クリムゾン・ルーム公式サイト CRIMSON ROOM

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特別企画 N島リポート"

特別企画 N島リポート

第18回 遥かなるホワイトデイ

date: 2008年03月14日 | text : N島 縦 |RSS

高木敏光の新居には、毎晩のようにひっきり無しに来客があるようだ。
文壇に彗星のごとく現われた無頼派の新進作家と言われるであろう彼が、都内に構えた新居にまつわるエピソードとしては、まさにそれらしい。
やはり小説家の創造行為が、己れの生皮を剥がすように、あるいは魂を切り刻むように、深く孤独な作業であるせいであろうか……。

……なーんて、な。
格好つけてレポートすれば、そういう理由になる。
が、実際のところはヤツが単純に‘寂しがりや’であり、話し相手、または酒の伴やツマが欲しいだけだろう、と俺は思っている。
今回、ほとんど身一つで東京にやって来て、広い一軒家に一人ぽっちでいること。
家には、まだ家財も蔵書もTVモニターも何も無く、手持ち無沙汰なこと。
これから彼の本拠地になる家だが、まだ自分の「巣」という実感が無く、我が家というにはよそよそしく、出張、旅行気分が抜けない。
さらに、妻や娘達という監視役&歯止めが無いため、自宅での飲酒にもセーブがかからないのであろう。
と、まあ諸々の事情が重なっているにせよ、俺が想像するに、そんなところだ。

昨晩も、携帯にヤツからの着信があったので出てみると、周囲はにぎやかな嬌声が響いている。
「タテよーう、さーっぱりウチ、来ねえじゃんか?え?」と、酔っ払い声である。
最初どっかの店内かと勘違いしたが、聞いてみると例の自宅の書斎である。
高校時代の旧友で、いまや世界的なミュージシャンとなったY.K.氏が高木邸を来訪したのをきっかけに、エージェントのY内女史、E垣さん、K栗さんなどが集結し、大宴会が繰り広げられている模様である。
俺は、風林会館近くの傾きかけた古いテナントビルで、ややこしい仕事の真っ最中だった。
「おまえも来いや〜」
を連呼している高木の相手をせず、早々に電話を切る。このあたりは、いかに未来の文豪だろうが多摩の酒豪だろうが、おかまいなし。
ヤツとは付合いが古すぎて遠慮や気遣いなんてものは、ない。
俺のほうは、日銭を稼いでナンボの商売。今の高木のように毎晩、飲んだくれているわけには、いかないんだよ。

最近は、夜明けも随分早くなった。
まだ始発までには間があるが、暖かくなったせいか、水商売帰りの姐ちゃん、それを物色する私服のホスト、終電に乗り遅れ結局、痛飲したリーマンなどが街頭を意味も無くうろつくのが目立つようになった。
何度か飲んだスナックのママや顔見知りのキャッチの誘いを適当にかわしながら、俺は事務所に戻った。

最近では、真っ先に固定電話の留守録ランプを確認する。
I川のメッセージが入ってないか、気にしている俺がいる。
次に、いそいそとPCを立ち上げ、メーラーの受信状況を確認する。こんなもん、以前は3日にいっぺんくらいしか見なかったんだが。

そのI川今日子からは、このところ毎日のように連絡がある。
それは、電話によるものか、Eメール。あるいはその両方だった。
伝えたい内容がそれなりの情報量を含む場合は、Eメールを補助手段として利用するようだ。
ほとんどの場合、電話は事務所の固定電話にかけられた。多くは午前中か、あるいは夜の20時以降。したがって俺が不在にしていると、当然ながら受話器を取ってリアルに通話をすることができない。すると、明け方のランプが明滅する。
ここんとこ、仮眠をとっていても朝9時過ぎには、眼が覚めちまう。その時間に彼女から掛かることが何度かあった為だ。経験の植付けがそうさせるのだろう、俺の潜在意識の学習度、恐るべし。

ふーっ。
ミネラルウォーターを飲み干しながら、仮眠を摂ろうと服を脱ぎだすと、思いがけず固定電話の電子音が鳴き出した。
──I川今日子だった。

「おう、珍しいな」
「……起きてましたかぁ?」
「ああ。今戻ったところだ」
「よかった。運がいいね、あたし」
「……そっちこそ、こんな時間に何してる?」
「あたしもね、プレゼンの資料を作ってて、こんな時間になっちゃった」
「そりゃ、大変だな」
「今日の午後イチに使うんだけど、先輩から直しがいっぱい入っちゃって……」
「うむ」
俺もかつての遠いリーマン時代を思い出す……。
「でね、もー眠いし、飽きちゃって。あ、そーだ、タテさんならこの時間起きてるよね?
って思って」
「起きてるどころか、これからが俺のアフター5(ファイブ)だぜ」
「それって、午前5時でしょ」
「そ。ゴールデンタイムに突入だ!」
実際は、すでにパンツも半脱ぎである。

「あ、そうそう。昨日、情報が入って」
「おう」
「サンマーク出版のK島さんが、最後の最後の校正を終えて、これ、責了っていうらしいんですけど」
「ふむ」
「これで、編集の手を離れて、中身としてのクリムゾン・ルームは本当に完成です」
「ふーん……て、ことは?」
「逆に言うと、もう泣いても笑っても直しがきかないってことね。あとは、印刷所サンに全てお任せすることなります。鈴木成一先生のカバーデザインも完成してますし、あとは、器とゆうか、現物の本が出来上がるのを待つだけ」
「そーか」
「わー、あともう少しで、本が出来あがるんですね!」
急に声の調子があがり、興奮しているのが伝わってくる。
本当に、楽しみでしようがないんだろうな。

「ところで、よう」
「ウン?」
「そのプレゼンとやらが無事終わったら、今晩、会わねえか?」
「……え? どうしたの、急に」
「いや、前から言ってたろ? N島レポートやんのに、いろいろ打ち合わせしといたほうがいい、って」
「ああ!」
I川は笑っていた。
「それなら、タテさん、大丈夫よ。今のままで、十分面白いレポート書けてるよ」
「……あとな、ほら」
「え?」
「今日って、ホワイトデーってやつだろ? 先月、なんか俺もらったじゃねえか、おまえに」
「ぎゃはは」
I川は、爆笑している。俺はとりあえずそれには構わず続ける。
「だからな、そのお返し、つーか。俺、ホワイトデーなんて、人生でいちども考えたことねえんだけどサ。仕事頑張ってるねぎらいも兼ねて、晩メシでも奢ってやろうかと」
「わーん。ありがとう、タテさん! 嬉しーい」
やった。これはアポ成立?
「……でもね、タテさん。ゴメンね」
ガクッ。だめなのか?
「あたし、今晩はね、先約があるの」
ギャフン。死語とも言えるオノマトペが極太のゴシック体で俺の曇った顔に張り付いた。
だが、ここで明らさまに落胆を気取られてはいけない。
間髪を入れず、俺はできるだけ軽い調子で
「そっか。ダメか」
「うーん、せっかくのお誘いなのにザンネーン、しくしく……」
「……そりゃ、そうだよなぁ。ホワイトデーに、おまえの予定が空いてるわけねーか。ハッハ」
「あ、勘違いしないでね。タテさん、そーゆうんじゃないの。今晩も仕事なのよ。お客様と」
「……またご指名か?」
「ううん。今日のは社長のお伴。意外と多いの。夜に打合わせと称して飲んだり食べたり……」
「じゃあ、デートじゃねえんだ」
「全ッ然! 最近そんなの何百年もしてないな、あたし」
「嘘だろ、おいおい」
「ううん、ホントよ」
もちろん本当であってほしい。
「いまは‘仕事に生きる女’みたいなの、あたし」

つづく

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