2008年03月12日

南京大虐殺こそ現代の日本人を自傷行為に導く心の闇の原点だと、臨床心理士の村本邦子さん熱く語る

敗戦後のドイツに同性愛者が多いとかベトナム帰還兵の子供の世代など、何を今更な手垢というか、恥垢やスメグマが付いた話ですが。。

着眼点が粋です。

南京大虐殺が生んだ「心の闇」 臨床心理士ら講演 大阪日日新聞

 日中戦争時に日本軍が中国・南京で虐殺行為をした歴史が、自傷行為などに及ぶ現代の若者の「心の闇」につながっていると考える臨床心理士らが四日、対応策について語る講演会を東淀川区東中島五丁目のアジア図書館で開いた。現地での対話が、心の機能の回復に役立つという。

 講演会では、臨床心理士の村本邦子さんが、ベトナム戦争など社会レベルで起こったトラウマ(心的外傷)が親世代に起こると、家族システムを通して子孫が情緒障害などの症状に悩まされ、社会全体が病んでいくという研究を紹介。日本でもその症状が見いだせることを指摘した。

 小学生のスクールカウンセラーや大学教授として各世代と接する中、表面的なトラウマはないにもかかわらず、感覚まひに陥った子どもがみられ、「世代を追うごとに状況が悪化している」という。

 これまで村本さんは、親から性虐待を受けた女性のトラウマをめぐり、過去と向き合ってもらうことで、長く閉ざしてきた感情や、生きる実感を取り戻す過程などを目の当たりにしてきた。

 子どもを含め、日本の社会全体が心の問題を克服するためには、個人レベルのときと同様、過去と向き合うことの必要性を強調。その手法として、日本の加害者としての象徴的事件、南京大虐殺の現場に足を運んだという。

 南京では、感覚まひを起こしながら虐殺を行う日本兵の存在を実感。敗戦後はこうした大人が日本を再興したことなどに気付きながら中国人と交流し、素直な気持ちで謝罪の言葉がでたという。

 「日本の感覚まひを解くにはこれしかない」。村本さんは「敗戦後、日本は物質的豊かさを優先し、心の問題を後回しにしてきた。今こそ心の見直しを進めなければならない」と強調していた。



事例として戊辰戦争や八甲田山や203高地やB29による各地の大空襲や広島長崎への原爆投下、沖縄・北方領土、サイパンやガ島やビルマやアッツ島や硫黄島や特攻隊や8月15日の敗戦や関東大震災や関西大震災や普賢岳の火砕流や安保闘争や浅間山荘事件やよど号ハイジャックやグリコ森永事件やバブル崩壊なら、日本人の隔世トラウマ論(を議論する前置)として100歩譲って分りますが・・

「南京玉すだれ」の南京で、日本人の民族的アイデンティティを左右する何か大事件があったんですか??
トニー谷やこまどり姉妹や牧伸二のメタファーなのでしょうか?

喩えが難しすぎてよく分りません ><



仕方ないので調べた。
村本さんは有限会社女性ライフサイクル研究所の所長さんだそうです。

今月のトピック by 村本邦子 南京を想い起こす 女性ライフサイクル研究所
2007.11.28
 11月20日から1週間、南京に行ってきた。国際会議「南京を想い起こす〜南京の悲劇70周年記念」に参加するためだ。このタイトルは日本語バージョンだが、中国語では「南京記憶〜南京大屠殺70周年学術会議」、英語では”Bearing witness to the past, living together in the future: Remembering Nanjing(過去の証人となり、ともに未来に生きる〜南京を忘れない)”である。垂れ幕の「大屠殺」の文字を見るたびに、胸が締め付けられる。英語のタイトルのとおり、南京であったことを想い起こし(私たち戦後世代にとっては学び直すことを意味する)、その証人となり、中国側と日本側の対話を試み、ともに生きる未来を模索しようという初めての試みだ。

 私自身は過去にも勉強してきたし、出発前の2週間は、あらためて勉強し直したので、生存者の方々の話を聞き、記念博物館で写真を見ても、事実としてはほとんどが知っていたことだった。たったひとつ、初めて聞いたことがある。それは、向こう岸に渡るために、日本兵は、何千何百という中国人の遺体を川に敷き詰め、橋として利用したということ。3月になり、少し暖かくなり始めた頃には、一帯にひどい臭いが立ち込めたと言う。このイメージには「予防接種」がなかったので、さすがの私もやられてしまった。実際のところ、日本人側の参加者のほとんどが、多かれ少なかれ、頭痛、発熱、吐き気、嘔吐、身体の痛みなどの身体症状を呈していた。残虐行為を知ることだけでも、十分にトラウマになる。予防接種と免疫がなければ、これはきついだろう。

 日本の家庭の中で密かに行われてきた女性や子どもへの暴力被害、残忍な性犯罪に長く関わるなかで、私のなかで、その根っこは南京にあるのではないかという思いが強くなっていった。薬害エイズの問題が明らかになったとき、ミドリ十字と731部隊との連関に虫唾が走った。日本軍の性奴隷制度(従軍慰安婦)のルーツを調べていても、上海から南京への道に行き着く。南京へ行かなければならなんじゃないかという気持ちはずいぶん前からあり、時々、小さなグループがそのようなツアーを行っていることを知って、参加したいと思いながら、なかなか時が熟さなかった。今回、不思議な力に導かれるように、ようやく時が整い、このプロセスに自分のすべてを委ねる決意をした。

 今回、私自身の一番の目的は、頭でしかわからないことを胸に落とすこと、つまり、自分のなかの感覚麻痺を少しでも解くこと、そうすると、その後、いったい何が起こるのかを確かめることにあったが、その目的は十分すぎるほど達成した。上海から南京に向かう列車の窓から、広大な大地のあちこちに、蟻のように群がる日本兵を見、残虐行為に焼き尽くされた中国人の遺体の山を見た。生存者の証言のあと、「その時の日本軍は、すごくすごく悪かった」「悪い悪い日本軍」という言葉が耳について離れず、耳を覆いたくなった。でも、私たちは聞かなければならない。

 記念館の残忍な写真(バラバラにされた身体のパーツ、刃物を突き刺され、切り刻まれた女性性器、裸の死体の山)のなかに映っている晴れやかな笑顔の日本兵たち。これが、私たちの父であり、祖父であり、曽祖父である。彼らが、焼け野原となった日本に帰ってきて、戦後の日本を建て直し、そこに私たちは生まれ、育ったのだ。私の頭のなかで、パチンと音を立てて、最後のピースがはまった。自分が紛れもなく日本人であることを受け入れた瞬間だった。加害者側の恥と怒りと悲しみを、ようやく自分の胸の中に入れる通路が開いた。翌日、追悼のために「燕子磯」という虐殺記念場を訪れた。揚子江のほとりの、信じられないほど美しい場所だった。一緒にいる日本人たちと、泣いて泣いて謝った。日本人としてのつながりを感じた。心のなかの氷が溶けていくようだった。感覚麻痺の時代が終わり、小さな小さな緑の芽生えの気配に気づいた。私には、本当にわかった。やわらかい心で命を愛せない日本人たち、感覚麻痺の苦しみから、自らを切り、大量の薬を飲まなければ生きていけない若い人たちを癒すことができるのは、やっぱりこれなのだと身をもって知った。

 中国の人たちは、暖かくやさしかった。南京大虐殺を否定したり過小評価したりする今の日本の方向性については過敏になっているようだったが、それに抵抗しようとしている私たちを敬意でも接してくれ、心を開いていろんなことを話してくれた。歴史を学ぶ若い大学院生の男性は、「今日の日まで、僕は日本人を憎んできた。でも、気持ちが変わった。日本の若い人たちと話をしたい。交流したい。手紙を書いたら、若い学生たちに渡してくれるだろうか。文通をしたい。事実を認めてくれて、話をしたら、友達になれる」と言った。

 辛く重い旅だったけれど、クリアで気持ちの良い帰り道を帰れたのは幸いだった。なんて滋養に満ちた旅だったことだろう。今回はささやかな一歩だったが、たしかな前進だった。これから、この方向を歩んでいくために力を尽くせたらと考え始めている。若い人たちを連れて、定期的に、南京を訪れ、向こうの人たちと交流するというプロジェクトを思案中だ。かなりの準備がいるだろう。知的にも心理学的にも。そのためのトレーニング・プログラムやフォローアップのプログラムも必要だろう。中国語も勉強しなくちゃ。日本の社会が幸福に向かえるように残る半生を捧げたい気持ちだ。


これは・・・
また一人、気違いピエロに洗脳されたのか。
中共GJ!

ランランルー

あとね、村本さんがどうかは知らんが、一般論として「心の闇」ってフレーズ多様する香具師はペテン師だから憶えとけ。
豆知識な。

知らない事に直面したり、分らない時や困った時は眉をひそめて「心の闇」ww
至極便利で万能な魔法の言葉w


  




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