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2007年10月12日 (金)

それでは世間が立ちませぬ

知人にチケットを貰ったので歌舞伎座に行ってきた。
ドラマや映画もそうだが、時代劇の良さは、普段、使わなくなった日本語に触れることで、忘れていた日本語、言い回しを思い出すことができることだ。忘れていた日本語を思い出すということは、忘れていた日本人の価値観を思い出すということでもある。

この日の演目は、「赤い陣羽織」「恋飛脚大和往来」「羽衣」の三つ。
「恋飛脚大和往来」は、大阪の廓話で、遊女・梅川は、大好きな忠兵衛が身請けしてくれることを願っているが、忠兵衛は手付けは払ったものの、後金の算段がつかなくて支払期限が過ぎてしまう。そこに、忠兵衛の友達の八右衛門が夏川を身請けしたいと申し出る。夏川を抱える治右衛門は、金が入用なので八右衛門の身請け話を受けるよう夏川を説得するが、夏川は、自分は忠兵衛と深い仲だし、忠兵衛と八右衛門は友達なのだから、八右衛門に身請けされては義理が立たないと主張する。そんなやりとりがありまして、治右衛門は、「それでは世間が立ちませんなあ」と納得する。
本論と関係ないので、その後のストーリーは省略するが、このセリフも、ひさしく忘れていた日本語なのだと思った次第で。
今のビジネス・シーンでは使われることもない「世間が立たない」という言い回しだが、ほんの数十年前まで、たぶん30年〜40年くらいまえまでは、日本では当たり前に使われていた言葉だと思う。松下幸之助さんとか、あの世代とか、その世代の薫陶を受けた次の世代の日本の経営者には、しっかりと根付いていた価値観ではないか? 
コーポレート・ガバナンスだの、コンプライアンスなどと小難しい言葉を振り回さなくても、日本人には「世間が立たない」という企業人倫理が根付いていたわけで、こちらのほうが僕らには感覚的に分かりやすいし、第一に日本語としても美しいのだから、企業経営者ももっと使ったほうがいいと思う。
今後、ハゲタカ・ファンドにTOBをかけられたら、防戦側の企業経営者は買収防衛策がどうのこうのなどと言わず、
「それでは世間が立ちませんなあ」
と言っておけば、少なくとも日本人は納得するのではないだろうか?それこそ、世間を味方にできるだろう。フジテレビの日枝会長も、阪神電鉄やTBSの社長も、そう言っておけば、ホリエモンも村上世彰も反論が難しかったと思える。
外国メディアは翻訳に苦労するだろうが、外国人記者に、このような日本語を伝えていくことも大切なことだと思う。

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