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2008年03月13日付・夕刊
(中)◆よくぞ書いてくれた
もし、それが事実なら実に嘆かわしいことです。脳外科の先生がコンビニ弁当を買って食べ続けている現実が書かれていましたが、これではいけません。健康はまず「食」からです。入院患者さんのためにバランスを考えた食事が提供できるのなら、まずそこで働くスタッフにきちんとした食事を提供すべきです。労働時間の改善はもちろんですが、気持ち良く働ける環境を考えるべきです。 給与もそうです。この二月、大阪の泉佐野病院が麻酔科医を年俸三千五百万円で募集したことが話題になりましたが、そこまでいかなくても現状の給与で過酷な勤務は割に合わないでしょう。 彼女はこの連載を「よくぞ記事にしてくれた。もっともっと県民に知ってほしい」と言っています。医療センターには患者さんからの苦情や声を掲示しています。その中の一つに「午前四時に救急でかかったら担当の医師が眠そうで不機嫌だった」というのがあったそうです。彼女は「愛想良く診察しろという方が無理。医師は万能ではない。特に今の医療センターは極限状態だから」と付け加えました。 【吾川郡いの町・匿名希望】 【写真】ヘリコプターで搬送されてきた急患は、屋上からエレベーターで1階の救急外来へ直行する(高知市池、高知医療センター) ◆主人がヘリ搬送主人は平成十七年九月に突然倒れ、地元の診療所よりヘリコプターで医療センターに運ばれました。その時同乗していたのが脳外科の溝渕先生でした。 ヘリの中で適切な応急処置をしていただき、屋上の巨大ヘリポートに二十分ほどで着陸。ICUに運ばれ、まるで映画の一場面のようでした。 検査で悪性の脳腫瘍(しゅよう)と分かり、数日後に手術になり十時間ぐらいかかりました。その手術は脳外科部長の森本先生にしていただきました。 いつも元気でスポーツも頑張り、酒、たばこもしない主人が突然の病気。手術室から出てきた時は、娘と息子と三人で驚きとともに信じられない光景でただ泣いていたことを思い出します。 その時、先生から「ご主人は大変難しい病気で、あと一年ぐらいです」と告げられました。先生、看護師さん、スタッフの温かい治療のおかげで一時は主人も回復し、少し歩けるぐらいにはなりましたが、一年三カ月後、五十二歳で息を引き取りました。 その間、脳外科の様子はよく分かっています。森本先生はじめ、皆さんとにかく休みなく診療されていました。私も「この先生たちは家族で食事をするだろうか、休みはあるんだろうか」といつも思っていました。 救命救急センターとはいえ大変なお仕事だと思ったことでした。脳外科は一刻を争う患者ばかりで連載に書かれていた通り。本当に先生方の健康を心配しています。 でも、専門の先生に診てもらいたい、精巧な機械で検査してもらいたい。もっともっと医師を増やして、少しでも負担を減らす対策を考えていただきたいものです。 医療センターができ、たくさんの尊い命が救われてきたと思います。主人は先生方のおかげで娘の結婚式にも出られ初孫まで見られました。天国で感謝していると思います。 【高岡郡四万十町、井内倍代】 ◇…………………◇ 感想、意見をお寄せください。電話番号を添えて手紙は〒780-8572 高知市本町3-2-15、「医師が危ない」担当へ。メールはeiin@kochinews.co.jp |
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