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'08.03.09 (日)

堕天使アカボル

 

引き続きエクソシズムの記録を読んでいます。(ひく人はひくがよろし... 笑)

以下、Warnings From Beyond Part 1 of 3 1975年8月14日 からの抜粋です。自称、座天使の位からの墜落者、堕天使 "アカボル" なる "何か" が (私はやはり霊だと思いますが)、祓魔式中、次のように言ったということです。(強調は管理人)


手による聖体拝領について:

「我々は今行なわれている手による聖体拝領の導入に成功するために、非常に長い間、下で〔下を指差す〕頭を絞った。 手による聖体拝領... 手による聖体拝領は、地獄にいる我々にとってはとても良いものだ。」

「彼女 (聖母) は私がこのことを語るのを望んでいる... もし彼女、この偉大なる婦人が今も地上に生きていたならば、彼女は聖体を口で、また跪いて受けるであろう。そして彼女はこのように〔動作をする〕深々と頭を下げるであろう。

「私は、聖体拝領は手で受けられてはならないということを言わねばならない。教皇自身は口に聖体を授ける。彼は聖体が手の上に与えられることを全く望んではいない。そのやり方は枢機卿達から来たものだ。」

従順について:

「多くの司祭達が従順ということを口にする。しかし、この時代にあっては、現代主義的な司教達には従う必要はない。この時代はキリストが『多くの反キリストと偽預言者が立つであろう』と言った時代である。
その者達(現代主義者である司教達)が偽預言者である。人はその者らを信じてはならないし、その者らを信じる権利も一つもない。間もなく、人はもはや彼らを信じられなくなるだろう。何故なら、彼らは... 何故なら、彼らは... あまりに多くの新しいものを導入したからだ。我々は彼らの中にいる。下の世界〔下を指差す〕から来た我々が、彼らの心を掻き回してやったのだ。しかしそれ以前に、我々はカトリックのミサを破壊する方法について大いに頭を絞っていた。
これは、今から100年以上前にカタリナ・エンメリッヒが言ったことだ。『それはローマでのことです... 』 彼女は幻の中でローマを、バチカンを見た。彼女は、それの全体がすっかり深い堀によって囲まれているのを見た。そして、堀の向こう側に信仰を持たない者達が立っているのを見た。ローマの中心、バチカンの中心には、カトリック教徒達が立っていた。彼らは、彼らの祭壇、聖像、聖遺物など、ほとんど全ての物を、深い深い堀の中に投げ入れた。それが上までいっぱいになるまでだ。そして、それが今の時代だ。〔恐ろしい声で叫ぶ〕
そして、その堀がいっぱいになった時、他宗教の者達が実際にそれを渡ることができた。彼らは行き交い、バチカンの中を見て回った。彼らは、いかにカトリックが、この時代のカトリックと現代的なミサが、彼らに与えるものが少ないかを見た。彼らは頭を振って、背を向け、そして去って行った。そして、お前達カトリック教徒の中には、彼ら異教徒達より先に教会を去るほどに馬鹿だった者達が沢山いたものだ。しかし、彼ら異教徒達といえども、お前達と同じ方向にただの一歩さえ歩を進めたわけではない。

典礼ついて:

「ミサ、真のミサ、トリエント・ミサでは、十字を切る動作が33回あったものだ。しかし今のミサでは、それは非常に少なく、時々は2回、全てがうまく運んで3回だ。そしてミサの最後で、祝福を受けるために、お前達は跪くことを要求されもしない。〔叫び、絶望したように泣く〕お前達は、我々がどのように跪くか... どのように膝を折るか... もし我々がまだそうすることができるなら... それが分かるか?
〔司祭:ミサ聖祭で33回の十字を切る動作があるというのは、正しいのか? ... の聖名によりて、真実を告げよ!〕
もちろんそれは正しい。それは義務でさえある。それがそのように行なわれた時は、我々はそこにはいない。我々は教会から逃げることを余儀なくされる。しかし、今日行なわれているようなやり方では、我々はそこにいる。『灌水式』もまた回復されなければならない。灌水式の時、我々は聖水が散布され香が焚かれる前に逃げなければならなかった。香を焚くことも再開されなければならない。そして、ミサの後の、『大天使ミカエルへの祈り』、三回の『アヴェ・マリア』、そして『サルヴェ・レジナ』の祈りも再び言われなければならない。」

平信徒は聖体を配布してはならない。〔恐ろしい声で叫ぶ〕 絶対にだ! 修道女でも、修道士でも、決して! もし女や平信者がそれをすることができるなら、その時お前は、キリストがこれを使徒達に委ねたと信じることができるのか?〔うなり声をあげる〕 いかに私は言うことを強いられていることか!


(管理人)

私の霊魂は-----大したことないけれど-----この "何か" の口から出ることに、ひどく共鳴するようです。(どうしましょ。)

「しかし、彼ら異教徒達といえども、お前達と同じ方向にただの一歩さえ歩を進めたわけではない」 !!!
この、悪魔 (...でしょう、やっぱり) の口から出ることに、"痛悔さ" さえ覚える私です。エキュメニズムが良いと信じて疑わないあらゆる司教様達に、枢機卿様達に、そして教皇様にも、お聞かせしたいです。(相手にされないでしょうけれども。)

別の場所で、それはこう言っています。
「我々が地上にいたら、それほど (お前達ほど) 愚かではないであろう。」


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