アカギレのインパクト
些細な事が生活全体にさりげなく影響を与えてたりする。
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些細な事が生活全体にさりげなく影響を与えてたりする。
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今日の夕方、おいちゃんサンが、我がバンド「メールハート」のCDを届けてくださいました。
昨年12月の「解散ラストコンサート」の模様を収録した「音源」を、おいちゃんサンが札幌のCD製作会社と交渉しながら、100枚限定で製作した「記念CD」がついに完成したのであります!!!!
おいちゃんサン、CD完成までの諸々のご苦労、お手配、本当にお世話様でした。ありがとうございました
やはり、「プロ仕様」のCDは違います。CDジャケットから、歌詞カード、CDのラベルも、自宅のプリンタで印刷したモノとは、全然違います。
しばし、その完成具合にウットリしながら、今夜は、久々に?落ち着いた夜・・・・。昨年のラストコンサートを回想しながら、我がバンドの「名演奏」を聴きながら(←自画自賛・・・・)ゆったりと過ごしております。(今、胸に「24時間心電図計」を貼り付けて検査している最中なので、あまり動きたくない・・・)
「100枚限定生産」ということで、バンドメンバー全員でそのCD製作のお金を分担し合い、僕の手元にはそのうちの「20枚」があります。
バンドのコンサートがあれば、会場ロビーとかでCD販売ができるのですが、もう「解散」してしまったバンドなので、そういう機会がありません。
さ、どうする??20枚。
20枚も??
いや、
20枚しか??
すでに、数人の方から予約があったり、
昨年のコンサート当日に私、KONOにお花や差し入れをくださった方に御礼としてプレゼントしようかなぁ、、と思ったりする人もいたり・・・、
そうなると、さらに、数は減り、、、ホントに幻のCDになりそう・・・。
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サウンドプロジェクト:MH1226
販売元 creative-studio夢飛行
タイトル MAIL-HEART Last Concert メロディーの風と共に去りぬ
定価2500円(税込み)
1.最後の恋心紙
2.別れの風景
3.WALKING IN THE RAIN !
4.DREAMING MEMORIES
5.君の涙が勇気に変わる時
6.ロマン
7.軽い砂
8.気まぐれパーティー
9.今、そしてこれからへ
10.あなたに逢いたいな
11.心の扉
12.赤土色の笑顔
13.明日からは
14.メロディーの風と共に去りぬ
於:2007.12.26 伊達市信金コスモスホール
カラーブックレット4P 歌詞カード付き
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本棚の中に、1冊の「詩集」を見つけた。
その中にこんな詩がのっていた。
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ご縁のまま ---法務につく---
私の毎日は お経をあげたり
お寺の雑用をしたり
いままで 批判して来た
坊さんたちと
まったく変わらないが
ここも 私の思いなど
まったく通らぬ 仏さまの世界
言訳のようだが
ご縁のままに
なんでもさせてもらう
浅田正作・著『念仏詩集 骨道を行く』(法蔵館1988年)より
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今日、またお葬儀が入った。
また緊張しながら、枕経に向かう。
僕の胸の不整脈は「さりげなく」続いている。「鼓動」を意識するようなしんどい状態も時折くる。
かつて、
葬儀に明け暮れる坊さんだけにはなるまい、と思っていた。
いや、人の命は分からないから、
たとえ葬儀が続くような状況になったとしても、そこに埋没しない日々を歩くつもりだった。
もちろん、今も、埋没しているつもりはない。
しかし、
昨年、自分が住職になってから、容赦なく「葬儀」が続いていく。
そう言う意味では、
すっかり「葬式坊主」になってしまった。
たとえ「あの頃」の自分に、「現在」の自分を批判されたとしても、
でも、
僕も
「ご縁のまま」に
目の前のことを
テイネイに、大切に、つとめさせていただくだけだ。
目の前に厳然とある「点」をテイネイに結んでいけば、それは意味のある「線」となって、僕の人生上にひろがり、深まり、繋がっていくはずだから。
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久々に懐かしい音楽を聴きたくなったので、CDを棚からチョイスする。
あの「メロディー」がひとりの部屋に流れ出す。
ふと、そのCDの歌詞カードを見ると、発売年が「1988年」…。そのメロディーが今から10年前ではなく、20年前であることに驚く。
20年前か…
そんなに過ぎたのか?
そんな時間はどこに消えていった?
夜中にキレイな星空を見つめているときとか、
こんなふうに懐かしいメロディーを聴いているとき、
時間を感じる「感覚」がフッと壊れていく。
今の自分が「2008年」に在ることも「幻」のよう…。
フラフラではなく、
フワフワな夜。
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実は、
最近ずっと体調が少〜〜〜しだけ悪い。(あくまでも、少〜〜〜しだけですのでご心配なく)
だから、
今日午後から病院に行ってきた。
結果は………、
やっぱり「異常なし」だって(苦笑)
でも、一応来週、胸に貼り付ける「心電図計」を24時間装着して、様子をみるとのことでした。
それにしても、
病院でお医者さんの診察の結果を聞く時、思うことがある。
自分の体の具合が心配だからこそ、お医者さんの言葉の一言一句に真剣に耳を傾けるのだ。ほんと必死になって聞いている。
でね、
「仏教とかお寺には興味ありません!」という人が多い。
けど、お釈迦様の悟りとか親鸞様の教えが、(例えばお医者さんの話に真剣に耳を傾けるみたいに)
「あ、仏教は、俺の事を言ってるんだ!」
とか、
「あ、仏教の中味は、私の人生へのメッセージなんだわ!」
と受け止められたら、どうなのだろう?と思った。
つまり、仏教の「中味」が長年積み重なった「イメージ」に阻まれて、きちんと伝わっていないから、興味がもてないのではないか?
坊さんの怠慢と、知ろうとしない人達との「相乗効果」があるのだろう。
例えば「失恋ソング」に涙しながら共感するように、
例えば「応援ソング」にパワーをもらうように、
真剣に胸一杯に生き、壁にぶち当たり、行き詰まり・・・・、そんな自分に「スポットライト」があたるとき、
そこに「聞こえてくる」 ような「仏教の中味」とか、それを伝えている「お寺の存在の意味」を発信していく為に・・・、
もっともっと、僕自身、求めていかなきゃ。
そんなこと、病院で考えとりやした。
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去年末で解散した我がバンド「メールハート」のメンバー・おいちゃんサンのブログ、
北海道から夢飛行☆心の部屋☆Jazzと気ままなアダマスの毎日☆ (http://blogs.yahoo.co.jp/super_adamas1963)
で、去年末(2007年12月26日)の解散コンサートの模様の動画がアップされました!!
今回アップされたのは、初期の頃のバンドライブでも、そして、BOSANソングライターKONOのソロライブでも歌いまくっていた懐かしの『心の扉』であります。
この歌は、歌詞は、当時15歳(中学3年)だった女の子が、将来への不安な心模様や夢への決意を詞に書いてくれて、僕が曲をつけさせてもらった作品です。現在、その彼女ももう20代半ばになり、「社会人」として頑張っています。時間の流れを感じます。歌いながら、僕自身もパワーをいただいていた大切な1曲です。
ちなみに、解散コンサートでの僕のライブ衣装ですが、師匠のマネして「PPFMのマント」を着用。赤い「アフガンストール」も巻いていたのですが、ステージ上で暑かったので、この時点ではハズシテしまってます。それにしても、ラストコンサート、緊張してたなぁ・・・。でも色んな事があって、楽しく充実した10年間のバンド活動でした。
こういう映像を見ると、ああ、解散したんだなぁ・・・・、としみじみ。
とはいうものの、バンドメンバー内で、今年からは、私KONOのライブをプロデュースしようとする動きアリ?
ライブ映像のアドレスはこちら↓
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つい数日前、「月参り」でお会いしたばかりのバアチャンが急に亡くなった。
知らせの電話をいただいたときも、しばらくは「同じ苗字」の他のバアチャンを連想してしまい、ピンと来なかったくらい、会ったばかりだったし、元気な人だった。
信じられない感覚が消えないまま、それでも準備をしてバアチャンのお宅に「枕経」に向かう。車を走らせながら、「もしかして間違いでは?」とまだ思っていた。
いつも毎月訪問してたバアチャンの家。つい数日前にお参りに来たばっかりの家。お宅に到着し、玄関のベルを押して、ドアを開ける。いつも、バアチャンが奥から玄関まで出てくる「タイミング」に、出てきたのは娘さん。
そして、つい数日前、バアチャンと一緒にお勤めをした仏間には、バアチャンの入った棺があった。
壁のポスターも、カレンダーも、植木も、飾ってある人形も、窓からの景色も、つい数日前にお茶を飲みながら眺めたのと同じなのに、バアチャンは亡くなってしまった。
娘さんから、亡くなった経緯を聞きながら、
「その瞬間」バアチャンは何を思っただろうか、と考えていた。
つい数日前のバアチャンとの「会話」、「姿」、「空気」のヒトコマ・ヒトコマが鮮明に思い出された。何気ないバアチャンと僕との「最後の時間」の「記憶」がセリフが決まっている舞台のように蘇ってきた。
僕にとってバアチャンとの最後は、「声」だった。
その日、バアチャン宅のお参りを終えて「じゃ、また来るね。どうも~~~」と僕は、玄関を出た。バアチャンの方に向き直って、お辞儀をしながら、ドアを閉めた。
でもなぜか、いつもよりドアを閉める勢いが強かったのか、
「はい、どうも、また~~」
という自分の言葉(音声)が消える前に、ドアは全部閉まっていた。
すると、閉まったドアの向こうから、バアチャンの
「気をつけて~~~、はい、またね~~」
という「声」がした。
だから、僕は、そのドアの向こうの「声」に向かって、もう一度
「はいは~~~い!」
と言ったのだ。
あのとき、もう1回ドアを開けたら、そこにバアチャンはいたのに。
それが、バアチャンと僕との「最後」だ。
「枕経」をあげながら、泣いた。
嘘偽りなく、本当に可愛がってもらった。副住職の頃から、ずっと僕を応援してくれた。ライブにも来てくれた。お寺の学習会にもいつも足を運び「仏教の中味」を勉強されていた。報恩講では、婦人会の皆さんと厨房で一生懸命活躍してくれた。若い人のやっている「お店」を毎日手伝う「現役」だった。そして、いつも周囲に感謝していた。
葬儀は「家族葬」でおこなわれた。
「遺影」の写真が、バアチャンらしい笑顔だったので、また泣けた。
・・・・・・・その後。
数日たった。
また今日も、法事や月参りで、たくさんの檀家さん宅をまわった。帰る際に玄関のドアを閉めるたびに、
「ん??もしかして・・・・コレがこの人との最後になるかも?」
とか考えてしまう。そんな事を意識しすぎても、どうにもなるものではないけど・・・ね。
テイネイに生きていきたい、と思った。
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