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「子供」と「セックス」と「法」
▼児ポ法ウゼェよ
■……って、挑発的だなあ、きみ。
▼ったりめーだ! おちおちオナニーもしてらんないぜ。断固粉砕だっ!
■……手が後ろに回ってから泣いたって知らないぞ。
▼そんなときのための概念武装強殖装甲覚悟完了!
■なんだかよく解らないがスゴイ自信だ。
▼屁のカッパですたい。児ポ法がウゼェってのは人類みな兄弟、当たり前の感覚だが、残念ながらワケの解っていない奴らも多い。ここで「子ども」と「法」について改めて基礎的な事項を抑えておくのは大切だ。
■大きく出たな。大丈夫なのか?
▼実は本業はこっちの分野なんでまかせとけって言いたいところだがしかるべき筋にバレるとマズいなごにょごにょ。
■……おいおい、尻すぼみだぞ。
▼とにかく、これだけ抑えておけば巷の自称良識派の馬鹿野郎どもには負けないってだけの素材を揃えておくぞ。とくに1990年代初頭の有害コミック問題あたりから、規制賛成派は「子供」というロジックを多用してくるようになった。だから、まず「子供」という概念についてきちっと抑えておくぞ。
■心配だが、まあ、頑張ってくれ。
 ▼まずは、フランスの歴史家フィリップ・アリエスの書いた『<子供>の誕生−アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』を見ておくべきだ。みすず書房から1980年刊行、5,460円だ。
■高いな。
▼学術書の値段はだいたいこんなもんだ。みすず書房にしては安いほうだぞ。それに5,460円なら、○○○○○の同人誌を転売すれば簡単に買える値段だろうが。
■転売いうな!
▼この本は、いわゆる「子供」というものが、近代になるまでは存在しなかったということを綿密な史料に基づいて論証し、学界に大きな衝撃を与えた本だ。多少の批判はあったが、現在ではほぼ学界の定説となっている。
■「子供」がいなかったって、どういうことだ?
▼生物学的に人間の子供がいなかったということじゃない。重要なのは、現在の我々が「子供」を見るようには、昔の人間は子供を捉えていなかったということだ。たとえば、現在では子供を性的な情報から隔離するというのは良識的な行動だと思われている。しかし、中世ヨーロッパでは、子供の前で平気で猥談かましていた。子供から性的情報を隠すという観念がなかった、というかむしろ子供と大人の区別がなかったから隠す必要がなかった。
■ほお。
▼他、中世ヨーロッパでは子供は生まれるとすぐに里子に出されたりして、親子の情はそれほど強くなかった。子供が死んでも、親はそれほど悲しむことはなかったと言われている。日本にも「7歳までは神のうち」という言葉があるが、これは7歳までに子供が死んだとしても、特に悲しむ必要はないということを表した言葉だ。子供に対して親たちが執着を見せ始めたのは、ヨーロッパでは17世紀以降、資本主義が発達し絶対王政が確立して近代化の基礎が固められてからのことだ。
■ふむふむ。
▼そこで反面的に参考になるのは、ニューヨーク大学教授のニール・ポストマンが書いた『子どもはもういない−教育と文化への警告 』という本だ。新樹社から1985年に発行、2000円だ。
この本は、まず「つくられた子ども期」と「子どもがいなかったころ」という章で、先に紹介したアリエスの業績を参照しながら、子供というものが人工的に作られた概念だということを論証している。ここでは「活字」というものが大きなポイントになる。そこで参照しなければならないのが、トロント大学教授のマーシャル・マクルーハンが書いた『グーテンベルクの銀河系―活字人間の形成 』という本だ。みすず書房から1986年に刊行、7500円だ。
■ばか高!
▼7500円ならおまえがこのまえ虎の穴でおとな買いしたプレミア同人誌と同じ値段だろうが。
■う・・・先に進みましょう。
▼マクルーハンの議論によれば、活版印刷の登場によって社会全体の知のありかたに大転換が起こった。本というものを写本など手書きで作らなくてはならなかった時代では、文字の読み書き能力は一部の特権階級に握られていた。古代エジプトやメソポタミア、古代中国などどこでもそうだが、文字が読み書きできるということはエリートの証拠だったわけだな。
ところが、グーテンベルクが活版印刷を発明すると、本が大量に生産される。そうなると、一般人の中にもだんだん文字の読み書き能力を持つ人間が増えてくる。ルターの宗教改革の成功も、そういう字が読める人間の大量発生という背景を持っている。一般人が誰も字を読めなかった時代には、パンピーはただ単に偉い神父様の言うことをハイハイと聞くだけだった。ところが読み書き能力を獲得し、自分で聖書を読んでみると、なんと神父様の言ってたことがウソだったってことが解ってしまう。これが宗教改革の大きな原因となったわけだ。ルターが特権階級のラテン語ではなく、民衆が話すドイツ語で聖書を書いたことの意味も、ここから理解できる。一般民衆が文字から情報を得るようになることは、特権階級にとって大きな驚異となったわけだな。こうして、貴族や僧侶などの特権階級がどんどん没落する。文字を読めるようになった市民が強くなる。
■なるほど。そうしてフランス革命に繋がっていくんだね。
▼フランス革命といえば、オスカルが30過ぎまで処女だったという事実にはまいるな。
■いいから先に進め! 子供の話はどうなってんだよ!
▼「読み書き能力」という概念が出てきたところで、「教育」と「学校」というものが大きくクローズアップされる。
■きょういく?
▼左様。読み書き能力を持つのが貴族や僧侶など一部の特権階級だけだった時代を考えてみろ。世の中の95%の人間が、文字を読めないわけだ。つまり、95%の人間は、はっきりいって子供同然の存在だったんだ。大人だろうが子供だろうが文字が読めないということには変わりがない。
■あ。子供と大人の区別をする基準がないのか。働くという点ではどうなんだ?
大人は働いて子供は働かないものだという感じもあるけど。
▼お前はニートだから2×歳になってもまだ子供という理屈だな。
■うるせー!
▼しかし「労働」というのは「大人」と「子供」を区別する上でもよい観点だ。そして「読み書き能力=リテラシー」が大衆化する以前は、子供は物心付いたときにはすぐに働いていたことに注意するがよい。
■子供が働いていた?
▼中世、学校に行かない子供が遊んでいたとでも思っていたか? 子供は働いていたんだ。だから、「リテラシー」という観点からも「労働」という観点からも、近代以前に「子供」と「大人」を区別する指標はない。江戸時代も同様だ。教育を受けることのできた数パーセントの武士階級ならともかく、農民の子供は物心付いたときから労働に従事した。そうでもなければ農民は食っていけなかったからな。
■そりゃそうだな。
▼ところが、大勢の人間が文字を読めるようになってくると、文字が読める人間と読めない人間の間に格差が出てくる。現代的な用語で言えば、「メディア・リテラシー」の問題だ。現代ではコンピュータが使える人間と使えない人間では、情報に対するアクセス量が圧倒的に異なる。コンピュータを使える人間のほうが圧倒的に有利なのは言うまでもない。同じ状況が活字の登場に際して起こったわけだ。というか、現在のコンピュータ革命を「第二のグーテンベルク革命」と呼んでいる奴もいる。
で、グーテンベルク革命の結果、読み書き能力のある人間とない人間の区別が生じる。リテラシーのある人間を「おとな」、ない人間を「子供」と分類するようになったわけだな。そして、リテラシーのない人間はそれを獲得しなければならない。リテラシーこそが近代的な人間の最低条件になるからだ。こうして「リテラシーのない存在=子供」は勉強して「リテラシーを獲得した存在=おとな」になるべきだという観念ができあがった。そういうわけで、子供は学校に行くようになった。これが大衆教育の起源だ。おとなと子供を読み書き能力の有無で分割する、これが「近代」の特徴だ。
■子供とおとなを読み書き能力で分類するってのは、ちょっと感覚に合わないな。
▼じゃあ、もうちょっと説明を抽象レベルにあげよう。「法的責任能力のある人間」がおとなだって言えば解りやすいだろうかね。読み書き能力の有無は、そのまま法的責任能力の有無に直結している。というか、法的責任能力があることの証が読み書き能力だってことだね。
■ふむ。「法」にも話が繋がり始めたな。
 ▼このあたりは、17世紀イギリスの思想家であるジョン・ロックの『市民政府論』を読んでおくといいだろう。ロックの市民社会の思想はそのまま現代にも生きているから、ちょっと引用しておく。ロックはこう言っている。「人が自然法の下にあるとしよう。何が彼をこの法の下で自由にしたのであるか。……私はこう答える、彼がこの法を知ることができると予想され、かくて自分の行動をその範囲内に保ち得るであろうような、そういう完全に成長した状態これである。彼がこの状態に達するや、彼はどの程度までこの法が彼の指針であるべきか、そうしてどの程度まで彼は自分の自由を用いてよいのかについて、知っているものと考えられ、かくして自由を持つに至るのである。その時までは、法がどれだけの自由を許すかを知っていると考えられる他の何人かが彼を導かなければならぬ」(61-62頁)。そしてロックは、その年齢を21歳と言っている。
■現代日本だと18歳か20歳なわけだな。
▼うむ。そしてさらに重要なのは、ロックが「未成年の自由」を「成年の自由」と明確に区別している点だ。「彼が自分を導くべき理性をもつようになる前に、無制限の自由に解放されることは、自由であるという生来の特権を彼に許すことにはならない。かえって彼を獣の間におしやり、獣と同じようにみじめで、人間以下の状態に放置することになる。これが両親の手に権力を与えて、その未成年の子を支配させる理由である」(66頁)。こう言っている。
■具体的にはよく解らないが。
▼簡単に具体的に言うとだな、理性のあるおとなはセックスしていいが、理性のない子供はセックスしちゃいかんということだ。大人にはセックスをする自由はあるが、子供にはない。その分かれ目が「理性」だ。
■急に核心に迫ったような。
▼この理屈は、「理性のあるおとなには選挙権があるが、理性のない子供には選挙権がない」と言い換えてもいい。要するに、おとなと子供で自由に扱える権利が全然違うってことだ。こうやって「理性」によって子供とおとなを区別する発想というのは、17世紀の絶対主義確立以降にやっと登場し、ジョン・ロックによって定式化された。ロックが近代民主主義の父と呼ばれ、イギリス名誉革命やアメリカ独立戦争の理論的支柱になっていることは実に重要だ。ロックの市民社会の思想は、ヨーロッパでは現代まで生き続けている。民主主義を主張したロックが、同時に「子供はセックスしちゃいかん!」と言ったのは、民主主義の根本原理を考える上で実に重要なんだ。アリエスは、そのロックの思想が単なる絵空事ではなく、事実に反映していることを証明した。マクルーハンは、その原因が活版印刷による情報革命にあることを見抜いたわけだ。
■じゃあ、民主主義の社会だと、論理的に子供はセックスしちゃいかんってことになるわけだな。
▼そうなるな。
■ってことは、児ポ法は民主主義的に正しいってことになるじゃないか。
▼まあ、そうとも言える。
■マズいじゃん!
▼まあ、待て。ここで、「子供の権利」と「子供の人権」の区別について考えておこう。
■へ、権利と人権って違うのか?
▼「子供の権利」と「子供の人権」は、まったく違うものだ。「子供の権利」とは、ロックと同じように大人と子供を完全に区別した上で、こども専用の権利を認めようとするものだ。子供をおとなと全く違った独自の存在として見て、こどもに適切な環境を与えようって発想だな。総合的に「健全に発達する権利」とも言われている。これは、子供にとって有害な情報を見せるべきでないという主張を含む。また、労働から解放されて教育を受ける権利も含む。つまり、青少年健全育成条例に親和的な発想だ。
■なるほど。おとなの権利とは違う独自の権利だから「子供の権利」というわけだな。
▼いっぽう「子供の人権」とは、大人と子供を区別してきた従来の発想を退けて、子供を大人並に扱おうという発想だ。つまり、大人がセックスするなら子供もセックスしていいってことになるな。煙草を吸ってもいいし、酒を飲んでもいいってことになる。ただし、自己責任の原則が貫かれなければマズいわけだ。権利を与えるが、当然そこには責任も伴う。
■まあ、それはそれで危険な発想にも見えるなあ・・・
▼しかしここで問題になるのが、「少年法改正」の問題だ。
■少年法?
▼ここ最近、少年犯罪が増加していると言われている。これは実は統計的にはウソっぱちなんだが、信じている馬鹿野郎どもが多い。そういうわけで、子供にもおとな並の罰を与えようということになってきた。少年法改正とは、簡単に言えば、子供の責任をおとなと同じように扱おうということだ。つまり、子供とおとなの境界線をなくそうという発想だな。
■ってことは、「子供の権利」と「子供の人権」の中では、「子供の人権」に近い発想なんだな。
▼そうだ。少年法改正論者は、子供とおとなの境界線をなくそうとしている。子供をおとなと同じように扱うべきだと主張している。だとしたら……
■あ、おとながセックスするんなら子供もセックスしていいって話になるな。責任だけ押しつけて権利を与えないのはヘンだ。
▼そうなる。もともと少年法の精神は、子供はおとなと違って判断力が未成熟であって、たとえ犯罪を犯したとしても責任は問えないという考えに立っていた。これを廃棄するって事は、つまり、子供にもおとな並の判断力と責任があると認めたことを意味する。思い返してみれば、ロックはキチガイが犯罪を犯したとしても無罪だと主張していた。なぜならキチガイには責任能力がないからだ。子供が犯罪を犯したとしても無罪なのは、責任能力がないからだ。これが近代民主主義の大原則だ。しかし最近は、キチガイや子供にも責任を負わせようとする論調が増えてきた。逆に言えば、キチガイや子供にも責任能力があると認めようってわけだ。
■ロックの民主主義の原則が崩れてきている……。つまり、子供とおとなの境界線を作ったロックの影響が無くなっているってことだな。って、あれ? 児ポ法って、ロックの思想をそのまま受け継いでるんだよね。でも少年法改正はロックの思想を否定している……
▼そうだ。そこが最大の矛盾だ。もしも少年法の改正を主張する人がいたら、その人は児ポ法には反対しなければいけないんだ。論理的にはな。少年法改正と児ポ法は、論理的には両立しない。
■うむ、なるほど……。ってことは、児ポ法に賛成している奴に少年法改正についての見解を聞いてみると……
▼そう。そいつの論理的一貫性が暴かれる。もしもそいつが少年法改正にも賛成しているとしたら、簡単に潰せる。
■でも、少年法改正に反対していたらどうするんだ?
▼そこまで頭のいい奴は、圧倒的に少ない。だいたい雰囲気でモノを言っている奴が大半だからな。が、きちんとした法学者なら、そう答えるはずだ。そいつらを敵に回したときが、いちばん怖い。
■なんとも頼りないな。
▼まあ、こどもの歴史を踏まえた上で、きちっと法学的論理を構成することが重要なことには変わりない。児ポ法に反対にしてる連中にしても、単に雰囲気と感情でモノを言っているのがいる。論理武装せずに感情でモノを言うのは、バカにされ、つけ込まれるだけで、逆効果だ。概念武装せよ!
■ふうむ、難しいもんだな。で、その論理で勝てるのか?
▼いや、勝てない。
■がくっ。なんだ、そりゃ?
▼割り切っておくべきことなんだが、はっきりいって論理的に正しいってだけでは意味がない。論理的にむちゃくちゃな意見だろうが、その意見を信じている人間の数が多ければ、勝つ。それが多数決民主主義だ。科学と政治は別物ってわけだ。だから、論理的な正しさとは別の次元で、民主主義的な「運動」としての理論を作らなければならない。それには運動と組織の中核となるスローガンが必要となる。それで今おれが考えているのが、「オナニーする権利」という新しい権利だ。
■…………急にしょんぼりだな。
▼何を言う。切実な問題だろ。ここ50年の時代の変化の中、「環境権」「学習権」「知る権利」「プライバシー権」など、新しい権利が続々と確立されてきた。そして「オナニーする権利」こそ、もっとも現代に相応しい権利だ。
■……まるめこまれそうで怖いが、続けてくれ。
▼まず、ここ数十年で独身男性の数が大量に増えていることに注目すべきだ。とくに大都市圏において独身男性の数は増えるばかりだ。彼らは税制なども含めて制度的にたいへん不遇な状態に置かれている。独身男性の利益を代表する政党がないのも致命的だ。どこの政党も「家族」の存在を前提に政策議論している。ちょっと前には女性の権利を主張するフェミニズムが流行し、女性の権利についてはたいへんな進歩が見られる。これ自体はいいことだ。しかし、独身男性の権利はますます削られている。よくフェミニズムは「男が権力を握っている」とよく言うが、確かに家父長としての男についてはそれがあてはまる。しかしその裏でこぼれ落ちているのが、独身男性だ。はっきり言って、太古の昔から次男・三男は不遇だった。男が権力を握っていると言っても、その場合の男とは「長男」に限られる。農家では、次男・三男は結婚もできず、労働力として一生こきつかわれるだけだった。その流れは、現代でも変わっていない。
▼たしかになあ。オレの叔父さんたちでも、結婚できないのは次男・三男だったような。そんな叔父さんたちに権力があるっつってもピンとこないな。
■フェミニズムは男にとって評判が悪いが、それがもともと弱者の権利の救済だったことを考えれば、その理論は弱者たる独身男性にも適用できる。フェミニズムの旗手たるボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない。女になるのだ」と言った。それは独身男性にも哀しく当てはまる。人は男に生まれるのではない。結婚して家族の主となることで初めて男になれるのだ。男は結婚しなければ一人前とは見られない。制度上も独身男性はひどい扱いを受けている。世間は独身男性に冷たい。独身男性は人間と見られていない。女以上に権利を剥奪されている。その不遇な独身男性の権利を回復するときに、象徴的な権利が「オナニーする権利」だ。
■…………まるめこまれてきた……
 ▼そうだ!いいじゃないか、何をネタに使ったって。結婚してないんだぜ?売春も違法だ。オナニーくらいさせろよ!好きなネタ使わせろ! その権利は断固として主張すべきだ。はっきり言って、児ポ法とは、独身男性虐待法に他ならない。今こそ全国の独身男性は立ち上がるべきだ。独身男性の利益を代表する政党を作って、国会議員を送り込め! オナニー党の結成だ! ちなみに小谷野敦『もてない男』は、この問題を考える上で参考になる。
■よし!全国オナニー党結成だ! 万国のフラレタリアートよ団結せよ!…………って、おまえ、確か結婚してたような……
▼女性ファンが減るから、それは秘密にしておいてくれ。
■女性ファンなんて、最初からいねーよ! っていうか、てめー、裏切り者! 結婚してんじゃねーよ!
▼いいじゃねーか、既婚者にもオナニーの権利を与えろっ!
(了)
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