現在位置:asahi.com>スポーツ>コラム>スポーツフロンティア〈第6部〉> 記事 マンガの力(8) ほれたまねた米国剣士「六三四の剣」2007年11月18日 20年以上も前に連載された剣道漫画が、知らぬ間に日本を脅かす外国選手を生んでいた。昨年12月、台湾であった世界選手権の準決勝。お家元の日本は、13回の歴史の中で初めて敗れた。その相手は米国。主将のクリストファー・ヤング(29)を剣道に出会わせたのは漫画「六三四(むさし)の剣」だ。
父は中国人、母は日本人で米国で生まれ育った。7歳の夏、日本に帰省中にアニメ「六三四の剣」を見た。「一目ぼれしたというか。漫画を全巻そろえ、ロサンゼルスで道場に通い始めた」。当時、日本語の読み書きは苦手だったが、絵を見るだけで引き込まれた。 小学生時代に日本一になった六三四は高校1年の夏、スランプに陥り、自分を鍛え直すため、剣道部を退部して武者修行に出る。各地を回るうち、剣は人を殺すものではなく、人を生かすためのものだと悟る。 そんな六三四の姿に、ヤングはひかれた。「強くなるには誰よりも努力しないといけない。自分でも旅をしていろいろな剣道を見てみたかった」 大学入学前、17歳の夏に決行した。三つ下の弟と2人、防具のほか、Tシャツと下着、短パンが2枚ずつ入ったリュックを担いで六三四の故郷、岩手から鹿児島までを巡った。駅のホームで剣道着を乾かし、パスポートを電車の中に忘れてあわてたこともあった。 町の道場、警察、高校の合宿などで様々な年代の人と剣を交えた。「がんばれば、認めてくれるし、受け入れてくれる。日本の剣道の大きさを感じた」2週間だった。 世界選手権は大学1年から出場。団体では3位が最高で、日本と韓国の強さを実感した。4回目の挑戦となる台湾の世界選手権の半年前、勤め先に休職を申し出た。日本で腕を磨くためだ。 弁護士として多忙だったが「仕事は年をとってもできる。後悔したくなかった」。ここでも、武者修行に出た六三四の姿が決断を後押しした。東京事務所への出向が認められ、警視庁の朝練習に参加して腕を磨いた。日本に勝った後、ある先生に言われた。「お前は十何年もかけて準備してきた。日本に勝ってもびっくりすることはない」 ヤングの自宅には「六三四の剣」が3セットある。時折、道場に通ってくる子供に読ませる。六三四の精神は、米国でも引き継がれている。〈敬称略〉 ◇ 六三四の剣 剣道日本一の両親を持つ夏木六三四が主人公。ライバルたちと激闘を繰り広げながら、成長していく姿を描く。村上もとかの代表作で、81年から85年まで週刊少年サンデー(小学館)に連載。アニメでも放映された。 PR情報 |
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