明治についての掲示板

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おまけに  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月17日(日)11時44分46秒   返信・引用
  大体、「余はこの危急の際、徒に弁論討議に日子を空費するの無益なるを感じ、内閣同僚の意見に従い、・・・電訓を発した。」は、コールドウェルの解雇問題についてですが。
( ´H`)y-~~
 

(無題)  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月17日(日)10時31分29秒   返信・引用
  内閣のメンバーが ああだこうだとうるさいので、とりあえず電訓を発した>それは日本政府の意思という事になるのでは?
( ´H`)y-~~
 

進歩ですか  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月16日(土)02時43分52秒   返信・引用
  > No.43[元記事へ]

「貴下のように無批判のままでは、全く進歩するとは思えませんが」とあります。ご指摘の通りだと思います。私は、日本の歴史について知らない人が多い事、また歴史の事実を捻じ曲げたり、都合の悪い部分を隠蔽したりする勢力がある事、この二点に対して自分の出来る事を考えた結果、このような形で 歴史の真実を示してゆく事を思い立ち、実行しているものです。正しい歴史を、正確な歴史を伝えてゆく事、その為にこのようなページを立ち上げているものです。
さらなる進歩を目指してはいますが、今は歴史学の現状を知り そしてその内容を書くだけで精一杯です。不勉強だと思われる点がある事は承知していますが、あとX年で定年になれば、もっと時間が取れるようになるかもしれません。その時までは こんなペースで進んでゆくしか無いと思っています。

次に、陸奥宗光の『電送第376号』電訓ですが、これはあくまでポーズです。dreamtale様もご存知だと思いますが、蹇蹇録を紐解くとそれは明確になります。簡単に説明すると、大鳥公使は戦争が始まる前の閉塞状況の際、「ともかくも宗属問題にかり破綻を促すの外、他策なしとしきりに主張し」ていました。また、「兵力を以て韓廷に迫り王宮を囲み強いて我が国の要求に応従せしむべし」と主張していました。これに対して陸奥宗光が、「今は断然たる処置を施すの必要あり。何らの口実を使用するも差支えなし。実際の運動を始むべし」と電訓しています。大鳥公使が自分の持論に従った行動をとるのは間違いないと予想しえたはずです。
それではなぜ、陸奥はこのような電訓を発したのでしょう。蹇蹇録にはこう書かれています。「余はこの危急の際、徒に弁論討議に日子を空費するの無益なるを感じ、内閣同僚の意見に従い、・・・電訓を発した。」と書かれています。簡単に言えば、内閣のメンバーが ああだこうだとうるさいので、とりあえず電訓を発したという事になるでしょう。dreamtale様の場合、個別の資料収集と解析は優れているようですので、広い目でみれば、もっと確かな事実が見えてくるでしょう。頑張って下さい。

なお、掲示板を見られる方のなかで、中塚明氏の著書を御覧になられていない方がいらっしゃるかもしれませんので、最近の著書である「現代日本の歴史認識」の「終わりに」の部分の一部を引用しておきます。中塚氏の思想や基本的な考え方を知る手がかりとなると思います。
−−−−−−以下は引用部分−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
・・・・現代日本の歴史認識における構造的な欠落・欠陥をどう回復してゆくか、まずなによりも歴史研究者にその責任が問われています。また、評論家、小説家、思想家、およそ文筆によって社会に働きかけようとしている、総じて言えば「日本の知性」全体も、歴史の事実に根ざして自己の主張に責任を持つことが望まれます。(中略)
 しかし、その前提として、当然、歴史の事実として知っていなければならない事実を、あたかもなかったかのように思い込んだり、偽造された「事実」をそのまま事実としてものを言ったりしていたのでは、対話はなりたちません。
 明治維新以降、朝鮮をはじめアジアに覇を唱え、それを実行した近代日本が、積み重ね踏みかためて、国民一人ひとりに染みついた朝鮮観、アジア観、世界観は、あの敗戦でも根本的には打ち砕かれることなく、いまも力をもち続けています。そうさせたことに日本の知識人も大きな責任があることは本書でも繰り返し私見を述べました。
 そのことについて、日本の歴史研究者はもとより、日本の知識人はもっと自覚的であってしかるべきではないでしょうか。事実の前に謙虚であることは、なにも恥ずかしいことではありません。事実を知ろうとしないこと、ウソの「事実」をあたかも「事実」であるかのように言い続けること、それこそが恥ずかしいことです。
 少なくとも明治維新以降、そして敗戦後の六〇余年をふくめた日本の近代・現代の歴史を事実にもとづいてまじめにふりかえる、その日本人の努力がなければ、近隣諸国の人たちとの歴史認識をめぐる、心の底から通い合う対話が生まれることはむずかしいでしょう。
 最後にもう一度言います。明治以降の歴史をかくすことなく、近代日本のはじめにさかのぼって、事実をしっかりみる、私たち日本人、一人ひとりの日常的な課題として、そのことを考え続けてほしいと私は心から願っています。(以下略)
 

失礼  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月15日(金)21時08分53秒   返信・引用
  ということは、の前に「陸奥外務大臣が指示し」が抜けました。
( ´H`)y-~~
 

(無題)  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月15日(金)21時07分42秒   返信・引用
  貴下のように無批判のままでは、全く進歩するとは思えませんが。

ということは、陸奥から大鳥公使への電訓、1894年7月19日発『電送第376号』中の、「而して我兵を以て王宮及漢城を固むるは得策に非ずと思はるれば、之を決行せざることを望む。」については、「歴史の定説」なるものはどのような解釈をしているので?
( ´H`)y-~~
 

引用なされている文章について  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月15日(金)13時35分29秒   返信・引用
  > No.41[元記事へ]

dreamtale様が引用なされている部分、当然だと思います。基本的な考え方です。その上でなお今回の論点となっている「旅団報告」に引用は必要ないのではとお話させてもらっています。ご指摘の中塚氏は歴史の定説にしたがって記載していますので。

陸奥外務大臣が指示し、大鳥公使が計画して実行した王宮占拠事件。朝鮮国王を手中におさめ、清国軍を追い払う指示を無理に出させた。いやがる大院君を無理やり引きずり出し、日本の言いなりにさせた。これが、歴史の通説であり、その内容にそった記述をした中塚氏の書かれた内容を引用する事に、何の問題も無いと思いますが。
一次資料は勿論大切であり、それが基である事は言うまでもありません。ただ、多くの歴史学の先生方が研究された内容を引用する事は問題ないのではないですか?それが、歴史学の進歩というものですから。

dreamtale様が言われているように、必ず一次資料をということであれば、こういった歴史学の進歩自体を否定することになりませんか?
 

分からない方ですね  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月14日(木)23時17分16秒   返信・引用
  「旅団報告」は例示としてあげたに過ぎませんよ。

>確かに、司馬氏がその小説の中で、資料を操作している部分は存在するでしょう。それは、小説という立場上 致しかたの無いことなのだと考えます。ただ、それを鵜呑みにしてそれだけで全て覚えた、知ったと思うのは間違いなのではないでしょうか?勿論 全ての資料を集められるわけでは無いし、多分一般の人達(自分を含めて)には難しい。それでも興味のある点についてはより深く調べるという気持ちが大切なのでしょう。

という御自身の記述と比較なさっては如何?

逆に、どんな方なら信用ができるとおっしゃられるのですか?>「誰が」ではなく、「何を」という当たり前の事だと思いますが。
「旅団報告」が貴兄にとって最上の資料なのですか?>基本的に一次史料に依拠するのは当たり前の事と存じますが。
( ´H`)y-~~
 

ご返答  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月14日(木)22時39分6秒   返信・引用
  > No.39[元記事へ]

ええ、そのように思ってもらって構いません。基本的に、必要があるものは調べますけど、必要のない「旅団報告」について読む必要を感じませんから。資料批判について書かれていますが、私はその引用した文を書かれた人を信用するという事であり、それ以外ではありません。

何度も書いていますが、中塚氏の書かれたものと、貴兄の拠り所とされている「旅団報告」に何か不一致でもあるのですか?『史料整理もせずに、基礎的な調査もせずに居たわけ』と書かれていますが、中塚氏に確認取られました?証拠も無く、そのような発言をされていると考えてよろしいのでしょうか?
貴兄は、中塚明氏について「信じることは出来ません」と書かれています。それでは、貴兄は中塚氏の書かれたものを読まれたのですか?読んでもその程度の理解力なのでしょうか?逆に、どんな方なら信用ができるとおっしゃられるのですか?「旅団報告」・「旅団報告」といわれますが、「旅団報告」が貴兄にとって最上の資料なのですか?狭いですね。
 

へ?  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月14日(木)18時22分29秒   返信・引用
  私は最初から、「貴方」が「すでにその引用元が歪曲されている可能性について確認はなさったので?」という事についてお話していました。
(今のところ)それ以上でも以下でもありませんが、「旅団報告」のように具体例を挙げてすら、御自身でソースの確認は行わないという結論で宜しいのでしょうか?
( ´H`)y-~~
 

有難うございます  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月14日(木)09時53分45秒   返信・引用
  > No.37[元記事へ]

『旅団報告』については、私は知らなかったので、お尋ねさせていただきました。
「『研究者』に期待している」という事ですが、例えばこの中塚氏の研究に対して期待して読まれた結果下された判断が、「歪曲されている」という判断なのでしょうか?

あと、「何が悲しくて編纂物である草案に当たらなきゃならん」と言われていますが、中塚氏は「草案」を目の敵にしているわけではなく、そのような改竄を行った政府のあり方が問題だと言っているのです。「草案」と「日清戦史」の違いを付き合わせる事から、その問題点をあぶりだす手法の方が、史料整理した内容をそのまま発表するよりもわかりやすいと考え、このような内容となったのでしょう。

なお、前回の発言の際 資料が手元に無かったので引用せず記憶に従って書きましたが、実際の本の内容は以下のようになっています。
「これは一九〇三(明治三六)年七月一日開催の参謀本部の部長会議で、戦史編纂を担当していた大島健一第四部長が提案した文章の一部です。文中にある『漢城ヲ囲ミ韓廷ヲ威嚇セシ顛末』というのは、福島県立図書館蔵の佐藤文庫にある参謀本部で書かれた『日清戦史』の草案に詳細に記述された『朝鮮王宮ニ対スル威嚇的運動』を指していること間違いありません。つまり、『漢城を囲み韓廷を威嚇せし顛末』などを詳しく書いたのでは、『内閣、軍部を統一して指揮する』天皇の大権に疑問を持たせ、宣戦の詔勅と矛盾する疑いが生まれる、こうした叙述は詳しくは書かず改めて編纂しなおし、そこではもっぱら清国(中国)が日本に敵対してきたので、日本はやむなく応ぜざるを得なくなって戦争になった、というように叙述する、という提案なのです。そして『各部長ハ異存ナク第四部長ニ一任スル事ニナリ』と記録されています。」
これは、中塚氏による「現代日本の歴史認識」からの引用です。なお、「これは」と書いてあるのは、防衛研究所図書館蔵の『秘 明治三十五年五月起 部長会議録』の内容を本で引用してあるものを指します。
 

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