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2008年3月16日

◎学校支援本部 「校下」を見直すきっかけに

 石川県内で設置が検討されているボランティアによる「学校支援地域本部」は学校の負 担が軽減されるだけでなく、上手に運用すれば学校を核とした地域づくりにつながる点で意義ある取り組みである。

 県内で方言として用いられる「校下」という言葉は通学範囲を表すとともに、学校の下 で地域が結束するという深い意味もある。「モンスターペアレント」など学校に理不尽な要求を突きつける親の存在が問題となっているが、支援本部は学校と家庭、地域との関係を見つめ直すきっかけにもなろう。

 学校支援本部は文部科学省の委託事業として全国で実施され、住民が部活動の指導や校 庭の緑の世話、登下校の安全確保など学校運営を手助けする。中学校区を基本単位とし、小学校でも設置が可能である。これまでもスクールサポート隊など多様な学校支援がなされてきたが、そうした活動を組織化して横の連携を強め、PTA組織とは違った「学校応援団」をつくる狙いである。

 住民といっても、その学校の卒業生であったり、かつて子どもが通っていたなど何らか のかかわりを持っている人が少なくないだろう。学校を支援する人が増えれば地域全体の教育への関心が高まり、親や教師以外の大人との触れ合いは、子どもにとっても貴重な学びの機会となる。活動の幅が広がれば教師が授業に集中できる環境も整えられるだろう。

 文科省の一次募集では輪島市、白山市で九本部を設置する予定だが、金沢市など都市化 された地域の方が地縁を取り戻すという点では導入効果が高いかもしれない。

 支援本部は東京・杉並区立和田中などの試みを文科省が参考にしたものだが、和田中で 成功したのは有料の夜間塾などで話題を集めた民間校長の強力なリーダーシップがあったからだ。同校ではボランティアによる「土曜寺子屋」や学校図書館の司書業務まで実施している。支援本部をどこまで活用できるかは校長の力量次第でもある。

 むろん、いいことずくめではない。学校にかかわる人間が増えるほど、さまざまな調整 も必要になる。教師にとってはやりにくい場面が生じるかもしれない。軌道に乗せるには教師の意識改革も求められるだろう。

◎痴漢でっち上げ 警察はだまされぬ教育を

 大阪市内の地下鉄で若い男女が共謀して示談金を巻き上げる狙いで男性会社員を痴漢に でっち上げようとした事件は、女性の自首でケリとなったが、いわゆるセクハラが認められやすい風潮を悪用してそのうち起きるのではないかと懸念していたたぐいのものだった。

 一時であるにせよ、警察官もだまされたというから、警察は一線で活躍する警察官に「 だまされぬ指導」をもっとやってほしい。

 ひどい目に遭った男性の話などによると、地下鉄内で電車にブレーキが掛かったはずみ に隣の女性と肩が触れた瞬間、女性は「お尻触ったでしょ」と声を上げ、泣きながらしゃがみ込んだ。すると、近くにいた大学生が「触りましたね」と寄ってきた。とっさにワナだと感じた男性は電車を降りて駅の一室で疑いを晴らそうとしたが、警察官は男女のウソの方を信用したため、男性は大阪府迷惑防止条例違反の現行犯として逮捕され、一日近く拘置されて調べられたというのである。

 一週間後、女性が自首して容疑が晴れ、警察は謝罪した。幼稚だが、冤罪に持って行か れる怖さを秘めた事件だった。人間不信がまた増幅されたような思いを抱かされるのだ。

 一応、すべてを疑って掛かるのが真実に近づく道なのだが、警察官は男女の言い分に疑 いを持たず、「白状したら向こうも許すと言っている」「徹底的にやってやる。おまえ連行や」などと怒鳴ったそうだ。

 ワナにはめるたくらみは大学生が持ち掛け、女性が協力したという事件だったが、隣に 何が起きても「かかわらない」のが現代の風潮だといわれることからすると、すぐさま駆け寄ってきた大学生の行為について、警察官は近ごろ奇特なことと思ってしまったのだろうか。

 まかり間違うと、善良な人間を犯罪者にしてしまうのである。両方の言い分をしっかり 比較し、食い違う点が出てくれば、それを徹底的に吟味するのが警察官の努めではないか。疑うということは警察官などに不可欠な心構えである。

 いわば社会の「死角」に付け込む事件はこれからも形を変えて起きてくるだろう。警察 官が単純で幼稚では安心できない。


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