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2008年 03月 12日
なんだか「2ちゃんねる」でさらされてる気配。えっと、皆さんの読みたがっているであろう記事はとっくに消し去りました。期間限定でした。いちおう、ある(自称)ダンス批評家に罵詈雑言をぶつけてみたんですけれども、ま、そういう気持ちを持っているのはわたしだけではないようで、彼のサイトの掲示板に、ナイスな書き込みが出ていました。きっと、あの人が書いたんだな。わたしもまた期間限定で、こっちに書く気になるかも知れません(ムリにわたしが書かなくても、どうせ消えてしまうに決まっている人物ではありますが)。
で、3月9日の日曜日です。とにかく土曜日の夜というか、日曜日の朝はまったく寝ていません。で、「芸術見本市」でいただいた資料も大きな荷物になってしまいましたし、とにかく一度下館に帰って、また東京に出てくることにしました。まだ6時にもならない早朝の上野から宇都宮線に乗って、電車の中ではもちろん眠って、下館には8時ごろに戻って来ました。少し休んでからまた東京に出かけます。わたしもタフですね。もちろん電車の中ではすっかり眠って、この日は目黒。庭園美術館で小林嵯峨さんの舞踏です。 駅から庭園美術館へ歩く途中の鮨屋で、ランチのちらし。おいしかった。で、庭園美術館。この日曜日はほんとうにのどかな春うららな陽気で、とにかく街では半袖で歩いている人の姿も見かけたし、この美術館の庭園にも、おおぜいの人がちょっと早い春気分を楽しんでおられるようでした。美術館の展示は、『建築の記憶〜写真と建築の近現代〜』というヤツ。これがちょっとさぶいぼが立つような、つわもの展示で、明治時代の建築物を撮影した写真、とりわけ中国の紫禁城、そして江戸城、なによりもとりわけ熊本城の写真にすっかり心を奪われてしまいます。現在日本に残っている城建築は、たいていは改築された観光シンボルとしての存在で、実は鉄筋のコンクリート城壁だったりするのですが、ここに記録された明治初期の熊本城は完全に木造で、しかもこれはもう「廃墟」でしかありません。「城」の形をした、巨大な、廃墟としての木造建築、そんな姿は、この写真の撮影された明治初期のほんのわずかな時期にのみ、人の前に見せた姿ではあったのでしょう。なんだかとんでもないすごいモノを観てしまったという感覚。 2時半頃になって、別館ホールの方に足を向けると、そこは「土方巽生誕80年記念〜HOMAGE TO HIJIKATA vol.1」の会場で、なんだかこう、どう見ても堅気には見えない風貌の方々が、数多く集合されておられます。こういっちゃなんですが、やくざの襲名披露パーティーというのは、きっとこういう雰囲気なのではないでしょうか。で、今回のメインは小林嵯峨さんの舞踏なわけで、そのバックの音がご近所のErehwonが担当。IさんやHさん、そしてAGさんなどにお会いいたしました。それから昨夜の「踊りに行くぜ!」での照明スタッフのAMさんにまたお会いしてしまいました。「昨日あれからどうしたの?」と聞かれて、「朝まで飲んでました」って答えたら、「カハハ」と笑われてしまいました。そりゃそうだ。 さて、嵯峨さんの舞踏は、まずはバックに映される土方巽の映像とオーバーラップするように展開して、例えば先日観たサイモン・マクバーニーの『春琴』が谷崎の『陰翳礼讃』を典拠にしているとしたら、こちらこそ正統な『陰翳礼讃』ではないかと言えるような、薄暗闇の中で蠢くようなミステリアスな舞台でした。 舞台途中で、「わたしはとっても退屈」みたいな歌詞の妙な歌が流されて、とても気になっていたんだけれども、終演後Iさんに聞いたらそれは緑魔子の歌で、AGさんが見つけて来たのだということでした。奇怪でした。 終演後、次の鼎談との間合いの休憩に外に出ると、さっきまで梅の花だと思っていた桃色の花は、実は早咲きの彼岸桜の花だったのでした。 鼎談が終って、しばしのパーティー・タイム。あれこれの人にお会いしたり、(ここにもわたしの分身がいるらしくて)わたしがあれこれの人に間違えられたり。考えてみれば、この週末の東京滞在三日間で、わたしが最近親しくさせていただいている知人友人の皆さん、そのほとんどの人に出会うことが出来ました。わたしの九州行きが決定していたら格好の送別会三連チャンではあったことでしょう。 AGさんが他のCD音源を聞かせてくれて、それが、解散引退まぎわのザ・ピーナッツのライヴ音源だったのですが、なぜかユーライア・ヒープの「対自核」とか、アッと驚くクリムゾンの「エピタフ」なども唄ってる。AGさんとも話したんだけれども、ザ・ピーナッツというデュオは、古今東西世界中探してもお目にかかれないというか聴くことの出来ない、希有なハーモニーを聴かせてくれるデュオではあったのですよ。いずれ再評価されるでしょうが、とりあえずこの音源はわたしも欲しくなってしまいました。 2008年 03月 11日
3月8日土曜。まずは渋谷で映画。先日山崎ナオコーラの原作を読んだ『人のセックスを笑うな』。監督は井口奈己というひと。原作は39歳の講師と19歳の生徒との恋愛話で、出演者が永作博美というのはちょっと若すぎるんじゃないのかな、なんて思っていたら、永作博美はいつの間にか実年齢37歳になっちゃっていたのですね。若いというよりも、この人は童顔。えっと、原作からずいぶんとあれこれ動かしてるんだけれども、あくまで演技臭さを排した自然体演技にこだわって、イイ感じに仕上がっていました。美術がなんと木村威夫。あちこち出てくる黄色い風船ね。ただ、ほとんど照明使わない自然光主体の撮影で、場面によってはやはりちゃんとメリハリをつけて欲しい気もしました。タイトルが出た時に英文タイトルも出て、それが「Don't Laugh At My Romance」。って、そうなのか? ちょっと違う気がしないでもない。
で、その渋谷からバスに乗って六本木。Super DeLuxeでのチェルフィッチュ新作『フリータイム』。会場に入るとちょうど音楽がフレッド・フリスの「Step Across The Border」だったりして、これもきっと岡田さんの趣味というか、この舞台への意気込み、なんでしょう。観客席にびっくりするような超大物女優さんのお姿とか(吉永小百合ではありませんが、同じくらいの世代の方?)。 開演前に時間があったので、タバコとか吸っていたら、出演者のYさんんから「どうですか、飲み物でも?」なんて勧誘を受けて、「ウン、時間あるからあとでね」とか答えて、実はその直前にランチでビールとか飲んでいるので、ココはまぁ控えておこうと、コーヒー(美味だった!)など飲んでいたらまたYさんが来て、「アレ? アルコールじゃないんですか?」なんて突っ込まれる。「いやまだ昼間だから」なんて答えます。 で、その劇が始まってみたら、ファミレスが舞台になるわけだけれども、セリフの中に「昼間から酒を飲んでいる中年オヤジ」なんてのがあって、あ、Yさんはわたしにこのセリフで恥ずかしい思いをさせようとしたのではないかと勘ぐってしまった。おあいにくさま。舞台の感想はまた別に書きましょう。 またまたMさんに会ってしまって、このあとわたしは浅草で「踊りに行くぜ!」、MさんはTIFで西巣鴨なんだけれども、それまでの時間またお茶などします。 「踊りに行くぜ!」、今回出場の4組は基本的にみな初めて観ます。いや、「KIKIKIKIKIKI」は一度観ていました。皆それぞれ可能性を秘めたエネルギッシュな舞台でした。わたしのお気に入りは「プロジェクト大山」。これも感想を書く時間が取れれば良いですけれども。 終演後、久しぶりのTさんとか、昨日もお会いしたS&Sさんとかといっしょに、打ち上げに参加します。ここで広川太一郎さんがお亡くなりになられたことなど聞きますが、えっと、あとから来た声の大きな人がいて、ちょっとなんだかね、いやんなっちゃった。わたしはいわゆる「KY」とかいう言い方は大嫌いだけれども、複数で飲む時には複数で楽しむ飲み方がある。そうじゃなくてわたしがわたしがとか、わたしのお気に入りはこの中ではこの人なんだからなんて態度を出されるといやんなっちゃう。少なくともそういう飲み方をしないように自戒するし、でももうそんな人と同席したいという気持ちもなくなるのだよ。 「プロジェクト大山」の皆さんとちょっと話をして、舞台の途中でかかった大げさな曲を「今はなくなってしまった社会主義国の国歌みたいな」と言ったら、それはペルーの国歌だったそうで、当らずと言えども遠からず、かな? あとは音響のSさんと少しだけ話したり、JCDNのSさんMさんと話したりして、なんと! 朝まで飲んでしまったのです。 2008年 03月 10日
3月7日金曜日、昨年の医療費がつまり十万円越えたので、確定申告をいたします。というか、午後から東京にお出かけしたいので、確定申告を理由に有給を取りました。これから日曜日まで三日間在京の予定です。
で、その医療費控除の還付金は、750円でした。ありがたいことであります。 そのあと、電車で東京へ。この日は恵比寿で開催中の「東京芸術見本市」、そのショーケースで2団体の出演、それが「ARICA」と「カノコト」と、どちらもわたしのよく知っているユニットなものだから、これはある意味マイ・フェスティヴァル。どうして行かないですむでしょうか。 ショーケースは4時半からなのに2時半には会場に着いてしまって、ブースのプレゼンとかを見てまわります。えっと、入場する時に名札に名前と所属とか役職(?)とか書き込んで、それをぶら下げて入るんですけれども、何年か前にもこの「芸術見本市」に来たことがあって、その時は有楽町の国際フォーラムが会場だったと思いますけれど、その時は調子に乗って「プロデューサー」とか何とか書いて入ったんですね。そしたらアレですよ。各ブースで「うわ、プロデューサーさんだ!」とかって、大歓迎されて、あれこれ山のように資料とかヴィデオとかいただいてしまって、大変だったのさ。今回は一般観客。 でも、テーブルの上に資料とかDVDとかいっぱい置かれていて、欲張りなわたしは結局あれこれとDVDもらって来ちゃった。「マレビトの会」の『クリプトグラフ』がそっくり収められたDVDとか、「地点」のこれまでの公演のダイジェストDVDとか、涙が出そう。他の人はケベック(カナダのね)のブースで、マリー・シュイナールの映像が流れているのを見ていたらそのマリー・シュイナールのDVDを貰えたらしい。実はわたしもそのマリー・シュイナールの映像が流れているのは一瞬見ていたんだけれども、DVDは貰えなかったのよ。もうちょっと長い時間観ていればよかった。あ、でもマリー・シュイナールは、来年2月に来日公演があるみたい。わたしきっとマリー・シュイナールがいちばん好きですからね。もう来年まで生きていなくっちゃ。 会場内でMさんにお会いして、ショーケースが始まるまでちょっとお茶などしてから、それで「ARICA」と「カノコト」。終演後、カノコトの戸田さんとかスタッフのKさんIさんとお話したりして、「ARICA」の打ち上げにまぜていただきました。東京一日目終了。 今日のタイトルのMy Favourite Thingsをやっているのは、The Sound of Feelingという双児姉妹とおまけの男一人からなるユニットで、ヴォーカライズのインプロヴィゼーションを目指していたのだろうね。1968年リリースのアルバムが今になってDVDで再発されたのを、この日HMVで見つけて買ってしまいました。そうか、わたしはこのオリジナルを高校生の時に買って聴いていたんだな。今そのジャケットを見ると、この双児姉妹はちょっと叶姉妹に似ています。 2008年 03月 05日
いよいよもってして情況は錯綜して来ているのですが、ま、その、企業間の話でもありますので、ここでは残念ながら詳細を書くことは出来ません。って、ど〜なるのよ、わたし。
そんなこんなしているウチに2月も終ってしまいましたので、まとめておかなければなりません。気持ちはもう4月以降の面倒にしか向かっていないのですが。 で、2月の舞台は忙しいと思っていたわりに、5件にとどまりました。 2月2日(土)バットシェバ舞踊団『テロファーザ』(神奈川県民ホール) 2月9日(土)ヤン・ファーブル『死の天使』(彩の国さいたま芸術劇場) 2月10日(日)大橋可也&ダンサーズ『明晰の鎖』(吉祥寺シアター) 2月10日(日)花上直人『人間洗濯機』(新小岩劇場) 2月16日(土)神村恵カンパニー『どん底』(BankART 1929) この五つ。 美術展は二つかな。 伊藤篤宏@BankART NYK(これは伊藤さんのOptrumライヴ付き) UBSアートコレクション展@森美術館 映画2本。 『アメリカン・ギャングスター』リドリー・スコット:監督 『ミスター・ロンリー』ハーモニー・コリン:監督 で、この2月ですごかったのは、とにかくDVDとかヴィデオとかまともに観ていないこと。かろうじて、Mさんに借りているアピチャッポン・ウィーラセタクンの「Tropical Malady」というのは観ましたが、摩訶不思議な作品でした。 読書は以下の通り。 竹熊 健太郎『篦棒な人々ー戦後サブカルチャー偉人伝』 ボブ・ディラン『ボブ・ディラン自伝』 田山花袋『蒲団』『田舎教師』『禮拝』『百夜』 トマス・ピンチョン『スロー・ラーナー』(最後まで読まないでなくしてしまった) 川上未映子『わたくし率 イン 歯ー、または世界』 こんなところです。 2008年 03月 04日
情況がいよいよ錯綜して来てしまって、福岡に行くという決定も、行かないという決定もしづらい様子なのです。結局、どうすればバカを見ないで済むか、損をしないで何かを得るかなどと、はかりながら動いて行くしかないのかな。こういう情況なのだというのを書いてみたいけれども、それはインサイドの出来事ですからね、あまり公には出来ません。
で、日曜日のことですけれども、この日の午前中は竹橋の近代美術館の企画、『わたしいまめまいしたわ』を観て、そのあとは午後から、世田谷パブリックシアターでのサイモン・・マクバーニ−演出の『春琴』観劇予定。 渋谷から半蔵門線。九段下で東西線に乗り換えて竹橋までと思っていたのだけど、半蔵門の駅に着いた時に急に、そこから歩いて行きたくなって、ふっと電車から飛び下ります。で、千鳥が淵なんかの遊歩道をぶらぶらと歩きながら、でもまだ春にはちょっと早いし、このあたりはそれこそずらりと桜並木なのだけれども、その桜のつぼみもまだあるようなないような景色で、あたりはジョギングするトレーニングウエア姿の人たちにあふれ、みんな勤勉だなぁと感心しながら武道館の方に曲がり、科学技術館のわきを通って近代美術館到着は開館10分前。エントランスを見ると、「本日は観覧無料日」との掲示が。って、先日180円で買った前売券がさっそく無駄になってしまって、それはみるまに180円の大きなしおりに変身し、こうしてわたしはまたしてもバカを見て損しちゃったのです。 『わたしいまめまいしたわ』はもちろんなかなか良い意味合いの回文で、副題は「現代美術にみる自己と他者 Self/Other」。わたしにとってのメイン展示は、その副題の「Self/Other」にきわめて近い、牛腸茂雄の「SELF AND OTHERS」全60点展示、それから澤田知子ちゃんの「ID400」。「ID400」は以前にも観たことがあるけれど、やはりその印画紙の前に立つと負ける。牛腸茂雄さんのは現物を観るのは初めて。明確なコンセプトを写真自体がずらして行くようなところがあって、やはり全60点を見ないとその狙いは解らない作品なのです。で、そのうちの一点、四角い部屋の真ん中にテーブルがあって、そのテーブルの上に徳用マッチ箱、壁にはシタールとかが掛けられている喫茶店のようなスペースの奥にウエイトレスみたいな女の子が座っている写真、この場所って、絶対に高円寺に昔(30年以上前!)あったロック喫茶「ジェファーソン」なのだと思うんだけれども。ちょっと確信が持てないので牛腸さん本人に「ねぇ、これって高円寺のジェファーソンでしょ?」と聞いてみたいのだけれども、牛腸さんはもういない。 あと記憶に残ったのは、高嶺格さんの、「シュヴァンクマイエルがなんぼのもんじゃい!」とケンカを売っているみたいな映像作品とか、コレもやはり映像作品キム・スージャさんの「針の女」という作品。大嫌いな梅原龍三郎の自画像(どんな絵心のない人が描いても、コレ以下の絵は描けないでしょう。そういう意味では貴重かも!)が展示してあったのは、早くゴミ箱に捨ててほしい。 近代美術館を出てそのまま日曜日の神田神保町まで歩き、ちょっとだけ古本屋探索。わたしの行く店は三軒ぐらいしかないし、そのどこも日曜日も開いてるからいいの。古本屋というわけではない「日本特価書籍」で、ゾッキ本になってしまっているピエール・ガスカールの『博物学者ビュフォン』を購入。その平台に夢野久作や久生十蘭の全集(新本)がすっごい定価割れして山積みされていてびっくりしたけど、そうだ、三一書房は倒産してしまったんだった。中井英夫の作品集もメチャ安で置いてあって、ちょっと欲しくなった。 また神保町から半蔵門線に乗って、そのまま三軒茶屋まで。世田谷パブリックシアターに上がって行くと、立ち見の当日券狙いの人が列を作っていた。いちおうパンフレットを買って観劇。ま、『陰翳礼讃』だから、どうせ舞台を暗くするんだろうとは思っていたけれど、畳は出てくるわ、映像は障子にうつった木枝だったりと、おもいきり日本趣味。幼少期の春琴に人形を使って、そののちの春琴を演じる深津絵里とかがそれを操るのとか、影に隠れていても出ずっぱりの役者たちがそれぞれ黒子の役を果たすのとか、ことばにすれば陳腐だけれども、演出がしっかりしているので堪能する。全体の構成がラジオドラマの収録ということにして、役者さんの「声」の力が大きな舞台だった。視覚的には、篠田正浩の『心中天網島』とか、吉田喜重の『エロス+虐殺』を思い出す。三味線の音にも惹かれたけれど。 2008年 03月 03日
とは言っても心は揺らぎます。このまま福岡に行ってしまおうか? そういう選択も現実味を帯びて迫って来ます。福岡に行って何もお金使わないで貯金して、また東京に戻って来て、飲み屋でも始めるというのも良き老後であるとも思う。って、いちどそういう道を選ぼうとしてやり損ねたことあるし。うん、やり損ねたことをもう一度やろうとするのは、悪あがきだな。
金曜日の夜中に目が覚めてしまって、また眠って土曜日の朝に目覚めると、なんだか鼻水が出てね、風邪っぽい。きっと夜中の目覚め方が悪かったのだと思うけれど、こういうふうに鼻水あたりから始まる風邪は悪化させない自信がある。 土曜日の午後から東京に出かけ、この夜は三茶のシアター・トラムにてイデビアン.クルーの踊り姫、斉藤美音子さんの「独舞」、『手すり』。東京への電車の中で山崎ナオコーラさんの『浮世でランチ』を読み始めたら、主人公が転職する話で、しかも手すりにさわるという感覚が、思いきりフロントに持って来られていた。 斉藤さんの舞台にはヴァイオリニストが登場して、それが斉藤ネコさんで、なんだよ、名前がほとんど同じだからかよ、って、どれだけあの音楽が効果的だったのかなどと、正直言ってちょっとあれこれと消化不良になる舞台。 終演後のアフタートークのゲストが、ジョセフ・ナジの作品(この時の斉藤さんがとっても魅惑的だった記憶があるのでこの日の舞台を観に来たのですけれどもね、わたしには軽く空振りでした)で斉藤美音子さんと共演した黒田育世さんで、司会がイデビアンの井出さん。この噛み合わない司会ぶりがいちばんおかしかった。 アフタートークが終って客席の階段を登って行くと、いちばん上に黒田さんの音楽やってる(と言うにとどまらないのですが)Mさんがいて、しばらく外でタバコ吸いながらお話しました。 Mさんとお別れしてバスで下北沢に出向いて、Recofanを見てまわって、Frank Zappaがサタデイナイトライヴに出演した時の音源とか、Richard Thompsonの昔持っていて処分してしまったアルバムの紙ジャケ盤とか、なんだかあれこれと買い込んでしまいました。で、また「G」に足を運んで、Frank Zappaのとかかけてもらうと、えっとこれは最強のメンバーの時の音源で、テリー・ボジオはドラムだし、とにかくラス・アンダーウッドのマリンバが入ってるし、ブルース・ファウラーとかのブラス・セクションもばっちり。ちょっと興奮しました。 で、この夜は久々に渋谷のカプセルホテルなどに宿泊し、ゆっくりと風呂に入って、すっかりあたたまって繭の中の孵化する幼虫のように、ぐっすりとあたたかい眠りにつきました。これで日曜日は風邪も全快しているでしょう。 2008年 03月 01日
わたしはあれこれと妙な生き方をして来ているなという意識はありまして、そういうことの中のひとつに、戸籍上の改名というのがあります。だから名前を正式に変えたのです。
わたしの親の事はまたいづれ書きますが、つまりは変な親でした。だからこういうことになってしまったと言えるのですが、とにかく変な名前を付けられました。わたしが生まれた時の戸籍上の名前は「小坂荘厳」といいます。素直に読める人は手を挙げて下さい。「そうごん」とか「そうげん」は違います。わたしの人生で出会った人の中でただひとり、高校の時の世界史の先生だけが、正解を導き出しましたね。 小さい頃はそれなりに、偉そうな名前だとか思わないわけでもなかったのですけれども、やっぱりおとなになるとこういう名前は不便だわさ。つまり、漢字で書いてもらう時に説明する煩わしさ、そして、すでに書かれている文字の読み方を言う煩わしさ。学生時代であればそういうこともあまり苦にはならなかったけれども、とにかく社会人というんですか、そういうのになってしまうと、いちいち説明しなければいけないんですよね。「あの、べート−ヴェンの『荘厳ミサ』ってあるじゃないですか、あの『荘厳』って書くんですけれども」などと説明しても、その相手が「荘厳ミサ」を知らなければ、ものごとは錯綜します。ま、つまりは他人への嫌がらせみたいな名前です。特に、これ、手書きで縦書きすると、漢字ごとにだんだん画数が増えてくるので、二等辺三角形とか、下手すると正三角形ぐらいのスペースになってしまう。「小」という字が最小単位(「八」には負けるけれど)で下に拡がってるし、「厳」がまたコレだし。ま、末広がりは縁起がいいのだという言い方はありますが。 二十歳ぐらいの時に、何かの拍子におやじにね、「オレの名前って、失敗だったんじゃないの?」って直接聞いたことがあって、そしたらおやじが「うん、失敗だった」って答えやがって、って、冗談では済みませんよという世界なのですが、その時から「もうこの名前は使わねぇ」と決めたのですけれども、さすがに戸籍名から正式に変えてしまおうという発想は、その時にはありませんでした。 名前を変える、その新しい名前を自分で決めるというのは、かなり勇気のいることで、姓まで変えて完全にペンネームみたいなのならでっち上げられるのですが(そういう名前をつけて通したこともありましたし、その時のペンネームには今も愛着があります)、ま、姓はそのまま残してというのはなかなかね、やっかいなんです。その二十歳ぐらいの頃は、「美都治」というので通していたこともあります。これは両親の名前をくっつけただけ。つなげると思いのほか気恥ずかしい名前なので、あまり使いませんでした。 だから美術作品を発表するようになって、その、自分で自分に名前をつけるという行為の重さには耐えられなくて、なんだか自分の人生をそこで自分で決めてしまうような気がして、そこは姓名判断の専門家にお金を払って決めてもらいました。その第一弾は「龍輝」だったな。ふん、わたしの責任ではありませんよ。その姓名判断のボンクラがいけない。これもイヤで、結局、何がきっかけだったのか、もうこの際正式に改名しましょうと、きっと何かあったのだろうけれども、調べて、家庭裁判所に「変更許可申立」というのをいたしまして、その時にはもう、出来るだけシンプルにしたいと思っていて、でも自分で名付けるのはイヤでやはりそういう姓名判断のアレにお願いして、現在の「圭司」っちゅうのに改名したわけです。 結局、この「改名」のあとに、親戚から「親から授かった名前を捨てた」という批難を、直接いただきましたね。ふん。勝手に言えばいい。 その時の家庭裁判所の結審の書類、「審判」のコピーは、今でもなんだか大事にとってあります。って、改名っていうのはそれほど大変なことではなくて、例えば「通称」としてずっとこういう名前で生活してるんですとか、そういう実績を作れば、おそらく必ずどんな人でも改名は出来ます。ただ、姓を変えるのは容易くはないと思いますけれども。ね、勝手に「ありすがわ」とか「島津」にしますというわけにもイカンでしょう。 今その審判の書類を出してみたら、日付けは「平成2年11月29日」になっています。つまり、「小坂圭司」という人間はまだ18年ぐらいしかこの世に在籍していないのです。って、そうか、成人していなかったのか。 という、改名の話でした。はたして、「小坂荘厳」、いったいどんな読みだったのでしょう? 2008年 02月 29日
それはほとんど「事件」というか、そういう宿命の下に生まれた来たのだよというか、またもや不条理な出来事が起きるのです。
今年になってちょっとだけ、そういう事は職場でほのめかされていたのですけれども、こんなに急に、猶予もなく決定してしまうとは全く考えてもいませんでした。‥‥つまりですね、わたしの勤めている宇都宮の某大企業の中の、その設計部署が、すべてそっくり、この4月1日(「しがつ・いっぴ」と発音します)から福岡に移転してしまうのです。福岡って、博多駅のすぐそば。って、あと一ヶ月? いちおう、すぐにわたしはお払い箱というのではなく、その福岡行きの人員の中にカウントされてるんよ。一派遣社員にとっては名誉なことに。それで、28日はわたしの誕生日だというのに、わたしの所属する派遣会社の営業マンが職場にわたしを訪ねて来て、つまりは福岡行きになった時のあれこれの条件を伝えてくれるわけです。もちろん引っ越し費用はむこうが全額負担してくれる。それプラス家賃の補助、赴任手当ての支給などなど。つまり金銭的にマイナス材料はない。 しかしやっぱり、こうしてふらっと週末の休みに東京とかに出かけられることからも、この下館という土地を選んだのであって、その、いろいろな知り合いとか友人知人だな、そして秘密のカノジョとかとこれ以上はなれてしまうのはやっぱり考えてしまう。ま、移転しても2〜3年の辛抱、またこちらに戻ってくるさ、などと考えても、その2〜3年はやはり、今のわたしにははかり知れない時の長さに思える。東京に出て来ようとして飛行機を使えばそれなりに金がかかるし、カノジョにそれほど会えなくなると(ま、今でもそんなに頻繁には会っていないのだけれども)、なんだか博多の街でフ〜ゾクとかにはまってしまう可能性もある。そうすると収入の増加した分が、そんなこんなで消えてしまわないか? それに、今日になって、どうやらわたしが頭数に含められたのは、社内での政治的な駆け引きの道具にされている気配も読めて来た。つまり、転属になる人たちが、その中で自分(たち)の要求を通すためのひとつの条件として、わたしも福岡に呼ぶという案件が加えられたに過ぎない気配なのです。だから、はい、呼ばれましたからといって、へこへこついて行くと、その先に尚、わたしという存在は、そんな社内抗争の端的な現象になってしまうにすぎないのではないか。「なんだよ、本気にしてついて来たのかよ」とか、「こいつがそのアイツらの要求のひとつなのか」とかね。昨日の派遣会社の営業マンの応対も、「これは栄転ですよ」という言質も気に入らない。だいたいわたしは、今の派遣会社の姿勢が非常に気に入らないでいるわけですし。つまり「おまえはオレたちが職場を探してやったのだから働けや!」という姿勢ばかりで、こちらの労苦には基本的に無関心。出来れば縁を切りたい連中だ。 だからやはりまた、「転職」という道を選びますか。となると、しばらくは失業保険で暮してみたい気もします。とにかく90日分はバイトで稼ぐのと同額ぐらいのお金がもらえるんだから、これは是非ともやってみたい。でもネックがあって、国民健康保険だな。今歯医者に通っているから当分はその治療費がかかるし、ま、国民健康保険は、代替手段のない場合は強制加入だし。そうするとその自治体ごとに定められた税率にしたがった保険税を払うことになるのだけれども、この筑西市は、次の4月から、国民健康保険税の税率を28パーセント(!)もアップする法案を市議会に提出するというのをニュースで知ったばかりなのだ。下手したら月5万円だな。バカげているけれども、これが日本の現実なのだよ。つまり、月に5万円とかの健康保険税を支払えば医療費は個人は3割負担で済むんだ、なんて言ってみても、あなた、全額負担であったとしてもそんな国民健康保険のために払い込む金額よりは、絶対に、はるかに安く済むんですけれどもね。 うん、退職して今の社会保険から脱退して、その国民健康保険に加入しなければならないのだったら、「いやです。全額自己負担で結構ですから」と言って、国民健康保険への加入を断ろうかしら。それはできないのか? 不思議な税制だなぁ。 2008年 02月 27日
というわけで日曜日。午後からBフレッツの工事があるので、とにかく急いで帰宅します。ふむ、もう春が来たような暖かい陽気で、窓を開け放っても気持ちがいいのです。洗濯をして掃除をして、多少は浄化されたような気持ちになります。
で、午後になって工事の方々が到着して、配線工事着工。約1時間で終了。いやどうもごくろうさまでした。さてさてと先に送られて来ていたCD−ROMで接続設定をしようとするのですが、なんだかその設定ファイルをインストールしようとすると、パソコンがフリーズ。これが何度やっても同じなので、たまりかねてNTTのサービスセンターに電話。って、ウチの場合はMacのOS9.2なのだけれども、どうやらこれはそもそもそのCD−ROMのファイルは使えないようなのだ。そうならそうと一言、マニュアルに書いておいてほしいものです。で、オペレーターの優しい声のおねえさまに親切に教えていただいて無事開通。 って、とにかく読み込みとかものすごく早くなったんだけれども、楽しみにしていたYOUTUBEが見ることが出来ません。どうやら旧型のFlash Playerが悪さをしているようです。いろいろやったけれどダメ。ま、いいや。またヒマな時に。 で、今月はまったくDVDを観ていなくて、とにかくTSUTAYAで借りっ放しになっているのを観てしまおうと、夜になってから横になって見始めるのですが、案の定そのまま眠ってしまいました。夜中に目が覚めたりして、あらら、寝ちゃったよ、なんて思ったけれど、えい、ままよとばかりにまた眠ります。 2008年 02月 25日
アカデミー賞、多少は興味があるのですけれども、今回はなんと、助演女優賞にティルダ・スウィントンさまが選ばれてしまったようで、なんつうか、うれしいです。ま、『ナルニア』なんかで受賞したりしたのだったら、うれしくもなんともないけれども。
さて、23日の土曜日ですけれども、まずは歯医者へ行って、これからしばらくは左奥歯の神経の治療。麻酔がさめたあと、いまでも奥歯でモノを噛むと飛び上がるほど痛い。 新宿へ出て、最近買っていなかった『BIG ISSURE』を、いつものおじさんからまとめ買い。このおじさんも『BIG ISSURE』の販売員からキャリアアップなされてほしいなどと思ったりするけれども、やっぱりその先は大変なんだろうな。一日50冊売れると8000円かァ。コンスタントに50冊売るのは相当ムリがありそうだし。 で、このあとはYちゃんと待ち合わせして、六本木・森美術館での「UBSアートコレクション展」。チケットショップで前売券を売っていないものかと新宿西口をみてまわったけれど、どこにもない。でも、近代美術館の「わたしいまめまいしたわ」のチケットがなんと180円。それと、MOTアニュアルのが680円と合わせて購入。ポツドールの新作のチケットがこの日売出されるのを思い出して、チケットぴあで購入。ついでに森美術館の前売でも当日券でも扱っていないのかと聞いてみたら、前売があった。1200円だったので美術館窓口で買うより300円得した。 新宿の駅でYちゃんと遭遇して、大江戸線で六本木。駅のそばの比較的安いレストランでランチを食べて、六本木ヒルズ。美術館の前にひとしきり展望台からの眺めを楽しんで、この日は曇っていたけれど、なんだか横浜の方が黄色く霞んでいて、廃墟をさらした旧都市の姿のように見える。あとで考えたらあの黄色い空は「黄砂」の到来なんだった。砂の中に農薬とか入ってなければいいのだが。 「UBSアートコレクション展」は、正直言って少々期待外れ。って、実はわたしはデミアン・ハーストの作品目当てだったのだけれども、あぁ、この作品でしたか。あのパステルカラーの水玉模様のヤツだわさ。ま、あまり時間もないので、会場にいっぱい置かれていたパソコン(iBookだわさ!)を観ている時間もなかったけれど。えっと、全体に写真作品に心惹かれるモノが多かったです。宮本隆司さんの阪神大震災の写真とか。会場内のショップにはそのデミアン・ハーストの画集があれこれ置いてあって、やっぱ今回の目玉ッちゅうか、おそらく彼の作品が日本でちゃんと公開されるのって初めて??? って、例の人頭骨(つまり「しゃれこうべ」)に一面にダイヤモンドを貼りめぐらせた、「世界で一番高価な美術作品」の、ブックレットを売っていましたね。 さて、外に出るとものすごい風。これがつまりは今年の「春一番」だったそうです。知らなかったけれども、電車なんかみんな止まっちゃうぐらいの風だったそうな。 で、渋谷に移動して、映画。ハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』。映画のドラマ性とドキュメント性を、リアルさとフェイクの間で見事に横断し、ハーモニー・コリンを含め出演者たち(レオス・カラックスとかヴェルナー・ヘルツォークとかその他)の映画人としての実人生をも照射するような、やはりハーモニー・コリンは並の映画作家ではないことを再確認出来る、素晴らしい作品でした。 映画のあとは居酒屋。映画館の外に出ると風も納まっていたので、ちょっと宮益坂の方まで。知っている店が休みだったのでチェーン店で我慢する。でも、今はチェーン店でも料理とかびっくりするぐらい美味だったりするし、この日に行った店も、食べ物はたいていおいしくて、しかもものすご〜安。 Yちゃんとは10時になる前にお別れして、この時間ならわたしもギリギリ帰れるなと思ってJRに乗ろうとしたら、湘南新宿ラインは運転を取り止めているとのアナウンスがあったので、やっぱり帰れない。 だからまた下北沢に出て「G」。カウンターに座るとすぐにギタリストのAさんが来た。実に久しぶりにAさんと会話。つい先日までアメリカ・ツアーされていたそうで、おみやげのレコードはなぜかDylan Thomasのポエトリー・リーディングのレコードだったりして、しかも自分の詩ではなくてThomas Hardyの詩なんかを実に格調高く読み上げていらっしゃった。ちょっと退屈。で、わたしの持っていたAlex ChiltonのベルギーでのライヴのCDをかけてもらう。AさんももちろんAlex Chiltonを知っていて、「いつ頃の録音?」と聞かれて、3〜4年前のだよ、と言ったら、「とても3〜4年前とは思えない」とびっくりされていた。このCDは他のお客さんも気にいって下さったようです。AさんにEspersの近況などの話を聴いたり(AさんはEspersのメンバーと知り合いなのだ!)、コソボ独立の話(Aさんはコソボでライヴをやっているのだ!)とか聴いたりとか、あれこれあれこれ。そのうちに昔カウンターの中にいたKさんがやって来て、Kさんはもうじき結婚されるのですね。そんな話とかしながら、夜は更けて行きます。 2008年 02月 22日
今週は、宇都宮線で2回も踏切事故がありました。
最初は月曜日の夜で、岡本の駅10時15分頃の電車に乗って、宇都宮の駅に着こうとする時に車内アナウンスで事故の知らせ。宇都宮駅と雀宮駅の間の踏切で事故ったらしい。一電車早いのに乗っていたらきっとわたしの乗っていた電車だったのだろう。で、復旧して電車が動き出すのは午前0時の予定だと言う。駅の掲示板にも「復旧予定時刻は0時00分』なんて、いやに細かく出てやがる。本当に予告通りに0時00分ピタリに動くのかよ。って、0時までのそんなに長い間、こんな宇都宮の街になんかいたくないやい。また以前のように代行タクシー出して下さいよぉ、と、駅員に詰め寄りますが、今回は首を縦に振ってくれません。なんでも、上野からかどこかからの指令がないと出来ない、こっちには決定権はないのだとか。去年の代行タクシーのあとで、勝手にタクシー出したことが問題になったのかもね。 しっかし、困ったなぁと思っていると、まだ動いている新幹線、そいつは普段は小山の駅は素通りするんだけれども、この夜は在来線の代行としてその小山駅にも停車することにしたよう。OK、グッドであります。てなわけで、新幹線。ゆったりと座れて帰れました。在来線だと宇都宮から小山まで30分近くかかるのですが、そこはさすがに「新幹線」、わずか10分で走破してしまうのです。余裕で水戸線の最終電車にも間に合い、ふふ、ちょっと得した気分になってしまいましたね。 そんでもって、二回目は木曜日の朝。水戸線の電車が小山駅に滑り込もうとする時になって、やはり車内アナウンスで、小山駅と間々田駅の間の踏切で貨物車と乗用車が衝突したんだって。なんか、3日と置かずに同じ線区で同じような事故が起きるなんて、JRの皆さんも大変だったことでしょう。ねぎらい。しかし、小山の駅から間々田の方への途中では、火曜日だかも夜中に火事があり、小さな子供が二人も焼死したという、かわいそうなニュースを聞いたばかり。 ってえか、下館の駅でチャンとアナウンスしてもイイじゃないか。小山の駅に着こうとする時に急に聞かされて、心の準備が出来ていなかったよ。しかしそこは前回の事故からまだわずか三日。ふふ、そうですよ。今回も宇都宮まで新幹線で代行サービス、だったのです。ま、朝のラッシュ時で小山から宇都宮に行く人はかなりいますから、この朝は新幹線車内で座れませんでしたけれども、とにかく10分で着いてしまうのですから、立っていてもさほど苦にはなりません。 そんなわけで、今週は二回も新幹線に乗って通勤をしてしまいました。二年間この路線を使って来て、それなりに事故とかで遅れたりしたこともあったのに、いままで新幹線での代行って一度もなかったのにね。これからはどんどんやって下さい。人が傷つかなければ、週に一回ぐらいは事故ってもいいですよ、って。ウソウソ。安全運転を心掛けて下さい。 読書は『スロー・ラーナー』はちょっとお休みして、こんどの芥川賞を受賞された川上未映子さんの前作『わたくし率 イン 歯ー、または世界』を読了。いくつものエクリチュールが戯れ合って、「コギト」の問題を実体化して行くような小説で、タイトルはイヤだったけれども、読み終えると納得。独特の強引な才能のある人だと思いました。ちょっと彼女の音楽も聴いてみたくなったり。 2008年 02月 20日
アラン・ロブ=グリエさんがお亡くなりになられたそうです。まぁいろいろとお世話になったお方でした。って、あのころのヌーヴォー・ロマン全盛期の小説って、今はもう、たいていが入手困難なんですね。なぜかビュトールだけが岩波文庫とか河出文庫とかになっているのに、ロブ=グリエの本っていうのは今どんなのが手に入るでしょう。『ニューヨーク革命計画』とか、『快楽の漸進的横滑り』とか、中期の小説もまた読みたいのです(当時読んで全く歯が立たなかった!)。この人は、あの『去年マリエンバードにて』だけではなくて、自分で監督した映画作品もかなりあるはずです。昔どこかの配給会社が彼の監督する『囚われの美女』を一般公開するという、まことにもって勇気ある行動をとって下さったおかげで、ま、とにかく観れたのよ。彼の映画。動くマグリットみたいな映画でしたが。
さ、去年古本屋で買った『嫉妬』、大掃除したら出て来たのでまた読んでみましょうか。 先日までは、BOOK−OFFで105円で買った日本文学全集の端本、「田山花袋」の巻を読んでいました。『蒲団』はめちゃおかしかった。『田舎教師』が、読んだ中ではいちばん良かった。最後の、新聞に連載された絶筆、『百夜』はひどかったな。自分の事書いていればそれで小説になって、それで金になるというつまらない世界。 今は、トマス・ピンチョンの短編集『スロー・ラーナー』。理工学と文学の出合いはやはり(解らないとは言えども)面白いです。 さて、ついにわが家に光通信といいますか、フレッツが開通いたします。今はとにかくダイアル・アップですからね。YOUTUBEとか観ようと思ったら、ダウンロードに何時間もかかるのですよ。こんどの日曜日がその工事なので、だから大掃除で忙しいんです。しっかし、フレッツにしたら、こんどは現在のわたしのパソコンの性能が問題になってくるのでしょうね。えっと、ごく初期のiMacですからね。OSは9.2。フレッツ申し込む時に、「マックの9.2では動作保証はいたしかねます」なんて言われてしまいましたし。 しかし仕事が忙しい。 2008年 02月 18日
クルマにぶつかりそうになりました。人と話をしながら歩いていて、そこが横断歩道だとも気がつかないでいたら、急に相手が「あ、だめだ」って道の途中で引き返して、見るとそれは赤信号の横断歩道のほぼ真ん中。一瞬こちらに進んでくるヘッドライトが目にはいって、情況は相当ヤバい。引き返す神経が急には働かず、ダッシュでクルマの前をすりぬけて、横断歩道を渡ってしまいました。クラクション、そりゃ鳴らすよね。あ〜コワかった。
で、これは16日土曜日の横浜。この日はBankART1929での神村恵カンパニーの公演と、そのあとは同じBankART、こちらはNYKの方で、伊藤篤宏さんのExhibition & Live、といううれしい二本立て。 というか、この日は、部屋を片付けなければいけないという緊急指令が発生したので、ギリギリの時間まで下館の部屋のお片付け。とにかくゴミ屋敷。すごいのはあちこちから靴下がどんどん出土されてくることで、とにかく「靴下がない」と思うと、すぐに買ってしまいますからね。で、しかも基本的に皆黒系の靴下だから、こうして発掘されてももう、組み合わせがわからないのですね。それこそこのあとは考古学的作業、その本来の組み合わせを発見していく作業が待っています。手がかりは微妙な色の違い、織り方の違いとか。でも、サイドに模様があれば重要な手がかりになります。 腰を少し落として演じられる神村さんのカンパニーのダンスは、やはりいつものようにダンスのグルーヴ感などからは遠く距離をおいて、まるで武術の稽古のようです。なぜか先日の大橋可也さんの公演を思い出しましたが、それがどういうことなのか考えてみて、また別に書いてみましょう。 で、会場でお会いしたSさんとかといっしょに次の会場に向かう途中で、そのクルマに轢かれそうになったのですけれども、ま、そういうこともあります。 さて伊藤さんの展示&ライヴ。なぜかこの半年ほどの間に三度目の伊藤さんのオプトロン。でも伊藤さんの作品を観るのは、あの「六本木クロッシング」以来でしょうか。ちょっと「はてな?」な作品群。で、この日のライヴは「Optrum」名義。去年の暮れにわたしが観たのは「Off Season」だから、別ユニット。その前に伊藤さんのオプトロンのソロ。なんだかすっごいポップ。先に造り込んである素材音をコントロールしながら、オプトロン自体はほとんどリズム楽器。わたしはもっとノイジーでインダストリアルなのが好みだけれども、これはこれで楽しかったですね。 休憩をはさんでの「Optrum」はドラムとの二人ユニットなんだけれども、スケルトンなバスドラんとこにレーザー光線とか仕込んであって、音に合わせて緑のレーサー光線が会場を飛び交う。なにこれ。しかもドラムの進揚一郎さんのかけたメガネにも、その視線方向にやはり緑のレーザー光線。なにこれ。うんまぁこれはこれで。 終演後下北沢に移動して「G」。Mike Oldfieldの「Tubler Bells」(って、綴りが違う???)をリクエスト。だいたいわたしが聴きたいと思うものはたいてい揃ってますからね。ライナーノートを間章が書いているぼろぼろの国内盤で聴かせていただく。カウンターのとなりに美術作家さんらしい二人組がいらっして、ジャケットのチューブラ・ベルの絵が「又」の字みたいだとか、やっぱ「エクソシスト」を思い浮かべるよねとかそういえばリンダ・ブレアーはどうしたのかとか盛り上がる。 また最後まで居残って、居合わせたオーナーのIさんのオーナー談議に付き合う。FさんSさんご苦労さまです。 掃除が残っているので、日曜日は早々に下館に帰宅。ほんとうは何か映画を観るとか美術展を観るとかしたかったし、実は夜のシェシズのライヴに予約してあったんだけれども、とても無理。向井さんごめんなさい。 2008年 02月 13日
だから2月10日日曜日は、そのMさん宅の暖かい布団の中で迎えました。さいたまのヤン・ファーブルを観に行くというMさんといっしょに、午後になってから駅に向かい、そういえば昨夜の雪、みぞれはどこへいってしまったのか、おだやかな快晴です。
さてわたしの予定は吉祥寺シアター、2時からの大橋可也&ダンサーズ『明晰の鎖』。吉祥寺に到着して、その吉祥寺シアター近くのガード下のラーメン屋でまた坦々麺。おぉ、この店の坦々麺は鍋焼き風で、差し出された坦々麺はまだ煮えたぎっています。うん、かなり旨いっすね。こってりして。って、昨日のまずい坦々麺はいったい何だったのか。この日のこの坦々麺より高かったのに。 そのラーメン屋を出てシアターの方を向いて一服していると、照明のEさんだとかカンパニー主宰張本人の大橋さんとかのお姿が。で、会場に行くとすぐに、今年初めてお顔を合わせるSさんと。しばらくSさんとお話。で、開演。 舞台は大橋さんらしい問題意識が明確に示された作品で、音楽とか照明とか、その舞台の盛り上がりをサポートする演出にも惹かれて、演出自分なりにとても刺激を受けた舞台でした。終演後、客席の後ろの方に意外な人、ミュージシャンのMさんのお姿を発見して挨拶、ちょっと話する。考えてみればMさんのお家は吉祥寺に近いのでした。外に出て又一服していると、今回の音楽の舩橋さんがやってこられたので又ちょっと会話。今回はチューブラ・ベルズみたいだったね、なんて感想を言うと、それは意図していなかったけれど、マイク・オールドフィールドは大好きだし、意識下にあったかも知れないな、などと、とても喜んでくれました。ダンス自体の感想もちょっと語ると、それは大橋さんに直接言わないと、とかって大橋さんのところに連行されて、自白させられてしまいました。ごめんなさい、とってもよかったんです。もっといろいろお話したかったけれど、次の予定があるので皆さんとお別れ。 次は東京の反対側、新小岩劇場での花上直人さんの『人間洗濯機』(!)。その前に新宿で降りてHMVでお買い物。昨日話を聞いたVashti Bunyanの未発表曲集2枚組と、Linda Thompsonの新作と購入。新小岩駅まで向かい、ちょっと裏通りのひなびた洋食屋(「洋食」と書いた看板が出ている)で、盛り合わせ定食とビール。オーソドックスだけれどもまろやかな味で、そのいかにも食堂然としたたたずまいといっしょにお気に入りです。こんど新小岩に来たら又ここで食べよう。 江戸川区役所のそば、工場の上にある「新小岩劇場」に着くと、すぐあとにまたMさん。本当にこの頃はMさんとの遭遇率が高くて楽しいです。開演まで、昨日のヤン・ファーブルのことなどあれこれ語り合います。 さて開演。今回はちょっとね、臆面もないといいますか、そういう場面もありましたけれども、花上さんの舞台はやはり位相が違うのです。楽しませていただきました。 終演後、その劇場でいつものように飲み会になって、いつものようにわたしはその劇場に泊めさせていただきます。またもや暖かい布団。夜中にふと眼がさめて、果たして今わたしはいったいどこの旅館に泊まっているのか? なんてちょっと考えてしまいました。 月曜日休日の朝はまた日ざしのまぶしい朝です。花上さんとすみれちゃんの出勤を待って、ちょっとだけ仕込みの手伝いをして、下館に帰って来ました。駅を降りてスーパー「やましん」に行くと、野菜売り場に「たらの芽」とか、「菜の花」なんかが並んでいて、もう春だなぁなんて思ってしまいます。家への道も日ざしが暖かで、五行川の川沿いにはうんかのような小さな羽虫が群れていますし、ベンチには中学生みたいな制服の男の子と女の子が仲良く並んで座っていました。春。(今日のタイトルはぜんぜん春ではないのですが、花上さんの舞台、その休憩時間にこの曲がかかっていたので。) 2008年 02月 11日
スケジュール的におそらくはいちばん立て込んでいる、二月第二週の週末になりました。まず久しぶりの歯医者さんへ行って、下顎右側の歯列の補強工事の開始です。去年の暮れに奥歯を一本抜いて、その後ろにある奥歯ももうダメ、ぐらぐらしているのです。この部分を抜かして、残った歯でなんとか支えきれるようにしなければなりません。
治療後、そのまま宇都宮線に乗って大宮まで。少し雪。駅の近くの中華料理店で坦々麺とビール。残念ながら坦々麺はおいしくありませんでした。そんなに安くもなかったのに残念です。で、近くのBOOK−OFFに寄り道して、105円で買える本とかチェックします。まず、赤瀬川原平さんが20年以上前に「キネマ旬報」に連載されていた『妄想映画館』を発見。あとは特に買いたい本もなく、そういえばBOOK−OFFは詩集とか歌集はほとんど無条件に105円なんだよな、なんて思って詩集/歌集コーナーを見てみると、ほらほら、塚本邦雄の歌集『黄金律』美本(帯にもパラフィン紙が巻いてあって、キレイに保存してあるのです)が105円ですよ。信じられない。買っちゃいました。 そのまま今度は埼京線で与野本町。さいたま芸術劇場でヤン・ファーブルの公演『死の天使』。駅から歩いてさいたま芸術劇場の前に着いて、そこに掲げられた大きな看板は、康本さんと井手さんの『日本むかしばなし』のとか、蜷川『リア王』とか、終ってしまった公演の看板ばかりで、「だいじょうぶなのか?」と、さいたま芸術劇場の今後が少し心配になってしまいました。 で、荷物とかオーバーとか、劇場に入ってクロークに預けることになるんだろうけれど、わたしのオーバーとかよれよれで汚いからね、クロークの受付嬢に差し出すのも恥ずかしいので、下のフロアのコイン・ロッカーを使います。これが図らずも大金星といいますか、ホールに入ると、お客さんはほとんど皆、クロークに上着とか預けようとしてすごい行列になっていて、これだと終演後にまた皆行列になるわけだから、わたしはとっても賢い選択をしていたのです。 さて、その『死の天使』は、大ホールの舞台の上、四方を暗幕で囲った狭いスペースでの、「畳半畳」的空間で、わたしはねずみのように、こういう狭い薄暗い所が好きなので、胸がわくわく。公演自体も、みていてそこはかとなく疑問もあったのですけれども、まずは楽しむことが出来ました。感想はまた別に。 終演後は下の「映像ホール」で「videodance」、つまりセレクトされたダンスの映像作品を観ます。ここでまた、『死の天使』を夜の回で観るというMさんにお会いして、ちょっとあれこれとお話をしました。この日の映像作品プログラムは最悪で、ま、最後の「The Moebius Strip」というのはちょっとときめいたのですけれども、あとのヴァンデケイビュスのとかほんとうにウンザリ。イメージフォーラムのフェスティヴァルで外れの日に当ったみたいな感触。 観終って駅まで雪の中を早足で歩き、こんどは神楽坂まで。駅のホームでTさんにお会いして、電車の中であれこれと話を伺います。特に今度やってくる「リミニ・プロトコル」の話とか。これは行かなくっちゃ。 さて、神楽坂に着いて、die pratzeでのARICAプロデュース、首くくり栲象さんのソロ公演。で、わたしはてっきりこの公演は7時からだと思い込んでいて、会場に着いたのは6時40分。でも、die pratzeの前は真っ暗で、ひとっこひとりいません。え、ひょっとしたら8時から?などとバカなことを考えたりしながら、とりあえず劇場に電話してみようと駅の方に引き返して本屋に入り、「シアターガイド」とかを立ち読みしてしっかりdie pratzeの電話番号を暗記して外に出て電話すると、公演は6時から始まってるとのことで、もうほとんど終わりですよ。ま、せっかく近くまで来たんだし、終演後にでもあいさつしようとか妙なこと考えて、神楽坂をちょっと下って、左側の中華の店、「福竜」でしたっけ、そこで晩酌セットというの、ビールと餃子と五目焼そばのセットとか食べて飲んで、それからまたdie pratzeに行く。ちょうど舞台がはねたようで下の道からぞろぞろと人が登ってきます。その中にダンサー/ライターなMさんがいて、見つけられてしまって、「あれ、どこ行くの?」と尋問されてしまいました。 で、die pratzeに着くと、Aさんとかが受付の場所にいらっしゃっていて見つけてもらいました。我、発見されたり。そのARICAのいつものメンバーさんたちといっしょに、図々しくも打ち上げにまぜてもらって、いっしょに飲みました。久しぶりのSさんとかにもお会いすることが出来ました。で、つまりはほんとうはARICAの新作公演になるはずだった今回のスケジュール、Aさんの急病のためこうなってしまったのですが、そのAさんの手術までの苦吟難吟のお話とか伺ったり、楽器を変えたというSさんの話を聞いたり、FさんもAさんもなぜかVashti Bunyanをご存知で、この夜はその曲を掛けたりされたなどという話とか、あれこれといろいろな会話の連続でした。外に出ると雪、というか、霙(みぞれ)。 つまりそれで、この夜は、ARICAの企画担当Mさんちに泊めていただいてしまったのです。なんてあたたかなお布団! あまりの極楽に、たっぷり眼らせていただきました。本当にありがとうございましたです。 日曜日のことは又。 2008年 02月 08日
「わたしたちの家」という場合、これはわたしの父母とわたし、そしてわたしより四歳下の弟との四人、この一家族が「わたしたち」でした。おそらくわたしのもっとも古い記憶は、まだ赤ん坊の弟を背負った母といっしょに、駅から家への踏切のそばに立っている光景で、その母の着ていた「ねんねこ」の色とか柄、そういうのも憶えていますけれども、なんだか母の背中でその「ねんねこ」にくるまれて、その黒にちりめん模様のような赤い色の入っている生地の模様を、間近に見た記憶もあるような気がします。
駅から西に向かった道を進んで、坂を登りきった右側に、わたしたちの家がありました。ここのまわりは工場の廃虚でした。その工場自体の建物はもう取り壊されていましたけれども、道を隔てた反対側の小高くなった場所、そこの階段の上には、しばらくはその工場の事務所の建物が残っていました。で、わたしたちの家は、おそらくはその管理人の住居だった場所で、つまりはわたしの父はこの工場で働いていたらしいのです。わたしがものごころついた時には、父は線路の向こう側の鉄工所に勤めていたはずですが、その、わたしが生まれる前の物語がここにあったはずなのです。 真ん中に道路をはさんで両側にその工場の跡地が拡がっていて、その建物の柱の土台であったらしいコンクリートの跳び箱のような形の立方体が等間隔に並んでいました。それと、父からは「木型」だと聞かされていた、木製のいろいろな形の、かなり大きな変な形のあれこれが放置されていました。つまりそれがわたしの遊び道具でした。小学校に上がってからは、そんな木材を組み合わせて「基地」とか「家」なんかを作っては、中にこもったりしていました。嵩じては家の裏側の小山の中にまであれこれと運び込んで、隠れ家を作って遊んでいました。そのころの夢は、そんな隠れ家で夜を明かしてみたいという気持ちだったような気がします。 けっきょく、もうちょっと後になると、そんな空き地を母が耕地して、じゃがいもや茄子やかぼちゃの採れる畑にしてしまいました。 家の裏側の小山はその側面がくずれていて、柔らかい粘土質の赤土がむき出しになっていたのですが、土が柔らかいので掘りやすくて、わたしはひとりでその小山の側面の赤土を掘り崩して、トンネルを作るつもりでいたこともありました。あれを妙に掘り進んでいたら、山自体が崩れ落ちてわたしは生き埋めになって、もうこの世にはいなかったかも知れません。 わたしたちの家の向かい側をまた西に進むと、しばらくして下り坂になって、その炭住とか農家が軒を列ねるようになります。小学校はその先にありました。その下り坂になる手前、そこを左に行くと、明神池というそれなりの大きさの池がありました。わたしの父は釣りなどという趣味を持っていたという記憶はないのですが、いちどだけ、父が釣をするのについていって、この池のほとりで父の釣り道具をいじったり、エサのごかいをさわったりした記憶が残っています。父の釣りという思い出はこの時かぎりですから、きっと父に何か魔がさした時だったのでしょう。 直方市の東の境には、福智山という山がありました。直方の風景の原点には、いつもこの山の姿があります。市内のどこからでもこの山の姿を見ることが出来ました。記憶していますが、この山の標高は900メートルちょうど。この山の向こう側はもう小倉です。言ってしまうと、今わたしがこの下館に住むことを選んだのも、この土地から見える筑波山の姿が、その福智山を思い出させる所があるからなのだと言ってしまえると思います。筑波山の標高もたしか870メートルとかそこらあたりで、福智山とかなり近い所があります。 小学校の四年生のときの遠足で、この福智山の山頂まで登ったことがありました。で、これはわたしの記憶のねつ造なのかも知れませんが、その晴天の山頂からの眺めで、遠く四国の方まで見渡せた記憶があって、あれは何というのでしたっけ、佐多岬ですか、四国の西に飛び出したアンテナのような地形、その姿を「地図と同じ形してるよ」などと思いながら見た記憶があるのですけれども。可能ならばもういちど、その福智山の山頂を制覇して、あの時の記憶が正しかったのかどうか、確かめてみてからこの生を終りにしたいなぁ、などと考えることがよくあります。 2008年 02月 05日
二月第一週の週末は横浜から。バットシェバ舞踊団『テロファーザ』を、神奈川県民ホールにて。いや、すごく大勢のダンサー。数えてみたりしたら31人。これは文句なしに楽しい公演で、ああ何だかスッキリした。感想はまた別のところに書きたいと思っています。
終演後、Mさんと関内の「949」で飲んで食べて。「949」で飲み食いするのは始めてなのだけれども、料理類はおいしいものもありました。って、変な言い方ですね。うん、頭のキレるMさんとの会話は、ほんとうに刺激になって楽しいのです。遅くまで飲んで食べて、京浜東北線で東京方面へ。わたしは上野でMさんとお別れして、カプセルへ。 雪。 日曜日。カプセルホテルの誰もいない浴場から、外に雪が降っているのが見えて、理由はわからないけれども、満ち足りた気分になります。朝風呂という贅沢に雪見という贅沢がプラスされたというのでしょうか。 有楽町に出かけ、なぜかリドリー・スコット監督の『アメリカン・ギャングスター』を観ます。「ギャングスター」というのは「Gangstar」なのかと思っていたら、「Gangster」という綴りでした。コッポラでもスコセッジでもないリドリー・スコットは、それでも、コッポラでもスコセッジでもないからこそ面白いところがあります。感想は別に。 先週なくした「篦棒(べラボ−)な人々」を買い直そうと、教文館とか有楽町の三省堂とか行っても見つからなくて、しょうがなく雑誌コーナーで見つけた「BRUTUS」の現代アート特集号を買います。欲しい本が見つからないとしゃくなので、けっきょく雪の中を東京駅の方まで歩いて、丸善でようやく見つけました。って、単に「河出文庫」と「ちくま文庫」を勘違いしていたわたしが悪かったのです。 東京駅の雪。 その「BRUTUS」の現代アート特集号を読んでいて、90年代なんかは、わたしも主だったところはほとんどチェックしていたのだなぁと、あらためて感慨深いものがありました。というか、この2〜3年、やっぱ観るべきものがないのだわさ。でも、この(今年の)4月末から『ターナー賞の歩み』という展示が企画されていて、ついにあの、デミアン・ハーストの、『母と子』(まっぷたつの牛)の現物を観ることが出来るようです。って、近年ずっと観ている現代美術館の「MOTアニュアル」も、もう始まっている時期ですね。 『ボブ・ディラン自伝』読了。『篦棒な人々』読了。非凡な人の話は面白い。ボブ・ディランでは非凡ゆえの悩みが語られ、そして『篦棒な人々』の糸井寛二には、やはり圧倒されます。楽しい読書でした。 2008年 02月 02日
寒い‥‥。
っつうことで二◯◯八年一月のおさらいです。 舞台は演劇二つとダンス二つ。 ●1/12(土)『ダンスが見たい!』新人シリーズのどこかのプログラム @神楽坂die pratze ●1/13(日)芝居流通センター デス電所『残魂エンド摂氏零度』@下北沢ザ・スズナリ ●1/19(土)三条会『メディア モノガタリ』@下北沢ザ・スズナリ ●1/20(日)ニブロール『ロミオORジュリエット』@世田谷パブリックシアター 映画四本、うちグラインドハウス二本は名画座でまとめて。 ●『デス・プルーフinグラインドハウス』クエンティン・タランティーノ:監督 ●『プラネット・テラーinグラインドハウス』ロバート・ロドリゲス:監督 ●『いのちの食べ方』ニコラウス・ゲイハルター:監督 ●『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』ティム・バートン:監督 美術はなぜか写真展中心に。 ●アピチャッポン・ウィーラセタクン『Replicas』@谷中SCAI THE BATHHOUSE ●『ART@AGNES』@飯田橋 アグネスホテル ●日本の新進作家vol.6『スティル|アライヴ』@恵比寿写真美術館 ●『文学の領域』@恵比寿写真美術館 ●『写真ゲーム』@川崎市民ミュージアム 知り合いの楽しいライヴが一件。 ●2525稼業+高橋裕&鈴木新 『遊びの情景−ながいながい午後のために−』@川崎市民ミュージアム逍遥展示空間 読書。あと少しだった『篦棒な人々』は紛失してしまいました。 ●サミュエル・べケット『モロイ』 ●綿矢りさ『夢を与える』 ●松浦寿輝『川の光』 ●田中小実昌『田中小実昌紀行集』 ●森達也対談集『豊かで複雑な、僕たちのこの世界』 お正月はDVDばかり観ていて、長尺ものをこなしました。 ●ピーター・ジャクソン:監督『ロード・オブ・ザ・リング 旅の仲間』 ●ピーター・ジャクソン:監督『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』 ●ピーター・ジャクソン:監督『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』 ●デイヴィッド・リンチ:監督『デューン/砂の惑星 TV放映長尺版』 ●『ツインピークス』vol.1 vol.2 ●監督わからない『フェスティバル・エクスプレス』 ●クレイグ・ブリュアー:監督『ハッスル&フロウ』 ●ブリュノ・デュモン:監督『フランドル』 ●監督わからない『ロスト・イン・ラ・マンチャ』 ●監督わからない『GOOD TO SEE YOU AGAIN-ALICE COOPER LIVE1973』 さて、過密スケジュールの二月がやってまいりました。三月もすごいです。先の話ですけれども、十月の、「地点」によるチェーホフ四作品連続公演というのも、今から楽しみではあります。 2008年 01月 29日
覚え書き
1月19日(土)午後からYちゃんと、下北沢ザ・スズナリにて三条会の『メディアモノガタリ』。観劇後下北沢で飲む。焼酎をボトルで注文して、それをひとりで空にしてしまい、何かを失う。気がついたら独りで客のいなくなった「G」に居た。こういう飲み方はやめよう。「DORAMA」で『田中小実昌紀行集』購入。 1月20日(日)目がさめたら下北沢のカプセルホテルに居た。昨夜のアルコールはすっかり抜け、爽快ですらあります。しかしこのマフラーについた大量の枯れ葉は何? というかジャケットがない。青山のシアターイメージフォーラムで映画『いのちの食べ方』を観る。「G」に電話してこっそりと、ジャケットを忘れていなかったか聞いてみる。なかったので、最初の飲み屋に忘れたのだと判明。三軒茶屋にてニブロールの『ロミオORジュリエット』。終演後下北沢に行ってジャケット無事奪還。そのまま上野へ移動し、Mさんと落ち合い、「たる松」でまた飲む。日本酒旨し。9時40分頃の、わたしの家方面への最終になる電車で帰宅。 21日訃報。仕事を休んでIさん宅を訪ね、あれこれと話をする。25日までいつもの仕事。今週はひま。25日はその勤め先での新年会。こんどはワインを痛飲。帰宅する電車の中で寝過ごし、目覚めるともう引き返しても乗り換えに間に合わず帰れなくなっていたので、そのまま上野に出てカプセルホテルに宿泊。 26日、ティム・バートンの『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』。武蔵小杉に移動してバスで川崎市民ミュージアム。パティオでの2525(にっこにこ)稼業のライヴ。同じ美術館での「写真ゲーム」展初日。出品しているMさんにお会いして歓談。うちわのオープニングパーティーに誘われて図々しく参加。ドイツビールやワイン。2525稼業のHさんにも誘われていたので、かけもちでそっちにも。武蔵小杉駅近くでこんどはベルギー・ビール。最後は東急東横線で渋谷、そしてまたも下北沢に移動して「G」。ここでは基本的にハバナクラブしか飲まないわたし。HMVでErnie Grahamのソロ、Annette Peacockの紙ジャケ「The Perfect Release」、それから3枚組のすばらしい選曲のコンピレーション、「The Essential Guide To Folk」。濫費。読んでいた『篦棒な人々』、最後の糸井寛二の章を読み残してどこかで紛失。また買わなくては。 Hさんから2月の公演の案内。FさんにメールしたらFさんも次の週に公演。二月の第二週と第三週とは、週末が三日ぐらいないとやっていけません。Fさんごめんなさい。どうしてもスケジュールがたちません。 2008年 01月 23日
いろいろと考えて、これは前からやりたかったことなのですけれども、わたしの記憶の中にあることを、「思い出すこと」というカテゴリーで、脈絡もなく書き連ねて行こうと思います。生まれた時のことからごく最近のことまで。
その最初は、わたしが生まれて育った土地のことを書きます。 わたしが生まれたのは、福岡県の直方市という所です。「なおかた」ではなく、「のうがた」、音に出せば「のおがた」と発音します。わたしの記憶ではフラットに発音しますが、この街を知っている人には最初の「の」にアクセントをおいて発音する人もいるようです。場所的には福岡県のど真ん中のちょっと北、飯塚、田川を合わせた筑豊地方の北側に位置していて、この北側はもう北九州市になります。 ある時いきなり、「わたしはほんとうは作家になりたいと思っていた」と語ってくれた母から、林芙美子の『放浪記』の書き出しはこの直方の町について語っているのだということを聞いたのは、まだわたしがその直方にいた頃、つまり多分は十歳ぐらいの頃だったのではないかと思うのですが、母の話からその書き出しは「直方の町は穢い」みたいなのだと聞かされた記憶がありました。それは今確認してみると冒頭ではなく第二節の書き出しで、「直方の町は明けても暮れても煤けて暗い空であった。砂で漉した鉄分の多い水で舌がよれるような町であった。」から始まっていて、実際に林芙美子は十二歳の時に直方にちょっとだけ住んでいたようなのです。 文学関係で直方を捜しまわると、夢野久作はこの直方ではないのですが、かなり近くの出身で、彼の『犬神博士』の舞台はまさにこの直方で、そのラストのクライマックスは直方駅周辺を舞台にして繰り広げられます。五木寛之の『青春の門』なんかも舞台はかなりこのあたりに近接していて、映画で鶴田浩二が演じていた侠客の本拠地はこの直方ということでした。ま、そういった侠客などの多い土地でしたが、無法松の小倉などもすぐそばです。拡げていけばキリがありません。そういう中でちょっとうれしいのは、詩人の高橋睦郎さんも一時期この直方に住んでいたことで、しかもわたしと同じ「新入小学校」というところに通っていたのです。 「新入」は「しんいり」ではなく「しんにゅう」と読み、このあたりは「のうがた」からしてそうなのですが、地名の読みに一種独特な風土があったようです。その市の中央を南北に流れている川が「遠賀川」といいますが、これも「おんががわ」と読みます。その遠賀川の支流に「犬鳴川」があって、これも「いぬなきがわ」ではなくちゃんと「いんなきがわ」。ちなみに市の境に犬鳴峠(いんなきとうげ)というのがあって、その名前からもあるのでしょうが、ここは現在では日本有数の心霊スポットになっているようです。 やはり市の境に「頓野」という地名もあり、これはもちろん「とんの」ですが、遠賀川の東側の「感田」というのが「がんだ」というのはなかなか読めないでしょう。総じて「ン」の音が好きな地域なのでしょうか。その感田などの位置する遠賀川の東側は比較的裕福な地帯だったのですが、川の西側、わたしの育った新入とかのあたりは、農家とか炭坑労働者などが住む貧しい地域でした。 遠賀川の流れにそって、筑豊本線という鉄道が走っていて、その「直方駅」の真ん前には、大理石か何かで出来た、炭鉱夫が鉱山で石炭を掘っている姿をあらわした石像が建っていました。そう、このあたりは昔は「筑豊炭田」として、日本をブイブイ言わせていた地域でした。いわゆる「ボタ山」などもわたしの家の近くにあった記憶がありますが、もうわたしの物心ついた頃には石炭産業は斜陽になっていたと思います。小学校の同級生にそんな炭坑労働者の住む「炭住」と呼ばれるような家に住んでいたのもいましたし、その家に遊びに行ったこともありましたけれども、その見た目の貧しさは半端なものではありませんでした。貧しいというのではわたしの家も決してひけを取らなかったのですが、外で用を足す共同便所とか、ほんとうに壊れそうな建物、その薄暗さ、壁の汚れ、家の隙間、今でもなんだかあの黄色い裸電球の色といっしょに思い出してしまいます。 駅のすぐそばに高台があって、その頂上には、広い公園と、多賀神社というかなり大きな神社がありました。公園の奥にはまっすぐな塔が建っていて、おそらくは十メートルぐらいの高さだったのでしょうけれども高台の上なので遠目もひき、その塔の上に羽根を拡げたハトの像があったことを憶えています。おそらくは戦後造られた平和祈願の塔のようなものだったのではないかと思います。神社の方は大きな夏祭りがあって、あのあたりは「山笠」ですから、それはみごとな山笠が町中を引き回されるのを見た記憶があるのですが、町内会ごとに造られたその山笠の、わたしの住む新入地域の山笠のみすぼらしさは、今でもハッキリとあわれに記憶しています。それはね、ただのリヤカーの上に枯れ枝を乗せ、その枝に桃色の花模様の紙の切り抜きを貼り並べただけのものでした。他の町内会の豪勢贅沢な山笠のあとに、自分の住む地域のあまりに貧相なリヤカーを見た哀しさ、きっとあの時に感じた「わたしはめぐまれて祝福されるところにいるのではない」という思いは、おそらくは生まれて初めてわたしが知った、現実の残酷さだったのではないかと思います。 直方の駅を降りるとその石像のある駅前広場に出ます。そのまま東に足を向けると町の繁華街に出ますけれど、北に足を向けて狭い路地を抜け(この路地は小さなバーだとか飲み屋が軒を列ねるちょっとした風俗街だったのですが)、鉄臭い独特の匂いを放つ溝川沿いに歩いて、最初に突き当たった大きな道を左、いや西側に進むと踏み切り。そばには赤錆の浮いた鉄骨で出来た陸橋というか歩道橋もあって、そちらを越えようとする時に線路を蒸気機関車が走ると一瞬、その歩道橋の上が機関車からの白い蒸気につつまれて真っ白な雲の中に隠れます。小さい頃は離れた所からそんな光景を見て、いつか勇気を出してその蒸気の白い雲の中を駆け抜けてみたいと思ったものですが、それを実行したことがあったのかどうか、もうわたしの記憶には残っていません。 踏切を越えると左右には大きな工場が立ち並び、その区画の先には小さな平家建ての住宅と原っぱが並んでいて、すぐに駄菓子屋さんがありました。通りの北(右)側はこんもりとした雑木林につつまれた小山になっていて、南(左)側には小さな家が密集しています。その先は上り坂になっていて、その坂を上り切った所にわたしたちの家がありました。 2008年 01月 21日
土曜日曜と東京に出かけていて、日曜日の深夜に帰宅するとIさんから留守電が入っていて、SYさんが亡くなられたということでした。
わたしは正直SYさんが嫌いでした。彼に直接にその嫌悪感をぶつけたこともあったし、彼のやっていることのスタートはつまりはわたしの模倣でしかないではないかという気持ちもふるい切ることも出来ず、彼の過剰な自己顕示欲にも反発し、出来るだけ縁を切りたいと思ってもいました。でも結局、こうしてイヴェントを自力で立ち上げることも出来なくなっているわたしは、継続してインデペンデントなギャラリーを切り盛りされていた彼に、どこかで嫉妬していたのでしょう。 彼の訃報を聴いてこころが騒ぎ、やはりその葬儀には弔いの意を表したく参加したいという気持ちも沸き上がり、ちょうど仕事も一段落ついていたので会社を早退してIさんに連絡してみました。しかしこの日の告別式は午前10時からだったようでとうてい間に合わず、とりあえずは昨日通夜に行って来たというIさんの家を訪ねて、そのお話を聴くことにしました。 今になってもなお、わたしにはSYさんの選択した戦略には疑問もありますし、「継続は力なり」などという陳腐な言い回しで彼の活動を賛美しようとは思いません。でも彼は間違いなくわたしがある意味でリタイアした(ふん、全面的にリタイアなどしていませんが、)地点から引き継いで、わたしなどをけっとばして進んで来られていたのです。それで何を批判的な言説を言えたりするでしょう。 生き残ったものになにができるでしょう。そう問い詰められています。そしておそらくはわたしは何も出来はしないのです。こんなブログが何の力になるでしょう。ワニ狩り? そんな意欲も、今ではうすれてきています。もしも本当にわたしが今もなおSYさんを嫌悪しているのなら、その嫌悪をこそ糧にして生きて行く道を選択すべきでしょう。そのためにも彼の葬儀には参列しておくべきでした。 こんな日記を記述して満足していることに慣れ過ぎていました。しばらくはこの日記への継続した記述は差し止めて、どういう形にせよ「ワニ狩り」の方をこそ書き継ぐようにいたします。それこそがわたしの嫌悪したSYさんの死への献花にならんことを願うのです。そしてそこにこそ、わたしが生き残る理由が見つけられますように。 平安な、永遠の時間の中でお休み下さい。わたしには言葉が見つかりません。 2008年 01月 19日
天気予報で、日曜日は東京でも雪になるようなことを言っていて、それではこのあいだのこの地の積雪は珍しくも何ともなくなってしまうので、あわててアップいたします。まずは家の前の景観です。
こういうのは積雪0.5センチとか、そのくらいなんでしょうか。とりあえず白くなりました、そういうのもまたいいですね。 こういうタイヤの跡こそが、わたしにとって積雪のイメージです。それほどの豪雪地帯で生活したこともありませんし、思い出してみれば、谷中に居た頃の最後の年末にちょっとした積雪がありました。それ以来に体験する雪らしい(といってもかなり貧弱ですが)積雪です。ま、このくらいが電車も遅れたりしないでちょうどいいのかも知れません。 こんな様子では、もっと北にある勤め先のあたりではあたり一面真っ白になっているかな? なんて思っていたのに、そちらでは雪の降った気配はありませんでした。この雪は東京でも観測されたということで、やはり南関東と北関東では気候が違うのですね。TVのニュースでは、水戸のあたりではうっすらと雪が積もったのだというはなしをしていました。ここも水戸のあたりに含まれるのでしょう。 DVDで『ロード・オブ・ザ・リング』の最後の『王の帰還』まで観終って、これは面白かったですね。ものすごくイヤな作品だった『ナルニア』の『ライオンと魔女』とのこの落差はどこから来てしまうのか、考えてしまいます。で、そのDVDのエクステンデッド・エディションには、オーディオ・コメンタリーが4種類ぐらい、つまり、監督〜製作スタッフのもの、デザインチームのもの、ポストプロダクションのもの、出演者のものとかも収録されていて、観るのもたいへんです。つまり、この前の『二つの塔』なんか、まずは劇場公開版を観て、次にその要するにディレクターズ・カット版を観て、その次に監督〜製作のコメント付きでまた観て、時間があれば他のオーディオ・コメンタリーも全部やってみたいのですけれども、そういうのはまたのお楽しみにおあずけにいたしました。 本は『モロイ』をとりあえず読了し、綿矢りさの『夢を与える』もサッサと読み終わり、そうか、そうなってしまったか、それでは通俗的な金原ひとみではないか、などと思いながら、でもやはり文章力はある人だから一気にあまり違和感なく読み終えました。次に松浦寿輝の『川の光』を読んでいます。あともうちょっと。これもある意味、「そうか、そう来たか」みたいなのだよね。なにかもうちょっとアンビバレンツな視点を持ち込めば、小さな『指輪物語』にもなれそうな作品だと思いました。面白いけど。 では、週末の雪(なのかな?)の東京に飛び込みに行きます。 2008年 01月 17日
Windowsでこのブログを見たらレイアウトが崩れているので、それを何とか修復しようといじっていたら思いきり壊れてしまいました。で、バックアップを取っていなかったので元に戻せません。しばらくはこんな形で書かせていただきます。
って、これを書いているのは17日の夜なんですけれども、前に書いたように昨夜は雪模様で、この朝になると外は少しばかり雪化粧の世界でした。この地に来て初めての積雪です。写真とかはまた改めてアップします。まだ14日のことを書いていますので。 だから14日の月曜日、一般には「成人の日」として流通していますが、そろそろわたしには成人のトリプルスコアが手が届きそうな、危険なあんばいです。 『ロード・オブ・ザ・リング』とかの残りのDVDを観たりして、レンタルヴィデオの店に足を運ぶとこの日は中古CD半額セールで、そのエサ箱を漁っていると、意外にもミンガスの「直立猿人」やビル・エヴァンスの「アンダーカレント」などがころがっていて、それにシンディ・ローパーのベストとか、エディ・リーダーのソロとか、そして驚きはモーガン・フィッシャーの「Peacein the heart of the city」なんてぇのが転がっていたことで、これらまとめて5枚を買って千円ちょっと。 ついでにこの日はこの下館での「だるま市」の日なので、駅の北側に足を運んでその市の様子を見て来ました。えっと、夏祭りの時には駅北口からのメインの道がいちばんにぎやかになるのですけれども、この「だるま市」とかは、旧市街地、駅前通りから西側の坂を上ったあたりの通りがメインになります。そういうふうにイヴェントで使い分けるスポットを持つ、下館という土地の二面性ですか、これには興味深いものがあります。写真をアップいたします。 だるまは意外と高価なのです。わたしのような身分にはおいそれと買うことも出来ません。 下館(現筑西市)は、このあたりでは珍しく多少の起伏のある町並みで、その駅の北側、駅からの道と旧市街地との高低差がそれなりにあります。高いところから今の町の中心地のあたりを撮ってみましたけれど、あまり高低差は出ませんでしたね。 普段通らない道、JRをまたぐ踏切を越えて北側から南に入ってくると、そこに奇怪な「焼そば屋」が営業していました。いやほとんど「ゴミ屋敷」といいますか、写真ではわかりませんが、その軒下にはJRの行き先表示の看板がいくつもぶら下がっていたりします。この店の中に入って焼そばを注文するなどという事態は、とても想像出来ません。 図書館で、綿矢りさの『夢を与える』、松浦寿輝の『川の光』を借りました。 2008年 01月 16日
えっと、この日記を書いているのは16日水曜日なのですが、下館は今ちょっとだけ雪が降っています。帰宅途中にコンビニに寄ったら、その入口にいたかなりアルコール含有率の高そうなおじさんから、「これ、雪ですかね」なんて聞かれてしまいました。「ええ、少し雪ですね。」
で、13日は理由もなく恵比寿へ行き、写真美術館などを巡回いたしました。ま、結局は『文学の領域』という展示を観てみようと思ったのですが、案の定、文学ジャンルの作家と(いわゆる)メディア・アートとの融合みたいな展示で、つまりは活字が動くのよ、みたいなのばっかでいやんなっちゃった。でも入口にあったアタナシウス・キルヒャーの300年以上前の本とか、ディドロ/ダランベールの『百科全書』実物が展示されていたのには、心踊りました。 川上弘美っちが児玉幸子さんと組んだ作品が、つまり白雪姫のあの「鏡」みたいな作品で、鏡の前でこっちが鏡に質問するのではなくて、あっちがこっちに質問してくるの。うん、なんだかこういう、川上弘美の、なんというのか「恥知らず」みたいな感覚がこの展示作品に出ていて、これは彼女らしくてOK。 それから「日本の新進作家vol.6」とかで『スティル|アライヴ』というのを観て、その最初の部屋の伊瀬聖子さんという方の映像/マルチスクリーンの作品に、いたく感じ入りました。というか、もうこの世界の中で10時間ぐらいずぼっと浸っていたい感覚です。音が「JAPAN」のスティーヴ・ジャンセンで、これがまたいいのです。もう一度この作品を観るためにココに来たいな、そう思いました。他の作家の作品は、わたしには「ゴミ」としか見えませんでした。ライヴ・イヴェントと連動した展示に関しては何とも言えませんが。 このあとまたもや下北沢に移動して、今年初めての演劇は「芝居流通センター デス電所」の『残魂エンド摂氏零度』なんてヤツ。つまりはネットゲームな世界を、ヴァーチャル・リアリティな感覚で、メリハリの効いた演出と上出来の音楽とキャピキャピした役者さんたちの演技で貫き通す2時間弱。きっとこれからも人気が上がって行くのだろうなと思うような劇団でしたけれども、わたしはもちろん途中で寝てしまいました。 連休最後の一日はやはり自宅でゆっくり過ごしたいと、この日曜日は早めに茨城に帰って来ました。さ、たまっているDVDを観ましょう。 2008年 01月 15日
12日からの三連休、初日はなんだかハードスケジュールで、まずは谷中の「SCAI THE BATHHOUSE」で開催中の、アピチャッポン・ウィーラセタクンという楽しい名前の作家の『Replicas』展を観て、それから飯田橋に移動してアグネス・ホテルでの『ART@AGNES』に参戦、これを観終えると神楽坂Die Pratzeでの『ダンスが見たい!』の新人シリーズのどれかのプログラム。
アピチャッポン・ウィーラセタクンの『Replicas』。この人はカンヌにも出品するような劇映画も監督していて、それと並行して、ここで展示されているようなアートっぽい映像も製作しているような。しっかし、残念なことに、わたしがこのギャラリーに行った時ちょうど装置の故障で、音声が出ていなかったのです。おそらくは道路を疾走する車のエンジン音とかに満たされていたのではないかと想像してみました。その、四点組になった「Unknown Forces」という作品がメイン。正面下に映写されていた夜のテントみたいな光景と、そのまわりを移動するカメラが「気配」を生み出します。 『ART@AGNES』は、今年はネット予約制になって、去年のように入場制限実施などという込み方ではありませんが、ま、そのホテルの客室自体が狭いですからね。印象に残る作品もいくつかありましたが、その参加ギャラリーが持ち作家をなにもかも展示してしまうようなごてごてした展示より、MIZUMAのようにひとりの作家に絞った展示の方が印象に強く残ります。成山画廊の松井冬子人気はかなりのものです。 『ダンスが見たい!』新人シリーズでは知らないダンサー三組のダンス。新しいダンスを観ることにちょっと飢えていたので、楽しい体験でした。高校の文化祭のようなのから、観ていてうっとりしてしまった素晴らしいソロのパートまで。 そのあとHMVへ行って、なぜかマーク・ロブソン監督の『哀愁の花びら』DVD800円とか、なぜかリー・ワイリーの『West Of The Moon』CD1000円と購入して、また下北沢「G」へ。この夜のBGMはトム・ウェイツだったので、ついでにリー・ワイリーをかけてもらいます。かつて新宿で夜な夜な飲み遊んでいた頃に、トム・ウェイツもリー・ワイリーも、心の奥どこかで鳴り響いていましたね。わたしの「夜」の音楽でした。 13日以降のことはまた。 2008年 01月 12日
いちばん上の写真を取り替えました。自分ちの近くから撮った筑波山だというのは変わりませんが、前の写真は2007年の元旦に撮ったもので、今回は今年の元旦の初日の出の写真です。考えてみれば、このまっ平らな関東平野の真ン中で、そこにポコッと陰核のように(お、ヤバい比喩ですな)隆起した筑波山、その山腹から上ってくる初日の出(だから、陰と陽につなげようと思ったのよ)が見ることができるというのでは、このあたりは意外と、思いのほか、想定外に(全部同じ意味だって!)、絶妙なスポットだったわけです。
写真は、わたしンちの近くに流れる五行川ぞいの土手から見た風景なんですけれど、思い返してみれば、その元旦の早朝、日の出の時刻には、土手には複数の人たちが散策をしておられて、それはやはり初日の出をこの場所からと思って来ていらっしゃるのでしょう。あたりには何台かの車も停められていました。むむ、知る人ぞ知る初日の出スポット。2008年はこの写真をトップにいたします。これから毎年、その年の元旦の太陽の写真をトップに持って来ようかな。でもすぐに気が変わったりして。っちゅうか、来年の正月にはわたしはどこに居るのでしょう。 この冬は前の冬よりも絶対に寒いなどと書いてしまった記憶がありますが、お正月なんか、半袖で歩いちゃうよ!みたいに暖かい日もありました。さすがにこの北関東というか南東北の地は、冷え込むことは冷え込みますが、まだまだ耐えられます。今のところ暖房装置のお世話にもなっていません。 さて、今日からは年末年始休みのあとのプチ年始連休三連チャン。舞台とか美術とか、今日から観はじめましょう。生の音楽は、もうちっとあとになるでしょう。でもCDは先週、Kate Rusbyの『手ごわいアニー(Awkward Annie)』というのを買って聴いていて、これが今年の聴きはじめです。ブリティッシュ・トラッド音楽の、現在型のチャーミングな成果です。 2008年 01月 10日
去年のお正月は読書がずいぶんとはかどったものでしたが、今年はなんだかあまり読めません。今はべケットの『モロイ』を読んでいます。ずいぶん昔にいちど読んだ記憶はありますが、その内容はこれっぽっちも憶えていません。面白いのにね。
DVDはあれこれと観ていて、「ロード・オブ・ザ・リング」は二つめの『二つの塔』まで。これはめっちゃ楽しいですね。よく出来てるわ。あと、『日本沈没』での特殊撮影というかSFXとか楽しんだり、クラウス・ノミのドキュメント『ノミ・ソング』を観て、それこそブレーンに恵まれなかった異彩のアーティストの悲哀に涙したり、『ツイン・ピークス』を観ているつもりがいつの間にか寝てしまっていたり。 朝日の舞台芸術賞とかが発表になって、どうでもいいんですけれどもやっぱ野田秀樹だったのですね。観たかったのだけれども観られなかった作品でした。『THE BEE』。ダンス関係は平山素子さんの受賞で、この人は観たことがありません。きっとコンサバ。でも、というか、去年の新国立での公演を観てみようかという気持ちはあったのですが、果たせませんでした。また2月に公演があるようなので、一度は観ておきたいなとは思っています。そういう、こんなコンサバな賞の対象になるような大がかりな公演なら、わたしが思うには「維新派」とか「キノコ」などが(受賞対象として)順当なところではないかと思うのですが、維新派は、『カンカラ』(あんなつまらない作品)でいちどその朝日舞台芸術賞はもらってるんですね。キノコはどこかでもらっているのでしょうか。記憶にないですね。いちどあげておけばイイのに。そういう賞のことはどうでもいいんだけど、もらうと何かとはずみがつくではないですか。わたしだって紫綬褒章とかもらえば、人前でヌードさらすぐらいのことはやりますよ。 芥川賞の候補も発表になって、これは雑誌掲載だから読書遍歴に入れなかったけれども、わたしの好きな栗田有起さんの新作をこのあいだ文芸誌「新潮」で読んでいて、はたしてこれは賞狙いのあからさまな「純文学路線」なのか、はたまた彼女の中で何かが変わってしまったのか、これは困ったなと思っていたその作品はみごとに芥川賞候補からもれていて、でも同じ「新潮」に掲載されていた田中慎弥という人の作品『切れた鎖』というのが今回の芥川賞の候補になっていたものだから(だから読むというのもよろしくありませんが)読んだのですけれど、設定とかものすご面白いのにね、横溝正史がこれを書き換えたらぜったい面白いよ!ってなプロットだったけど、でもこれが「コンテンポラリー・ノヴェル」なのだとしたら、それは世界を舐めてるでしょ、そういう小説でした。 ぐるりとひとまわりして、演劇。野田秀樹といえば深津絵里かよ!という短絡的な発想でのサイモン・マクバーニー。その新作『春琴』っすね。特にサイモン・マクバーニーという人に思い入れもないのですが、とりあえず野田秀樹経由でそういう劇空間での身の置き方は学んでおられたような深津絵里さまの舞台は、いちど観てみたい。しかも谷崎の『陰翳礼讃』。まだチケットがあれば観てみようかなと思って検索したら、そのサイトにまるでお約束のように日曜日のチケットが一枚だけ残っていたので、行くことにしました。で、康本雅子さんの公演、放っておいてもそのうちチケット買えばいいや、などと思っていたら今現在すべて完売。うわ! あせって、行くつもりの他の公演のチケットを予約しまくりました。って、この週末に行こうと思っていた「KAKUTA」も、チケットはもうないのでした。ふん、だからどうした2008年。 2008年 01月 06日
この正月休みはまずはDVD三昧です。まだ観たことのなかったデイヴィッド・リンチの『デューン/砂の惑星』のTV放映長尺版というので年を越して、それから『ロード・オブ・ザ・リング』の最初の「旅の仲間」、そして久しぶりに『ツイン・ピークス』などなど。
3日になって上京して、三軒茶屋の「三軒茶屋中央」という往年の名画座で、タランティーノの『デス・プルーフinグラインドハウス』とロバート・ロドリゲスの『プラネット・テラーinグラインドハウス』という絶妙の二本立てを観て来ました。この二作はまさしくこのような環境でこそ観られるべきでしょう。もう少しどっちも短くしてもイイよね、などと思いながら堪能いたしました。ローズ・マッゴーワン、最高!です。 『デス・プルーフinグラインドハウス』の中にDave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tichの「Hold Tight!」って曲が流れて、これはわたしの得意な60年代のブリティッシュ・ビートの楽曲なわけで、ま、一種、縄文人がエレクトリックに目覚めてロックしてしまったような単一ズンドコノリのポップスで、この映画の中で「もしもThe Whoのピート・タウンシェンドがThe Whoを脱退してこのグループに参加していたら、こいつらはDave Dee, Dozy, Beaky, Mick、Tich & Peteって名前になったんだよ!」っていうセリフのバカバカしさに、心の中で大笑いいたしました。タランティーノとわたしの音楽の趣味は近いです(アメリカではDave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tichというバンドは全く成功していないし、日本ではもうちょっとあとに、グループ名が覚えられないから「ディヴ・ディー・グループ」なんて名前で、「キサナドゥの伝説」などというのが小ヒットいたしました)。 4日はメタボリックな一日を過ごし、5日は古い友だち、IさんとMさんと、新宿で新年会を行いましたね。このお二人とあとEさんを交えた4人が、もう30年をこえるお友達関係。単に昔一緒にバイトしていただけの仲なのですが、よくもここまで続いたものです。楽しい一夜を過ごしましたけれども、でも、昨年だか神戸に隠居してしまったEさんとの連絡がつかないということが、心配ではあります。 6日は上野でついに新しいショルダーを買いました。安物だけどいいや。で、不忍池周辺で「骨董市」が開かれていて、そのどこかの店の手伝いにKさんがいるはずなので探してすぐに見つかって、そのKさんとあれこれと近況報告とか知人友人の最近の動向とか。おぉ、Mちゃんがイタリア人と結婚したのか! とか、多少の新年らしいサプライズを仕入れてお別れ。 今年はもうちと、知り合いとか友人と密接なコンタクトを取りながら動きたいな、そのように思った次第であります。 2008年 01月 04日
特に「初詣」などという事象にこだわるのではありませんが、2008年は、地元の「大宝(だいほう)八幡」というところへ、元旦早々行ってみることにしました。
下館という土地自体が全体にそうなのですが、このあたりは平安から南北朝時代にまでさかのぼる歴史を持つ土地柄で、この大宝八幡周辺も、南北朝時代の城趾を中心にした地域なのです。去年読んだ「真景累ケ淵」にも、主人公がこの大宝八幡まで参拝に来る記述が含まれています。で、今ではこの大宝八幡に来るには、車、もしくは関東鉄道常総線というのに頼らなければならないのですが、その関東鉄道常総線の「大宝駅」は、こんなです。ほとんどセットの書き割りで、訪れた人も「これってお正月だけの仮設駅?」なんてしゃべっています。いえいえ、パーマネントに存在する駅舎なのですが。 こういう、その土地、土地に生活する人たちにに密接に結びついたスポットもいいですね。ここには歴史館もあるのですが、今は新年休業中なのが残念でした。あたりの風景を少し紹介いたします。 源頼朝ゆかりの馬ちゃんも。 屋台もたくさん出ていますけれども、どこにもアルコール類は販売していなくて、それはこの地にずっと営業を続ける二軒のおみやげ屋だけの専売特許のようで、しかも「お正月料金」でバカ高です。でもそんなおみやげ屋の中に足を踏み入れると、例えば「カルメ焼き」とか、きなこで作った駄菓子とか、素朴なお煎餅とか、そういう、今ではどこを探せば見つかるのかわからないようなアイテムがいっぱいにひろげられています。 そして、あたりには下妻あたりから来られたようなヤンキーなおにいさんおねえさん方にあふれていますね。おっと地域差別は厳禁。いや、このあたりは、関東平野には珍しくちょっとした高台になっていて(だからこそ城などが築かれたりするのですが)、その境内を抜けて行くと、突然に目の前に関東平野が開け、ほら筑波山が。 これは、帰りの大宝駅のホームからの眺めです。こういう景色は大好きです。 去年は日光まで行ったけれど、今年は近場で済ませました。帰ってからシチューをいっぱい作って、これが新年の食料です。2008年も生き延びましょう。 2008年 01月 03日
2007年を振り返ってみて、どのジャンルにせよ、そのすみっこをちょっとだけかじっただけですから、とても各ジャンルでの2007年の動向など語れるようなものではありません。
しかし、それにもかかわらず何か言えば、わたしがずっと観て来たダンスの動向に対しては、確実に不安を抱いています。これが2007年だけに限ったエアポケットであればいいのですが。美術は、「反動」の嵐の中で、ムーヴメントの勢いを見失っているような印象はあります。個々の作家はそれぞれに興味深い追求をされているはずなのですが。映画の世界は「日本映画バブル」という現象なのだそうですが、今までスポンサーの付かなかったような、アーティスティックな試みが実現されるような展開になれば結構なことだと思います。 入ってくる情報面からみて、音楽の世界はもっとも元気な分野のようにも思えるのですが、そのイヴェントのほとんどが平日開催なので、全くと言って良いほど体験出来ませんでした。でもそのジャンルを支えるミュージシャンの方々の、フリーター、ニート的な経済生活がいかに大変なものであるか、少しだけそういう話を聞く機会がありました。この問題はどのジャンルにもついてまわる事象でしょうし、わたしにとっても切実なものです。 そんな2007年の、印象に残ったことがらを書いておきます。 その「コンテンポラリー・ダンス」ですが、印象に残ったものを三つ挙げます。 ●田中偉一郎『こけし いきいき』(ヴィデオ作品) ●群馬での「透視的情動」ワークショップで拝見した、名前を知らない人による「布」を使ったパフォーマンス ●花上直人『うくひと』 あとは、「神村恵カンパニー」とか、今後に期待したいっす。それから「yummydance」とかね。 そのほか舞台では ●維新派『nostalgia』 ●ニードカンパニー『イザベラの部屋』 ●岡田利規『ゴーストユース』 ●水族館劇場『花綵(はなづる)の島嶼(しまじま)へ〜FROWERS OF ROMANCE』 ●指輪ホテルの春秋の二つの公演 ‥‥とかが記憶に残ります。「少年王者舘」とか「唐組」、「鉄割アルバトロスケット」なども印象に残ってます。2008年は、その維新派の三部作の次とか、復活水族館劇場の次とか、チェルフィッチュの新作とか期待したいものがあれこれあります。 映画はやっぱり、2007年は、井土紀州監督の『ラザロ』でしょうか。それから山下敦弘監督の二つの作品。とりわけ『松ケ根乱射事件』の成果。海外の作家では、待たされたけれど本当に素晴らしかった田壮壮、そして意外にもグルーヴィーなノリを持っていたデイヴィッド・リンチ。カウリスマキの新作も強烈でしたし、ジャ・ジャンクーもやっぱりすごかったです。 で、古い作品をDVDとかで観て、成瀬巳喜男監督のすばらしさに今ごろ驚きました。 美術は、あまり観たくないものを観てしまった一年だったような記憶もありますが、作家としてはやはり塩田千春さん! そして、あのヘンリー・ダーガーの「暗黒」にこそ、深いインパクト、畏れに似た感覚を受けました。 今年読んだ本では、リチャード・パワーズの『囚人のジレンマ』かなぁ。やっぱり。ガルシア=マルケスの『コレラの時代の愛』も、楽しい読書体験でした。で、解ったのか解らなかったのか、ドゥルーズの『差異と反復』をとにかく通読したのね。細かく突っ込まれるとヤバいけど、ドゥルーズが何をやりたかったのかは読み取りました。あとは美術のジャンルからの、川崎昌平さんの二冊の新書が、実はこの2007年の大きな収穫で、そして「日本のトマス・ピンチョン」などと言われてしまった青木淳悟の『いい子は家で』も、年末に読んでスゴかったのだけれども、むしろ「日本のトマス・ピンチョン」などと言うのであれば、今年芥川賞を受賞した諏訪哲史さんの『アサッテの人』の方がそれっぽい気がするし、それよりも結局単行本にもならなかった、同じ「群像新人賞」受賞作の、広小路尚祈さんの『だだだな町、ぐぐぐなおれ』こそがわたしのお気に入りだったのですけれども、つまりはこの作家はこれ以降はきっと書けないでしょうから、これがおそらく最初で最後。岡田利規さんの小説『わたしたちに許された特別な時間の終わり』についても書きたかったんですけれども、書けませんでした。これはとっても素晴らしかった。 それから、アーシュラ・K・ル・グインの『闇の左手』には、今ごろになって、心打たれました。 2008年はもう少し、「古典」とか言われる作品を読み直したいと思っています。
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