生きるための知識とスキル
先日、NHK「ワーキングプアⅢ」にはガッカリしたという記事を書きました。
リンク: Global Good News Blog: 「ワーキングプアⅢ」にはガッカリだよ.
そしたら、「ワーキングプア」で検索して来てくれる人が急増したので、もう少しこのネタで引っ張ってみようと思います。今回は、メディアが発信すべきメッセージとは何かということです。
これについては、村上龍さんが非常に的確なことを書いています。
わたしは、現代においては「成功者」を正確に示すことも重要だと思うようになった。なぜ失敗したのか、なぜ挫折したのか、その理由は最初からはっきりしている。知識やスキルが足りないのだ。成功者たちはどうやって知識やスキルを手に入れたのか。またどういう経緯で、知識やスキルが必要だと思うようになったのか、それらを取材し広く伝えるのがマスメディアの役割の一つではないかと思うのだが、そういった考え方はいまだ主流ではない。「すぐそこにある希望」より
これはまったく正しいと僕は思います。
NHK「ワーキングプアⅢ」にガッカリしたのは、僕ら日本人にとって有効な知識やスキルが明確に発信されていなかったと思うからです。
この番組が提示している解決への道(へのヒントになる事例)は二つあります。
ひとつはイギリスの無職の若者対策の例。これは、今回はどうでもいい例です。
もうひとつはアメリカのノースカロライナ州の事例。
これは、法規制の問題から海外移転が難しいバイオ産業を州政府が誘致します。さらに、州政府予算を使って地元の人たちの技術教育に投資します。バイオ企業で働くための技術を、非常に安価な価格で習得できるようにした。それで、この州には3年間で1万人の雇用が生まれました。
ワーキングプア問題を考える時、これは非常に重要な事例です。
先進国のワーキングプア問題とは、グローバル化に伴って、いやおうなしに知識産業社会に移行してしまうことにあるわけで、しかもその知識産業さえも、もの凄い競争にさらされる。そこを勝ち抜かないと職はありませんよと、このエピソードは語っています。
番組でもインドに職を奪われた元プログラマー男性に取材していましたが、アメリカでは大学院を出たような人がピザの配達をやっていたりする。数年前、僕がロンドンで乗ったタクシーの運転手も大卒だと言ってました。
日本で暮らしているとあまり感じないようですが、実はここ10年くらいで世界はもの凄い知識社会に突入しているように思えます。美術業界に詳しい人から「世界では、高等教育を受けたアーティストが活躍する時代だ」と聞いたことがあります。もう6〜7年くらい前の話です。才能勝負だと思っていたアーティストでさえ、高等教育を受けなければ世界では通用しない。そんな時代に突入していた。でも、日本のメディアはそのことを伝えてきませんでした。
その間、日本は何をやってきたかというと、例の「ゆとり教育」です。つまり、文科省は「勉強なんかしなくてもいいんだよ〜」というメッセージを社会に流してしまった。寺脇氏などは、ゆとり教育の本質はそんなことではない、真意が伝わってないと反論するでしょうが、「ゆとり」と言った瞬間に、社会が受取るのはそういうことです。だから、教育熱心な親達は危機感を感じて、私立中学の受験者数が跳ね上がったのです。それで弱体化していた公立中学、高校がさらに弱体化した。それで、収入格差が教育格差になり、というわけですが、これはまたの機会に書くとして。
子どもが大人になった時、ちゃんと職に就けるためには知識とスキルが必要です。農業のスキルがなければ農家になれませんし、プログラマーのスキルがなければプログラマーにはなれません。では、グローバル化の中で知識社会になった先進国で生きるにはどのような知識とスキルが必要か? これを理解するにはある程度の情報力が必要です。親の情報力です。なにしろ、親も経験したことのない社会に突入していくのですから、情報力と分析力を駆使して考える必要があります。しかし、残念ながらすべての親がそんな力を持っている分けではありません。情報力と分析力はけっこう高度なスキルだから、それなりの教育を受けてないと無理でしょう。だから、行政が戦略的に、どのような知識とスキルを身につければよいか、方向性を示して、公立学校でそのようなカリキュラムを組むべきでしょう。
今の子供たちが何を勉強すれば、インドや中国に職を奪われなくてすむか? それを考え、カリキュラムを組み、実践していかないと、ワーキングプア問題の根本的な解決はないと思います。
というようなことを、ノースカロライナ州の例は語ってると思うのですが、しかし、この番組ではあまり重要視していない。こんな例もありました、くらいの紹介にしか感じられませんでした。
NHK、というか番組制作班、本気でワーキングプア問題をなんとかしようと思ってるのか?と感じたの理由です。
この「ワーキングプアⅢ」、至るところで好評で、感動したというブログ記事もたくさんあります。でも、感動してていいんですか?
このシリーズの第一回目に登場したホームレスの若者が再度、登場して、前向きに生き始めた姿を伝えています。その姿に感動したという声も多い。確かに感動的なエピソードです。でも、それでこの問題は解決しませんよ。彼が前向きに生き始めたのは、彼自身の努力であって、そこは称賛できるとしても、この問題の構造を変えたわけではありません。
ワーキングプア問題を個人の努力といった次元でどうこうなるものではないことくらい、もうみんな分かっているはずなのに、「解決への道」と言いながら、個人の努力を称賛するようなVTRを作る。それで、この問題に関心が高い人ほど、感動したという。なんだか、上手く煙幕をはられちゃった気がするのは僕だけでしょうか?(竹井)
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