フリーライター/鈴木 正博


 

4.病院との闘い
 中傷に耐えながらも裁判で闘う家族がいる。杉野正雄さん(49歳)、文栄さん(43歳)は、この1年間、嫌がらせの電話と手紙に悩まされた。「母親が悪いのに病院から金を取る気か」「日本中の人間がおまえのことをばかにしている」「おまえのしつけが悪かったのによくテレビに出ていられるな。3人子どもがいるんなら、上の2人もとんでもねえ奴らだろう」などと、いわれなき批判に苦しんだ。
 杉野さん夫妻の三男隼三【しゅんぞう】くん(当時4歳)は、平成11年7月10日の夕刻、自宅近くの盆踊り会場で転倒した際、誤って綿あめの割りばしが喉に刺さり、救急車で東京・三鷹市にある杏林大学付属病院に運ばれた。
 隼三くんは、母親の文栄さんがボランティアで会場の運営を手伝うため、一緒に来ていた。模擬店の綿あめの試作品を食べていた隼三くんは、文栄さんがその場を離れていた間に転倒した。転倒に気がついた文栄さんが駆けつけ、うつぶせに倒れていた隼三くんを抱きかかえると、唇が紫色になっていた。
 診察にあたった医師の処置は、傷口を見て薬を塗布するという簡単なもので、入院の措置さえ取らなかった。その日帰宅した隼三くんの容態は翌11日の早朝に急変。すぐさま前日と同じ杏林大学付属病院に運ばれたが、午前9時すぎ、死亡した。
 隼三くんの死亡直後、杉野さん夫妻ら親族5人は病院の別室に通された。数人の医師が入れ代わり立ち代わり現われては、隼三くんの死後に撮られたCTスキャンの写真を前に夫妻らに説明を行なった。診察に当たった医師は「割りばしが死因ではない。急変したらすぐに病院に来るように言ったはずだ」と文栄さんを責めたが、文栄さんにはそんなことを言われた記憶はない。別の医師は、「割りばしが喉に突き刺さることは考えにくく、もし刺さったなら即死しているから、原因は割りばしではない。考えられる原因としては、先天的な脳の奇形か、くも膜下出血だろう」と説明した。
 文栄さんの妹が「なぜレントゲンやCTスキャンなどの精密検査を行なわなかったのか」と問いかけると、「レントゲンの撮影をしなかったのは被曝の影響を恐れたこと、CTスキャンを使用しなかったのも、隼三くん程度の状態でCTスキャンを撮っていたら、子どもはみんな撮らなければならなくなる、たまたまこの病院にCTスキャンがあっただけで、設備のない病院ならできないでしょう」と弁明もした。最後には、「これだけ脳の損傷が激しければ、命を救うことができたとしてもおそらく植物状態になっていたでしょう」との説明までされた。その言葉は暗に救命できなかったほうが今後のためにはよかったのでは、という無責任な言い方にすら聞こえた。
 それでもこの時点では、杉野さん夫妻は隼三くんの死を運命として必死に受け止めようとした。



 

書類送検にも態度を変えず
 しかし、杉野さん夫妻が医師の説明を聞き終わるころ、病院には荻窪署の捜査が入っていた。12日に行なわれた司法解剖では、隼三くんの脳に約8センチの長さの割りばし片が残されており、その割りばしが小脳にまで達したことによる頭がい内損傷が死因であることが判明した。この時点で、病院側の治療が適切であったのか、いわゆる医療ミスではなかったかが問われることとなった。
 病院側は、翌日の13日に名刺も渡さず「救急外来医長」と名乗った医師ら3人が杉野さん宅を訪れ、ここでも「診察に過失はなかった」ことを説明している。その後に行なわれた記者会見でも、同様に医療ミスを否定した。
 病院の対応に不満を抱いていた杉野さん夫妻だったが、この会見の模様を聞いて不信感は決定的となった。治療についての説明が、立ち会った文栄さんが現実に見たことと食い違っていたのだ。病院側は、5分ほどしか行わなかった治療を30分と言ってみたり、隼三くんが首の座らないほどぐったりとしていたのに、「意識レベルは高く、正確に受け答えした」などと会見では主張した。
 それからちょうど1年。隼三くんの一周忌目前の7月7日に、荻窪署は、治療に当たった32歳の医師を「治療に過失があった」として、業務上過失致死の容疑で書類送検した。しかし、この期に及んでも病院側は、「まったく過失はなかった」という主張を崩していない。
 今年のはじめ、杉野夫妻は、弁護士を通じて病院側に「誠意を示すつもりはあるかどうか」の問い合わせを行なっている。病院側の回答は、「刑事裁判で一定の結論が出たら判断する」というものだった。杉野夫妻は、病院側の過失が警察によって認定されたのなら、誠意ある回答がされるものと思っていた。ところが、警察の書類送検という結果 を受けて病院側から返ってきた結論は「適切な診療である」という、何ら変わることのない内容でしかなかった。
 杉野さん夫妻は、今後、検察庁がどう判断するかに関係なく、損害賠償請求を起こすべく準備を進めている。具体的な賠償金額についてはまだ未定だ。病院側からの慰謝料の類はいっさい受けてない。訴訟の準備として、昨年11月には、印紙代ほか約40万円を支払って、病院に保管されているカルテなどの証拠保全申請を東京地裁に行ない、認められた。
「証拠保全申請にしても、裁判を弁護士に依頼するにしても、私たちにとっては高額な金額です。隼三の葬儀代、一周忌の法要など、この1年間は持ち出しばかりです。家のローンもありますし、出費を考えると憂鬱です。でもそれとこれとは別 です。今回の書類送検は診察した1人の医師に対してのものでしかありません。しかし、私たちは、病院の姿勢そのものを追及したいんです。医師というのは人間のいのちを預かっているわけですから、他の職業とは責任の重みが違うと思います。このままでは第二、第三の隼三が必ず出ます」(正雄さん)
 証拠保全が認められ、手に入れたカルテを見た文栄さんには腑に落ちない点がいくつもあった。カルテには、「意識レベルの低下、出血した時は、再度来院を指示」など、診察時には一度も指示されず、記者会見で病院側の主張した言葉が書き加えられていたことも見つけた。
 家庭内が動揺もした。ある時、長男から、「裁判して負けちゃったら刑務所に入っちゃうんでしょ。そうしたら僕たちご飯を食べられなくなっちゃう」と言われて、ハッとした。子どもたちにまで心配をかけている自分たちの姿に「これではいけない」と夫妻で語り合ったこともあった。
 杉野さん夫妻は、仮に民事訴訟で勝訴しても、賠償金は「隼ちゃん基金」として困っている人たちのために使うつもりだ。すでに葬儀の香典の中から50万円を近くの乳児院に寄付までしている。隼三くんが生前に拾って届け出た100円硬貨が、落とし主が見つからず戻ってきたのを機に基金のための通 帳も作った。
「死んでしまった以上、隼三には普通の幸せをかなえてあげられませんでした。『正義の味方になりたい』と言うのが口ぐせだった隼三のために、社会的存在として意義のあることをしてやるのがせめてもの親としての気持ちなんです。そのためにも病院の無責任な体質を追及しなければと思っています」(文栄さん)

 
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