日誌

2008年03月09日
意気投合前

彼女はこちらをくるりと向くと
「音楽やってらっしゃるんですか?」
といった。
僕は普段できるだけミュージシャンに見えないように昔から気をつけているが、大体すぐにばれる。十数年も音楽に携わっていると自分でも気づかないうちに変な「クセ」があるのかもしれない。例えば文筆家の指にペンダコがあるように、風俗嬢からは何となくいかがわしいシャボンの匂いがするように(するのかな?)
そうですと簡単に答えると、何をやっているのか、どのへんでやっているのか、プロなのかと質問の応酬にあってしまった。こういう場合非常にこまる。
僕の立ち位置といえば非常に微妙なのだ。知らない人に言葉で正確に表現するのはとても難しい。

しかし、予想に反して彼女は音楽にかなり詳しいようだ。好きなバンドは「アポジー」だと語り始めた瞬間から、この子はもしかしたらわりと僕と近い所にいるかもしれないと思い始めた。
あげく僕はなんだか彼女のことを見たことがあるような気がしてきた。下北沢にはしょっちゅう来ているというし、どこかですれ違ったことがないともいいきれない。で、思わず
「ねえ、僕らはどこかであったことがあるだろうか?君の顔をどこかで見たことがあるような気がする」
といってしまった。なんだか下品な口説き文句みたいだ。自分でいって情けなくなってしまった。
そしたら彼女は身体をくねらせて
「人違いですよ。私みたいな女の子はたくさんいますから」と恥じらいながらいった。
「でも下北のバンドは好きですよ。だからしょっちゅう写真を撮りに行くんです。」
「じゃあ本業はカメラマンなの?」
「ううん。本当は物書きなの。食べられないけど」
「じゃあ僕と一緒だ。音楽やら文学やらなんて、宝くじより少し分がいいギャンブルみたいなもんだもんね」
「あ、それって宝くじをあてるよりは、自信があるってことですか?」 
 彼女は笑う。
シューゲーザーが好きだという彼女に僕はクライフのメンバーだと告げたらどうなるだろうか。
お話はこのあとも続いて行く。




2008年03月08日
3.141592

どのような状況においても、何かを待つというのは結構しんどい作業である。たとえば張り込みをしている刑事や、獲物を狙うハンターなどは仕事の大半が「待ち」なわけで、それはそれは退屈で大変だろうなと思う。しかし彼らにとっては犯人を捕まえたり、獲物を捕らえたりというとてもハッピーなエンディングが待っている。(もちろんいつもハッピーというわけではないだろうけど)だからこそ彼らは狭いセダンの車内で、極寒の原野で、安いパンを齧りながらひたすら待ち続けることができるのだ。

それとは別に、報われない退屈さというのが存在する。閑古鳥のなくコンビニでひたすら客を待っているとして、お客さんが来ても何の感慨もなく、その客が帰ればまた先ほどと同じ静寂に戻る。達成感などどこにもない。

今日の僕は状況は違えどまさにそれだった。あまりに暇なので、意味不明の図形をノートの切れ端に書きなぐり、その場に突っ伏しそうになる眠気を必死で払った。なんたってずっと座っているからお尻がもそもそして嫌な感じなのだ。
あまりに退屈であくびの数もかなりの数を数えた頃、ふと僕の脳裏によぎったものがあった。

「日本人の中には円周率を100ケタまで暗記した人がいる」

まったく本当に暇な人がいるもんだ。確かにすごいことはすごいが、だからなんなのだ。そんなことをするくらいならもっと常識的なことを勉強して税理士か会計士にでもなればいいではないか。
ところで円周率というのはなんで割り切れないんだっけ?どのような計算からそれが導きだされるのか、考えてみれば僕はよく知らない。OK。このクソ退屈な時間を使って円周率の謎に迫ってやろうと僕は考えた。切れ端に奇麗な円を書いて、計算式をかき込んでいく。
しかしもともと根っからの文系である僕はまったくもって悪戦苦闘。あまりの難解さに(これくらいでね)頭がもんもんとしてきた。
結局、自分の頭の悪さを呪いながら、次々に図形を真っ黒にして、時間は飛ぶように過ぎていくのであった。

ところで昔はなんで割り切れないのかと大嫌いだった円周率だけど、今はなんだかかわいく感じてしまう。わからないということが魅力的なのかしら?

退屈な時間は過ぎて、夜は円周率みたいな女の子とお話をした。こちらも充分難解だったが、楽しかった。



2008年03月07日
フワリカ

エガワ君が定期的に行っているイベント「フワリカ」もパート4を迎え、一段と盛り上がりを見せてきた感じです。
会場は、最新型の設備を整え、音響も照明も素晴らしい高円寺HIGH。
出演者はそれぞれナイスなグルーブで独特のダンス空間を作り出す、キュマバロウ、TRON、バサロクラブ75の面々。プラスもちろんエガワヒロシ。これは盛り上がるなという方が無理だ。


それぞれのバンドがいうならば親戚みたいなものだから、出演者の中に非常に和やかなムードが漂い、それはお客さんにもさりげなく伝わっているようだ。

しかし、やはりステージはどのバンドもうまい。それぞれにスタイルがあって、魅せる方法を知りつくしている人たちだから、見ていて飽きるということがない。

キュマバロウはやや内向的ながらもストイックに、
トロンはあくまでさわやかに、それでいてテクニカルに、
バサロはセクシーかつコミカルに、
そしてエガワ君はあくまでストレートに、
それぞれの世界を奇麗に描き出していました。

いいイベントだったな。

しかし、その裏側で僕はひたすら迷子になっていた。ライブハウスの内部というのは嫌でもややこしくできているものだし、なぜかコンビニに行くたびに違う方向に帰ろうとして何度もわけがわからなくなった。
危うく係の人に
「タツイミキヤ君のお母様、ミキヤ君を迷子センターでお預かりしています」とアナウンスされるところだった。
自分でもあきれるくらい方向音痴なのだ、僕は。
もしかしたら「フワリカ」とは僕のことなのかもしれない(フワリカってなんだ?エガワ君?)



2008年03月05日
ランデブー

エガワ君の周到なリハはあまりに順調に進み、「もうこれ以上やったら本番テンション下がるんじゃないか」とレフェリーストップがかかるくらいの勢いであった。
 対するキュマバロウはぎりぎりまで曲の調整が進み、「もう間に合わないかもしれないから、新曲は次回のライブにまわす方向で」と半ばあきらめていたが最終のリハでなんとか間に合った。

3月7日は面白いことになりそうです。
高円寺HIGHにて。

ジャンボと、ジェットと、プロペラと、紙飛行機が、スクランブルします。
乱気流に巻き込まれて窒息するような気持ちよさを味わうのは、もちろんそれを目撃するあなた。

ちなみにジャンボはバサロ、ジェットはTRON。
あとの二つは…
ご想像にお任せします(笑)




2008年03月02日
まめ

キュマバロウとエガワヒロシのリハなどで大忙しの日々ですが、7日に向かってなかなか充実した日々を送っております。
その分、家のことがおろそかになるので、部屋が小さく爆発している。まめに掃除をするというのが苦手なんだよね。
「ようし!やるぞ!」と腕まくりして、ハチマキ巻いて、ハチマキ外して、風呂入って、一服して「ようし!やるぞ!」とやらないと掃除できない。

ちょっとした時に本やCDをチャチャッと片付けて、ササッとゴミを捨てたりできる人を見ると尊敬してしまう。どうしてそんなにまめまめしく動けるのだろう。
きっとそれ専用の小さなデジタルのモーターがついているのに違いない。僕のはとても旧式のバッテリーだからだめなのだ。ブルルンとヒモをひっぱるがなかなかエンジンはかからない。
やはりオシャレな暮らしを楽しみたいなら、まめであることは必須である。

ところで最近またもや僕の中に「ナッツブーム」が到来中である。かつてエガワ君にもらったでっかいナッツの缶をひと月もたたずに完食したときは、我ながらすごいと思ったが、最近はピーナッツや空豆のフライを一日1袋以上は食べている。
異常だとは思うが、ポリポリいうグルーヴサウンドを止められないのよ。

毎日スーパーで空豆のフライを買って帰って食べていたが、一週間くらい続けたら値段が10円上がっていた。僕のせいか?!



2008年02月29日
オルタナティブ

料理本などたくさん持っているからもういらないのだと思っていたのに、ぶらりと寄った古本屋さんでまたもや1冊購入してしまった。しかし、こればかりは仕方がないように思う。

普通僕が料理本を選ぶ時のポイントは1、写真が美味しそうに見える。2、作り方の解説がわかりやすい。3、仮に作らなくても、見ているだけで幸せになれる。などがあるが、今回買った本はそんなポイントにはひとつも当てはまらない。
解説は非常に大雑把で、分量が載っていなかったり、仮に載っていても「豚肉2キロ」とか、「アサリ1キロ」とか、びっくりしてしまうような数字だったりする。そのくせ変な所は実に子細に渡って説明されており、鶏肉の料理なんて、毛をむしるレクチャーから始まる。

何よりすごいのが写真で、完成品の料理の奥にその素材が写っているのだが、なんというかグロいのだ。レンコンは泥まみれ、人参は土まみれ。これはまだいい。野菜の本来の姿はそういうものだし、なかなか男の料理としてワイルドな感覚を想起させる。しかし、魚になると突然このワイルドさが激しくなる。かごに大量に押し込められたカマスの顔や、無造作に置かれた二つのシャケのアタマ。ヌメヌメとしたねばりを隠そうともしないナマコや、腹から白子を抜き取られてうらめしそうにこちらを見つめるタラなんかを見ていると、ちょっと手前に写っている料理どころじゃなくなってくる。
肉になるともうすごいもんで、ニワトリはニンニクと一緒に丸まってるわ、羊の脳みそは瓶詰めになってるわで食欲などまるで無視の展開である。さすがに牛や豚は出版社もワイルドすぎると思ったのかその屍は写真に掲載されていないが、「牛ショートリブ薫製」の写真などは牛の塊肉の上に斧が置いてある始末だ。もうここまで来たらスプラッタである。

しかし、そのえぐさに圧倒されて思わず購入してしまった。やれオシャレなカフェだの、小奇麗なレストランだのといっても、所詮食べるということはとてもグロテスクな行為なのだ。
そしてそのようにして命をいただいている以上、コンビニのシーチキンおむすびひとつとっても無駄にはできないのだ。

ちなみにこの本は80年代に出版されているのだが、さすがオルタナティブブーム前夜だなという感じがする。



2008年02月28日
気の迷い、好転

僕が靴を履いて演奏することで(ドラムの演奏法を修正しています)バンド自体に劇的に変化が訪れるのは、もしかしたらエガワ君の所かもしれない。
今日は久しぶりのリハーサルだったんだけど、その違いは如実に出た。

エガワ君の曲は相当にポップなんだけど、元のルーツは結構ブルースとかから来てる部分が多くて、音源などのリズム(特にスネア)は常にレイドバックしている感じがする。僕の奏法はどちらかというとニューウェーブのそれで、かちかちに前線で固めるから、ゆっくりの曲とかだと攻撃的すぎて、聴いてて疲れちゃう感があったが、バスドラのサウンドに肉がついた分、スタイルは変わらないんだけどウワモノの許容範囲が広がったせいで、エガワ君の歌い方にも幅が出た。
なんというか今までアクセルベタ踏みでメーター振り切ってやってたのが、靴を履くと速く走ることよりも景色を楽しんでみようかと思えるようになったといえばいいのか。

ギターの田村君は「靴履くだけでそんなに変わんのか」と笑っていたが、僕もびっくりした。

もちろん僕も今まで靴を履いて演奏したことがないかといわれればあるのだが、今回、完全に酔っぱらって気の迷いで衝動買いした安物のスニーカーが、こんなに僕の音楽人生に貢献するとは思わなかった。

もしかしたら歴史的アイテムになるかもしれない物は写真集にて紹介しますが、センスが悪いと笑わないでください。



2008年02月26日
妄想。

格子戸を開けて少し薄暗い空間へと入ると、店の主人が奥の間から暖簾を分けて顔を出す。
「おっ、タツイさん今お帰りですか?」
僕は適当な席に腰を落ち着けながら荷物を降ろす。
「雨がぱらついてきましたね。今日はちょっとした雨宿りということで」
主人は「はいはい」と笑いながら厨房に入り、一杯のビールをついでくれる。
「タツイさん、じゃあいつもの口上をお願いしましょうかねぇ」
「いいですか。それでは。」
僕は軽く咳払い。
「これはお酒であってお酒でない。我々の疲れ傷ついた心に染み渡る、ひとしずくの幸せ。乾杯。」

主人はにこりと笑うと背を向けて何やら準備を始める。
僕は杯を傾け、天井の薄暗い部分に目をやる。静かな時間。何かが煮えている音が聞こえる。外では静かに雨の気配がする。だからこそ、静寂を親密なものに感じる。

しばらくそうしていると、目の前に器がコトリと置かれる。
「ご主人これは?」
「煮こごりです。次はいつもの酒でいいですかい?」
「ああ。ありがとう。」

茶褐色のゼリー状の中には穴子がちりばめられていて何とも美味である。細かく砕かれた枝豆が見た目にも美しく、また食感のアクセントにもなっていていうことがない。
そうこうしているうちに焼酎が手元に置かれた。僕の好きな元老院。僕が地方にいったときに気に入って、ここにも仕入れてもらったお酒だ。それと一緒にそばみそとひじきが一緒に出てくる。量はほんの少しずつ。これがいいのだ。人生においても何もかも少しずつというのがいい。


「タツイさん、そろそろ茹でてみますか」
二杯目の酒を掲げながらご主人は、僕のアタマの中を見透かしたように声をかけてくる。

蕎麦は十割の素朴な味わい。ぷつりと噛み切る感触がとても気持ちよく、なによりツユがきりっと辛口で爽快だ。この人はどこでどのようにして修行したのだろう。やはりこの人なりの苦労があってこの味を獲得したんだろうなと思うと、少し涙が出そうになる。


主人はいう。
「蕎麦食べながら泣く御仁も珍しいね、まあ、だからあたしはあんたのことを好きだけどね。がんばりなよ。」



そばにこんな素敵なそば屋があれば間違いなく通うだろう。しかし今はまだない。
別にそば屋じゃなくてもいいんですけどね(笑)




2008年02月25日
長風呂

僕は基本的に風呂もトイレもすこぶる短い。まさに用が足せればそれでいいと思っているので、トイレなら5分、風呂なら15分もあれば十分だ。
世の中にはトイレが書斎のようになっていたり、さながらリビングのように風呂で過ごす人がいたりなんかするらしいが、器用なものだなと思う。

といいながら今日は休日なので、特別に長風呂することにしてみた。実は小説で煙草を吸いながらシャワーを浴びるシーンにしびれてしまい、自分もやってみたいと思ったのだ。そう思ったら、お風呂の中で遊ぶのが急に魅力的に思えてきた。アヒルの玩具や、船の形をした水温計(大好きだった!)はないけれど。

いつもより随分ぬるめに湯を入れて、マンガを用意する。後は煙草ね。

さて、湯につかりながら初めての読書。なるほどいいかも。快適かも。ところが勝手がわからないから、腕がだんだんしんどくなってくる。しかも「本が濡れたらどうしよう」とドキドキしてきた。でも読み始めたら止まらないのが僕の悪い癖で、もう目が離せない。おかしな体勢でおっかなびっくりページを捲る。ぬるいからのぼせることはないけれど、半身浴の要領なので額から汗が吹き出てくる。腕はプルプルしている。快適というよりはもはやちょっとしたダイエットみたいになってきましたよ。
でもマンガの緊迫感(寄生獣を読んでたの)とこのきつい体勢がマッチしてきたのでそのまま最後まで読み続けた。


読み終わってやっと手をぼちゃんと湯船に沈める。はあ疲れた。さてでは煙草でもと思ったら手を濡らしちゃったよ僕。
いそいそと外に出てタオルで手だけを拭き拭きし、バシャンと戻ってきて煙草に火をつける。んー小説と全然違う。小説のはシャワーだからよかったのか。湯船でやると温泉地にいる、マナーの悪いおじさんみたいでよくない。

まあ、何事も最初からスマートにはいかないというのもあるけど、それにしても疲れた。
上がって時計を見てみたら、2時間も経ってた。

こういうのって何度か練習してると快適になってくるものなのかしら?




2008年02月23日
ついてない。または注意力散漫。

電車に乗って目的地に着くまでいつものように小説でも読もうと思ったら、カバンに入れるのを忘れていた。そうだ、ブックカバーを付け替えてそのまま机の上に出しっぱなしだった。僕は電車の中では常に本を読んでいるので、なんとなく気まずい。同じ車両に乗り合わせた人たちが、クラスは違うけど顔くらいは知っている同級生みたいな感じに見えてきて、なんとも居心地が悪い。

帰り道、最近この路線をよく使うので回数券というやつを買ってみた。一枚多く出てくるのでパスモより少しお得である。
さて意気揚々と電車に乗り込んで(小説ないからちょっとへこむが)新宿で回数券を改札に通したら、ピンポーンとブザーが鳴る。見ると210円の区間なのに170円の切符を買っていた。しかも11枚も。これでは乗る度にわざわざ40円追加しなければならない。なんたる初歩的ミス。自分でもバカじゃなかろうかと、うなだれながら駅員さんに事情を話すと、
「ああ、これは一枚使っちゃってるから払い戻すと手数料がかかって11枚買うより高くなっちゃうよ」
だそうである。しかたがない。残りの10回は毎回乗り越し料金を40円払って乗るしかないようだ。だって、お得のつもりが損したんじゃ意味ないもん。しかし、それによって今後貴重な時間を損してしまうのか。10回分も。なんか悲しいのである。

もうほとんどマトリョーシカの一番中身くらいにちっちゃくなりながら帰宅。ドアを開けるとハナのニャーが聞こえて少し気分が楽になる。電気をつけてふと見ると、今日は燃えるゴミの日だった。
昨日の夜出しやすいように口まで縛っていたのに…

すでにマトリョーシカを叩き割ったら中から梅干しの種が出てきましたくらいにしぼんで、豚肉とキャベツの重ね蒸しを作ったら、唐辛子入れすぎて火を噴いた。

結局スープを大量投入して、まったく違う名前の料理になったものをすすりながら、
「しかたがない。こんなついてない日もたまにはあるさ」
と苦笑してみたものの、僕は密かに気づいていた。

これはついていないのではなくて、僕がぼーっとしてるだけだ。

その証拠に、冷蔵庫の中には今、大玉のキャベツが2つ仲良く並んでいる。



2008年02月21日
センチ

空を見ながら煙草を吹かす。
煙は青の中に散り行き、僕の肺の中は曇り空。
気持ちいい。
この空がどこまでも続いているのなら、見知らぬ誰かも僕と同じ空を眺めているのだろうなと思う。
愛しい気持ち。
そこに希望はあるのだろうか。

うん、あると思う。

「科学の方法」(中谷宇吉郎著)によれば
「ひとつ例をあげれば、天災だとか、あるいはいろいろな事故(アクシデント)とかいう問題も、科学だけでは、片のつかない問題である。隕石に打たれて死んだ人は、まだ記録がないが、時々隕石が地面まで落ちてくることは確かである。それで今後隕石に打たれて死ぬ人はあり得るといっても、ちっともおかしくはない。隕石は流星であるが、今後いくら流星の研究が進んでも、隕石に打たれて死ぬことを、完全に阻止することはできない。」

すなわちそれが希望だ。





2008年02月19日
タテノリズム

まもなく新しいCDがアウトされるクライフインザベッドルームのライブは下北沢QUEにて。

いつもクライフのことをここに書く時、ギターの轟音の凄まじさと、甘い世界観をなんとか文字で表現したいと思うが故に、かなりストイックな文章になっておりましたが、実際聴いていただければわかると思いますが、結構ポジティブサウンドなのです。まるで夢の中のお花畑のようにふわふわした世界。まあ歌詞は非常に暗いのが多いんですが。
今回は最新の曲から昔の曲までまんべんなくチョイスしたハイブリッドな曲順で、僕自身も相当楽しませてもらいました。

後半戦、プラスティックバッグが始まって、僕的にはドーンといってたんだけど、ちらりと客席を見やると皆さん素敵なノリで踊っていらっしゃる。タテノリストの僕としては、「こういう激しい曲はぴょんぴょんタテノリなんじゃー!!」と皆を牽引すべく、ソロにも似た怒濤のプレイを展開しました。
しかし、皆さん相変わらず気持ち良さそうに揺れていらっしゃる。ふと見ると一番気持ち良さそうに揺れているのはユウスケ君その人でありました(笑)

来月からツアーです。クライフの縦横無尽なノリを是非見にきてみてはいかがでしょう。

楽しかった!!



2008年02月18日
僕の王国

やけに赤い夕日を眺めながら、僕らは微妙な距離でふたり歩いていた。明日もきっと会えるはずなのに、僕はいつも逆のことばかりを考えてしまい、ついついつまらないことをしゃべりすぎてしまう。しかし彼女が笑顔でうなずくたび、ポニーテールが揺れ、潔く引き締まった顔の端正な輪郭と、夕日のにじんだような赤のコントラストの接点があまりに美しく、僕はやがて言葉をなくしてしまう。

ああ、いつもこうなのだ。彼女の前で僕は何もできなくなってしまう。自分の人格ではない何者かにならなくては、結局彼女とお話をすることもできないのだ。

そして「さようなら」をいったあと、僕は少しだけほっとする。

かくして、偽の現実とリアルな理想が交錯し、僕の王国は着実に創られていった。
20年経った今も、その王国は寂しくはあれどまだ存在している。もちろんこの世界は永遠に続くのだ。痛みを痛みとして認識するために、自分の情けなくも恥ずかしい、斜めに伸びた影を確認するために、王国は静かに門を開いている。

今年もここにこうしてやってきた。
だけど久しぶりに来てみると、なんだか不思議な感じがする。
今までにはなかったような感覚。
寒々とした風景しかないこの場所に、なぜか暖かみを感じるのは何故だろう。

音楽だ。音楽がなっているんだ。
この、色が抜け落ちてしまったような世界に、静かに音楽が流れている。
僕にはそれが聞こえる。それだけでとても嬉しくなってしまう。

まるで何かの予言のように流れるそれに、僕はそっと手をのばす。

「おかえり」



2008年02月15日
現代の病

僕のお財布の中にはカードがたくさん入っている。それにしてもそれぞれのお店や機関がいたずらにカードを作ってくれるせいで、こちらの管理も大変だ。
ざっと見てみるだけでも、
免許証、保険証、銀行のカード、ツタヤ、スーパーのカード(丸正、サミット、ライフ、生協、ピーコック、小田急など)電気屋(ビッグカメラ、さくらや、ヨドバシカメラなど)飲食店のポイントカード(こちらもいっぱい)ゲーセンのカード、図書券の利用券、役所の自動交付カード、マンガ喫茶の会員証、それにパスモ。
実際はもっとたくさんのカードがある。
全部を持ち歩くわけにはいかないので、その中から選別して財布にいれているのだが、当然突発的に思いついてどこかのお店に行ったとき、たまたまそのカードを持っていなかったりして、なんだか無性に損をした気になって腹が立つ。

あとは、それぞれ用途によってかざすものがちがったりして、パスモだとか、エディーだとか、大変まぎらわしい。この際だからそういうICを全部手に埋め込んでしまった方がなくすこともないし楽だな。

そうやって人は徐々に管理されていくのか。
管理されてる方が楽だからね。

皆さんはこの便利だけどやっかいなカード、どうしてます?



2008年02月13日
文明開化

最近家にいる時はずっと猫とくっついてるミキヤです。僕も寒いが、ハナも寒いんだろうね。僕が帰ると常に膝の上か肩の上にいる。僕も新しい家になって、洋風な暮らしをしたいと思っていましたが、やはりドテラは最強です。ドテラなしには冬を越せない身体になってしまった。

さて、今日はクライフのリハでした。最近のドラミングフォーム向上化計画で(昨年の年末くらいから始めたんだけど)シューズを履いてドラムを叩くというのがあって、これまでの十数年間、裸足(靴下あり)でドラムを叩いているわけだけど、靴を履いた方がビート落ち着くということがわかった。しかし足の根本的な使い方が違ってくるので、音量が下がる、速いフレーズが踏めないなどの問題点があったが、修正に修正を繰り返し、ついにこないだのプレクトラムのライブで実用化にこぎ着けたわけである。
これはほとんど猿が靴を履いたようなものだ。やはり我々が身につけている衣類というものは、相当の割合で文明に貢献しているんだろうなという気がする。

つまり、恥じらいや奥ゆかしさというものが一種の文化を形成していると思うのだ。布切れ一枚、靴底ひとつの隔たりが、この世界の文化、芸術だといっても過言ではないだろう。
だって満員電車に全員素っ裸で乗ってたら変だ。でも布一枚隔てたら別になんてことない。密着しても気にならない。そうして我々はぎゅうぎゅう詰めの中で、それぞれ別のことを考えていられるのだ。これが裸同士だと力関係が生まれてしまう。

この数年感、一本の木をしげしげと眺めて「なんでこの木は山に馴染んでいないのだろうか?」と悩み続けていたが、靴を履いて、それに慣れてきたら木は木に、山は山に見えてきた。それは僕にとって死ぬほど幸せなこと。

冥利に尽きるとはこういうときにいう言葉か。

クライフのリハ中、ギターのサンちゃんが、鋭いカッティングを披露しながら、しきりに僕の方を見るので
「おっ、サンちゃん!僕の文明開化に気づいてくれるか!」
と思ったら、演奏が終わった瞬間
「いやあ、俺のカッティング最高だね」
と笑顔でいい放ちやがった。

やはり気づかれるくらいになるには、もう少し練習しないといけないな。
来月からクライフで、でっかいツアーをまわるんです。
それまでにはね。
もうすぐ、インフォします。

ネコ オンザ 肩&ドテラ写真は
写真集だ!



2008年02月12日
hair cut 10000

久しぶりにミルキーの家に行く。ここはいつもなんとも雑然としていてとても居心地がよい。何年振りでも「ただいま」の感覚。別に片付いていないわけではない(念のため)彼女の仕事が音楽ライターさんだから、紙資料とCDが多いのと、彼女が無類の雑貨好きということと、彼女の愛すべきワンコロのグッズがたくさん置いてあるのとで(しかもそれらはすべて無駄にカラフルだったりする)なんとなく雑然とするのである。

今回もしっかりと愛犬ルミに吠えられ、苦笑しながら雑談。僕が登場するなり、いきなりビールとつまみの松前漬けが出てくる所などは、さすが僕の扱いをよくわかっているとにやりと唇をまげる。

お話は尽きることなく二人はずっと笑顔。何でもないちょっとしたお話が僕らにはとっても面白い映画のようなストーリーになる。ちょっとの事実とたくさんの空想。きっと二人の中には同じようなイタズラ心があって、それがへんてこな物語を前進させているのだろう。

そういえば髪を切ってもらいたかったんだ。

ミルキーは「音楽と人」などに文章を書くプロのライターさんであることはいうまでもないが、ECO、裏ウサギのベース/ボーカルでもあり、料理上手でもあり、Tシャツやアクセなどの物販マスターでもあり(笑)あげく散髪もプロ並みにうまい。要するに手が器用なんですね。しかもその手は元手タレをやっていたというくらいとても美しい。

さて、準備をして、
ここでも何気なく雑談しながら髪を切ってもらいました。しかし、やはりハサミを振るうとなると緊張感が出るのか、話題も少しだけ真面目な話へと移行し、
恋愛論のようなものを語りながら、髪はどんどん切られていく。
愛とは一体なんでしょうねえ?やはり一緒にいたいと強く願うだけではだめなのでしょうか?

それにしても僕の髪はあまりに多すぎて、どんどん切ってもちっとも変わらない。会話は進むが頭は最初と同じだ。
前髪をずばっと落としてもらって、印象が随分変わり散髪終了。さすがミルキー上手である。

しかしどことなく旦那の加藤君のシルエットに似ているように感じるのは、彼女の好みにまかせたからいいのか、それで。

夜になったので帰ろうとしたら、わざわざ駅まで一緒について来てくれて送ってくれた。そんなことしたら名残惜しくなってしまうじゃんね。

髪型はこうなったと、写真集の方に載せました。



2008年02月11日
THEヒザクラッシュ

朝、目覚めてみれば予想通り膝が痛い。昨日のプレクトラムのライブのアンコールで勢い余ってバーッと立ち上がったら、タイコの角に右膝をしこたま打ち付けてしまったのだ。本当は涙がちょちょぎれそうなくらい痛かったのだが、まだ演奏中のためひたすら我慢してアッキーとハイタッチ。

今年は足がよく不幸に見舞われている。先日のエガワ君のたこ焼きパーティーの日には酔っぱらって左足を擦りむいてしまったし(一番稼働する部分なので、治りがやたらと遅い)ドラムのスタイルを矯正しているとき右足の甲と足首を痛めてしまって、これも長引いている。

おかげさまで現在わたくし、あんよがすこぶる遅い。
電車を降りて階段にさしかかった時、既にホームには誰もいなくなるくらい遅い。よぼよぼのおじいさんがフェラーリに見えるくらい遅い。
一応普段はスマートに颯爽と歩くことを心がけているので、こうなると情けないものである。

すべての痛みがなくなった暁には、街行く人を全員ごぼう抜きにして、ひとり勝手に勝者の喜びに浸りたい。

「なんぴとたりとも、俺の前は歩かせねえ!!」



2008年02月10日
そこから見える景色

真っ白な雪を手のひらにすくって、君はにこりと笑った。
それだけで幸せを感じることができるなんて、僕が簡単なのか、それとも人間とはそのようにできているのか。
誰かの笑顔を見たいから、誰かの感情を見たいから僕はずっとこうしているのか。
遠い地。ここはどこだろう。
マトリクス状の音楽が頭を支配する。

タイスケは歌う。何気なく発せられた言葉は、キャッチした瞬間、幾重にも形を変えて心に響く。それはまるで、なくしてしまった心のパーツを補ってくれるかのように、奥深くにふれる。声がゆっくりと響く。染み渡る。

アッキーのギター。あまりにも奇麗なディストーション。フレーズ。ノイズ。最強のカッティング。ナイーブな殺人者よろしく、音が破片になって突き刺さる。優しさとは?彼が持つ答えはおそらく独特なもので。

チガちゃんのベース。森林の奥から聞こえる祈りのように、低く唸りをあげてあたりを埋め尽くす。時間が目に見える。時間が立体化する。時折間欠泉のように吹き出す感情は、確実に僕の心を揺さぶる。

僕は、僕は君の横顔をずっと見ていたくて。
その瞬間を忘れないように。
唇から大事な言葉がこぼれる前に。
それを塞いでしまえるように。
音楽が響けばいい。
雪が降ればいい。

ここはどこだろう。
とても、気持ちがいい。



2008年02月09日
壮絶、悶絶、滑稽showtime

今日は降りしきる雪の中、バンジーが家にやって来てくれた。
家のパソコン周りの音楽的使い方をレクチャーしてもらうためである。しかしやはり動作環境や、ソフトのバージョンが違うと、勝手が違う所も多く、レクチャーはほどなく終了。やはり細かい部分は自分で自分なりにカスタマイズしていくしかないようだ。

ということでその後は「この雪の中よくぞ来てくれた」と鍋パーティーに突入。ふたりで甘い白菜をしこたま食べました。お肉もお酒も話も進む。

さて、バンジーはお家へと帰り、僕は明日のライブのために早々と寝ることにした。後片付けは明日早く起きてやろう。AM1時、天使に抱かれるかのごとく就寝。おやすみなさい。

突然、ハッと目が覚めた。時計を見る。2時半!一体僕は何時間眠っていたんだ。プレクトラムの入り時間は3時。もう幾ばくの余裕もない。どれだけ遅刻確定の時間に起床しても、必ず一服だけは忘れないのが喫煙者の悪い所だが(喫煙者の悪い所ってそれくらいだ)とにかく慌ただしく煙を吐きながら気もそぞろ、機材を準備して服を着替える。後片付けやらなんやらはリハが終わった後一度戻って来てからやろう。

勢いよくドアを開ける。
真っ暗。
丑三つ時の静寂。
勢いなくドアを閉める。

部屋にはスネアとシンバルが散乱している。
その片隅で猫が首をかしげて僕を見ている。
あれからまだ1時間半しかたってなかった。
人間の時間の感覚なんてあてにならないものだ。

さあ!もう一度寝なおして、明日は最高のライブにしよう!
二度目の出陣はもう少しスマートに行こう!
わざと元気にパジャマに着替えて、僕は再度天使に抱かれる。

やれやれ…である。



2008年02月08日
超底冷え

プレクトラムのリハーサル。
今回のプレのライブはいろんな時代のプレクトラムを幅広くフォローしていてすごく興味深い。
古いのをやると懐かしい気分に浸る場面も多くあるが、ベースがチガちゃんに代わり、みんなもいろんなところで音楽をやって表現方法も変わってきているので、むしろ新曲のように聞こえることもある。ちょっとしたプレイの違いで、言葉の響き方も随分と変わって聞こえたりする。
音楽って面白いね。むづかしいね…
明後日はそんな現在のプレクトラムの勇姿を是非見に来てもらいたいものである。

話は変わるが、我が家はちょっとびっくりするくらい寒い。手がかじかんでキーボードが打てなくなりそうなほど寒い。エアコンをつけていても、ほとんど何も影響がない。近くに手をかざすとさすがに暖かいが、エアコンの温風ってこんなもんだったっけ?と疑いたくなる。
冬が寒いのは当たり前だし、あんまりエアコンをがんがんつけて、快適すぎて季節がわかんなくなるのもどうかと思うが(T-シャツにビール!それは夏だ!)ここまで寒いとやっぱりこれはこれで不幸だという気がする。

大家さんに相談してみよう。



2008年02月07日
漁港

ひょんなことから漁港のライブを見に行った。

漁港といえばライブの終盤で本物のマグロを解体することで広く知られているイメージ(知ってます?)だが実際はどんなバンドなのだろうか。大した情報もないまま、o-westへと向かう。VTRと共にライブはスタートする。
メンバーはシーケンスとコーラスの人と、ギター/コーラスの人と、ボーカルの3人。サポートで和太鼓の人が入っていた。この人は一昨年の年末に一度お会いしてお話をしたのだが、実際にプレイを見ると凄まじくよかった。

さて漁港本体はというと、ものすごくちゃんとしていた。曲名にすべて魚の名前がついている(曲のことを魚といっていた)のが特徴だが、楽曲は非常によくコントロールされていて素晴らしいと思った。僕のお気に入りは「鮭」という曲と、「アンコウ」という曲。「鮭」は酒とかけた本格的なラップだ。大体この人たちの楽曲はいうに及ばず和太鼓や笛を駆使した日本的なトラックにライムが乗っているというスタイルが大半だが、「鮭」はU.Sっぽいアプローチで(その辺あまり詳しくないので深くは書けないが)すごくかっこよかった。「アンコウ」はステージが真っ暗になり、静かな海の音の中、懐中電灯が瞬くだけ(!)というアバンギャルドな曲。僕はこういうの大好きだ。おそらくはちょうちんアンコウの補食シーンを模しているものだと思われるが(正式な曲名は「アンコウの待つわ」)このバンドの懐の深さを見た気がした。

しかし、この人たちは何者なんだろう。本当の漁業関係者ではないだろうし、年齢もわからないし、歌はうまいがギターはヘタッピだし(笑)僕はその後リハがあったので途中で抜けてしまったから、謎は謎のまま残った。

しかし、お客さんに対するサービス精神の高さと、それに反比例するかのような楽曲の投げっぱなし感は、スタイルはまるで違っていても(すいません…)僕の好みとする所に非常に近いものを感じた。

今度ゆっくりお話ししてみたいものだが、相手にしてもらえるよう僕も頑張んないとな。



2008年02月06日
ご近所様

秋田の革命家、ジュンヤと家が超近所なことが判明。
つべこべいわずに飲んだ。

ジュンヤとはまだ3回くらいしかあっていないが、趣味が合うのかすでにばっちり意気投合である。というかお互いに飲んだくれ同士なので、単純にウマが合うのね。

酔っぱらいコーディネーターのサンちゃんもご機嫌であった。

楽しかったついでにうちの近所にとてつもなく美味しいお店を発見。今後世話になること間違いなしである。



2008年02月05日
リニューアル

旧宅での電話契約が1月20日までだったので、メールやインターネットがしばらく使えなくなることはわかっていたが、まさかホームページがダウンするとは思わず、皆さんにはご迷惑をかけました。
ただ、たくさんの方から「ホームページが見れなくなったよ」と声をかけていただいて、「みんな見てくれているんだ」と嬉しくなりました。

そのまま「ひらめき工場」を続けてもよかったんだけど、どうせなら心機一転新しいページにしようと思い、「ひらめきの海」を立ち上げました。
アイデアはたくさんあるので、少しづつ出していこうと思っています。

なんか楽しくなってきたよ。



2008年01月19日
クイズ

最近外に出かけることが多く、しかも待ち時間が多かったりするので、久しぶりにゲーセンに入り浸っている。

なかでもはまっているのが全国対戦のクイズゲーム。テレビのクイズ番組のようなゲームで、オンラインで繋がった全国の人と戦うのである。
100円あればかなりゆっくり遊べるし、実際に人と知識比べをするから緊張感もあって楽しい。

自慢ではないが、これまで5回やったけど僕はまだ負けたことがない。暫定的にクイズ王である。

あとはTEKKEN6。13年前、元祖TEKKENにどっぷりはまって、破竹の20連勝をマークしたこともあったが、今や操作の仕方もわからないかと思いきや、基本的な操作は同じなので結構勝てる。これも100円あればかなり長く楽しめるので時間つぶしには最適だ。
しかしすごく強い人が対戦者として入ってくると速攻で負けてしまう。
昔の僕なら頭に血が上ってすぐさま再戦要求だが、今は深追いはしない。

あくまでも時間つぶしだもん。チクショウ。



2008年01月15日
キュマバロウ アコースティック

キュマバロウの新年最初のライブは吉祥寺マンダラ2にて。
ここは会場的にもろロックバンドだとあわないとのことで、クミちゃんとナオちゃんがアコースティックで挑戦するという。
僕はちょっとの不安とともにお客さんとして参加する。
大丈夫かな?

たっぷり30分迷って(吉祥寺で迷子になるのはいつものことなので、時間はたっぷり早めに出かけた)会場に到着。

妖し気な雰囲気が会場を包み込み、なんだか吸い込まれるような感じが心地よい。お客さんも若い人からお年を召した方まで様々で、どういうイベントなのか不思議である。
ヨーロッパ調のピアノに合わせてオペラ風に歌う歌手や、しっとりとしたジャジーな曲をストリングスやブラスにあわせて歌う大人の楽曲や、いかにも場所にあった素敵なバンドが演奏。そのダークな空気にすっかり魅了されつつ、キュマは大丈夫かとまたちょっと不安がよぎる。

キュマの1曲目は「巣へ」。打ち込みの緩いビートに、ふんわりした二人の歌がかぶさってなんとも心地よい。普段はこれを後ろから見ているのだが、前から見てみてもその魅力を確認できた。いいじゃん!2曲目は「ワープ」。これも打ち込みの軽快なリズムに乗って展開する素敵楽曲なのだが、いかんせんお客さんがみな座っているし、バンドじゃないのが災いしてちょっとカラオケっぽくなってしまった感がいなめなかったか。うー、今すぐ行って参加したい。しかし今日の僕はお客さんなのでがまんがまん。
3曲目はクリプトンの曲を久しぶりに披露。当時ロンドンでレコーディングに参加したギャリーニュービーも加わってノリノリの展開。
僕も日本のバンドブームを駆け抜けてきたひとりなので、この辺のサウンド組み立てとかコード進行とかはなんかほっとするものがある。

最後はスマッシングパンプキンズの曲をカバー。なかなか斬新なアレンジで、しかもクミちゃんとリンちゃんのコーラスが独特でとても面白かった。

打ち上げもいつも通りノリノリだった。
やっぱりキュマバロウいいな。ステージのクミ、ナオはかわいいというよりかっこいいって感じなのね。



2008年01月09日
109突入

今日は渋谷でプレクトラムのライブ。会場はいつもより幾分広いDUOだから気合いも入っているのです。対バンはニールガールをはじめとする若者バンドたち。これは負けられないですよ。

気合いのリハを終え、本番までの時間を渋谷の街でつぶす。チガちゃんは東京中の楽器屋さんに行ってベースを弾き倒してやる!と鼻息も荒く旅立っていった。アッキーとタイちゃんと僕は楽器屋を覗いたり、ご飯を食べたりゲーセンいったりとゆったりした時間を過ごした。

本番は超気合いが入りまくりだ。特にアッキーはテンションがキテて、ギターもろともフロアをスピンしていた。かくいう僕も一曲目からぶっ飛ばし。ガソリンのことを考えていたのではマックスを見せられないからね。
怒濤の30分あまりを演奏してみな満足げ。バスドラムのペダルを片付けようと手を触れたら、バスドラムとの接点の部分がものすごく発熱していた!なんと激しいライブだったか。

ところで渋谷をぶらぶらしているとき、人の流れに流されて109の前へ3人で来た。何となく「入ってみる?」となり、なぜか男3人で109店内へ。もちろん男物など何もないから、見ているのは女の子である。別に悪いことをしているわけではないのだが、なんだか間違えて女風呂に入ってしまったようなばつの悪さを楽しみつつ、しかし若干挙動不審で(特にタイちゃんね笑)すごく面白かった。

男性の方、時々行ってみるのも刺激的でいいかもしれませんよ。



2008年01月08日
ミーティングプレス

ヤシと二人きりでお話をするなんていつ振りのことだろう。
へたをすると10年くらいはたっているかもしれない。
会うこと自体久しぶりなのだが、いざ顔を見てみると全然久しぶりな感じもなく、いきなり普通のテンションで新年の挨拶。

だらだらと飲みながら(僕は前日高熱にうなされていたのでほどほどに)ヤシととりとめのない会話。お互い別々なことをやっていても、なにかしら同じようなポイントで壁にぶつかっていて「どうしようかねえ」と焼き鳥をつつきながら遠い目をしてみたりして。

とにかくお互い助け合ってがんばっていこうという所で話がまとまった。
時間にしてみれば2時間あまりの短い会合であったが、非常に前向きな楽しい会でありました。



2008年01月06日
楽器

プレクトラムのリハでした。
アッキーが年末にギターを買っていた。ギルドというメーカーでアコスティックギターは結構有名なのだが(エガワヒロシ、キシガミノリオなどが使用)エレキで、しかも左利き用というのはとても珍しい。
珍しいギターというのは音色そのものも変わっていることが多くて、使えるパターンが限定される場合があるのだが、アッキーが買ったやつはそんなことなくて、とても個性的なのにスタンダードなサウンドでとても素晴らしかった。

音色自体は丸いというか、落ち着いているというか、けっしてうるさくないのだが、どこかヴィンテージ感が漂っていて、いい意味でやさぐれている。例えていうなら、とても古いバイオリンの音を聴いているような上品でリアルなサウンド。
エフェクターの音をダイレクトに反映させるようで、歪みなんて今まで聴いたことない音でした。フェンダーとかギブソンだとエフェクター踏むと似たような音になっちゃうもんね。

いやあ本当に素晴らしいギターでほれぼれしてしまいました。



2008年01月01日
ゼロ

楽しいとんちで痛快なシャレをとばし、弱者を守ってくれる「一休さん」の番組の中で唯一辛辣な回があって、それがお正月のシーンだった。
正月気分に浮かれる町民を横目に、一休さんは竹槍の先端にシャレコウベをつけて街を練り歩くのだ。
「浮かれているのも結構ですが、このようにしてまた正月を迎えたということは、私達がみな、また一歩死に近づいたことに他なりません。お忘れなさいませんよう」
いつになくシリアスな一休さんの表情に、僕は幼心に不快な印象を覚えてしまったが、今になってみれば、他のどのシーンよりもそれを強く思い出すというのは皮肉なものである。

このエピソードが今年の僕になんの影響を及ぼすのか、それはわからない。だけど、つらいことから目を背けてみても、現実は何ら変わらないということはおそらく真理なのだろう。

いくら逃れようとあがいても、到底無理なものがある。
ひとつは死。
ひとつは自分の心。

それらとうまくつきあっていくために、僕は0になる。



2007年12月29日
年納めライブ

今年最後のライブはキシガミノリオ。代々木ラボにて。
50分という長丁場だったので、新曲、旧曲織り交ぜてたっぷり演奏できました。

今回はいろいろあって満足いくほどのリハができなかったため、出たとこ勝負な部分も若干あってどきどきしたのだが、とにかく歌が素直に響いてくれればと思って本番に挑んだ。

事実ノリオの声は会場に染み渡り、独特の空気感があたりを包んでいく。お客さんも少しずつうっとりとしているようだ。はて、そこで僕の役割を考えた。
美味しいおひたしをストレートに食べるのも素材のよさをダイレクトに味わえていいのだが、それを胡麻でよごすと新しい味わいになるのではないかと。いってみれば一種のにぎやかしですね。
もちろん歌の世界は壊さないよう、許される範囲内で大暴れです。

いつも1曲めに演奏する「hello」今回はノリオのアカペラから始まったのだが、ものすごくよかった。ノリオの優しさと強さは凝縮されて、その歌声に集約されているのですね。



2007年12月25日
クリスマス

高3のクリスマス。僕は広島市内のデパートの催事場で行われていたCD販売の片付けのバイトをしていた。エスカレーターを使って山のような段ボールをひたすら1階へとおろす作業だ。
わかってはいたことだが、ファッション関係のお店がたくさん入っているだけに、このビルにはカップルがうじゃうじゃいる。僕は軍手をしてダンボールを運ぶ。チャラい男女が本当に仕事のじゃまだ。表舞台のきらびやかさとは反比例して、搬出の仕事はどんどんやさぐれていく。3時間働いて5千円を手に入れた。

原付をぶっ飛ばして帰りながら、今日はクリスマスだということに気づいた。18歳の冬の夜である。
一緒に働いていたタダッチと一緒に居酒屋に入る。

二人とも上機嫌だった。なぜだろう?よくわからない。お互いちゃんと彼女がいるのに、デパートのチャラい男達とは違ってきちんと労働していたという達成感が僕らを恍惚とさせていたのかもしれない。

普段飲みもしないのに、熱燗を注文してしこたま飲んだ。今日のギャラが吹っ飛ぶくらい飲んだ。
最後はタダッチがウイリーした(笑)

今年のクリスマスはとてもおとなしくしています。
静かに愛を紡いでいます。



2007年12月21日
ユタスター誕生

キュマバロウのギタリストユタちゃんが誕生日だったので、メンバーで集まってお祝いした。久しぶりの面々。嬉しい。
ライブの打ち上げ等ではなく、純粋に飲み会というのは僕にとってキュマ以外ではほぼ皆無なので、なんとなくテンションもあがるのだ。

乾杯の音頭から一気に盛り上がる。会場は下北沢の「どっと」というお店で、なかなか雰囲気もよい。
今日は音楽の話はあまりせず、もっぱら世間話に従事する。しょうもない話だがこれがとっても楽しかった。

しばらくすると、突然部屋の灯りがおとされ、軽快なバースディソングが流れる。なんとここは店内あげて誕生日を祝ってくれるようだ。
「本日お越しのユタスター様はいらっしゃいますか。お誕生日おめでとうございます!当店からケーキのプレゼントをさせていただきます。ちなみに今年で何歳になられたんですか?えっ!?35歳!?若いですねー!!それではみんなでハッピーバースディを歌いましょう。せーの!」

店内は歌声にあふれ、ゆたちゃんはとても嬉しそうでした。
その後もわきあいあいと赤ワインのグラスが傾けられ、トークはひたすら弾む。

楽しい夜は酒と話題にとめどというものがない。



2007年12月21日
会議

師走の忙しい中意外にもライブがほとんどないので、しばらくドラムを叩いていない。リハがないからです。
さすがに自分でも不安になったか、ドラムマガジン等をむさぼり読んでみたりしてたのですが、今日はクライフのリハでした。

アルバム完成目前、来年のツアーなどの予定と、我々には考えることがたくさんあって、しかしなかなかメンバー全員で会えないから、スタジオに入ってもほぼ完全なミーティングが展開される。なにしろ誰も楽器を持たずにしゃべっている。特に目前に控えたライブがあるわけではないので、切羽詰まった感じはないのだが、それでも今の僕にとってスタジオに入って音を出さないというのは、ボーリング場に来たのに横のゲーセンで盛り上がってしまったようなやるせなさがある。

なにしろしばらくドラムを叩いてないので、僕はうずうずしている。dでもみんなが会話していてうるさくできないから、ボサノバ風の小音で気を紛らわせていた。

リハ終了20分前に
「ようし!やるか!」
となったのだが、ギターにトラブル発生。何しろこの人たちの繋ぎ合わされたケーブルは、人間の小腸と同じくらい長い。
自然、トラブルの発生場所を確定するのにも非常に時間がかかる。

「よし直った!やるか!」
新曲の「hanaarashi」を熱演。終了と同時にスタッフが
「お疲れ様でしたー」
と乱入。

貴重な1曲でした。



2007年12月20日
変遷

ある日ふらりと駅前を歩いていたら、以前紹介した「豚丼屋さん」がなくなっていた。誠に失礼ながら予想通りといえなくもないが、こちらも予想通り、結局僕はここの豚丼を食すことかなわなかった。
残念といえば残念である。
寒風にガシャリと揺れるシャッターには、一枚の小さな紙切れが張ってあった。何が書いてあるのか気になったので、僕はさりげなく近づいてみる。

「ラーメン作りに自信のある方、ご一報ください(電話番号)」

なんとカレー、豚丼ときた次はラーメンか。ここの持ち主も意欲家である。僕はインスタントラーメンの作り方については一家言あるが、プロフェッショナルなやつは専ら食べる専門なので、この張り紙はスルーするよりほかない。しかしそれよりも気になったのは、この店舗の右隣は中華料理屋で、左の角には結構繁盛しているラーメン屋があるということだ。
「とりあえずラーメンをやっておけば何とかなるんじゃないか」というような、浅はかな気持ちが見え隠れしているようで、少しがっかりしてしまった。

しばらくたって、昨夜駅の前を通ったら、なんと例の店舗に灯りがついているではないか。一体どんなお店になったのだろうと興味津々近づいてみたら、またカレー屋さんでした。しかもまたインドカレー。

思わず笑ってしまった。ちなみにここでインドカレー屋を開店するのは3度目。
いつもちゃんと美味しいんです。でも流行んないって(笑)



2007年12月13日
レコリハ

クライフのCDもめでたく完成間近です。
今年はもうクライフのライブはないが、新曲群をきちんと演奏できるようにという名目で、今日はリハーサル。

というよりはみんなで会いたかったんだ。演奏よりもお話がスムースに進む。いかんいかん。

とはいえ、いざ音を出すといいね。僕がクライフにいる必然性が出てきた。

風を感じる。
風はかってにはおきないから、これはユウスケ君が起こしている風か。
それはとても心地よいです。




2007年12月08日
ジョンパイ!!

久しぶりのプレクトラムのライブはモナレコードで。
主催ということもあってたっぷり12曲をアコースティックバージョンで演奏しました。
スウィートメモリーズやモーターサイクルなどの本格的アコースティック曲はもちろん、プリーズテルミーヤングやティルアイダイアゲインなどロックチューンもたくさんやりました。ベースはスウィンギンポプシクルのヒラッチ。今日はビートルズ、ジョンの命日でもあるので、出演している各バンドは1曲づつビートルズの曲を披露したのですが、プレクトラムはnowheremanを熱演。ヒラッチは自慢のバイオリンベース(ポールが使っているやつとおなじやつです)を使用。これがばっちりはまり、プレクトラムの楽曲までもがほんのりビートルズ色に染まっていました。
僕の中で一番グッと来たのは「アップタウンガール」。アコースティックで演奏することで音がすっきりとして、すごくダンサブルに演奏できたように思います。

打ち上げは共演したテイントンとタマコウォルスと一緒に。
タイスケの乾杯の音頭はジョンレノンに敬意を表して
「ジョンパイ!!」
でした。

たいちゃんおもろいね。





2007年12月01日
AAA

岸谷五朗さんの元に届いた一通の手紙。それを読んだ五朗さんは、
「世界で苦しんでいるエイズ患者のためになにかできることはないだろうか。」と考えたそうです。
最初は小さな講習会のようなものを催したのですが、まじめで硬派な内容だったため賛同してくれる人も少なく、どうも消極的になってしまう。そこで五朗さんは考えました。
「何も難しく考える必要はないんじゃないか?みんなに楽しんでもらって、その収益をエイズ患者のために使うことができたらみんなが幸せになれるのでは?」

こうしてチャリティーライブが始まりました。今ではチケットは即日完売の大人気ライブとなっています。
今年でなんと15回めを迎えるこの武道館ライブ。僕は8年前から参加しているから、すでに半分以上のキャリアになる。すごいですね。

今年の出演者もそうそうたるもんで、岸谷さん、寺脇康文さんを筆頭に、爆風スランプ、岸谷香さん、ポルノグラフィティー、エグザイル、森雪之丞さん、BEGIN、Skoop OnSomebody、FLOW、TEAM NACS、関口和之さん(サザンの人)、小出恵介、平岡祐太、佐藤健、おしりかじり虫、Bahashishi、ONE OK ROCKなどすごかった(僕、半分くらい知らんかったけど汗)

中でも僕が興奮したのは柳沢慎吾さん。あの伝説の刑事ギャグを間近で見れて感動しました。あとパフュームという女の子3人組が出ていて、すごくよかった。あとで聞いたらカプセルの人がプロデュースしているとか。なるほどね。

とにかく素晴らしいイベントでした。



2007年11月30日
クライフワンマン

記念すべきクライフのワンマンは下北沢QUEで。
多数ある楽曲の中から厳選に厳選を重ね選ばれた14曲を演奏しました。少し短いかなと思いながら本番に臨んだのですが、このコンパクトさがとてもよかった。非常に充実した、濃密な時間を過ごすことができました。
僕が一番グッと来たのはラストにやった「カリオンブルー」。イベントなどだとインストロメンタルの部分はあまり長くやれないので(それよりは歌をたくさん聴かせたいとなる)まさにワンマンらしく怒濤のエンディングをやりました。
フレーズは変わらずに音だけがだんだん大きくなる。気がつけば大音響になっていて、みんなの頭の中にでっかい絵が浮かび上がるというのがやりたかった。
しかし、気づかないくらいにだんだん音を大きくして行こうとするとすごく時間がかかるわけです。だからここはものすごく丁寧にやりました。メンバーやお客さんの顔を見ちゃうとくじけてしまいそうだったから、かたくなに目を瞑って演奏してた(笑)
「あと4小節くらいで限界かな」
と思いながらボリュームを上げていくと、サンちゃんの美しいメロが決壊してノイズが溢れ出した。それはとても壮大な景色で、さらに僕らは大きな絵を見るためにゆっくりと駆け上っていくのでありました。

終わってみたら予想以上の大反響。どうやらゆうすけ君が考えた数々の仕掛けは、ことごとくお客さんの心にヒットしていたようです。素晴らしい。
打ち上げのお酒もおいしかったです。



2007年11月28日
AAA

一年に一度の大舞台、AAAイン武道館がやってきました。
変わりないメンバーの方達と挨拶を交わしながら、久しぶりの贅沢な時間。そりゃあ第一線で活躍する大物ミュージシャンの方達と合わせることができるのだから、楽しいことに間違いはない。
数年前まではおっかなびっくりついて行くのが精一杯でしたが、僕も少しは主張できるようになってきました。

ツインドラムの五十嵐公太君とこの一年について、いろいろ募る話をしながら本番の作戦を練って行くのは本当に楽しいです。

今年も盛り上がって行くぜえ!!



2007年11月27日
フュージョン

今日はナオちゃんの友人、タカノリ君の曲にドラムを録音するためにスタジオへ。
ゲーム音楽を作っている彼の曲はとてもスムーズで爽快なイメージなのです。音楽的にいえば符点が非常に多く、ベースフレーズやキーボードフレーズとのユニゾンがとても印象的。いわゆるフュージョンチックな演奏です。
僕はエレクトーンを10年くらいやってたから、こういう曲は鍵盤で演奏したことはあれど、ドラムでやるのはほぼ初めてなのでちゃんとできるか少しの不安はありました。
でもやってみると意外とできるもんで、打ち込みのドラムより数段生々しくガッツのある、それでいて品のある感じで(自分でほめ過ぎだw)録れたので個人的にもとても楽しかったし、勉強になりました。
タカノリ君も喜んでくれたようで余計嬉しかった。

エンジニアはナオちゃんが担当しましたが、なかなかうまかったです。珍しくジーパンにスニーカー姿で(スタッフ風か?)新鮮でした。

終わってロビーで談笑していたら、オアシスの曲が流れていて
「おっ!民生君オアシスカバーしたのか!かっこいいなあ」
と、スタジオのスタッフの方に
「これは奥田民生の新しいCDですか?」
とたずねたら
「いえ、オアシスです」
と無表情でいわれた。
リアムと民生君て声似てるんね。すごく恥をかいた気分で顔真っ赤にして退散です。

いいレコーディングでした(笑)



2007年11月26日
ドライブビジィ

キュマバロウのライブは代々木ザーザズーにて。僕はいつもよりドラムを少しだけワイルドにセッティングする。ペダルを少し幅広く、タムやフロアタムは少し遠めに。こうすることで体の動きが大きくなる。演奏するのは少ししんどくなるが、お客さんには激しく見えるだろう。
今走って買ってきたばかりの安物ウイスキーをあおる。食道から胃へ灼けるような液体が滑り込んで行く。これもパフォーマンス。きちんと演奏したいなら音楽学校にでも行けばいい。僕らがやりたいのはロック。まともにやって行き着ける世界ではない。

新曲「巣へ」のシーケンスが走り出す。僕は体を曲に滑り込ませ首根っこをつかまえる。あとは自然にやればいい。ナオちゃんの曲とクミちゃんの声がしかるべき場所に導いてくれるだろう。
「d.o」『9」などの慣れている曲を挟みながら新しいチャレンジ曲「かげろうの庭」を演奏。歌い方も演奏形態もこれまでとは少し違うのである程度探るような感じにはなったけど、キュマバロウの新しいカタチとして手応えを感じる出来だった。
最後のパートは「パルスドナーズ」から「ワープ」へのたたみかけ。
この辺は余裕がある。メンバー間のアイコンタクトも増える。

ワープの間奏でナオちゃんと目が合う。そのまま静止。お互いが視線を離した瞬間に本当にどこかにワープしてしまうだろうと思う。
この気持ちよさと怖さはなんだろう。

シーケンスが悲鳴をあげている。僕らのジャンプに耐えきれなくなったか。ドライブビジィ。

さあ、どこへワープする?



2007年11月25日
岡山

大阪を越えたあたりから空の感じが変わる。
太陽は東から昇って西へと沈んで行くから、西へと移動すると、空の(あるいは雲の)雰囲気が徐々に故郷のそれに近くなるのだ。

misonoの学園祭ライブで岡山県に来た。

吉備国際大学といえば、僕が受験するとき(16年前です)に創られた学校で、実は僕も視野に入れていた学校であったので、そこで演奏できるというのはすごく嬉しいことでありました。

ところで僕は昨日の仙台からほぼ一睡もしていない。帰り道の半分は僕が運転したし(僕は車の運転が好きだ)そのあとも家に帰って風呂に入って、すぐに出発して新幹線に飛び乗って、眠ろうとしたけれどなんだか興奮して眠れないといった具合で、ろくに睡眠をとっていなかった。
でもね、なぜかノリノリなのです。なぜだろう?自分でもよくわからない。

misonoもいつにも増してノリノリだった。彼女の笑顔は素敵だ。やはりアイドルだからね。振り向いて笑うと本当に無邪気でかわいい。

僕も頑張らねばと息巻いていたら、最後の曲でバスドラム(足で踏んでるでっかいタイコです)のヘッドがベリッと破れた。敏腕ローディーがいたので(岡山においておくのはもったいないと思うくらい知識も実践力も豊富なローディーが助けてくれました)被害は最小限に抑えられたが、さすがにびっくりしました。

帰りの電車の中ではタイスケと延々しりとりをした。お互い死ぬほど眠いくせに一度始まってしまうとやめられないのがしりとりの悪いところだ。意地なんか張らずにさっさと眠ってしまえばいいのに、お互いやめられない。

しかし、そんなしょうもないしりとりをしながら、僕は学習。タイスケはやはりただもんではない。言葉の何たるかをしっている人。

そりゃあいい歌詞を欠くはずだ。



2007年11月24日
ひとりの時間

クライフのツアーで久しぶりの仙台。街はすでに年末の空気を漂わせ始めており、行き交う人々もなんとなく足早だ。洗濯したてのシーツをピンと張ったような気持ちのよい冷たさが肌を包み、僕はなんだか懐かしい気分に浸っている。

リハを終えて本番までの時間、何となくひとりで街をぶらついてみた。本当はこの街で会いたい人がたくさんいる。でも今はまだ会えない。彼らに会う時は僕の望むかたちでありたいと願うから。オーパーツの連中から聞いているからそれぞれが元気なのは知っている。だが、僕のことを覚えてくれているだろうか。覚えていたとして嫌な印象でなければいいのだけれど。

目についた店にふらりと入る。ライブ本番まではあと一時間あまり。いっぱい引っ掛けるのも悪くない。

バンドをやっていると出演前にひとりぼっちになれる環境というのはなかなかなくて、昔はトイレに閉じこもって瞑想してみたりしたのだが、経験を積むとそういうのも見せかけの気合いのような感じがして気が引ける。
こくりと焼酎を飲みながら僕はいろんなことを考える。音楽、生活、街、人、頭の中はイメージが止めどない。こんなにじっくりいろんなことを考えたのはどれくらい振りだろう。

そう、今僕はひとり。
いくらいろんな人と戯れようが、結局、僕という人間はひとり。
ネオンサインのように接触し、明滅を繰り返しながらいつしか朽ち果ててしまう、ひとり。
愛されたいと願いながら、与えることはできないという結論。
サヨナラの文字を薄く引き延ばしてできた僕のカタチ。

誰かが僕を救うことはできる。
でも僕には何も救えない。


誰かを救えなくても、ひとときの快楽を与えることができるのならば、それでもいい。どのみちそれしかできないし、そうなりたくて僕はここまで来たんだ。

轟音の中、僕は静かに泣く。
孤独であるということはなんと自由で、なんとさみしいことか。



2007年11月24日
スネア!!

スネアというのはいわゆる小太鼓のことです。
僕は一応ドラマーなのでいくつかのスネアをもっているわけですが、たくさんバンドをやっているのでそのチョイスにはいつも困る。
まあ別に困るってほどのことでもないんですけれど。なければ段ボール箱でもなんでもいいんですけど。ただ、ちょっとこだわるとね。気になるわけです。

スラップ時代はほとんどヤマハのスネアを使っていました。僕が生まれて初めて買ったスネア。感動の宝物です。7万もしたんだよ。高校2年生の時先輩Fと一緒に楽器屋さんに行って選んでもらいました。こいつは万能サウンドなので非常に重宝したけれど、今はあまり使っていません。
2年前くらいにラディックのLM400というやつを買いました。こいつはとにかく軽い。どこにでもひょいと持って行ける素敵なやつなのです。しかし、その軽さ故に低音が出ない。「ズドーン」と叩いたつもりでも「パーン」となるので、最初はミニスカートを初めて履いた乙女のように恥ずかしかった(笑)だから、買って1年くらいは温存してましたね。
クライフに会って初めてこいつの使いどころがわかってきた。ミニスカートのよさがわかってきた。その後結構改造したので、すでに純正のスペックではないです。

イギリスにプレミアというドラムメーカーがあってですね。とにかくロゴがかわいいっていうんで音もならさずにすぐ買いました。
ずんぐりした感じのイメージがかわいかったからね。
しかし、こいつがとても使いづらい。チューニングレンジは圧倒的にせまいし、形がちょっとへんてこなのでセッティングにも戸惑ってしまう。でもほとんどのバンドでこれをメインで使っています。
なんでかって、偏屈なんだけど何となくやさしいから。妙にかわいいのです。

あともうひとつ。ソナーってメーカーのスネアがある。これは先輩のYから譲ってもらったものなのだが、こいつは暴れ馬でね。鳴る時と鳴らない時の差が非常に激しい。でも鳴ってる時は必ずといっていいほど他のドラマーに聞かれる。

『スネアなに使ってるんですか?」
って。

明日は仙台。ソナーを持って行きます。
この季節、ミニスカートはつらい。



2007年11月07日
体に染み込んでいるもの。

少し生きてみたら、体にいろんな色がついていく。
小さい頃に奇麗な赤に染まった部分はその後少しの青にひたされて紫に変色していく。
あんなにビビッドだったカラーたちは、いろんな色が絡み合って少しずつトーンを落とし、複雑な表情になっていく。

それは人によってそれぞれ独特なものだ。

僕らは万能ではない。だけど持っている自分の色を最大限活かすことはできるのかもしれない。信頼できる人と絡み合うことで新しいカラーを生み出せることもあるかもしれない。

美しい原色を失うというのは、すなわち年をとるということなのかもしれない。
だけど、体に染み込んだものを振り払うことはできない。

ならば、さらに混ぜ合わせればまた、奇麗な赤になることもあるのかもしれない。いや、きっとあるのだ。音楽をやっていれば。音楽をやっている人たちと一緒にいれば。

生きていて、音楽があってよかった。



2007年10月28日


黒尽くめの衣装。悪くないなと思う。
日本女子体育大学での学園祭。MISONOのライブだ。

出演前、いろんな場所を動き回るMISONOについてまわりながら、やはりかわいいなと思った。同世代の学生に混じって焼きそばを焼いてみたり、一緒に写真を撮ってみたり。
当たり前のように彼女の周りには人だかりができる。それはとても素敵なことだ。彼女の人となりが人を呼ぶ。僕はそれを見ている。少しだけ目を細めながら、唇のはしっこを少しだけ持ち上げる。
これは、昨日鏡を見ながら開発した僕のとっておきの顔なのだ。知らない女子大生がそれを見て「あの人服装とかはダサいけど表情がいけてる?」と思ってくれればいいのだが(かなり打算的)
MISONOは無邪気にはしゃいでいる。大学の女の子達もはしゃいでいる。空はとてつもなく晴れている。

いい感じだ。

大学の中央にある400メートルのコースを一周した。初めての経験だ。スピードを上げていくと意外にレーンの幅を狭く感じる。気持ちのよい圧迫感。コーナーを回るたびに対角線上の景色がとても遠くて、あそこまで行けるのだろうかといちいち不安になる所が音楽に似ていて、ついつい歩幅を広げてしまう。タイスケもMISONOも遥か後ろだ(笑)

スネアドラムの音がまるで隣町にまで響きそうなくらいの勢いで、体育館のライブはラウド。今日のアッキーもアクション超かっこいい。常に視線を斜めに少し長めの前髪がちょっとじゃまそうで、それがますますロックな感じを増長させるのね。
タイスケはサブファンクションに徹する。バンマスよろしく曲や進行のポイントを僕に打診してくる。頼りになる兄貴だ。
チガちゃんは百戦錬磨の腕で僕に揺さぶりをかけてくる。「どうなんだい?」と。それはもう本当にすごいのだ。彼のダイナミクスはマジで最上級だ。それはもう言葉と同等の凄まじさをもっているから、つまり共闘するのに誇りを持てる。一緒に音を出すことに価値がある。

MISONOは歌う。この人は本当にいい歌を歌う。いい歌を歌う人はたくさんいる。しかしMISONOは型破りな歌うたいだ。
僕は少なくとも彼女と一緒に歌を歌える。それはとても素敵なことだ。

できれば少し、ゆっくりお話をしてみたいものである。

400メートルトラックは、いかにも魅力的であった。僕、走るの好きなんだよね。
来年あたりは走ってみるか。




2007年10月23日
ジミヘンクレイジー

予定が大幅に狂ったため、街を浮浪者のようにさまよった。
何しろ昨日夜更かししたので風呂に入ってないどころか、服装も昨日のままだ。実際は一週間ぐらい風呂に入らなくったってどうってことないのだが、周りの人が許してはくれないだろう。
不潔だなんだというけれどですね。あんまり風呂に入りすぎると風邪を引きやすいのも事実だと思う。実際は2日にいっぺんくらいが妥当だと思うのだがまあそれはいいとして(個人差があるしね)

腹いせにロックバーに行きました。

ジミヘンが、ミックジャガーが、ボブディランが歌いまくっていました。彼らはみな若く、そしてパーフェクトだった。名も知らないアーティストもたくさん見たけれど、あますことなく最高でした。

マスターに
「ザ・フーを見せてくれ」
と頼んだら、「すまん売り切れ中だ」といわれてしまった。
棚の上にふと目を移すと「ドアーズ」のビデオを発見!
「あれが見たい!!」とマスターにせびると(初めて入ったのに随分ずうずうしい僕)
まかせとけとものすごい爆音で再生してくれました。

もう他のお客さんに申し訳ないくらいの爆音で「ジ・エンド」などが演奏されるものだから、こちらも集中して見れないよ(笑)

でも素敵なお店でした。コースターがボブディランの顔写真だったので「これはエガワ君にあげよう」と懐にしまったはずなのですが、目覚めたらなくなっていた。

しかし、ジミヘンはよかった。このまま家に帰るのはもったいないくらいだ。

でも部屋はいいにおいに満たされていたようで。

とある花の名前を思い出しそうで思い出せない。




2007年10月21日
fever

大体がボクはアマノジャクで、お客さんの少ないライブだと「より多くを伝えられる!」と興奮してみたり、あんまり熱狂しているのを見ると、「ちゃんと聴いてるのかよ」と冷ややかな気持ちになったりするんだ。

それというのも、まだまだボクの修行不足で、楽器を演奏する時はいつでも同じ心持ちでやらねばならないわけだから、オーディエンスの反応によってプレイスタイルが変わるようでは、真の意味でのプロとはいえないね。まあさすがに、いい悪いも含めてものすごくたくさんライブをやってきているから、そういう気分とタイコの音とは別になってきてるというのも事実で、つまり体で音を覚えている。だから昔みたいにむちゃくちゃなレスポンスってことはないんだけれど。

今日はMISONOのライブでした。
予想通りものすごく盛り上がってる。1曲目を始めるカウントを入れるきっかけになるS.Eがよく聞こえないくらいなの。
その瞬間「あーこれはボクにとってはクールなライブになるなあ」と内心思いました。
お客さん達の熱い視線を浴びると、自然、ボクのSシステムが作動して、彼ら彼女らの期待を裏切りたくなる。イジメたくなっちゃうのです。気持ちよくなんてさせてあげないよって思っちゃう。

だけどふたを開けてみたら自分の中でものすごく盛り上がっちゃって、お客さんよりも一番ボクがノッてた。

やってる最中、いつもと違う思考回路にボクなりに疑問を持って検索した結果は簡単だった。誰よりもMISONOがノッてたからなんだ。お客さんよりも誰よりも、MISONOが楽しんでいたから、ボクはつまんないことなど何も考えずにただ彼女のテンションについていってただけなんだとわかった。

もちろん、彼女はアイドルだからいろんな縛りもあるだろうし、歌唱というものを考えたら、今日のライブでは及第点はもらえないのかもしれない。だけど彼女の気分をどうやって止められる?

ボクはバンドマンだから、彼女の手綱を引いてうまく着地点を探すなんてできないよ。ボクにできるのは彼女が行きたい所に最速で連れて行ってあげられることだけ。

彼女は今時めずらしい、ロックの魂をもつボーカリストだと思う。

愛はまだ古びてないんだもんね。
きっとまだ暖かい。




2007年10月20日
music non stop

クライフの久しぶりのライブは、新宿。
夜闇の中我々はにやりと笑いを交わす。

速い心臓音がホールを覆いつくし、みなのステップは大きく振幅し始める。揺れる肩、持ち上がる腕、振り乱す髪。もしここで僕がこの足を止めたら、みんな死んでしまうのではないかという錯覚。それくらいここでは、ビートの快楽がすべてをつかさどっている。

つんざくギターリフ!耳をも壊さんと鋭角に研ぎすまされたサウンドが脳髄をことごとく揺さぶる。細胞のひとつひとつまでがその音に浸された頃、人の太ももほどもあるような大蛇のごとき低音がうねり、狂宴がはじまる。

まるでシンクロナイズドスイミングを見るように、すべてが弾ける。約束された音。水飛沫をあげて、フロアを舞う。
ノイズ!グルーブ!サウンド!
人生を早送りで見ているかのように、僕らは色を見つめる。赤、紫、黄色、オレンジ、青。

奇麗。

メロディー。午前2時過ぎの絶望。それは限りなく甘く、限りなく美しく。ゆらゆらと揺らめくろうそくの炎のように、力強いのにどこか消えてしまいそうな不安を抱えながら、声は柔らかく響く。


ハイハットの横に置かれたビールがだんだんと暖まっているのを僕は知っている。しかし今はそれを手に取ることさえできない。

一度始まれば、もう終わることなどできないのだ。
右足でステップを踏めば、次には左足が待っている。
左足でステップを踏めば、次には右足が待っている。
どちらで終わるかって?そんなのどちらの足にも失礼じゃないか。

そう、だから僕らは永遠に踊っていられる。
心が躍っている限りは誰も死にはしない。大丈夫。
こうして音楽に守られている限り、僕らは一生死なないのです。

ノンストップ。リンク。





2007年10月19日
コンパクト、インパクト

毎日ドラムを叩くのは楽しいです。
掃除して、料理つくって、譜面書いて、ちょっと好きな音楽聴いて、ドラムを叩く。うーん、素晴らしい。

この4日間でドラムの叩き方を随分矯正しました。
いってみれば、プロ野球の春のキャンプみたいな感じで。
バッティングや投球のフォームを変えるのと同じように、効率のいい(それでいてロックの枠からは外れない)叩き方をずいぶんと考えました。

その結果、人知れず相当コンパクトになっていると思います。それでいてインパクトのあるサウンドに近づければいいなと。
僕からすれば革命ともいえるくらい叩き方を変えているんだけれど(パワーを80パーセント削減、バスドラの踏み方もまるっきり変えたし、タイム感のとりかたも大分変えた)意外とみんな気がつかないみたい。もちろんチガちゃんは気がついているようですが。

楽器をプレイする上での重要なポイントのひとつに「人の音を聴く」というのがありますが、一番大事なのはやはり「自分の音を聴く」ことだと思います。ここは難しい所だけど、「音を聴く」のと「気持ちを見る」のとは全然違う。

気持ちを見ながら楽器を演奏していたのでは、ただのエゴだし、ただの人付き合いになってしまう。しかし音の上にのった気持ちがリンクするとそこには爆発力が生まれる。

スラップの頃はそれぞれがもっともっとエゴイスティックにやってたから(それをロックというのかもしれんが)あまりの刹那的志向性にリンクしてても気がつかないことも多かったけど、最近はそういうのを体感したくてやってる所はあります。

思い返せば、本番中、2度ばかり強烈にリンクしたことがあるな。あれは本当にすごかった。冗談抜きで時間が止まった。今でもそれを思うと鳥肌がたちます。それがあるから音楽を奏でることをやめられそうにない。誰か助けてください(笑)




2007年10月18日
驚愕の事実

僕は多くの人に小食だと思われている。でも本当はそんなことない。ひとりでいる時は人並みにご飯を食べるし、曲作りで悩んだときには四六時中食べ続けていた時もあった。
しかし、確かに人といる時は、僕はほとんど食べ物を口にしない。なぜか?食べられないのだ。
普通に食べると決まってお腹が強烈にいっぱいになる。それはもう気絶しそうなくらいなのだ。

なんでそのようなことになるのか、自分でも不思議でしょうがなかった。多分精神的に緊張するとだめなのだろうと思っていた。

病院に行く前、お腹がすいたので一件の定食屋さんに入った。
お客は僕一人だった。
おばちゃんが唐揚げ定食を作ってくれて、僕はそれを食べた。いつものように半分くらいでお腹がいっぱいになったが、残すのは悪いので(そんなに美味しくもなかったが)全部食べた。

店を出てよろける足取りで(お腹がいっぱいなのだ)病院に行き、随分と長い時間順番を待った。
自分の番になっていきなりレントゲン写真を撮った。胸が痛い。もしかして折れていたらシャレにもならない。結果肋骨にはまったく異常がなかった。しかし先生は写真を見ていった。
「骨の方は全然問題ないけど、君はどうしてこんなに胃の中に空気がたまっているの?」
獰猛な動物の牙のような肋骨の下に、エアバッグのような丸い物体が映っている。まるでシャボン玉のように外側の縁取りだけが目に見えてその内側にはなにもない。
「ほらこの丸いのが胃壁だよ。そして中には空気がたくさん入ってる。」
「ここに来る前に定食屋さんでご飯を食べてきたんです。まずかったですかね?」
「いやいや、検査にはまったく関係ないんだけれど君はご飯と一緒に空気も食べてるんだねえ。金魚みたいだねえ(笑)」

青天の霹靂である。なんと空気が僕の胃を圧迫してお腹がいっぱいになっていたのだなんて、考えたこともなかった。普通なら気管を通して肺に入っていくべき空気が食道を通じて胃にプールされる。結果食べ物が入る隙間がなくなる。

その時のお医者さんは笑っていたが、実際これは病気の一種らしい。

しかし病気であってもそうでなくても、人と楽しく会食できないというのは非常に不幸なことだ。

これは一体どうやったら治るのだろうか。しかし、食べられない原因がわかっただけでもよかったというもんである。



2007年10月17日
メンテナンス

忙しいのにかまけて自分の体のことを放っておいたら、結構ボロボロであることに気づいた。ドラマーである以上、腰痛があるのは仕方ないが、僕は首(ヘルニアと診断するにはまだ早いがそれに近い状態らしい)そこから来る肩こり(自分が肩こりになるなんて思ってもみなかったし、今もこってるなんて思わないけど、この重みこそが肩こりなんだそうだ)それから胸(肋間神経通というのがあって、僕はそれも数年に一度患う)の痛みもあわせて持ってるから、いってみれば体中痛い所のオンパレードである。
最近はリハ前やレコーディング中にチョコレートなどの甘いもの食べるのが流行っているから(簡単に持続力を補填できる)やすやすと生まれて初めての虫歯にもなったようだ。

そういうわけで本日は自分の体の修理をすることにした。
何しろ時間はたくさんあるからね。今日は夜クライフのコーラス録りがあるだけだ。

ところがまったくびっくりすることに、総合病院なんてところに行ったもんだから、「待ち」がうんざりするくらい長い。
2時間半待たされて、診察時間はほんの10分。
首、胸、共有で例の「ロキソニン」を15錠ばかりいただきました。
やれやれです。
おかげで歯医者に行く気も失せてしまい、夕方はひとしきり猫と戯れておりました。

しかし今日は病院にいったことで重要な事実が発覚した。
それは後日発表します。



2007年10月16日
時間

そういえば僕、14日で楽器屋さんのバイトをやめました。
特にその後のプランがあるというわけでもないのですが、年末に向けてmisonoも含めてバンドが忙しくなるし、そのための時間を十分にとりたいというのと、ここらへんで自分が音楽をどれだけやれるのかを試してみたいというのもあって、半分はノリですがもう半分は結構切羽詰まった感じでやめました。
4年間まるまるやってきたから、その生活サイクルは体に染み付いていて、朝はばっちり8時45分に起床します。しかし、いつもみたいに慌てて支度をすることもない。
ゆっくりと音を聞きながら今日やることを確認して、チャチャッとランチの準備をします。

なんだか優雅な生活です。
金銭的に決して余裕があるわけではないので、日雇いでなんかしようかな?そういうことを考えるのも意外と楽しかったりして(笑)

今日もプレのリハ。このメンツで顔を合わせてプレの曲を一回もやらないというのは、、なんだか不自然ですね。
ケツが痛くなるほど練習です!!



2007年10月15日
プレクトラム?

少し遅刻したので焦ってスタジオに駆け込んだら、プレクトラムのメンバーはロビーでゆったり昼食を食べていた。
今日からはプレのメンバーによる激しいリハーサルが行われるのだ。
だけれども、やる曲はプレの曲ではない。

実はmisono(元DayAfterTommorrowのボーカル)のバックをプレクトラムが務めることになったのです。なのでそれの音合わせ。
非常に入り組んだ構成と数々の音ネタが満載の歌謡曲であっても、プレの手にかかれば見事にロックテイストの美しいバンドサウンドになる。独特の訛りと、奇妙な駆け引きが楽しい。

6時間の長丁場を終え、僕なんかはお尻が痛くなってしまうほど真剣に練習しました。みんなへとへとだった。
そば食って帰りました。



2007年10月14日
パーティー

さて今日はキュマバロウのナオちゃんと私が今月誕生日を迎えたということで、くみちゃんプロデュースの誕生パーティーを盛大に開いてもらいました。
最初はメンバーだけのささやかなお祝いだったのが、最近はどんどん参加人数は増えるし、少し気後れしないでもないですが(笑)とても楽しかったです。大勢に祝われるのが慣れていないせいもあって、充分留意して飲んでいるにもかかわらず、最後はやっぱりわけわからんくなってしまった。
でもいろんなことが楽しかった。人とつながっているというのは、とても安心できていいことだと思いました。



2007年10月12日
UKロックどんでん返し

クライフのリハへと電車で向かう途中。

わりと込み合った車内で、すぐ後ろに会社の先輩後輩と思わしき男女が会話を交わしていた。

「でもパソコンを買いかえたら、仕事もそうですけど音楽とかもそっちで聞いちゃいますね。」
「へえ。音楽とか好きなんだ。」
「はい。音はオーディオの方がいいんですけど、パソコンの方が断然手軽で便利ですからね。あ、とはいえ仕事忙しいからあんまり家では聞いてないです。ほとんど移動時間にiPodって感じですね」
「ねえ、普段はどんな音楽聞いてるの?って私は全然知らないんだけど」

ここで微妙な沈黙が訪れる。わかる。どんな音楽を聞いてるのと聞かれると僕だって微妙に困る。彼は一体なんて答えるのだろう?なんだかとてもワクワクしてきた。
「最近は、、、うーんUKロックとかかな?もちろんJポップも聴きますけどね」
 ほう、UKロックと来ましたか。彼はどの辺がお気に入りなんだろう?
聞きたい。できれば振り向いて直接聞いてみたい!

「えーUKロックって例えばどんなの?」
女性の方は無邪気に訪ねる。ナイス質問!!
「うーん、、、例えばオアシスとか、」
「わっ、知らなーい」

え!?オアシスをしらないのか!?

「後はレディオヘッドとかブラーとか」
「へえ、全然わかんないや私」

どへ!!男のベタな答えにもびっくりしたが、女性の方がそれらの超有名なバンドを全く知らないのもびっくりした。

ちょっと自信なさげに打ち明けた彼の方もなんだか要を得たようで、
「XXさんが知ってるイギリス音楽だとビートルズとかかな?」と少し自慢げだ。
「ビートルズは知ってるわよもちろん。あとはねえ、、、」

「エルトンジョンとか。」
「あー渋いですねえ」
「デビットボウイとかも好きだな」
「あっいますね。なんか名前聞いたことありますよ。」
「あとはあれ、、、キングクリムゾン!!」
「それは、、知らないですねえ」
「知らないの?すごく有名なバンドだと思うんだけど」

彼女がキングクリムゾンと言葉にした瞬間、僕は本当に振り向きそうになってしまった。
なんだかよくわからないけれど、形勢は完全に逆転したみたいだ。

結局彼らがどのような表情で会話をかわしているのか見ることもないまま僕は電車を降りたが、おそらく男性の心中はクリムゾンキングの宮殿のジャケットのようになっていたに違いない。



2007年09月08日
ギターが欲しい!

事情により現在シンセが家にありません。なのでテロテロとギターを弾きながら徒然なるままに録音しています。
キーボードがあると、なんというか曲を作るというよりは構築する感じで、やたらと仕事臭くなってしまうのですが(これは非常にしんどく、悩ましい作業なのです。故にちょっと敬遠してた)ギターでやると、自分がギタリストではないという開放感からか、えらくたくさんのフレーズが浮かぶ。これを適当に録音してみて、なんとなくイメージが広がりそうなものをピックアップして残しておくという作業を続けています。
キーボードが帰ってきたらこれを元に再構築する予定(これが非常にしんどいんです)

ギターを弾きながらサラーッと歌ったり、思いついたフレーズがあったらぷりっと弾いたりするわけですが、僕の愛機ジャズマスターは15年前に友人から譲り受けたもので、ろくな調整もしていないから(しかもライブで何度も落としたりしたし)高い音が出ない。中古なのでいい加減フレットもすり減っているし、ネックも何気に反っている。
修理もしますが(何しろ愛機なので)なんだか昨日あたりから「新しいギター買っちまえよ」とささやく僕の心がうるさくてしょうがないのです。どうしよう。

一途な僕はまたジャズマスターを買ってしまいそうです。好きだから。でもエピフォンという手もある。はたまた世の中には安くてよくできたギターがたくさんあるらしい。グレッチのジェットに弾かれた時期もあったが、エガワ君がグレッチのペンギンというモデルを弾いて(15万円くらいするのに、ただペンギンの絵が書いてあるだけで買おうとしていた笑)あまりにも男気溢れるサウンドだったため断念したのを見ていた手前、少し躊躇してしまう部分はあるし、テスコみたいなのは憧れるけど、僕はギタリストじゃないから人に見せるわけではないからね。

やっぱジャズマスかな?



2007年08月06日
記念日

人は放っておいてもいずれ死ぬ。
かつて、死ぬことが死ぬよりこわかった時代がありました。

小学生の頃、強い日差しの下、銀色に波打つ川辺で友達と裸足になってはしゃいでいる時でさえ、
「あの爆弾はこんなに楽しい瞬間であっても落ちてくるものなんだろうな」
と思うと、ふとした折りに上空を見上げずにはいられませんでした。
暑く寝苦しい夜には『人は死ぬとどうなってしまうんだろう」と延々考え、ついには朝を迎えてしまうこともしばしばありました。

今はそれほど死に対して恐れを抱くことはありません。人は年齢を重ねると、それに対する恐怖心が鈍るのかもしれない。あるいはいずれ訪れる洗礼に本能的に慣れていくようになっているのかもしれない。悲劇に対するショックアブゾーバーのように。

今日という日は62年前、広島の、多くの人間が、玩具のように焼かれ、焦がされ、溶かされ、殺され、生かされた日です。

かわいそうだとか、ひどいとか、そんなことを思う余裕は僕にはありません。

ただただ真っ黒な恐怖が僕の心を覆います。死ぬことへの恐怖は、少しは薄らいだかも知れないけれど、意味なく殺されるのはたまらないよ。

血が沸騰して死んだ人がいる。影だけを残して骨さえ残らなかった人もいる。
しかし、蛆にまみれて生きる人がいる。ケロイドで皮膚のいろがかわっても生きる人がいる。髪の毛や歯が抜け落ちてなお、生きる人がいる。

原爆慰霊のイベントはなんだか昔起こった悲劇の教訓のようになっているけれど、僕からいわせればちがう。

あれは「あの時はひどかったからもうやめとこう」みたいな生やさしいものじゃないのだ。

たくさんの人が死んだ。でもたくさんの人は生きた。
僕はその末裔である。



2007年08月05日
目からウロコ

今までかなりたくさんのレコーディングをこなしてきたけれど、今日のレコーディングでびっくりしたことがあった(というより最近気づいたことがあってそれを実践してみたのです)

方法は至って簡単。ドラムの音をヘッドホンに大きく返す。

通常ドラムは生の音を聞いて演奏しているから、耳の周りで常にけたたましい音を立てている。そしてその向こう側にギターなり、ベースなりボーカルなりがあるわけです。
しかしレコーディングでは常にヘッドホンをしているから、ヘッドホンの中のレベルがどうなっているかで音の組み立て方は全然違ってくる。僕はわりと今まで通常のCDのようなバランスにしていたような気がする。それで当然だと思っていた。つまりすべての音がバランスよく聞こえている状態である。
しかし、実際の演奏のときにはドラムが一番近くで鳴っているはずなのだから、ヘッドホンの音を聞きながら演奏するとどうしてもドラムが物足りなく感じてしまう。そんなわけで自然とパワフルになり、ライブよりもはげしくなったりすることもしばしばあった。

最近のレコーディングで何となくそれに気づき(あと、この間友人にスラップのCDを聴かせたら、「曲はオシャレなのにドラムは超ロックっすね」といわれ、なんでだろうと考えたせいもある)本日のレコーディングは趣向を変えてみた。

ボリュームをいじってドラムを一番近くに、その後ろに各楽器が来るように音を配置する。こうするとヘッドホンをしても、ドラムのすごく小さな音までよく聞こえるようになった。「これだ!」と思った。
狙い通りかなり軽い感じでドラムが叩けたと思う。曲は結構ロックだったので、結局はパワフルに叩いたが、それでもこの収穫はでかい。

ネクストレコーディングはキュマバロウ。
ハウス的要素を多分に持つ彼女らの楽曲に今回の経験は随分と役に立つだろう。

目の前でスネアドラムをぶっ叩いた音がマイクに収音されて一部屋隔てたミキサーへと流されていく。そこでエンジニアさんの手によってある程度の加工が施され、僕の耳元へと帰ってくる。

そう考えると「音」というのは一瞬のことで気づかないまでも、随分と長い旅をしているのだなあと思った。

また一段と音への愛情が深くなった気がした日でした。



2007年07月17日


いつもどこかで音楽を奏でている多忙な男、立井幹也です。
本日はエガワヒロシのリハでしたよ。

リハが始まって40分くらいして「なんだか今日は歌が聞こえないなぁ」と思っていたらスピーカーが片一方出ていなかった。百戦錬磨が5人も揃って気づかないとはトホホである。さっそくスタッフさんを呼んで修理してもらったのだがなかなかなおらない。今回はベースがキュマバロウのバンジーに代わってのライブなので、できるだけたくさん練習したいのだがそれもままならない。少しイライラしてきた。スタッフさんには悪いのだが「本当にわかってやっているのか?」という疑念も生まれつつロビーに出てタバコなど吸ってみるのだが、メンバーはいたってのほほんとしている。バンジーは持ち前の人見知りモード全開なので所在なさげに立ちつくしているが、田村君はギターを下ろしてコンビニ前にしゃがみ込む少年よろしく壁をしょって頬杖をついているし、赤尾さんはじっとしているのが苦痛らしく、何やら怪しげなフットワークをみせている。

エガワ君もどこ吹く風でアコギをかき鳴らし、自分の曲や人の曲をさらりと歌っている。時々スタッフがマイクのボリュームを上げては「まだ片方からしか出てないですね」と首をひねっているが、メンバーは「おかしいですねぇ」とのんびり。
開けっ放しのドアをくぐって再びドラムの椅子に座る。ドアが開いているから叩くこともできない。イライラ。
エガワ君は次々といろんな歌を歌ってる。
「それは誰の曲?」
と聞くと
「俺の曲。ボツになったけどね。」と笑う。

エガワヒロシ、ものすごくいいボーカリストだなと思った。ライブの彼はパンク少年よろしく全身導火線みたいにしてあやういバランスで歌うのだが、たらたらと響く彼の歌声は休日の昼下がりにビール片手に聴いてる品のいいラジオ番組みたいに、優しくて、柔らかくて、時に泥臭くて、なにより強い。
僕はそれを一番の特等席で聴いていた(彼は鏡に向かって歌っていたので終始後ろ向きでしたが)これは彼の嫁さんも惚れるってわけだ。

結局最終的には「このミキサー交換した方がいいんじゃないすか?」という僕の鶴の一声でモニター問題は一挙解決した(エッヘン)挙げ句スタジオ代金もおまけしてもらった。

その後はもう超スパルタ式のリハーサルで、と思いきややっぱりのんびりムードで。

エガワヒロシチーム、なんだか素敵だ。



2007年07月04日
パニックアタック

久しぶりのプレクトラムライブはいささかパニック状態だ。
コントロールできてないところがロックというものなのかしら。

テクニック的にいうなれば普段の4割も出ていない(普段からテクニカルなわけでもないけれど)でも情熱だけは誰にも負けんとしっかり演奏。

多分見てた人はそんなのわかんなかったと思うけど(一応プロなのでその辺のごまかしはうまい)なにしろ音がでかすぎて頭の中でぴかちゅーが踊ってたのよ。



2007年07月02日
猫眠る

マスクしてバイト。当然みんなは僕が風邪をひいたと思っている。僕もマスクをしていると自分でも風邪をひいたような気分になってくる。だからみんなに説明して傷を見せる。そうでないとやっていられない。みんなはおもしろがって僕の傷を見る。
「反対側にも付けた方が威厳が出るね」
などと軽口を叩くやつもいる。
プレクトラムのリハではマスクを外していて、最初にあったアッキーには事情を説明したけど、タイスケとヒラッチにはなにもいわなかったら(スタジオが暗いから見えないかと思っていた)後で「それどうしたの?」という話になった。ひととおり説明する中で、またハナへの不信感が募っていく。もう一緒に眠れないなと思ってしまう。

午前一時。部屋に帰ってきて、見るとハナは昨日と同じように僕の布団の上に寝ている。ちょっと嫌な感じがした。ズズはやかましく僕ににゃーにゃーとなく。なんだかいつもより興奮しているようだ。

パソコンを起動して、メールやらホームページやらをチェックする。タバコを吸おうとしてライターを捜してあたりを見回した時、見慣れたようなそうでもないようなものを目にしてしまう。
部屋の片隅に猫が吐き出した毛玉があった。

ズズはよく吐く子だ。しょっちゅうケロケロと元気よく吐くので、別に気にもならない。しかしハナは滅多に吐くことはない。
それが夕べはどういうわけか毛玉を吐き出したくなってしまった。しかしベッドの上で吐くと怒られるから大急ぎで下に降りたのか。その際に僕の顔に竜のひげをつけてしまったのか。
今朝僕がハナを叱りつけたときに絶対に僕の目を見なかったのは、怒られていることが怖かったのではなく、気玉を吐き出したことが恥ずかしかったのか。

今こうしている間にも、ハナは僕の布団の上で昏々と眠っている。
この文章を書き終わったら、僕はそれとなくハナとお話してみようと思う。
熟睡しているなら起こしはしないが。



2007年07月01日
龍のひげを持つ男

昨日は早々に眠った。今年の後半戦の最初の眠り。

寝ようとベッドに腰掛けたら、ハナが布団の上に丸まっていた。幸い(?)今日も暑いので、布団を引っ張り上げてハナを起こすことなく、僕はそのまま横たわり眠りにつく。

AM3:00。一瞬顔に灼けるような痛みがさす。何が起こったのかわからない。まさかハナが僕の顔の上を滑ったなんて夢にも思わないから、「ん」と声にならない声を出してそのまま快眠をむさぼっていた。
浅く浮上してきた意識の中で頬に手を当てる。それはぬるりとした液体に触れる。これは多分血液だ。僕は細目を開けて自分の手のひらを見る。結構な量の血液がそこに付着している。それを見たとたん頬に痛みが走った。
「なんなんだまったく」と僕は一人ぶつぶついいながらティッシュで傷を拭い、冷凍庫から氷を出してタオルでくるみ頬に当てる。とにかく眠いのだ。
僕はベッドに文字どおり倒れ込み、そのまま再び眠りに落ちた。

目が覚めて、そういえば夕べハナに顔をひっかかれたんだったとおぼろげに思い出す。

さりげなく鏡を見た。そこには僕が映っていた。しかしいつもの僕とは若干変わった顔になっていた。左の上唇から頬にかけて、真っ赤な引っ掻き傷が曲線を描きながら一本はっきりと、ある。
僕は青ざめた。
突然すべてのことが現実感を伴って僕にのしかかってくる。

ハナが僕の顔を傷つけた!

それは少なからずともショックなことだ。今まで8年あまりも一緒に暮らしてきて、多少のひっかき傷を腕や体に刻まれたことは幾度もあったが、顔にそれを受けたことはない。しかも無防備な就寝中にだ。突然怒りが込み上げてきた。
雨が降っているせいかベッドの脇にだるそうに横たわるハナに僕は詰め寄る。
「なんでこんなことしたの?ちょっと俺の顔を見てよ。これハナがやったんだろ?」

 ハナは絶対に僕の顔を見ようとしない。どれだけ顔をこちらに向かせようとしても、回り込んでハナの顔の正面に僕の鼻面をもっていっても彼女は目をそらし悲しそうな顔をするばかりだ。

とにかく顔を洗ってこびりついた血を落とした。
まるで竜のひげのような傷。しかしやはり傷は傷だ。ヤクザよろしくそれは相当物騒に見える。

僕は風邪をひいてもいないのに、マスクをしてうちを出る。
ハナはいつもみたいに見送りにこない。ズズは静かに窓越しに雨を見ている。



2007年06月25日
ネイキッド

心を裸にできる人がどれだけいるだろうか。まあ世の中にはたくさんいるのかもしれない。しかし、それがスタイリッシュであるかどうかは別で、やはりそれをきれいに見せられる人というのは特別なのだろうなと思う。
生きているというのは、僕にとってはちょっとした衝動みたいなものだから、その吹き出したしぶきは他人(お客さん)にとっては少々ウザッタイモノなのかもしれない。でもいい。

格好をつけて賞賛されるレベルはもういい。格好をつけずにほめられたい。泣き言も弱気もバカ面も含めて愛されたい。

そういう意味ではキュマバロウのライブはうまくできたかもしれないと思う。

僕はダンスヒーローだ。みんなが僕のダンスをあぜんとして見守ればいい。こんなに素敵な音楽を誰にも渡してやるものか。

この音は、僕のための、音だ。
だれにも渡さない。

要は見せびらかしたいのだ。すげえだろって。ずっとそうなのだ。高校生の時から。なにしろ他がだめだったからね。それ以外に誇れるものなんかなんにもなかったしね。

7月は一角獣が住む街で自分の影とお話をして過ごそうと思います。
心を完全に解放するには、心に見切りをつけなければいけない。



2007年06月17日
サンフレッチェガンバ!

クライフは「バサロクラブ75」と2マンライブ。バサロはいつ見ても小粋でかっこいい。やりたいことが一曲一曲はっきりしていて、しかも演奏レベルが高いので、びしびし伝わってくる。個人的には歌ものも好きだが、やはりダンスものやインスト系はたまらんものがある。スラップを100倍くらい本格的にした感じ。うらやましい。

この日のクライフもノリノリであった。しょっぱなの「rakuen」からすでにボルテージは最高潮で、会場のノリを一気に掌握していく感じが肌に伝わってくる。揺れるメンバーとお客さんたち。美しい。
しかし僕はその間リアル轟音と闘っていた。なぜかモニターの音がマックスでかいのだ。人間の耳には非常に精巧にできたコンプレッサーが搭載されているが、これの入力値を遥かに超えた音が僕の足下で鳴っているように感じて(実際後でPAさんに聞いたら、そんなにはあがってなかったらしいのだが)脳みそが悲鳴を上げていた。しかもその音に負けないようにドラムをひっぱたかなくてはならないからオールフルショット。ちょっとした小技も全部大技に早変わりだ。当然疲れる。
でも、終わってみれば非常に評判が良かった。フロントの3人はすごく盛り上がっていたし、もちろん僕もいろいろ葛藤はあれど楽しんでもいたから(そこはプロなのでトラブルめいたこともかっこよく見せる自信はある)当たり前のことだがちょっとほっとした(笑)

さて打ち上げも盛り上がりました。サッカーの試合が盛り上がってくるとクライフのライブにエガワヒロシがふらりと顔を出す(もちろん音楽を聴きに来てくれるんです)ユウスケ君はいうまでもなくガンバ大阪の熱狂的大ファンだし、これまたエガワ君はいうまでもなく浦和レッズの狂信的ファンである。この二人の打ち上げでの、ののしり合いといたわりあいが本当に面白い。
サッカーを愛する大きな慈しみの心と、自分のチームはずるでも何でも勝ちゃーいいという卑しい心が、二人の中にあまりにも似通った形で混在していて、それが非常に人間らしくて笑ってしまうと同時に関心してしまうのだ。
「くそー今は何を言ってもガンバが一位だからな」
「そうそうどんだけ文句いわれてもそっちは二位だからね。全然いたくないね」
「でもこっからガンバは落ちるんだよ。だんだん勝てなくなってくる」
「そうなんだよ、ここからが問題なんだよ。でもレッズは負けはしないけど勝ちもしないね」
「そうなのよ。試合見ててもじりじりしちゃうのよ」
そんな風に会話は続く、実際は具体的に選手の名前が出て「あれはだめだ」とか「あいつは使える」とかいろいろあるのだが、僕はそんなに詳しくないのでよくわからない。でもそれを聞いているだけで本当に面白いのだ。いつかラジオかなんかでふたりの対談をやったらいいんじゃないかと思う。しかし音楽の話はまるっきり出なかったな(笑)
話に混じろうとして「サンフレッチェはどうなの?」と振ってみたら、二人揃って慈悲深いまなざしで、
「サンフレッチェ、いいチームだよねー」
と言い放ち、何事もなかったかのようにガンバVS浦和の話に戻った。

くそー来年ぐらいミラクル起こしてくれ!サンフレッチェ!



2007年06月15日
どんぶりや

お気に入りのカレー屋さんがなくなった後のどんぶり屋さんの前を歩いた。昼だったので立派に開店していた。内装は全く変わっていないようだ。外の看板にメニューが出ていたのでさりげなく足を止めて見てみた。以下はそのメニュー。

1、豚焼き肉丼
2、豚ショウガ焼き丼
3、豚しょうゆ漬け焼丼
4、豚ニンニクしょうゆ漬け焼丼
5、豚角煮丼

なにしろ狭い店内である。仕込みに限界があるのもわかる。それにしてもなくないですか?このメニュー。カレー屋さんの時だって、マトンをはじめとしてエビカレーやなすのカレーもあったし、タンドリーチキンなどのつまみものもあった。
 どうせなら「豚焼肉丼だけで勝負する!」という潔さがあればまだ納得できるのだけれど、中途半端に選択肢があってもねえ。なんか困ってしまう。
店内ではOL風のスーツを着た女性がひとり、何番だかわからない、しかしまちがいなく豚肉関係の丼をほおばっていらっしゃいました。

ちなみに値段は一律580円。
松屋なんかで豚丼を頼めば300円くらいで出てくるから、これは一種の自信のあらわれなのかしら。

なんにしても食べてみなければわかりませんが、滅多に「米もの」を食べない僕が思い立ったときに、お店がまだやっているかどうかの方が不安です。

がんばってください。



2007年06月13日
悪夢

ひどい夢を3本だてで見た。
品のない場末の映画館で、救いようのない虚しい三文映画をオールナイトで見たような気分だ。自分でもなぜそのような夢を立て続けに見たのかよくわからない。目が覚めたときは、どちらが現実でどちらが夢かよく区別がつかなかった。シャワーを浴びても鳥肌がおさまることはなかった。夢の内容をごく簡単にいうと、

1結構仲良くしていると思っていた女の子に嫌われた。
2カートコバーンの知られざる真実を知った。
3うちの猫が襲われた。

となる。こんな風に端的に箇条書きにしてみるとなんだか「まあ夢なんだからそういうこともある」といってしまってもよさそうだが、実際はこのひとつひとつの話がひどく長く説得力のあるものだったのよ。
何しろ僕の夢はわけがわからないということがなくて、ひとつひとつのディテールが微に入り細にわたるものだから、微妙な真理描写もあわせて、眠っている僕の深層を覆してしまう。

例えば最後の「うちの猫が襲われた」なんて、最終的に森の中で悪者と格闘になり僕はカッターで相手の腕を深く切る。白く濁った脂肪がむき出しになり、その裂け目からどす黒い血が噴き出す。僕はその血を全身に浴びながらも、ライターで男の服に火をつける。お互いに燃えながら揉み合いながらも男を何度もなぐり、なんとか倒すことに成功する。(男の鼻がくだけた感触が手に残る)
縛られてサッカーボールみたいになったうちの猫を救助して、頬ずりする。ねこはさっきまで狂ったように鳴いていたのに、今はきょとんとしている。さあ帰ろうと振り向いた瞬間、黒こげになった男が目の前に立っている。そしてその手に持っている包丁を振り下ろす。それは僕の脳天に直撃し頭蓋を超えて柔らかい部分に到達する。その瞬間僕はいびきをかくみたいにガッを鼻をならす。背骨が鋼のように固く感じ、しかし肉のすべては重力に従ってゼリーのようにずりおちてしまいそうだ。
最後の力で腕の中にいる猫を叩いて逃がす。しかし猫は僕から2メートルばかり離れたところで僕を振り返り、お行儀よく座り直す。頭のてっぺんが妙に熱く、豚みたいなガーガーいう声が止まらない。黒こげの男は白目だけがやけにめだち、その中の黒目が猫へ向けられる。

ほら書いてるだけで嫌になってきた。

これでも細かいデティールは省いているので実際はもっとひどいです。家に帰ったらねこがいなくなってるところからはじまるし。

1と2も相当ひどかったです。2なんて僕は出てこないのにひどい。

ここまで書いといてなんですが、今日のリハは楽しかったです。
救われる気分でした。たいした演奏できんかったけど。



2007年06月13日
パンク、テクノ、それ以外は不可!!

今日はエコーレイリアのライブでした。
いやあ楽しかった。しかししんどくもあった。

音楽の初歩中の初歩的なテクニックで「シンコペーション」というのがありまして、僕は16のシンコペが苦手なのです。

スラップ時代は基本的にシンコペ排除。なぜなら「テクノ」にシンコペは必要ないから。徹底してましたよ。(例外は109という曲だけ。色気出そうとして失敗した。)初期の頃はシンバルさえ叩いてなかったもん。「あんなもんで抑揚つけるのは怠惰な証拠だ」とか思ってた。硬派ですね。
あとはパンク。パンクも基本的にシンコペはしない。やるとどうしても技巧的になるというか、オシャレになるというか、ちょっと大人っぽくなるのね。だからやらない。

というわけで、そのようにドラムを叩いてきたおかげで、僕はシンコペーションに対する免疫があまりありません。もちろんできないことはないけど、12歳の子が「昼下がりの情事」を演じてる感じになってしまう。

もちろんそれはそれなりに味のある演技をしますが、やはり経験というのはね。大きいね。

エコーレイリアは大人の音楽だから大変なのだ。僕は待ちきれないよ。そういうじれてる感じもパンクだな。



2007年06月10日
無念

朝起きてみたら、体のだるさは残っているもののどうやら熱はないようだ。昨日の燃えるような熱さはいったいなんだったんだというくらい意識はすっきりとしている。我ながら体の素直さは小学生並みだ。ぱっと風邪引いてさっと治る。簡単なのはいいことだが、世間にいいわけしにくいというデメリットもある。「もう治ったんかい」とつっこまれそうで怖い。
とはいえ立ち上がってみると立派に目がくらんだ。ちょっとほっとした。たった一晩ですべてのメンテナンスが完了するなんて、サイボーグじゃないんだから。

さて今日はクライフのリハでした。あいかわらずノリノリのリハです。しかし爆音でギターがなると強制的にノリノリになるね。僕なんかもう練習ってことを忘れて完全にステージモードである。陶酔である。おかげでなんだか熱がぶり返しそうになってきた。自分でもバカかと思う。身の程知らずなガキみたいなもんだ。
よろける足取りでリハスタを後にした。

ところで僕が住んでる街の駅前には、本当に小さな敷地でやってるカレー屋さんがあって、そこでは本物のインド人(かパキスタン人かバングラデシュ人)がカレーを作っていた。僕も2度ほど食べたことがあるが、結構美味しい。いわゆる本場のさらさらカレーで、マトンがワイルドにゴロゴロ入ってるやつである。なによりそこで注文すると作る過程を見ているのが楽しい。目の前でコンロに火をつけてペースト状のルーをなにがしかのスープで溶き、それが煮えてくるまでの間、鼻歌まじりにサラダをささっと盛り、ごはん(もちろんサフランライスだ)を盛り、煮えばなのルーにマトンを投入して仕上げ、供じてくれる。BGMはもちろんインド音楽だ。それも安っぽいテレビのスピーカーから聞こえてくるので、より臨場感が高まる。
 できたカレーを頬張ろうとすると料理人と多分支配人(いつもいる人なのだが何かをしているところを見たことがない)が僕の一挙一動をじっと見つめている。一口食べて僕が満足そうにうなづくと、料理人の方は納得したように鍋を洗い始める。多分支配人の方は僕が食べ終わるまで真剣なまなざしで僕をみつめている。
そんな変な店だったのだが僕は気に入っていた。またちょっと暇になったら食べにいきたいなと思っていた。
それなのに今日店の前を通ったら、カレー屋はなくなっていて代わりにどんぶり屋ができていた。敷地が狭いから改装にもまったく時間がかからなかったのだろう。建て替えは一瞬のことだ。
非常に残念なことである。こんなことならもっとカレー食べに行っておけばよかった。

まさかあらためてどんぶり屋に行ってみたら、例のインド人だかネパール人だかがカレー丼やってたりして。それはないか。




2007年05月22日
賽はなかなか振られない。

あまりにも忙しいのに、なんだか停滞気味である。
はからずとも人生とは、すべからく「ケセラセラ」とは行かないようで。
音楽など所詮戯れのもの。どこまでいってもキリギリスなのだ。
地味で苦しいことなど「でも好きなんだからいいんじゃない」で終わらされてしまう儚いもの。生む苦しみもあれば生まない苦しみもあることを人はしらない。
極単純にいえば音階はたった12個しかない。それを組み合わせて自分だけの世界を表現しようなんてことは奇跡に近い。ましてや多層的にある感情レベルをひとつの音楽的指向性にまとめることなど不可能に思える。
それでもやらなくてはならないのだが。いや、やらないと生きてる意味さえ希薄になってしまうのだが。
焦る男。

しかし、賽はなかなか振られない。
長く握りしめすぎて溶けてしまいそうだ。




2007年05月01日
フェア

またもや村上春樹フェアが始まってしまった。
いろんな本があって、新しいものを読むのは大好きなのだが、あるポイントで必ずやってくる欲求、というかそれはほとんどルールのようなものだ。
村上春樹を読むのに意味なんていらない。春樹についての解説本や分析本も読むが、むしろそういうのは村上春樹をあんまり好きではない人が書いているのだろうと思う。筋にこだわって読むような本ではないのだ彼の文章は。
彼の文章はただの文章だ。それは僕自身が僕自身でしかないことと同じだ。特定のデコレーションはある。ディテールの引用もある。でもそれをしない人がどこにいる?それを空虚だと嘆かない人がどこにいる?
人は生きて死ぬ。ただそれだけだ。哲学も思想も科学も宗教も政治も、その事実を補足しようとしてしきれなかったつまらない論理の集積だ。いってみれば資源ゴミみたいなもんだ。再利用するために生産されるゴミ。何度再生させても結局はゴミになる。

ところで、芸術と呼ばれるものにはひとつだけ優れたところがある。
それは理解できないということだ。
どれだけそのパーツを細かく切り刻んで顕微鏡で見てみても、結局はなんにもわからない。ただその居住まいを気持ちよく感じれば、それが自分にとってスペシャルなものになるだけだ。

そのようにして、僕はまた村上春樹を読み返している。18年間も、飽きることなく。



2007年04月29日


自分でも理由の分からないまま新宿にいる。晴れているというだけで他にどんな意味もないまま、ただ街をぶらついている。
レコードショップに行き、本屋に行き、洋服屋を覗き、楽器屋をひやかし、衝動的に買い物をする。
エレベーターは昇降をくりかえし、僕はタバコをくわえる。
日も落ちないうちから盛り場は盛り上がっていて、周りのうるささに少し辟易するが、ビールを勢いよく飲み干せば少し気分も楽になる。

外を見れば、太陽がこぼれそうだ。




2007年04月26日
やりたがりの人

岸上規男のライブは下北沢440で。
すでに名門となっているアコースティックライブハウスである。
今回はあきらっちが体調不良のため無念の欠場のため、ノリオ、コウショウ、ミキヤの三人で挑むシンプルサウンド。

最初は、さながらMTBのアンプラグドライブを見ているかのようなソリッドな演奏。とてもタイトでかっこいい感じ。僕もなんだか「そういう人」になったみたいに少し背筋を伸ばし気味にドラムを叩いた。

次のセクションはしっとりとバラード。ノリオの優しくも強い歌声が会場に響き渡る。柔らかくもピンと張りつめた空気が会場を満たす。僕はそこに少しだけの切なさをプラスすべくピアノを演奏する。

次はまるで私小説のような曲集。ノリオの歌のコンセプトである「生きていることの喜び」を全面に押し出す内容だ。バンドサイズで演奏すると、まるでフルスペックのA級映画のようにドラマチックだが、アコースティックでやると16ミリで撮った私的フィルムのように小気味のよい、それでいてリアルな感じになる。僕はそんな空気感に勢いをつけるべく必死でボンゴを演奏する。

なんだか僕だけに注目していると「あの人ただのやりたがりなんじゃないの?」と思われても仕方がないような結果になってしまった。でも楽曲がそれを求めているからそうなってしまったのだし、おそらくノリオの歌に集中している人たちはそんなこと気にもしなかっただろう。だから僕も気にしない。

最後の曲はノリオがソロで演奏した。僕は舞台袖でよけいなことは何も考えずただただノリオに見入っていた。その声に聴き入っていた。

ノリオの歌はやはり、まぎれもなくA級だ。



2007年04月24日
試み

新曲をインスピレーションで演奏する。ナオちゃんにはこのためにあえてラフなデモを作ってもらった。キュマバロウが伝えたいことをより強固にするための5人の作業。メッセージのソースはどこにあるのか、それを明確にするためのアレンジである。

やっているうちにギターのフレーズが変わる。それに呼応するようにBPMが上下し、ベースのビートが変わる。キーボードの流れが変わり、歌の呼吸が変わる。すべてはリアルタイムで起こっていることだ。頭で考えていることよりも先に出てくる音が最適化されている。
高等なバンドだからこそできる芸当だ。

そして僕はこの瞬間がとても大好きだ。
このためにバンドをやっているといってもいい。
このために音楽をやっているといってもいい。

ジャムセッションをやっているのとも少し違う、目的地の決まっている旅。効率よく落とし込むのか、ふらりと寄り道することで目的地をより意識させるのか、それはメンバーそれぞれの手腕とイメージにかかっている。

しかし思わぬところに落とし穴があった。
僕がイメージを言葉で説明してひととおり演奏し終わった後、メンバーの口からついて出た言葉は「ちょっとありきたりになったかも。」

なるほどである。たしかにその通りだと思った。しかし裏を返せば当たり前の話でもある。なぜなら僕は曲のイメージを伝えるときに言葉を使っているからだ。たとえば、「ボンジョビ」みたいにとか、「ブランキージェットシティー」みたいにとかいうと、メンバーの頭の中であるイメージが形成される。それは具体的に音楽のテクスチャーを含んでいるから、かなり細かいところまで入り込んでいる。「夏の空みたいに」とか「別れ際の恋人の笑顔みたいな感じで」とかいうと、メンバーは最大公約数的なコモンセンスで対応する。つまりバンドの意識が高等であるが故にイメージを自動的にカテゴライズするのだ。結果それはある程度どこかで聴いたことのある「ありきたりな音」になる。

でも僕がやりたいのはその先だ。一度ベクトルの向きを絞り込んで、そこから少しずつばらけていく。5人の共通理解を確認した上で、個人的な気持ちを乗せていく作業をしたいのだ。

何かをありきたりというなら、世の中のすべてはありきたりで溢れている。我々が聴いたこともない音楽なんて、もはやないのかもしれない。それでも僕らは楽器を手にして何かをやろうとしている。ありきたりではない何かを。では何から始めるべきなのか。

話は変わるが、うちの猫はどこにでもいる茶白と白黒の雑種である。血統書もないし、しつけもなってない(それは僕のせいだ)街を歩いているとよく似た模様の猫に出くわす。世の中に茶白の猫と白黒の猫なんて掃いて捨てるほどいるのだ。
でもそんな猫が100万匹集まっていたとしても、僕はうちの猫をきちんと見つけ出せる自信がある。 
いってみればありきたりかどうかなんて些細なことだと思う。
問題は対象に対する愛情のレベルだ。

キュマバロウのリハにおいて、新しいスタイルのリハは始まったばかり。すべては実験段階だ。すべてがうまい具合に進めば、5月のライブは面白いものになると思う。



2007年04月22日
ロール

最後の曲が始まり、ユウスケ君がギターをかき鳴らした瞬間、僕の手は首に巻かれたカーラーに伸びていた。
最初からわかっていたのだ。おそらくは。いくつも仕掛けられた起爆スイッチが見に来てくれているお客さんのためのものと知っていたとして、どうして僕がそれを押さずに耐えられようか。だからこそ、それを恐れたからこそ、痛々しく見えるのは承知でカーラーを巻いたままライブに出演したのだ。

クライフインザベッドルームのライブはとにかくダンサブルだ。4つ打ちリズムから始まって、クラブミュージックよろしくひたすら上り詰めていく。軽いジョグをこなしているかのような軽快なBPMは僕の血流を活性化させ、体は左右に揺れる。お客さん達も思い思いに楽しんでいる。気分が最高によくなってきた。このバンドは本当に役者が揃っている。身軽にステージを漂いながら刹那的情感を歌い上げるプリンス。ニヒルに唇を傾けながら右手を天に突き上げるダークスター。骨太なサウンドを見にまといながらバンドの中枢をつかさどるマスター。果たしてこのステージ上での僕の役割とは。

最後の曲が始まり、ユウスケ君がギターをかき鳴らした瞬間、僕の手は首に巻かれたカーラーに伸びていた。はずす瞬間「やっぱりはずすのか」と僕の中の一人がいった。「また救急車に乗るのはごめんだぜ、おとなしくしておいたほうがいい」、「明日はレコーディングだよ。今日無理する必要がどこにあるのかね」、「あと1曲なのに、どうして我慢できないかな」、、次々に聞こえる声。

いや、と僕は答える。ここは見せておいた方がいい。カーラーをはずして首を振る。少々無茶をしてでも見せたいものがある。
まるで最初から首なんて痛くなかったかのように暴れ狂う姿、幻想。

そう、ここでの僕の役割はギミッカーだ。



2007年04月20日
エコーレイリア

今日はエコーレイリアのライブ。
新宿ルイードは歌舞伎町のど真ん中。よくもまあこんなにガラの悪いところにライブハウスを作ったものだとびっくりしたが、よく考えたら本来ライブハウス自体がとてもガラの悪いものなのだ。薄暗いホール、完全武装のファッションとギラギラした目つき、カビと整髪料の混ざった臭いとタバコの煙にまみれたどろりとした空気。中学生の頃初めてライブハウスの扉を開いたとき、心底縮みあがったのを思い出す。そう考えると今のライブハウスはえらく健全になった。ライブハウスだけではない。ゲームセンターも工事現場も昔ほどやさぐれた雰囲気は今はもうない。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからないが。

エコーレイリアは僕の友人エンドウマサルと、彼の大学時代の仲間であるミノシマさんからなるユニットである。エンドウマサルが作家としてのキャリアをスタートさせた折り、偶然ミノシマさんが遠く北海道から東京に来ることになり、彼らは数年ぶりに再会した。
そして二人のユニットが復活することになった。マサルは上質な曲を書くA級ポップ職人だし、ミノシマさんはびっくりするくらい歌がうまい。このタイミングで二人が再び出会うことになったのは、まさに運命というべきか。

さて、僕はといえばそんな彼らを大きく包み込むために呼んでいただいた。ありがたいことである。いってみれば、よきお兄さんであり、よきおじさんである。そういう役割は嫌いじゃない。

だがしかし、僕のドラムはどちらかというと攻撃色が強いので、これを薄めるのには苦労した。というよりもまだ包み込むようなドラムを叩けるほど僕は大人になりきれていない。

バンドを従えて人前で歌うのは数年ぶりだとひどく緊張していたミノシマさんに「大丈夫だよ。いつもよりうまく歌えることなんてないんだから、普通にしていればいい」と軽口を叩いていた僕が本番は戦々恐々、爆発しそうになる自分を抑えるのに必死だった。

「メンバー紹介のとき、なんて紹介すればいいですか?」
と彼女が聞くので、
「夢見がちな極道とでもいっておいてください」
と答えておいたら本番は、
「癒し系ドラマー」になっていた。

いや、「卑しい系ドラマー」といったのかもしれないな。

最初のライブハウス体験がトラウマになって、武装する癖が抜けないのかもしれない僕は。

もちろんライブはよかったです。用意したフライヤーが足りなくなるくらい反響がよかった。
嬉しいことです。



2007年04月19日
ストレートネック

以前から知ってはいたが、僕はストレートネックなのだそうだ。
人間は構造上体が弓なりにしなっている。背骨も首もアーチを描いていて、縦方向の衝撃に対するショックアブソーバーの役割を果たしている。
しかし、僕は首も背骨も定規で線を引いたようにまっすぐなのだ。自分の骨を横向きからレントゲンで見ると、息を飲むほど美しい直線。故に縦方向の衝撃に弱いのだ。

おそらく年下であろう医者に「現代人ですね」といわれた。

よけいなお世話だ。でも僕は自分の骨の形を気に入ってもいた。
こんな融通のきかないまっすぐな骨と一生つきあっていくのも悪くはない。

僕は箸の持ち方がおかしいが、学校で習う正しい箸の持ち方よりも美しく合理的な持ち方をしていると思う。だから自分の箸の持ち方を気に入っているし矯正するつもりもまったくない。

正しい形なんていうものはそれぞれが勝手に決めればいいんだ。決まっていることに対しては、素直に従えばそれでいいということにしている。



2007年04月18日
痛み

数日前から危ないなとは思っていたのだが、今朝目覚めたらまったく首が動かなくなっていた。
起きようとしても頭が枕に磁石のようにくっついて動けない。しかも周期的に激痛が走る。首から肩、肩甲骨の裏側に至るまでのスジを束ねて、ペンチでつまんで絞り上げているような痛み。
僕は大声を張り上げた。目の玉がひっくり返りそうになるくらい固く目を閉じ、その痛みが通り過ぎるのを待った。もう限界だこれ以上苦痛が続けばもう気がふれてしまうという直前で痛みは弱まる。ほっと息をついて少し動こうとするとまた激痛が始まる。繰り返しだ。右手は爪の先まで震えている。感覚などすでにない。

今までにもこういうことは何度もあった。しかし、痛みのレベルでいえば今回が最大だ。邪悪な生物が僕の体の中に巣くっていて、それが僕の右肩をぶち破って飛び出してきそうな感覚。その度に僕は耐えきれぬ絶叫をあげる。

救急車のサイレンを内側から聞いたのは久しぶりだ。隊員の一人が「横になりますか?」と聞いてくれたが、僕は丁寧に断った。どういう状態でも痛みは同じなのだ。ましてや寝転んでしまうと二度と起き上がれそうもない。

医者に強く牽制されて、僕はバイトに行くのを断念した。
どうしてそうのような状態になったかということについては、単に寝違えただけということにしておいた。ドラムを叩くことで首を振りすぎてなったとなると、これから続くリハとライブの日々を禁止されることは目に見えているし、面倒な議論はしたくない。

今はカーラーとロキソニンである程度安定しています。
今日、バイトのみならずリハまで休んでしまったことが僕にとってはとてもくやしいです。ごめんなさい。

しかし本番にはベストの状態で臨みたいと思います。



2007年04月17日
レインソング

4月だというのにひどく寒い。外は大粒の雨が降っていて、空は暗い。時に遠くから低く長い雷の音さえ聞こえる。僕は読みかけの本を閉じひとつため息をついてからいつもより多めに重ね着をして身支度をする。気温のせいではないと思うけれど首筋が少し痛むのが気にかかる。天気が悪いと、人はどうしてもネガティブな想像を基盤においてしまうようだ。
とはいえ僕は雨自体は嫌いではない。雨がうっとおしいという人は決まって雨に濡れたくないと思っている。でも雨の中を歩けば傘をさそうがどうしようが多かれ少なかれ濡れてしまうのはあたりまえなのだ。「雨が降れば濡れるもんだ」と思えば、外に出るのもそれほど億劫ではなくなる。小さい頃、傘もささずにびしょぬれになって遊んでいたのはあんなに楽しかったじゃないか。

今日は五十嵐公太氏のワンマンライブ。生ドラムとエレクトリックドラムを組み合わせて公太君一人でなにかをやるらしい。見ないわけにはいかない。僕は足早に会場を目指す。

いつもどおり、辿り着くまでに延々迷ってから(50分!)吉祥寺スターパインズカフェに到着。開演から20分遅れたが、幸いなことにまだ始まっていなかった。
ステージを見てまず度肝を抜かれた。上手半分がエレクトリック、下手半分がアコースティックの巨大なドラムセット。その中央に公太君が座るであろうドラム椅子がひとつ設置されている。つまりくるりと180度回転すれば双方のセットを行き来できる仕掛けになっている。
やがて会場が暗くなり、ステージ奥のスクリーンに一本の白い線が映し出される。今まで幻想的に流れていたコードが少しずつ大きくなっていき、無線の声のような、スクラッチノイズのような音が少しずつ混じり込んでいく。画面の白い線はそれに応じて波形を描き出す。それは心音を図形に表したもののようにも見えるし、大地が隆起したり陥没したりする様のように見える。会場を低音が埋め尽くした頃、五十嵐公太氏がステージに現れた。観客の拍手。しかしそれは通常の惜しみない拍手とは違う。みんなこれからなにが起こるのかよく把握できないのだ。狂気に満ちた低音、そして引っ掻くようなボイス、おまけに公太氏はステージに現れるや否や、ドラムには座らずまるでDJよろしく、中央のミキサーをいじりだしたのである。
リズムが形成される。しかし公太氏はまだセットに座らない。スティックをおもむろに持ち、エレドラのパッドをしばらく叩くとそれをサンプリングしたものを中央の機械から再生させる。それを何度か繰り返してループさせては重ねて行く。次々に映し出される観念的な映像。完全なクラブミュージック。太鼓のカオティックなエネルギーと現代のテクノロジーの融合、調和。
肩を揺らしながら、彼は椅子に座る。我々ドラマーのセットポジションだ。走る、泳ぐ、飛ぶ、いづれにしても世界はここから始まる。

そう、ここから何もかもが始まるのだ。

刹那的夜空。



2007年04月16日
師匠へ

何かを気づくたびに、師匠のことを考えます。
今日はドラムのことで新発見があって(ものすごく根本的なことで恐縮ですが)盛り上がってわあっと雲を突き抜けたら、やっぱり師匠がいました。

目を閉じてやさしく僕を見てくれる、今日はあなたとちゃんと演奏してみたいと思った初めての日でした。僕にとっては嬉しい日です。

福田さんがいなければ、僕などとうにここにいなかったでしょう。
福田さんがいなければ、僕の脳はとうに枯れていたでしょう。

福田さんがいるから、僕はほんの少しずつ前進している。
たとえ自堕落だといわれてもです(笑)



2007年04月13日
ご機嫌

M氏から久しぶりの電話。やけに機嫌がいい。時刻は22時過ぎだというのにすでに呂律がまわっていない。すでに酔っている。

昨日はオーパーツが広島で久しぶりのライブを行った。彼の口ぶりからすればそれはかなりよい内容だったらしい。今回彼はオーパーツを広島に受け入れるイベンターとして数ヶ月前から各方面にプロモーションを繰り広げていた。テレビやラジオに出演依頼をかけ、紙媒体に連絡し、当日の細かなスケジュールを立て、メンバーを迎えた。そして当日、オーパーツの面々はそれに答えるがごとく、素晴らしいライブをやってのけたらしい。特にヤシに関しては「俺が今まで見てきた中で一番よかった」と彼は言い切った。

なんにしてもよかったと僕は思った。凱旋ライブよろしく広島までいって、ろくな演奏ができなかったのでは話にならないし、あらゆる方面に働きかけたM氏にしても肩すかしになってしまう。もちろん今のオーパーツのテンションを考えれば、いいライブになることはわかっていたが、その報告を受けてほっとした。

しかし、大成功のライブかと思いきや、M氏はその後こう続ける。
「俺としてはもっともっとたくさんお客さんに来てもらいたかったんよ。」
そして、それにまつわる苦労話が延々。

僕が「ちょっと待って。まだ初めてのことなんだから、今回はこれで上々でいいじゃん。オーパーツはいいライブをやったんでしょ?2回目3回目で徐々に結果を出していかんと。」
というと、

「バーカ。そんなのわかってるよ。ただ俺の話を聞いてほしいだけ。ミキヤならわかるでしょ?」

うむ。論理的に考えるなら、それはお前の力不足だよとか、それはお前の思い違いだよとかいろいろあるけど、この友人はそういうことも全部わかっていて僕に話を聞いてもらいたいようだ。
ならば引き受けよう。親友として。

そして彼の素晴らしい功績と苦悩の日々を、僕は実に3時間に渡って堪能した。その間に僕は酒をあおってだんだん呂律がまわらなくなり、彼のマシンガントークは冴え渡って、だんだん滑舌がよくなってきた。話の内容は多岐にわたり、もうなにがなんだかわからない。

そして最後の一言は、

「お前が一番がんばれや」

骨身にしみる一言である。

もちろん僕の最後の捨て台詞は

「お前もの」

であった。

我々は、お互いに寄り添い合って生きている。



2007年04月12日
春のメニュー

久しぶりに本腰を入れて料理など作ってみました。イタリアンなコースメニューを少しだけご紹介。

1、先取り夏野菜のオーブン焼き
>大人のほろ苦さが素敵なズッキーニとなすとトマト。夏定番の野菜を輪切りにして、オーブンで焼きました。味付けはオリーブオイルと塩こしょう。あくまでもシンプルに。ドイツのチーズ「ブリオ」も添えました。

2、イカそうめん あたたかいつゆと共に
>和風のイカのお刺身を、熱々のスープに浸していただきます。スープはタマネギ、セロリ、ズッキーニなどの香味野菜と豚肉のコンソメ風。イカをスープに浸すことによって甘みがアップします。完全なオリジナル料理ですが、意外にもヒット。美味しかったです。
この料理では、はらわたを使わなかったのですが、もったいないのでイカを二杯買って、塩辛を作っちゃいました。

3、スパゲッティーボンゴレ
>パスタの量を60グラムと抑えめにしてコースの中に組み込みました。アサリは汁が美味しいので、ただの酒蒸しやワイン蒸しにするより、パスタと和えた方が余すことなく風味を堪能できます。イタリアンパセリの香りが爽快でした。

4、若鶏のグリル イカスミソース
今回一番試したかった料理がこれ。鶏に香草とオリーブオイルをまぶして数時間置き、じっくりとグリルします。焦げ目がつくほど表面を焼いて、今度は中まで火を通す。そこに白ワインを投入してうまみを凝縮させたら、アンチョビと、先ほど刺身で食べたイカの墨を入れます。ワイルドな味わいなので、最後にディルを加えて香りをプラスします。
付け合わせはふきのとうのフリット。自宅で天ぷらはなかなか難しいですが、フリットなら、少ない油でも意外に簡単にできます。

5、乾燥椎茸のリゾット
いわゆるシメです。イタリア料理にはポルチーニ茸というのがよく出てきて重宝されていますが、これが滅法高い。十数グラムで千円に届く勢いです。しかしキノコだったら干し椎茸だって負けてない。そう思って作りました。
結果的にはなんとか美味しくできましたが、実際は一番苦労しました。日本で一般的に食べる御飯とはアプローチが違うので、「アルデンテ」で食べることを意識したけれど、「芯が残っている」というのとは違うので(ここが難しいのよ)かなり訂正を繰り返しました。

というわけで本当ならこの後デザートに突入するのでしょうが、僕のコースはここで終わり。既にワインの瓶は空になっており、2本目が待機しています。去年、オーパーツにもらったボジョーレヌーボー。そろそろ熟成が進んでヌーボーじゃなくなった頃でしょう。

つまみは先ほど和えたばかりの若いイカの塩辛。これもちゃんと凝っていてですね。さばいたイカを…まあ美味しくするわけです。

しかし赤ワインと塩辛はあわんね。



2007年04月10日
オンステージ

季節がらか、駅で抱擁するカップルをよく見かける。
別れを惜しむかのようにお互いの瞳をみつめあい、体を寄せ合っている。時には勢い余って口づけを交わしたりもする。

そんな街角のロマンスがあちこちで展開されているわけだが、どちらかというと夜の深い時間帯に見ることが多いせいか、両者ともに多少酒に飲まれている感も否めなく、どことなくだらしがないが惜しい。
挙げ句、駅を利用するときはいつもどこかに行こうとしているときか、帰ろうとしているときなので(当たり前だ)ゆっくりと観察している暇もない。
時間があれば是非近くで、どんな会話がなされているのか、この後どうなるのかじっくりと観賞してみたいものだが(知らん顔をして通り過ぎる人たちも、絶対少しは気になってるはずだ)さすがに僕もそんなにヒマジンではないので、大多数の人と同じく、目の端にとらえはするが、そのまま通り過ぎるのが常である。

しかしこの前見た光景はすごかった。

ある日の帰り道(って結婚式の日です)駅に行ったら、大きな柱の前で二人の男女が白昼堂々固く抱き合っていた。男性はすらりと背が高く、黒いスーツを着ていて非常に男前である。そして女性は色白で頬がふっくらとしていて、真っ白なセーターにえんじのスカートで清楚な感じながら誠に美人である。
時刻は午後3時。休日の昼下がり、花見帰りの人々が行き交う中、その場所だけには違う色のスポットライトがあたっていた。
二人は見つめ合い、うなずき合い、そして最後には熱いキスを交わした。それはとても深く、長いキスだった。僕はまるでメロドラマを見ているような気分で、その場に立ちつくしてしまった。

周囲のことなどまるで気にならない様子で二人は熱いくちづけを交わす。見ているこちら側が恥ずかしくなるくらい、ストレートで熱いキス。何かを探すかのようにさまよう二人の手。今にもどちらかが相手の服をはぎ取ってしまいそうだ。

そして柱の後ろには足が踊っている。
足?

しばし見とれていた僕は突然現れた二本の足に驚いた。それは目の前で展開する美しくも切ない光景とは裏腹に、浅黒くひょろひょろの足が、柱の向こうからからにょきっと突き出てじたばたと動いている。
反対側が見える位置まで移動してみた。

なんと、こちら側では、仰向けに寝転んだホームレスが3人の警備員に連れて行かれようとしていた。薄汚れたポロシャツに短パンの男は両側から腕を持たれて起こされようとしている。それを拒むかのように足をジタバタさせて抵抗しているのだ。

こちら側にもまた、違う色のスポットライトがあたっていた。

愛を交わすカップルと、じたばたするホームレス。
行き交う花見客と、それを見ている僕。

世界中のみんなが主人公だ。
あちらにもこちらにもスポットライトはあたっている。

その役回りになりたくてもそうでなくても、いづれ出番はやってくる。

まあできれば、春ののどかな休日には、激しい恋愛や、闘争よりはゆっくりと花を愛でていたいもんですけどね。



2007年04月08日
郷土愛

先日、友人とネットでいろいろ検索して遊んでいたら、お好み焼きにヒットして、心から離れなくなった。

特に広島風のお好み焼きなんて随分長い間食べていない。
普段そんなに考えたこともないが、一度それを食べたいと思ったらもはやそこから逃れることは不可能であるかのように僕の胸の中は、おたふくソースと青のりの香りでいっぱいになる。

妥協に妥協を重ねてコンビニのお好み焼きを買ってしまおうかとさえ思ったが、あれはやはり違う。身を削る思いでがまんした。

そうしてお好み焼きに恋いこがれる間、結婚式でフランス料理を食べ、ライブ後には寿司を食べ、それはそれは贅沢な食生活をしているのだが、今の僕の気持ちはまっすぐにお好み焼きに向かっている。

それを食べたいと思ってしまった以上、他の食べ物では代替えがきかないのだ。

程よく水分が抜けてシナシナになったキャベツとモヤシ。バラ肉のジューシーな脂が野菜全体に溶け出して絶妙なうまみと甘みをひきだす。極限まで薄く伸ばされた小麦粉の皮がそれらを優しく包み込み、甘辛いソースと青のりが独特の風味を描き出す。

いくら邪道といわれても、僕なら当然そこにマヨネーズだ。



2007年04月07日
ツアー開始

結婚という形式の起源について考えたりしながら街をふらふらしていたら、渋谷の街に辿り着いた。
オーパーツのライブ、渋谷ラママ。

この日を皮切りに彼らは13カ所の風景にくさびを打ち込むべく、旅に出るそうだ。

この場所では時間も空間もすべて彼らがコントロールしている。故に彼らは常に圧倒的でなくてはならないという十字架を背負っている。少しでもほころびが見つかれば、リアルというからくりに醒めてしまうからだ。

ヤシの目がきらりと光った。
野生の目。それはとても美しい。

彼らに対して周到な答えなど持ちえようもない。

愛情も嫉妬も、賞賛も皮肉も、努力も才能も限界も、すべてを内包しながらいくのだから、簡単に何かを語ることなんてできない。彼ら自身が、解答の見えない質問を繰り返している。

「これでいいのか」と。

近年まれに見るくらいのいいライブだった。
そのまま、ぶっちぎりで全国をまわってきてほしいものである。



2007年04月07日
友人

僕の十年来の友人で里見亮というのがいる。
この人はかつてスラップスティックスのマネージャーをやっていた男で、事務所をやめてからもずっと、友人としてつきあっている。
そんなにしょっちゅう会っているわけでもないのだが、何かと話題にはことかかないやつで、自分で事務所を作ってみたり、写真集や小説を出版してみたり、突然海の見える田舎に引っ越したかと思えば、ふらりと都会に帰ってきたり、しれっと誰かのライブを見に来たり、やってることが論理的なのか衝動的なのかよくわからなく、たびたび仲間内で話題に上る男である。

その里見亮が結婚した。

パーティーは気持ちのよいフランス料理屋で。オープンテラスでワインが飲める素敵な場所だ。
ビュッフェ形式で食事を楽しめ、屋内でも屋外でも好きなところで歓談できる。

教会の誓いの儀式を模した、宣誓から始まった結婚パーティーは不思議な様相を呈しながら進んでいく。
なにしろ、パーティーのコンセプトが好き勝手にやってくれというものだから、一応プログラムはあるけれどひとつもまとまらない。屋内でご両人の出会いから今日までを紹介するDVDをながしていても、酔っぱらいが外をうろうろしているし、子供たちはかけずり回って遊んでいるし、無心に食べているやつはいるし。

しかし、里見亮はにこにこしていた。
ビシ決めのプログラムに沿って無理矢理映像を見させるようなやり方よりは、自分の用意したフレームの中で、自由に遊んでいる人たちを見るのが好きなのだろう、彼は。

その後、我々が敬愛するバンド「ふなのり」の復活ライブがあり、花束贈呈があり、両親の言葉があった。

僕は彼がどのタイミングで涙を流すのだろうかと、ずっと見守っていた。なにしろ人一倍涙もろい男なのだ。最初から立てないくらい大泣きしていても不思議ではないくらい、彼は少し心が動いただけで、すぐに大粒の涙をこぼす。

しかし、彼は泣かなかった。
ご両親の言葉で、会場の3分の1の女性が目を潤ませていたときでさえ、彼はさわやかな顔をしてそこに立っていた。今日から妻になる女性を気遣いながら。

物語が必要としているのは過去ではなく未来だ。
それは何も定まらず、それぞれの頭の中にしかない。
そんな不確定な要素を飲み込んで、我々は契約を交わす。
それはやはり大切な通過儀礼なのだ。

それを体現した里見亮はやはりただものではない。
僕は少し酔った。




2006年11月22日
北の地へ1

クライフインザベッドルームのツアーで、北海道に降り立つ。強風のため、新千歳空港に降りられないかもしれないという、僕にとっては恐怖のアナウンスも(飛行機に関しては着陸が一番怖い)温和な機長さんの「私も怖いことはしたくないので、だめだったら戻ります」という言葉に勇気づけられながら、僕は二度目の北の地を踏みしめる。

まず外の空気を吸って、曲がっていた背筋が一気にまっすぐになった。あまりにもクリアな冷気の洗礼に、僕の細胞はまるで大海のイワシの大群のように一斉に同じ方向を向く。それは寒いという感覚よりもむしろ美しい何かを感じ取ったときのような感覚。体が一回り縮んだような気がするものの、なんだか凝縮された得体の知れない生命力を感じる。

ちらつく雪の中、まずはホテルにチェックイン。5分も経たずにロビーに集合。

まずは北海道代表のみそラーメンを食すため一同出動。ライブとはいえ、食の都、北海道のうまいものを食べない手はないのだ。
おいしいと評判のお店に迷いながらもたどり着き、至福の時間を過ごす。
ここで「ラーメンとは」などと語り始めると、やたらと長いばかりでつまらない文章になってしまうので、ただうまかったとだけ書いておく。僕は普段ほとんどラーメン屋さんにいかない。その理由は「ラーメンが好きだから」ということにつきる。それだけ愛しているラーメンだからこそ、人一倍ラーメンに裏切られることを恐れてもいるのだ。まあとにかく北海道最初のラーメンはおいしかった。







2006年11月22日
北の地へ(未完の完)

ラーメンを食べた後はいったんホテルに戻って身支度。
ホテルの室内は外とはうってかわってとても暖かい。指先や耳の血流が突如激しくなり、痛かった。衣装をクローゼットに掛けたり、テーブルの引き出しの中をチェックしたりして(最近のホテルは聖書なんておいてないのかしらん)しばらく過ごす。なかなか気持ちのよいホテルだ。悪くない。広くはないが、2日間過ごすには問題のないスペースだし、水回りもきちんと清潔にしてある。壁には風景が描かれたおだやかな絵が飾ってあり(北海道の山と草原かな?)反対の壁には立派な鏡がおいてある。鏡を覗き込んでみると、いつもの通りの僕の顔が映る。北海道に来たからといって急にいい男になるわけでもないが、ツアーに出かけるといつも僕は自分の顔を確認するのだ。普段家で自分の顔などあまり見ないし、ホテルだと他にやることがないので、行き着く先は鏡になってしまう。鏡の中には壁の絵も移っている。直接見るには近すぎるので、鏡を通してみた方がよく見えたりもする。そのような鑑賞の仕方をするのはいささか邪道とは思ったが、その方が何となく生々しくなくてよい。

ふたたびロビーに全員集合。
サンチャンに部屋の中は温かいんだねというと、「北のホテルはどこもそう。だから室内では裸同然で過ごしていればいいんだよ」とのこと。そうか、僕はすぐ出発するからとコートも脱いでいなかった。暑いはずだ。

意気揚々とライブハウスに向かう。寒いが皆笑顔。こうして機材を持って全員で移動しているとなぜか高校生の頃を思い出す。あの頃の僕は純粋に音楽を奏でたいというより、ただ好きなもの同士で寄り添い合っていたかっただけなのかもしれない。リハスタジオやライブのとき以外もメンバーは常に一緒にいた。心のうちはすべてメンバーに話した。たとえそれが原因でけんかになるとわかっていても、話さずにはいられなかった。理解されたいから。理解したいから。いつもくっついていた。それが素晴らしい音楽につながっているかどうかなんてわからなかったけれど、それはバスケ部の人間だって、サッカー部の人間だってきっと同じだろう。気を使っていては、勝つことはおろか、試合なんてできはしない。
音楽→人→音楽。
音楽が好きで、そんな人間が集まって、新しい音楽が生まれる。

今の僕は自分のバンドというものを持たないけど、クライフのメンバーと歩いていると、そういう気分を感じることができる。ユウスケ君とサンチャンとヒデちゃんはそういったバンド的な絆で確かに結ばれている。最後尾を歩きながら「いいな」と独りごちる。

老舗のライブハウスはなぜかどこでも同じ感じがする。独特のかび臭さとかすかに漂う下水のにおい。暗闇は特別な意味合いを持っていて、見ると目の奥がちりちりする。ローテックな画像を見ているような気分だ。



2006年11月19日
nice man

今日は昨日に続き、ナイスマン=フランシスのライブ。それもバンドバージョン。
そして驚くことにそのバックを務めるのは、タイスケ、アッキー、そして、僕。あげくベースはサニーデイサービスの田中さん。とても幸せな時間の到来。リハは一回しかやってないけれど、メンバー一同心は一つなのだ。頭の上にはグラスゴーの空が広がっていて。その少しくすんだ切ない水色が僕らの気持ちを潤しているから。
フランシスのカウントはとてもイギリス式で、ただの「ワンツースリーフォー」を聞くだけでなぜか感動しまう。要するに、ビートルズなのだ。
リハのときには11曲だったのに、結局当日変更で13曲ぐらいやった。いきなり曲が増えても、フランシスのジェスチャーでついていけてしまうところがすごい。彼の手の動きを見ていたら、手旗信号よろしく、なんとなく理解できてしまうからすごい。

満員のお客さんはおそらく大満足だっただろう。

打ち上げにもいたかったけれど、僕は途中で帰った。
フランシスが抱きしめてくれた。彼のガールフレンドになったような気がした。だってでっかいんだもん。



2006年11月18日
モナレコードライブ

フランシスのライブは素晴らしかった。アコースティックギター一本でやるライブを見て、ただの一度も退屈に思ったりしないというのはすごいことだと思う。なんというか本当のライブというのはこういうことかとうなずかされた。
彼はさりげなくギターを弾き始める。音量は控えめ。弾力のあるブリッジミュートで、軽快に、弾むように。少しかすれたウィスパーボイスがそれにかぶさる。とても小さな声。僕らは思わず耳をすます。彼の声とギターがよく聞こえるように、彼が何を伝えようとしているのかを知ろうと彼の一挙一動に注目する。
 失礼を承知でいわせてもらうならば、彼は決して歌がうまい方ではない。ピッチはしばしば外れるし、リズムもたまにつんのめったりする。ついでにいうならば、ギターもうまいのかどうなのかわからない。突然玄人も舌を巻くほどのスーパープレイを見せつけるかと思いきや、何でもないところでリズムが狂ったりして(というかそもそもリズムなんて大してなかったような気もするし)普通のアコースティックのライブとは大分様相が違うのである。
しかし、我々は確実に彼の歌の虜になっていく。それはまるで一冊の気持ちのよい小説を読んでいるような気分で、英語がわからなくても、グラスゴーに行ったことがなくても、その景色や、彼のガールフレンドの表情や、彼の感情が手に取るようにわかる。彼の歌っている、愛しい気持ちや寂しい気持ちが、朝もやのように我々を覆っている。

時々彼は解き放たれたかのようにストロークする。それはおそらく普通にギターを弾けばそれくらいの音量は出るのだろうけど、これまでの禁欲的ともいえる音量から考えると爆発的にでかいので、おもわずわあっと口を開けてしまう。なんというか、唐突に脳みそを揺らされたような気分になって、とてつもなく気持ちいいのだ。なんでもないCやGのコードがトンネルをくぐり抜けた後の青空のようにとても清々しく瑞々しい。そしてまた内省的なブリッジミュート。程よく空気がミックスされた美しい声。

プレクトラムはとてもいいライブをやったと思う。アコースティックな雰囲気を十二分に活かした内容で、とても素敵だった。メンバーもみんなリラックスしていたし、思い描くものをいかんなく伝えられたと思う。

しかし、フランシスは明らかにその上をいっていた。
音楽というものが、芸術というものの一端を担いでいることをひどく実感した。

では芸術とは何か。
心が揺さぶられることだ。
時間や空間を超えて、何者かに出会うことだ。

「僕らは恋人として、なにものにも代え難い素敵な時間を過ごしてきたけれど、結局は別れを迎えてしまった。それはとても悲しいことだけど、僕はもう一度ふりだしに戻って、新しい恋を探すんだ。」

フランシスのmcはもちろん英語で、すべてのニュアンスはわからなかったが、最終的に僕は、涙をこらえるのに必死だった。



2006年11月17日
めくるめく

バイト、リハを終えて、明日から怒濤の本番です。
明日はプレクトラムのアコースティックライブ。

僕は自分で自分の脳天を打ち抜ければそれで成功。
アコースティックな雰囲気に準じてしまうのなら、ドラムなど叩かない方がいいというものです。

本当は僕もアコギを持っていって弾こうかと思ったのですが、ケースがなかったので断念しました。
裸のギターを持って電車に乗る勇気は、まだないみたいです。

いずれにしても、明日からはじまるライブの数々。
楽しみでしょうがない。

暇なら見に来てね。



2006年11月15日
美しい

完成された曲線に勝るものはない。
昔の僕は円周率が割り切れないことに憤りを感じていたが、
33歳にもなると、そんな割り切れないところがなんともいえずよかったりして。

昔、僕のドラムの師匠の住吉真がいった。
「3連符は特殊なリズム。10を3で割ると3.333…になってあとちょびっと残る。そのちょびっとをどう使うかでドラマーの個性が問われるんよ」と。

なるほどね。算数の話なら、多分小学生でもわかる。でもそれを実感として理解するには結構な時間を要するってことだ。

単純に曲線の美しさを理解できなければ、どんなに緻密な計算だって無に帰する。だって割り切れないんだもん。

それにしても10を3で割ってみて、それさえも割り切れないくせに、世界の数学とそれに伴う技術というのは嘘みたいに進歩していくのね。その残りの0.0000000000001が世界を破滅に導くのかしら。くだらない話。

その美しく描かれた曲線は、僕を遠い世界へと連れて行く。









2006年11月15日
メルトダウン

炉心融合;炉心で発生する熱を除去できないため高温となり、燃料が溶融する状態。非常に危険。


2006年11月13日
キムチとTEEN AGE FANCLUB

クライフのリハを終えて、我が家へ急ぐ。
今日から5日間毎日バイト&リハの超ヘビースケジュールだ。
夜の間に新曲を覚えつつ、バイトをこなして、リハでチェック。覚える曲が多いので少しパニック状態だが、嫌いな曲はないので、大丈夫かなとも思う。
しかし、どうしてもやっておきたいことがある。それは今日でなくてはならない重要なことなのだ。

両親からもらった自家製の白菜。これをなんとかしたい。3株ももらったので、ただ鍋の種にするだけではもったいない。本屋に行って、漬け物の本を買ってきた。普通の白菜漬けだと意外に手間と時間がかかるが、キムチなら実はそんなに時間がかからないことを知った。これは今晩やるしかない。

とはいえ、明日のリハに備えて、11曲を覚えなくてはならない。TEENAGE FANCLUBを聞きながら、男子厨房に入る。

大根、ネギ、ニンニク、しょうが、アミの塩辛、そして唐辛子。これを混ぜただけで既にキムチの香りがぷんぷんする。いい感じ。僕キムチ大好きなんです。今朝塩漬けにしておいた白菜の水気を絞り、葉の間に種を詰めていく。PLANETSいい曲だなあ。
両手は真っ赤。このままコンビニにでも行ってみたら、間違いなく通報されるだろう。あれだけ辛い唐辛子だから、もしかして素手で触ると痛くなるかなとも思ったが、別に何ともない。むしろほのかに暖かくて気持ちがいい。さすがはカプサイシン。それにしてもFREE AGAIN簡単な曲だなあ。
ひととおり白菜を漬け終わり、ほっと一息。後は熟成されておいしいキムチになることを祈るばかりである。

そして明日のリハも充実したものになることを祈るばかりである。



2006年11月08日
掃除未遂

いつもよりゆったり起きる。長く寝られれば幸せだ、とは思わないが、少なくとも目覚まし時計に安眠を邪魔されないのは幸福だと思う。
バイトもバンドもない一日。今日という日を自分のためだけに使えるという喜び。こんなのってここ最近ないことだ。

昨日の夜、今日という日の使い方を書き出してみた。あまりにもやりたいことが多すぎて、結局なんにもやれなかったのでは困るからだ。いうなれば今日の説明書。
 居間にすわって、僕は昨日書いた説明書を眺める。
1、徹底的な掃除(CD、ノート、雑誌の整理。)
2、パソコン関係について(音楽的なシステム構築、新しいHPの立ち上げ準備、プリンターをつなぐ。)
3、料理
 いかにも心躍る文章ではないか。これらの項目をきちんとこなせば、僕の部屋はさらに充実したものになり、そして僕の生活はさらに楽しいものになるというわけだ。僕はタバコを吹かしながら、すべての作業を終えて一息つく自分の姿を思い浮かべる。整然とした部屋でお疲れビールを一杯。いやいや、一息なんてついていられない。そこまで部屋がきちんとすれば次にやりたいことはたくさんあるのだ。ここに書いてあるのは、いろいろやりたいことの礎を作ることにほかならないのだ。
それにしても、やる気に満ちているからといってもちょっと早く起きすぎた。現在午前8時半。目覚ましは9時にかかっているから、いつもより一時間も早く起きてしまったことになる。長く寝ればいいというわけでもないが、寝不足と感じてしまったものは仕方がない。なにしろ今日という日は休みなのだ。誰かに何かをいわれるでもなく、ただ自分が好きなように時間を使っていい日なのだ。とりあえずベッドに逆戻り。10時半まで眠ろう。それから説明書に従ってこれまでやりたくてもできなかったことをやろう。まずは目を閉じて鋭気を養う。それが最良の選択だ。

午前10時、インターホンのけたたましい音で強制的に起こされる。そうだった。今日は水道屋が来るんだった。インターホンの音が次第に現実味を帯びてくる頭の中、意外に冷静に考える。考えるより早く間延びした声で返事をして、彼らを迎え入れる。

再び居間に座って一服。二人の作業員は僕を見ないようにいそいそと各所を点検する。2度寝の後はひどく眠い。ましてや自分が設定した時間より30分も早く起こされてしまったので、機嫌も悪い。ふとテーブルの上のメモを見る。先ほどまではあんなに輝いていた文章が、ひどく了見の狭い、高圧的な人間が書いたひどい走り書きに見える。こんなに天気のいい休みの日になにもそんなにたくさんのことをやらなくたって、ゆっくり過ごせばいいじゃないか。

水道屋があれこれと説明をして去っていく間、もはやどうでもいいからもう少し寝かせてくれという気分になりつつ、水道屋退場。すぐさまベッドに直行。はっきり言ってもう眠くはないのだ。しかし失われた幸福な30分を僕はどうしても取り戻したかった。ほとんど怨念にも似た気持ちである。

安眠を妨害するもの、すべからく死すべし。

ぱちりと目を覚ます。まるでここからが今日の始まりとでもいわんばかりの爽快さである。窓の外は恐ろしいくらいの快晴。今おみくじを引いたら、5回連続で大吉を引いてしまいそうな恐ろしさである。よほど宝くじを買いに行こうかと思ったが、テーブルの上のメモに再び魅力的な輝きが舞い戻ってきた。
「今日という日を有効に使おうぜ!」
と架空のタイスケが僕に叫ぶ。

「よっしゃあ!」とかけ声一発、まずお風呂に入ろう。体を丹念に隅々まで洗う。何事も身ぎれいにしてからでないと始まらない。我ながら世話の焼ける性格なのです。

さて、気合い十分に押し入れを開け、雑誌を引っ張りだす。音楽関係、パソコン関係の雑誌が山ほど出てくる。デジタル関係の商品が破竹の勢いで進歩を続ける今、大事にとっておいた(というか、単にたまっていた)1998年から2003年の情報は、もはや古本屋に売るほどの価値もない。ただ、その時々に載っているアーティストが若かったり、興味深かったりして面白い。おっ!ゴメスザヒットマンの山田君発見!とかいったりして楽しんで見たり、してる場合ではない。とにかく、捨てるものといるものとを(いるものなんてほとんどないのに)仕分けして、CDの整理へと移る。

このCDが難問である。普通のCDだけではなくてサンプルやら、資料やら、わけのわからないものが入れ物もそろわずドサーっとあるので、整理のしようがない。もうこれはパス。これだけで3日くらいはかかる。

続いて押し入れの中の謎の段ボール箱をあさる。一つ目はゲーム。おそらくスラップが同居していた頃のものを僕が持ってきていたのであろう。おびただしい数のソフトが発見される。スーパーファミコン、PCエンジン、SEGA。よくもこんなにゲームしていたものだ。ちゃんと音楽やっていたのかよって思いたくなるほどのソフトの数。しかしよく見ると懐かしい。一つ一つのタイトルにやはり思い出があって、なんだかジーンとしてしまう。そういえばあの頃は、っていかんいかん。これは僕だけのものではないので保留。

2つ目は、出た。写真である。

僕だってわかっている。掃除しているときに懐かしいものに出会って、いちいち感傷的な気分になっていたのでは、いつになったって終わりはしないことを。しかしこれは楽しくも止めどがない。なにしろ我々はミュージシャンなわけで、写真はアーティスト写真も含めて腐るほどあるのだ。これを一度目に止めてしまったら最後、一通り見てしまわないことには気が済まない。

立て膝ついてひとしきり写真に見入る。不思議とそこに懐かしいとかっていう感情はなくて、もっとこうすればよかっただとか、この時はこういう気分だったとか、結構検証めいた気分で。

結局そのようにして日は暮れ、僕はすべてのものをもとにあった場所に戻す。結局、最初に思い描いていた超整理整頓とはほど遠く、ただあるものを全部出して、確認してから全部戻しただけだった。

結局疲れたから、(4)の料理も面倒くさくなって、豚肉と小松菜の鍋にしてしまった。

思い通りにはいかなかったけど、なんだか目的は達成されたような気もする。結局僕は何がしたかったか?

気分がよくなりたかったんだね。



2006年11月05日
近づけなくて

思えば思うほど遠く感じてしまう。
だから、せめて間を埋めようと、僕は音楽を奏でる。

好きだと思えば思うほど、自分の中につまらない考えが浮かんでしまう。気持ちを試してみたくなる。

そしていつもつまらない冗談があだになる。その後卑屈になる。素直じゃない自分は嫌いだ。しかし、素直な自分は多分頭がおかしい。

好きで好きでしょうがなくて。こわくてこわくてしょうがなくて。ハリネズミのように閉じこもっていたくなる。

安全な世界とは?そんなのどこにもないくせに。

ではあなたを愛しているとして、やはり、自動的に、僕はあなたを傷つけるのだろう。そして僕もやはり同じように傷ついてしまう。僕のせいなのに。僕が悪くて、いいものはどこにもいないのに。

結局のところ僕は音楽をやる以外に道はない。それが例えば僕の不幸の元凶だとわかっていても。

愛するもののために、僕はコードを奏でるのだ。
それしかできないから。



2006年11月04日
パーティー

10月16日はミルキーの誕生日で、おめでとうと連絡したら近々会いたいねぇという話になった。どうせならみんなも呼んでバーベキュー大会でもする?などとうそぶいていたら、今日実際みんなを呼んでバーベキュー大会を催すことになった。さすがミルキー。企画力と行動力は想像を絶するものがある。
気もそぞろに加藤邸に足を運ぶ。僕にとって純粋な休みは、とても久しぶりのことだし、皆に会うのも久しぶりというわけでもないが、なんだかこういう集まりはやっぱりわくわくしてしまうのだ。

午前11時。インターホンを押し、ミキヤ登場。結構久しぶりなのにふがいなく挨拶。全然久しぶりな感じもなく、当たり前の会話。加藤君は早朝5時半起きで魚を釣ってきていた。3時間の格闘の末釣果はニジマス3匹。僕は釣りをやらないのでそれが多いのか少ないのかわからないが、その意気込みたるや尊敬に値する。美しく川の字を描くニジマスたち。
5分遅れてタダッチ登場。その後ヤシ登場。アマオクと奥さんは仕事で欠席とのこと。残念。

各班得意分野に分かれて買い物を済ませ(僕はお酒買い出し係だた)バーベキュースタート。

プログラムもないし、さしたるルールもない、だらだら飲み会。
時間は昼の1時。道行く人たちは珍しいものでも見るかのように僕らを見るけどおかまいなしである。

スタート直後、マッチー登場。この後用事があるのに、気になってわざわざ寄ってくれた。ビールをかっ込み、肉を食べて、後で来ると約束して去っていく。

さあ、たくさん食べてたくさん飲む。炭火で焼いた肉はすこぶるうまい。小食の僕もいささか食べる。みんなうまいうまいを連発している。確かに。これは本当においしい。あげく加藤君の釣ってきたきた魚がめちゃくちゃうまい。これは参った。

オーパーツのアルバムが間もなくリリースされるとか、隣家に煙がいくので扇風機を回そうとかいってると、アボとニコ登場。ニコはしばらく会わないうちにすごく大きくなってた。時の流れを感じるのはそういうときか。0→2歳のダイナミックな成長に驚いた。

ほどなくして宮ちゃん登場。既に炭火は安定していて、みんなは程よく酔っていた。「宮ちゃん早く追いついてね」というとビール二杯で「もう追い越しました」と目をとろんとさせていってきた。ヤシはソファーで眠る。タダッチはおじいちゃんになっている。ゆるーい休日、悪くない。

それはなんだか大家族の寄り合いみたいなもので。兄や、弟や、姉や、妹や、従兄弟や、姪や、そんないろんなどこかでつながった人たちが久しぶりに会って、のんびりと休日の午後を過ごしている感じで、それぞれがそれぞれの楽しみ方をしているから、なにも強いていることがなくて。空を見てたらフワァーとあくびが出た。かっこつけなくていい世界。いいね。

しかし、ルミにはしこたま吠えられた。僕は昔から、ラムには吠えられ、ナナには噛み付かれ、トラには唸られ、犬との相性が悪いことはわかってるが、見てなさい。最後には一番の友達になるのが僕なのだ。その証拠にヤシの飼ってたダイは死ぬほど僕のことを好いていたんだぜ。



2006年10月31日
ラーメン

夜、ラーメン屋さんでラーメンを食べました。
こんなのは何年かぶりです。
僕はお酒を飲むとご飯やラーメンの類を口にしないので、こういうのは本当に久しぶり。
味はそこそこでしたが、なかなか贅沢な時間でした。

なんの話だ?と思われるかもしれませんが。
そう、今夜はお酒を飲んでいないのです。

それは僕にとってはとても珍しいこと。
別に健康を気にしてとか、そういうことではなくて、週に一度2度くらいはお酒を飲まない日があってもいいかもと思って、最近思いたった日にはそうしている。
結果何かが変わったわけではないけど、夜にカレーやラーメンを食べるという選択肢が生まれたわけで、だからどうしたといわれればそれまでなんだけど、僕の中では割と画期的なアイデアなのです。

それにしても「夜ご飯」というのはとてもお腹いっぱいになる。しばらく動けなくなってしまうくらいお腹いっぱいになった。
そういうのも慣れなのかな。



2006年10月30日
ハカランダ

待ち望んだ。
きれいな笑顔。

世界にコンタクト。



2006年10月29日
猫に小判

最近気がついたのだが、僕、パソコンをまったく使いこなせていない。
使えているのはせいぜいワープロ機能くらいなもので、その他のやりたいことに関しては、すべて一歩も踏み出せてない状況なのだ。

例えば音楽、例えばホームページ、例えばメール、もちろんデザイン的なことや、いやもう何から何まで、パソコンに頼って仲良くやりたいのに、全然いうことを聞いてくれない。
僕の研究不足というのももちろんあるが、ここまで不自由だともしかして相性が悪いのではと疑ってしまうくらいだ。

やりたいことは山ほどあって、パソコンならそれがすぐにできるはずなのに。
キーボードの打ち込みはわりと速いんだけど、それだけではどうにもなりませんね。
パソコン教室にでも通おうかしら。



2006年10月28日
ブルー

胸が痛い。



2006年10月25日
ダンス ダンス ダンス

キュマバロウ、クミちゃんのはからいで、僕と(10月10日生)ナオちゃんの(10月2日生)合同誕生日会を開いてもらいました。
当日まで誰が来るのか知らされていなくて、僕はひたすら緊張していたのだけれど、集まってくれたのはそうそうたるメンバー。

キュマバロウからはクミちゃん(もちろん!)、バンジー、リッチー。exキュマとして、マッチー、タイジ。クライフ・イン・ザ・ベッドルームからはユウスケ君とサンちゃん。エガワヒロシ君。キシガミノリオ君。ニールガールのヒデとゴウ。オーパーツのヤシとアマオク。裏ウサギのタダッチ。そして友達たち。
ここが酒場じゃなくて、ライブハウスだったなら、すごいライブが展開できそうなメンツです。

それぞれやっている音楽は全然違っていて、みんな独自のフィールドを持っているから、おそらく直接的に相見えることはなかなかないのだろうけれど、僕が関与しているというファクターを通して、こうしてみんなが一同に会するというのはとても感慨深いものがありました。
やってることが全然違うといっても、やはりクロスしている部分というのは少なからずあって、いってみれば、その集合の中に僕が存在しているといっても過言ではないと思うのです。

だから、みんなに誕生日を祝ってもらったというのはとてもとても嬉しかったんだけど、それ以上に各バンドが接触する機会を持てたということがとても嬉しかった。クミちゃんありがとう。
そういう意味では重要なキーマン、プレクトラムのタイちゃんとアッキーが来れなかったのは残念ですが、それも仕方がない。次回があればまたやりたいな。

それにしても飲んだ。飲んで飲んで飲みまくった。
意識は完全に裏返って、どんどん馬鹿になった。
朝になって、僕はシナシナのニラみたいになっていたけど、それでもまだ飲んでいた。
はしゃぎすぎて迷惑をかけたかもしれない。ごめんなさい。




2006年10月24日
前夜緊張

誕生日会。
小学校6年生のときにやった記憶がある。
友達がうちに集まって、お母さんが鳥の唐揚げを揚げてくれた。
みんな勝手にご飯を食べて、勝手にゲームをやって、勝手に漫画を読んで帰っていった。

ほっとした。

それ以来僕は誕生日会は愚か、どんな会も開いたことはない。
もちろんライブはたくさんやるけど、それは音楽という媒体を介してのこと。クッションはある。
しかし、結婚式や、誕生日会は直接なもの。人間的な結びつきの集大成みたいなものは、体験したことがない。

僕はそういうのが基本的に苦手だ。世の中のアニバーサリーからいつも逃げてきた人間だから。

そういう意味では明日、行われる、誕生日パーティーが、どんなものなのか、僕は不安でたまらない。

まともでいられればいいのだけれど。

そう、明日は僕の(10月10日生まれ)そしてなおちゃんの(10月2日生まれ)合同誕生日会なのです。

いっぱい人が来るんだって。楽しみな反面、、、

不安がたくさんです。



2006年10月22日


雨がしとしとと降っている。
しばらくライブがないから、なんだか不安定な気分。
かといって、そういうときにこそやることがたくさんあるのも事実。
ひとつずつやっていきましょうかね。



2006年10月21日
さすらい

川上弘美がいい。切なくて泣きそうになる。

電車にゆられて、僕は遠くまで。

黄色い太陽が揺らめいて、僕はまた切なくなってしまう。
あの子は今頃元気なのだろうか。

そういう意味では、僕はラブソングを書くべきなのですね。




2006年10月19日
人生相談

半年ぶりに(!)髪を切りに美容院に行った。普段はバイトで休みの日はライブとかレコーディングとかだから、本当に散髪にいく暇などなかったのだ。
いつも僕の髪を切ってくれるカンノさんは、とてもニュートラルなスタンスで僕を迎えてくれる。まるで昨日会ったばかりかのような気軽さで、彼女は僕に語りかける。
「どういう髪型にします?」と聞かれて、僕は何も考えてなかったから「カンノさんにまかせます」と答えた。カンノさんは一瞬宙を仰いでから、僕の髪に触れる。「ここの前髪のところは自分で切ったでしょう。切り込みすぎてるので、マッシュっぽくするんだったらちょっと限定されますね。あ、耳とか出しますか?」
毛先や地肌に触れながら、彼女は話す。僕は少し汗をかきながら、「まかせます」という。汗をかいているのはおそらく空調のせいだ。ここは少し暖かすぎる。音楽のbpmも少し速すぎる。

シートに座って、散髪が始まる。カンノさんは着ていたジャケットを脱ぎ、仕事の体勢。窓の外には踏切が見えて、電車に足止めされる人たちの仕草が面白くてついつい見入ってしまう。
サキサキと髪が切られていく。半年分の伸びた髪がさきっちょからなくなっていく。もちろんそれは気分のいいものだ。一瞬まどろみそうになりながら、僕は鏡を見る。彼女はヒョウととした顔で僕の髪にはさみを入れている。彼女は肌の色がとても白い。目の前にある彼女の二の腕に目を転じてみる。白くてきめの細かい肌。少しだけいやらしい気持ちになった。

「立井さんは将来のこととか考えます?」

唐突にカンノさんはいう。
僕は彼女の二の腕を見てたから、彼女の言葉なんてあんまり聞いてなくて、ちょっとあわてて「そんなには」とかいう中途半端な言葉を返してしまった。

「私、このまま美容師を続けておばあちゃんになって、って考えると時々怖くなるんです。他にもいろんな仕事もあるだろうし、やってみたいこともたくさんあるし。」
「美容師嫌いなの?」
「そんなことないです。ただ、将来自分に何が残ってるだろうって考えたときになんだか不安になるんです。不安になりませんか?」

窓の外には参考書らしきものを読みながら電車が通り過ぎるのを待っている眼鏡にひっつめ髪の女の人が見えた。来年には法律家にでもなりそうだ。

「僕は20代のころ、ドラムばっかり叩いていて、作曲ばっかりしていて、本当になんの為にこんなことをやっているんだろうと思ってたよ。だけど今はバイトをやりながら、毎日ライブやレコーディングをやりたいと思っているよ。」
「将来のことは?」
「考えられないよ。多分僕は早死にするから、将来のことなんて考えない方がいいと思うし。」

格好をつけすぎただろうか。カンノさんはフフと笑い「そういうことをいう人に限って長生きするんですよね」とはさみをふるった。

平然と髪は切られ、工場の製品のように洗われ、僕は出口に立つ。

今度僕のライブを見に来なよ。とはいえなかった。単なる美容院でのつまらない会話。

だけどお互いに関係ないけどクロスしている。
人生の交差点。





2006年10月18日
ミステイク。

スプリングロールのライブ。はっきり言って間違えまくった。
言い訳のしようもないほど間違った。今までにないくらい間違った。僕としては言い訳のしようもない。参った。
見てた人も一緒にやっていた人も大丈夫といってくれたが、アウトですね。プロの演奏ではなかった。
迷惑をかけたことをお詫びします。




2006年10月16日
リハーサル続く

昨日はクライフのリハで、今日もまたリハ。
スプリングロールという女の子二人組のユニットのお手伝いをするためのリハーサルです。僕がいつもやっているバンドみたいなロック色はほとんど皆無といっていいので、これはまた違う感じで演奏できて楽しい。とても上質なポップソングで、歌もピアノもうまくて、僕は感心してしまった。
最近いろんなところでいろんな人と演奏しているので、わりといきなり仲良くなれるようになってきた。演奏のレベルをあげるというシンプルな目標のことを考えれば、照れている場合じゃないと思うようになった。人間少しは進歩するのね。

話は弾みつつ、本番が楽しみです。



2006年08月04日
another world

掻きむしるようなノイズ、どこまでも広がるリバーブ、幻想に迷い込むディレイ、コーラスは宇宙との交信。あらゆる信号が波のように偶像を賛美する。

力強く野太いロー。のたうつように地を這いながらも、どこか軽やかでシニカルなライン。

それはまるで柔らかく暖かい泥の中に包まれているような、きれいな風の中にとけ込んでしまったかのような、海の底からまばゆい夏の光を見ているかのような、不思議な感覚になる。

僕はそのすべての中で漂いたい。ここにルールやテクニックを持ち出すと僕は何も語れなくなってしまうから。

shogazer of happy valley

轟音の隙間にくさびを打ち込む。それだけ。



2006年08月03日
18

クライフインザベッドルームのユウスケ君に招待してもらってライブに行きました。

元ライドのマーク・ガードナーのイベント。

駆けつけた時間が遅かったので、ユウスケ君の演奏を見ることはできなくて残念だったけど、マークは本当にかっこ良かった。
12弦ギターを軽々と操り、優しくて深い声で僕を遠くへと誘う。
何より嬉しかったのはライドの1stの曲をやってくれたこと。
すごくすごくよかった。

真っ青な波がのたうつばかりで、文字も何もない不躾なジャケット。僕は18歳の時、それをタワーレコードでみつけて、ただただその波のもの悲しさに惹かれて、バンドの名前も、もちろん中に入っている曲も知らずに買った。

そのころ、僕の彼女はUSインディーズの音楽に夢中で、僕はクラフトワークとフィッシュボーンとジャミロクワイにいかれていたから、なんというか、これは不思議な邂合だったのかもしれない。

ど頭のベースフレーズに度肝を抜かれて、一気にイングランドの空気が特別なものになってしまった。
そして、スミス、ブラー、スウェードからはじまる、めくるめくUKサウンドの世界へと突入することになる。
それがきちんとした形で結実するのはプレクトラムと出会ってからになるけれど。
あるいは自分の中できちんとそれを表現するのはもっと先の話になるのかもしれないが。

とにかくライブは最高でした。
ユウスケ君に最大の感謝と愛を。



2006年07月09日
偶然?必然?

松田樹里亜という歌手がいる。スラップスティックスがワーナーにいた頃、彼女もワーナーからCDを出していて(というか彼女の方が売れていたわけだが)何度か顔を合わせた。スペースシャワーTVかなんかで一緒に出演したこともある(彼女がMCだったかもしれない)
とあるライブハウスのチラシを何気なく見ていたら、彼女の名前を発見した。頑張っているんだなあと微笑ましく思った。考えてみれば、僕が今やっているバンドもみんなかつてメジャー組だった人ばかりだ。ワーナー、コロンビア、ポリスター、ユニバーサル。レコード会社云々と当事者のモチベーションは特に関係ないということだ。やりたいからやっている。

僕のバイト先から非常に近いライブハウスだったので、見に行ってみようかなとも思ったが、アポもとらずに行ってどうなるわけでもないし、まあお互い頑張っているのが確認できただけでもよかったとチラシを捨てた。

さて、今日がそのライブ当日である。僕は数日前にそんなチラシを見たことさえ忘れて、普通にバイトをしていたら、ひょっこりとドラム仲間で先輩の庄田さんがあらわれた。
ひさしぶりですね。なにか買い物ですかと聞くと、今日は松田樹里亜のライブでドラムを叩くから、見に来ないかとのこと。業界は広いようで狭い。すべての道はどこかに繋がっている。

バイトを終えてライブハウスに向かう。チケットは4000円。本気で見に行く気になっていても、チケットの値段を見たら萎えてしまったかもしれない。しかし庄田さんのお陰で招待枠で入れてもらう。
受付の女の子は「もうあと1、2曲しかやらないですよ」と怪訝そうな目つきでいう。「この人そんなに松田樹里亜のファンなのかしら」という雰囲気丸出しだ。「どなたの招待ですか」と聞くから、ドラムの庄田さんですと努めてさわやかに答えた。相手の思っていることを考えるとひどくモジモジしてしまって余計熱狂的なファンの一人になってしまいそうだ。

ライブハウスに入ると、溢れんばかりの人の数。ちょうどアンコールのところで、お客さんたちはざわめいている。人込みをかきわけてドリンクコーナーへ。意外にも女性が多い。それもみんな綺麗な人たちばかりだ。ビールを頼んで、ステージが見えるロケーションに辿り着いたところでメンバーがあらわれた。拍手喝采。

松田さんはやはりとても可愛かった。でも昔話した時より幾分ボーイッシュでやんちゃになっていたような気もした。でも考えてみればライブを見るのは初めてなのだ。僕だって普段とステージとでは気持ちも喋りかたも違う。
ひととおりのMCの後、楽曲が始まる。

予想通りのハードなロック。ストレートさが単純に突き刺さってきて気持ちいい。実は庄田さんのドラムを見るのも初で(庄田さんは僕のつたないドラムをイヤというほどみているが)サウンドは攻撃的なのに対して、見ているとすごく安心感に包まれる庄田さんの人柄そのもの的なドラムで、惚れ惚れとしてしまった。


テレビで松田さんに「趣味はなんですか?」と尋ねられたので、料理ですと答えたら「じゃあ今度食べさせてくださいよ」というから、つい「じゃあ家にきてくださいよ」と返したら「行きます」と笑いながらいった。テレビ収録中の単なる方便だとわかっているのに、僕はただうつむいて赤面した。その後収録がどういう風に進行したのか忘れたけれど、僕はその時の言葉と笑顔をどういうわけか今でもしっかりと覚えている。

ライブが終わりきる直前に箱を出た。受付の人に笑いながら「ありがとうございました」と頭を下げたら、「この人ほんとに松田樹里亜のファンなのかしら」とこれまた怪訝そうな目で見られた。

彼女は僕のことなど覚えていないだろう。挨拶をして、説明すればひょっとすると思い出すかもしれないが、そうする必要性もないし、僕はそういうことができるタイプの人間でもない。ただ僕は、なんだか無性に嬉しかった。何が嬉しいのかわからないけれど、とにかく気持ちが良かった。仕事に疲れた人たちの隙間を縫って、僕はリズミカルに歩く。

歩道橋を駆け上がったら、新しいフレーズが頭の中に流れてきた。



2006年07月08日


サンプラザ中野さんの野外ライブをやりに奈良県に行って来ました。

いやあ楽しかったです。
リハーサルの時は景色がかすんでしまうくらいの土砂降りで、「これは大丈夫なのか」と思っていたのですが(実際屋根はあるのだが、僕の真上だけは隙間があいていて、リハですでに僕だけズブ濡れになっていた)いざ本番になると、むしろ晴れ間さえ覗くいい天気になっていた。さすがは音楽生活22年、雨天中止を経験したことのない中野さん。筋金入りの晴れ男なのです。

「大きなたまねぎの下で」や「ランナー」は、お客さんの天にも届かんばかりの大合唱。ふと見ると、袖のスタッフや司会のアナウンサーの人まで一緒に歌っている。やっぱりヒット曲のパワーはすごいですね。感動してしまった。

ところで、朝「行ってきまーす」と我が家を出て、奈良でライブやって、夜11時すぎにはもう家にいるという感覚はとても不思議だ。
それというのも飛行機で移動したからであって、バスや電車や車で移動するのと違って遠くに旅して来たという実感がまるでない。
人間というのは浅ましいもので、移動時間さえお金で買えてしますのですね。まあ忙しいからしょうがないんだろうけど。

僕はできればゆっくり行く方が好きだ。ライブが重なれば長い移動は体力を消耗するけど、僕はゆっくり行く方が性にあってるような気がする。もう慣れたというのもあるし。15時間くらいは全然気にならない。

あと未だに飛行機が苦手だというのもある。落ちるかもという恐怖心にかられることはもうないけど、着陸した瞬間の「グワシャ」という音にはどうしても馴染めない。
それはハリボテで作られたツギハギだらけのおんぼろ機械がペシャンコになったときの音のようで、今までこんなので飛んでたのかと勝手に想像して急に冷や汗をかいてしまったりするのだ。

まあなんにしてもとても楽しかった。
中野さんと仲良くなれたのはもちろん嬉しいし、ギターの伊藤君やベースの望月君と知り合えたのもよかった。無論、福田さんには絶対的愛情を込めての大感謝である。

そしてまたやりたいな。と勝手に思っているミキヤでした。

もちろん移動は飛行機でも全然かまいません。



2005年11月06日
勝負?

シンガーソングライター江川裕史のリハのためスタジオへ。
江川君は僕が前に参加していた「スロープ」のサウンドプロデューサー。ちなみに「ゴーイングアンダーグラウンド」のプロデューサーでもあり、「プレクトラム」とも微妙につながっている。

「スロープ」時代、実質的には僕と江川君で、ダブルサウンドプロデューサー状態になっていて、表が江川君、裏が僕という感じになってしまっていた。(そうなったのにはとても細かくて複雑な事情があるので多くは語らないが)今回はその勝負をつけるためにドラムを引き受けた。何をどう勝負をつけるのか僕自身よくわからないけれど、とにかくそういう気分で望むことにした。

ところがいざスタジオで顔を合わせてみると全然そんな感じじゃなくて(あたりまえだ)和気あいあいとした雰囲気。ベースの堀尾さんもキーボードの赤尾さんも温厚な人たちで、もう勝負どころの話じゃない。元々勝負のしようもないんだけどね。

しかしリハーサルは真剣勝負だった。同じ曲を何度も何度も繰り返す練習方法は曲の理解度を向上させるのに最適だし、体にもなじみやすい。他のバンドって意外とやっても2、3回だから、その倍以上の回数をこなす江川君のリハはそうとうストイックであるともいえる。

初めてのリハにしては変な緊張感もなく、かなりリラックスしてできた。それも江川君の気さくな人柄によるものか。ライブが楽しみになって来た。



2005年11月03日
バックビートでライブ

久しぶりの神戸。まずはアッキー家に伺い、素敵な朝ご飯をいただいて(なんども書くがアッキーのお母さんは料理がすこぶるうまい)しばし仮眠をとらせてもらう。バスの中でも寝てはいたのだが、やはり常に同じ姿勢をとっていたので体はこわばっている。昼頃、起きて昼ご飯?をいただき、ライブハウスへ。

前回対バンだったハニカムスターもそうだが、神戸はいいバンドが多いような気がする。いい意味でいききってる感じが気持ちいい。ポップなバンドはどこまでもポップに、激しいバンドは油断無く激しい。
もちろんプレクトラムも負けじと気焔を吐いてきました。

ドラムを叩いていてハッと気付いたんだけど、そういえば昨日から僕、お酒を飲んでいない。終わったらビール飲もって思いながらライブやってた。不謹慎ですかね。まあいろんなことを考えながらやってるんです。
 神戸の街はあいも変わらず素敵だな。そういえばこの街にも結構いろんな思い出がある。六甲山、ポートピア、たこ焼き、スニーカー、女の子、ライブ、ライブ、ライブ。
 まあいろんなことを考えながらライブやってるんです。



2005年11月02日
銀河ステーション

プレクトラムのリハのために新宿へ。
この後深夜バスで神戸に向かうので近場のスタジオをとったのだが、ここが一風変わっていて、エレベーターの扉が開くと廊下もロビーもなくいきなりスタジオのドアがある。これは実際に見ないとわからないかもしれないけれど、まるでどこでもドアでいきなりスタジオに着いたようなインパクトがあって面白かった。

リハを順調にこなし、バス乗り場へと向かう。夜の西新宿には深夜バスを利用する旅行者たちがたくさん集っている。高層ビル群の灯りに照らされ、男も女も妙に魅力的に見える。どこか見知らぬ場所へ行く(あるいは馴染みの場所へ帰る)期待感と興奮が人の顔をそのように見せているのかもしれない。
 僕らはただの無邪気な旅行者ではないから、他の人たちとは顔つきは違っていたかもしれないが(リハやって疲れてるのもある)、ある種の使命感を胸にバスに乗り込む。
 バスの窓から見る夜の街。赤や黄色や白のライトが流れて行くのを見ていると、なんだか未来の街を見ているような錯覚におちいる。まどろむ中、なんだか妙になつかしいような気分。
 夢見ていたのはテクノポリス。明日の朝は神戸だ。



2005年10月31日
デビュー

 特に他意はないのだが、突然思い立って髪を茶色に染めてみた。3月のスラップのライブの時に真っ黒に染めて以来、ずっと真っ黒でいたのだが、ルーシーのライブを見に行くのに、お昼暇だったのでなんとなく。本当は金髪にしようと思っていたのだが(いつもそういっている)僕の髪は簡単には色が抜けない質で、薬剤に30分で金髪になりますって書いてあっても、2時間放置してるのにほんのちょっとしか抜けない(前に金髪にしたときは美容院で7時間かかった。しかもそのときは銀髪にしようとしていたのだが、頭皮があまりにも痛いので、途中でやめたという金髪だった)というわけでほんのり茶髪が出来上がった。
 どこにでもいる、なんでもない茶髪なので、自分でもまったく意識せずバイトに出かけたのだが、思いもよらず、すごい反応があった。「タツイさんが茶髪にして来た」とバイト仲間がやたらと僕のことを見に来るし、「どうしたんですか?」とか「なにがあったんですか?」とかここは本当に渋谷なのかといわんばかりの台詞の応酬である。なんだか自分が初めて髪を染めた高校生みたいな気分になって来てひどく恥ずかしかった。なんにしても注目されることはいいことだけど。
ひとり22歳のやつが「タツイさん大分よくなったじゃないですか」っていうから、じゃあ今まではなんだったんだっていったら「タツイさんライブ用にですかっていったんですよ」とのこと。恥ずかしくて耳までおかしくなってきた。



2005年10月30日
グライダー

 ドアを開けるとすごい熱気。入り口の所まで満員だ。ライブはまだ始まってもいないのに、既にテンションはフルボリュームだ。
 今日はアドバンテージルーシーの4年振りのワンマンライブ。僕は基本的に出不精なので人のライブはあまり見に行かないのだが、この日ばかりはどうしても見たくてやって来た。2回ほどドラムでお手伝いしたこともあるが、GAPCの頃より俄然その存在が近くなったルーシーのライブをちゃんと見てみたかったからだ。
 小気味よい石坂さんのカッティングからステージはスタート。小気味よいカッティングといえば、石坂さんのヘアスタイルも小気味よくカッティングされている(さすがワンマン)そして次々とメンバーが入場。襟なしシャツがいつもよりもグンとさわやかな印象のチガちゃん。結婚式に遅れて来た男風黒ジャケット&ネクタイで決めた、下北沢で一番モテる男タイスケ。グレーの洋服と揃った前髪がなんとも愛らしいアイコちゃん(さすがワンマン)そして外村さんは一番最初に入場したのに見えなかった。自分の背の低さを呪いました。
 隣のカップルが僕の肩越しに会話をするので、(「これってあのアルバムにはいってたやつ」とか「私この曲大好き」とか)なんだか妙な解説が入って不思議な感じだったが、とにかくライブはすごく楽しかった。いいとか悪いとか批評めいたことより、とにかく楽しいのが最高だ。始まる前は、外村さんが叩くルーシーというやつを研究したいというような、ある意味ちょっと浅ましい気持ちで見に来たところもあったが、ライブが始まってしまえば超興奮してしまってそれどころじゃなかった。外村さん超かっこいい(キャー!、見えないけど)
「フォトグラフ」はやっぱり最高にかっこいい曲だな。一番好き。
 ワンマンという、特殊な空間を満喫できたのは幸せだった。お客さんのテンションの高さは気持ちよかったし、隣のカップルも素敵だったし(ちょっとうるさかったけど)なによりメンバーの余すことなくやりきれる充実感みたいなのがダイレクトに伝わって来て、バンドって美しいなと思った。
 
 



2005年10月27日
リラックス。

頭の中を音が飛び交う瞬間。
さっきまでの咆哮が嘘のように静かに音に浸透していく。
リズムは整然としていて、曇りはない。
伝えるべきメッセージはもう伝えたから。大丈夫。
プレクトラムのレコーディング。
体の力は抜けているんだ。ほどよい運動。
吸収したから開け放つんだ。惜しみない愛。
フィードバックして思い出して幸せになって、悲しくなって。
繰り返して楽になって。動かして世界を。
涙が出るのはかまわないが、鼻水が出るのは困る。
リラックス。一番いいのがとれた。



2005年10月24日
たかくる

 タカが東京に来た。仕事できたのできっちりスーツで決めて、前に会ったときよりちょっぴりふっくらして。
 タカは22、3の頃から久しぶりに会うと、きまって「お前老けたな」っていうのが口癖だったが、今回は何も言わずお互い軽く照れるように抱き合っただけだった。僕が彼のスーツの袖をちょっとひっぱったら、彼は僕の二の腕をちょっとつまんだ。
 居酒屋に行って、酒を飲む。タカはグルメなのでどれだけおいしい店を紹介しようかと思案したが、前にすごくおいしいそば屋さんに連れて行ったら、感動して一言もしゃべらなくなったので、今回は気楽に行けてそこそこうまいところへ。
 酒が進む。滑るように言葉が口をついて出る。32歳の大人子供の会話。僕はまだ夢見心地で、彼は現実で。昔はしゃべるたびに喧嘩してたのに、今は楽しく杯を交わす。タカの声が気持ちいい。つまらんゴタクをゴニョゴニョといってるときの感じがいい。内容はそんなに問題ではないのかもしれない。ただそこにいるだけでいい。ゴニョゴニョいってればいい。
 そういえばあれだけ喧嘩してたのに僕らは一回も殴り合ったことがない。「表に出ろ!」ってなっても、タカは絶対僕に手を出さない。もっともそんなことになれば一発で僕がのされるのは自明の理だが。
 ゴニョゴニョしゃべってるタカの顔を見ながら、「ああこいつと派手に喧嘩して、一発ぶん殴ってみたいなあ」と思っていた。あるいは一発ぶん殴られてみたいなと。
 多分死ぬな。
 

 



2005年10月20日
水の中

 幸せとも不幸せともいえないようなよくわからない灰色の夢を見続けて、はっと目覚めれば全身汗だくだった。ムクリと起き出してベッドに腰掛けてみると、なんだか服を着たまま水から上がって、プールサイドに腰掛けているような気分だ。風邪なんかひくとまったく朝からひどい目にあう。昔から馬鹿は風邪をひかないというけれど、現代では体調管理ができない方が馬鹿ということになるんだろう。
と、憮然としながら着替えていてふと気づいた。
 頭痛なし。体軽い。治ってる。
 鼻水と咳はすこし出るものの、気分はすこぶるノーマルである。「なんだよ俺、体調管理できてんじゃん。」と鼻をかみながら意気揚々。

 プレクトラムのライブ。今回はアッキーが考え抜いた超ハッピーな曲順で頭から最高のテンション。息もつかせぬ展開にお客さんは超興奮しているのだが、僕は文字どおり息がつけないので死にそうだった。風邪は治った。気分はばっちり。でも鼻が詰まるので息ができないのだ。口でアップアップしてもドラムを叩いているのだから呼吸が追いつかない。もちろん傍らにはティッシュをハコごとセッティングしているのだが、ステージの上、お客さんが見ている前で「ちーん」てできる度胸はなかった。
 最高の楽曲をまるで溺れるように演奏して今日のライブが終わる。もちろんプレクトラムは絶好調で、メンバーはイルカのように水面上を跳ね回っていたのだが。僕はスルメのようだった。



2005年10月19日
目がなおったら。

 流行っているとは知らず、独自のルートから風邪を仕入れたようだ。昨日までは何でもなかったのに(とはいえ、やはり夜中は寒いと思っていたな)朝目覚めたら、声は出ない代わりに鼻水がだらだらと出るし、頭はぼんやりするし、ベッドから起き上がってひとしきり立ち尽くして、「これはあれだ、風邪だ。」と声にならない声で自分にいってみたけど、だからといってどうなるわけでもない。
 とりあえずバイトに行かなきゃならないから、シャワーを浴びて、いざ出陣。今日はリハもあるから、機材を持っているので朝から大変である。外に出てみると、もう暑いんだか寒いんだかわけがわからない。体の表面は火照っていて汗をじっとりとかくほどなのだが、芯の方では凍えるくらい寒くて震えている。額に汗しながら鳥肌たてて電車に乗る。
 薬屋に行って風邪薬とマスクとティッシュとフィニッシュコーワと鼻の薬を購入。明日はライブ、何はともあれ今日中に治すしかない。

宙を舞うような気持ちでバイトお客さんが来なくて暇なのだがその分いろいろ普段できないこともあるよねっていいながら動物園のシロクマみたいにうろうろとその辺をほっつき歩いているたまにお客さんが来て接客してみても鼻づまりでなおかつマスクしてるから聞こえないらしく、「え?」って13回くらいいわれていわれるたびにもう一度言い直してそのうち鼻水がたれてくるので陰に隠れてちーんとやる。ちっとも売れない。 

 それでもそれなりにこなしてバイト終了。プレクトラムのリハへ。ド頭の一曲目から恐ろしいほどの汗をかいて、でもその汗はさらさらの気持ちのいい汗だった。リハが終わったときは紺色のTシャツが胸まで真っ黒であった。そして僕の体はすこぶる楽になっていた。「健全なバンドには健全な魂が宿る」とはよくいったものだ。

さて、これから僕がするべきことは、日記なんかつけてないで早く寝ることです。明日はプレクトラムライブ。がんばろ。



2005年10月17日


 気怠い雨が降り続く。バイト先は暇で退屈でやるせがない。渋谷の空はネオンや電光掲示板の灯りが混じりあって紫色。21世紀は始まったばかりなのに、こういう風景を見ると「世紀末」って思ってしまう。次にその言葉を使うのは90年後か。自分が生きてない世界。どんなんだろうね。でもそのうちいろいろあって体の80%がマシンになって生きてたりして。暇だからばかばかしい妄想。
 
 夜になったのでそそくさとタイムカードを押してプレクトラムのリハへ。

 音って目に見えないから幽霊といっしょで。目に見えないものが見えてくるから音楽って楽しくて、しんどくて、素晴らしくて怖いんだろうけど、プレのリハで経験するのはいつでも新次元。
 頭が先に行くので聞こえるはずのない音が聞こえる。例えば女の人がコーラスをとっていたり、民族的な打楽器が聞こえたり、ストリングス、ブラス、本当に4人で奏でているのかこのバンドはって感じ。
 世の中いっぱいいいバンドがいて、その片棒をたまに担がせてもらったりするけど、プレクトラムという巣に戻ってきたら、ここにいれてよかったと思います。


 



2005年10月15日
ルーシーと行く。

僕にとって久しぶりのルーシーのライブは、なんと池袋サンシャイン劇場。普段は劇団の公演が行われているこのハコは、椅子席キャパ800のホールでありました。ステージに立って客席を見ると、ちょっと大きなライブハウスにしか見えないんだけど、客席に降りてステージを見ると、まぎれもなくホールでした。人間が豆粒のように小さい。でも不思議と緊張はしなかった。数時間後にこの席がすべて埋まって、800人の視線が僕らの上にふりそそぐことがわかっていても、意外と平静でいられた。
 リハが終わって、サンシャインシティーを散策。相変わらず目がおかしいので、サングラスを物色したり(今日はカメラも入るので必須です)あとドラム用のバッグを見て回ったりした。数年前、僕はここで何度か女の子とデートをしたことがあって、それ以来、来たことがなかったのですごく懐かしくて、その頃のことを思い出したりしていたのだが、一緒に歩いていたタイちゃんはすれ違ったり、たむろしている女子高生に異様に興奮していた(笑)
 さて本番。ほどよく脈打つ心臓とともにステージに立つ。さざ波のような拍手。ホールならではのリバーブ感。気持ちいい。石坂さんの沸き立つようなフレーズからライブはスタートする。アイコちゃんののびる声がホールの隅々まで染み入っていく。僕は叩く。サンシャイン劇場を超えて、届くところまで届いてほしいと思う。
緊張とはほど遠いところで心が動いている。音楽が鳴っている。次はどうしてやろうか、何をやって驚かそうかと、いたずら心がひたすら体を動かしている。最初から気付いていたけれど、メンバーを信用しているから何でもできる。メンバーに信用されているから、緊張せずに自由になれる。それってすごいことだなと思った。ゆだねて、ゆだねられて。ひとつになっていく。
 客席が暗かったので、お客さんがどのように感想を持ったのか具体的に判別することはできなかったが、少なくともルーシーのやりたいこと(結構複雑なんだけど)のしっぽくらいはつかんでくれたかなと思うし、それに貢献できて僕は嬉しかった。
 

 共演したバンドに「ライプニッツ」というのがいたのだが、リハで「あじさい」という曲を聴いて不覚にも泣いてしまった。すごくよかった。事前にサングラスを購入しておいて正解だった。



2005年10月14日
オッド・アイ

 10月10日。せっかくの自分の誕生日だからと思い、鼻あたりまでのびていた前髪を切った。切り方なんて知らないので乱暴に。適当に。雨は降っていたが、世界は明るくなった。
 10月11日。ルーシーのリハ。盛り上がってドラムを叩いていると、切った前髪が揺れるたび僕の左目を攻撃する。ついでに汗も手伝って、目を開けていられないほど、痛くなってきた。帽子、バンダナ、タオル、手ぬぐいの類いを持っていなかったので、楽器屋の袋をかぶって演奏を続行する(滑稽)。帰って鏡を見てみたら、ウサギが心配してくれそうなくらい真っ赤になった目。どこに黒目があるのかわからない。
 10月12日。更に髪を切る。バイトもあるし面倒くさいので、鏡も見ずに、むしるように。歯磨きの際、鏡を覗き込んだら、昨日ほどは真っ赤でないが、赤いスジはいくつかはしっている。血管。眼球って血管はしってるのか?じゃあなんで普段白いんだ?
 10月13日。更に髪を切る。なんだか目の中にずっと髪が入ってるような気がする。それは気のせいでおそらく眼球に傷がついてるのだろうと、素人の僕でも冷静に考えればわかるのだが、なんだかむしゃくしゃする。この際不細工でもかまわん。絶対目に入らない位置まで髪をちぎる。
10月14日。天気は晴れ。渋谷の街はスモッグに汚れて、今にも神様が降臨しそうなロマンチックな淡い青空だ。右目で街を眺める。首都高で行き交う車のエンジン音が通奏低音のように静かに横たわり、音にならない空気的なノイズ、人々の踵が踏みならす靴の音、救急車のサイレン、どこかから聞こえる悲鳴のような声、からすの羽ばたき、がまるで高尚なクラシック音楽のように旋律を奏でている。
 試しに傷ついた左目で街を眺めてみた。大丈夫、視界は良好。かつて一度失明したことのある僕にとってはこれくらいのボヤケは特に問題にならない。
 だけど不思議なことに街の音は聞こえなくて、体の中にテクノみたいな一定のリズムが流れた。「ボーン・スリッピー」
 
 明日はルーシーのライブで、その前に病院にでも行こうかと思ったがやめた。
 このままでも案外面白そうだ。痛いけどね。



2005年10月10日
ありがとう

10月10日AM0:00ジャストにメールが届く。
「誕生日おめでとう。一番乗りかな。」
僕はメールを見て照れ笑いをしながら、
「もちろんです。」と書いた。
 本当は勢い余って、10分前にお祝いメールを送信してしまってくれたオチャメさんもいて、大笑いしてメールを返したのだが(まだ10日になってないよ!!(笑))何にしてもとても嬉しい。
 それから眠るまでの間、何件かのお祝いメールが届く。昔から知ってる人、最近知り合った人、東京の人、広島の人。福島の人。大阪の人。おめでとうと簡潔に書いてある人もいれば、いろいろ書いてくれてる人もいて、それぞれにキャラクターがあって面白い。何にしてもとても嬉しい!
 目が覚めて、また数件メールが入っている。懐かしい人、昨日あった人。中には今日の広島がどれだけ晴れているかを力説したメールや(東京は雨だったからね)体育の日の素晴らしさを細かく解説したメールなど、おめでとうとひとことも書いていないものもあったが、内容はどうあれ嬉しいもんは嬉しい!!
 久しぶりに新宿をぶらぶらして、ウインドウショッピング。楽器はいつも見てるから今日はやめて、ちょっといい靴屋にはいってみたり、ビックカメラとかヨドバシカメラで意味の分からない機械(おじさんだから!)を眺めてみたり、素敵な洋服を見たり、綺麗な食器を見たりした。その間にもポツポツとメールは届く。すごく丁寧な人、底抜けに明るい人、血のつながった人。「おめでとうございました」っていうメールも来て、「まだ終わってないよ過去形にすんなよ」って返したが、なにはともあれ嬉しいもんは嬉しい!!!
 
 みんなが少しでも思っててくれて、電話やメールをくれることがすごく心強く、とても嬉しい。お祝いしてくれた皆さんに本当に素直にありがとうといいたいです。ありがとう。あと、とても覚えやすい日に生んでいただいた両親に感謝です。

 ちょっといいとこで食事をして家に帰ったら、BBSにこれまたお祝いの書き込みが。もうこれまた無性に嬉しい!!!!
 
 メロメロです。



2005年10月07日
ライブ続く

 今年も12月1日の「A.A.A」武道館ライブへの出演が決まりました。毎年恒例とはいえ、オファーの電話がかかってきた時には心ときめきました。こういうのはいつまでたっても慣れないみたいです。その分不安もいっぱい。それも毎年のことなのね。


2005年10月02日
誕生日会。

10月に入りました。
 今日はキュマバロウのナオちゃんが誕生日ということで、お祝いの会にお呼ばれしました。考えてみれば、彼女たちと飲む時はいつも打ち上げというシチュエーションしかなく、知り合って何年にもなるのに、ナオちゃんの誕生日さえ知らなかった。 

 いつもとは違う出会いに相当緊張しました。
 着ていく服に悩み、プレゼントに悩みました。鏡を見て笑顔を作ってみては首を傾げ、登場のシュミレーションは何百回と繰り返しました。
 いつも思うのですが、僕はこういうのが苦手らしい。誕生日とか結婚式とか、一方的に脇役を演じる場合の主役的立場みたいなものを考えてしまう。要するに一番かっこいい脇役になりたいんだね。自意識過剰です。そしていつも一番かっこ悪くなっちゃう。
 
 ナオちゃんの誕生日会はとても楽しかった。僕が緊張しているのを悟って久美ちゃんがいっぱい話しかけてくれたし、タイジはスーパー酔っぱらいモードに突入していて可愛かったし、サンちゃんの怒濤の方言には圧倒されたし、ナオちゃんはやっぱり美しかった。

 バンドで誕生日会なんてスラップ以外ではしたことないけど(当たり前か)なんかいいもんだなって思った。

 



2005年09月29日


 クラブって苦手だ。大音量で音楽を聴くのは好きだけど、人と話がしづらい。踊るんだったら、真剣に踊りたい。何もかもが中途半端で、なにより人が不細工だ。なにがしたいのかわからない。何を美しいと思っているのかわからない。みんな笑ってるけど、なにが楽しいのかわからない。すれ違う時、誰かの体に触れる。汗ばんだ肌気持ち悪い。
 ルールがないというルールが楽しいなら、みんなで線路に寝転んでみればいい。電車のグルーブを真摯に受け止められるのかどうか。音楽をなめちゃいけない。
 
 話はかわるけれど、プレクトラムのライブは相当怒濤だったです。
音が暴れていた。僕はちょっと乱暴にやりすぎて反省した。



2005年09月25日


村上春樹の本を読んで、頭と体がダンスした。内容はもちろんのこと物語のテンポがあまりにも心地よすぎて、嬉しすぎて手が震えて困るくらいのものだった。
「人生でそこまで好きになれる人がいるということは、とても幸せなことだね。」
と同居人はいったが、本当にそう思う。
 村上春樹。好きだ。
 小林正俊、坂本龍一、吉野豪史、大沢奈央子、岡村靖幸、広崎茂雄、三戸華之助、大下兄弟、高田泰介。
 好きだなあ。



2005年09月18日
クンタの絵。光と陰。

 額にびっしりと汗をかいている。僕はそれを周りの人に気取られないよう、さりげなく手の甲で拭う。暑いわけではないのだ。それなのになんだろう。その絵を見ていると、自然に汗がにじみ出てくる。
 元々は軽い気持ちでここに立ち寄ったのだ。クンタが銀座で作品を展示しているというので、銀座見物がてら、ちょっとした散歩のつもりでここまで来たのだ。絵は好きだがそれほど何かを深く知っているわけでもないし、シャガールでモディリアーニでロートレックでウォーホルで。所詮そのくらいのものだ。授業では習わないが、少し齧れば誰もが行き着く世界。安い。

安くない。クンタが描いたのは「お花」。文字通りキャンパスには花の絵が描かれている。でも描かれてるのは「お花」だけじゃない。クンタが描く花は必ずしも中央にいない。むしろ構図としては失敗のような位置に本体がある。まるで溺れているような花。顔と腕のバランスががずれてしまったような花弁と葉。それらの曲線は生物のいやらしさ、グロテスクさを否応無しに感じさせる。ど真ん中にある花の絵。すごくリアルに写実的に描かれている。ちゃんとしている。しかし手に触れようとするなら、ゼリーのようにどろりと溶けてしまいそうにあやうい。光があたっている部分はとても淡くやすらかなのに対して、陰の部分は容赦のない選択を強いてくる。一般的な見解で、はやり廃りで物事を判断して安いとかなんとか。くだらないことだ。
 ひとつひとつの小さな陰にその虫はひっそりと隠れている。そして密かに小さな卵を何万と産みつけ、その生命が生まれてくるのを我慢強く待っている。自分が産みつけた卵のせいで花が腐っていくことをその虫は知らない。僕はそれを賞賛することもできない。でも否定もできない。ただそれを見つめている。その美しい「お花」とその陰にまつわる想像のストーリーをただ享受する。それ以外に僕になにができるというのだろう。

クンタと絵とか音楽について、数年前に結構熱心に話をしたことがあった。僕は馬鹿で、彼女も馬鹿だから、その話はすごく盛り上がったけど、たいした実りもないように思えたのだが、そういう問題ではなかった。

最後に僕が彼女に聞けなかったのは、彼女が描いた「お花」たちは、一体生きていたのだろうかということ。僕がかいた汗、は陰に蠢く何モノかのプレッシャーによるものなのか、それとも灯りの下で可愛らしく咲いている花が実は…

まあいい。汗が流れるのも当然かと思った。






2005年09月16日
来訪者

 手のひらを見つめる。僕の大事なもの。触れるということがどんなに大切なんだろうって思う。僕の指先に触れるものにはそれぞれの時間が流れていて、それは例外なく美しい。美しいと思う概念の一つは、おそらくそこに死というものが設定されているからだ。時が流れ、いずれは朽ちてなくなってしまうから美しい。いずれは終わってしまうから愛おしい。そしてそういうものに僕は触れたくなる。
 しかし、悲しいことに、僕が触れるとその触れたものは過去のものになる。どんなに美しいと感じようと、どれだけ愛しいと思おうと、時間の流れを感じた瞬間それは死に向かって前進するのだ。僕も一緒に。
例えば・・・僕は今まで何億発もスネアを叩いてきたけれど、それらはすべてその時間に対して楔を打ち込む作業でしかなかったと思う。つまり時間を「区切る」ことで僕は小さな死を演出しているとさえ思うのだ。無論、前にいった「時間を区切る」という行為が永遠に似ているというということと同列して。死と永遠はあまりにも似ているように思う。
 難しい話はよすとして、最近僕は僕の手のひらが好きだ。何かに触れることを喜んでいるから。触れることで共有できる時間を大切にしたいと思う。それはモノでも人でも。
 際限なく触れ合うことができるならそれは永遠みたいな気分なんだろうな。でもそれができないから人は生きている。蛍光灯みたいにパチパチいいながら、点滅を繰り返していくのだ。
 そういう気持ちで僕は突然の来訪者を迎えたのです。



2005年09月13日
まちぼうけ

 意味もなくはしゃいでみた。バイトの同僚に「どうしたんですかタツイさん。」と変な目で見られてもかまわずはしゃいだ。移動はスキップ、会話はメロディアス。太陽はあめ玉で、ビルは全部ハリボテだ。思わず笑ってしまう。
 
 敵はふたり。「さばけない」人数ではない。ひとりめはボディーを狙って弱らせ、顔のガードが空いたところで裏拳を浴びせてダウン。次は手強い。何発かくらって意識が飛びそうになるが、うまく足を払ってとどめをさす。敵はいつもスローモーションで倒れる。安っぽいテレビのワンシーンみたい。
 思わず笑ってしまう。

 あるいはここにコーヒーゼリーがあれば、僕は大丈夫なのかもしれない。バイト中の真っ昼まにスキップしながら、妄想の敵なんて倒さなくても、その涼やかな苦みを感じながら、現実をつるりとすくえるのかもしれない。
 
 オーケー。認めよう。僕はいらだってる。日常が退屈なことが問題なのではなくて、僕自身の弱気な心が問題なのだということもわかってる。

では問題。僕は何を待っているのか。


  



 
 



2005年09月06日
キュマバロウ

 新しい展開でした。素晴らしい楽曲はある。でもまだそれに対する答えを模索している状態でのライブ。一回壊してまた作ろうとする途中での一つの形。メンバーそれぞれが新しい課題を前に、それぞれが見える景色をサウンドにしつらえていく。それはセッションというにはあまりに辛辣で、ただお決まりのコースを辿って行くB級サスペンスドラマみたいなのとは一線を画する緊張感でした。
まだ発展さえしていない。がらんどうの闇の中で30センチ先にあるかもしれない壁におびえながら僕らは進む。そこに花の種を植えるのか、ビルを建てるのかはこれから決めるのだ。
 結構深い川を必死の思いでわたりながら前を見たら、ナオちゃんがドレス姿で空中のマンホールをキックした。



2005年09月06日


 新しい展開でした。素晴らしい楽曲はある。でもまだそれに対する答えを模索している状態でのライブ。一回壊してまた作ろうとする途中での一つの形。メンバーそれぞれが新しい課題を前に、それぞれが見える景色をサウンドにしつらえていく。それはセッションというにはあまりに辛辣で、ただお決まりのコースを辿って行くB級サスペンスドラマみたいなのとは一線を画する緊張感でした。
まだ発展さえしていない。がらんどうの闇の中で30センチ先にあるかもしれない壁におびえながら僕らは進む。そこに花の種を植えるのか、ビルを建てるのかはこれから決めるのだ。
 結構深い川を必死の思いでわたりながら前を見たら、ナオちゃんがドレス姿で空中のマンホールをキックした。



2005年09月02日
朝を迎える。

 アッキーがすごい。心に余白を持たせない勢いで音を体に巻き付けてくる。客席はリラックスしている。うなだれて眠ってる人もいる。しかし何人かは気付き始めている。これは午前4時の優しいリラクゼーションタイムではないと。
 タイスケはあくまでやさしく、包むように歌う。それはとても大きな船に乗って知らない外国に旅してるような感覚になる。と同時に、小さな部屋で大好きな女の子と見つめあっているような気分になる。
 チガちゃんはフロアにうずくまっている。見ると、眠ってしまったかのようにも見える。僕は客席からそれを眺める。まるでチガちゃんのエネルギーをアッキーが吸い取ったかのようだ。アッキーは直線で動く。それは自然界のどこにも存在しないメタリックなものを連想させる。でもメタルはもう自然の一部みたいなものなのだ。アッキーの1から2への動作が気持ちいい。「僕が目印」
 ガラス越しに遠い空を見る。空はホワイト。本当に真っ白な空だ。太陽が昇る直前の空白の世界。4の世界。放っておいても太陽は昇るだろうに、あろう事か僕らはそれに追い打ちをかける。チガちゃんは低い体勢から、地をはうようなベースを浴びせかけてくる。これがまたすごい。僕がイグニッションキーをまわして、チガちゃんが立ち上がった時、朝がはじまる。
 太陽が昇るまでの刹那、僕らは躍り狂っていた。人間よりも音楽の方がえらい。いや、音楽よりも人間の方がえらい。それを見守ってくれる人がいた。歓声があがって眠ってた客は起き出した。
僕らは行く「ハイニマミレナガラ」



2005年01月16日
泥酔

とあるかしこまった場所でお酒を飲みました。絶対に酔ってはいけないという気持ちが逆流してひどく酔ってしまった。その後あらゆる場所でひどい行いをしてしまったらしいが、記憶はゼロ。すべてはかわいい猫のせいなのです。


2005年01月14日
魅力的な人。

楽器屋で働いていると、時々すごく素敵な人に会うことがある。そういう人のたいがいは、無責任だったり、軽率だったり、安っぽかったり、ぶっきらぼうだったり、不親切だったりする。おそらくものを売る人間にとってはそういう人種はむしろやっかいで、おとなしく説明を聞いて黙って買っていってくれる人の方が楽なんだろうけど、炊飯器を買うみたいに物わかり良さそうに楽器を買っていく人を見てもこちらとしては何の感慨もおこらない。趣味で買っていく人も大勢いるからその辺はなんともいえないけれど、やっぱり楽器を買うなら、自分の未来を切り開いてくれる武器のひとつだと認識してくれる人の方が、こちらも張り合いがあるというものである。
 一番やっかいなのは、値切る人。安くするのはいいけどあんまりしつこいとあなたのアーティストランクがさがりますよ、といいたい。



2005年01月11日
そして日々

新年明けて一発目の怒濤の日々を終えて、僕は日常的バイトの生活に戻る。かりそめの世界をかりそめの世界だと認識したら、それはそれで楽しい。自分の頭の中に構成されているつまらないがらくたを再構築して楽しんでみたりする。誰も気づかない。思考を巡らせることはとても高尚でとても簡単でそして無意味だ。結局のところ思いあまるほどに退屈なのだ。


2005年01月10日
大盛況

 昨日までのツアーの疲れもよそに今日は下北沢モナレコードでアコースティックライブ。全開でライブをするのとは違ってある種、力加減というのが命題になってくる分、僕のリハーサルもすこしナーバスな感じだ。対バンはクリンゴン。現代の喫茶ロックとして名をあげてきた彼らにとってはこういうシチュエーションはお手のもの。プレクトラムもアコースティックライブはかなりこなしてるんだけどね。意外と苦手なのである。
 それはともかく蓋を開けてみればお客さん超満員であった。モナレコードからしてもこの事態はちょっと予想外だったらしく、店員さんたちも多少慌てていたみたいだが、アコースティックライブでこのお客さんの人数はちょっとないかなと思った。だって後ろからはなんにも見えないし、やたら暑いし、カフェなのに飲み物のカウンターに辿り着くのに一汗かかなきゃならないのだから。
 ライブはとてもよかったと思ったけど、もうちょっとくつろいで聴いてもらいたかった。
 クリンゴンもすごくよかったけど、暑かった。そして見えなかった。



2005年01月09日
のどかな一日

 朝6時半。アッキー家を寝ぼけマナコで出発する。なにしろなんだかんだで2時間くらいしか寝てない。言葉少なに駅へと向かう。
 最初の数時間は数十分に感じた。うつらうつらと寝ていると大阪に着いて乗り換え。乗り換えた後は結構熟睡してすぐに到着。
 そこでまた乗り換えてやっとみんな目が覚めてきた(今回の帰り道は僕とアッキーがタバコを吸いやすいようにタイちゃんが乗り換えを少し多くしてくれた)ここでアッキーのお母さんがこしらえてくれたお弁当が登場。おむすびとカラアゲ(例のやつです!)それに玉子焼きとウインナーとアスパラの炒め物。とろけるほどおいしかった。電車の中で向かいあって食べるお弁当ってなんであんなにおいしいんだろう。昔ヤシと一緒に青春18切符で広島に帰ったとき、突然思いついて特大のおにぎりを作ったことがある。あの時のおにぎりはでかすぎて乾燥してしまっていて、とてもうまい代物ではなかったけれど、二人とも嬉々として頬張ったことを思い出してしまった。
 ご飯を食べたら、後は思い思いにおしゃべりをしたり、本を読んだり、窓の外をぼんやり眺めたり。
 鈍行列車で移動すると人にいうと「うわあ大変だね」とよくいわれるけれど、全然そんなことはない。むしろこんなに優雅な時間の過ごし方はちょっと普通ではできないんじゃないかというくらいの贅沢さである。本には集中できるし、景色はきれいだし、メンバーと普段はできないようなお話もできるし。
 最高の旅で今回のツアーをしめくくれた。でもひとついっておくと、実は今回SGTの面々が機材車に僕らの機材ものせてくれたのでこんなに快適な鈍行ツアーができたのである。SGTには感謝せずにはいられない。素敵なツアーをありがとうと。
 
 ところで米原から名古屋までの間、僕の隣で最初から最後までずーっとお化粧をしていた女の子がいた。鞄の中からはありとあらゆる化粧品がまるで手品みたいに出てきて、横目で見ているだけでも凄まじかった。名古屋を目前にして、ラストスパートのごとくすごいスピードになって、名古屋到着と同時に席を立ったのだが、髪が長かったのと、僕より先に降りたので後ろ姿しか見れなかったのが残念だった。あれで完成だったのかどうかだけでも訪ねたかったです。 



2005年01月08日
ハニカム来訪

 名古屋のライブを無事終え、今日は一路大阪へ。SGTとBursが車で移動するので便乗させてもらった。いつもならこのシチュエーション、大騒ぎになるのだが、さすがに昨日の疲れが出たのか車内は意外にも静かであった。
 道は東名高速を通らずに三重県から奈良県へと迂回して行く。さすがBurs、名古屋のバンドだけにこの辺のことはよくわかっているみたいだ。それとも単なるきまぐれか。東京から広島間といえば、あらゆる交通手段で何度となく往復している僕だが、この三重、奈良ルートというのは初めてでパーキングエリアのお土産コーナーがいちいち珍しく、やたらと買い物をしてしまった。お金ないのに。
 さて、大阪。やはりホームタウン。お客さんの笑顔が嬉しい。キッチョンのボーカルや「JAPANESE DISCO IS FAN」への素直な反応が気持ちいい。普段僕はそんなに笑っているつもりはなくて、どちらかというと、難しい顔をしてドラムを叩いていると思っているのだが、周りの人には「楽しそうだね」といわれることが多い。いつもならそうかなあと思ってしまうのだが、今日は間違いなくニコニコしっぱなしだった。楽しかった。
 夜はアッキーのうちに泊めてもらった。アッキー家恒例の深夜のカラアゲパーティー。アッキーのお母さんはとても料理が上手で中でも自慢の鳥のカラアゲはすごくおいしい。僕は自他ともに認める鳥好きだが、アッキーの家のカラアゲは間違いなく僕の食べた3本指に入るだろう。まず胸肉というのがミソなのだ。
 ライブが終わってふと会場を見ると、なんとハニカムスターの中村君を始めメンバーが見に来てくれていた。僕としてはすごくお話ししたいことがたくさんあるようなのだが、人見知りと、単純にハニカムファンであるということが重なって、変に緊張してしまった。



2005年01月07日
事始め

今年最初のライブはプレクトラム、名古屋アポロシアターから。「30ミニッツ オールダー」と名付けられた今回のツアーは東名阪の3本で、SGT、Bursと共に回る。2バンドとも共演経験ありだが、ツアーとなると、とかくマジックが起こりがちなので今回も何があるか楽しみである。青春18切符で一路名古屋へと向かう。
 天気は晴れ。鈍行列車の窓から見える景色はゆっくりと流れる。富士山はいつもより雄大で、なおかつ頂点の白は生まれたばかりのように初々しい。かといって裾野の方へその目を移せば、黒々として荒々しい原野が広がっている。画面は程よいスピードでスクロールする。展開して行く富士山の美しさに息をのんだ。
 ライブは鈍行ののんびりした移動とは打って変わって超特急。なにもスピードが速いというのではない。確かにテンポが速かった曲もあったが、体に感じるスピード感がすごかった。内容的にもきっちょんが久しぶりにボーカルをとった「If I Fell」や名曲「JAPANESE DISCO IS FAN」そしてこれぞ新幹線並みの超高速で演奏された「SANDAE CHAMPION」など、プレクトラムの持ち味を余すことなく披露。アンコールは一曲しかやらない予定だったのだが、僕がアンコールしてもう一曲やらせてもらってしまった。だってまだ物足りなかったから。
 この日は名古屋に泊まることになっていた。名古屋というのは東京にも大阪にも微妙に近いので、今まであんまりゆっくり泊まったことがないのだが、今回はゆっくりすることができた。打ち上げで盛り上がって、風呂に入って寝た。2時間サウナに入ったら2キロ痩せた。
 
 



2005年01月06日
空想

去年は空想することをわりと意識的にやめていたので(妄想には必然的に浸ってしまうのだが)今年は積極的に空想することにした。人間の頭って本当にすごいなと思うんだけど、ここにいるのにどこかにいたり、時間を早くしたり遅くしたり、想像の範疇なら何でもできてしまう。でもそれをやりすぎるといわゆる「非現実的」な域へ突入してしまって、実生活では非常に迷惑な存在になるので、なるべくやめるようにしていた。でも考えてみたらそこにないはずのみかんを僕が器用に薄皮まで剥いて食べたくらいで一体だれが困るのだろう。僕が晴れた渋谷の街を歩きながら雨のロンドンの街を歩いてたって、誰が傘をさしかけてくれるわけでもない。要するに迷惑な存在になってしまうかもしれないと思っていたのは僕自身の妄想で、僕が火星にいようが明後日を生きていようが、結局は他人には関係のないお話なのである。僕はもう今日という日には存在していない。今僕は過去か未来のどちらかに存在している。そしてライブで「今」の自分を実感できればいい。明日はプレクトラム名古屋だ。


2005年01月05日
ニュージェネレーション

なんか年々ロックに近づいているような気がしていたのだが、違った。今年の目標がたった。僕が長年やりたかったことはわかったような気がした。僕は今年32になるんだ。なんかぶちこわしてやる。ツボはもういいね。


2005年01月03日
静寂

とはいかないまでも、正月の東京は人がとても少ない。電車はがらがらだし、街に出てみてもなんだか閑散としている。いつもはうっとおしいだけの人ごみもこれだけ少ないと、寂しいのを通り越して不安になってくるくらいだ。でも天気もいいし空気もいい。車も少ないし、街はとても静かである。鼻歌を歌いながら歩いてるとなかなか気持ちよかった。
 夢は面白いくらい、何も見なかった。あの紙はなんだったんだ?でも今日も念のため敷いて寝てみることにする。



2005年01月02日
初夢

昨日近所の神社に初詣に行った。参拝がすんだら巫女さんが和紙に七福神が書かれた紙をくれた。なんでもこの紙を枕の下に敷いて寝ると素敵な初夢が見れるらしい。
 いい夢が見れることを期待しながら、眠りにつくことにする。



2005年01月01日
はじまり

久しぶりの日記再開。今年は今までやろうとしてできてなかったいろいろなことを少しつめてやってみようかと思う。それは特別なことではなくて、当たり前なのに案外放っておいたことを普通にちゃんとやってみようかなということです。そしてそれは結構難しかったりするんだろうな。例えば毎日軽く体操するとかね。この日記を書き続けるとか。まあ気負わずに、割と適当に。