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2008-03-05 02:40:52

「児童ポルノ法は人権を侵害せず、児童ポルノに関する被害は悪化している」という論調のトリック

テーマ:反児童ポルノ法
恣意的な捜査への「活用」はもとより、今では世界各国で、通常ならば刑事的責任がないとされる人々に対してまで「人権侵害の継続=刑事的責任の継続」の論理のもと、無数の「犯罪者」を作り出し、挙句の果てには「作戦」の結果、大量の自殺者まで生み出している児童ポルノ法ですが、残念なことに、いくら規制が進んだとしても、推進派が、人権への配慮を理由に、その手を緩めることはないだろうと考えられるのが現状です。

こうした態度を、規制よりも規制が進んだ米国の、シーファー駐日大使のコメントからは如実に見ることができます。

以下引用

「カナダやフランス、
ドイツ、イタリア、米国、英国は、プライバシーと言論の自由に高い価値を置
くが、権利を侵すことなく、児童ポルノ所有の非合法化は可能だと判断した。
子どもを犠牲にする行為を保護する必要はない」(平成20年1月30日付
読売新聞『論点』)

引用ここまで URL http://archive.mag2.com/0000127727/index.html

英国で、児童ポルノ摘発「作戦」において、大量の自殺者が出ていることは、以前当方でも取り上げた話ですが、規制推進派にとっては、いかなる問題が出てこようが、「権利の不当な侵害をしていない」と言えるだけの根拠が、児童ポルノ法にはあるのです。極めて範囲が広く、日常的な領域を取り締まり、かつ恣意的な運用が(「性欲」、「範囲」の概念など)出来るように組み立てられているのが児童ポルノ法の特徴ですが、これを逆に言い換えると、「よほど無理な使い方をしても、法の正当性の範囲に収めることが可能なのが児童ポルノ法」と言えるわけで、法律の拡大によって、実際にはいかなる不利益が生じたとしても、問題が、無かった事になってしまう側面があるのです。それどころか、「児童の人権保護」という名目があるために、拡大する標的を設定しただけで(単純所持・単純閲覧等々)、「児童虐待」という新たな「敵」が設定されることになり、規制を拡大すればするほど、推進派内では称賛されるために、新たな規制レースが終わることなく進められていくという構図が成り立っていくのです。無論、「法の正当かつ適正な運用」の前提があるために、彼らの自制心によってブレーキがかかることは期待できません。

では、その「敵」、この種の問題においての「児童ポルノ被害」が、いかに拡大されていくか、という部分ですが、この度「問題」を報じた記事が、極めて明瞭に、その部分を示しています。

以下引用

児童ポルノ、持つだけも禁止 自民、厳罰化を検討

2008年03月04日15時13分

 インターネットによる児童ポルノの拡散に歯止めをかけるため、自民党は児童買春・児童ポルノ禁止法を改正し、厳罰化する方向で検討を始めた。第三者への販売や提供などが目的の場合のみが違法となる現行法を改め、目的にかかわらず原則として児童ポルノの所持そのものを禁止する。警察当局は取り締まりを強めているが、個人がネットなどを通じて集めた児童ポルノを載せたサイトが乱立しており、単純所持を禁じることで発信源を断つ必要があると判断した。

 児童ポルノは、ネットで複製した画像や動画が多数出回っており、これらは海外のサーバーを経由しているケースが多い。このため、発信源となっている所有者を摘発するのが難しいという。

 自民党は森山真弓元法相をトップにした小委員会を今年2月、法務部会に設置。どの程度の罰則を設けるかなどについて今後議論し、超党派の議員立法で今国会への改正案の提出を目指す。

 警察庁によると昨年1年間の同法違反事件のうち、児童ポルノ関連で立件されたのは567件(暫定値)に上り、5年前の3倍になった。

 こうした状況から日本が「児童ポルノ大国」という国内外の批判は根強い。主要8カ国(G8)中のほとんどはすでに単純所持を禁じている。

 単純所持をめぐっては、04年の法改正時にも与党が禁止条項の創設を検討した。しかし、たまたまダウンロードしたり、迷惑メールなどで一方的に送りつけられたりした場合も摘発対象となる可能性があり、「捜査権の乱用を招くおそれがある」との指摘があった。「表現の自由を侵すことにつながる」という批判もあり、このときは創設が見送られた。

 森山元法相は「事態は深刻化しており、前回の改正時とは状況が違う」としている。ただ、プライバシーの侵害を懸念する意見も強く、小委員会では違法とする範囲を「収集の意思があった場合」などに限ることも含めて検討する。

引用ここまで URL http://www.asahi.com/national/update/0304/OSK200803040051.html?ref=goo

この記事で報じられている「児童ポルノ深刻化」では、語られるべき重要なポイントが抜け落ちています。五年前から現在にかけて、児童ポルノ法の「改正」が行われ、誰に見せるつもりでもなく(携帯電話などで)撮影しただけで罰せられる「単純製造罪」や、特定少数への受け渡しも禁じた「提供罪」が創設されたことで、児童ポルノ法の取り締まり範囲が極めて拡大されたことや、当局が重点化を図った結果、検挙数が増大したのだろうという分析が全く語られていない点はもちろんですが、この一事をもって、「こうした状況から日本が「児童ポルノ大国」という国内外の批判は根強い」と、客観的に日本が「児童ポルノ大国」ではないことを示すいくつものデータを出さずに断じていたりと、記事としては、一面的と言わざるを得ない記述が、かなり見られるのですが、規制推進派が、「被害の悪化」の根拠として持ちだすなら、これでも充分なものになるのです。検挙数が五年前の三倍になった時点で、「被害の深刻化」を示す証拠になり得るわけで、「事態は深刻化している」とコメントした上で、規制推進の論拠にしていくことも、おそらく、彼らの中では可能なのでしょう。

しかも、この「被害悪化の継続」という言説には、事実上終りがありません。検挙数の拡大を理由に、「被害が悪化しているために更なる規制を」と呼びかけ、規制が拡大したとすれば、当然、触法的領域は広がり、新たな「犯罪者」が多数生まれ、検挙案件は増加することになります。そして、検挙数の増加は「問題の悪化・深刻化」を示している以上、更なる規制の拡大に対しての論拠となります。より懲罰的な側面を強めるため、量刑が順次増大されていくこともあるかも知れません。こうして推進派が、新たな「敵」を打倒していくごとに、人々は行動を統制され、日々相次ぐ「ロリ系犯罪者」の報道に恐怖し、あるいは規制法によって犯罪者に仕立て上げられ……と、平和と安心とは程遠い生活を強いられることになりかねませんが、推進派の人々が、規制に対して自省的になるのは、少なくともしばらくは無いでしょう。何故なら、「児童ポルノ法は、条文で定められた範囲内にのみ、適正かつ正当な運用がなされている」からです。

恐らく、今回、単純所持違法化案が成立してしまったならば、「被害深刻化トリック」を根拠に、更なる規制案が出ていくことになるでしょう。所持者の検挙となると、これまでよりも、遙かに多い人々が逮捕されるだろうことは、「作戦」を展開している各国の情勢から見て明らかであり、そうした事例は、かつてないほどの規模でもって、マスコミを賑わしていくことになる可能性は極めて高いと言えます。そして、報道によって恐怖してしまうと、トリックを看破することではなく、「問題の根本的解決」、つまり更なる規制へと、極めて誘導されやすくなってしまいます。そして、新たな規制は、児童ポルノ法における「三年後」とは限りません。法律とは別に、条例での規制案を各自治体で定めることも可能な以上、即時的な規制が条例で行われることも、充分考えられます。奈良で事件が起きた際には、奈良県が独自に単純所持規制と、声かけ禁止規定を成立させましたが、単一の重大事件が報道されるのではなく、無数の事件が全国で報じられるということになれば、各自治体が足並みを揃える形で、条例を作っていくことも、充分に考えられるからです(青少年関連の条例などで、全国縦断的な動きを見せることは、決して珍しくありません)。

「事態は深刻化しており、前回の改正時とは状況が違う」という言説は、検挙数のようなデータとともに出されると、いかにも説得力のある物言いに思えるかも知れませんが、法律の規制強化がなされる度に、検挙数は拡大する理由を持ち、故に「問題が深刻化」しているように見えてしまうというトリックの構造は、押さえておきたいところです。

コメント

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■深夜放送自粛と児ポ法、森山真弓の共通点

児ポ問題とは直接関係のない話ですが、自民党が深夜の放送自粛を提案しているようです。
旗振り役は今回も森山真弓。
自粛の目的は環境対策だそうですが、テレビの深夜放送を控えることが環境にどれほどの影響を与えるというのでしょうか?
私は以前から主張していることですが、環境対策は割り箸やレジ袋、放送自粛などという枝葉より、車の総量対策のほうがよほど効果的です。これは業界団体の力もあってできないようですが。

さて深夜放送枠の自粛に話は戻ります。
現在、深夜枠はいわゆるゴールデン枠で放映が困難なもの、すなわち残酷映像を含む映画や、アダルトゲームが原作となっているアニメの放映が行われています。
つまり深夜放送枠というものは、ただ単に時間潰しのためにあるわけではなく、テレビ上でのゾーニングの結果存在している面があるのです。これを自民党の要望で「強制的に自粛」させられては、Fateやひぐらし、その他ギャルゲー系の作品は陽の目を見ないことにもなりかねません。
どうも森山真弓という人は、自分に関係ないもの、自分が興味を持たないものはこの世に存在しなくても良いと考えているふしがあります。

■はじめまして。

いつも拝見させていただいております。田中大也さんの理論にはいつも驚かされます。なかなか読み解くには難解な記事もございますが、日々ひとつひとつ理解しながら読み解いています。それほど田中さんの記事は奥深い内容だと思います。議員さんに反対を送る時の参考にもさせていただいてます。さて本日お邪魔したのは今回の記事とひとつ前の記事のことでご相談にまいりました。この2つの記事は今回の児童ポルノ法案でも特に慎重派とよばれる議員に威力を発揮するだろうと思われます。松浦議員のインタビューにもございましたが、3年前とは人が違い、みんながこの児童ポルノ法案を分かっている方がほとんどいらっしゃらないと仰っていました。つまり今のこの問題に携わってる議員さんの中で偏見ですいませんが、森山議員、野田議員以外の議員さんにこの2つの記事の内容のようなことを伝えればきっと考えもかわるだろうと思っています(甘い考えかもしれませんが)
そこでお願いがあるのですが田中さんにこの記事でおっしゃったようなことを慎重派と呼ばれる議員さんに教えていただきたいのです。(ただ誰が慎重派なのかは自民党ではまだ分かっていない状態ですが)
私が田中さんの記事の内容を自分の考えも交えて送ってはいるのですが、やはり自分の文章ではなかなか限界がございまして、田中さんみたいにうまく書けないのが本音であります。私たちが必要としているのは田中さんみたいな理論の立つ人を必要としております。自民党の小委員会がどういう人たちで成り立っているのかはまだわからないのですが(森山議員以外)、朝日や毎日などの新聞を見るかぎりでは慎重論もあるみたいです。その慎重論の方々に先ほど申し上げました2つの記事の内容を教えていただいたら、少しは考えもかわるだろうと思っています。
ちょっとまとまらない文章ですがおいそがしいこととは思いますが、私の意見を少しでもご検討いただけましたら幸いでございます。なおもう意見を送られているのでしたら申し訳ありませんでした。
お手数をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。

■星屑さん、コメントありがとうございます。

森山氏が旗手となっている、「環境対策としての深夜TV規制」は、仮に行われたとしても、ほとんど実効力を持つことは無いでしょう。電力は貯蓄されない性質を持っており、たとえ家庭の電気を止めても、発電所を止めるわけにも行きません。しかも深夜のTV番組は、一部の例外を除いて、昼間よりも遙かに視聴率が低く(多くの人が寝ているからですが)、そうした面からも、節電を期待することはできないでしょう。

彼らの本音は、星屑さんがおっしゃるように、自主規制により「住み分け」がなされており、昼間よりも自由な媒体として存在している深夜番組を潰してしまうことにあるとみて間違いないでしょう。しかも、「自粛」であるため、児童ポルノ摘発作戦の「自殺」の時のように、政府が責任を負うことも無くなるわけです。

こうしたギャルゲー等に端を発する深夜アニメは、しばしば、性的、あるいは残酷な描写だけが批判的にクローズアップさせることがありますが、創作者の視点からすれば、描写の多様性、自由さは、作品の可能性の広さに直結し、それが、作品に「力」を生むことが多いのです。

成人向けゲームという、既存のメディアからすればアウトサイダー的な位置づけにあった作品が、既存メディアに入り込み、そこで絶大な人気を得ているのは、そうした自由な表現が生み出す「力」が強く関与しているように思えてなりません。

メディアに備わった根本的な生命力的要素を守るという面からも、警戒が必要な動きでしょうね。

■mudanさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

当方の記事を評価して下さり、本当にありがとうございます。

さて、当方としては、雑誌への規制反対論文の投稿、新聞への投書、そして政党に対しての意見の投稿等といった形で、この問題に対して微力を投じさせて頂いている次第です。雑誌「ぺあマガジン」では、もうかなり長い間評論を掲載させて頂いていまして、今後も、機会がある限り書いて行こうと考えております。

なかなか、新聞の投書は掲載されることがありませんが、それでも、字数等が制限されたこの形にこだわるのは、新聞社に意見を投じることができると同時に、万一掲載された時に、媒体的な影響を強く期待できるからです。

政党への意見提出、あるいはパブリックコメントの提示を、現段階で重視しているのは、党のページに投稿することで、規制に懐疑的な何人かの議員、あるいは党の要職者に意見が通じ、徐々に党内の論調に変化が生じることを期待してのことです。

ただ、今回のこの問題に関して言えば、成立や改正に関わった議員の方々には、どうしても、「人権侵害と刑事的責任を同一化する」部分を織り込んだ部分があり、その否定をするところまでには、なかなか踏み込み辛いという事情も感じることが出来ます。権益が絡んでいる案件ということもあり、特に、成立に関わった中で現存している、自・社両党に関しては、法律そのものの根本を問い直す、こうした定義の容認は、相当難しいでしょう。恐らく今回の改正論議では、奇跡的にすべてが上手くいったとしても、一切の規制強化案の提示なし+範囲や性欲といった部分の恣意的な条文の削除、といった部分に収まるでしょう。

ただ、そうなれば、数年後に、更なる改正、すなわち、違法ボーダーの押し戻しすら期待できます。

いずれにしても、現時点では、規制案の根拠として用いられる論理的な矛盾・トリックを分析し、同時に原則的な部分に存在する矛盾点を抑えておくことが、当方のなすべき事と考えております(その過程で、児童ポルノ法が「解体」され、別の法律にその一部分が吸収されるべし、との結論に至るかも知れません)。

■無題

今日は。
自分も、アニメ情報の専門誌・ギャルゲー
情報の専門誌に、規制反対に賛同する事を
要望する意見書を送ったので、御報告致し
ます。


■非常に不味い状況ですね

こんばんわ。
どうやらあの出来レースでは9割賛成のヤラセ調査結果を元に規制を進めようとし、読売新聞の記事によると外圧により単純所持規制を進めようとしている事は明らかになりましたね。

児童ポルノ:「単純所持」も禁止に 自民党小委で認識一致
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20080308k0000m010019000c.html
児童ポルノ、所持だけでも「処罰」…与党が法改正方針
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080308-OYT1T00750.htm?from=main1

少なくとも問題点を棚置きにし結論を急ぎやる事こそ一番の問題点ですし、何より反対意見をロリコンのレッテルを貼る事により封殺できる事が一番恐ろしい点ですね。

それにも関わらず2chやmixiですら、今回でも慎重意見や反対意見が多数出ている事からも彼らが以下に国民の意見を組まずに規制を進めようとしている事が明らかになりましたよねぇ…。

少なくとも今回反対勢力が明らかに弱体化しているように見えるため状況は非常に不味いのではないでしょうか?
民主党も反対してくださるとは限らないですし。

とりあえず個人的には反対意見とか送ってはいますが今の自民をみると非常に恐ろしく感じます…。

っと愚痴っぽくなりすいません。
失礼しました。

■正面切って憲法違反が行われようとしている

今回の自民案が通るとなれば、戦後初めて文句の付けようのない違憲法が生まれることになります。
解釈改憲で誤魔化してきた9条の問題とは比較にもなりません。少なくとも自民党は9条を逸脱しないよう、姑息的ではありましたが状況を整えてきていました。

今回は人の思想の部分に規制をかける完全な憲法違反です。
唯一拠り所になるであろう「公共の福祉」にも該当しません。なぜならポルノが公共の福祉に反する根拠は示されていないからです。
ポルノと性犯罪の相関は何度も書きますが、証明されてはいません。ですから「公共の福祉」を盾に規制をかけることは許されないのです。

自民党は明らかに「外圧」を利用し、気に入らない思想を圧殺しようとしています。
今から断言しますが、今回自民案が素通りすれば10年以内に二次元を始め、創作物にも規制の網をかけようという動きが出るでしょう。

児童ポルノ単純所持禁止は別件逮捕や国策捜査の温床となるでしょう。
政府に批判的な学者などはおそらくは誰でも持っているであろう自分の子供の裸の写真をすら検挙のエクスキューズとされるようなことになるかも知れません。
日本は恐ろしい方向へ走ろうとしていると思います。

■日ごとにまずいニュースばかりが……

りずさん、コメントありがとうございます。単純所持の論拠として、ある種伝説になっている、あの「九割アンケート」を持ちだしてきたということについては、本当に驚きです。逆に言えば、向こうの側としては、それだけ根拠に乏しいのだとも分析することもできますが……

二次元規制に向けた動きが公然化され、創作物やいわゆる疑似ロリまでもが、「準児童ポルノ」として規制されようとしている、極めて由々しき事態が、起こりつつあります。しかも、記事を見る限りでは、三年後と言わず、今回の国会ででも「改正」案を出していきたいと言わんばかりの感じが、非常にやばく感じます。

正直なところ、「人権保護」を名目とした法律の枠内で表現を規制することなどは、ぶっちぎりで憲法に反していると思うのですが、果たして、こうした動きに対してマスコミがどう反応するかも問われていくのではないかと思いますね。

■星屑さん、コメントありがとうございます。

近年以来、「児童ポルノ」という言葉は、絶対的な正義としてまかり通ってきました。児童の人権を大切にしなければならないという、普遍的な感情が、児童ポルノ法を世界中で一般化させ、拡大させていったと言えるかも知れません。

人は、「正義」という強力なフレーズによって、たやすく麻酔をかけられてしまうものですが、その中でも「児童ポルノ」は、対立軸が存在せず、しかもとりわけ効果の高い「正義」でした。本来、認められるはずのないいかなる規制も「児童ポルノ」撲滅のためなら合理化されてしまうというほどの強力さは、使う者の意思によって、仰るような思想の統制や国策捜査などの便利な理由として、用いられることになるでしょうね。そして今度は、「準児童ポルノ」として、創作物が堂々と規制されようとしています。

この危険きわまる流れを断ち切るには、やはり、「正義」は、戦争の開戦理由等に求められる、単なるスローガンのようなものに過ぎず、正義のもとで何が行われているかこそが重要だという原則を、今一度再認識することが必要ではないかと思います。名目が美しいかそうでないかではなく、実質的に、何が行われ、あるいは何が行われようとしているのかこそが、問われるべきなのです。

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