現地発、クロアチア・サッカー報告(38)
現地メディアによる「オシム語録」
イヴィツァ・オシムが何かを語る時、日本人だけでなく、クロアチア人もこぞって耳を傾ける。
ここでは「オシム語録」という言われ方はないが、クロアチア・メディアもこぞってオシムの口から発せられるコメントを求めている。彼が率いたユーゴスラビアは崩壊し、それぞれの民族が憎しみあう中、「ユーゴ最高の名将」というオシムの評価はどの民族でも揺るぐことはない。オシムはサラエボ出身のクロアチア人だが、旧ユーゴスラビアの国も彼を代表監督に、またクラブ監督に迎えたがっているのが事実。しかし、最終的に彼が選んだのは日本代表監督のポストだった。
オシムは日本に渡ってから3年半の間、クロアチアのメディアに対して多くのコメントを残してきた。母国のメディア相手だとリネカーのように口を滑らす人物もいるが、オシムにはブレはない。常に抱いている望郷の念と共に、次第に日本と日本サッカーへの愛着が湧いていることが判るだろう。
これまでクロアチア・サッカーニュースで掲載したインタビュー訳に筆を加えて、クロアチア版「オシム語録」をテーマ別・時系列に並べてみた。
【日本】
「私は日本での残りの日々を数えてはいない。
兵役の中にいるわけではなく、むしろ自分の仕事をこなしているのだ。
日本は遠いが、人々が楽しむことが出来る美しい場所だ。日本人は非常に正確だし、心地良い人達。
"働くことが人生全て"というのはここでは事実かもしれないが、私も年金生活を望んでいない。
新たな日本のエピソードを削除してはないよ。」
(2004年10月、Sportske Novosti紙)
【切符を買うオシムの写真が掲載】
「もし私が"地震には慣れた"なんて言えるようになったとしたら、とても嫌なものだ。どうやっても慣れないよ。
日本人は少し違う。"自らを訓練している"かのように、ストイックに災いを耐えている。
彼らは地震に慣れており、困難な時でさえもどんなにネガティブかを示すことはない。
もしパニックを起こしやすい人達ならば、地震と共に生活するのは難しいだろう。
外国人が地震でパニックにならないようになるのは容易でない。
なぜなら揺れるとなったら本当に揺れるからだ。
シャンデリアが、テレビが、そして家具も揺り動く。」
(2004年10月、Sportske Novosti紙)
(日本の生活にどう慣れたか?の質問に)
「難しくはない、少なくとも私にはね。
コミュニケーションが不足しているのは事実だが、もしこのような興味深い仕事があるならば誰にも苦しくはないはずだ。日本人はホスピタリティがあるから、気分良く全てが進むものだ。
もし君にマケドニア語を話す女性が必要だったら連れてきてくれるよ。
ほら、私の妻はドイツ語を話す日本女性とつるんでいる。」
(2005年2月、Vecernji-list紙)
「私にとって日本は美しいし、人々はとても誠実で規律正しい。幾らか退屈ではあるけどね。
選手とは全く問題がないし、言われること全てをこなしている。サボることもないし、彼らをコントロールする必要もない。
唯一の問題は彼らを練習から追い払うことかな。」
(2005年2月、Jutarnji-list紙)
(日本の完全主義はストレスとなるでは?との質問に)
「私にはプレッシャーが必要だ。でなければ私は働くことが出来ない。
それに伴う症状を次第に感じて、心臓の辺りが痛む。でも検査に行けば問題は出ない。
まるで一晩中歯が痛くて、朝に歯医者に行って診察室に入ると痛みが止まるようなものだよ。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
(日本で三年目となるが、日本語は理解できるか?との質問に)
「難しいね。まったく解らんよ。日本語を勉強した人達は難しくないというけどね。
話せたとしても書くことは不可能だ。3000もの文字がある。それでは子供達は学校から帰ることが出来ないよ。
"サヨナラ"はサラエボにいた時から知っていたよ。」
(2005年2月 Jutarnji-list紙)
「"日本はもう充分だ"と口にすることは、私にとってはとりわけ不誠実なことだ。
もし私がそれを口にしたならば、"礼儀正しさ"以上のものを持つ人々を侮辱することになるからね。
日本人は素晴らしい民族で、果てしなき誠実さを持っている。
信じられないほどに言葉を大事にし、私が一文字を発しなくても、ましてや侮辱とも取れるような言葉を発したとしても呑み込むことが出来る。
しかし、私にヨーロッパという存在が欠けていないと言ったら嘘になる。
私には友人が欠けているし、喜んで観戦するような試合も欠けている。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
【ジェフユナイテッド千葉】
(開幕から10節までの仕事ぶりがどう日本で批評されているかを聞かれ)
「日本語を話せず、また日本語を読めないのはいいことだね。
私の仕事をどう反応しているか判らなくて済むからさ。いや、冗談だよ。
今のところは結果を残しているし、良い反応だよ。
結果というのは世界のどこでも同じように敬意を払われるものだからね。
しかし敗北が訪れた時、3試合連続して負けた時には、微笑みと会釈の裏に隠れているものが何か、間違いなく知ることになるだろう。」(2003年6月、Sportske Novosti紙)
【"サポーターがオシムに
千葉残留を願っている"の見出し】
「雇用主(ジェフ幹部)は既に一ヶ月間に渡って、私が何を考えているのか知ろうと試している。
彼らは私を見ているが、私も彼らを見ているよ。
"残留か、それとも去るか"と質問された時、何をすべきか私自身本当に解らないんだ。
残留するための理由は多く存在する。日本で働くことは興味深いし、フロント、選手達との関係も問題はない。
言語が少しでも解れば、良いのかも知れない。せめて部分的にでも解るのなら全ては完璧だ。
しかし繰り返すが、日本は本当に祖国から遠い国だ。」
(2003年12月、Sportske Novosti紙)
「ジェフのフロントがアマルの雇用と私の残留を結びつけているかどうかは判らない。
しかし、何かは存在するだろうね。
私と市原での2年間の仕事でで何かが起こった。選手たちは進歩し、チームも進歩した。
君達も何が起こったか判るはずだ。だから今はそれを放っておくことは難しいんだよ。」
(2004年12月、Sportske Novosti紙)
(息子のアマルがコーチとしてやって来たことに)
「私は彼を推薦してないよ。チームから彼の雇用について聞かれた時、私はこう答えたよ。
"私の息子に関して何を考えるというんだ。貴方達のアイデアなんだから、貴方達で決めてくれ"ってね。」
(2005年2月 Jutarnji-list紙)
「昨シーズンの我々は2位だったが、それは最下位と同じようなものだ。
2位だから何だっていうんだ? 我々はチャンピオンのためのチームではなく、もっと良いチームがある。
日本ではアメリカと同じく、金を最も持っているところがタイトルも持つものだ。」
(2005年2月 Jutarnji-list紙)
「私が選手たちに二人部屋を提案したにもかかわらず、選手たちは一人部屋で寝ている。
でもフロントと対立するような選手たちではないよ。」
(2005年2月 Vecernji-list紙)
「組織されたクラブだ。選手は黙って働く。脱線することはない。
私は誰かに怒鳴り声を上げたい衝動に思いっきり駆られる。
それが私の楽しみの一つであるにも関わらず、怒鳴り声を挙げる対象が無い。それが私には不愉快かな。
トレーニングで選手達は時速200kmの勢いで行い、少なくとも10枚のレッドカードが出るようなタックルをする。そこで抗議などなく、手を差し出してトレーニングは続く。
祖国で同じことがあったとしたら選手間で何が起こるかなんて想像したくもないよ。
また私は選手をトレーニングから追い払わなくてならない。それは出場機会を得られずアピールしたい選手だけの話ではなく、レギュラーの選手もそうだからね。慣れるのには時間が掛かったよ...。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
「PK戦になる前に我々が試合を決着することもできた。
激しい戦いの中で走力で相手を上回り、速いテンポで潰して手中に操っていた。
しかし最後は全てが(PKという)博打まで持ち込まれてしまった。
リーグカップは日本で価値があるものだが、この決勝の関心ぶりが非日常的なものというわけではない。
なぜなら日本人はサッカーを愛しているからね。
お互いが攻め、戦術的にも退廃してないサッカーがとりわけ日本ではまだ行われるよ。」
(2005年11月、Sportske Novosti紙 ナビスコ・カップ優勝後ののインタビュー)
(巻の日本代表選出に関して)
「トレーニング前に私は巻に"練習する必要はない。代表リストに載ったのだから怪我なんてことが起こらないように"と言った。
巻は驚いた顔をして私を見てこう言った。"しかし私は練習が好きです"とね。
"ああ、それならば練習しろ"と答えたよ。
巻は疲れを知らない選手だし、足を止めない選手だ。
対戦相手との差を好む監督にとっては素晴らしい選択だよ。」
(2006年5月、Sportske Novosti紙)
(成田空港ではサポーターが待ち構えたことを聞かれ)
「この出来事にはとりわけ驚いた。群集を目にした時、私のためにこうなるとは推測さえしなかった。
それはとても感動的な瞬間だった。
なぜなら千葉を手放さないよう説得するためにサポーターが私を迎えてくれたんだからね。」
(2006年7月、Sportske Novosti紙)
【日本サッカー】
「我々の国民は過小評価する癖があり、日本サッカーについても"あれは子供のプレーだ"と言うだろう。
けれども日本を経験した選手が誠実になれば、どんなプレーをしていたか率直に語るはずだ。
日本でプレーすることはそうそう容易いことではないとね。
残念ながら体格面が日本人の大きなハンディキャップだ。
世界のサッカーは高さへと向かっているが、日本で190cmの選手を持つことは決してない。
体格の良い選手を持っているヨーロッパならば、次の解決方法に手を伸ばすことができる。
"美しいサッカーができなくとも、パワーによるサッカーは可能だ"というもの。
日本はそんな立場にない。けれども日本人は素晴らしい面を持っている。
非常に速いスピード、尋常ではない闘争心、サッカーに必要な多くの感覚や素晴らしい個人技術といったもの。
それら全ての特徴を集めれば非常に"強い武器"となる。」
(2003年6月、Sportske Novosti紙)
【オシムの日本代表分析記事
チームの美点しか語らなかった】
「日本人は伝統的に責任を他人に投げてしまうことに慣れてしまっている。
工場ならそれでも機能するかもしれない。全ての責任を取締役に押し付ければいいんだからね。
けれどもサッカーでそれは通らない。サッカーでは上司も労働者も全員が一緒にいるわけだから。」
(2003年6月、Sportske Novosti紙)
「日本ではジャーナリストもサポーターも常に良い意思をもっているので、私は気分良く仕事が出来るよ。
フィールド上ではますます良いサッカーがプレーできるようになった。
それはスピードや機敏さ、根性や規律といった日本人の特性だけではなく、優れたテクニックや戦術遂行能力によるものだ。
日本サッカーを経験した誰もが単純に考えてこの国を語ろうとするが、彼らは既に去っている身分だ。
ヨーロッパでは全てが壊れている上で、更に綺麗なサッカーを壊そうとしている。
いずれ、ここでも破壊が構築を上回る日が来るだろうけどね。」
(2003年10月、Sportske Novosti紙)
「日本はヨーロッパよりも平穏が保たれ、多くのストレスがない。
監督にとってはここの方が楽だろうね。
なぜならサッカーの知識において、日本のジャーナリストと観客はヨーロッパに近付いてないからだ。
ヨーロッパでは常にスタジアムに足を運ぶ観客の誰もが監督以上に監督の仕事を知っている。
日本ではそうではない。ここではミスが見られてないし、その回数を数えられることもない。」
(2003年12月、Sportske Novosti紙)
「日本はクロアチア、スロベニア、オーストリアよりFIFAランキングで上位に位置している。
サッカーを知っていると思っている人達には非常に不愉快だろうがね。
全てのベースに走力があり、走力がなければ何もないと同じだ。
君達に例えれば、ジャーナリストになりたいとしても書くことを学んでなかったようなもの。
非常によく走る。規律については話す必要がないだろう。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
「日本サッカーはブラジルと近いね。ブラジル人コーチ達の影響が非常に大きいよ。
しかしそのような最高の教師達がいるとはいえ、日本の選手は一つのことだけ学ぶことができない。
(ピッチで)誰も責任を引き受けたがらないのだ。
疫病から逃れるかのように、彼らは責任から逃れようとする。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
【日本代表】
「日本人は規律があり、スピードがあり、テクニックも非常に優れている。
そして持久力があり、相手に困難をもたらす能力がある。
選手にプレーにおける自由を与えすぎている、と日本人がジーコ監督を批判しているのはとても興味深いね。
私が2年前にやって来た時からいつも日本人にこう強調している。
象や馬、犬に対してもトレーナーがいるように、サッカーにおいても教師(監督)がいると。
選手と監督の関係はよく揺れる非常に細い糸のようなものだ。
もし必要最低限のことだけ上手くいっているならば、相互理解が無秩序へと変化し、労働から得るものはまったく無くなってしまう。
規律がとりわけ強い特徴である日本のサッカーに対し、ジーコのやり方はそれを極限まで持っていくことなく、悪い結果をもたらす無秩序になることを日本人は恐れている。」
(2005年12月、Sportske Novosti紙 ワールドカップ抽選会直後のインタビュー)
「1998年ワールドカップ時の日本は直ぐに忘れる必要があるね。
ドイツではまったく違うチームがプレーする。それは選手名ではなく、むしろプレーにおいてだよ。
それはクロアチアにも言えることだ。ヴァトレニ(98年クロアチア代表チームの愛称)は個人としてもクオリティがより高く、クロアチア現代表よりずっと攻撃的だった。
クロアチア現代表は非常にコレクティブで、どうやって効率的に結果をもたらすかを知っている。
そして勝利のためにスペクタクルは必要ないという価値に国民が慣れてしまった。もし勝利を最も大事とするならば、だれがプレーに興味を持つというのだね。
現在の日本も違う。8年前のチームよりも経験を培っている。
疑いなくクロアチアの方が優勢だろうが、日本人にそう察しさせてはいけない。
もし日本を過小評価したならば、彼らはとても危険だ。過小評価は彼らにとって、とんでもないモチベーションとなる。」
(2005年12月、Sportske Novosti紙 ワールドカップ抽選会直後のインタビュー)
「ジーコはブラジル学校みたいな存在だ。
サッカーを愛しているし、選手も好みから選んでいる。
ある代表選手は所属クラブでは不安定なプレーをしていても、彼の下では代表でプレーする。
中田と中村のせいでジーコは苦しむことだろう。彼らはクラニチャルと同じように走らず(ボールを)待っている。
ジーコのマイナスは余りにも攻撃的にプレーし、守りを固めないことだ。
それはセットプレーでとりわけハンディキャップになるだろう。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
「日本代表について話すのは私にとってデリケートなことだ。なぜならどの文字も読まれてしまうし、日本の新聞が掲載してしまうからだ。
クロアチア代表監督のためにスパイをしているなんて私が訴えられるのは望まない。
だから欠点については飛ばして、ジーコのチームの美点だけを話したい。
日本人を飾るのは大きな共同精神であり、特別なレベルの選手が欠けているとしても協調力で補っている。
もしボスニア・ヘルツェゴビナの親善試合(2-2)を見たならば、日本について間違った印象を得ることになるだろう。
あの試合でジーコは意図的に"間違えて"チームを構成したと私は思う。
批判する者たちに対して、ある選手たちは同時にプレーできないというのを見せつけるためにね。
既に数週間後には作り直したチームでエクアドルに納得のいく勝利をしている。」
(2006年4月 Jutarnji-list紙 特別付録・ワールドカップ2006)
「日本はかなり難しい状況に立たされている。彼らはオーストラリア戦において敗北以外の全てを期待していたからね。
言うまでもなく、試合は尋常ではない展開をしていった。日本はラッキーな形でリードしたが、不器用に負けてしまったよ。
同点になった後はかなり悪いリアクションをしてしまった。
まるで"ブラックホール"に落ちてしまったかのように感じてしまい、そのからもう出られないかのように感じてしまっていた。
審判が取らなかったPKが日本にあったという事実も、わずかな時間に困難なシュートを受けることになった。
このような出来事のあとで、直ぐに立ち直るのは楽ではないね。」
(2006年6月、Sportske Novosti紙 クロアチアvs.日本戦を前にして)
【日本代表の次期監督が有力と
なった直後のインタビュー記事】
(ジーコの後任として名前が挙がっていることに関して)
「ジャーナリストは好きなように話すことができるし、書くことができる。それは彼らの権利だからね。
日本は深刻ではない問題に対して真面目すぎる国だ。物事の期が熟すまでは、日本人は決して何も専念することができない。
もし貴方の質問に真実が一粒でもあるのならば、私はそのことを知っているはずだ。
しかし、まだ誰も私に何も尋ねてこない。」
(2006年6月、Sportske Novosti紙 クロアチアvs.日本戦を前にして)
「日本サッカー協会は4年契約を提示した。協会は直ぐに条件面の交渉も始めようと望んできたよ。
その条件面とはもちろん金銭のことだ。
私は金銭がまったく条件でないことを強調した上で、こう言った。
"ちょっとタイミングを待ってくれ。日本に私が到着してから話し合おう。"とね。
貴方たちも知っているだろうが、私の人生において金銭が物事を決める際に影響したことは決してない。」
(2006年6月、Sportske Novosti紙 日本代表監督の候補として明るみになった際)
「日本サッカー協会会長の川淵三郎氏は、もし別の解決策がないのならばこの先3ヶ月間、代表も千葉も率いるよう私にお願いしてきた。
しかし、それは解決にならない。難しい上にうわべだけで二つのポストに同時に座ることは非常に不真面目なことだ。
二つのポストを同時にできるような天才は少ししかいない。」
(2006年6月、Sportske Novosti紙 日本代表監督の契約交渉が明るみになった際)
(日本に帰国後、直ぐに日本代表監督にサインしていないことを聞かれ)
「決定は私の手中にあるとはいえ、千葉を飛び越えての話し合いを私は望んでいないし、することもできない。
まずはクラブの淀川隆博社長と席につき、彼と打ち明けて話し合わねばならないと私は決めた。
そしてようやく私が何をするか決めるつもりだ。
それが唯一の人間らしい物事の順序であり、人生はそうと私は見ているよ。
最後は、いや始めでも同じだが、人間であることが常に最重要だからね。」
(2006年7月、Sportske Novosti紙)
「もし私が代表監督にならないならば? 代表監督は私のアイデアではなかったしね。
自分を売り出したわけではなく、むしろ人々が私に頼んだことだ。
もし代表監督にならないならば千葉の監督を続けるだろう。既に千葉のキャンプを始めた。Jリーグは7月19日に再開する。
千葉の監督でないとしても別の代替案はあるさ。最後は家へと戻れることがいつでも本当の、そして最高の代替案だよ。」
(2006年7月、Sportske Novosti紙)
【ワールドカップ】
「イタリア・ワールドカップ参加国の代表には多様性があることを考えれば、細かい分析をせずして対戦国との間に私たちがどんなアドバンテージがあるかを特定するのは難しい。
チームに何かしっかりとしたカード(武器)があるかどうかが、試合を最も左右し、結果をもたらすことになるだろう。
私たちの選手、そして代表の特徴としては、まずプレーをする多くの選手が予測不可能な個人技を持っていることだろう。それは相手に対してのアドバンテージと考えることができる。予選や親善試合を振り返れば、一対一のプレーでそのことが証明されていた。
ストイコヴィッチ、スシッチ、サヴィチェヴィッチ、また他の選手らは難しい状況にあっても、一人でたやすく試合を解決していた。ワールドカップ本大会でもそれが私たちにとって試合を決めるアドバンテージとなるはずだ。短い時間で全てを解決するような能力がある選手が何人もいることは望ましいクオリティだ。
とりわけ本大会のような日程でプレーするならば、チームの一人の選手だけに全てを背負わす必要がないからね。」
(1990年、Vecernji-list紙 イタリアW杯特別付録)
【2002年の日韓W杯ガイドブックより
大会ではSportske Novosti紙
の特別記者も務めた】
「残念ながら現在は多くのケースにおいて、どんなサッカーをプレーするか決めるものが金となってしまっている。
金がサッカーを求めている。なぜなら結果なしではスポンサーはなく、スポンサーなしでは金がないからだよ。
この社会は明らかに金なしでは抜け出られないほど閉ざされてしまっている。金銭がサッカーの芸術的な部分を殺してしまったのだ。
フィーゴが大金を積まれてバルセロナからレアルに移籍した時、非常に興味深い質問を投げかけたね。
"これだけの金のために私はレアルに何を与えればいいんだろうね"、と。答えは自分一人で出していかねばならない。
ある時代、サッカーにかかわる全員が貧しかった。
ある時代、サッカーは貧しい人達のための貧しい人達による遊びだった。
しかし今日では全てが大きく変ってしまった。特別な金持ちのサッカー選手を生み出した一方で、貧しい人達が客席から夢見ることすらできないほどの金銭を得た選手達を見ている。
選手達はサポーターの"それだけ稼いでいるのだから、どんなプレーをするんだい?”という脅迫めいた問いがプレッシャーとなるのさ。
自分の稼ぎを正当化しようと、選手達はどんなボールに対しても走り、戦い、そして"殺しあう"。
それは監督の戦術だけによるものではないんだ。金のせいで今日のサッカーは剣闘士的な要素を引き入れてしまった。」
(2002年、Sportske Novosti紙 日韓ワールドカップ・ガイドブック)
(どこの国がブラジルと対抗できるか?と聞かれ)
「ドイツだよ! クリンスマンはドイツ的なサッカーの視点でラジカルな変化を与えた。ビジョンを持ち、偉大な選手なしでアグレッシブなチームを作ったよ。ドイツ人は日本人のようにファナティックで諦めることを知らない。選手達はアスリートの身体を持った本物の剣闘士だ。ホームでプレーすることで、観客はこれまでのドイツ代表にはなかったほどの応援をすることだろう。
(オランダの)ファン・バステンのディフェンスも気に入っている。見るのが楽しいね。
イタリアについては誰も話さないけど、あの世代の選手は最高の外国人達とプレーし、非常に経験のあるチームだ。
アルゼンチンは最も汚いチームだけどね....」
(2006年2月、Jutarnji-list紙インタビュー)
「サッカー選手はその昔、ワールドカップのために生きていた。
地球上のサッカーの祭典は、世界が4年間に渡って準備した特別で力強い挑戦の場であった。
しかし、今日ではサッカーライフは根本から変わってしまった。
欧州そして世界のクラブの王冠というべきチャンピオンズ・リーグはワールドカップよりもレベルの高い大会となり、毎年開催される上にメディアがしっかり放映することによってビッグマネーが飛び交っている。
ワールドカップにとっては大きな危険だ。」
(2006年3月 Sportske Novosti紙 W杯ガイドブック)
「バルセロナが年間の全ての目標を狙いに行った時、つまりチャンピオンズ・リーグ、クラブ世界選手権、リーガエスパニョーラを制覇しようとするならば、次のような問題が出てくるだろう。
"選手達は更に代表のために力を出すことができるのか"ってね。」
(2006年3月 Sportske Novosti紙 W杯ガイドブック)
「ワールドカップの現時点でのトレンドは人生と同じだ。
トレンドは勝利であり、成功である。しかし、どのように成功まで至るかについては誰も聞かない。
チームにプレーと知識とパワーを結びつけることに成功したものが勝利する。
そのようなフォーマットのもと、次のようなサッカー選手がチームの土台となる。
背が高く、パワーがあって、プレーと闘争、そして戦争の準備が出来ているサッカー選手だ。
今日成功しているチームの多くの構成は非常に似ている。
クラブと代表の多くがドログバやトニのような背の高いFWを一人置き、それを周囲に攻撃的なプレーを形成するというもの。
唯一、バルセロナだけが現時点で異なる。」
(2006年3月 Sportske Novosti紙 W杯ガイドブック)
「なぜこんなに汚く危険なプレーがされていることを私は説明することができない。
審判には難しいだろうが、汚いプレーは罰しなくてはならない。しかし、3枚イエローカードを出しているようでは("クロアチアvs.オーストラリア"のシムニッチのケース)、審判が試合を壊してしまったことになる。
選手達はとりわけ神経質だし、荒いし、規律に欠けてしまっている.....。
これは選手が飽和状態にあったり、疲れや試合の重さが理由かもしれない。
けれどもお金は間違いなく理由じゃないよ。なぜなら選手の多くが豊かなクラブでプレーしており、ワールドカップではさほど稼げないからだ。」
(2006年6月、ボスニア・Avaz紙)
「ウクライナのプレーはサッカーの反ブロパガンダだ。
シェフチェンコがゴールを決めるかペナルティエリアで倒れることを待っているにすぎない。
それはサッカーにとって恥だ。
運営者がワールドカップから彼らを追い出すか、私たちがイタリア戦を見ないことが最も良いのかもしれない。
とはいえ、私はその試合を見ることも今かと待っている。彼らがどこまで行けるか知りたいからね。」
(2006年6月、ボスニア・Avaz紙)
「もしコートジボアールにドログバがいなかったならば、もっと彼らは良いプレーをしていたかもしれない。ドログバはチームの唯一のワールドクラスの選手として如何なるボールを貰わねばならなかったし、一人でチャレンジしなくてはならなかったからね。
ブラジルはあっさりと準々決勝までやって来た。彼らはもっと強くなれるし、良くなれるはずだが、勝利者であるべき姿からは程遠い。」
(2006年6月、ボスニア・Avaz紙)
「全てがダイナミックさの中にある。ダイナミックにできる者は、どんな相手もやっつけられる。
メキシコは信じられないようなプレーテンポで、アルゼンチンにも限界があることを示した。
目の前にある全てを倒しているドイツのテンポも一例だ。
ワールドカップで起こっていることは、プレーがどの方向へ進むかの指針となっている。
またドイツ・ワールドカップの日程リズムは、アイデアで生きている選手達を破壊している。
それが全てのディテールとなっており、このディテールについてFIFAは考え始めなくてはならない。
もしかしたらプレーのルールの変更すら必要かもしれないよ。
なぜなら(フィールドの)10人の選手で観客が求めるダイナミックさに応えるのはどんどん難しくなるだろうからね。」
(2006年6月、Sportske Novosti紙)
【クロアチア】
「挑戦について語る時、ディナモというクラブを率いることが挑戦ではないと言うようなコーチを私は見てみたいものだ。
つい最近、アルディレスと話をした(アルディレスは1999年にディナモの監督を経験)。イングランド、アルゼンチン、日本のクラブを指揮したにも関わらず、ディナモとザグレブという街は彼に最も美しい想い出を残していた。
やっと家に帰れることを今は待っている。そして平穏の中で試合を観戦することをね....」
(2004年8月、Jutarnji-list紙)
(今の契約を切って、ディナモに来ることは出来るのか?の質問に)
「貴方達に何を言えばいいのか判らない。もしマミッチが日本に来てないならば来れば良い。
彼もここが気にいることになるだろう、少なくとも短期間はね!
ジェフとの契約はいつでも切ることは可能だ。しかし問題は違約金を払えるかどうかだ。
日本人はそのような件に関しては非常に正確だからね...」
(2004年8月、Vecernji-list紙)
「ディナモは聖なるクラブであるし、このようなクラブに行きたくないと言う人物は狂っているだろう。
ジェフは契約延長を提案してきたが、私は延長する気はない。
日本は友人から、家族から、そして私の愛する多くのものから余りに遠い距離に位置している。
11月か12月にヨーロッパに戻り、ザグレブにも行くことになるだろう。
そしてマミッチ副会長と同席し、話し合い、お茶でもすることになるだろう。ただし、お茶をするだけだ。」
(2004年8月、Sportske Novosti紙)
「ディナモとの間で何が起こったかって? 貴方達が勝手に予想しただけだよ。
貴方達の方がもっと知っているだろうが。
だから何を....。誰もいなかったら私を見つけて、何か話を作るんだろう。
誰がオファーを出したなんてことを私が話したり、裏付けたり、否定したところで何だっていうんだ。
そんなんだったら単なるショーマンになってしまうよ。」
(2005年2月、Vecernji-list紙)
【2003年6月、リーグ中断を利用した一時帰国に
Sportke Novosti紙がインタビューした記事】
「クロアチアの選手達はいつも"もっと出来る"との印象を与えているが、全ては変わらぬままだ。
もしくは落ちていくか、新たな欠点が生まれてしまう。
クロアチアでは個人のためにやっている。ヨーロッパの他国ではもっと走り、もっとリズムがある。
もしかしたら他国の選手は劣るだろうが、彼らは出来る限りの力を出している。
クロアチアには現実というのがないんだよ。
スウェーデンvs.クロアチアの試合を見た。ジャーナリストのコメントでは素晴らしい内容だったとなっているが、全ては一つの偶然のゴールで決まっただけだ。」
(2005年2月、Jutarnji-list紙)
「クロアチアはFIFAランキングに関係なく、予選突破の本命という立場から逃れられないだろう。
それは最大の敵は自分自身にあるという意味だ。
しかし、日本人は劣勢な立場の方が力を発揮する。
もし日本が勝ったとしたら、日本には気分の良いサプライズとなるだろうね。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
「ニコ・クラニチャールは非常にタレントのある選手だ。
しかし対戦相手の監督達は彼をあっさり攻略するものと私は心配している。それが父に解決できるかどうかだ。
ニコがボールまで辿りつくのは難しい。彼はもっと走らなくてはならないね。例えばバルセロナのロナウジーニョには周囲の6人が彼のために真面目に働く。ニコはそんな気楽な状況にないし、周囲にそんな選手達を持つことは難しいだろう。
クロアチアの最終ラインはコンクリートのようだ。しかしあとは個人技に頼るしかない。ボールを長く持ちすぎ、プレーに流れがない。
クロアチアで最もコレクティブな選手であるクラスニッチがチームで活きない問題はそこにある。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
「クロアチアは本命だし、勝たねばならないだろう。しかし勝利のためには幾つかの条件を満たすことが必要だ。
第一の条件はブラジルと互角だったことを忘れること。日本はドイツとの親善試合を記憶に残していた。2-0でリードしながらも最後は2-2で終えた試合だったが、オーストラリア戦もそのように進んでしまった。
第二の条件はブラジルとの後半のような戦いを繰り返すこと、第三の条件は横柄な態度で試合に入らないこと、第四の条件は日本のバイタリティの能力を過小評価しないこと、第五の条件はブラジル戦とは全く別の試合になることだよ。」
(2006年6月、Sportske Novosti紙 クロアチアvs.日本戦を前にして)
「私の考えでは、クロアチアとオーストラリアではフィジカル面の準備と走力の差がある。
走力は現代のサッカーでも最も根本にあるものだ。走ることのできない者はサッカーはできない。
戦術だけではなく全てが台無しとなり、プレーにならないからね。
クロアチアにはコンビネーションがあるという賞賛を何回も耳にしたが、私が何を言えるというんだね?
コンビネーションがあったのはオーストラリアの方だ。
クロアチアは後半にコンビネーションを素晴らしく活かした場面が一度見られただけで、あとはマゾヒズムの元で個人プレーしかない。
一人がドリブルをしたら、他の選手は見ているだけ。これではプレーにならないよ。
全選手が完成されているのにもかかわらず、プレーすることを忘れている。欧州の所属クラブではきちんとプレーしているのに。」
(2006年6月、クロアチア国営放送「クロアチアvs.オーストラリア戦」)
「クロアチアは良いチームだ。しかしスピードがない。
日本やオーストラリアと対戦した際、彼らはクロアチアの唯一の速い選手を止めることで、クロアチアのプレーに問題が生じていった。
今は怒ることは不必要だ。煮えたぎった血は誰にとっても役に立たない。速い選手を見つける方がもっと良いだろう。」
(2006年7月、Sportske Novosti紙)
【サッカー観・人生観】
「私はサッカーにおける共産主義に賛成ではない。つまり個人技に頼る選手やエゴイストに何も反対はしないということだ。
どのチームも様々なプロフィールの選手から構成されねばならないという事実に敬意を払っている。
しかし、コレクティブに機能できない選手や、自分の利益をチームの利益へ従属する準備のできない選手は今日、どのチームにおいてもプレーできないものだ。」
(2002年、Sportske Novosti紙 日韓ワールドカップ・ガイドブック)
「アイデアが存在する間は常にアクティブになる必要がある。
同じことを繰り返すようになると人間は終わりだ。
今の私には仕事なしの状況が考えらない。
金のためではない。いつも金は私にとって重要じゃないことだ。」
(2003年10月、Sportske Novosti紙)
【ボスニアの国内紙「AVAZ」
アシマ夫人との写真が掲載】
「日本はただ今、22時30分。ちょうどトレーニングから帰って来たところだよ。
0時まで家の中をうろうろして、それから横になって3時間半眠るんだ。そして目覚まし時計が鳴り、テレビの前に行くのさ。
日本では3時45分からチャンピオンズリーグ8試合のうち5試合が生放送され、それを見なくてはならないからね。
その5試合の中でも本物の試合を選択して見ることを望んでいるよ。
深夜放送と共に生活するのはチャンピオンズリーグがある日だけではない。日本では毎日深夜にヨーロッパのサッカーを放映しているのだ。全てをフォロー出来るよう努力しているし、どんな情報もキャッチしている。」
(2003年10月、Sportske Novosti紙)
「ミルコ・クロコップは日本でビッグスターだが、彼が専念しているのはカルト的なスポーツの一つだ。
激しい剣闘のようで、生きるか死ぬかの闘いのようだよ。
見ることは容易いことではないが、クロコップは一度素晴らしいことを言っていたね。
"見ることが出来ない者は、見る必要はない"、とね。
私は完全にミルコに同意するよ。私もこう問う。
"私達全員は毎日、存在を賭けた闘いに立ち向かっていないのではないのかね?"
事実、あの格闘技のある部分は非常にエレガントであり、私達にも受け入れられるものだ。
本質は誰もが生き残るために戦っているのだ。そしてどの国でも勝利者だけが認められる。
喜んでクロコップを見ているよ。もしかしたら、いつか彼と知り合えるかもしれないな。」
(2003年12月、Sportske Novosti紙)
「新たな選手のコンビネーションを形成するための時間はいつも必要だ。
今日のプロサッカーで、ただ"働け" "走れ"と誰かを追い立てるのならば、クラブに監督など必要ではない。
それならば、むしろ警察官が必要だよ!
選手とチームの価値を見る時にはもっと平穏と客観性が必要だ。
もしそれがないならば、既にスタートの時点で全てが間違ったことをしているのだ....」
(2004年8月、Vecernji-list紙)
(既に日本の生活は3年目になるわけだが、と聞かれ)
「我々の国の人々はいつもお金を通して全てを見てしまう傾向がある。
私は違う。日本に来たのは金銭面が動機になったのではない。
意地から日本に来たわけであり、頑固さから日本に来たんだ。
詳細を語るのは重要ではないが、私の内面にあったある不安やプライベートな事柄が問題となった。
だからまず自問自答した。
"イヴィツァ、ここで何がしたいんだ? しかしもうここにいるんだから、ほら働けよ"。
1年、そして1年が経ち、もうここで3年目だ。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
(いつかヨーロッパのクラブの指揮を引き受ける可能性について聞かれ)
「それについて語るのは難しいね。
ある時点で監督人生に終止符を打ち、残りの人生はサッカーを観戦しながら楽しむものだと思っていた。
しかしそれは不可能だ。一度でもサッカーに感染してしまった者は、永遠に(サッカーと共に生きることを)覚悟しなくてはならない。
例えばチーロ(ミロスラフ・ブラジェヴィッチ)。彼は決してサッカーと別れることはできないだろう。
ボビー・ロブソンをはじめ、どの監督にとってもそうだ。誰が(サッカーなしで)どれだけ耐えられるかだろうね。
拒否するのが難しいほどのオファーはもちろん存在するだろうが、そのようなオファーがイヴィツァ・オシムのためにも存在するというのかね?
私にはそんなオファーがあるとは確実には言えない。
ヨーロッパはとりわけ流行的な手法に傾きがちで、その流行の必要性を監督にも求めようとする。
ある監督がモードに遅れたとしたら、若い監督達が順を追って現れる。若い監督達はより真面目で、より寡黙で興味深い人間ではあるのだが、次第にアグレッシブな輩へと変貌してしまう。
私はいつも同じだけどね。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
「リエカの監督を辞任したエルビス・スコーリアを気の毒に思う。
1年半の間、人々は彼を賞賛してきたにもかかわらず、監督の座を引き摺り下ろされてしまった。
教訓は明らかだ。人々が賞賛している時がもっとも危険である。
もし賞賛されたら、直ぐにチームから逃げるべきだね。」
(2005年11月、Sportske Novosti紙)
「ブラジルにロナウジーニョがいることは貴方達が書いているほどのアドバンテージではない。
彼は最もアトラクティブな選手であり、観客を楽しませることができる特別なステータスを持った選手だ。
しかしパリ・サンジェルマンでも彼は同様に才能ある選手だったが、バルセロナのようなプレーはできなかった。
つまり彼は他のチームメート次第ということだ。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
「チェルシーは機械のようでエレガントさはない。
ロッベンですらエレガントに働くことがないし。ランパードもまるで木こりのようだ。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
(マウリーニョはポルトガル代表監督ならば、ワールドカップで優勝することはできるか、の質問に)
「ああ、アブラモヴィッチの資金を持った奇跡の人ならばね。
ポルトガルはヨーロッパのチャンピオンにはなれるだろう。興味深いチームだ。」
(2006年2月、Jutarnji-list紙)
「どのように勝利するかの方法を懸命に追求する監督達のトレンドは、できる限りリスクを少なくすることだ。
リスクが0%になる可能性を求めている。そんな魔法の処方まで辿り着くために努力が費やされたことは、全くもって理解できる。
誰かがミスを犯す権利を持つためには、余りにも多くのお金がサッカー界で動いているからだ。
しかし、もしリスクがないならば、どこにプレーがあるというんだね?
もし全員がリスクの限界をゼロまで近づけたいのならば、サッカーには何があるというんだね?
リスクのないサッカーは本当に退屈となるだろう。
まるで野球のようにね。それは破滅的なことだ。」
(2006年3月 Sportske Novosti紙別冊「W杯ガイドブック」)
【望郷】
【現役時代のイヴィツァ・オシム(右)
と名選手ドラガン・ジャイッチ(左)
〜「ジャイッチ自伝」より】
「日本人(ジェフ)とは2年契約を結んだ。誠実に仕事を遂行するつもりだ。
仕事以外の全ては二の次。人生はそういうものだと考えているし、そうでなければ不誠実だ。
でも私が追い出されるようだったら、喜んで(国へと)戻ることができるよ。」
(2003年6月、Sportske Novosti紙)
「私はここ市原にいるとはいえ、関係は11月までだ。
しかし誰が先を判るというのだ。まあ、帰ることにはなるだろうが。
ヨーロッパのサッカーが私に欠乏している。あらゆることから少し遠くなってしまっているからね。」
(2004年8月、Vecernji-list紙)
(ユーゴ諸国のどの代表やクラブの監督に就任しない主義を聞かれ)
「決定は非常に固く、自ら口にしたことを破ることは決して好きではない。
単に、私のせいで誰かが苦しむことを望んでいないんだよ。」
(2004年8月、Sportske Novosti紙 )
(ワールドカップ欧州予選はチェックしているか?の質問に)
「サッカーに関心があるヨーロッパ人達と同じようにチェックしているよ。もしかしたら彼ら以上かもしれないね。」
(2004年10月、Sportske Novosti紙)
(ボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督のオファーについて聞かれ)
「確かにそれは存在した。おおよそのことは話し合ったとはいえ、合意には至らないだろう。
私がその仕事を引き受けるならば、無報酬の時だけだ。
もしサラエボで私が報酬を得たとしたら、人々は生活する糧を失ってしまう。」
(2005年2月、Vecernji-list紙)
(ヴァルダル川からトリグラフ山までは[※旧ユーゴ諸国では]決して働かない、と語ったことを聞かれ)
「私は決してそうは言ってない。ただ、そうであるよう最後まで耐えられることを望んでいるだけだ。」
(2005年2月、Vecernji-list紙)
「ここは遠い、余りにも遠い。祖国で何が起こっているかはインターネットを見ながら情報を追っている。
しかし、我々が口にするような天国が私にはない。それが欠けている。
人生は終わりに近づき、友人を少しずつ失っているところで、世界の果てにいたら力不足を感じるだろう。
時々は電話を掛けてみるが、それはもっと悪いことだ。声は聞こえるが姿は見れない、まるで私が盲目のように感じてしまう。
妻は私以上に辛いだろう。アマルと私は働いており、トレーニングに行って帰って毎日150km移動している。
そこで一日、そして一週間を費やしている。彼女は一人寂しく過ごしているわけだから。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
(オファーが数多くあるのに決して旧ユーゴ諸国のチームを率いないという首尾一貫した姿勢を聞かれ)
「それに関してコメントはないよ。何も言わないことで十分だ。人々は全て理解することだろう。
私は自分の内面に個人的な戦争を抱えている。
祖国で起こったことは概して私を失望させた。
人々が信じて傾倒する右翼にも左翼のどちらにも私は囚われることはない。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
「当の昔に私の願望など過ぎ去ってしまい、先のプランもない。
しかしモチベーションはある。しばしば休暇について考える瞬間が増えているとはいえね。
今なら喜んでアドリア海に行って、海水浴を楽しみ、イチジクを食べることだろう。
しかしイチジクの季節が終わったらどうするんだね。秋が来て、また私は何か働きたくなるだろう。
私はサッカーの奴隷だ。だから携帯電話を持つことはしない。
携帯電話は私にとって更に別の奴隷状態にするだろうからね....」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
(オーストリア代表新監督の噂が挙がっているが、の質問に)
「誰かがどこかで私の名前を挙げたのかもしれないが、それが真面目な話であるとは信じていない。
誰かが私を想いだそうにも、もう十分過ぎるほど長く日本に滞在してるからね。」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
(故郷に戻ることをしばしば考えたりするか、と聞かれ)
「ああ、私の戻る家がどこか判ったならばね....」
(2005年9月、Sportske Novosti紙)
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