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2008-03-07 最近ネットしすぎのせいで、本が溜まってきてる

[]ゲーム的罵倒語

普段このブログは、読んだ本のタイトルとかをそのまま記事のタイトルにしているので、急にそうでない記事を書こうとすると、タイトルが全く思いつかなくて、タイトルセンスのなさというものが露呈してしまう。


今回は、以下の記事への反応。

冗談でもそういうこと言うなよ、と思うときがあるんだ。(銀色のホットカルピス)

この記事の内容は、「死ね」「死ねばいいのに」などの罵倒語に関してのもので、

子どもがいるような場所で、大人がそのような言葉を使うのは慎んだ方がよい、というもの。

おそらく、大人のリテラシ能力と子どものリテラシ能力には差があるので、大人の側が冗談として使ったとしても、その「冗談だよ」というメタメッセージの部分までは子どもに伝わらないかもしれない、だから慎むべき、ということなのだと思う。

その論理に関しては、とりあえずここではさておく。

ここには前提として、「死ね」という言葉はあまりよろしくない言葉なので、使って欲しくないというのがある。

ところで、僕は、子どもの頃から「死ね」という罵倒語を何度使ったか知れず、ある時期から使わなくなったとはいえ、今でも時々使ってしまうことがある。それくらい、「死ね」という言葉に対する感度が、上記記事の書き手であるAgさんと異なっている。

実を言えば、恥ずかしながら、「死ね」という言葉はなるべく慎んだ方がよいのだな、ということに気付いたのは高校に入ってからである。

高校の時、やはりAgさんのように、この言葉に敏感な人がいて、使うのはよした方がいいなと思うようになった。

この時初めて、言葉に対する感度が自分とは異なる人たち、言い換えれば違う文化で生活している人がいることに、思いが及んだのである。

自分とは言葉の感じ方が違う、自分とは違う文化で生活する人がいるので、言葉の使い方には気をつけた方がよい、ということに関しては僕も同意する。

その点で、僕は上記記事の本筋の内容には異存がない。


とはいえ、Agさんの記事を読んで、自分とは文化が違うなーと思ってしまったのも事実で、その違和感を表明しようと思い、この記事を書いている*1

つまり、既に述べたとおり、僕自身は「死ね」という言葉に大した不快感を持っていなくて、少なくとも小中学校までは、友達ともお互い平気でよく使っていた。

で、これは僕たちの間では、比較的程度の低い罵倒語であって、無論のこと、本当に死んで欲しいと思って言っていたわけではない。

つまり、それは罵倒を意味するだけの記号であったわけだ。

そしてこれは、繰り返しになるけれど、程度の低いものであった。「バカ」とか「アホ」とかはほとんど使ったことがなくて、とにかく「死ね」というのをよく使っていた。

あまりにも「死ね」がデフォルトなので、次第にそれでは罵倒語としてのインパクトがなくなってきてしまう。

それで当時の僕が使っていたものとしては、「3回死ね」とか「11回死ね」とかがあった*2

個人的には、「100万回死ね」とかになってしまうと、これはこれでインパクトが落ちると思う。

相手に如何にダメージを与えるかということなのか、それとも如何に奇抜な言い回しを使えるかということなのか、途中で分からなくなってくるわけだが

とにかく罵倒語というのは、インパクト勝負なところがあって、それで単に「死ね」というのではなく「3回死ね」とかいう、よく分からないことを言い出すようになったわけである。

そして「死ね」という言葉の使用可能性がある程度尽きてしまうと、多分「バカ」とかを使うようになると思う。

「死ね」になれきっていて、全然「バカ」とか普通の罵倒語を使ってこなかったりすると、むしろ「バカ」とかの方が、新鮮でインパクトがあるように思えてくるのだ。

そもそも罵倒語って奴は、ほとんど内容としての意味は持っていないだろう。

つまり、「死ね」と「バカ」の間に、特に違いはないのだ。

意味としてはもちろん、「死ね」は「死ぬことを望む」だし、「バカ」は「頭が悪い」ということになるだろうけど、

「死ね」とか「バカ」とか言うときに、そういうことを言おうと思って言っているわけではない。

ただ単に罵っているのである。

そこに入る言葉は、インパクトさえあれば、何でもいいのだ*3


言葉には、何というかそういうゲーム性を持ったところがある*4

さらにいえば、そういうゲーム的な使用というのは、結構よくあることなのではないかとも思う。

子どもは「死ね死ね」とよく言うわけだが、「死」ということがどういうことなのか分かった上で言っているわけではない*5

ちゃんと意味の分からない言葉は使わない方がよいのか。

一概にそうは言えないと思う。

ちゃんと意味が分かっていない言葉は使ってはならないということになったら、僕なんかは、ほとんどの言葉が使えなくなってしまうと思う。

意味はよく分からないんだけどとりあえず使ってみる、使っているうちにうまく合致する時とそうでない時があることが分かってくる、そうやって言葉の意味が分かるようになる。

最近の自分のことを思い返してみると、学問関係の専門用語が結構そうで、今では恥ずかしくなってしまうようなこともあるが、とにかく覚えたての用語を使ってみる、ということはよくやっている。

非常に極端なことを言わせてもらえば、「死ね」とか「3回死ね」とか言ってたときと、大して変わらないような気もするのだ。意味はよく分からないんだけど、とりえあずインパクトのありそうな言葉を使うという点で。


長い文章を書くつもりはなかったんだけど、という時ほど、文章は長くなりがち。

ところで、上記のAgさんの記事は、下記の記事への反応ということになっている*6

小学生はガンガン犯行予告とかすればいいと思うよ(白痴日記)

この記事の内容を要約するのは、ちょっと僕には難しいので読んで欲しい。

僕はこの記事に対して、わりと素朴に感動した。

その後、SuzuTamakiくんが反論していて*7、Agさんもどちらかといえば否定的な反応を返している。

当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど、こういう反応が僕にとってはちょっと驚きでもあった。

いいじゃん、犯行予告。

罵倒語ゲーム的には、最強にインパクトある。「3回死ね」とかよりよっぽど強い。

どれだけかっこいい犯行予告が書けるか競い合うっていうの、わりと見てみたいかも。

*1:普段なら、ブクマコメ、コメント欄で書くのだけど、こうやって前提を色々説明しないといけないセンシティブな問題なので、こうして記事にしている

*2:数字はてきとう。もう覚えてない

*3:ところで、さっき、高校に入ってから「死ね」という言葉を使わなくなったと書いたが、思うに僕の周囲で、最もインパクトのある罵倒語が飛び交っていたのもまた高校時代だ。新しい罵倒語を作り出す才を持った奴が何人かいた

*4:例えば罵倒語だけでなく、巨乳、爆乳、貧乳といった女性の胸の大きさを表す言葉とかも、その一種だと思う。爆乳とか意味不明もいいところなわけだが、確かにインパクトはある

*5:では、大人は「死」ということがどういうことなのか分かっているのか、といえばそれは何ともいえないけれど、子どもよりも大人の方が分かっているということになっている

*6:記事のコメント欄を読めば分かるが、Agさんは該当記事に遠慮なのか何なのかトラバなどはしていない。それをこうやって、あからさまに繋げてしまう僕のやり方は、配慮が足りない的な批判をされるかもしれない。ただ僕は、ブログの記事というのはリンクされてなんぼだと思っている。関連している議論が相互参照出来るようになっている方が、いいと思うんだよな

*7http://b.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20080305#bookmark-7748746http://d.hatena.ne.jp/SuzuTamaki/20080305/1204688792

ggincgginc 2008/03/07 22:00  コンテキストのゲーム(俗な意味での「言語ゲーム」)だよね。倫理的には私はAgさんに共感するんだけど、言説空間に生きるものとしてはSAK君の方に親近感がある、という。どっちもいいとこどりみたいなコメントですみません(笑)。

 個人的な体験でイイトコドリな理由を喋ると、私は大学時代に「おまえなんか死ねばいいのにー!」としょっちゅう罵倒されるコミュニケーションを笑って楽しんでたところがあるからです。イジメじゃなくて、一対一関係の特殊な関係で、しかもそこにはよくわからん友情みたいなのが芽生えているんですが、ともあれ、一般的な文脈とはかけ離れた〈外延〉が生まれるのだよね。

 まとめると、Agさんは、命令文「死ね」に内包的な観点から解釈している。
 一方で、SAK君は、命令文「死ね」の〈外延〉が言説空間の中でどんどん変質して、言語ゲーム化した体験を知っている。
 そんでもって私は、「死ね」と罵倒されてマジで悔しい思いをした十代前半の経験と、「死ね」という罵りが一種の友情表現として変質する経験を同時に得てきた、と言う感じかな。

 語の適用範囲は、その発話が生じた時のコンテクストが解釈者自身によってどれだけ蓄積されたかによって決定するから、この3人の「死ね」に対する意味解釈の違いは、過去のすべての会話経験に対する「死ね」の1つ1つに対する解釈の違いの集積として現れているんだろうな、と思いました。

 えーと、長くなりました。推敲はしないし、反省もしない。だめじゃん。

みとこんみとこん 2008/03/08 00:46 「DOSIM(ドブで溺れて死んで生き返ってまた死ね)」って先週のジャンプで黒いドレスのお姉様が言ってた。
インパクトある罵倒語だったなぁと思い出した。

ふじもとふじもと 2008/03/08 06:58 罵倒語過敏症(今作った)で自分宛でもないのに「バカ」だの「死ね」だのという単語で泣いていたお子さんだったのだけど、犯行予告を競い合って書いているのは見たいかもしれない。今なら。
でもなんかな、「フィクションのノリで」見たいのよな。
直截なものでなくて、ジョークと挑発のぎりぎりみたいな。やっちゃったよ俺(こいつ)、みたいな。
やたら重罪だったり社会とか実業とかに直結して公開されるときっともにょる。
たぶんSAK君もそのノリだという気がしたんだけど。
ごめん、感覚的な感想でした。

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