足利事件DNA鑑定の問題    2008.2.16 | 日記 | 日記 » 一般

 最近の刑事裁判にはなんとも納得のいかないものが多い。刑事事件では「疑わしきは被告人の利益に」といわれる。1975年の最高裁白鳥事件再審決定でも,この「疑わしきは被告人の利益に」という原則を適用している。しかし足利事件では新たなDNA鑑定を調べもしないで却下するという暴挙に出ている。どうも裁判所自体がこういう原則を破っているとしか思えない。
【足利事件の概要】
 1990年5月12日栃木県足利市で松田真実ちゃん(当時4歳の女児)が行方不明になり,翌日渡良瀬川の河川敷で遺体となり発見された。1991年12月真実ちゃん殺害などの容疑で,幼稚園バスの運転手菅家利和(当時45歳)が逮捕された。逮捕の決め手は,女児の下着に付着していた体液のDNA型と,菅家受刑者のDNA型が一致したことである。なんと今では普通に言われるDNAだが,実はこれが日本のDNA鑑定によって初めて犯人が突き止められた事件なのだ。その結果菅家利和は無期懲役になった。
【DNA鑑定の問題】
 日本大学医学部(法医学)の押田茂實教授は,当時の(証拠である下着に付着した精液)のDNA型と菅家受刑者の受刑者の髪の毛から採取したDNA型が違うという鑑定結果を出した。押田教授は言う。「可能性は2つある。1つは当時のDNA鑑定が間違っていた。もう1つは真犯人でない人を捕まえていた。どちらも大問題なので書類にして裁判所に提出した」
【再審請求の結果】
 弁護側は「当時のDNA鑑定は精度が低く誤った疑いがある」と主張,押田鑑定書を宇都宮地裁に提出した。しかし,2月13日再審請求は認められなかった。理由は「押田鑑定については毛髪が請求人(菅家受刑者)のものかどうかわからない」ということで判断しなかったというのだ。裁判長は「押田鑑定の毛髪が菅家受刑者のものとする証拠がない。科警研のDNA鑑定の証拠力を何ら減殺されるものではない」とした。
【問題点】
 この裁判長の言葉を聞いて,私は「またもや裁判所と警察(科警研)のかばい合いか!」と直感的に感じました。もし本人のものかどうか疑わしいのなら,もう一度最新の技術で調べてみること(このかばい合い体質を考えると,警察側,弁護側両者の立会いがいる)を裁判所が両者に要求すればいいと思う。何も再審請求を却下する必要はないと思うのです。TVの弁護士の解説によると「再審はそれまでの証拠で決定されるもので,新たな証拠などには関与しない」という。しかし,今回の場合はそれまでの証拠それ自体の問題を提議しているのだから,その理屈は通らない。そして弁護士の言うように「新たな証拠に関与しない」というのなら,それこそ法律の不備であると思う。それまでの証拠だけで判決がかわるというのなら,検事や弁護士の能力や,判事の判断によって(刑期の長短ならわからないでもないが)どうなるかわからないということになる。それで有罪か無罪かが違っては冤罪が起こるのはあたりまえであると,妙な納得をしてしまう。だから三審制になっているのだろうが,再審に新しい証拠が意味をなさないということは,理解を通り越して怒りすら憶える。

■兄が拘置所で弟に会って初めていわれた言葉
「俺はやっていないんだ」「俺がこんなむごいことできるわけないんだ」
■家族に当てた手紙
真犯人は別にいます。もう一度DNA鑑定をしてほしい。」
■記者の疑問点
菅家受刑者が真実ちゃんを乗せて自転車で通ったとされるところには,同時刻帯に野球をしていた何人かの知人がおり,誰も目撃はしていない。
自転車を降り手をつないで歩いているうち,いたずらをする気になったが,騒がれると困ると思い真実ちゃんの首を両手で締めて殺害したと供述している。しかし,解剖所見は「首の後ろを片手で抑えられ,水面に顔面をつけられ殺害された」となっている。
供述によると,犯行後,菅家受刑者は午後7時45分スーパーでおにぎり,メンチカツ,缶コーヒー5本を買い帰宅したという。ところがそのスーパーで同じ物品を買ったレシートの記録はなかった。(警察は裏づけが取れなかったのだ)
■なぜ嘘の自供をすることになったのか。兄が弟から聞いた話
刑事に「おまえみたいな馬鹿はいない」といわれ,頭の毛を引っ張られ,「犯人なんて誰でもいい」と刑事に言われた。それで足利の警察に「俺がやりました」と言ったという。次の接見で兄が「どうにでもなれやという気持ちになったのか」と聞いたら,「うーん」とうなだれていたという。

 当時,北関東には5件の少女誘拐殺人があった。菅家受刑者は1979年(11年前)の事件と1984年(6年前)の事件(共に5歳の少女の殺害事件)2つを全面自供したにもかかわらず,宇都宮地検は嫌疑不十分で不起訴とした。一審裁判が進む中,菅家受刑者は一転容疑を否認するが,犯行を認め情状酌量をえるという弁護方針に逆らえず,検察側の証拠をほぼ認めてしまった。一審宇都宮地裁:無期懲役,二審東京高裁:控訴棄却,三審最高裁:上告棄却,そして今年の2月13日再審請求は退けられた。  菅家受刑者は「真犯人は許せない。自首してほしい」「真犯人は見つかってほしい」「これからも無罪になるまでがんばりますので,よろしくお願いします」と弁護士に語ったという。また,押田教授が言うには「アメリカで死刑判決が出たケースについて,大学の法医学の先生とDNAの検査をする人が検討してみたら,実際には犯人でなかったという事件が続出した」と言い,第3者による鑑定の重要性を訴えている。本事件は日本ではじめてのDNA鑑定が逮捕の決め手になり,最高裁がDNA鑑定の証拠能力を認める初の判断を下した事件である。ここらへんに検察・裁判所のかたくなな態度をかんぐりたくなってしまう。ところがこの鑑定は当時の科警研発表のデータの精度を考えると「当時の足利市の男性8万3千人中,同じDNAに該当する人は100人~450人ぐらいになるという程度の精度でしかなかったという(佐藤博文弁護士の論文から)。
  弁護側 裁判所 問題点
DNA型鑑定 押田鑑定書を提出
(別人の可能性がある)→残存するもので再鑑定を!
押田鑑定の毛髪は本人のものとする確たる証拠はない
→本件DNA鑑定を減殺させるものではない
ならば本人の毛髪を再鑑定して同じであることを検察側に証明させればよい
殺害方法と死因 自供:正面から両手で首を締める窒息死
鑑定結果:背後から片手で→水につけた溺死
死因などに関する確定判決の認定に合理的な疑いを抱かせるものではない 非常に不合理
自供と鑑定の違いに疑問を抱かないのは異常な判断である
他の事件の自白
1979年と1984年
他の2つの事件を自白しているのに不起訴とした→自白が虚偽であれば本件の自白も信憑性に疑いがある たとえ別件の自白が信用できなくても本件の自白の信用性に直結するともいえない 信用できるものとできないものの区別をしている根拠がない→むしろ自白を強要されたと考えたほうが自然
2/14 (TV asahi) 
 この事件は,目撃情報がない,本人の自供のみ(それも食い違いがある),結局はDNA判定のみが証拠になるという問題点がある。それも当時の精度の低いDNA鑑定がそのまま通っている。
 もし裁判所が本当に真実を追究する気があるなら,再審棄却ではなく,有罪の唯一の根拠であるDNA鑑定を検察・弁護立会いの元で再鑑定すべきである。そして自供と鑑定の食い違い(殺害方法,スーパーでの購入記録のなさ)についても捏造の疑いがある。こういう問題に対しても,冤罪阻止のためにも,最新技術でDNA鑑定をやってみればいい。そして,もし菅家受刑者のものと一致しなかったら,今回の門前払いをした裁判官はすぐさま罷免(免職)すべきである。最近の裁判はどうも正義がなくなり,面子やかばい合いが横行しているような気がしてならない。

 おりから鳩山法務大臣が「志布志事件は冤罪とはいえない」と言った。冤罪とは「無実であるのに犯罪者として扱われること」を指し、推定無罪の原則からすると、「裁判において有罪とされ、この判決が確定の場合に限り該当する」という定義から考えると,用語の使い方としては正しいと思う。志布志事件は事件そのものが警察の捏造であり,「無実であるのに犯罪者として扱われること」という意味では冤罪といえるが,「裁判において有罪とされ、この判決が確定の場合に限り該当する」という意味では無罪となったので冤罪ではないことになる。ただし,それを言うなら報道の仕方(有罪となるまで犯人扱いをするな=報道できない)にまで言及すべきだ。これ相当ややこしいことになる。しかし,そんなことよりも法務大臣としては,なぜ警察があんなでっち上げをしたのか,選挙との関係などを明らかにすべきだろう。相当古くからの根深いものがあるようだ。そして,被疑者とされた人の救済(謝罪と名誉回復)と,でっち上げた警察,刑事,検察(その他の選挙にからむ人の)責任追及の方が大切だ。犯罪を捏造したとして処罰すべきだ。そして,今回初めて知ったことだが,再審はそれまでの証拠で決定されるもので,新たな証拠などには関与しないという。それは鑑定技術が進んだ今は通用しない。すぐさま法的な不備は,正すべきである。これらは法務大臣の職務でしょう。