ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>BOOK>書評>[評者]鴻巣友季子> 記事 書評 オブ・ザ・ベースボール [著]円城塔[掲載]2008年03月09日 ■空から降ってくる人を打ち返そうと 空からなにかが降ってくる。聖書では黙示的な意味合いだ。「マグノリア」という映画では蛙(かえる)が、村上春樹の『海辺のカフカ』では魚が、降ってきた。本書では、約一年に一度、空から人が降ってくる。舞台は麦畑しかない小さな町「ファウルズ」。レスキュー隊は落ちてきた人をバットで打ち返すと言われているが、ただ空を見あげているのが仕事のようなものだ。 余所者(よそもの)の語り手は当座しのぎでレスキューに志願し、バーテンの「ジョー」と軽口を叩(たた)きあう――このあたりで、あっ、これは「ライ麦畑から落ちそうになる子供を捕まえる係をして過ごしたい」とモラトリアム青年の主人公が言う、サリンジャーの小説を意識しているなと感じた。キャッチャーならぬヒッター・イン・ザ・ライだ(実際、一説によれば、題名は「バッター・イン・ザ・ライ・オブ・ザ・ベースボール」の略とか)。 物理学や数学や哲学の“ゴタク”をごたごたと並べるのが味になっている。全体を包む倦怠(けんたい)感やシャレた会話の応酬、短い断章を重ねる構成は、「ジェイ」というバーテンも出てくる村上春樹の『風の歌を聴け』あたりを彷彿(ほうふつ)とさせる。両作とも四十章から成るが、もしやこれは意図的……かな? 文章には類語反復が多用され(ボルヘス曰〈いわ〉く「話すということは類語反復に陥ることなのだ」)、名目はあれど内実はあやふやなまま、いつ降るとも知れぬ人を待って毎日を無為に過ごすという話は、もちろんカフカの『城』や、ベケットの『ゴドーを待ちながら』も想起させる。星新一の『おーい でてこーい』の空は過去と繋(つな)がっていたが、本作の空は未来に繋がっている。文学的仄(ほの)めかしによるくすぐりが満載だ。 残酷な結末は唐突に訪れる。が、ラストの語り手の従容とした足どりは、なぜか「前向きの諦観(ていかん)」のようなものを感じさせた。これは最近の前衛小説に共通のことだ。 併録作「つぎの著者につづく」は、虚構の魔術師ボルヘスばりの(?!)手の込んだ意欲作で、大いにうけた。熱烈ファンがつきそう。 ◇ えんじょう・とう 72年、札幌市生まれ。表題作で文学界新人賞、芥川賞候補。
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