「砂漠の妖精」と呼ばれるキツネがいます。キツネの仲間では世界最小、ネコかウサギくらいの大きさで、不釣り合いに大きな耳と尻尾が目立つ容姿はメチャメチャ可愛いので、ペットとして人気があります。でも、まだペットとしての順化が確立しておらず、野生の性質を色濃く残していますから、うまく飼うのは困難で、個体による当たりはずれが大きい動物です。
Le Petit Prince に描かれたあの耳の長い「キツネ」のモデルは、サハラ砂漠に住むフェネックだと信じられています。サンテックスはフェネックを飼っていたことがあります。 正確には飼おうとしました。なついてくれなかったようです。飼い損ねて、短期間で死なせてしまったのだろうと、私は考えています。
またサンテックスは、作品 Terre des Hommes の中でリビア砂漠遭難事故のエピソードを書き、フェネックの足跡とそれから推測されるフェネックの行動について述べています。
「 アフリカの狐たち 」の項で述べたように、フェネックの生息域に関してはふたつの問題があります。まず第一に、現地ではオジロスナギツネと明確に区別されていないという事実です。そして第二に、報告されているフェネックの分布域には確たる定説がありません。前述のように他種との混同があり、また、フェネックがかなり急速に生息数を減少させている現実があります。(つまり、現在は生存していなくとも、サンテックスがいた頃には生息していたのかも知れません。)
上のような分布域であるならば、キャップジュビー近辺でも、彼が訪れたことがあるモーリタニア*でも、フェネックを実見するチャンスはあったはずです。
「サンテックスはフェネックを飼っていた」という主張の根拠は、末の妹ガブリエルに宛てた手紙(1928年。日付不詳。上に掲げた絵が書き込まれています。ただし現物は、単色のペン画です)で「飼っている」と言っていることだけです。その後の推移は報告されませんし、他の人にフェネック飼育について手紙を書いたり、随筆中でそのようなことに言及したりはしていません。(少なくとも、私が調べた限りでは . . . )。サンテックスのことですから、あの可愛らしいフェネックを飼おうものなら、友人達に吹聴し、随筆でも取り上げるでしょう。それが見つからないと言うことは、「飼ってはいなかった」と考えるのが順当だろうと思われます。
それでは、どんな方法で飼ったのでしょう? 三つ考えられます。1)室内で放し飼いにした。2)檻に入れた。3)鎖でつないだ。
フェネックを「飼い慣らす」のは、容易ではありません。日本でも、アメリカでも、その可愛らしさに魅せられてつい買い求めてしまった人たちの多くが、想像もしなかった困難に悲鳴を上げています。なかなか馴れてくれない、トイレの躾ができない、体を洗わせてくれない、環境変化のショックからフェネックが鬱ぎ込んでしまった、etc., etc. . . . 。まだ野生に近く、ペットとしての遺伝的な選別が進んでいませんし、飼い方や取り扱い法のマニュアルもありません。極めて個性的で、人懐っこい個体もあれば、金輪際人を寄せ付けない強情ものもいます。うまく馴らしたつもりでも、出血するほどひどく噛みつかれたり、突如として凶暴になったり、イヌ・ネコ・フェレット等とは随分勝手が違うのです。サンテックスは、カメレオンのように手のかからない動物を飼ったことはありますが、忍耐と愛情をもって気長に接しなければならない動物を、うまく飼った経験はありません。フェネックを飼う能力はなかったろうと思われます。
「人間の土地」Terre des Hommes の中でサンテックスは、「特徴のある3本指の、フェネックの足跡」を見つけています。「3本指」というのは本当でしょうか?
雪の上に残されたアカキツネの足跡です。これはヨーロッパのアカキツネですが、世界中の亜種、たとえば日本にいるホンドギツネやキタキツネも、このような一列の足跡を残します。(獲物を追って走ったりするときは、この通りにはなりません。)
雪の上では、指(肉球)の跡は明確に確認できます。
こちらは、軟らかな土の上に残されたアカキツネの足形(上下を反転させたために浮き出して見えますが、雌型の写真です)。
フェネックは、キツネよりもイヌに近いのではないかという説もありますが、足跡から見ると、オジロスナギツネの歩き方もあまり典型的なキツネとはいえないようです。
こちらはフェネック。どちらが進行方向で、前足なのか後ろ足なのか、悩んでしまいます。前足ならば8時の方向、後ろ足ならば2時の方向が,進行方向でしょうか。いずれにせよやはり3本指ですが、オジロスナギツネに較べて、こちらの方が指が開いて見えますね。
「アフリカの狐たち」でお見せした Eyal Bartov 氏撮影のフェネック。指の開き方に注目してください。第3指と第4指をぴたりとそろえています。
こちらはサンシャイン国際水族館からお借りしたフェネックの画像。やはり第2指と第5指が開いて見えますね。
【足底の密毛は、熱砂から肉球を守るためのものとされています。その通りなのでしょうが、フェネックは基本的には夜行性で、昼間行動するときでも直射日光下を歩くことはしません。体温コントロールができなくなってしまうからです。この密毛は、砂の上での足音を殺すためのものではないかと、私は考えています。】
雪は細かな氷の結晶ですから、氷としての性質を保持しています。氷は、圧力をかけると一部分が水になり、その圧力がなくなると、また氷に戻ります。この現象を復氷といいます。雪合戦のボール、手で握っただけで簡単に作れてしまいますね。あれは、この復氷という性質のおかげです。細かな結晶同士の接触面は狭いものですから、手で握っただけで、単位面積あたりの圧力はかなりのものとなり、その部分は水になります。圧力が除かれるとまた氷になりますが、結晶は氷でつながれてしまいます。スキーの板の下でも同じことが起きます。板に接触した部分は薄い水の膜を形成します。板はその上をなめらかに滑ることになります。板が移動した後は圧力が除かれますから、氷に戻ります。圧縮されて体積が減った雪が、シュプールとなるわけです。凍った道路が滑りやすいのも、同じ理由です。靴底の氷は薄い水の膜を作り、横方向の力が加わるとそちらに靴が動いてしまうのです。スケートはブレード(刃)と呼ばれる極めて小さな面積の上に体重がかかりますから、その直下では瞬間的にかなりの量の水ができます。移動につれて水の膜も生成と復氷を繰り返し、ブレードの下には常に水の膜が存在します。ハイドロプレーン現象を、積極的に作り出しているわけです。ブレードは特殊な形をしており、エッジによって横方向への動きは強く押さえられますから、長さ方向だけに滑りが起きます。
雪の上の足跡も、スキー板のシュプールと同じことになります。ごく低温の細雪であれば、細部まできれいに印象を残すことでしょう。復氷現象によってすぐ固まりますから、できあがった印象像は、温度が上がって融けるか、再び踏まれるかするまで崩れません。
リビア砂漠東部の砂は、粒子の細かさで知られています。沙漠の夜は放射冷却によって冷え込みます。夜露が降りるほどではなくとも、夜明け時の砂は幾分湿り気味になり、締まって歩きやすいものです。体重が軽く足底面積が大きいフェネックの足は、砂に深くは潜りません。雪と違って互いにくっつき合うことのない砂は、第3指と第4指の間の狭い空間を満たした板状の印象を保持できずに崩れてしまうのでしょう。湿り気味だった砂の細粒は、踏まれて擦れ逢った際の静電気と、足底からほんのちょっぴり追加された湿り気によって粒子の接触点を再編成し、風やその他の力が加わるまでは、印象を保持するのだと考えられます。日が昇れば湿り気は失われて、自重で崩れ落ちる細粒のため窪みは自然に平坦化され、熱対流が起こす風によって、足跡はみるみるうちに姿を消してしまいます。
Le Petit Prince 登場人物(?)の中で、最重要な役割を担う renrd。あの「キツネ」はフェネックだといわれてきました。私もそう思っていました。フェネックであろうとなかろうと、どうでも良いことなのですが、決着が付くものならば結論を出した方がスッキリするでことしょう。
本文を読む限り、アカギツネと判断するのが順当です。棲んでいるところにはリンゴの木があり、村があって、麦畑やブドウ畑があります。ニワトリも飼っていて、このキツネはニワトリを襲うようです。何にもまして恐ろしいイヌは出てきませんが、鉄砲を使う「狩人」が登場します。専業ではなく農夫の副業であろうと思われます。フランスでは、スポーツハンティング用に銃を所持している人は結構いますし、秋の狩猟期には、農家にとっても副業として良い収入源になります(朝市で売ります)。それに、家禽・家畜をキツネやオオカミから守るために銃が必要な地域もあります。このような場所にフェネックはいません。何より、ヒヨコならともかく、ニワトリは襲うには大きすぎます。
あの「キツネ」がフェネックではないかといわれるのは、挿絵のせいなのです。耳が「長い」,尻尾が大きい,四肢が短い、足が大きいの4点がその理由です。
ということで、挿絵からしてもフェネック説は形勢不利なのです。「下手な絵なんだからしょうがないじゃないか」と言ってしまったら挿絵は引き分けとなり、本文がものをいって、「 renrd はアカギツネ」になってしまいます。
アルジェリアの絵はがき。アルジェリア赤十字社への寄付つき切手と4月1日の
消印。発行年は不明であるが、アルジェリアがフランス領であった時代のもの。
最近まで私は、キャップジュビー周辺にはフェネックはいないと信じていました。この項を書くために資料収集をした結果、キャップジュビー近辺にもフェネックが生息していたのかも知れないという分布図を見つけたのです。
* Le Petit Prince 原画発見を報じたフランスの L'Express 誌 2006年4月27日号中で、”depuis le renard, inspiré par un fennec apprivoisé dans le désert de Mauritanie, en 1928, ”と述べています。サンテックスがフェネックと接したのは1928年、モーリタニアでのことだというのです。【「飼った」と言っているわけではありません。行きずりに出会った犬に好かれて、尻尾を振る犬の頭を撫でてやったのも ”apprivoisé ”です。(2006.06.28 追加)】
一方、私が信じていた従来の説にしたがって「フェネックは内陸部にしかいない」とすれば、サンテックスの立ち回り先には、フェネック生息域が含まれていません。「人間の土地」でフェネックの足跡について書いていますが、それまでに野生のフェネックやその生息痕を観察する機会がなかったとすれば、飼育したフェネックでの経験か、さもなければ、彼がフェネックと信じていたオジロギツネ(キャップジュビー近辺にも生息した可能性がある)の足跡を見たことがあるのかの、いずれかになります。
とはいえ、全くの嘘をガブリエルに書き送ったとも思われません。飼おうとして興味を示してはいたのだろうと考えるべきでしょう。もしフェネックを飼ったとしたら、サンテックスはどうやってそれを手に入れたのでしょう? 彼が捕獲するわけはありません。フェネックは臆病ですばしっこく、彼に捕まるほどドジではないのです。
よく言われる「犬1匹ではフェネックに追いつくこともできず、2匹では遊ばれ、. . . . 、6匹かかってやっと捕らえることができる」という、とんでもない戯れ言を真に受けてはならない。
フェネック達にとって幸いなことに、豚と犬は不浄の生き物であるから、イスラム教徒が犬を飼うことはない。大きな都会の野良犬はともかくとして、オアシスの人里に近づいても、犬に出くわすことはないのだ。
したがって、フェネックが犬に追われるとしたら、狩猟のために人間が連れてきた猟犬である。フェネックの戦闘力は極めて脆弱。「飼われたオオカミ」とまで言われるイヌに襲われては、ひとたまりもない。逃げの一手である。歩幅の違いは不利な要件だけれど、砂の上での逃げ足は、犬よりは速いだろう。「追いつくことはできず」というのは多分本当だ。ワジ(涸れ川)や岩山のような、イヌが足を取られない場所では、歩幅が小さなフェネックは、たちどころに犬に追いつかれてしまう。逃げ込める小さな(犬が入れない大きさの)穴でもない限り、1対1でも敵わないのだ。
音や臭いに敏感なフェネックが、砂漠の中で不意打ちを食らうことはない。襲われるのは巣穴である。複数の出入り口を設けてあるから、犬の数が少なければ、逃げおおせることは可能だろう。逃げ出したとしても、気づかれるまでによほど引き離しておかなければ、臭いを頼りに追跡されてやがてはかみ殺されてしまう。猟犬が6匹もいたら、そもそも巣穴から脱出することすらできない筈だ。
フェネックは利口だということになっているけれど、犬はもっと利発である。訓練された猟犬のチームなら尚更のこと。冒頭の言葉は、フェネックを褒め称えるための作り話に過ぎない。
まず第一に考えられるのは、ジュビー近辺の住民から贈られた、または、買い取った可能性です。もしジュビー近辺にフェネックが生息していたのなら、大いにあり得ることです(オジロスナギツネであったとは考えられません。肛門腺が発達していて臭いので、ペットには不向きだからです)。また、ジュビー周辺にフェネックがいなくとも、頼んで手に入れて貰うことは可能だったはずです。あるいは、現地人が飼っているのを見かけて気に入り、交渉して買い取ったのかも知れません。
第二の可能性は、カサブランカ,タンジール,ダカールといった大都会に行った際、ペットとして買い求めたというものです。いずれにせよ、彼が「飼おうとした」あるいは「飼い始めた」かもしれないことを否定する理由はありません。単調な生活に、退屈する日も多かったのですから。
砦の外側の大きくはない小屋で、優雅さとは程遠い生活を送っていました。ドアの開け閉め・置いてあるもの・広さ・その他諸々から考えて、1)はあり得ません。2)が正統な買い方ですが、檻が簡単に手に入ったかどうか . . . 。とりあえずは3)で飼い始めるのが、一番ありそうな話です。
2)でも3)でも、話の本質は変わりません。早い時期に、隙を見て逃げられたか、ストレスによる鬱と拒食で死なせてしまったか、いずれかであろうと推測されます。それでなければ、ガブリエルへの第一報以降、フェネック飼育について沈黙を守り続けた理由が説明できないからです。「噛まれた!」という格好の話題でさえ、全く姿を見せません。「あちこちに糞尿をまき散らされて困っている」という話が、誰かへの手紙に登場して当然なのに、そんな手紙は見つかっていないのです。
近縁種でありながらイヌやオオカミは、このような配列にはなりません。
親指は接地しませんから、4本指の型が残ります。イヌ・クマ・オオカミ、みな4本指の足形です。
それはさておき、前足も後足も、3本指のように見えることに注目してください。「3本指の足跡」はフェネックだけではないのです。
前足と後足の指の違いがよく判ります。
雪の上では4本指なのに、砂の上だと3本指になってしまうのはなぜでしょう? 印象材の材質の違いによるものと思われます。雪も、温度の低い新雪と、一度解けたザラメ雪とでは違う結果になることでしょう。砂も、粒子の細かさや湿り具合によって異なる形になるだろうと思われます。
フェネックの耳は「長い」のではなく、「大きい」のです。キツネの絵は、プリンスから「ツノみたいだ」と笑われていますから、幅は広くなさそうです。さあそうなると、「絵が下手だから」幅を狭くしてしまったのか、長さを長くしてしまったのか、判らなくなります。大きな耳ならばフェネック説支持、普通の耳ならばアカギツネ説支持です。
尻尾が大きいのは、キツネ族は皆そうです。「絵が下手」なのですから、フェネックともアカギツネとも判定できません。
短肢・大足、これはフェネック説支持です。胴長はフェネック説には不利でしょうね。ついでに、顔もフェネックとしては長すぎます。体色はアカギツネですね。
この顔の長さならば、挿絵のキツネのモデルになり得ますね。
この際私は、アカギツネ説に乗り換えることにしました。キツネがフェネックだったら可愛いのですが、フェネック説には無理がありすぎますから . . . 。それに、アカギツネだって結構可愛いんですよ。
(キツネの亜種名は判りません。英国製置物)
総目次に戻る