの中央駅は、荷物を抱えた人々で賑わっていた。四つの方向に路線が延びているこの駅は、黒竜江省の交通の要衝として、一日に3万人近い人々が乗り降りしている。

 ホームに降り立ち、人波をかき分けて右側へ向かうと、駅舎1階の貴賓室が目に飛び込んでくる。ここは99年前、安重根が伊藤博文を狙撃する前に2時間ほど待機していた喫茶店があった場所だ。

 この貴賓室の右側にある地下道の入り口の柱から、わずか離れた所の地面をよく見ると、周囲とは違う茶色のタイルが敷かれている。そしてタイルの内側には、三角形の表示がある。取材に同行したハルビン市の関係者は「安重根義士が伊藤博文を狙撃した場所です」と説明した。1909年10月26日、安重根はまさにこの場所で、2列に並んだロシア軍の儀仗隊の列に紛れ込み、伊藤博文に向け拳銃を発砲したのだった。この場所から右側へ2歩、さらに前方へ3歩進むと、そこには同じようにタイルが敷かれ、内側に四角形の表示がある。閲兵していた伊藤博文が銃弾を浴び倒れた場所だ。二つの地点の距離はわずか5メートルほどだ。

 だが、あるのはそれだけだった。この二つの場所にはタイルの表示があるだけで、そこがどんな場所なのかを説明するものはなかった。朝鮮族で、ハルビン市文化局の副局長を兼務している、ハルビン安重根記念館の徐鶴東(ソ・ハクトン)館長は「2年前、安重根に関する記念事業の一貫として、二つの地点の表示をした上で、標石を設ける計画だったが、北朝鮮の核問題で中朝関係が怪しくなっていたため、事業を見合わせることになった」と話している。つまり、それ以前はここにタイルの表示さえもなかったというわけだ。だが、韓国人がここを訪れるのは容易ではない。利用客があまりにも多いという理由で、駅のホームに入ることができる入場券の販売が最近中止されたからだ。

 ハルビン駅のホーム上に、安重根が発砲した位置(左の円内)と伊藤博文が銃弾を浴び倒れた位置(右の円内)がタイルで表示されている。両者の位置は5メートルほど離れている。/ハルビン=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

ハルビン=兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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