| 13人は朝5時50分に昨夜テントを張った飯豊山荘の駐車場を出て、12時30分に門内小屋に着いた。 |
| 夜半にかなり降った雨は尾根を登り出す前にやみ、途中日差しすらさす天気となったのであるが、稜線に出る頃にはまたガスがかかり始めていた。 |
| 門内小屋は貸し切り状態だった。 |
| 2階の広い板場に車座になり、取り立ての山菜を料理して、ビールを飲んだ。 |
| リーダーはその時間にアイゼン、ピッケルの歩行訓練も考えていたのであるが、登りで足に疲労を訴える者もいたので、休ませる意味もあって宴会の楽しみを追ってしまった。(今までそんな訓練など、行った事はない) |
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| 2時間の食事の後門内沢の下山にかかる。 |
| 吉村、山川、旗本の新人3人と斎藤は小屋を出る時にアイゼンをはいた。 |
| ガスは小屋に着いた時よりさらに濃くなり、視界は50M程になっていた。 |
| 門内沢の雪渓は5月にしてはかなり少なく、小屋直下から一直線に下り出すわけに行かず、少し扇の地神方向へ戻るように下りながら雪堤を下った。 |
| 雪堤を過ぎると、徐々に傾斜がきつくなり、そこで佐藤(栄)、遠藤、佐藤(美)がアイゼンをはくことになり、そこからかなり遅れた。 |
| 橋本(寅)、伝は斎藤、吉村、山川、旗本を見守るような形で、橋本(寅)を先頭に先行した。 |
| そのうちスキー隊も追いつき、ガスの中の雪渓を見極めると、もっとも傾斜の強い両側の尾根が迫った「ノド」の手前で、島のように尾根が雪渓に浮き出た所に5人が集まっている間に「歩き隊」を追い抜いて、ガスの中へ滑り下って見えなくなった。 |
| 「ノド」の部分で霧が少し薄くなり門内沢の下部が見渡せた。 |
| ガスの切れ間からかいま見た雪渓は新しい人にはかなり威圧感があったのだろう、下る動きが鈍くなった。 |
| 山川が遅れ始め橋本がその下に付いた。 |
| 斎藤が先行し、吉村、伝、旗本が続いた。 |
| それほど距離は離れてないのだろうが4人はガスに隠されて、橋本(寅)の視界から消えた。 |
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| そして、斎藤の声で「旗本さんが落ちた。」と伝えられた。 |
| 橋本(寅)からは何も見えなかった。 |
| しばらくして「止まった、無事だそうです。」と声が聞こえた。 |
| 前後して、橋本は山川と50Mザイルを結び、スタッカットで山川を下ろした。 |
| 時にガスが薄くなり確保している橋本に、広くなりだした雪渓を右へ右へトラバース気味に下っている斎藤と吉村が見えて、それを追うように山川が右へ右へ降りているのが見えた。 |
| 山川に「ザイルが振られるからトラーバスしないで真っ直ぐ下れ。」と叫んだが、理解出来なかったのか伝わらなかった。 |
| 手元のザイルが残り少なくなったところで山川が転んで滑り出したようだったが、橋本にはまたガスで見えなかった。 |
| ショックが来て、体勢を崩しかけたが、ザイルを送り出して制動確保をして止まった。 |
| そこでピッチを切り山川と合流して聞くと、やはり彼女は滑落して、自分で止めようとしてピッケルで少し頬を打ったが止まらず、ザイルで止まったと言う。 |
| 2ピッチ目を下っていると、かなり下の方で吉村が滑落していくのが見えたが、滑落は彼女が自力でピッケルで止めた。 |
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| 雪渓のカールの底でスキー隊が輪になっているのが見えたが、単に休んで我々を待っているように見えた。 |
| 4ピッチほど下って、山川のザイルを解いた。 |
| ザイルをかたずけ、スキー隊の輪の中へ降りて行くと、輪の中心の土の付いた大きなデブリの上に伝さんが青い顔をして座っていた。 |
| そこで始めて、旗本さんと伝さんが一緒に落ちたことが分かった。 |
| 斎藤さんの話によると、旗本さんが滑落して、下にいた伝さんがそれを止めようとして一緒に200M程滑り落ちて、雪渓の傾斜の落ちたところで別々に止まったそうである。 |
| これは少し後になって聞いたのであるが、旗本さんの20m程上部に止まった伝さんをスキー隊の佐藤(孝)、安達、橋本(聡)が介護しようと集まったところ、4人の上部で杉田がターンに失敗して、下にいた伝さんにぶつかって、旗本さんの所まで一緒に滑って止まったそうである。 |
| 杉田は右のふくらはぎを自分のスキーのエッジで切り軽い裂傷を負っていた。 |
| 伝さんの精神的ショックも2度の女難の相の結果らしい。無理からぬことであった。 |
| 旗本さんは幸いすり傷程度であったが、伝さんは右の二の腕を大きくすりむき、左の手の甲を強打(我々は左手首の捻挫と思った)し、左足のひざを強く捻挫したようである。 |
| 唇には震えが来て、かなり寒がっていた。 |
| 安達さんから小さいツエルトを出してもらい、ガスコンロを焚いて暖を取り、ついでに温かい紅茶をつくった。 |
| そのころまだ、雪渓のかなり上部を佐藤(栄)に見守られながら佐藤(美)、遠藤が実にゆっくりゆっくり慎重に下っていた。 |
| 紅茶を作る時間はたっぷりあった。 |
| 紅茶が湧き、体が温まると、やっと伝さんに顔色が戻ってきた。 |
| その間に、スキー隊が伝さんのザックをバラして各自のリックに詰めた。 |
| 吉村さんが三角巾で膝を固定し、左手を冷やした。 |
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| 栄ちゃん達が降りてきて、伝さんも歩けるというので下山を始めた。 |
| 伝さんは歩きだしてすぐ、6本爪のアイゼンを付けて、後ろ向きで下るのが楽だといって、後ろ向き歩行を始めた。 |
| 時間は4時過ぎ、このままでは暗くなることも心配されたので、とりあえず重荷でスピードの速いスキー隊に先に下ってもらっい、後は無線で連絡を取り合うことにして下山を促すが、なかなか心配して先へ行かない。 |
| そにうち歩き隊でヘッデンの携帯確認を取ると斎藤、山川がヘッデンを持っていなかった。 |
| 結局、斎藤、吉村、橋本(寅)の3人が伝さんの付き添い役として残ることになり、残りは栄チャンの引率で先に下山することにした。 |
| しかし、伝さんが雪渓を以外に早く後面歩行で下り。 |
| 雪渓末端が乱れているのを心配したスキー隊が登山道への移り際で待っていたこともあって、雪渓の終わりまでは、皆一緒に下山した。 |
| 雪渓は5月にしては、例年ならば6月末で消えるほどの上部で無くなり。 |
| 登山道もまだかなり乱れて歩きにくかった。 |
| 伝さんはひざを曲げる大きな段差は下りにくそうで、斎藤さんの肩や、吉村さんの手を借りながらも一所懸命、しかしわりと早く下った。 |
| 登山道に出てからは5時も過ぎ、4人以外はとにかく先に下ってもらうことにした。 |
| 皆も、以外と順調に下る伝さんに安心して先に下っていった。
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| 7時、暗くなる一歩手前に堰堤の階段を下って車道に出ることが出来た。 |
| 7時40分、皆の待つ駐車場に完全に暗くなって着くことが出来た。 |
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| 橋本(寅)が伝さんの車を運転して新発田で吉村、山川を下ろした後、途中豊栄インターで木戸病院へ急患の手当の電話をしたが体よく断られ、市民病院で何とか見てもらえる予約を取ってから伝家へ超スピードで帰った。 |
| 9時30分、丁度出先から帰ってきた美奈子夫人へ傷ついた伝さんを渡すこととなった。 |
| なぜか、新発田で下ろしたはずの吉村さんが旗本さんを乗せて忘れ物を届けにきた。 |
| リーダーの失敗責任を一人で負った何の罪もない旗本さんが、目に涙を浮かべて奥さんへ陳謝しにきたのだ。 |
| 「止める自信もないのに、何で飛びついたん。泳げないのに溺れた人を見て、あわてて飛び込んで、自分で溺れたのと一緒やん!」と減らず口をたたいているリーダーは何も言えなくなってしまった。 |
| 旗本さんごめんなさい。 皆私が悪いのです。
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| 1 |
雪の少ない時の門内沢を軽く見ていた。 |
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雪渓の少ない門内沢はカールの底も低く、高低差があり急に感じる。 |
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周りの尾根の側壁の岩が露出していて雪渓も細くなり威圧感があった。 |
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特にガスの切れ間から見た風景は新人をすくませるに十分な景色だった。 |
| 2 |
アイゼン、ピッケルの訓練を受けていない2人に対してザイルが1本だった。 |
| 3 |
休憩2時間の間に何らかの訓練をさせることが出来たのにしなかったこと。 |
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訓練で状況が分かれば、1本のザイルを2人に使うこともできた。 |
| 4 |
旗本さんが冬山へ行った経験(朝日連峰)があるという理由で、リーダーが雪山経験のない山川さんへ意識を集中しすぎたこと。
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会員のレベルアップを急ぎすぎ、パーティのメンバー構成を無視して、山スキーと長大な美しい尾根と楽しい宴会という山の楽しみを過大に追い過ぎたこと。 |
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最大の理由、自らの身の不調で5月の連休の山行を失敗して悲観的となり、その焦りから自らの管理能力以上の山行とメンバーを組んで。 |
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それを天候、山の状態を無視して強行したこと。 |