■表記の統一についてかんがえる(1)
――複数の表記が存在してしまう日本語のかきことば
新聞・通信社や出版社などの文章をかく現場では、「表記の統一」ということがよくいわれます。したがって、みなさんがよむ新聞・書籍・雑誌の表記は、基本的に統一されたもの(小説などのフィクションはのぞきます)。でも、読者であるみなさんのがわからすれば、表記の統一ってなに?というひとがほとんどでしょう。
ここでは、出版業界のかたすみでいきているわたしが、表記の統一についてかんがえたことをまとめていきます。
1. 「表記の統一」ってなに?
「表記の統一」とは、あることばのかきあらわしかたを1つにきめる、ということ。
たとえば、「おいしい ゆどうふ の つくりかた」というフレーズについてかんがえてみましょう。
「おいしい」の部分は
- 「おいしい」
- 「美味しい」
- 「オイシイ」
「ゆどうふ」の部分は
- 「ゆどうふ」
- 「湯豆腐」
- 「ゆ豆腐」
- 「湯どうふ」
- 「ユドウフ」
「の」の部分は
- 「の」
- 「之」
- 「ノ」
「つくりかた」の部分は
- 「つくりかた」
- 「作り方」
- 「つくり方」
- 「作りかた」
- 「ツクリカタ」
といった複数の表記が可能です。もちろん、ここにあげた以外の表記もありますが、とりあえず、ここにあげたものだけで計算してみると……なんと225とおり(3×5×3×5=225)もの表記が可能、ということになります。たかだか「おいしい ゆどうふ の つくりかた」というフレーズなのに。
225とおりの表記は、どれも、日本語として意味が通じますよね(漢字のかきとりテストをやっているわけじゃありませんから)。意味が通じる以上、「おいしい ゆどうふ の つくりかた」の225とおりの表記は、どれもこれもまちがいではない、ということになります。
2. なぜ、日本語のかきことばには複数の表記が存在するのか
日本語のかきことばには、どうして、ありあまるほどたくさんの表記が存在してしまうのでしょうか。こたえは簡単。日本語のかきことばでつかわれる文字には、たくさんの種類があるからです。
日本語のかきことばでつかわれる文字には、つぎのようなものがあります。
- ひらがな……ふつうにつかわれているのは71字(濁音や半濁音をふくめて)。「ゐ」「ゑ」をふくめると73字。
- カタカナ……ふつうにつかわれているのは71字(濁音や半濁音をふくめて)。「ヴ」「ヰ」「ヱ」をふくめると74字。
- 漢字……高校までにならう常用漢字が1945字。戸籍法施行規則できまっている人名用漢字が983字。あわせて2928字。
- 算用数字……0〜9までの10字。
- アルファベット……大文字と小文字をあわせて52字(ほとんどが英語をかきあらわす場合です。したがって、「Ç」(セディーユのついたC)や「Ö」(ウムラウトのついたO)といったアクセント記号つきのアルファベットをつかうことは、あまりないですね)。
これらの文字のうち、とくにたくさんの表記をうみだしているのは漢字です。
さきほどの「おいしい ゆどうふ の つくりかた」の例を、もういちど、みてください。ひらがなとカタカナしかつかわなければ、16とおり(2×2×2×2=16)の表記でおさまります。ところが、漢字をつかうことで、表記のかずは225とおりにまでふえてしまうのです。
日本語のかきことばでつかわれる漢字には、はっきりとしたつかいかたのルールがありません。「えっ? 学校でならった漢字をつかえばいいんでしょ?」とおもっているひともいるかもしれませんが、残念なことに、そんなルールはどこにも存在しないんですよね。
信じられません? では、ひとつ質問を。みなさんは「ありがとうございました」をどうかきますか?
「有」「難」「御」「座」「居」は、どれも常用漢字。ですから、高校をでたひとなら、どの漢字も確実にならっているはずです(おぼえているかどうはべつにして)。「学校でならった漢字はすべてつかう」というルールがあるのなら、「有り難う御座居ました」「有難う御座居ました」以外の表記はありえない、ということになるのですが、現実はどうでしょう?
かじょうがきのリンクをクリックすると、それぞれの表記をグーグルで検索した結果が表示されます。結果からわかるのは、「ありがとうございました」の表記がわれている、という現実。つまり、漢字のつかいかたには、ルールなんてものはないんです。
「ありがとうございました」を漢字でかくなんておかしいよ!――。はいはい、「ありがとうございました」をひらがなでかく多数派のみなさんは、こんなふうにおもうかもしれませんね。そう、まさにそのとおりなんです。
あることばを漢字でかくのかひらがなでかくのか、はたまたカタカナでかくのかアルファベットでかくのか……といった表記は、みなさんがまさに感じているように、ひとりひとりの“感覚”にまかされています。こうした“感覚”は、“りくつ”(論理)であるルールとは、根本的にあいいれません。
だから、現在の日本語のかきことばには、複数の表記が存在しているわけです。