杉田・日経社長が東京地裁に出廷──30日午後
OBの株譲渡をめぐる1考察
5月30日午後、東京地裁に日本経済新聞社の杉田亮毅社長が証人として出廷する。
日経OB同士の日経新聞社株式の売買に同社が待ったをかけ、それに対して、売買の当事者が、会社を「商法(現会社法)違反」だとして、2005年9月に告訴した裁判だ。
資本金25億円の中小企業と、そこの元従業員との、単なる“痴話げんか”にしか映らないかもしれない。
けれども、この裁判はメディア経営とコーポレートガバナンスのあり方を考えるうえで、格好の素材である。
本来、これは日経新聞の産業部や証券部の記者が、紙面を使って大々的に報道すべきテーマだが、おそらく自社モノで、遠慮して書けないだろう。ということで、今やしがらみのない私が、その「企業ニュースとしての面白さ」について考察したい。
解散価値8500円なのに、株価は100円!?
裁判第1のポイントは、日経新聞社が株価を100円に固定していることの妥当性だ。
この点について、原告の日経OB、和佐隆弘氏(元論説委員)は
「別の社友(OB)から1株1000円で400株を譲り受ける契約を結んだが、日経は認めなかった。これは(旧商法=現会社法が認める)株式譲渡自由の原則に反する」
という。
一方、日経新聞側は、同社は「日刊新聞紙法」(旧商法=現会社法=の特例、1951年施行)に基づき、社員株主制度を採用しており、その根幹にあるのが、「譲渡価格は一律1株100円」のルールとの立場だ。
会社法と日刊新聞紙法。根拠とする法律の強弱だけで見れば、勝負はついているが、実態はどうなのだろうか。
日経新聞社は株式を上場していない。
前身「中外物価新報」はもともと三井合名の1部署、次いで100%子会社だったが、昭和15~17年(1940~42年)にかけて当時の役員、社員が株式を買い取った。今でいうMBO(マネジメント・バイアウト)だ。
以来、同社の株主は役員と社員、一部OBだけ。特定の個人大株主も、外部株主もいない。完全に閉じている。
ちなみに、2006年12月期末の大株主は、筆頭が「日本経済新聞共栄会」で持ち株比率は5.8%、2位「日本経済新聞福祉会」4.1%、続いて3位が杉田社長1.8%(45万株)、4位が新井淳一副社長1.4%(35万株)だ。
同社内には自社株について、「事業関係者に限定」し、譲渡価格を一律100円に固定し、社員株主が退社・死亡などで保有資格を失ったときは筆頭株主の「共栄会」が100円で買い戻す──という3つの基本ルールがある。このルールの裏づけとなっているのが「日刊新聞紙法」だと同社はいう。
ここまで読んで、こう思われるかもしれない。要するに、非公開会社の従業員持ち株会の話でしょ?そもそも市場価格がないんだから、いくらに株価を設定しようが問題ないんじゃないの?大騒ぎすることか?
私も最初そう思った。しかし、それほど単純な話ではない。
まず、日経新聞の企業規模と、今の「公器」としての影響力を考える必要がある。
現在の発行部数は310万部超。2006年度の売上高は2348億円(前の期比1%増)、経常利益は326億円(同28%増)、税引き後の1株当たり利益(EPS)は、720円(同33%増)に上った。
会計で「1株当たり純資産」(BPS)という概念がある。会社の総資産から借金を引いたのが「純資産」で、それを1株当たりに換算した数値だ。会社を今解散したら株主がいくら手にできるか、解散価値の最低ラインを示す。
それが日経新聞社の場合、前期末で、なんと8574円もある。
現在、東証1部企業(平均)は、実績EPSの23倍、BPSの1.9倍の株価水準で売買されている。日経の業績であれば、株価は1万6000円台でもおかしくはない。
そんな株式の「100円固定」に不自然さはないのか。
編集権の独立 VS. ガバナンス
次に、手続き面。
日経の「共栄会」は従業員持ち株会ではなく、じつは一種の社員間の流通市場である。従業員持ち株会の場合、名義人は通常、理事長ひとりだが、日経の株主名簿には、日経社員、役員、一部OBの1人ひとりの名前がしっかり記載されている。つまり、1人ひとりが立派な株主なのだ。
言い換えると、日経新聞社の社員募集とは、株主の募集と同じ。同社は、100円固定などの3つの独自ルールをしっかり説明し、世の中の企業とウチは全く違う仕組みの存在ですよ、と十二分に情報開示したうえで、株主(=社員)を募集しているだろうか。否。
同時に、流通市場の「共栄会」が、緩衝装置として株式を長期保有し、筆頭株主然と居座っていていいのか、という問題もある。
以上はやや技術的な問題点だが、より本質的な、メディア経営──なかでも「編集権の独立」──と、コーポレートガバナンスについての問題もある。これが裁判第2のポイントだ。
会社側は「編集権の独立」のためには、社員株主制度が必須であり、同制度の維持には「100円固定」ルールが不可欠だととらえている。
3月に杉田社長が東京地裁に提出した陳述書を閲覧すると、こうある。
日経は社会の公器ともいえる新聞社であり、その日経にとって最も重要なことは、中正公平な言論報道機関であるために、どんな権力者、どんな富裕者等のいかなる第3者からも、紙面内容について圧力という形で影響を受けない、ということです。これが言論報道機関として存立する極めて重要な条件だと思います。 (陳述書2ページ)
共栄会が定めた株式譲渡の流通ルールは …中略… 3つです(「譲渡価格は一律1株100円」など、前述した3つの基本ルールのこと、引用者注)。この株式譲渡の流通ルールこそが、言論報道機関の独立を守るために営々と築き上げてきた日経における社員株主制度にとって不可欠なものと思います。 (同6ページ)
たしかに、これは言えるだろう。
100円固定だからこそ、中堅社員が“会社の命令”に従って、たとえば5000株購入できるのであって、これが5000円だったら、「そんなに高い株、100株しか持てないすよ」と社員は言い、では、残り4900株分は外部のだれかに持ってもらいましょう、となる。即座に、株式公開か、あるいは非公開のまま第3者に保有してもらうかの選択肢に直結する。
外部株主が登場すれば、実態はさておき、読者からは「株主の影響を受けた報道だ」と色眼鏡で見られる確率は、確実に高まる。
まだMBO前の昭和2年(1927年)、神戸の鈴木商店の倒産を報じたとき、鈴木商店側は「三井の仕業」と勘違いしたらしい。こうした事態は、毎日、数百もの企業名が登場する経済紙としては何としても避けたいだろう。
株主を選べてしまうモンスター企業
とはいえ、「外部株主から編集局が干渉を受けない」ことと、「株主を経営者が支配できてしまう」ことでは、雲泥の違いがある。
日経の現体制では、取締役会が、社内のだれに何株持たせるか、だれを株主にするか否かを決定できる。
一般の会社は、株主が経営者を選ぶ仕組みを持つ。しかし、日経のそれは、経営者が株主を選べる、なんともスペシャルな仕組みなのだ。
記憶に新しいところでは、2003年3月末の株主総会向けに、株主である大塚将司氏(元ベンチャー市場部長)が、鶴田卓彦社長(当時)の解任を提案した。
これに対し日経は、「大塚氏は鶴田氏のプライバシーに関し虚偽の内容を記載し、名誉を毀損した、よって刑事告訴する、刑事被告人になった事実は就業規則違反、よって懲戒解雇する」として、大塚氏の株主権を剥奪した(その後、この件は大塚氏の地位確認訴訟に発展し、04年12月に和解)。
社員をクビにし、その社員の株主権を取り上げることが可能であり、その実例がある。解雇のリスクを賭してまで、株主権を行使する株主(=社員)は少ないだろう。
「外部からの編集権の独立を目的とした日刊新聞紙法の特権を濫用して、組織内部の言論の自由を奪っているのが日経」
と和佐氏はいう。
私自身のごくごく限定された経験から個人的な印象を述べれば、日経新聞社の従業員は、真面目、仕事熱心、善良、生意気かもしれないが、愛すべき人間たちの集合体である。しかし、ここでひとりの元社員の個人的感想などは、なんら意味を持たない。
悲しいかな、日経は、資本金1億円の全額出資子会社が96億円もの債務超過に陥るのを看過し(ティー・シー・ワークス不正経理問題)、株主代表訴訟でその責任を問おうとした社員株主の権利剥奪を試み、2006年は広告局でインサイダー取引の逮捕者を出した(07年1月有罪確定)実績を持つ組織なのだ。
善良な人間の集合体でも道を誤ることがしばしばある。それを防ぐための仕組みが、株主による経営者チェックであり、監査であり、SOX(内部統制法)である。
日経はバーツパーツ、社員個々人を見れば、法令を遵守しているのかもしれないが、一歩引いて全体像を眺めれば、経営者の暴走をチェックする仕組みが存在しない「モンスター企業」に見えなくないか。
記者の視線で正視できるか
まともな仕組みがあっても、名目に堕し、目的通り機能しない企業は少なからず存在するのだ。仕組みがない状態で、「独りよがりな編集方針に陥らず、また我が社の役員、社員の個人を利するための経営に陥らないよう、不断の努力を続ける必要があり、実際に続けているつもりです」(杉田社長陳述書12ページ)などと語って、十分にアカウンタブルだろうか。
社外有識者で構成する日経ガバナンス委員会(座長・茂木友三郎キッコーマン会長)は2年の活動を経て、去る3月12日、「経営諮問委員会」の機能強化を柱とする提言を杉田社長に手渡した。
こうした「諮問委員会」が今後、果たして健全に機能するのかどうか、株価100円固定のルールが果たして無害なのかどうか……。新聞記者であれば当然、興味を持ち、取材し、報道すべきテーマである。
杉田日経社長が東京地裁で語る5月30日は、報道のいいチャンスだ。司法記者はもちろん、とくに日経の産業部、証券部記者には、今まで社外の対象を観察、分析、批判したのと同じ目で、社内のことをよく見、願わくは、自社の紙面で報道して欲しい。
それが「日刊新聞紙法」によって特権を与えられた存在の義務である。
【編集部注】 記者は1985年日経新聞社入社。産業部(東京)、証券部(大阪)、西部報道部(福岡)で一貫して企業取材を担当。労組幹部、産業部キャップ、産業部次長(日経本紙デスク)を経て2000年退社。
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