だれが「音楽」を殺すのか? 津田大介(著)
「音楽配信メモ」でお馴染みの津田大介さんの本を読み終えた。
元々サイトの方をチェックしていたので、特に目新しい内容ではなかったが、
音楽業界の一連の騒動(輸入権、CCCD、違法コピー、ネット配信…)などについて、
非常に端的に読むことができ、大変興味深い内容であった。
やはり、個人的に気になるのはCCCDである。
洋楽よりも邦楽の方が聴く機会が多いので、ユーザーとしては切実な問題だからだ。
僕はこの規格外の商品を当然許すことは出来ないし、
即刻廃止、そして通常盤として再リリースすべき物であると思っている。
だから、CCCD不買運動にも当然共感はするし、
弾力的に廃止を決めたとはいえ、レコード会社への批判も続けるべきである。
ただ、CCCDをリリースしたミュージシャンやその作品を批判することは、
やっぱり僕にはできない。
作られたCDを壊したのはレコード会社側で、
ミュージシャンや所属事務所側が不本意であることを表明しているのならば、
それ以上責めることは出来ないのである。
彼らも組織に属している一労働者で、
CDをリリースしなければ根本的な収入は得られない。
だから、彼らに責任を問うこと、という行為には心苦しさを覚えてしまう。
勿論、「
原盤権」を所属事務所側が保有しているのならば、
そういう問題も解決するのである。
しかし、ユーザー側にとって”優良な”所属事務所(この本で言うところの『FIVE-D』)を
社会人経験の薄いミュージシャン側にどこまで判断できるのであろうか?
代理人制度が充実しているのならともかく、
10代後半や20代前半の若者にそれを求めるのは少し酷だと思う。
ユーザー側からすれば規格外のメディアをリリースした人を擁護するのは、
そんなおかしい話もないのだけれど、やっぱり同情してしまうのである。
僕が一番問題視すべきことは、ライトユーザーの無知と報道のあり方だと思う。
カワバタさんの記事にもあるけど、
こういう笑えない話を聞くと何だか悲しい気持ちになってしまう。
少なくとも、音楽を提供する立場の人は最低限知っておかなければいけないことだし、
ライトユーザーも音楽を聴く以上、反対の意思を示す必要はあったと思う。
また日本中に広く訴えかける義務も、メディア側にはあった。
有名な音楽雑誌が熱く音楽を語っていも、それがCCCDだったらどうしても覚めてしまう。
勿論、彼らもこの問題について書きたかったと思う。
しかし、どこからか相当な圧力が掛かっていたのだろう。
レコード会社の協力無しには、音楽雑誌は成立しないのだから。
でも、敢えてそこを突破して欲しかった。何より大事なことを書いてもらいたかった。
例え壊滅的な状態になっても、本当に音楽を愛している人たちは、
必ずついて来てくれると思うのである。
テレビにも新聞にも同じことが言える。
ネットがなければ、ここまで認識することはなかっただろう。
文明の発達に感謝するとともに、既存メディアの空疎な部分には、
どこか残念に思ってしまう。
正直に言うと、僕はCCCDを何枚か購入している(キセル、アジカン)。
それは前述の意識を踏まえたうえで、「買おう」と思った。
勿論、PCやiPodでは再生できないし、良質な再生機ではかけられない。
しかし、それは音楽自体の評価とは別、と思っているので、きっちりと聞く。
そして、良いものは繰り返して聞く。
(安い再生機の寿命を縮めるのは大変可哀想だけれど)
それがCCCDを推進する(していた)レコード会社の利潤になり、
音楽愛好家にとってダメなこととは痛いほど良くわかるけども、
ここで音楽自体(CCCDも含めて)から離れてしまうと、
ますます業界全体がダメになってしまうような気がするのである。
それこそ望みの灯が完全に消えるのではないだろうか?
「CCCDは買う。そして、ちゃんと聞く。でも、批判は止めない。むしろ強く言う」
一見矛盾しているが、これが僕のスタンスである。
ネットでこういうことを言うのは、正直、恐い。反論は承知の上だ。
しかし、音楽業界全体のことを考えるのであれば、
こういう考えも一理はあると思うのだが、皆さんはどうであろうか?