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[第一章 2]
「一学期は取っ替《か》え引っ替えってやつだったな。俺の知る限り、一番長く続いて一週間、最短では告白されてオーケーした五分後に破局してたなんてのもあったらしい。例外なく涼宮が振《ふ》って終わりになるんだが、その際に言い放つ言葉がいつも同じ、『普通《ふつう》の人間の相手してるヒマはないの』。だったらオーケーするなってーの」
 こいつもそう言われたクチかもな。そんな俺の視線に気付いたか、谷口は慌《あわ》てたふうに、
「聞いた話だって、マジで。何でか知らねえけどコクられて断るってことをしないんだよ、あいつは。三年になった頃《ころ》にはみんな解ってるもんだから涼宮と付き合おうなんて考える奴はいなかったけどな。でも高校でまた同じことを繰《く》り返す気がするぜ。だからな、お前が変な気を起こす前に言っておいてやる。やめとけ。こいつは同じクラスになったよしみで言う俺からの忠告だ」
 やめるとくも何も、そんな気ないんだがな。
 食い終わった弁当箱を鞄《かばん》にしまい込んで谷口はニヤリと笑った。
「俺だったらそうだな、このクラスでのイチオシはあいつだな、朝倉涼子《あさくらりょうこ》」
 谷口がアゴをしゃくって示した先に、女どもの一団が仲むつまじく机をひっつけて談笑《だんしょう》している。その中心で明るい笑顔《えがお》を振りまいているのが朝倉涼子だった。
「俺の見立てでは一年の女の中でもベスト3には確実に入るね」
 一年の女子全員をチェックでもしたのか。
「おうよ。AからDにまでランク付けしてそのうちAランクの女子はフルネームで覚えたぜ。一度しかない高校生活、どうせなら楽しく過ごしたいからよ」
「朝倉さんがそのAなわけ?」と国木田。
「AAランクプラス、だな。俺くらいになると顔見るだけで解る。アレはきっと性格までいいに違いない」
 勝手に決めつける谷口の言葉はまあ話し半分で聞くとしても、実のところ朝倉涼子もまた涼宮ハルヒとは別の意味で目立つ女だった。
 まず第一に美人である。いつも微笑《ほほえ》んでいるような雰囲気《ふんいき》がまことによい。第二に性格がいいという谷口の見立てはおそらく正しい。この頃になると涼宮ハルヒに話かけようなどという酔狂《すいきょう》な人間は皆無《かいむ》に等しかったが、いくらぞんざいにあしらわれてもそれでもめげずに話かける唯一《ゆいつ》の人間が朝倉である。どことなく委員長っぽい気質がある。第三に授業での受け答えを見てると頭もなかなかいいらしい。当てられた問題を確実に正答している。教師にとってもありがたい生徒だろう。第四に同性にも人気がある。まだ新学期が始まって一週間そこそこだが、あっという間にクラスの女子の中心的人物になりおおせてしまった。人を惹《ひ》きつけるカリスマみたいなものが確かにある。
 いつも眉間《みけん》にシワ寄せている頭の内部がミステリアスな涼宮ハルヒと比べると、そりゃ彼女にするんならこっちかな、俺だって。つーか、どっちにしろ谷口には高嶺《たかね》の花だと思うが。
 まだ四月だ。この時期、涼宮ハルヒもまだ大人しい頃合いで、つまり俺にとっても心安まる月だった。ハルヒが暴走を開始するにはまだ一ヶ月弱ほどある。
 しかしながら、ハルヒの奇矯《ききょう》な振《ふ》る舞《ま》いはこの頃から徐々《じょじょ》に片鱗《へんりん》を見せていたと言うべきだろう。
 と言うわけで、片鱗その一。
 髪型《かみがた》が毎日変わる。何となく眺《なが》めているうちにある法則性があることに気付いたのだが、それはつまり、月曜日のハルヒはストレートのロングヘアを普通に背中に垂らして登場する。次の日、どこから見ても非のうちどころのないポニーテールでやって来て、それがまたいやになるくらい似合っていたのだが、その次に日、今度は頭の両脇《りょうわき》で髪をくくるツインテールで登校し、さらに次の日になると三つ編みになり、そして金曜日の髪型は頭の四ヶ所を適当にまとめてリボンで結ぶというすこぶる奇妙《きみょう》なものになる。
 月曜日=○、火曜=一、水曜=二……。
 ようするに曜日が進むごとに髪を結ぶ箇所《かしょ》が増えているのである。月曜日にリセットされ後は金曜日まで一つずつ増やしていく。何の意味があるのかさっぱり解らないし、この法則に従うなら最終日には六ヶ所になっているはずで、果たして日曜日にハルヒがどんな頭になっているのか見てみたい気もする。
 片鱗その二。
 体育の授業は男女別に行われるので五組と六組の合同でおこなわれる。着替《きが》えは女が奇数《きすう》クラス、男が偶数《ぐうすう》クラスに移動してすることになっており、当然前の授業が終わると五組の男子は体操来入れを手にぞろぞろと六組に移動するわけだ。
 そんな中、涼宮ハルヒはまだ男どもが教室に残っているにもかかわらず、やおらセーラー服を脱《ぬ》ぎ出したのだった。
 まるでそこらの男などカボチャかジャガイモでしかないと思っているような平然たる面持《おもも》ちで脱いだセーラー服を机に投げ出し、体操着に手をかける。
 あっけにとられていた俺を含《ふく》め男たちは、この時点で朝倉涼子によって教室から叩《たた》き出された。
 その後朝倉涼子をはじめとしてクラスの女子はこぞってハルヒに説教をしたらしいが、まあ何の効果もなかったね。ハルヒは相変わらず男の目などまったく気にせず平気で着替えをやり始めるし、おかげで俺たち男連中は体育前の休み時間になるとチャイムと同時にダッシュで教室から撤退《てったい》することを――主に朝倉涼子に――義務づけられてしまった。
 それにしてもやけにグラマーだったな……いや、それはさておき。
 片鱗その三。
 基本的に休み時間に教室から姿を消すハルヒはまた放課後になるとさっさと鞄《かばん》を持って出て行ってしまう。最初はそのまま帰宅するのかと思っていたらさにあらず、呆《あき》れることにハルヒはこの学校に存在するあらゆるクラブに仮入部していたのだった。昨日バスケ部でボールを転がしていたかと思ったら、今日は手芸部で枕《まくら》カバーをちくちく縫《ぬ》い、明日はラクロス部で棒振り回しているといった具合。野球部にも入ってみたというから徹底している。運動部からは例外なく熱心に入部を薦《すす》められ、そのすべてを断ってハルヒは毎日参加する部活を気まぐれに変えたあげく、結局どこにも入部することもなかった。
 何がしたいんだろうな、こいつはよ。
 この件により「今年の一年におかしな女がいる」という噂《うわさ》は瞬《またた》く間に全校に伝播《でんぱ》し、涼宮ハルヒを知らない学校関係者などいないという状態になるまでにかかった日数はおよそ一ヶ月。五月の始まる頃《ころ》には、校長の名前を覚えていない奴《やつ》がいても涼宮ハルヒの名前を知らない奴は存在しないまでになっていた。

 そんなこんなをしながら――もっとも、そんなこんなをしていたのはハルヒだけだったが――五月がやってくる。
 運命なんてものを俺は琵琶湖《びわこ》で生きたプレシオサウルスが発見される可能性よりも信じていない。だが、もし運命が人間の知らないところで人生に影響《えいきょう》を行使しているのだとしたら、俺の運命の輪はこのあたりで回り出したんだろうと思う。きっと、どこか遥《はる》か高みにいる誰《だれ》かが俺の運命係数を勝手に書き換《か》えやがったに違《ちが》いない。
 ゴールデンウィークが明けた一日目。失われた曜日感覚と共に、まだ五月だってのに異様な陽気にさらされながら俺は学校へと続く果てしない坂道を汗水《あせみず》垂らしながら歩いていた。地球はいったい何がやりたいんだろう。黄熱病にでもかかってるんじゃないか。
「よ、キョン」
 後ろから肩《かた》を叩かれた。谷口だった。
 ブレザーをだらしなく肩に引っかけ、ネクタイをよれよれに結んだニヤケ面《づら》で、
「ゴールデンウィークはどっか行ったか?」
「小学の妹を連れて田舎《いなか》のバーさん家《ち》に」
「しけてやんなあ」
「お前はどうなんだよ」
「ずっとバイト」
「似たようなもんじゃないか」
「キョン、高校生にもなって妹のお守りでジジババのご機嫌《きげん》うかがいに行ってどうすんだ。高校生なら高校生らしいことをだな、」
 ちなみにキョンというのは俺のことだ。最初に言い出したのは叔母《おば》の一人だったように記憶《きおく》している。何年か前に久しぶりに会った時、「まあキョンくん大きくなって」と勝手に俺の名をもじって呼び、それを聞いた妹がすっかり面白《おもしろ》がって「キョンくん」と言うようになり、家に遊びに来た友達がそれを聞きつけ、その日からめでたく俺のあだ名はキョンになった。くそ、それまで俺を「お兄ちゃん」と呼んでいてくれていたのに。妹よ。
「ゴールデンウィークに従兄弟《いとこ》連中で集まるのが家の年中行事なんだよ」
 投げやりに答えて俺は坂道を登り続ける。髪《かみ》の中から滲《し》み出す汗がひたすら不愉快だ。
 谷口はバイトで出会った可愛《かわい》い女の子がどうしたとか小金が貯《た》まったからデート資金に不足はないとか、やたら元気に喋《しゃべ》りまくっていた。他人の見た夢の話とペットの自慢《じまん》話と並んで、この世で最もどうでもいい情報の一つだろう。
 谷口の計画する相手不在の仮想デートコースを三パターンほど聞き流しているうちに、ようやく俺は校門に到達《とうたつ》した。
 教室に入ると涼宮ハルヒはとっくに俺の後ろの席で涼《すず》しい顔を窓の外に向けていて、今日は頭に二つドアノブを付けているようなダンゴ頭で、それで俺は、ああ今日は二ヶ所だから水曜日かと認識して椅子《いす》に座り、そして何か魔《ま》が差してしまったんだろう。それ以外の理由に思い当たるフシがない。気が付いたら涼宮ハルヒに話かけていた。
「曜日で髪型変えるのは宇宙人対策か?」
 ハルヒはロボットのような動きで首をこちらに向けると、いつもの笑わない顔で俺を見つめた。ちと怖《こわ》い。
「いつ気付いたの」
 路傍《ろぼう》の石に話かけるような口調で、ハルヒは言った。
 そう言われればいつだっただろう。
「んー……ちょっと前」
「あっそう」
 ハルヒは面倒《めんどう》くさそうに頬杖《ほおづえ》をついて、
「あたし、思うんだけど、曜日によって感じるイメージってそれぞれ異なる気がするのよね」
 初めて会話が成立した。
「色で言うと月曜は黄色。火曜が赤で水曜が青で木曜が緑、金曜は金色で土曜は茶色、日曜は白よね」
 それは解《わか》るような気がするが。
「つうことは、数字にしたら月曜がゼロで日曜が六なのか?」
「そう」
「俺は月曜は一って感じがするけどな」
「あんたの意見なんか誰も聞いていない」
「……そうかい」
 投げやりに呟《つぶや》く俺の顔のどこがどうなのか、ハルヒは気に入らなそうなしかめ面《づら》でこちらを見つめ、俺が少しばかり精神に不安定なものを感じるまでの時間を経過させておいて、
「あたし、あんたとどこかで会ったことがある? ずっと前に」
 と、訊《き》いた。
「いいや」
 と、俺は答え、岡部担任教師が軽快に入ってきて、会話は終わった。

 きっかけ、なんてのは大抵《たいてい》どうってことないものなんだろうけど、まさしくこれがきっかけになったんだろうな。
 だいたいハルヒは授業中以外に教室にいたためしがないから何か話そうと思うとそれは朝のホームルーム前くらいしか時間がないわけで、たまたま俺がハルヒの前の席にいただけってこともあって何気なく話かけるには絶好のポジションにいたことは否定出来ない。
 しかもハルヒがまともな返事をよこしたことは驚《おどろ》きだ。てっきり「うるさいバカ黙《だま》れどうでもいいでしょ、そんなこと」と言われるものだとばかり思っていたからな。思っていながら話かけた俺もどうかしてるが。
 だから、ハルヒが翌日、法則通りなら三つ編みで登校するところを、長かった麗《うるわ》しい黒髪をばっさり切って登場したときには、けっこう俺は動揺《どうよう》した。
 腰《こし》にまで届こうかと伸《の》ばしていた髪が肩《かた》の辺りで切りそろえられていて、それはそれでめちゃくちゃ似合っていたんだが、それにしたって俺が指摘《してき》した次に日に短くするってのも短絡《たんらく》的にすぎないか、おい。
 そのことを尋《たず》ねるとハルヒは、
「別に」
 相変わらず不機嫌そうに言うのみで格別の感想を漏《も》らすわけでもなく、髪を切った理由を教えてくれるわけもなかった。
 だろうと思ったけどさ。

「全部のクラブに入ってみたってのは本当なのか」
 あれ以来、ホームルーム前のわずかな時間にハルヒと話すのは日課になりつつあった。話かけない限りハルヒは何のアクションも起こさない上、昨日のテレビドラマとか今日の天気とかいったハルヒ的「死ぬほどどうでもいい話」にはノーリアクションなので、話題には毎回気を使う。
「どこか面白《おもしろ》そうな部があったら教えてくれよ。参考にするからさ」
「ない」
 ハルヒは即答《そくとう》した。
「全然ない」
 駄目《だめ》押ししてハルヒは蝶《ちょう》の羽ばたきのような吐息《といき》を漏らした。ため息のつもりなんだろうか。
「高校に入れば少しはマシかと思ったけど、これじゃ義務教育時代と何も変わんないわね。入る学校|間違《まちが》えたかしら」
 何を基準に学校選びをしているのだろう。
「運動系も文化系も本当にもうまったく普通《ふつう》。これだけあれば少しは変なクラブがあってもよさそうなのに」
 何をもって変だとか普通だとかを決定するんだ?
「あたしが気に入るようなクラブが変、そうでないのは全然普通、決まってるでしょ」
 そうかい、決まってるのかい。初めて知ったよ。
「ふん」
 そっぽを向き、この日の会話、終了《しゅうりょう》。

 また別の日は、
「ちょっと小耳に挟《はさ》んだんだけどな」


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