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韓国人は、日本人というものは英語が出来ない民族だと固く信じているらしい

  日本人は英語が出来ない?coffee とbus

韓国人は、日本人というものは英語が出来ない民族だと固く信じている。

日本人は英語が出来ないから、日常生活にも困難をきたしている。と言う説もある。

「(日本人が)恥ずかしがらなくてはならないのは、表現の限界が明らかな日本語の発音である。
カタカナで表記される外来語は、その語源を求めるのも困難なありさまである。
コーヒー、バス、といった簡単な生活用語からしても、言葉の由来はおろか語源が破壊され、
意思伝達が困難なのは日常茶飯事で、国名、人名に至っては、その深刻さは度を超している」
(洪鎮憙『歪んでいく日本人』)

洪鎮憙氏が、一体何を言いたいのか?
解る日本人は先ずいないと思う。

これは、つまり
「平仮名、片仮名といった日本語の表記方法は欠陥だらけであり、意思伝達が困難である。
日本人はこれを恥ずかしがらなくてはいけない。」
と言うことである。

こう書いても、理解できない人が大部分だろうと思う。

大体、何故、コーヒー、バスと言葉を使って意思疎通が出来ず、
さらに何故、それを恥ずかしがる必要があるか?

こんな主張が出てきた背景には、
「ハングルは世界最高の科学的文字であるから、世界のいかなる言語の音でも表すことが出来る。」
という安易な思いこみと、外来語と外国語の区別がついていないと言う事情がある。

まず、韓国語では、バスのことを「ポス(pas)」といい、コーヒーのことを「コーピー(khaphi)」という。

しかし、英語ではバスはbus[bas]であって、コーヒーはcoffee[kafi]である。

busが[pas]になるのは、韓国語では[b][d][g][dz]の音が語頭に来ないからである。

だから、韓国人は金閣寺(kinkakuji)と銀閣寺(ginkakuji)の区別が付かないし、
大学(daigaku)と退学(taigaku)、霧(kiri)と義理(giri)、怪我(kega)と外科(geka)の区別がつかない。

bus[bas]の[b]も[p]となる。
[bas]と[pas]は、明らかに異なるが、韓国人は[k]と[g]、[t]と[d]、[b]と[p]を語頭では区別しないから、英語を正確に発音していると思ってしまう。


故に、韓国人が{b}を発音しているつもりでも、往々にして[p]と聞こえる。
例えば、ビタミンBがビタミンPと聞こえてしまい、私などはビタミンにはPまであったのかと、一人納得したことがある。



「ハングルは、いかなる言語の音も正確に表現できる」という迷信も、それに一役買う。




日本人がbusを「バス」と言っているのを聞いて、(それが語頭のbを正しく発音しているのに)
「あれは日本語の欠陥から来る誤った発音である」と、思いこむ。

そして、「バス」と言っても、当然、韓国人には何のことか解らないし、
「日本人はポスのことをバスなどと言っている。何という幼稚な発音だろう」と思いこむ。
そして、「日本人は、これを恥ずかしがらなければならない」などと決めつける。


「バス」という発音を恥ずかしがらなければならないのであれば、「ポス」にしたところで同じであろう。
英語の発音からかけ離れているのは同じなのだから。


  日本人は英語が出来ない?brother と brassiere

日本人は英語が出来ない?brother


洪鎮憙氏が、発音についてよく解っていないのは次の一文からも解る

「新潟駅のことである。
ビルにカタカナで『ブラザー』と大きな文字で書いてあるのが目に入った。
この言葉から想像できるのは、女性のブラジャーである。
『ブラジャー、ブラジャー』と、何度も繰り返し、つぶやいて見て、日本人が theを『ジャ』と言う習慣があることを考えて、そこが『brother (韓国語では『ブロドー』と発音される)』というミシン会社であると言うことに気がつき笑ったことがあった」

洪鎮憙氏が、何故笑ったのか?
それが解る日本人は、殆どいないと思う。

大体、何故、ブラザーがブラジャーと混同するのか?
明らかに、違う音じゃないか、、、と思うのが普通だろう。

しかし、これは韓国語に有声音の「z」が無く、破裂音の「dz」で代用したことから生じた結果なのである。

このことは、洪氏が「日本人はtheを『じゃ』という習慣がある」と、堂々と書いていることからも解る。

つまり、洪氏の耳には「ザ」も「ジャ」も、同じに聞こえるのである。

{z}{dz}の区別がないこと言うことは、
「ザル」と「JAL」、
「工場(koujyou)」と「構造(kouzou)」、
「ジェット機(jettoki)」と「Z旗(zettoki)」
の区別が付かない、、、と言うことである。




韓国・反日小説の書き方 野平俊水 著 より
2005年02月07日