明治についての掲示板

明治についての掲示板ですが、何か気になる事・知りたい事・話たい事、いろいろ書き込み歓迎します。

    >>teacup.プロフ<<(*^。^*)楽しい!?仲間がいっぱい(*^。^*)>>teacup.プロフ<< Reload


投稿者
メール
題名
   
内容
(自動改行します。利用可能タグ一覧
画像
URL
 
 
キーワード: 近代 歴史 自由民権

 [ >>プロフ♂友検索<< ]  [ パソコン・テレビ無料処分 ]  [ プロフ検索で○○友探す? ]  [ おこづかいブログパーツ! ]
teacup. ] [ ブログ ] [ 無料掲示板 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログパーツ ] [ プロフィール ]

全86件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  |  《前のページ |  次のページ》 

(無題)  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 3月 7日(金)19時07分28秒   返信・引用
  >漫読斎さん
朝日新聞なんかは、7月24日には「動物に向ては筆舌の用なし直に鉄拳を加ふるに非ずんば彼れ決して恐れ入らざるなり」などと、政府に無駄な交渉止めて、実力行使しろよと、政府批判の社説出してますし、10月〜11月には公刊された「日清戦史」よりも「旅団報告」に近い記述の戦記物が多く出回ってますし、何を誰から隠蔽するのか、というより、何が主張したいのか、サッパリ分かりませんねぇ・・・。
もしかしてあれでしょうか。
ボク新史料発見したんだお!見て見て!凄いでしょ!の類ですかねぇ。
( ´H`)y-~~

>管理人氏
貴下にお話ししてもご理解いただけるかどうか分かりませんが、史料批判とは真偽判定だけではありません。
また、2で典拠資料の事をおっしゃっていますが、典拠資料が同じであれば、3の草案記述の一部と《公刊戦史》が重なる部分があるのは当然で、意味がありません。
また、問題にされている記述は、日本を不利にするものではありません。
悪しからず。
( ´H`)y-~~
 

御討論有難うございます  投稿者:管理人  投稿日:2008年 3月 7日(金)01時38分8秒   返信・引用
  漫読斎様、dreamtale様 有難うございます。

ずっと書き込みせずにすいませんでした。
dreamtale様がおっしゃられるように、「第五師団混成旅団報告綴」には 戦闘記録として最初に「午前四時半韓兵発砲せるをもって我よりも応戦、小戦始まる」と報告されていました。中塚氏の著書を読むと、やはりその資料についての記述があって 「行進中の日本軍に、いきなり韓国兵が射撃を加えてきた」のは、「日清戦史」の記述の誤りを指摘したものでした。
従って「朝鮮側からの発砲で戦闘開始というのを否定」はしていないという事になります。私の読み違いかと。


次に、日清戦史草案の信憑性については 中塚氏も検討していました。内容は以下のようなものです。

1.「佐藤文庫」にある草案群全ての冊子それぞれに「参謀本部文庫」という藍色のゴム印と思われる押印があること。文庫の分類を示すラベルが張られていること。ラベルには「別種門・一九五番・一号・共一六八冊」と共通して書かれていること。
2.防衛研究所図書館にある「第五師団混成旅団報告」などの、当時、戦地から送られてきた「日報」的報告や「陣中日誌」など信憑性の高い根本資料の中身と重なる点が多いこと。
3.草案記述の一部で《公刊戦史》のそのまま転用されている部分があること。
4.日本政府・日本軍の公の立場を不利にする内容の記述を「偽書」として日本で書く必要がないこと。
以上4点をあげ、本物であると認定しているようです。

なお、この資料が出た後、当然何人かの専門家が調査したと思われますが、いまだ偽者であるという確乎とした証拠を 私は未だ聞いてはいません。
 

宛dreamtae氏  投稿者:漫読斎  投稿日:2008年 3月 7日(金)00時03分46秒   返信・引用
   憶説を主張する輩の考えは分かりかねます。仮に中塚「論文」に従うとしても、戦闘は李朝側発砲に起因するとしか史料上読み取れません。そもそも中塚引用「草稿」でさえも、「韓兵発火スルトキハ〜」云々と日本側の交戦前提条件が記されています。  

うーん。  投稿者:dreamtale  投稿日:2008年 3月 6日(木)23時21分48秒   返信・引用
  >漫読斎さん
ありがとうございます。
草案にもやはり朝鮮側の発砲と書かれてるのですか。
すると、何の史料によって朝鮮側からの発砲で戦闘開始というのを否定するんでしょうねぇ?

中塚も、いつ書かれたのかも定かではなく、誰が書いた或いは編纂したのかも分からず、来歴もハッキリしないものに、何故そこまで拘るのかサッパリ分からないんですよねぇ。
そりゃあ、「戦史草案」よりも「旅団報告」の方が史料的な価値が高いに決まってんだろ、と。
( ´H`)y-~~
 

いや・・・  投稿者:行き当たりばったり  投稿日:2008年 3月 6日(木)21時42分24秒   返信・引用
  文面は、憶測を加えずに素直に読もうよ・・・・(ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ  

宛dreamtale氏  投稿者:漫読斎  投稿日:2008年 3月 6日(木)19時02分20秒   返信・引用
   楽しく拝見しておりました。
 管理人君からの書き込みも無いようですので、代わってdreamtale氏に回答致します。

 中塚明言う所の「草案」でも、戦闘は李朝兵の攻撃を受けて開始されたことが記されています。管理人君はdreamtale氏の指摘に対し2月29日付で「はっきり言いましょう。その認識は誤っています。」と述べていますが、この主張は中塚明紹介資料と乖離しています。

 dreamtale氏は『日清戦史』等の編纂物と史資料、それぞれの史料性について既に指摘済みですので、中塚明の主張の問題点を夙に承知のことと存じます。蛇足を承知で敢えて一言いたしますと、中塚明は、管理人君の述べる通り、「草案」についても「事実を潤色改変した」と主張するのですが、その際に比較対象としているのは他ならぬ師団報告であり、「戦地から送られてきた報告」は「戦史草案の記述よりも、史料的な価値が高い」と評しています。他方で「草稿」を殊更に用いる自家撞着は、彼の真面目とも言えるでしょう。

 管理人君は、現地報告を重視することを「狭いですね」(2月14日付)と面罵していますが、斯様に酷評されたのでは、いかに中塚明といえども哀れなものです。
 

お詫び  投稿者:管理人  投稿日:2008年 3月 1日(土)14時15分43秒   返信・引用
  「通りすがり」様に言われた事もあり、中塚氏の著書を読み直してみたところ、草案の中にも 資料を改ざんした部分があるとの事。私の勉強不足で 随分失礼な事を書いてしまいました。
簡単に許されるものでもありませんが とりあえず今 携帯から書き込んでいます。後ほど、きちんと書き込みします。
 

(無題)  投稿者:通りすがり  投稿日:2008年 3月 1日(土)10時23分31秒   返信・引用
  あっと、dreamtaleさんとの会話の支障になるようでしたら後回しにしていただいて結構です。そちらが本来筋でしょうから、そちらを優先させて下さい。  

(無題)  投稿者:通りすがり  投稿日:2008年 3月 1日(土)10時10分6秒   返信・引用  編集済
  ご回答ありがとうございます。ですが、書かれていないことを勝手に行間から付け足すのはおやめください。

上段は大島からの状況報告で占拠の決定ではありません。そしてその内容は「公使ノ求ニヨリ、明日朝王宮ヲ囲ム筈」です。初めから占拠する予定だったという主張を裏付けません。
下段は22日までに「確乎タル回答ヲ得ザレバ」京城に入って「之ヲ威嚇シ」、それでも駄目なら「旅団ヲ進メテ王宮ヲ囲マレタシ」で、これまた占拠の決定ではありません。初めから占拠する予定だったという主張と相反します。
ついでに言えば、記述が正しいとすれば上段は発電が「七月廿三日午前一時廿分」で、ちっとも「23日より前」ではありません。事前から詳細な計画をもって占拠の予定だったのですよね?

相反する史料を出されてどうするのでしょう。一体いつ、誰から「占拠せよ」という命令が下されたのですか?その「占拠の最終的な"決定"」を示す史料をご提示ください。
 

「通りすがり」様へ  投稿者:管理人  投稿日:2008年 3月 1日(土)01時21分40秒   返信・引用
  随分厳しいご意見、有難うございます。

さて、「23日より前にに占拠の検討ではなく、占拠の最終的な"決定"を示す史料をご提示ください。」についてですが、以前にも書きましたが、旅団長陸軍少将大島義昌から参謀総長の熾仁親王に打電した電報
『七月廿三日午前一時廿分発、同九時着、参謀総長    在京城 大島少将
公使ノ求ニヨリ、明日朝王宮ヲ囲ム筈、戦闘ハ免レザルベシ、義昌ノ本来ノ考ハ、大同江ニ敵兵来ラザル前、牙山兵ヲ撃破スルニアレドモ、御通知ノ景状ニ依レハ、其暇ナシ、依テ彼レノ上陸ヲ確カメタル上ハ、臨津江附近ニ主力ヲ移ス事トナルベシ、併シ間アル事ヲ確カメタル上ハ、牙山ニ向フ事トナルモ知ルベカラズ、
義州電線ハ、今夜は我手ニテ切ル筈、然レハ、京釜線モ彼レノ為ニ切ラルベシ』
と、
『是ニ於テ旅団長ハ是日南下ノ為メ行軍計画ヲ定メ、且ツ従来仁川ニ在リシ兵站監部ヲ龍山ニ移スベキ命令ヲ発シ、翌二十日ハ一方ニ於テ北方ノ情報ヲ待チツツ、一方ニ於テハ行軍命令ヲ発セン為メ旅団各隊長ヲ会合シタルニ、午後一時ニ至リ本野参事官、公使ノ命ヲ銜ミ来テ旅団長ニ請ウテ曰ク、「此来朝鮮政府ハ頓ニ強硬ニ傾キ我撤兵ヲ要求シ来レリ、因テ我一切ノ要求ヲ拒否シタルモノト看做シ断然ノ処置ニ出デンガ為メ、本日該政府ニ向テ清兵ヲ撤回セシムベシトノ要求ヲ提出シ其回答ヲ二十二日ト限レリ、若シ期限ニ至リ確乎タル回答ヲ得ザレバ先ヅ歩兵一個大隊ヲ京城ニ入レテ之ヲ威嚇シ、尚オ我意ヲ我意ヲ満足セシムルニ足ラザレバ旅団ヲ進メテ王宮ヲ囲マレタシ、然ル上ハ大院君ヲ推シテ入闕セシメ渠ヲ政府ノ首領ト為シ、由テ以テ牙山清兵ノ撃攘ヲ我ニ委託セシムルヲ得ベシ、因テ旅団ノ出発ハ暫ク猶予アリタシ』
が、それに当るとおもいます。
 

以上は、新着順11番目から20番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  |  《前のページ |  次のページ》 
/9 




   
teacup. ] [ ブログ ] [ 無料掲示板 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログパーツ ] [ プロフィール ]
RSS

パスワード

teacup.AUTO BBS Lv2-Free


[PR]求人情報満載!   [PR]履歴書ならリクナビNEXT   [PR]ビジネスローン   [PR]不動産投資