■日本に暮らす中国人の友人からメールがきた。日中文学の仕事をする彼女は著名チベット女流作家の唯色さんの親友だ。「彼女と電話で話ながら泣き崩れた」。私もです。きのうはさすがに涙がでました。
■青海省にくらす日本人学者・阿部治平さんからもメールがきた。彼はチベット族の中にどっぷりはいり、チベット族革命家のプンツォク・ワンギェル氏の伝記を日本人としては初めて書いた人だ。この本については、回を改めて紹介する。良書です。
■その彼は、この騒乱(暴動)について、ダライ・ラマ14世とまったく関係ない、との見解だった。完全同意です。デモの最中に「ダライ・ラマ万歳」と叫んだりする僧侶がいたという話しだが、「ダライ・ラマは最高位の活仏のことであり、南無阿弥陀仏!と叫ぶのと同じ」だそうで、この僧侶が特に過激な独立派だとは思えない。
■「チベット独立!」というスローガンを掲げる僧侶もいたそうだが、彼らはむしろ、ダライ・ラマ14世が中国と対話しようとする姿勢に、いらだつ一部の血の気の多い僧侶たちときいている。僧侶、そしてチベット族の間に、意見の対立があることは、間接的にきいていた。ましてや、この暴動のきっかけとなったデモを「五輪抗議デモ」とするのはあまりに飛躍しすぎではないか。まあ、五輪前だから国際社会の注目をいっそうあびる、という期待はあろうけど。結果的に、国際社会に五輪ボイコット世論が起こるかもしれないが。
■だから、当局が発表するダライ・ラマ14世の陰謀説というのは、こちらの方が陰謀くさいと思う。中国側がダライ・ラマ14世に責任をなすりつけようとしているのではないか。いままでのダライ・ラマ14世の発言、中国側との交渉の過程をみていれば、ダライ・ラマ14世は譲歩しつづけている。しかし、中国側はいっこうに譲歩せず、むしろ活仏許可制など宗教管理を厳しくしている。
■国際社会は中国にダライ・ラマ14世と対話せよ、というのは、ダライ・ラマの譲歩を無視すると、いっそう「ダライ・ラマ14世のやり方が生ぬるい」とする独立派が過激になるのではないか、という懸念があろう。中国側が、ダライ・ラマ14世の譲歩にこたえ、対話に向かえば、少なくとも、それを妨害する行動は独立派とてしないだろう(ただ、対話の結果が、あまりにチベット側に無体なものであった場合はどうなるか?)。
■一部報道で、お坊さんが、放火した、と書かれたものを見たが、チベットラマ僧の戒律の厳しさを考えれば、破壊行為に僧侶が積極的に荷担するとは思えない。ただ、精神力の強い人が多いのでハンストとか抗議の座り込みとかやると、なぐってもなぐっても動かないのだろうが。
■僧侶に暴力が振るわれたり、拘束されたり、宗教管理が厳しくされたりすると、信仰にいきる普通の人々はものすごく怒る。チベット族は部族にもよるが、正直いって沸点が低い。春のこの時期、僧侶からの祝福や祈りが受けられないことは、厳しい自然の中に生きる人々にとって死活問題。断定はできないが、この暴動のきっかけとなったデモの真の要求は、宗教的まつりごとの多い春前に、中国当局に政治犯として拘束された高位のお坊さんを釈放してくれ、という釈放要求の意味も多分にあったのではないか。というか、そちの方が切実な要求だったのでは?もちろん、チベット民族蜂起の日(3月10日)やダライ・ラマ亡命の日(3月17日)など、つらい記憶が蘇る記念日が続く季節なので、心がざわざわするだろうが。しかし、それを、中国側は、五輪妨害の計画的な破壊工作のようにあえて拡大解釈しようとしているのは、プロパガンダではないだろうか。
■犠牲者・被害者はチベット族も漢族もいるだろう。しかし、これだけの暴動に発展させたのは、中国側の公安、武装警察(人民解放軍)の初期対応の過ちのせいだとおもう。
経過を整理すると
3月10日、投獄された僧侶の釈放などをもとめるデプン寺の300人デモ計画の武力阻止と数十人の僧侶の拘束。市中心のジョカン寺近くバルコ街でビラを配っていた十数人程度の僧侶、尼僧、市民を殴打するなど暴力。バルコ街封鎖。(チベット政府当局は、拘束した僧侶は、厳重注意後釈放したと主張)
3月11日、10日に拘束された数十人の僧侶の釈放を求めるセラ寺の600人デモを、武装警察が催涙弾で制圧。発砲も。死傷者の有無不明。
3月14日までに、セラ寺の抗議のハンスト開始、手首を切るなどの抗議活動。3大寺院の軍による包囲、封鎖。市民と僧侶が怒りの抗議デモ。これを数千人規模の武装警察らが阻止。発砲で死者がでて、大暴動に。軍車両が群衆に突入?死者多数?(読売新聞より)。商店や車両の放火、暴行。死者は80人以上に?
3月15日、いったん沈静化←今ここ。当局による密告、自首の呼びかけ。
■さて、タイトルのプンツォク・ワンギェル氏(プンワン氏)。御歳86歳の老チベットコミュニスト。私もいつかお会いしようと、熱望している歴史的人物だ。彼の伝記を書かれた阿部先生は、彼がかつて次のように語っていたと、メールで教えてくれた。真理である。
■(引用開始)かれは、鄧小平の政権掌握後、全国人民代表大会常務委員、中央民族委員会副主任というほとんど大臣レベルの地位にまで上った人物で、1980年代初め憲法改定時に、国防と外交は中央にまかせるとしても民族自治地方には高度の自治を行わせるべきだと主張して激しい論争を引起した。
■かれはいう。レーニンが正確に論証したように、民族分離主義は民族圧迫政策の産物である。ことなった民族が連合し団結するのは平等政策の結果だ。つまり多民族国家で民族平等があるなら、少数民族の激しい不満や、ひいては分離独立の主張などは起きないと。
■チベット人の若者や僧侶が騒ぎをおこすのは、当局がやり方を間違ったからじゃありませんか、ということだ。
■また、大民族の民族主義は攻撃的で奴役的であり、小民族の民族主義は防衛的だ。小民族の民族主義を克服せよというなら、大民族の民族主義の克服はもっと重要である。マルクス主義者はすべからく少数民族の立場に立つべきだともいう。
■だからといってかれは独立論者ではない。自治論者である。今日の歴史的条件下では分離しようにもやれるものではない。亡くなった十世パンチェン=ラマも同じ意見だった。
■そしてプンツォク=ワンギェルはいう。漢民族地域で何かあれば、それは『騒ぎ』だというが、少数民族地域では『反乱』とされて「鎮圧」される。兵を用いれば、あっさりと乱を治めることができるかもしれないが、その後遺症ははかり知れない、受けた傷は治療の方法がない。共産主義者の最終目標は全人類の解放と世界を大同に導くことである。胸襟は必ず開かなければならず、戦略的な観点が必要だ、と。
■わたし(阿部さんのこと)は傷つき倒れた双方の犠牲者を悲しむ。とともにプンツォク=ワンギェルの主張は、いま生きているとしみじみとおもう。
■福島も完全同意です。そして、おそらく、ダライ・ラマ14世もまったく同意見ではないでしょうか。プンワン氏は、ダライ・ラマ14世とも非常に近しい関係だったはず。胡錦濤閣下、あなたが本当にマルクス主義なら、プンワン氏の主張に共感するのではないか?
■改めてレビューは書きますが、阿部先生の書くプンワン氏の伝記「もうひとつのチベット現代史」に興味もたれたかたはアマゾンでどうぞ。
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by tenyoufood
プンツォク・ワンギェル氏はか…