明治についての掲示板

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肯諾しかねます  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月25日(月)19時54分9秒   返信・引用
  「肯諾しかねます」
7月18日発19日着の『電受第451号』の「But I shall not besiege Royal Palace until your further instruction.」「然れども王宮を囲襲することは貴大臣より此上の訓令ある迄は差押うべし。」です。
これに対する返事、陸奥宗光の『電送第376号』電訓は、「it is hoped that you will not actually besiege Royal Palace and 京城 as such acts are conceived unwise and impolitic.」「而して我兵を以て王宮及漢城を固むるは得策に非ずと思はるれば、之を決行せざることを望む」です。
「besiege」に占拠或いは占領という意味があるとは初めて知りましたが。
( ´H`)y-~~

×内閣は王宮占拠に対し 否定的な立場をとっていました。
○内閣は王宮包囲に対し 否定的な立場をとっていました。

私は、結果として「王宮占拠」という状態になったのであって、日本政府側は「王宮包囲」の認識であり、且つそれに対しても否定的な立場をとっていたと述べているのです。
私の記述を否定するのであれば、事件以前に「王宮占拠」あるいは「王宮占領」について日本政府が言及している史料の提示をどうぞ、という事です。
お分かりですか?
( ´H`)y-~~

次。
「草案の段階ではどこにも書かれていない。」
草案の元となっている、旅団報告に書かれていますが。
「午前4時半、韓兵発砲せるを以て我よりも応射。小戦始まる。」ですね。
どこにも書かれていないのは、「行進中の日本軍に、いきなり韓国兵が射撃を加えてきた」事、つまり草案ではない方の「日清戦史」の記述否定かと思いますが。

また、用意周到と言われる計画においても、「明23日午前3時半迄に公使より通牒なければ、軍隊は直に出発。王城を脅威す。」であり、「彼れより発砲するときは、正当防禦する事」です。
また、嶋名政雄氏の「乃木『神話』と日清・日露」で引用されている「阿?洞北方高地に砲列を敷き示威す」という部分は、正確には「砲兵は弐番町(阿峴洞の北方高地)に砲列を敷き示威す。」ですね。
「脅威す」「示威す」であり、草案においても「威嚇的運動起こる。」ですが。

という事で、準拠しているのは「七月二三日の王宮占拠後の大鳥公使による電訓「朝鮮政府は本使の・・・電信に述べたる第二の要求に対し甚不満足なる回答を為せしを以て、不得已王宮を囲むの断然たる処置を執るに至り、本使は七月二三日早朝に此手段を施し、朝鮮兵は日本兵に発砲し双方互に砲撃せり」」だけではありません。
勿論、貴下の引用している7月25日付『機密第136号』も、考察の対象には入ってますがね。
( ´H`)y-~~

「これだけの狡猾な手段を大鳥公使が自らの発案で行ったのかどうか、疑問が残ります。」
「朝鮮内政改革の韓国拒絶せられたる時我が執る可き手段に付伺」という書簡『機密第122号』が7月10日付ですので誤解されがちですが、この書簡は到着日が7月17日であり、7月13日に日本を出発した本野参事官は内容を知り得ません。

また、仮に本野に対して「besiege」に関する訓令等が既に行われて居り、更に陸奥がその実行を望んでいた場合、7月18日発19日着の『電受第451号』が届いた時点で、本野の指示に従う訓令、あるいは本野の到着確認が行われるのが普通だと思いますが。
さらに、貴下のおっしゃるとおり、「大鳥公使にとっては、朝鮮政府から「牙山の清国兵を駆逐してほしい」という要請を出させるのが最重要課題」だと私も思いますが、実際には19日に「軍用電線の架設に着手と兵営の設置要求」が行われ、翌20日になって「最重要課題」であるはずの清国兵撤兵についての期限付き要求がなされるわけです。
また、已に本野が到着しているにも拘わらず、19日午後3時に大島が大鳥と面談して協議した結果、清国軍のいる牙山方面へ、行軍の名目を以て進軍する事が決定されています。
これが覆されるのが、20日の午後1時であり、「断然たる処置」をとることになります。
何故、本野の着いた19日には清国兵撤兵についての提議は行われず、20日になって軍の予定を変更してまで行う事になったのか、納得のいく説明をお願いします。
( ´H`)y-~~

この電訓によって「朝鮮兵が先に発砲した」という既成概念が出来上がっていく>既成概念が出来上がるも何も、事件の起きた当日、7月23日に、大鳥は朝鮮政府に対して発砲の問責文書を提出しておりますが。
こう考えていくと>考えてしまいます>恐ろしくなってきます
全く学問的ではない御意見、ありがとうございます。
正直、始めに前提ありきでお話されてるようにしか見えませんが。
( ´H`)y-~~
 

いえ 細かくはありません。  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月24日(日)22時07分50秒   返信・引用
  「王宮占拠」ではなく「王宮包囲」だという話ですが、この点については肯諾しかねます。この事件について、dreamtale様がどういった見解をお持ちかはわかりませんが、事件は以下のようなものでした。すなわち、
「七月二三日早暁三時ごろ、日本軍が城内に入って諸門を固め、市内を巡視する一方、歩兵第二一連隊第二大隊を中心とする「核心部隊」が迎秋門を打ち破って景福宮に侵入、国王を虜にし、王国内の武器を押収、制圧した。」事件であり、外国軍隊が王宮に侵入し、国王を捕えるという空前の暴挙であります。
dreamtale様がおっしゃられている「王宮包囲」とはまったく意味が違います。

さらに「圧力をかけるための包囲だったわけですが、朝鮮兵が先に発砲するわけで」と書かれていますが、福島県立図書館にある佐藤文庫から発見された『公刊日清戦史草案』によれば、これはまったくの捏造であることは明らかであります。わかりやすく書かれている嶋名政雄氏の「乃木『神話』と日清・日露」から その内容を引用してみます。(孫引きとなりますが、原文よりも理解しやすい為の引用です)
====================引用部分=========================================
 王宮占領計画は、混成旅団全体におよび歩兵は小隊に至るまでの詳細さであり、さらに野戦砲兵第五連隊第三大隊は「阿?洞北方高地に砲列を敷き示威す」とあるから、相当に大規模であり用意周到なのである。この『草案』での行動開始の部分を一部引用してみよう。
 「これらの準備全くおわり旅団長は徹夜眠らずして時期を待ちありしが、二十三日午前零時三十分にいたり公使より電報至れり。いわく『計画の通り実行せよ』と。ここにおいてか混成旅団の朝鮮王宮に対する威嚇的運動起こる。実に二十三日なり。〔略〕大島旅団長が公使より電報を受くるや諸隊に向って計画の実行を命じ、且つ人をしてソウル義州間、ソウル仁川間の電線を切断せしめ、以てこのことの早く清国に聞こえんことを予防し、しかして幕僚をひきいて入京し日本公使館に移れり。ここにおいて諸隊は予定のごとく出発し計画を実行したり。」
 王宮占領作戦の中心は武田連隊長の指揮する第二十一連隊の第二大隊である。発売された『公刊日清戦史』記述のように、行進中の日本軍に、いきなり韓国兵が射撃を加えてきたなどとは、草案の段階ではどこにも書かれていない。
 武田連隊長指揮下の部隊は迎秋門に到着したが門扉が固く閉ざされて入れない。北方の金華門を偵察したがここも閉鎖されていた。そこで迎秋門を破壊することにした。工兵小隊が爆薬を仕掛けるが薬量が少なく成功しない。再三試みたが不成功やむなく斧を用いたがこれも成功しない。長い棒を囲壁に立てかけよじのぼって門内にはいり内部より門扉を開けようとしたがこれでも駄目。
 「ついに内外相応じ鋸を用いて『かんぬき』を裁断し、しかるのち斧をもって門扉を破り、辛うじて開門し得たるは午前五時頃なり。」
 夜盗顔負けの荒っぽい、この王宮門の破壊にも警護の韓国兵は有効な戦術的対応を取りえない様子がリアルに記述されている。
 「迎秋門破壊するや河内中尉の二分隊まず突入してこれを守備し、以て第七、第五中隊進入し、第七中隊は吶喊して直ちに光化門に進み守衛の韓兵を駆逐してこれを占領し内より開門せり。しかしてその一小隊はさらに建春門に進み内部より開門す。この間守備の韓兵は一も抵抗する者なく皆北方に向って逃走したり。」
====================引用部分ここまで===================================
dreamtale様が準拠なされているのは、七月二三日の王宮占拠後の大鳥公使による電訓「朝鮮政府は本使の・・・電信に述べたる第二の要求に対し甚不満足なる回答を為せしを以て、不得已王宮を囲むの断然たる処置を執るに至り、本使は七月二三日早朝に此手段を施し、朝鮮兵は日本兵に発砲し双方互に砲撃せり」と思われます。大鳥公使は この事件の結果 清国の手によってソウルと日本との間の電線が切断されるであろうことを想定しています。戦争が起これば、その電送手段を破壊する事が常道だからです。その結果この時期のソウルは 完全に外部から遮断された状態となってしまいました。
大鳥公使にとっては、朝鮮政府から「牙山の清国兵を駆逐してほしい」という要請を出させるのが最重要課題ですから 時間稼ぎになると考えたでしょう。こう考えていくと、大鳥公使が日本に送った「王宮占拠事件」の第一報すら 事前に準備されていたものではないかとも考えてしまいます。この電訓によって「朝鮮兵が先に発砲した」という既成概念が出来上がっていく事をも想定していたとしたら、どれほど計画的だったのか 恐ろしくなってきます。

本野参事官がソウルに到着した後、大鳥公使とどんな打ち合わせをしたのか?
dreamtale様は「軍用電線の架設に着手と兵営の設置要求」と書かれていますが、果たしてそれだけなのでしょうか?これだけの狡猾な手段を大鳥公使が自らの発案で行ったのかどうか、疑問が残ります。
 

まずは  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月23日(土)00時20分18秒   返信・引用
  細かいようですが訂正を。
「内閣は王宮占拠に対し」ではなく「内閣は王宮包囲に対し」です。
また、陸奥の「立場」では無く、「訓令」が「決行せざることを望む」です。

さて、ご質問の件ですが、色々と予想する事は可能ですが、明白な史料が無いため史学的には「分かりません」が正解でしょう。

以下、個人的見解として述べます。
18日晩あるいは19日朝、本野参事官がソウルに到着します。(日付は双方史料あり)
ここで大鳥は本野等と会議の上、19日に軍用電線の架設に着手と兵営の設置要求が行います。
それと同時に、袁世凱が19日突然帰国します。
彼のせいで一向に前進しなかった交渉ですが、道が開けたわけですね。

ところが、奇しくも「決行せざることを望む」という『電送第376号』には、「李鴻章は17営の清兵を朝鮮に派遣する事に決したるが如し。而して其中6営は7月19日或は20日に大沽より発するならんと」という文もあったわけです。
清兵が来れば、そのままなし崩しに戦闘になるか、或いは戦闘にならずとも以前の様に朝鮮は清国よりのままで膠着するわけで。

それまで、回答期限付きの要求をしたことが無かった大鳥も、そのために『電送第376号』の着いた20日に、清兵が大沽から来て上陸する前である22日を回答期限とする、清国軍撤退と属邦問題の提議を行ったのではないか、と。
で、それに対する22日の回答は漠然としたものだったわけで。

そこで大鳥は、蹇蹇録にも「かも知れない」と書かれているとおり、「今は断然たる処置を施すの必要あり。何等の口実を使用するも差支なし。実際の運動を始むべし。」に従うと共に、「決行せざる可し」という禁止表現より弱い、「決行せざることを望む」を秤にかけて、袁世凱の居ない千載一遇のチャンスの方を取り、23日に「猶ほ貴政府より満足なる回答を與へられざるに於ては、時宜に依り我権利を保護するが為め、兵力を用ゆる事可有之」云々という最後通牒的照会を行ったのではないでしょうか。

勿論、圧力をかけるための包囲だったわけですが、朝鮮兵が先に発砲するわけで、以降戦闘突入という形かと。
もし日本側から能動的に戦闘を開始するのであれば、23日の照会に対する返答があった後でなければおかしいですし、最初から戦闘目的であれば23日の照会は不要なわけで。
最後通牒的な照会を行っている日本に対して、発砲で返事という形ですので、日本は戦争状態と判断して王宮占拠という事態まで至った、と。

以上が現状の私の私見。
史料に基づくツッコミは歓迎しますが、「どう思うか」はお任せします。
( ´H`)y-~~
 

遅くなりましたが  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月22日(金)01時47分41秒   返信・引用
  お教えいただきありがとうございます。
ところで、dreamtale様がおっしゃるように 内閣は王宮占拠に対し 否定的な立場をとっていました。しかも、大鳥公使は指示を待つと電訓。陸奥も「決行せざることを望む」という立場だったとすれば、いったいどうして王宮占拠事件が起ってしまったのでしょう?
不思議な話です。
 

どこと言われましても  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月19日(火)18時36分32秒   返信・引用
  史料を網羅的に読んでるだけで、論文や本やサイトは、自分の知らない史料が無いか、又は何の史料を元にどのような主張がなされているか確認する程度ですので。
強いて言えば、アジア歴史資料センターと国立国会図書館ですかね。
勿論、先日お教えしたとおり、貴下でも確認できます。

ただ、総ての史料があるわけではないので、その辺をどう補完していくかですね。

ちなみに、トップページ左側に「B03030022400」と打ち込めば、蹇蹇録も見ることができます。
( ´H`)y-~~
 

いくつかお聞きしたいのですが  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月19日(火)08時34分20秒   返信・引用
  > No.51[元記事へ]

dreamtaleは、この情報をどこから入手しているのですか?その入手先は どこで運営しているところなのでしょうか?
私でも、見れるようなものなのですが?
初歩的な質問で申し訳ありません。
 

失敬  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月18日(月)18時32分49秒   返信・引用
  ああ、失敬。
第十章からの引用でしたか。
第九章からの引用と勘違いしておりました。

大鳥の訓令違反を擁護してる場面ですね。
「今は断然たる処置を施すの必要あり。何等の口実を使用するも差支なし。実際の運動を始むべし。」と電訓したり。
同公使は、最早何等の口実を撰ぶも亦全く彼の自由に属するを以て、彼は既に自ら相当なりと信ずる方針を実行したるやも計られず。

何でも良いから開戦口実を探せという電訓に依って、大鳥は自分で相当なりと信じる方針を実行したのかも知れない。

かもしれない、ですし、実際のその際の訓令は「After the failure of British mediation at Peking it is now necessary to take decisive steps.Consequently you will commence active movement on any pretext taking care to choose what are least liable to criticisms in the eyes in the world.」なわけです。
蹇蹇録の中では、第六章の「七月十二日大鳥公使に向ひ、北京に於ける英国の仲裁は已に失敗したり。今は断然たる処置を施すの必要あり。苟も外間より甚しき非難を招かざる限りは何等の口実を用ゆるも差支なし。速に実際の運動を始むべしと電訓せり。」が元の電訓に一番近いですね。
ということで、「苟も外間より甚しき非難を招かざる限りは」という注釈のついた訓令なわけです。

且つ、陸奥宗光の『電送第376号』電訓ですが、その前日、7月18日発19日着の『電受第451号』の「But I shall not besiege Royal Palace until your further instruction.」「然れども王宮を囲襲することは貴大臣より此上の訓令ある迄は差押うべし。」に対する返事なわけです。
で、翌19日に「これを決行せざることを望む」という訓令が出されたわけですが、一体どこからどこまでが貴下の言われる「陸奥のポーズ」なのですか?
( ´H`)y-~~
 

再度引用します  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月18日(月)08時36分7秒   返信・引用
  > No.49[元記事へ]

誤解の無いように蹇蹇録を再度引用します。
「・・・故に余は座上の議論はともかくも、実地においては今後韓地における成行き如何を見て臨機応変相当の措置を施すの外、最早何事をなすの暇なしと主張したれども、内閣同僚はかかる重要の事体に処するは十分に慎重の念を加えざるべからずとなし、今一応大鳥公使に電訓して警戒する所あるべしというの説多かりし。余はこの危急の際、徒に弁論討議に日子を空費する所あるべしというの説多かりし、内閣同僚の意見に従い、七月十九日を以て、大鳥公使に向かい更に一の電訓を発したり。その要概は、『貴官は自ら相当と認むる手段を執らるべし。しかしながら兼て電訓し置きたる通り、他の外国との紛擾を生ぜざるよう十分注意すべし。我が軍隊を以て王宮および漢城を囲むは得策に有ずと思考するが故に、これを決行せざることを望む』との意を以てせり。・・・」

これが、「コールドウェルの解雇問題」についてですか?dreamtale様が書かれた内容だとするなら 陸奥は蹇蹇録に嘘を書いたということですね。だとすれば、陸奥は嘘に嘘を重ねた まさに度し難い人物という事になりますよね。ちなみに私は、この分は嘘とは思っておりませんので、「コールドウェルの解雇問題」というのは、dreamtale様の勘違いだと思います。

陸奥外務大臣が指示し、大鳥公使が計画して実行した王宮占拠事件。朝鮮国王を手中におさめ、清国軍を追い払う指示を無理に出させた。いやがる大院君を無理やり引きずり出し、日本の言いなりにさせた。
この内容で、全く問題ないと考えます。dreamtale様がおっしやられるように、「我が軍を以て王宮・・・これを決行せざることを望む」というのは、日本政府の意思です。しかし、陸奥の意見では無いということです。私が書いている意味はお分かりですよね。「それは日本政府の意思という事になるのでは?」という発言は 私の意見通りだということになります。
 

ええ  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 2月17日(日)22時54分33秒   返信・引用
  読んでおりますが、何か?
ちなみに、「今は断然たる処置を施すの必要あり。何らの口実を使用するも差支えなし。実際の運動を始むべし」の電信の原文は、7月12日付「After the failure of British mediation at Peking it is now necessary to take decisive steps.
Consequently you will commence active movement on any pretext taking care to choose what are least liable to criticisms in the eyes in the world.」
ですが、何か?
( ´H`)y-~~
 

困りましたね  投稿者:管理人  投稿日:2008年 2月17日(日)22時40分48秒   返信・引用
  > No.47[元記事へ]

困りました。蹇蹇録読まれました?読んでなお、その程度の理解しかできませんか?
 

以上は、新着順31番目から40番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  |  《前のページ |  次のページ》 
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