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都心掘れば、ご先祖さま 建設現場に人骨相次ぐ

2008年03月10日15時09分

 東京都心のマンションやビルの工事現場から、かめや木おけに入った江戸時代の人骨がひょっこり見つかる例が相次いでいる。江戸の街では、遺体を葬った墓地をそのままにして寺院が移転してしまうことが頻繁にあったが、近年の建設ラッシュで、その跡地が深く掘り返されることもあるためだ。うち捨てられていた骨が長い年月を経て、江戸を知る資料として日の目を見ている。

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06年に東京都墨田区のマンション建設現場で見つかった、かめに入った骨=同区教委提供

 1月中旬、墨田区のJR錦糸町駅のほど近く。マンション建設のため更地にした地面を掘り返していた際に、人骨が入った高さ70センチほどの常滑焼のかめが見つかった。通報を受けた本所署によると、地中2、3メートルのところにあり、ほかにもいくつかあったという。

 古地図で見ると寺があった場所。鑑定で事件の時効がとっくに過ぎている古い骨だと確かめた後、文化財を調査する同区教委にゆだねられた。

 06年にも同区吾妻橋のマンション建設現場で、人骨の入ったかめや木おけ約300個が見つかった。江戸後期の骨が大半で、墓地があったとみられる「成就寺」は明治以降に移転していた。

 浅草など寺社町が多かった台東区では07年、ビルの工事現場で約30体分が掘り出された。港区でも05年、新築住宅の基礎工事中に40体分程度が見つかった。各区から報告を受ける都教委は「統計はないが、年1、2回は決まってある」という。

 江戸時代は土葬が主流で、遺体を一人ずつかめやおけに納めて埋めることが多かった。かめは武士や富裕な町人、おけは庶民用とみられる。

 江戸文化に詳しい都市史研究家の鈴木理生さんによると、徳川家康の江戸入城や明暦の大火(1657年)などを機に江戸は都市整備が進んだ。街の拡大に伴い、幕府の命で寺院は引っ越しをさせられたが、その際、ほとんどの墓地が放置されたという。

 人々の遺骨への執着も薄かった。「大量に人が流れ込み、そして死んでいく。子孫も続かないことが多く、いちいち構っていられない。それが都市の合理性」と鈴木さん。墓は死者をまつるよりも「死体処理施設」の機能が強く、発掘された墓地跡からは、古い墓の上に新たに墓が作られた例も確認されている。

 ではなぜ、200〜300年もたった今、発見例が相次ぐのか。

 複数の自治体の文化財担当者は、近年は基礎工事の段階で昔よりも深く広範囲の地面を掘り返す工法に変わったため、墓地跡が見つかりやすくなったと指摘する。マンションなどの建設ブームは続いており、今後も増える可能性はあるという。

 鈴木さんは「高度成長期の建築ラッシュ時などにも、けっこう見つかっていたはず。でも『縁起が悪い』と、施工主らが表に出さないことが多かったのではないか。自治体の調査態勢も整っていなかった」と推測する。

 最近は「江戸遺跡」への関心が高まり、保存状態のよい骨は当時の人々の健康状態や食生活を知るうえでも注目される。調査担当者の悩みは、工期遅れや風評を気にして建設業者らが協力したがらないこと。寺があった場所は事前の試掘を頼むなどの調整も、試みられているという。

 明治になると墓地や埋葬の取り扱いは法的に整備され、土葬から火葬中心に変わって骨の持ち運びも容易になった。1948年には現在の墓地埋葬法が定められ、墓地移転の際には、遺体を移す「改葬」をしなければならないとされている。

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