分配論から生産論へ2008年03月15日 「格差のない社会の実現」は、政治の最大の目標の一つである。現在、富の再分配論が花盛りである。気になるのは、この論議に加わっている人の多くが、かつて富の生産に携わったことのない人たちであることだ。 今の状況を一家に例えれば、父親の収入は一定なのに、あれも足りない、これも足りないと家族が支出を強要している姿によく似ている。結果として子孫も到底払えないような膨大な借金を抱え込んだ。これを抜け出すには分配を下げるか、父親の収入を増やすかしかない。 小泉内閣は前者をとり、格差拡大の罪を問われている。しかし、問う方も知恵はなさそうで、父親がどこかにへそくりでも持っていないかと、あら探しをしている。 原資が限られたなかの分配論は一過性となり、とかく悪人捜しに走りがちで、あまり建設的とは言えない。要はこの国の富をいかに増やすか、ということだ。 この戦略論こそ、国を挙げて掲げなければならない。このような議論が行われないところに、日本の悲劇がある。もちろん「美しい国」「科学技術立国」などの言葉が語られることはあるが、抽象的で、具体的指針に欠けている。現実の力とはなり得ておらず、日本は船長不在のまま漂流を続けている。 ではどうするのか。日本の経済力を強化して、世界の中に便益を供給するしかない。具体的には「強いところをさらに強くする」ことだ。 自動車、デジタル家電、ファインケミストリーなど、日本には世界に誇るべき事業がある。これら強いものを世界に打ち出す戦略を立てることで、日本の富は増し、弱者もまた救われる。 現在、日本を支えているのは一部の国際企業だ。これが弱体化すれば格差是正、弱者救済はおろか、日本は衰退の道をさまよう。当事者の目覚めを促したい。(可軒) PR情報バックナンバー |
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