5◆要点だけ

こちらに、私の主張の要点をコンパクトにまとめました。 長い文章を読むのが苦痛だったり、読んでるうちに何がなんだかわかんなくなったり、 この問題について既によくご存じで「要点だけ」を読まれたい方に向けて、この文章を 書きます。
もしかしたら、私の主張が、これから表現規制反対の声を上げられる誰かの論旨を補強 したり、考える材料になったり…などすれば、幸いに感じます。

エロマンガ制作に「被写体」「モデル」「被害者」は存在しません。 そういった実体を持たない「マンガのキャラクター」の年齢を特定するなど、不可能で す。
ですから、エロマンガを児童ポルノ法において法的に規制することは、下記のような点 で、大きな誤りがあります。

●「あくまでも架空の創作物」でしかないモノを、実際の犯罪と同じだとみなすことは つまり、法が「架空と現実の区別がつかない」と言明することである。これは、法の権 威と公正さ、厳密さを、著しく失墜させる。

●架空の創作物すらも法が裁くということで、実際に犯罪を冒した者の「罪の重さ」 が、総体的に軽くなってしまう。この法律は実在する児童の人権を侵害したからこその 「罪」であり、実体の無いマンガにおける「罪(そんなものがあるとすればだが…)」 と同じ法において扱われるのは甚だ不適当であり、裏返せば、実際に被害に遭った児童 の人権を、マンガ如き実体の無いモノと「等価」である、などというとんでもないこと になってしまう。

●「マンガを児童ポルノ法によって法的に取り締まる」ことは、「現実と架空を峻別 」 するメディア・リテラシー教育に、法が自ら打撃を与えることになってしまう。この点 で現実と架空の区別がついていないのは、むしろ、マンガを規制しようとする立法者の 側である。

●例えば、野生のゾウを保護する法律は「野生のゾウを捕獲殺傷することを禁じ、象牙 の流通を禁じるが、ゾウの捕獲殺傷を禁じるより以前から所有していた象牙の所持と流 通は禁じない」ということである。これを児童ポルノ法で絵やマンガを規制する論理に 置き換えてみれば、「ゾウを捕獲殺傷することを禁じる。象牙の流通を禁じる。いつい かなる時からの所有であろうと、象牙の所持を禁じる。象牙に似た物質の制作も禁じ る。乳白色のなめらかな物体でモノを作ることを禁じる」ということである。児童ポル ノ写真やビデオテープ類は用意に複製できるものであるため、所持の禁止は「いかなる 場合においても、複製と流通を禁ずる」という、「実在の児童を扱ったポルノ作品の制 作、複製、流通」の点でのみ、規制されるべきである。

●「疑わしきは罰せず」というのが民主主義社会における刑法の根拠であるとするなら ば、違法だと思われるマンガは全て、所詮は「疑わしきモノ」でしかあり得ない。その ような疑わしきを罰することは、民主主義国家において、あってはならない。架空の表 現における罪は、すべからく「えん罪」でしかない。「えん罪」や「別件逮捕」を行う ことで、国家の信用は打撃を被る。

●児童ポルノ法で絵やマンガをも取り締まるとするならば、今、市場に出ている多くの 出版物、テレビ、映画、電子メディアが少なからぬ影響を被る。メディア産業、出版産 業の多くが大打撃を被る。

●エロマンガなどの架空の性表現がトリガーとなって行われたと見られている性犯罪は この十年の間、国内ではわずか2件が確認されているに過ぎない。そして、統計データ を見る限りにおいて、メディアにおける性表現の規制が緩やかになればなるほど、性犯 罪の数は減少傾向を辿っている。'92年に一時的に増加したのは、その年に有害コミッ ク規制が行われたからである。エロマンガを楽しむ意識、セクシャリティは、大変安全 なものだと言える。

●エロマンガは、男性も女性もそれを描き、あるいは読んで楽しむ「文化」となってい る。エロマンガを規制することで表現の自由や読む権利が奪われるのは男性だけではな く、女性もまた、奪われる。

●エロマンガは「性的な表現もできる表現の場」であり、それが芸術か否かは置くとし ても、明らかに「美的」なものである。「美」を「善」が侵略してはならない。勿論、 「美」が「善」も侵略してもいけない。

●エロマンガは「性的な表現もできる表現の場」であり、それが芸術か否かは置くとし ても、明らかに世界的に巨大なマーケットを成す日本の「マンガ文化」の「分かちがた い1ジャンル」であり「美意識追求の場の一つ」である。法がそれを規制すると、その 文化は大きく後退し、いずれは消滅する。

●以上のことから、児童ポルノ法でエロマンガを規制することは「国益」に重大な打撃 を与える行為であることは明白である。

●エロマンガが青少年に有害な意識を植え付けることを懸念されるならば、ゾーニング を行えば良い。的確なゾーニングの方法については、それを作る側、流通する側の現場 にいる者によって、その方法が確立されねばならない。何故なら、国家がそれを法的に 行うことは、憲法にある「全ての出版物はその内容を検閲されない」という理念に背く ことになるからである。

●エロマンガは、読み方によっては「悪行を先導している」かのようにも読めるが、人 は誰かに教わらずとも、犯罪を行うことができる。

●エロマンガは、読み方によっては「悪行を先導している」かのようにも読めるが、逆 説的に「悪行を暴き、善行を考えさせる」こともしている。作品によって、それが感じ られたり、感じられなかったりするのは、あくまで「クオリティ」の問題である。クオ リティは、法では定義できないし、してはならない。

●「芸術的(…と認知されている)作品」や「良い作品」だけに生存を許し、その他の 作品の生存を許さなければいずれ、良い作品もなくなるであろう。芸術、文化は「多様 性」が生命線だからだ。芸術、文化の推進を目指すならば、多様性は認めなければなら ない。

●重大な人権侵害がない限りにおいて個人の多様性を認めるのは、民主主義の基本理念 である。

●いかなる場合においても、法が表現を規制した場合、それは国民の基本的人権である 表現の自由に抵触する。 以上の理由により、私は児童ポルノ法の改正により、マンガやアニメなどの表現を規制 することに、異議を表明します。