消すんじゃねぇよ、管理人
原文→http://www.exordio.com/1939-1945/codex/Documentos/report-49-USA-orig.html
米軍報告書にみる慰安婦の実態
以上紹介したのは、日本軍が利用した慰安婦-Comfort Women-に関して米軍情報部が1944年に作成した報告書である。この報告書は、北ビルマの「ミートキーナ」付近で連合軍の捕虜となった朝鮮_人慰安婦20名に対する尋問結果を元に構成されており、慰安婦の生活状況や健康状態が詳細に記録されている。
報告書の性質
読者が留意すべきなのは、この報告書が「米軍情報部 心理作戦班」により作成されているという点である。報告書の中に登場する「プロパガンダ」の項目や、「プロパガンダ・リーフレット(宣伝ビラ)」「ラウド・スピーカー(大音量マイク)」及び「ラジオ放送」に関する言及からも理解できるように、彼らは日本軍に対する心理諜報戦を実施する部隊である。彼らの使命は日本軍のあら捜しをすることであり、慰安婦に対するこの尋問も、反日宣伝の材料を得る目的で実施されている。
当然のことながら、本報告書はその性質上、日本(当時はまだ交戦状態にある)に対して最も批判的な視点から書かれており、それ故に多くの偏向を含んでいる。一方で、プロの調査官が実査に基づきリアルタイムに作成した本報告書は、近年、政治目的で流布されている反日プロパガンダと比べれば、遥かに誠実かつ正確な内容となっている。
米軍は少なくとも1942年(報告時点より2年前)には慰安婦の存在を認知しており、その後も情報を蓄積している。報告書の記載にも従前の報告が引用されていることからも、報告者が慰安婦について相当の予備知識を持っていたことは明らかである。
慰安婦-Ianfu-の定義
報告書は、慰安婦を「単なる売春婦-prostitute-ないしプロのcamp followerに過ぎない」と定義している(因みに、兵隊は慰安婦のことを隠語で“p”と呼ぶ)。この表現が正確であることは、報告書を通読すれば容易に理解できる。ただし、正確に言えば、もぐりの業者に雇用される売春婦はここでいう「慰安婦」ではない。慰安婦と呼ばれるのは、軍から営業許可を受けた公認業者の店:慰安所で働く女だけである。
この記述は、当時の米軍の目から見て慰安婦は「単なる売春婦又はプロのcamp follower」であり、諜報班ですら反日宣伝の材料にはならないと認識していたことを意味する。当時、米軍も戦地で盛んにcamp followerを利用していたのだから当然だろう。
慰安所の立地
報告書が指摘するとおり、慰安所は最前線ではなく後方の都市にある。より正確にいえば、前線付近の兵站駅か、後方の主要都市または港湾に立地している。
本来、このような場所には大抵既存の売春街があるし、仮に無い場合は現地のcamp followerを誘致すれば済む。欧州戦線における米軍は専らこの方法をとった。
一方、日本軍では兵士の私娼利用を厳禁していた。兵がもぐりの売春業者に出入りすることを黙認すると性病の蔓延や機密の漏洩が危惧されるし、「現地の女を買いまくる」ことは軍の体面上も好ましくないからである。
軍はこの問題に対処するため、もぐりの売春業者を取り締まる一方、国内の公娼を占領地に誘致する政策をとった。これが慰安婦システムである。このシステムにおいては、軍の定める規律と要件を満たした業者だけに営業許可が与えられ、その後も営業適正化のための監査、監督が実施された。
なお、米軍占領下の東京にも「赤線」と呼ばれる米軍将兵向けの売春街があり、その一部は米軍の命令で動員されたものである。
報告の概要
本報告書が指摘する慰安婦の実態は概ね以下の通りである。
(募集)
・慰安婦の募集はブローカーを通じて行われた。応募者の多くは無学であり、家族の借金返済のために数百円の前受金を受け取って契約書にサインした。
(収入)
・出来高払いで、総売上げの40~50%が給与となる。
・尋問した慰安婦の平均的な月収は750円程度である。
※当時、日本軍将校(少尉)の月給は70円であったから、その10倍以上に相当する。
(衛生状態)
・慰安婦の衛生状態は良好であり、食事も十分であった。
・避妊具は十分に支給され、軍医による定期的な健康診断が実施された。
(労働環境)
・週1日は完全休業で、健康診断が行われる。
・規則により夜間と早朝は休業とされ、利用時間は厳守された。但し、将校は割増料金を支払って宿泊することができた。
・慰安婦には接客拒否の権利があり、泥酔した客はしばしば接客を拒否された。
・借金を返済し契約の条件を満たした者は、帰国することができた。
(私生活)
・休暇を利用して将兵とスポーツに興じ、あるいはピクニックに出かけ、その他の娯楽を楽しんだ。客と連れ立ってデートや食事に行くこともあった。
・町にショッピングに行くことが許されており、洋服、靴、化粧品、食料品から蓄音機まで、好きなものを買うお金は十分にあった。
・将兵からの求婚が多く、実際に結婚したものもいた。
「史実を世界に発信する会」blogより
慰安婦は単なる売春婦-prostitute-ないしプロのcamp followerに過ぎない(^^