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2008年03月12日付・夕刊
(上)◆“冗談”は本当だった
ICUに居た時は、救急車とヘリコプターの数を数え、「また新しい患者さんが入って来た…」と思いながら過ごしました。 血管造影の際には、撮影室で福井医師が「ここへ布団持って来て寝て、生活してもえいぐらいで」と言っていたのは冗談ではなかったのですね。どんなに忙しくても、主治医だった岡田医師と福井医師は一日一回は様子を見に来てくれました。 今も半年ごとに診察で高知医療センターへ行っています。連載を読むと、先生も含め医療スタッフ全員の体が心配でなりません。私自身、他の病院で看護師をしておりますので、現場の状況は分かっているつもりです。過酷な環境で医療事故が起きないことを願うばかりです。 【高知市、看護師、33歳、匿名希望】 【写真】6階の脳外科病棟の愛称は「にこやかフロア」。いつも深夜まで脳外科医が働いており、名前と現実はかけ離れている(高知市池、高知医療センター) ◆先生の言葉を支えに昨年五月に母が「脳腫瘍(しゅよう)」で高知医療センターへ入院しました。その四カ月後に息を引き取りましたが、主治医は脳外科の岡田医師でした。 高知医療センターの先生方には本当に頭が下がります。正直、最初は不安でした。大きい病院で設備も整っているかもしれませんが、あまりいい評判を聞いたことがなかったのです。 実際は全く違いました。母は余命一年と告知されましたが、岡田先生からは多忙の中、毎日のように言葉を掛けていただきました。 そのころ私は、会社からそのまま高知医療センターに直行し、母と夕食を一緒にラウンジで取っていましたが、岡田先生は母を見掛けると「調子はどうですか?」から始まり、何げない話で勇気づけてくれました。どんなにうれしかったことか…。いつも涙ぐんでおりました。 絶対元気になり家に戻りたいという夢がありましたので、先生の言葉に支えられているようでした。願いはかないませんでしたが、大病院の中の一患者のために、忙しい合間を縫って言葉を掛けていただいたあの日々は忘れられません。 過酷な状況でお仕事をされているということで、お体を心配いたします。現状の改善されることを切に願っています。 【高知市、会社員、35歳、匿名希望】 ◆溝渕先生に救われた私は交通事故でむち打ち損傷になって苦しみ、最後は原因不明の出血で高知医療センター脳外科の溝渕先生に命を助けていただきました。 先生は前夜の二時ごろまで緊急手術をして寝たのは三時。私の手術は朝九時からでした。内心大丈夫だろうか?と不安でした。 当時も寝る間がなく、疲れ切って働いているのを見て「ミスをしなければ良いけど…」と心配でした。以前よりももっと大変な状態のようですけど、真剣に考えてあげないと、医師も倒れるし、医療ミスになると大変です。 その病気、「脳脊髄(せきずい)液減少症」の体験を別の病院で医師に話すと、「脳脊髄液が漏れたら、そんな元気な体ではない。エビのように腰が曲がる」と信じてもらえませんでした。それほど、まだ認知度の低い病気のようです。溝渕先生に治療をしてもらっていなければ、私もそうなっていたかもしれません。 現在「減少症」は自賠責保険でも、上乗せの損害保険でも認められてなく治療費を打ち切られて、訴訟をしている人が多数います。裁判の意見書作成や法廷での証言をしていただくため、医師に負担がかかっています。 私は元気な体になりましたが、もっと重く苦しんでいる患者を救うために患者団体「NPO法人サン・クラブ」(大阪市、電話090・9716・6618)に入り活動をしています。 高度な技術を持ち、患者のために頑張っている溝渕先生を高知は誇りに思い、県外へ行ってしまわれないように考えなくてはいけないと思います。 【高知市、伊藤麻子】 ◇…………………◇ 感想、意見をお寄せください。電話番号を添えて手紙は〒780-8572 高知市本町3-2-15、「医師が危ない」担当へ。メールはeiin@kochinews.co.jp |
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