2008-03-11
■TBSラジオ「Life」/自分探しの回まとめ
TBSラジオ「Life」速水健朗さんゲストの回を聴きました。先に出た新書の内容を中心にいろいろな議論がありましたが、どれも読者の疑問とリンクしていて興味ぶかく聴けました。いつものクセでメモを取りながら聴いていたのですが、後でメモを読みながら放送をふりかえってみたらおもしろかったのでここに書きます。かんたんなまとめです。
- 自分探しは世代、個人によって受け取り方がちがう
肯定的=中田英寿 否定的=イラク人質事件
二面性 定義もあいまい 連想するイメージも多様 - 自分探しのルーツはバックパッカー
見聞を広めたい 好奇心を満たしたいという層
どこかのタイミングでベタな自分探しにシフトした
ここが最初の論点でした。世代によって受け取り方がちがうというのはわたしもそうおもっていた。たぶん、今の25歳あたりがひとつの区切りになっていて、そこから下の世代はあまり自分探しといったことは考えないのかな、とか(印象だけです)。また40歳より上になると、自分探しなんてまったく無関係なことになって、上から目線で諭そうとしたりする。こういうずれが発生するのは、個人の認識というより世代的なギャップに原因があるのかとおもう。自分探しという言葉におもいあたるふしがあるのは、そのあいだの世代(25歳から39歳あたり)なのだろうかと考えたりしました。あと自分探しの定義は未だに難問かも知れない。
- 猿岩石ブームについて
ふたつの要素(夢を追うこと、労働すること)
働くことの定義が明快で共感された - 他者の承認がゴール
自分探し=他者に認められること
承認されるための労働 - 八〇年代とのちがい
八〇年代=「わたし」を消費で構築する
〇〇年代=金がないから消費で自己構築できない
第二の論点は労働と承認の関係。自分探しといいつつ他者からの承認を得ることが最終的なゴールになっていること。速水は「職能」というキーワードでラーメン屋の例をあげていた。仕事は今、誰にでもできること、いつ辞められてもすぐに替えが利くような内容のものがほとんど。できるだけマニュアル化され機械化されて、仕事が半日で覚えられるようなものがコスト的にもベスト。そうした仕事には誇りを持ちにくい。ラーメン屋には職能が求められる(個性的なラーメン)。ゆえにラーメン屋は自分探しと親和性が高くなる(作務衣、毛筆で書かれた教訓等)。しかし、これについては「職能に誇りを持つのはいいんじゃないの」という意見もあった。むしろ問題は夢をエサに薄給で若者を働かせる、搾取の構造の方か。わたしは、他者の承認を求めるとか、職能に憧れるということじたいはさほど悪くないとおもうが、現実的には「人に感謝される立派な仕事」なんてほとんどないから、職業にやりがいを求めてしまうとしんどいとおもう。この「やりがい」問題もまた後半で議論されていました。
- 九〇年代半ばから書店に自己啓発書が増える
個人のサバイバル意識 倒産やリストラなど
メンタル面の強化など 生き残りに強迫観念的
新書ブーム(ビジネス書マーケット)も同じ図式 - マルチと自己啓発はイコール
マルチを浸透させるために自己啓発を利用
いかにモチベーションを維持するか
美容師・ホストなどの厳しい職種も同様か
第三の論点は不況や倒産などの社会状況とのつながり。メンタル面を強化しないと組織や社会の中で生き残れないという強迫観念がたくさんの人にうえつけられて、その結果として自己啓発が利用される。どうやって仕事へのやる気をキープするか。あー、わたしが昔はたらいてた会社も、みんなで営業目標を声だして言ったりしてたなー。ああいうのかなりいやだったよ。ようするに、しらふじゃ会社勤めなんてやってられないから、自己啓発でもなんでもやって別人にならないとリストラされちゃうみたいな感じなのだろう。わかります。社風もあるけど、しんどい会社はかなりしんどいからね。このへんはちょっと暗い気持ちになりつつ聴く。
- やりがいの搾取
手段が巧妙化してきている やりがいという餌
自発的に搾取の対象になっていく 非正規雇用問題
ヴィレッジ・バンガードやタワーレコードなど - 派遣業の問題
ビジネスモデルとして終わりかけている 継続性がない
アルバイトも同様 働き手がいない状態
しかし薄給でもやりがいを提供するだけで淘汰されない
搾取がなくならない 市場として不自然になる
話題が自分探しから派生する社会状況についてに移っていき、次は労働環境や雇用形態の問題。やりがいを餌に、ほとんど冗談みたいな時給でアルバイトさせる会社がでてくる。しかしやりがいを提供してくれるので、搾取されている本人はむしろ自発的である(好きな仕事をしているという意識)。ただし客観的に見るとどう考えてもその労働条件はおかしい、といったことがでてくる。ここも意見は割れて、企業がやりがいを提供するのはよしあしだという話も。優良企業はどうしても宗教性を帯びる。それを社会性とどう両立させていくかが問題。たしかに企業の内部における一体感はおかしな方向にいくことがあるとわたしもおもう。しかしそれは人が集まればどうしても起こってしまうことでしかたがない。やりがいをマネジメントに活用しようとするのもなんかわかる気が。ただし行きすぎると社会性と並び立たなくなる。じっさいに会社に勤めてみると、そういう雰囲気はわりとよく感じます。いずれにせよなんだか暗い話になってしまいます。
というあたりで、いまひとつまとまらないまま放送は終わり。というのも問題が多岐に渡っているので、すべてをフォローするのはむずかしいのである。とはいえ問題提起はたくさんあってどれも有意義でした。冒頭でもふれられていた沖縄のボラバイトや外こもり(海外滞在)などの例のように、自分探しが、日本の周縁もしくは外側へ退避するかたちでおこなわれる場合もあれば、「絶対内定」や自己啓発のように、社会の内側でサバイバルするための手段としておこなわれることもある。さまざまにかたちを変えた自分探しの罠が待ちかまえているややこしい社会だなと感じました。いずれにせよまじめな人ほど自分探しに陥りやすいという印象はあります。「好きな仕事をすること」が正しいという意識も影響しているような気が。もっといいかげんに無目的に働くというのはどうだろうか。なんかこう、あるんだかないんだかわからないていどのやる気で、のらりくらりと。