足利事件
【事件概要】
1990年5月12日、栃木県足利市で、市内のパチンコ店店員Mさん(当時33歳)の長女・真実ちゃん(4歳)が、父親がパチンコをしているあいだ店の駐車場から行方不明となり、翌日、近くの渡良瀬川河川敷で遺体となって発見された。
91年12月2日、DNAの結果、真実ちゃんの下着についていた精液と一致したことから市内の幼稚園バス運転手・菅家利和(当時45歳)が逮捕された。
菅家利和
【独り遊び】
1990年5月12日、栃木県足利市山川町のパチンコ店店員・Mさん(当時33歳)の長女で保育園児の真実ちゃん(4歳)が行方不明となった。
Mさんは勤務先とは別のパチンコ店「ロッキー」に真実ちゃんを連れて行っていた。Mさんがパチンコに夢中になっているあいだ、真実ちゃんは駐車場で遊んでいた。午後6時30分〜午後7時ごろの間に駐車場に女児がいるのを従業員が目撃している。真実ちゃんはいなくなる直前、なぜか「友達が来る」と話していたという。
午後8時ごろ、Mさんは真実ちゃんがいないことに気づき、9時45分頃に足利署に届け出た。
13日午前、同市岩井町の渡良瀬川左岸の河川敷のアシの茂みで、女児の全裸遺体が見つかり、真実ちゃんであると判った。真実ちゃんは投げ捨てられたように、頭を下向きに倒れており、死因は首を絞められたことによる窒息死だった。
警察犬による捜査によると、真実ちゃんはパチンコ店脇の道路を東へ約4000m進み、四つ角を右折して渡良瀬川の堤防石段を上がっていた。つまり、車で連れ去られたのではなく、徒歩か自転車で連れ去られていたことになる。真実ちゃんが1人で自発的に堤防に行き、そこで何者かに殺害されたことも考えられるが、4歳の子供が歩いていくには距離があることや、当日の午後8時過ぎ、オートバイに乗った高校生が、自転車の荷台に女児を乗せた中年男とすれ違っており、この女児が真実ちゃんと酷似していることから自転車で連れ去られた可能性が高い。
その後、18日までに遺体発見現場から40m離れた川の中でスカートとサンダル片方が、30m南の草むらで赤い靴下片方、アシの茂みで下着上下が散らばって捨てられているのが見つかった。下着には精液が付着しており、これから犯人の血液型は「B型」とわかった。
【2つの事件】
真実ちゃん事件が起こる前の79年と84年に、足利市内で似たような事件が起こっており、ともに未解決となっていた。
79年の「万弥ちゃん誘拐殺人事件」は渡良瀬川近くで全裸となって遺棄されているところが、84年の「有美ちゃん誘拐殺人事件」とはパチンコ店から連れ去られているところがそれぞれ共通している。
◆万弥ちゃん誘拐殺人事件
79年8月3日午後2時過ぎ、同市の福島万弥ちゃん(5歳)が同い年ぐらいの男の子と渡良瀬川方面に歩いていくのを目撃されるのを最後に行方不明となる。6日後、最後の目撃場所から2km下流の渡良瀬川河原で全裸でリュックサックに詰められ死んでいるのが発見された。
このリュックサックは、市内の業者が50年〜55年の間に登山用に作っており、特殊仕様で数10個しか売られていなかった。
また、行方不明になる直前にはトレパン姿の30歳ぐらいの男と話しているのを近所の主婦が目撃している。
◆有美ちゃん誘拐殺人事件
84年11月17日、同市大久保町の幼稚園児・長谷部有美ちゃん(5歳)が、家族で出かけた市内のパチンコ店「大宇宙」から行方不明となった。
有美ちゃんは両親がパチンコをしているあいだ、店内や店の外で遊んでいたが、いつのまにか姿が見えなくなった。両親がいないことに気づいたのは午後6時ごろで、店の周囲を探し回ったが見つからず、足利署に届け出た。
4日後、有美ちゃんの通う幼稚園に、有美ちゃんと見られる女児と40〜50代ぐらいの男からの電話が入る。
電話を受けたのは園長で、1回目は午後4時過ぎで、女児の声で「せんせい・・・」と言っただけで切れた。その3分後、再び電話が入り、女児は「せんせい、いま、こうせいびょういんにいる」と泣き声で訴え、続いて男が有美ちゃんの自宅の電話番号を聞いてきた。
午後4時21分頃、今度は有美ちゃんの自宅に電話が入る。女児は「たすけてちょうだい」とか細い声で話し、父親が所在を問うと「佐野のこうせいびょういん」と答えた。
通報を受けた足利署はすぐに佐野市の「佐野更生病院」、足利市の「更西病院」、さらに群馬県桐生市、館林市の厚生病院に捜査員を急行させたが、有美ちゃんの姿はなく、捜査本部は後にこれをイタズラ電話と断定している。
86年3月7日、有美ちゃん宅から1.7kmほど離れた同市大久保町の市立大久保小学校東側の畑で、飼い犬がさかんに土を掘ろうとするので、畑の所有者が掘ってみたところ、女児の衣類が見つかった。
翌朝から捜査員がこの畑を発掘捜査してみると、他の衣類と子供の白骨死体が見つかり、これが有美ちゃんであることがわかった。
【浮上したバスの運転手】
真実ちゃん事件の後、足利市及び近隣の県に住む変質者を中心に捜査された。この中で捜査員は市内に住むバス運転手・菅家利和(当時45歳)の噂を耳にする。
菅家は幼稚園の送迎バスの運転手をしていたのだが、「子供を見る目が怪しかった」という証言があった。また軽い障害があり、血液型は犯人と同じB型、パチンコ好きだった。捜査員はその後1年にわたって菅家をマーク、尾行中に菅家が捨てたティッシュペーパーを拾い、DNA鑑定にまわした。
菅家は幼稚園では空き時間に子どもと遊び、ふざけて園児からは「変なオジサン」と呼ばれて慕われていた。
しかし、90年3月に11年間勤めていた同園を退職し、4月には有美ちゃんがかつて通っていた別の幼稚園に移っていた。
91年12月1日、捜査本部は真実ちゃんの下着に付着していた精液とDNA型が一致したことから菅家から事情聴取した。菅家は「事件当日はパチンコには行かず、午後3時以降はずっと家にいた」とアリバイを主張したが、翌日犯行を自供したため逮捕した。
DNA鑑定・・・・「DNA鑑定」は日本では89年に導入された。これはDNAの塩基配列が1人1人違っていることを利用しているが、実際の鑑定で着目するのはDNAの1部分のみで、その部分に限れば「同型」と判定される人も複数でてくる。このことから、まだ指紋ほどの決定的な方法ではないと言われている。
菅家の自白によると、事件当日、真実ちゃんを自転車で連れだした後、殺害し、マスターベーションを2回した後、衣類などを捨てたのだという。
12月4日、菅家は79年に起こった万弥ちゃん誘拐殺人容疑で再逮捕された。しかし、この事件については年が明けてから起訴処分保留とし、後に書類送検している。
【裁判】
93年2月26日、万弥ちゃん、有美ちゃん事件について不起訴が決定。
同年5月末、菅家は事件当日のアリバイを主張する内容の手紙を弁護士に送り、以後一転して無実を訴え続ける。
同年7月7日、宇都宮地裁・久保眞人裁判長は「自らの性欲を満たすために幼児を殺害した犯行の動機は常軌を逸したもの」と菅家に無期懲役判決。DNA鑑定については「一致する確率は100人あたり1.2人の頻度でしかない。これまでの鑑定でも、誤りや、問題は生じていない」とした。
二審公判では自白の矛盾やDNA鑑定の問題点が明らかにされた。(詳しい内容は下記リンク先「足利事件」参照のこと)
96年5月9日、東京高裁・高木俊夫裁判長は「DNA鑑定の証拠能力に問題はなく、自白も信用できる」と控訴棄却。
00年7月17日、最高裁・亀山継夫裁判長は上告棄却。無期懲役が確定した。
【冤罪だとすれば・・・・】
96年7月7日、足利市と隣接する群馬県太田市で、両親がパチンコしている間に店内で遊んでいた女児(当時4歳)が連れ去られるという「横山ゆかりちゃん事件」が起こっている。その手口は有美ちゃん事件、真実ちゃん事件と酷似しており、年齢も近い。そして連れ去った男はおろか、ゆかりちゃん自身もいまだ見つかっていない。菅家の主張するように、足利事件が冤罪だとすれば、真犯人は犯行を重ねている可能性は高い。
リンク
足利市の位置
http://map.yahoo.co.jp/address/09/index.html
足利事件
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/index.htm
≪参考文献≫
三一書房 「魔力DNA鑑定 足利市幼女誘拐殺人事件」 佐久間哲
春秋社 「平成『事件』ブック」 山崎哲 草思社 「幼稚園バス運転手は幼女を殺したか」 小林篤 竹書房 「迷宮!逆転!意外! 衝撃犯罪解決の真相」 犯罪追跡科学研究班・編
東京法経学院出版 「明治・大正・昭和・平成 事件犯罪大事典」 事件・犯罪研究会・編
同文書院 「図解 科学捜査マニュアル 血液・指紋鑑定から、復顔法、プロファイリング」 事件・犯罪研究会編 二見書房 「『鑑識の神様』9人の事件ファイル 世界に誇る日本の科学警察」 須藤武雄・監修 毎日新聞社 「語りだすDNA」 佐藤峻 中原英臣
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