'08.03.10 (月)
|
マルコム・ランジス大司教様からお返事を頂きました |
サイトにアップしようかな?と思いつつ、しかし用意しただけでそのままになっていたものがあります。それは、先月の17日に教皇様と典礼秘跡省局長マルコム・ランジス大司教様に出した手紙です。
そして本日、全く思いがけず、ランジス大司教様からお返事を頂きました。私は何かごく具体的な問題を大司教様にご相談しご助力を求めたというわけではなかったので、お返事を頂けるとは全く予想していず、驚くと共に、とても嬉しく思いました。
お返事の内容は、公的なというより私的なもののような気がします。ですので、大司教様に断わりもなしにここに公表するのは、ちょっとどうかとも思います。でも、公表することにします。度を超えてこの理由を使ってはいけませんが、「われらの信仰のため」 です。(大司教様、どうかお許し下さい... )
第一には、僭越ながら、日本の信仰を同じくする皆さんに、「聖座は聞く耳を持ってますよ」 ということをお知らせするため。
第二には、大司教様のお返事の内容そのものに、やはり私達が聞き届けておくべきものがあると思うからです。私はやはりこの大司教様のお心の内にあるものに、毎度強い印象を受けずにはいられません。このお返事の中でも、クォーテーション・マークで囲んだ上で、"loss of faith" (信仰の喪失) とか "reformist" (改革論者) などという表記があります。これほどハッキリとものを言う聖座高官はあまりいないのではないでしょうか。
そして、そればかりではありません。大司教様はこのお返事をこう結んでいます。「私達は、教会のため、またこれらの大変な時期にある私達の教皇のため、更に熱心に祈らなければなりません。とにかく、正しい教えを保つために全てが為されるであろうと信じて下さい。私のためにも祈って下さい。」 つまり 「祈り」 ということで結んでおられます。正しい危機感を持ち、且つ祈りの重要性を知っている、とても良い司牧者だと思わずにいられません。
私が 「ランジス大司教様に手紙を出してみよう(出したい!)」 と思うきっかけになったのは、大司教様が或る書物に提供した序文 (「ミサにおける聖体拝領の際の跪きと舌による聖体拝領についてランジス大司教は語る」) でした。この序文のことを掲示板で教えてくれた nowhereman さんに再び感謝します。
また、昨年の初めの Inside The Vatican 誌における大司教様のインタビュー記事 (「決めるのは教皇様です」) を教えてくれた S さんにも改めて感謝します。