- 高橋 哲哉
- 戦後責任論
- 渋谷 望
- 魂の労働―ネオリベラリズムの権力論
- フランツ ファノン, Frantz Fanon, 鈴木 道彦, 浦野 衣子
- 地に呪われたる者
- ベネディクト アンダーソン, Benedict Anderson, 白石 さや, 白石 隆
- 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行
- カミュ, 窪田 啓作
- 異邦人
私のアイデンティティとして疑問を持たれている方が多いと思うので
映画「GO」の中で、(この映画が「在日」の自己マン映画だというのはさておき)
今の私の気持ちを
代弁してくれるいいセリフを見つけたの紹介します。
最後の杉原のセリフ
「俺は何人だ。俺は何モンだ・・・在日ってよぶことはな。俺がいつか日本に出て行くよそ者ていってるんだぞ。それ分かってて言ってるのか・・おめーら(日本人)は俺達に名前(在日)つけなきゃ不安でしょうがないだろ。・・俺はライオンだ。ライオンは自分のことライオンだなんて思ってないからな・・・俺は俺なんだよ、いや、俺は俺であることも否定してやる。・・・」
最後のセリフは民族性や歴史性を無視したように聞こえるますが
、「日本人」によって「在日」とカテゴリー化され
「在日」があくまでも「ZAINICHI」と発音される限りにおいて
また、「在日」がいつか日本を出て行くよそ者という意味において「日本人」に主体性を奪われていることへの怒り、
その上でアイデンティティクライシスを起こした「在日」という存在が自己を取り戻すこと、アイデンティティを克服することを描いていると思います。その後、杉原が「日本人」になったのか「在日」の歴史性、民族性を受け入れたかは不明ですが。
そう簡単にアイデンティティとは何かと明確に言えないのが、人間らしいと思います。
私のアイデンティティは私の回りの人間の関係性のなかでしかないです。常に流動的です。
私は生まれてから民族名・本名でした。私の意志ではありません。私の固有名については
デリダの哲学を参考にこれから書いていきたいと思います。
あと、最後に映画「GO」での正一のセリフ
ちなみに「アイデン&ティティ」はみうらじゅん原作、クドカン脚本の映画です。
ここでの麻生久美子は賛否両論あると思います。クドカン好きですね。同じ故郷なもんで。
前々から書こうと思ってましたが、やっと書く勇気が出ました。
公安に睨まれようが構いません。
私は先月、二回国会裏議員会館前で座り込み、寝込みを身体が不自由な友人たちと参加しました。
前から付き合いのある友人に毛布と寝袋を運ぶためだったか私も政府、与党に怒りを感じ、シュプレヒコールもしました。とにかく身体の不自由な人がただでさえ住みにくくなってるこの社会において弱者を切り捨てるこの優生思想の塊のような法案は即刻廃案すべきであリます。
こんな法案が通ったら、障害者の生活は破綻(はたん)してしまう」「一歩一歩築いてきた障害者の生活を三十年前に戻すものだ」「もともと予算が不十分だ」―。とういう身体の不自由な方たちの怒りの声。
現在、障害者福祉を大きく転換させる障害者自立支援法案が国会で審議されています。しかし、そこに盛り込まれた障害者の自己負担増、サービス切り下げは、障害者の自立を支援するどころか阻害する可能性が高いです。廃案もしくは抜本修正を行うべきであります。
同法案は、障害の種別(身体、知的、精神)で分かれていた福祉サービスの枠組みを一本化するほか、障害者施策の基本事業を「義務的経費」に位置付け、国の責任を明確化。サービス提供主体を市町村に一元化し、都道府県と国の負担も定めています。
しかし、問題なのは、福祉サービス利用料について、これまでの所得に応じた負担(応能負担)から、一割の定率負担(応益負担)に変えることである。食費や光熱水費も自己負担になる。負担の上限はあるものの、試算した障害者からは「これでは自立できない」という悲鳴が上がっています
。
少し考えれば分かることだが、障害の重い人ほど働くのは困難で収入は少なく、サービスの必要性は高まります。定率負担では、障害の重い人ほどサービスの利用が困難になってしまいます。福祉サービスとは、障害者が人間らしく生きるための最低限のニーズを満たすための援助であり、障害者の権利でもある。必要な人に、必要な量が提供されなければならないです。
定率負担導入のほかにも、ホームヘルプの上限設定、グループホーム利用での障害の程度による振り分け、ガイドヘルプの市町村任せ、精神障害者の通院公費負担の見直しなど、数々の問題点が指摘されています。支援費制度の導入から、まだ二年という朝令暮改。そして、当事者の障害者、現場の市町村と十分な議論も行わず、性急に制度改革に走っている厚生労働省の姿勢にも驚かされます。
定率負担導入の理由について同省は「現状のままでは制度の維持が困難」と財政難を挙げています。しかし、深刻な財政難とはいえ、障害者が生きていけないような国であってよいのでしょうか。同省の役割は障害者を切り捨てることではなく、障害者が人間らしく生きられる社会をつくるための財源について、国民を説得することではないか。国民は決して負担を拒否するようなことはないでしょう。
金がないないと言いますが、なら自衛隊そのものやイラク派遣に予算を割くくらいならもっと政府・与党は
考えて欲しいです。
とにかく自国民の「弱者」をどんどん切り捨てていけば、結局日本のマジョリティも切り捨ての対象になり、
もっと言えば時の為政者・権力者も自分の首を絞めることになるだろう。
映画「オペレッタ 狸御殿」
見ました。先週の土曜に。どちらかというとナタリーの出ている「クローサー」か「Zガンダム」を
みたかったのですが、オダギリジョーも好きなので、サークル仲間と見に行きました。
監督はあの鈴木清順!今年齢85歳! 黒澤明、小津監督に次いで世界が認める日本の映画人です。
そして、オダジョーと共演するのはアジアンビューティーのCMでおなじみのチャン・ツィ・イー です。。
オダギリジョーは最近「アカルイミライ」(黒澤清)以降、「血と骨」とか「パッチギ」など脇役ばかりでしたが
久しぶりの主役です。
内容は単純明快で、風邪で調子が悪かった私も気楽に楽しめました。
あと、あの清順の独特のカット、意味のないコマ、セリフ回しなどもありましたが、他の作品にくらべれば
多くの人に受け入れられると思います。
しかも、最近命日でTVで特番組まれるあの歌姫もデジタルで出演します。驚きです。
パパイヤ鈴木、山本太郎、薬師丸ひろ子、など出演人もすごいのですが、
由紀さおりが凄いです。彼女の歌はほんとうに素晴らしい。
またツィ・イーの歌も可愛かったです。
あとはあらすじのコピペです。
美も富も名声も全て一番を追求するがらさ城城主の安土桃山は、ある日、手下でもある切支丹の予言者・びるぜん婆々による予言を聞いて唖然とした。その予言は、城主の世継ぎである彼の息子・雨千代が間もなく父の美しさを凌ぐ、というものだった。自分の意にそぐわない者は妻でさえも追放した安土桃山は、雨千代も妻と同じく迷えば生きて帰れないという霊峰・快羅須山へ棄てることを決意。だが、その謀略を運良く免れた雨千代。やがて彼は、わけあって唐の国から狸御殿に招かれている美しい狸姫と出会い、たちまち恋に落ちるのだが…。