2月9日(土)午後2時より渋谷勤労福祉会館で「冤罪・引野口事件学習会」(主催/無実のゴビンダさんを支える会)が開催されました。講師はジャーナリストの今井恭平さんです。
最初に、『冤罪File』でこの事件を取材した今井恭平さんが事件の全容について報告しました。次いで、片岸和彦さん(「引野口事件」の被告人、片岸みつ子さんの長男)がお母さんの無実を訴えるお話をしました。
「引野口事件」というのは、04年3月24日、北九州市八幡西区引野口で起きた放火・殺人事件。実の兄を殺害したとして逮捕された片岸みつ子さんは、2回の別件逮捕で6ヶ月間拘留されました。みつ子さんは一貫して否認を続け、自白調書や物的証拠がないまま起訴されました。裁判は30回の公判を経て昨年11月に一審(福岡地裁小倉支部)が結審し、3月5日に判決が出ます。弁護団は、この事件は警察が拘置所に送り込んだスパイの「告白」だけを頼りに立件したまれにみる冤罪事件であると主張しています。
●今井恭平さんのお話
今井さんは、この事件は全国紙では取り上げられていないが、驚くべき内容であり、「こんな事件・裁判はあるのかと思った」と述べ、事件の概要について次のように語りました。
引野口事件の概要を報告する今井恭平さん
事件の概要
04年3月24日夕方6時少し前、北九州市の引野口という所で火災が発生し、築100年の木造平屋の住宅が全焼して、この家に住んでいた男性(片岸みつ子さんのお兄さん)が遺体で発見されました。最初は単なる火災として新聞報道されたそうですが、鑑定の結果、遺体の左胸に刃物による刺し傷があり、心臓まで達していたことなどから放火・殺人事件として捜査がはじまりました。
初期、有力な目撃証言があり、事件現場と道路1つ隔てた公園で遊んでいた小学1年生の男の子が、マスクをかけた男性が自転車でやってきて公園に自転車を止め、事件現場の家に入って行き、しばらくして出てきたのを目撃しました。その後、現場から煙が出てきたと言います。この男の子は空手を習っていて、挨拶をすることを教えられていたので、知らない人に対しても「こんにちは」と挨拶をしたのですが、その男性は返事をしなかったそうです。
事件から2ヶ月後、被害者の妹さんの片岸みつ子さんが窃盗罪(兄名義の預金引き出し)で逮捕されました。被害者には奥さんと3人の子どもがいましたが、10年ほど前から別居(家族は同じ敷地の別棟に住んでいた)しており、一人暮らしをしていました。被害者はアルコール依存症で、左足も悪かったため、ほとんど外出をせず、身の回りの世話や食事の世話は車で10分ほどの所に住む妹のみつ子さんがやってあげていました。
火事の翌日、みつ子さんはお兄さんの預金通帳から500万円を引き出しました。自分に万一のことがあったら、3人の子どもに教育費として200万円渡してくれ、とお兄さんから言われていたからです。そのほかの300万円は、お母さん(80歳過ぎ)と自分の葬式代、お母さんに立て替えてもらっていたお金の返済に充ててほしい、と生前お兄さんがみつ子さんに頼んでいたことは、第三者の証言もあるそうです。
お兄さんの遺言を実行したみつ子さんは、5月23日、窃盗罪で逮捕され、7月1日に威力妨害罪(義姉がお兄さんの生家で経営していた公文塾の一部を改修)で再逮捕されました。この威力妨害罪というのは、2年前、家族と別居し、築100年の古い家に住んでいたお兄さんとお母さんは、家族が住んでいる別棟(新しく建てた家)に移り住むために、お兄さんの奥さんがやっていた公文塾の一部を改修しました。それに対し、奥さんが訴えを起こしましたが、民事不介入で事件とはなりませんでした。その事件を再度持ち出してきたのです。
肝心の2つの容疑については取調べをせず、殺人と放火の取調べを行ったことを見ても、この2つの容疑は長期拘留のための別件逮捕であり、このような逮捕・取調べ自体が違法性を帯びている、と今井さんは批判しました。みつ子さんは2年間、弁護士以外は家族とも接見が禁止されたそうです。
検察の起訴の唯一の拠り所は、A子さんという21歳の女性の証言でした。このA子さんは車上荒らしなどで10件ほどの余罪があり、さらに覚せい剤の使用で警察署に入れられていました。みつ子さんはA子さんと合計82日間同じ房に入っていました。その間、ほとんど2人だけでした。ふつうは3、4人が入り、入れ代わりも頻繁にあるので、2人だけで同じ房に長期間入っているのは珍しいことだそうです。
検察の証拠は、A子さんがみつ子さんから犯行の告白を聞いたというものでした。A子さんによれば、みつ子さんがお兄さんを殺したのは(火事の前日の)23日だと言っているということですが、なぜ翌日、わざわざ実家に火をつけに行ったのか、その理由は不明です。また、殺害の理由は、みつ子さんがお兄さんの口座のお金を勝手に移し変えた(どちらもお兄さんの口座)ことにお兄さんが怒り、長年面倒をみてきたのに、とみつ子さんがカッとなって殺したとされています。
しかし、翌日の午後、みつ子さんはお兄さんの所にお弁当を届けています。火事のあった日の午後もいつものようにお弁当を届けに行っており、A子さんの供述は信憑性に欠けます。しかも供述が二転三転しており、これが果たして証拠として使えるのか、きわめて疑問を感じる、と今井さんは語りました。
当時、みつ子さんは認知症のお母さんの面倒をみていました。3人のお子さんは独立し、ご主人との3人暮らしでした。安定した生活を営んでおり、経済的にも困っていませんでした。お兄さんの家とは車で10分ほどの所に住んでおり、足が悪くてほとんど外出できないお兄さんの身の回りの世話をし、不動産業を営んでいたお兄さんに頼まれ、銀行などへも行ってあげていたそうです。
火事のあった日は午後に弁当を届けたあと、夕方はデイサービスから帰ってきたお母さんの出迎えや夕食の支度などもあって、とても犯行を行う時間帯にお兄さんの家に行っている時間はありませんでした。火災が起こったのは午後5時56分ごろであり、午後6時3分に知人から火事の知らせを受けて急いでご主人と現場に向かうということは、時間的にみて不可能であることがわかります。
A子さんは勾留中、自分の取調べはほとんど受けていないことなどから、自分の罪を軽くしてもらう条件で警察のスパイとしてみつ子さんと同じ房に入れられたのではないか、との疑念がもたれています。それに対し、警察は、本人が自発的に話している、と主張しているそうです。しかし、A子さんが断片的に話す内容は変遷しており、とても自発的には見えないそうです。
凶器についても、A子さんは「果物ナイフ」「台所の包丁」「フランス製のアーミーナイフ」などと言っており、さすがに「フランスで購入したアーミーナイフ」はおかしいと思ったのか、警察はこれを調書から削除したそうですが、こうしたやり方を見ても警察にとって都合のいい内容だけを取り上げて調書が作成されていることがわかる、と今井さんは指摘しました。
この事件では凶器は特定されておらず、台所の包丁からも反応が出ていないそうです。みつ子さんの車にも血痕のあとはなく、首や胸を刺したというなら当然返り血を浴びているはずなのに、血痕のついた着衣は出てきていません。凶器も物的証拠もなにもなく、放火についても、火をつけたのはライターとか仏壇のマッチとか、A子さんの供述は変遷しているそうです。
A子さんの供述に対し、みつ子さんは、「同房者を使って自分を使って、私が兄を殺し、放火したなどと勝手に話をつくり上げて犯人に仕立て上げた」ときっぱり否定しています。今井さんは、6ヶ月の警察の厳しい取調べでも完全否認を貫いたみつ子さんに対し、裁判所がA子さんの話を信用するのか、と疑問を呈しました。
みつ子さんには冤罪事件を扱ったことのある4人の弁護団がついており、弁護団に「やっていないなら嘘をついてやったといってはいけない」と言われているそうです。今井さんは、冤罪事件の経験のある弁護団がついたことがみつ子さんの力となっていることにも言及しました。
みつ子さんのご主人は、みつ子さんが逮捕されたあと11日目に自殺したそうです。家族に対して警察の執拗な尾行があり、息子さんの1人は任意同行され、警察から取調べを受けていました。ご主人はそのことをとても気に病んでおり、精神的に追い詰められて自ら命を断ったのではないか、と今井さんは語りました。家族を死に追いやるほど、警察の取調べがいかに過酷なものであるかがわかりますが、そのような中で6ヶ月も否認を貫いたことの意味をみんなで考えてください、と今井さんは訴えました。
信憑性に乏しいA子さんの話をもとになぜ検察が起訴したのか。それは、「秘密の暴露」があったからでした。「秘密の暴露」というのは、真犯人しか知らない事実を供述した場合、たとえば、凶器の隠し場所や遺体のある場所などを話すことです。この事件ではなにが「秘密の暴露」だったのか。A子さんのストーリーによると、みつ子さんはお兄さんの首を刺したと言っているということになっています。権威のある法医学者のT鑑定医が最初の鑑定で遺体の首の傷を確認していないのに、21歳のわけのわからない女の子が言ったことを信用して再鑑定をすることに今井さんは疑問を呈しました。
A子さんの供述をもとに再鑑定を行ったところ、確認されていなかった首の傷が見つかり、そこから生前に受けた右総頚動脈の欠損が判明したそうです。再鑑定を行ったのは火災から2ヶ月以上経過しており、死体検案時に首の損傷が確認されていなければ頚動脈の組織を残しておくはずはないことがわかりますが、再鑑定の結果、致命傷は心臓の刺し傷ではなく、首の傷であると鑑定結果を変更しました。T鑑定医がお墨付きを与えたことにより、これが「秘密の暴露」ということになったわけです。
しかし、弁護団側の鑑定医の見立てはこのT鑑定医とは異なり、火が出たときと胸を刺されたときは同じで、煤が肺に残っていたことなどから、生きているときに火事が起き、(心臓にまで達するほどの)胸の傷と火事で亡くなった、と鑑定しているそうです。T鑑定医は独特の手法で火事で亡くなった人の死亡推定時刻を出しており、そのやり方についてはほかの法医学者から「おかしい」とクレームが出ているそうです。
今井さんは、首の傷は5mmで、胸の傷は2.8cmであることから、別々の刃物で刺したのか。もし、それが致命傷だというなら、なぜ最初の鑑定のときに気がつかなかったのか。あとになって気がついたのか。「素朴な疑問として残る」と述べ、T鑑定医の鑑定に疑問を呈しました。
5mmの傷については、高熱で血管の中の血液が沸騰し、弱い一点が破れて噴出するケースがあることはT鑑定士も認めており、弁護団は、遺体が焼けているのになぜこれだけ残したのか、T鑑定医は念のためと言っているが、検死のとき警察が立会い、メモをとるのが通常のやり方なので、首に傷があることを警察が知っていて、それを「秘密の暴露」と言っているのではないか、と述べ、最初からストーリーが出来上がっていた可能性があることに言及しました。
疑問点の整理
次に、この事件の疑問点について、今井さんは主として次のことを挙げました。
A子は窃盗の余罪があった。覚せい剤もやっていた。少年のころから非行歴があり、成人して実刑になることを恐れていた。余罪のうち立件されたのは1件だけで、執行猶予がついた。A子は接見が許され、共犯者である夫らとの面会が解除されている。
A子には警察に協力するメリットがあった。A子の供述は矛盾に満ちている。警察に否認をしている人が同房の人に話をするだろうか。頸部の傷は刺し傷なのか、それとも熱損傷なのか。そもそも被告人の自白ではない。A子の話は「秘密の暴露」にあたるのか疑問である。
動機についても納得がいかない。検察はみつ子さんの日記などを押収し、そこに書いてあった介護の愚痴を動機の立証のためにしている。最初は、被害者が旧家で土地などを持っている資産家であったため、財産を狙ったとしたが、被害者には奥さんと子どもがいるので、被害者が亡くなっても遺産は妹のみつ子さんにはいかない。みつ子さんは家庭があり、経済的に安定していた。財産ではなく、途中から犯行の動機が介護疲れに変わった。
今井さんは、別件逮捕による長期勾留や2年間の接見禁止には大きな問題があるとしたうえで、「最後に1つだけ」と裁判について言及しました。裁判は11月12日に結審し、検察の求刑は懲役18年。3月5日に判決が出ます。少年が見た怪しい男について、検察は論告(検察の最後の主張)でもこの男に言及しているそうですが、犯人ではありえないと言っているそうです。
その理由は、こんな日が高い時間に公園に乗り付けて堂々と正面から入って犯行を行うはずがない、というものですが、しかし、みつ子さんは日が高い時間に堂々と自分の実家に車で行っています。むしろ、みつ子さんのほうがみんなに見られる危険性が大きい。今井さんは「こんな辻褄の合わないことまで検察は主張せざるをえないお粗末さが象徴的に表れている」と述べ、捜査の杜撰さを厳しく批判しました。
●片岸和彦さんのお話
警察の初動捜査ミス
片岸和彦さんは、お母さんの無実を訴えるために全国を回って歩いているそうです。和彦さんは、「なんともいえないもどかしさがあるが、母の無罪を確信している」と明言しました。無罪を確信しているが、判決を聞くまでは安心ができないので、「判決を聞くのが怖い」とも語りました。和彦さんは、子どもの立場として最後まで母の無罪を訴え、無罪を勝ち取りたい、との思いを表明したうえで、今回の事件については警察の初動捜査のミスで起こったことであるとの認識を示しました。
お母さんの無実を訴える片岸和彦さん
目撃者は小学1年生の男の子ですが、その証言は克明で、次のようなものだったと語りました。
「公園で遊んでいたら自転車に乗ったおじさんがきた。おじさんは白髪混じりで、顔にマスクをしていた。胸にマークのついたスポーツシャツをしていて、50代ぐらいだった。現場から煙が上がる15分ぐらい前にきた。〈こんにちは〉と挨拶をすると返事がなかった。おじさんは公園に自転車をとめて現場の家に入って行った。5分ぐらいしてから現場から出てきて、自転車に乗ってどこかに行った。空手教室で先生から挨拶をしなさいと言われているのに、なんでこのおじさんは挨拶をしないのかなと思った。お母さんが迎えにきたので一緒にベンチに座っていると現場から煙が出てきた」
目撃者の少年はこの話をお母さんに伝え、お母さんと一緒に警察に行って、調書を作成したそうです。和彦さんは、「警察は最初、この目撃証言に基いて周辺の聞き込みをしたが、足取りがつかめなかった。それで、母に疑惑の目が向けられた。それが大きな間違いだった」と述べ、警察の初動捜査の過ちを厳しく批判しました。和彦さんは「とても口惜しい」といまの思いを吐露しました。
秘密の暴露
遺体の首に残っていたとされる5mmの傷について、和彦さんはボードに図を書きながら、このような傷は火災で亡くなった遺体にあるケースであり、T鑑定医も当初この傷については火災による血管の血液の破裂としている、と述べ、それを「秘密の暴露」としたのは、検死のとき検視官や警察が立ち会っているので、その傷を「秘密の暴露」に使おうとした思惑があったのではないか、と語りました。
A子さんについては、2回証言に立っているそうですが、「聞いていて、これはひどいと思った」と語りました。検事の質問にはまるで答案用紙をもらっているようにスラスラしゃべり、6ヶ月も経っているのに克明で、内容ができすぎているので弁護士が検事と何回ぐらい打ち合わせをしたのかと尋ねると、A子さんは「15回ぐらい打ち合わせをした」と答えたそうです。
A子さんについて、和彦さんは「そういうことをしゃべってしまうような女の子」だと語りました。
たとえば、「A子さんは、遺体は南方の方角に寝ていたと母がしゃべっていたと言っているが、ふつう南方の方角に寝ていたなどという言い方をするだろうか」と疑問を呈し、検事のつくった調書に書いてあることをそのまま言っているのではないか、との見方を示しました。また、お兄さんに買っていった弁当の名前を、みつ子さんの記憶違いを直して言っているなど、捜査情報を教えられ、丸写しにしたような供述書が出てきているそうです。
A子さんは釈放されたあと、また窃盗で逮捕されたそうです。A子さんは余罪が30件あり、その手口もかなり大胆不敵な窃盗を行っているにもかかわらず、国選弁護士が接見をしたとき、A子さんは実刑にならないと言ったそうです。これは警察から利益供与を受けていると(本人が)自覚していると弁護士は確信したそうです。マスコミでもこのことが報道され、その後、A子が急に話をしなくなったのは、警察がA子に口止めをしたことが考えられる、と語りました。
父の死の悲しみをしまいこんでやっている
和彦さんは、亡くなったお父さんへの思いを次のように語りました。
「父は母が逮捕された11日後に自宅で首をつって亡くなりました。父も取調べを受けていました。母に対する揺さぶりをしようとしていた。警察は父に、お宅の嫁さんはもうお宅に対して愛情もってないよ、とか、奥さんは浮気してるよ、とか、奥さんを無理にかばうことはないよと、とか、いろいろ言っていたそうです。家族に尾行がついて、周辺への聞き込みもありました。父は追い詰められていた。それが亡くなる2日前の精神状態でした。血圧が200まで上がり、車も運転できず、家に引きこもり状態。私たちに心配させまいと言わなかったが、やっとしゃべってくれた。
父は母のことを信じていると言いました。妹も弟も家に帰っていて、父が亡くなった現場を確認したのは弟です。母はおじさんを殺していない。母は否認を続け、頑張っていた。この先も頑張ってくれると信じている。同房者の証言で母は起訴され、4年間も拘置所に入っている。こんなことがあっていいのか。母を助け出さなければならない。無実を確信している。母を1日も早く助け出さなければならない。父の死の悲しみをしまいこんでやっています」
警察はこんなことまでするのか
また、別件で家宅捜索をされたときの警察の態度について、和彦さんは次のように語りました。
「別件逮捕で家宅捜査を4回やった。私の父が亡くなったとき、捜査の長の人がお参りをさせてほしいといった。そんなふうに思ってくれているのかと思い、了解しました。10人ぐらいの県警の人間が家宅捜索にきて、押収品を確認するとき、仏壇の前でガバッと広げながら「これはなんだ」と聞いた。それを見て、なんだ、形だけだったのか、父が亡くなったことなどなんとも思っていないのだ。屈辱的だった。(警察は)こんなことまでするのか、許せない、と思いました。口惜しかった。
また、警察はこんなことも言いました。あなたがた3人の子どもがいるからお母さんはお兄さんを殺めたけど子どもの将来のため言わないんだ、お母さんに自白をするように言ってくれ。ふざけるな、こんなことがあっていいのか、人をバカにするな、と言いたかった。警察はなんでもする。いいことを言っても信用ができない」
母の無実を確信している
和彦さんは2年前に会社を辞め、お母さんの無実を訴えるために全国を回って歩いているそうです。刑事裁判は無罪判決が出るのはまれだと言われており、無罪判決を書いたことのない裁判官がたくさんいる大変な状態なので、自分のやってきたことを和彦さんは「後悔はしていない」と語りました。しかし、みつ子さんには自分が会社を辞め、このような活動をしていることを伝えていないそうです。
和彦さんは、弁護士さんやお父さんやお母さんの友人や近所の人たちが支えてくれていることに感謝の言葉を述べながら、「これで有罪が出るならどんな刑事裁判も有罪になる。きちんとした判決が出ることを信じている」と述べ、裁判所が公正な判断をしてくれることを信じていると語りました。
母に安らかな生活を返してほしい
また、同房者を使い、本人の同意なく証拠としたのは違法であり、不同意によってA子さんの供述は証拠として採用されなかったことにも言及したうえで、警察は捜査の誤りを認め、真犯人をつかまえてほしい、と訴えました。「亡くなったおじさんも、一番世話になった妹にこんな思いをさせて申し訳ないと思っているはず。自分たちは亡くなったおじさんの遺族でもある。再捜査をしておじさんの無念を晴らしてほしい。母に安らかな生活を戻してほしい」と訴えました。
また、裁判所に我々の思いを伝えるために4万弱の署名を届け、さらに、裁判所に要請ハガキを出している、と語りました。要請ハガキは昨年10月からはじめ、全国から7000枚が届いているそうです。注目されている裁判であることを裁判所に伝えるために、1人でも多くの人にこの事件を知ってほしい、と述べ、参加者に対し、まわりの人たちに広めてほしい、と訴えました。
福岡だけでなく、東京でも知る事件となれば力になるので、いろんなメディアで伝えてほしい、と述べ、取材にきていたTBSやフジテレビ系のメディアや、報道関係者の記者たちに、この事件を伝えてほしい、と訴えました。判決が出るまであと1ヶ月しかないので、この事件を知った人たちが1時間でも2時間でもこの事件のことを考えていただければ嬉しい、と語りました。
最後に、和彦さんは、無罪の判決が出ることを確信しているが、無罪の判決が出たあと、検察が控訴をしないように「母自身の言葉で訴えてほしい」との思いを語りました。
今井さんからも、無罪判決が出たとき検察が控訴をして2度恥をかかないように、絶対に控訴をさせないために署名と申請はがきを出してほしい、との訴えがありました。
●質疑応答
質疑応答では、窃盗罪でつかまったA子さんが自分の取調べは2、3日しかなかったのに、なぜ長期間勾留されていたのか、といったことに対する疑問や、凶器や返り血などについて警察は立証したのか、といった疑問や、致命傷になるぐらいの傷なら最初から鑑定医が気づくはずなのに、なぜ気づかなかったのか、といった疑問や、殺人の動機ならむしろ遺産を相続する人たちのほうにあるのではないか、といった疑問などがありました。
また、冤罪事件を取材している記者からは、最近の裁判はふつうならありえないような有罪判決を出しており、A子さんの供述は証拠として採用されないということだが、A子さんが法廷でしゃべったことは証拠として採用されるので、注意を要する必要があること、ちょっとでも有罪になりそうなところを探してきて有罪とするケースがあるので、裁判所にそのような材料を与えていないか、といった質問などがありました。
また、遺族の意見陳述が裁判官に与える心証についての質問がありました。この事件では被害者の長男が代表して意見陳述を行ったそうですが、みつ子さんを犯人と断定したうえでのものであり、「お父さんにコンビニの弁当ばかり食べさせて」といったみつ子さんを糾弾する内容であったそうです。しかし、この10年間、被害者の世話をしていたのはみつ子さんであり、遺族の人たちではありませんでした。みつ子さんには反論の機会がなく、冤罪を訴えている被告人にとって、こうした遺族の意見陳述はリンチに近いものがある、と今井さんは語りました。
●筆者の感想
筆者はこの事件を知らなかったので、今回、今井さんと片岸和彦さんのお話を聞き、大変驚きました。お2人のお話を聞いて思い出したのは、元特捜検事の田中森一さんが、被疑者に裁判で覆されないように、検察が調書をつくるときわざと名前の字を間違えて書き、そこの箇所だけ訂正をさせて信憑性を持たせたり、調書を読み上げるとき飛ばして読んだり、調書が何枚もあるとき大事なところをあとで差し替えるといったテクニックを使うと話していたことでした。
また、鑑定医が再鑑定を行い、鑑定の結果を変更したというお話や、この鑑定医の死亡推定時刻の出し方についてはほかの鑑定医から異論が出ているというお話は、仙台クリニック事件の鑑定医が、学説や世界的な論文などとは異なる鑑定結果を出し、それが守大助さんの有罪判決の根拠になっていることを思い出しました。警察の初動捜査の誤りが多くの冤罪を生み出していることを思うとき、この事件について和彦さんが指摘した「警察の初動捜査のミス」というお話は深く頷くものがありました。
また、和彦さんのお父さんが自死されたことを知り、たいへん痛ましいとの思いを抱きました。少し前、警察の厳しい取調べを受けて自殺した被疑者の妻が、「警察にいくら本当のことを言っても信じてくれない」といった意味の遺書を残していたことを思い出し、暗澹たる思いにとらわれました。
(ひらのゆきこ)
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特集:裁判クライシス
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