第一章 日米中の市場原理主義崩壊
はじめに
第一節 米国一極支配 勝者の傲慢
第二節 世界経済破局 原油値暴落—米国崩壊—中国崩壊—預金封鎖
第三節 資本主義批判 競争の批判—搾取主義—バブル化—デフレ化
第四節 民主主義批判 衆愚政治化—拝金主義—老人支配
第五節 日本経済批判 土地私有制—金融制度
おわりに
第二章 国家社会主義による復興計画
はじめに
第一節 政治思想 協力主義—相続主義—封建主義—育児重視
第二節 教育理念 初等教育—高等教育—芸術重視
第三節 治安維持 現憲停止—旧憲恢復—綱紀粛正—国連協調
第四節 外交政策 世界会議—日独同盟—中露外交—将来予測
第五節 財政再建 計画経済—私財限度ー行政再編
第六節 外貨獲得 国富売却—珪素産業
第七節 失業対策 雇用分配—公共事業
第八節 住環境整備 日本海側開発—建築基準強化—国土美化政策
第九節 食糧自給化 国営農場創設—淡水輸出事業
第十節 資源安保策 対露石油外交—海底資源採掘—新核技術開発
最終節 東亜共同体 東亜共同通貨—東亜環状鉄道—東亜条約機構
おわりに
祖国復興大綱
2008年3月9日
目次
第一章 日米中の市場原理主義崩壊
はじめに
冷戦終結後に米国は唯一の超大国として君臨し、一時は全世界を一極支配すると言われるに至った事もありました。確かにクリントン政権下では、米国は空前の好景気に沸き立ち、財政も一時的には黒字化したほどです。しかし、米国の資本主義とはそれほど盤石なものでしょうか。今では米国経済の崩壊は当然の事として論じられるようになりました。2006年7月に、連邦準備銀行のエコノミストであるローレンス・コトリコフ博士が「 Is the United States Bankrupt? 」という論文を書いた事からも、それは裏付けられます。そして、米国が破産する原因は、世界の基軸通貨であるドルの信用失墜にあります。それ故、この論文の第一章では、私はドルの信用崩壊による日米の連鎖破綻と、米国の市場原理主義そのものの限界について論じさせて頂きます。第二章では、国家社会主義による包括的な復興計画について触れます。ちなみに、第一章は陳腐な内容なので、読み飛ばして頂いて結構です。肝心なのは第二章での、復興の綱領です。
第一節 米国一極支配
勝者の傲慢
冷戦終結後の米国は一時は全世界を一局支配するに至り、特にクリントン政権下では繁栄の極みにありました。そして、勢いに物を言わせ、グローバル化の名の下で他国に経済体制の自由化・民営化を強引に求めて来ました。これは自国のイデオロギーを他国へ押し付ける行為であるとも言えます。しかし、貿易と金融という観点から見た場合、このグローバル化に誤謬があるのは明らかです。ここから、ドルの基軸通貨としての特権性について論じた、1990年11月初版発行の大前研一氏著『ボーダーレス・ワールド』からの内容を要約させて頂きます。貿易の観点から言うと、グローバル経済の中心に位置しているのは当然、資本主義の親玉である米国です。そのためグローバル経済の中では、ドルが基軸通貨です。そのため、米国は決済に外貨準備など最初から必要ないわけです。例えば、シカゴの自動車を買うのも、中国の粉ミルクを買うのも、決済はドル建てです。そうである以上、これは事実上国内取引と同じです。そのため実質的には、米国には対外貿易などはないと言えます。つまり米国はドルを刷るだけで、世界から欲しいものが買えるわけです。確かに、米国が旺盛な消費で世界経済を牽引する役割を果たしていると言えます。しかし、これは非常にアンフェアな仕組みであるのは間違いありません。
また自由貿易の名の下、発展途上国で安い人件費を用いて品を作り、それを先進国に対して高値で売るのが多国籍企業の手法です。その結果として、発展途上国では劣悪な労働条件による搾取が横行し、先進国では産業の空洞化による失業率の上昇が引き起こされてしまうわけです。これで儲かるのは多国籍企業だけです。また、グローバル経済とはヒト・モノ・カネの流れが世界的に活発化する事です。そして、グローバル経済における金融制度とはフリー・フェア・グローバルを三原則とした金融ビッグバンです。この金融ビッグバンとは、本当にフェアなものでしょうか。実は、米国は連邦準備銀行がドルを刷って、それに金利をつけて米国系の金融機関に貸し付ける事ができます。つまり米国は通貨の発行権を持っているため、自国の金融力を無限に水増しできるという事です。そのためグローバル経済では、米国が圧倒的な金融力を持つようになります。その結果、圧倒的な金融力を誇る米国資本が他国の経済を支配する構造が生まれてしまいます。いわゆる、金融ビッグバンが引き起こすウィンブルドン効果というものです。現実に、日本の優良企業の株式は、その約半分が外資によって買い取られ、もはや大株主は日本人ではない状況です。つまり金融の自由化で儲かるのは米国系の金融機関だけです。この結果を見れば、グローバル化とは米国の帝国主義であると言わざるを得ないでしょう。
第二節 世界経済破局
原油値暴落
しかし、この歪なグローバル経済は、そう長く続きそうもありません。現在、ドルの信用崩壊が間近に迫っています。すなわち、既にドルの基軸通貨としての地位は著しく揺らぎ、もはや崩壊寸前の状態です。そのため、ドル安ユーロ高が進み、ちかぢか多国間協議でドル切り下げが行われるという噂も巷で流れているほどです。そもそも通貨を過剰に刷り続ければ、貨幣価値が下がるのは必然的な帰結です。しかし、ドルの価値は通貨の法則に反して、高く保たれてきました。なぜなら、米国は石油の売買をドル建てにさせる事で、ドルの需要をつくって通貨価値を維持して来たからです。実は、あのイラク戦争は中東の石油利権を掌握する事で、ドルの通貨価値を維持するための米国の戦略でした。しかし、現在ではイランに代表される湾岸諸国が、ドル離れを始めています。既に、湾岸諸国はユーロと円で石油を売り始めています。この湾岸諸国のドル離れの根本原因は二つあります。一つは、パレスチナ問題で米国がイスラエルに肩入れして来すぎた事と、もう一つは欧州連合によるユーロ導入です。仮に、このドル離れが更に進んで中東の産油国がドル建てで石油を売らなくなれば、ドルの暴落は必至です。
この流れを受けて、2008年の現在、米国はドルの需要を高めるために石油価格をつり上げています。そのため、石油価格は1バレル100ドルを超える水準にまで高騰してしまっています。しかし、現在の需給関係から見た石油の適正価格は、1バレル30〜35ドルです。そのため100ドルを超える今の石油価格は、完全にバブル化しています。仮に石油バブルが破裂すれば、ドルの信用崩壊の直接的原因になります。その結果、ドルの信用崩壊で相対的にユーロ等の他の通貨の地位が高まれば、米国の経済的な覇権は一挙に失墜する事になります。これは、1929年の世界大恐慌とは全く別の事件です。なぜなら、世界大恐慌とはあくまで株価の暴落で始まった大不況ですが、今回のドル崩壊は米国の通貨制度そのものの全面的な破局を意味するからです。そのため、原油バブル破裂後には、ドル崩壊によってハイパーインフレが米国経済を襲来する事が考えられます。
その結果、当然米国を中心としたグローバル経済が近々決定的な破局を迎える事は確実です。特に、米国の経済圏である日中は、連鎖破綻を免れません。近年の日中は対米輸出でドルを稼ぎ、稼いだドルを米国債購入という形で米国に還流し、ドル体制を支えて来ました。そして、ドル崩壊で米国の購買力がなくなれば、日中は対米輸出で稼ぐ事が出来なくなります。また、これまで購入して来た膨大な米国債が全て紙屑となるため、その含み損で日中の金融機関が連鎖的に破綻するのは避けられません。一方で、欧州の経済圏であるロシアとインドは、比較的堅調な経済を維持する事が予想されます。その結果、ユーラシア大陸においてロシアとインドの地位が相対的に高まり、中国の地位が下がる事は現時点でほぼ確実です。この流れを受けて、以下で、米国の破綻とそれに伴う日中の破綻についてシミュレーションをします。
米国崩壊
ドルの信用崩壊による米国の没落は、ただの経済問題で済むとは考えられません。恐らく米国は武装した市民の内乱によって、ソ連の如く崩壊すると私は見ています。その理由と事態の経過について、これから説明させて頂きます。まずは現在の米国社会の実態について順を追って説明させて頂きます。現在の米国は弱肉強食の市場原理が支配する国ですので、相互扶助や協力といった考えが非常に軽視される傾向にあります。こういった米国的な弱肉強食の競争社会においては、個人間の競争に敗れる事は社会からの脱落を意味します。すなわち、米国社会は全てのリスクを個人が背負う仕組みになっているため、仮に自分の側の非を認めた時点で、あらゆる責任を一手に背負わされてしまうのです。そのため、米国市民は個人が異常なほどに自己の正当性を主張し、責任を擦り付け合う傾向があります。そのため、米国社会は常軌を逸した訴訟社会になるのです。それらの理由から、個人にストレスがかかりすぎるために、現在の米国民の精神状態は非常に不安定になっています。米国民は統計的に見て、多重人格障害、境界性人格障害、自己愛性人格障害、摂食障害などの精神疾患を患っている例が非常に多いのです。それらの精神的苦痛から逃れるため、現在の米国内では麻薬が蔓延しているのです。
また、精神的な不安感とアイデンティティ喪失によって、近年の米国市民はキリスト教原理主義へと走る傾向があります。日本では余り知られていませんが、米国は中東に負けないほどの宗教国家です。現に、米国民の80%はアンケートで「自分は宗教的である」と答えているという統計データもあります。これは小咄なのですが、ハリウッド映画などでは何か驚いた時に米国人が「Oh my god!」や「Jesus Christ!(ジーザスクライスト!)」と叫ぶシーンがよく登場しますが、欧州の人々は一般的にそのような発言はしません。これは米国人の宗教性が端的に表された逸話です。加えて、米国においては宗教の商業化も急速に進んでいます。近年の全米各地で、2000人以上の信者を抱えるメガチャーチと呼ばれる巨大な規模の教会が、2007年の統計で1500団体以上現れてきています。1回の礼拝に数千人から1万人の人びとが参加するものもあり、中でもレークウッド教会(テキサス州)は信者数4万人を数えています。信者の多くは大都市郊外に住む30〜40代の中間層で、寄付などで年収100億円に上るものもあります。このメガチャーチの最大の特徴は、マーケティングを行い、信者が欲しているものを提供する点です。したがって、信者の間違いを指摘し責めたてるような、昔ながらの説教ではなく、分かり易く前向きな説教が行われます。 このメガチャーチの信者は「宗教保守」といわれ、共和党支持が多い言われています。宗教保守は中絶と同性愛に反対の立場の市民で、米国の全人口の少なくとも25%にのぼると推定されています。当然、メガチャーチは巨大な集票力を持つため、大統領候補は、その力を無視するわけにはいかなくなります。現在のブッシュ政権の最大の支持基盤は、このメガチャーチと宗教保守です。しかし、現在の米国では、プロテスタントの価値観が余りにも行き過ぎ、聖書原理主義の観点から地球が平らであると主張する一派まで登場しています。このように、近年の米国社会は、余りにもキリスト教原理主義的な性格が強まって来ています。中世ヨーロッパでの魔女狩りや異端審問を見ても明らかですが、一神教的な宗教を原理主義的に盲信し始めると、社会全体がどんどん不寛容なものとなって来ます。したがって、現在の米国社会は自由な国ではなく、非常に原理主義的で不寛容な宗教国家となりつつあります。
それに加えて、米国は歴史の無い人造国家であり、民族的な共同体がない事も大きな懸念材料です。すなわち、国家全体で共有できる単一の民族意識が存在しないため、白人・黒人・ヒスパニックに代表される異なった人種同士で非常に仲が悪いです。その上、もはや数の上で少数派となりつつあるWASPは、未だに有色人種への差別意識を非常に根強く持っています。米国社会での貧富の格差の拡大や、貧困の問題の背後には、人種差別が常に付きまとっています。建国当初から、米国の貧困層を構成して来たのは、往々にして黒人やヒスパニックといった人々です。彼らに対する人種差別が背後にあるので、貧困層への福祉が削られるのです。現に、サブプライムローンの焦げ付き問題においては、最初から焦げ付く事を承知した上で、黒人やヒスパニックと言った低所得者層に融資を行ってきた事が問題視されています。したがって、現在の米国社会は多様な人種が平和共存する社会などではなく、人種差別の不満と貧困による絶望が渦巻く殺伐とした社会と化しているのです。そのため、緊急時にはこの不満と絶望が爆発し、人種差別が人種間の闘争に発展しかねません。人種差別の不満が爆発した例として、1992年にはロス暴動があげられます。平時であってもこういった事件が起こっているのです。特に、ハリケーンカトリーナがニューオリンズを襲来した際には、自動車を持っていない低所得者層(主に黒人やヒスパニック)が被災地に置き去りにされた例さえもありました。
こういった不安要素が米国内にあります。その上で、ドル崩壊で米国が破産した場合にはどうなるのでしょうか。まず、米国の破産でドルが紙切れになれば、米国は従来の如く世界から品を輸入して、贅沢三昧の消費も出来なくなります。ハイパーインフレによって米国経済は大パニックに陥り、消費者は値が騰がる前に品を買い占めようとするためスーパーでは陳列棚から品が無くなります。しかし、恐らくそれどころの事態では到底済まされません。何よりも恐ろしいのは、米国内で石油価格が暴騰する事です。これをきっかけにして、米国内にある矛盾が一挙に噴出する事が考えられます。まず、破産後の米国は、輸出産業が壊滅状態ですので、石油を買う外貨(主にユーロ)を稼げません。したがって、米国は国内油田しか石油の供給源が無くなるため、米国内での石油価格の急騰は避けられません。加えて、米国は自動車社会であるため、ガソリンが手に入らなければ、自らの勤め先への通勤が出来ません。その上、米国の企業は労働者を簡単に解雇してしまうため、ガソリンが手に入らなくて通勤に支障が出れば、そのまま解雇されて収入源を断たれてしまうのです。そのため、米国の市民同士で生活をかけて必死でガソリンを取り合う事が予想されます。しかも、その争いに拍車をかけるのが、米国社会の異常なほどの競争主義です。教育段階で競争に勝利する事が善であると教えられて来た米国市民は、緊急時にはとにかく他者を押しのける事しか考えない事が想定されます。
そして、事態を更に悪化させるのが、米国社会における銃器の蔓延です。米国では個人の自衛のために、銃器保持が法律で全面的に容認されているのは、周知の通りです。確かに、スイスでも国防の義務のために各家庭に自動小銃を備える事を義務づけられてはいます。しかし、これは国家という共同体の防衛のためであり、あくまで個人の自衛のためではありません。転じて、米国では自衛と称して個人間で撃ち合いをする事が、平時においても日常茶飯事です。そのため、ドル紙幣が紙切れになった場合には、ガソリンの取り合いから、銃器で武装した米国市民が撃ち合いをし始める事が想定されます。それどころか、銃器で武装したギャングがガソリンスタンドを襲撃する事件が起こる可能性さえも、否定は出来ません。この武装した市民が個人間で殺し合いをする惨状は、ホッブスが仮定した「万人の万人による闘争」という自然状態に他なりません。どうやら、ロックとルソーの仮説は虚構に過ぎなかったようです。
しかも、現在の米国は他国からの支援がまるで期待できません。なぜなら、米国は民主主義と正義の名の元で、全世界に対して再三の武力介入を行って来たからです。特に、イラク戦争は国連を完全に無視して強行した戦争であり、現在進行形で全世界からの非難を浴びています。米国が破産した際には、そのまま世界から見捨てられてしまうのは間違いありません。そのため、八方塞がりに陥った米国は、最悪な場合は没落どころか国家解体の危機にまで発展してもおかしくありません。万一の話ですが、州政府は連邦政府からの独立を宣言し、第二次南北戦争が勃発する可能性もあります。そこまで行かなくとも、事態の完全な収束には数年かかるでしょう。その頃には、米国経済は壊滅的な打撃を受け、米国からは資産家・知識人・研究者などが主に欧州に移住するか、亡命しているはずです。
この米国崩壊の原因は、アメリカ合衆国の建国理念に、協力と相続の思想が全くない事にあります。そもそも、米国はインディアンを虐殺した土地の上に築いた人造国家です。そのため、米国は民族的な共同体と、相続すべき歴史と伝統を、最初から持っていないのです。すなわち、ソ連と同じく米国も実験国家です。したがって、米国もソ連を同じ道をたどる事となりそうです。2008年現在で、米国社会の完全な崩壊を予言している人は、そう多くはいないはずです。しかし、あの国の内情が信じがたいほどに荒廃しているのは客観的事実です。そのため、米国の崩壊はただの杞憂で済むとは考えられません。恐らく、半世紀後の米国は1981年公開の映画「マッドマックス2」のような状態になるのではないでしょうか。これがアメリカ合衆国が自慢して来た民主主義の末路です。
これから先に、数多くの歴史家の筆によって米国の崩壊が考察され、多種多様に記述される事が予想されます。その内容は、おおむね想像がつきます。このアメリカ合衆国の崩壊の歴史的意義とは、近代主義の瓦解として結論づける事ができます。簡潔にまとめれば、歴史的に見ればアメリカ建国とフランス革命は双子の関係にあると言う事です。1789年フランス革命によって、世襲の帝政が否定され、近代が始まったと言えます。一方で、米国は新興国ですので、世代間で相続すべき歴史と伝統が元からなく、世襲の帝政も貴族制も持たない国でした。したがって、米国は自由平等を建国理念として掲げ、個人主義、私有財産制、国民国家といった近代主義に基づく人造国家として建国されました。すなわち、アメリカ合衆国は市民革命の申し子であり、近代主義の権化であると言えます。したがって、この米国が無惨に崩壊する事は、それすなわち近代の終焉を意味するのです。
中国崩壊
次は中国の崩壊です。2008年現在、北京五輪が終われば中国バブルが破裂するというのはもはや一般常識です。その上、中国の莫大な外貨準備も、内容はドル建てで行われています。また、主な輸出先である米国市場が崩壊するため、輸出不振で経済が減速する事も間違いありません。そのため、米国の破産に伴い中国経済が急速に崩壊し始める事は避けられません。これは、米国の経済圏である日本とまったく同じ事情です。また、米国以上に中国の国内が荒れているのも事実です。例えば、内陸部と沿岸部の格差問題、虐げられた農民の不満、環境問題、莫大な不良債権などなどあげれば切りがありません。既に内陸部では数万人単位ので暴動が多発しています。これは暴動というよりも、戦争と形容する方が適切なほどの規模の暴動です。しかも、地方の軍閥は武器輸出で肥大化し、次第に北京政府の命令を聞かなくなり始めているのも不安要素です。長期的な問題は少子高齢化です。一人っ子政策に加えて、中国では男児が優遇されるため、女児殺しが非常に多いとされています。したがって、これから先は日本以上に急速な少子化により、中国の国家財政が破綻する事は明白です。その時には、中国国内は混乱を極める事でしょう。
それ以外にも、憂慮すべき深刻な問題があります。それは新型の鳥インフルエンザが流行する可能性です。既に、2006年8月には、インドネシア保健省が鳥インフルエンザがヒトに感染して早計で十三人死亡したと報告を提出しています。仮に鳥インフルエンザが変異し、新型インフルエンザとなってヒトに空気感染しはじめれば、最悪の場合ペストの再来であるとさえ言えるほどの被害をもたらしかねません。現在、北京政府は北京五輪の開催を控え、この新型インフルエンザの感染情報を隠蔽している状態です。現在のように国際的な流通網が完成した中で、北京五輪の最中にアウトブレイクが起こるような事があれば、もはや一巻の終わりです。こういった疫病の流行は、家畜と生活を共にしている中国南部において特に流行が危惧されています。ちなみに、これは日本では余り知られていない話ですが、あの第一次世界大戦が終結した直接的原因はスペイン風邪の流行であると言われています。スペイン風邪は感染者6億人、死者5000万人の被害を出しました。当時の世界人口は8~12億人であったと言われているため、実に全人口の約半分が感染した事になります。このスペイン風邪の病原体の正体は、近年の調査の結果、鳥インフルエンザウイルスに由来するものであった可能性が高いことが証明されています。
内政における中国の最大のアキレス腱は、チベット問題と法輪功です。まず、中国の歴代王朝は伝統的に宗教を非常に恐れ、宗教を弾圧する傾向にあります。なぜなら、古代から中国では王朝末期に新興宗教に帰依した農民が叛乱を起こし、易姓革命につながった例が多々あったからです。その典型例が、後漢末期の黄巾党の乱です。したがって、現在の中国では法輪功とチベット仏教に対し苛烈な弾圧が行われています。また、中国政府は豊富な水資源を持つチベットを確保するため、チベットでの民族浄化も行っています。このチベット問題を国際社会が無視するのは、過去にチベットがナチス・ドイツと結びつきがあったからだという説もありますが、真相は分かりません。しかし、仮に中国がチベットを失う事があれば、人口爆発で水不足に喘ぐ中国北部は更に疲弊する事になります。
一方で、現在のCIAは屋台骨の揺らいでいる中国共産党を支援しています。なぜなら、米国のロックフェラー財閥は中国に対して莫大な投資を行って来ているため、中国共産党が倒れてしまえば、貸し付けが焦げ付いてしまうからです。そもそも、70年代におけるニクソンとキッシンジャーの外交を見ても分かる通り、アメリカ合衆国と中国は非常に強い結びつきを持っています。米国は一方で中国に投資して利益をあげながら、一方で沖縄の米軍基地から中国を威嚇する強かな外交を行って来ました。そして、現在の米国は、日中戦争か日中冷戦を演出して、日本に武器を輸出して稼ごうという考えを持っています。そのため、CIAは中国共産党に「お化け役」を演じて貰わねば困るという事情があります。したがって、現在のCIAは日中を離反させつつ、一方で中国共産党を支援するという難しい仕事を実行している状態です。そもそもこういった複雑な工作活動は、大概は失敗に終わるものです。したがって、恐らく中国共産党の力は弱体化し、内陸部まで支配力が及ばなくなり始めるはずです。
この流れを見て、ロシアが中国内陸部の新疆ウイグル自治区における独立運動を支援する可能性があります。なぜなら、経済力と軍事力をつけ始めた中国に対して、ロシアが脅威を感じ始めているからです。もう一つの理由は、中央アジアのロシア軍がイスラーム化している事です。そのため、新疆ウイグル自治区の住民はイスラム教徒ですので、中央アジアのロシア軍が独立を支援するのは、宗教上の観点から見ても妥当な事です。仮に、ウイグルが独立すれば、そこにロシアの傀儡政権が立ち上げられ、中国の内陸部はロシアの間接支配下に置かれる事になります。また、インドは水資源の豊富なチベットの獲得を狙って、ロシアの尻馬に乗るはずです。チベット仏教の指導者であるダライ・ラマ・14世はインドに亡命しているため、インドにとってはチベット解放という宗教的な大義名分が与えられています。したがって、インドによるチベット独立支援は、国際社会を味方につける事が予想されます。仮にチベットが独立すれば、そこにはインドの傀儡政権が樹立される事になります。そうなれば、中国は内陸部と沿岸部で国が分裂し、新疆ウイグル自治区はロシア、チベット自治区はインドによって分割統治される日が来る事になります。そして、経済格差の広がった内陸部と沿岸部で対立が深まり、最悪の場合は内戦が勃発すると私は予測しております。誠に不謹慎な話ですが、中国で内戦が勃発すれば、日本は軍需景気で潤う事が予想されます。これからは、中国沿岸部をロシアの緩衝地帯にするために、日本が武器輸出をする時代が来るかもしれません。
預金封鎖
また、米国の破産によって、日本経済も連鎖破綻する事が十分考えられます。まず、仮に米国経済が破綻すれば、対米輸出でドルを稼いでいる日本は大きなダメージを被る事になります。また、膨大な米国債が紙切れになるため、日本の銀行が含み損で連鎖倒産する事も考えられます。また、現時点でウォール街の株の値動きと兜町の株の値動きはほぼ連動しているため、米国が破産すれば日本で株価の暴落が起こる事もまず間違いないです。そのため、世界経済における原油価格の暴落が、日米の連鎖倒産にまで発展する事は間違いありません。そして、預金封鎖で国民の預貯金は没収され、現在流通している紙幣と国債は恐らく全て紙切れになるでしょう。一度国債を踏み倒す事があれば、その後の信用回復は困難になります。特に、少子高齢化で経済成長を望めない日本は、通貨と国債の国際的な信用を回復するのは実質的に不可能となるでしょう。すなわち、この信用崩壊は日本における資本主義経済の終わりを意味する事になります。また、2008年現在の時点で、その破産の時期がいつになるかを正確に把握するのは難しいです。しかし、明確な根拠に基づく推測ではないのですが、私は2010〜2014年までの間になると見ています。また、日米の破産の前夜には、恐らく金融業界からインサイダー情報が漏洩するため、流通業界では生活物資の買い占めが行われるはずです。そういった動きが見られた場合は、すぐにでも破産すると覚悟すべきです。
実は、この日米の破産の前兆は、かなり前から既に出ています。それは、日銀と連銀は既に国債買い切りオペレーションを常態的に実施している事実です。これはケインズ的な量的金融緩和です。実は、これは政府の国債を日銀が刷った貨幣で買い取る行為です。しかし、これは財政法で禁止されている政策で、金融の禁じ手であるとされています。国会で特例法を通して無理に実施しているのですが、やはり好ましい政策ではありません。なぜなら、国の借金を国が肩代わりするため、これはタコが自分で自分の足を食べているようなものだからです。言い換えれば、貨幣の増刷で破産を先延ばしにしているだけです。恐らく、こうも貨幣価値を薄めてしまえば、何らかのショックをきっかけに、いずれハイパーインフレが襲来するでしょう。その際、ヘッジファンドが円の空売りをするはずです。いくら日銀が円の買い支えをしても、ヘッジファンドから一斉に売り浴びせを食らえば、ひとたまりもないでしょう。その結果、超円安で国内の物価が高騰するはずです。その後のシミュレーションは、第二章第三節の現憲停止で詳細に論じてあります。
この日本の財政破綻そのものはかなり前から予測されていた事です。例えば、1990年5月初版発行の澤田洋太郎著『日本滅亡論』では、日米の経済破綻と欧州の主導権獲得までが予測されています。この著作はほとんど脚光を浴びていないのですが、隠れた名著です。現時点で GDP の二倍に当たる約一千兆円もの負債を抱える日本は、急速な少子高齢化も相まって近々財政破綻する事が危惧されています。この約一千兆円の負債は、一年間に五兆円づつ返済しても完済には二百年かかる額です。一千兆円の国債に3%の金利がついただけで、利払いは三十兆円です。国の歳入が約四十兆円ですから、歳入の約75%が利払いだけで吹き飛ぶ数字です。仮に現在の状態で長期金利が上昇した場合、国債の利払いだけで国の歳入を超えてしまいます。そこまで財政状態が悪化してしまえば、もう国家予算を組めなくなってしまうでしょう。実は、ゼロ金利政策は、膨大な累積債務に伴う利払いを圧縮する意図もあって、実施されて来たわけです。一方で、よく日本には対外債務がないから大丈夫というエコノミストがいますが、それは見え透いた詭弁です。低利で格付けの低い日本国債は、外国人投資家からすれば旨味のない商品なので、売りようがないだけです。
同時に、日本政府は国民の資産を用意周到に囲い込み、国が破産した後には資産を没収し、その後は大増税を行う手はずを既に済ませています。実は、日本の市中銀行はどこも公的資金を導入されているため、政府に対して頭があがらず、不履行になるのが確実な日本国債を押し付けられているわけです。これは水面下で、日本国民の銀行預金が国債の補填に回されていると言う事です。そのため、将来は預金封鎖によって預貯金が政府に没収される事は、現時点でほぼ確定しているわけです。加えて、ペイオフ解禁により、日本の銀行が破綻した際の、外貨預金に対する法的保護は一切なくなっています。これは恐らく、キャピタルフライトを防止するための政策です。また藤井厳喜氏の指摘によれば、2004年に新札が発行された事がありましたが、あれは国民のタンス預金を測定するために行われた政策との事です。この藤井厳喜氏は竹中平蔵氏と同じくハーバード大卒で、あまりにも親米的かつタカ派な意見を主張してきたため、最近では信用を失墜してしまった人物です。しかし、彼のアナライズには一理あるのではないしょうか。また、新札発行の前夜には、マスコミを通じて不法滞在の外国人が偽札を発行する事件をやたらに取り上げていました。あれはマスコミを通じて政府が国民を欺くための布石です。
そもそも、管理通貨制度とは政府への信用から成立しているものであるため、政府への信用失墜は即、通貨価値の暴落へ直結してしまいます。したがって、現在の日米両政府は、情報統制を敷いて非現実な楽観論を宣伝し、自国民を欺く事で何とかして貨幣の価値を守っている状態です。仮に、マスコミを通じて真実が広く世間に知れ渡ってしまえば、信用不安で株価が暴落してしまいます。そのため、経団連や政府高官などが、著名なエコノミストに対して真実を漏らさぬよう釘を刺しているのは間違いありません。同時に、正確な負債総額を政治家が国民に伝えないのは、自らの政治責任を国民の側から厳しく問われてしまうからです。したがって、在野のエコノミストの主張や絶版になった古い書籍の方が、信頼できるソースとなりうるわけです。この論文であえて古い書籍を参考文献にしているのではそのためです。そもそも、民放では視聴率を獲得する事が優先です。そのため、あまり暗い話題を放送しても視聴率が上がらないため、恐らく放送を自粛している事も理由としてあげられます。そのため、未だにほとんどの国民は、金利が全くつかないのにも関わらず郵便貯金に代表される官制ファンドの預金を解約しません。しかも、故石井紘基議員によって、郵貯が財政投融資を通じて特殊法人に注ぎ込まれる構造はとうの昔に暴かれているのにも関わらずです。
また、こういった経済的な混乱を見据えて、富裕層は既に資産疎開を水面下で進めていると言われています。金融ビッグバンで金融の自由化が完了したのであればなおさらです。例えば、アルゼンチンが財政破綻した際にも、富裕層は資産をドルに換えて難を逃れています。仮に、私がちょっとした資産家であれば、世界最高の信用度を誇る日本のパスポートを用いて、欧州で口座を開設し、資産をユーロ化して疎開させています。それか、外資系の投資信託に分散投資して高利を追求しています。また、日本からマネーが逃げる原因は、何も預金封鎖のリスクばかりではなく、高すぎる相続税や、ゼロ金利にも原因があります。現に、日本国内の資産家は相続税を嫌ってオセアニアや香港に資産を移す例が多いわけです。
第三節 資本主義批判
競争の批判
日米中の市場原理主義は、これから包括的な崩壊に向かう事になります。これは、市場は万能であるという仮説が、ただの信仰心の類に過ぎなかったという事の証拠になるでしょう。ここから、米国流の市場原理主義の誤謬について論じさせて頂きます。まず、市場原理主義というシステムの基本は、自由競争にあります。しかし、自由競争の枠組みで経済というゲームに参加する人間を全員稼がせ続けるためには、経済をバブル化させて経済規模を永久に拡大し続けるしかありません。仮に、経済成長が終われば、今度は過当競争から企業が潰し合いをして共倒れするため、結果的にデフレが起こってしまいます。つまり、バブルを作るのを止めれば、今度はデフレが起こります。したがって、資本主義というシステムにおいては、バブルかデフレという二つの経済状態しか原理的にありえません。膨らませるべき投機材料が枯渇して、バブルを演出できなくなれば、じきにデフレが起こります。しばらくすれば、バブルを作るために重ねてきた膨大な累積債務によって、国家財政が破綻してハイパーインフレが起こります。これが、資本主義のライフサイクルです。以下のバブル化とデフレ化の項目で、その過程を詳細に説明します。
そもそも、自由競争の枠組みでは、誰かが競争に勝利して利益を得る背後で、誰かが必ず競争に敗北して損失を被る事になります。したがって、いくら競争を加熱させた所で、富の総量が増えるわけではないため、全体から見ればこれはゼロサムゲームに過ぎません。これは富の取り合いであるため、富豪が生まれる背後には必ず貧困も生まれる事となります。そのため、競争の勝敗が決定される事によって、貧富の格差が広がるのは当然の事です。また、より直感的に市場原理主義の間違いを指摘する事ができます。例えば、井上雄彦氏著の漫画『バガボンド』の中では、伝説の剣豪宮本武蔵が、たった一人で吉岡道場の弟子七十人を全員斬り殺す描写があります。これはあくまで漫画の話ですが、この描写は市場原理主義の正体を表していると言えます。つまり、自由競争を徹底的に押し進めれば、最終的にはたった一人の勝利者しか残らないのです。しかも、膨大な数の屍の上にたった一人の勝利者が生き残るのですが、その勝利者は何一つ得られるわけではありません。なぜなら、勝利者は敗北者を全て殺害する事によって、生活の基盤を自ら破壊してしまっているからです。これは労働者を搾取しすぎた結果、経済全体の消費が冷え込んでデフレスパイラルが起こり、資本家の側まで損をする構造と全く同じものです。これは、労働者と資本家の共倒れであり、敗北者と勝利者の共倒れでもあります。したがって、こういった過当競争は何の富も生み出さないと断言できます。
搾取主義
加えて、投資によって貧富の差が広がるのも事実です。なぜなら、既に富を所有している資本家は、投資によって利殖を行う事が出来るからです。一方で労働者は投資を行うための原資がないため、利殖は不可能です。したがって投資を活性化させればさせるほど、貧富の格差は開く一方になります。つまり、全く労働者に富を還元せずに、ただ資本家が一方的に搾取するシステムが市場原理主義です。そのため、市場原理主義においては、利子による搾取で経済が二極化するのは当然の事です。この二極化現象は、全体の二割の人間が、全体の八割の富を所有するパレードの法則として知られています。こういった富の偏在の詳細な過程は、複雑系の研究で既に解明されています。2005年初版発行のマーク・ブキャナン氏著『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』においては、投資によって貧富の差が拡大し、税や品の売買によって貧富の差が縮小する過程が詳細に説明されています。したがって、投資による貧富の格差の拡大への批判は、よく言われる「貧乏人の嫉妬」などではなく、数学的に説明のできる客観的事実なのです。ちなみに、本来は貸し付けを焦げ付かせないためには、債務者を支援育成するのが長期的な利殖につながるのです。そのため、富の再分配は合理的な政策なのです。
そして、現実世界においては、たった一人の勝利者とは中央銀行を運営している金融資本家を指します。なぜなら、政府も銀行も、実は中央銀行が刷った金を借りているからです。この中央銀行の貸付残高の膨張が、「信用創造」と「経済成長」の正体です。貨幣に増刷によって中央銀行の貸付残高が、あくまで右肩上がりで膨張し続けるため、経済成長も永久に続けなければなりません。つまり、中央銀行への利払いのために経済規模を永久に膨張させ続けなければならないのです。この中央銀行ですが、欧米においては実はごく一部の金融資本家によって経営されています。もちろん、貨幣を刷る特権を持っている彼らは、明らかに例外的な存在です。そのため、この金融資本家は、市場原理主義においては実質的に神同然の存在です。なぜなら、貨幣を刷って金利をつけて貸し付けるだけで、いくらでも金を稼ぐ事が出来るからです。これは、一方的な搾取構造そのものです。ちなみに、この一方的な搾取構造はヘブライズムの一神教的な宗教観とも相通じるものがあります。そして、国家破産の正体とは、中央銀行が通貨の増刷で行った政府への貸し付けが、全て焦げ付いてしまうと言う事です。しかし、連邦準備銀行にとっては、たとえ貸し付けが焦げ付いても、原資は紙とインクですので、損失などは最初からないのです。
また、米国の私立大学はこの金融資本家から莫大な献金を受けています。そのため、米国の私立大学において、手の込んだ虚構の経済理論の捏造が行われて来ました。それがケインズ経済学と新古典派経済学と金融工学です。以下、バブル化の項目でケインズ経済学、デフレ化の項目で新古典派経済学を批判しています。計量経済学においては各種の統計データから平均値を算出する作業が行われています。しかし、経済成長率やGDPといった経済全体の平均値をはじき出した指標は、何の意味もなさないものです。なぜなら、市場における富は著しく偏在しているからです。例えば、自給6ドルで働くヒスパニックの資産と、ビル・ゲイツの持つ資産を足して二で割って平均値を出しても、その指標は現実の経済状態を反映したものではありません。また、金融工学では金利の極大化とリスク分散のために解析学と確率論を統合した高等数学(確率微分方程式)が用いられています。しかし、これは連銀で刷ったドルを用いて利殖するために造られたものです。これは確かに非常に高度な理論体系ですが、その本質は詐欺的なねずみ講です。結局、こういった経済学の正体とは、中央銀行を支配する金融資本家に利益誘導するためだけの虚構の学問です。
バブル化
まず市場原理主義とは、富の再分配を行わない資本主義です。これは労働者に対する一方的な搾取構造であり、構造的に見た場合、ただのねずみ講です。なぜなら、経済規模を永久に拡大し続けないと、資本家への利払いを続けられないからです。その永久の経済成長ために発明されたのが、ケインズ経済学です。現在の日米の異常な赤字体質は全て、このケインズ政策に原因があると言えます。実はケインズ経済学の正体とは、貨幣の増刷で消費を刺激する事で、虚像の経済成長を演出し、市場原理主義の破綻を先延ばしにするトリックです。例えば、クリントン政権下でのITバブルも、ブッシュ政権下での不動産バブルも、消費によって経済を膨張させるために作られた恣意的なバブルです。しかも、それが破裂してしまえば、戦争を起こしてバブルを作るしか道がなくなります。現に、ブッシュ政権のアフガン攻撃やイラク戦争は、公共事業という意味合いも含まれた政策です。また、このケインズ経済学は、他の理由から見ても先進国では既に時代遅れになっています。なぜなら、先進国では既にインフラが飽和してしまったため、公共事業をやっても期待しただけの経済効果が現れなくなったからです。そして、今では公共事業は官僚による汚職の温床になってしまいました。
歴史的に見た場合、日米の赤字体質が始まったのは、1970年代の初頭からです。まず、米国では1971年8月のニクソン・ショックで、ドルが兌換紙幣から不換紙幣に変わり、管理通貨制と変動相場制に移行した結果、通貨の増刷が無制限に行われるようになりました。そして日本では1972年の日本列島改造論で、建設国債が濫発され始めた結果、通貨の増刷が無制限に行われるようになりました。そして、両国とも財政支出をやり過ぎた結果、70年代から累積債務が幾何級数的に膨れ上がり始めたのです。また、返済不可能な累積負債を抱えれば破産するのは単純な話です。したがって、ニクソン・ショックによって将来的に米国の破綻は既に運命づけられていました。一方で、日本の側も80年代頃の人口統計と財政状態を分析すれば、戦後のベビーブーマーが引退する2010年前後に日米が破産するのは火を見るより明らかだったのです。そのため、超マクロ的にみれば、現在の日米に見られる経済現象は、不思議な事でも何でもありません。
現代のケインズ経済学に基づく管理通貨制度の問題点は、安易に貨幣を増刷してしまうため、貨幣の増殖に生産物の増大が追いつかなくなる点にあります。そのため、サービス産業や貨幣を商品化するデリバティブ経済などが生まれて来てしまうわけです。同時に、これは立場が下の貧しい人に仕事をさせて虚飾塗れの奢侈享楽にあけくれた結果、国民精神が空洞化する事であるとも見なせます。加えて、自国の通貨高を背景に他国からモノを輸入して消費する習慣がつくと、国の産業が空洞化しはじめます。いわゆる経済のソフト化や、ニューエコノミー論と呼ばれる経済理論は、産業の空洞化を正当化するために学者が捏造した欺瞞に過ぎません。これは第一節「勝者の傲慢」で説明した内容とまったく同じ事です。現に、米国は自由貿易の枠組みの下で輸入して消費をやりすぎた結果、産業の空洞化で米国の製造業は壊滅状態になってしまいました。こういった、貨幣の増刷で消費を刺激する金融政策は、結果として図体だけ大きな消費経済を作り出します。しかし、これは工業主体の筋肉質な生産経済ではなく、水ぶくれの消費経済であると言えます。そのため、これは経済成長というよりも、経済膨張という表現が的確です。仮に国が破産すれば、貨幣の増刷で膨張させてきた第三次産業と、それに属するホワイトカラーの職種は全滅です。したがって、これから日米が財政破綻した際には、従来では考えられないほど失業率が急上昇する事が考えられます。そのため、財政破綻後における最大の難題は、間違いなく失業問題となる事でしょう。
加えて、ケインズ経済学に基づく過剰な財政支出が原因となって生まれた化け物が、貨幣を商品化するデリバティブ経済です。以下の主張は名著『国家の品格』における藤原正彦氏の指摘を参考にしたものです。このデリバティブ経済は、母集団の膨張を前提として設計されたシステムであり、これもまたねずみ講である事に変わりはありません。しかも、このデリバティブ経済は、既に数京円規模にまで膨張しています。こんなものが永久に膨張しつづける事は絶対にありえません。現に、著名な投資家であるウォーレン・バフェット氏も、デリバティブが時限爆弾であるという趣旨の発言をしています。なぜなら、取引している商品である通貨の価値自体が、ドル崩壊で喪失してしまうからです。したがって、ドル崩壊でマネーを取引するデリバティブ経済は消滅し、米国系の大手金融機関は全て倒産に追い込まれる事が予想されます。
デフレ化
仮に、バブルを作るのを止めてしまえば、その次にはデフレが必ず起こってしまいます。このデフレの原因は、新古典派経済学に基づいた過当競争による企業の共倒れにあります。新古典派経済学とは、自由競争によって予定調和的に市場が最適の状態に導かれると言う理論です。しかし、市場原理による予定調和の理論は、右肩あがりの高度経済成長(すなわちバブル)の時代にしか期待できないものです。確かに、高度経済成長の時期には、市場原理による予定調和が作動します。なぜなら、高度経済成長の時期には、市場そのものが拡大していくため、経済というゲームに参加するプレイヤーは全員儲ける事ができるからです。しかし、高度経済成長が終われば、市場に参加しているプレイヤーが全員儲かる事は物理的にあり得なくなります。また市場が縮小している状況下でも、各企業は銀行への金利の支払いのため、「今期売上10%増」といった目標を掲げざるをえません。しかし、市場の成長が0%である場合、そういった売上目標を達成できる企業はほとんど無いのです。そして競争という名の元で、各企業が経営体力を削って潰し合いをする結果、どんどん共倒れしてしまいます。この経営体力を削る、というのは人件費を減らすという事です。その結果、労働者の給与が減って消費が冷え込み、デフレスパイラルが起こります。つまり、過当競争による共倒れがデフレの原因です。これはゲームに参加する個人が最善と思われる選択をした結果、皆が損をしてしまう状態にあると言えます。これはゲーム理論から見ると、非協力ゲームにおける「囚人のジレンマ」の状態です。したがって、一旦人口減少で高度経済成長が終われば、利子によって貨幣が自己増殖するどころか、利子によって貨幣が自己収縮し始めてしまうのです。これを計量化する事は、恐らく可能なはずですが、どこの大学もやっていないのは不自然な事この上ありません。
デフレのもう一つの原因は若者への過剰な搾取にあります。古今東西、資本家とは老人で、労働者とは若者です。現在の日本では、新自由主義の枠組みの下で金持ちが優遇されています。これはすなわち老人を優遇する政治であると言えます。しかし、この政治の下で、満足に育児さえ出来ないまでに若者を苛烈に搾取した結果、若者による消費が冷え込んで経済全体が加速度的に縮小し始めています。その流れの中で、将来不安から出生率が更に低下し、人口減少が始まったため、経済縮小が更に加速し始めています。そのため、経済全体で老人にのみ資本が集中し、若者と育児のためには全く資本が投入されない構造が完成してしまっています。これは、経済全体の失速を招くため、不良債権が更に増える原因ともなります。これは完全な悪循環なのですが、もはやこの流れから抜け出すのは不可能です。なぜなら、富の大部分は老人が独占している上、日本国民の四分の一が老人であるため、議会では若者の権益は無視されやすい傾向にあるからです。まして、一切の経済力を持たず、参政権もない子供の権益は完全に無視されています。
ちなみに、それらの諸問題を避けるため、欧州の社会民主主義や福祉国家においては、富の再分配が徹底されています。この富の再分配を重視する社会民主主義とは、貸し付けの焦げ付きを防ぐために、積極的に債務者を保護育成する経済システムであると言えます。また、富の再分配により一つの系の中で富が循環させるため、市場規模を拡大する必要はなくなります。なぜなら、資本家が利子によって得た不労所得は、富の再分配で労働者に返還されるため、利払いのために富の総量を増やさなくて済むからです。その結果、無理な通貨の増刷は必要なくなります。つまり、富を再分配すれば、一つの系の中で富が循環するのです。すなわち、一方的な搾取をやめて、労働者に富の再分配をしさえすれば、経済全体のバランスが調整されて資本がうまく循環して行くのです。そのため、私は富の再分配を行う資本主義(すなわち社会民主主義)を支持します。
補足説明 進化論の誤謬
余りにも堅苦しくて暗い話ばかりなので、ここで休憩として小咄を一つ差し挟んでおきます。くだけた話なので、読み飛ばして頂いても結構です。上記のような形で、競争の非合理性を主張した場合には、必ず大きな批判の声がのぼります。そして、競争の正当性を裏付ける理論として常に用いられるのが、ダーウィンの進化論です。そして、このダーウィンの進化論は、弱肉強食を是とする市場原理主義を論理的に補完する役割も担っています。ちなみに、この考えは人種差別や優生政策の科学的根拠になっている側面もあります。しかし、私はこの進化論には懐疑的な立場です。彼の学説によれば、環境適応に失敗した劣った種は自然淘汰され、優れた種が生き残る事で生物が進化するという事になっています。したがって、生物は非常に長い時を経て、徐々に進化すると言うのが進化論の定説です。
そして、この進化論を論理的に補完しているのが、地質学です。現在では、地層の中に年代別に生物の化石が埋まっている言う理論が定説です。そして、一つの地層が形成されるのに数千万年かかるとされています。しかし、そこまでの長い期間に渡って同じ環境が継続する事は、どうしても考えられません。何より、全世界どこの地域でも、同じパターンの地層が同時期に形成されるという前提そのものが、到底信じられない事です。私は地質学というものに根本的な疑念を抱いているため、それによって論理的に補完されている進化論にも懐疑的です。これから下に書く学説を信じるか否かは各人に任せますが、私は下の主張を支持する立場をとります。
ほとんど世間からの脚光を浴びていないのですが、進化論を覆すある学説が、実は戦前から存在しています。それは、15000年前に巨大彗星が地球に衝突したという説です。この説は、オーストリアのヘルビガーと呼ばれるエンジニアが提唱していたようですが、文献が残っていないためどうとも評価しかねる所です。そのため、以下の主張は2004年初版出版の浅川嘉富氏著『恐竜と共に滅びた文明』の内容を要約したものです。まず、15000年前に巨大彗星が地球に衝突し、その中に詰まっていた氷河が地表に降り注ぎ、海面水位が急激に上昇しました。その結果、移動速度の遅い生物は高台への避難ができないため、土砂に埋もれて化石化したのです。そのため、三葉虫の正体とはつい最近まで生きていた深海生物です。
加えて、巨大彗星が衝突した際の摩擦で、地球の自転速度が下がり、遠心力が弱まった結果、地表では相対的に重力が強くなりました。その重力の増大によって、大型の恐竜は自重を支え切れなくなって絶滅したのです。そして、一部の恐竜は短期間のうちに鳥類へと進化していったとされています。また、地球に衝突した巨大彗星は、そのまま跳ね返って地球の周回軌道に乗り、現在の月となりました。そして前述の通り、その巨大彗星は中に詰まっていた氷河が地球の引力で吸い取られたため、現在の月の内部は中身が空洞になっているのです。そのため、月で地震が起こった場合には、異常に長い時間それが継続するのです。また、その巨大彗星は地球と接触した際の衝撃によって、彗星内部の金属からなるコアが一部の地点に偏ってしまいました。そして、その金属が偏っている地点が、地球の引力によって常に寄せ付られるため、月は地球に対して常に同じ顔を見せるのです。
この学説では、人間と恐竜がつい最近まで共存していたと言う事になります。その上、彗星衝突以前の重力が弱い時代においては、人間の体は現在よりも遥かに大きかったとされています。にわかに信じがたい話です。これは余りにも突拍子もない内容ですので、稚拙なオカルティズムと嗤われても仕方のない内容です。しかし、古代ギリシア神話や古代エジプト神話においては、太古の昔には、巨人族と呼ばれる非常に体の大きな人類が居たという逸話があります。また、洪水神話は全世界のほぼ全ての神話に登場しています。それだけではなく、ドラゴンや龍の神話は、世界中に存在しているのです。例えば、日本書紀にはヤマタノオロチという怪物が登場しています。こういった神話の内容と、上記の学説の間には、内容に高い整合性が備わっているのです。そのため、私はこの学説を支持する立場をとります。しかしながら、余りにも内容が荒唐無稽ですので、大学において研究予算が組まれるとは考えられません。そのため、この学説が科学的に証明されて、世間一般の常識となるのは、かなり先の事になりそうです。
第四節 民主主義批判
衆愚政治化
日米の市場原理主義の崩壊とは、すなわちアメリカ合衆国の全面崩壊であると言えます。ここで、アメリカ合衆国の崩壊原因を究明し、それを今後の教訓にせねばなりません。まず、アメリカ合衆国という国家の根幹を成すものは、民主主義と、私有財産制度を基にする資本主義です。米国が崩壊した原因は、やはりこの国家の根幹を成す自由平等を是とする民主主義に欠陥があったという事ではないでしょうか。特に自由平等という原理原則には問題があります。なぜなら、自由と平等は両立する事が出来ず、原理的に矛盾したものだからです。米国のように自由をとれば平等が損なわれ、ソ連にように平等をとれば自由が損なわれます。したがって、現実にはどちらか一方しか選択できないのです。
しかし、自由主義を突き詰めた市場原理主義は、個人に争いを余りにも煽り過ぎるため、結果的に破綻するのは明白です。なぜなら、資本主義の枠組みの中で私利私欲が全肯定された結果、それがモラル失墜を招き、社会の荒廃につながるからです。したがって、絶対自由主義とはその実、私欲の全肯定であると言えます。また、市場原理主義崩壊の根本原因は、無制限の私有財産制度の中で、労働者への搾取が苛烈になり過ぎ、結果的に労働者が疲弊して倒れてしまった事にあります。そもそも、努力して働いても利益は資本家の懐に転がり込むだけなので、勤労意欲が減退するのも当然の事です。したがって、アメリカ合衆国の極端な自由主義に基づく市場原理主義は、最終的には瓦解する運命にあります。
一方で、平等主義を突き詰めた共産主義も崩壊してしまいました。なぜなら、極端な平等主義は、嫉妬から他者に濡衣を着せて失脚させる結果平等主義につながるからです。したがって、絶対平等主義とはその実、嫉妬の全肯定であると言えます。また、共産主義崩壊の根本原因は、労働者の勤労意欲が減退してしまった事にあります。そもそも、努力しようがすまいが結果が同じでは、勤労意欲が減退するのも当然の事です。したがって、ソ連に代表される極端な平等主義に基づく共産主義は、既に崩壊してしまいました。したがって、極端な自由主義も極端な平等主義も、中庸の徳を欠くため、必ず崩壊する運命にあります。しかし、同時に自由と平等を理念として両立する事は原理的に不可能です。これはパラドックス以外の何物でもありません。
考え得る限りで最悪な事態は、こういった私欲と嫉妬に染まった大衆を操る事で、悪意を持った煽動家が政治権力を掌握してしまう事です。いつの時代も煽動家は詭弁を弄し、一般大衆の持つ私欲と嫉妬を煽るものです。そもそも、民主主義においては、最終的には多数決で意志決定がなされます。したがって、真の意味で民主主義の多数決の原則が厳守され、国民の意見が正確に政治に反映されるのであれば、どう考えても最終的には社会民主主義的な政治体制が選択されなければおかしいのです。なぜなら、国民を構成しているのは大多数の労働者だからです。仮に、そうならないのであれば、それは煽動家が詭弁を用いて大衆を愚弄し、民意を歪めているからに他なりません。
仮に、過った政策を数の論理で強引に押し通した場合、それは民主主義ではなく単なる衆愚政治となります。それは民主主義の自殺とも表現できる現象です。『世論の政治心理学』の著者ドナルド・R・キンダー氏は、大衆を構成する個人の著しい無知や不寛容を指摘しながら、集合としては適正な判断ができると結論づけています。しかし、現実には大衆が集合として過った判断を下し、民主主義が自殺を選択した実例は多々あります。古くはソクラテスの弁明として知られる逸話や、近年では小泉政権のポピュリズムがよく引き合いに出されます。この小泉首相の政治が日本の自滅を招いた事は、現在ではあながち否定はできないはずです。しかし、民主主義の法的手続に則って、彼に政治を委任して来たのは他でもない日本国民です。そのため、自業自得とも言えます。これは民主主義という政体がいかに頼りなく、容易に衆愚政治へと陥りやすいものであるかを端的に表しています。率直に申し上げますと、私は日本の戦後民主主義に対して、嘔吐感を催すほどの深い嫌悪を抱いています。したがって、こういったアメリカ合衆国の崩壊、「自由と平等」の思想の欺瞞、煽動家による衆愚政治などを受けて、第二章の冒頭部では「協力と相続」という思想を基に、伝統的な幕府制度の復活を提唱しています。これは新しい思想でもなんでもなく、伝統を重視する封建的な価値観に過ぎません。詳細な内容は第二章で説明させていただきます。
拝金主義
私は上で管理通貨制度とケインズ経済学の欺瞞について触れました。これは通貨制度のみならず、政治にも関係してくる重要な問題です。この管理通貨制度の最大の問題点は、意外な事に国民精神のバブル化にあると私は考えております。これは、拝金主義による国民精神の自己愛化であると定義できます。そもそも、管理通貨制度とは政府への信用から成立しているものです。そのため、政府への信用失墜は即、通貨価値の暴落へ直結してしまいます。したがって、政府はいかに財政状況が逼迫しようとも、情報統制を通じて国民に対して徹底的に楽観論を宣伝し、通貨の信用維持に努めます。これは大東亜戦争の末期に、国民の戦意喪失を恐れた大本営が嘘の戦果を発表していた状態と同じです。そのため、政府に騙された国民は、自国を傲慢なまでに過大評価するようになります。この傲慢なまでの自国への過信とは、何の根拠もない自惚れ、虚栄心、自己陶酔の類のものです。これは精神分析学で定義すれば集団ナルシシズムであると言えます。したがって、経済のバブル化とは、国民精神のバブル化以外の何物でもありません。
このナルシシズムとは、自己への自信の無さの反動形成として、表面的に空威張りをする異常心理の事です。このナルシシズムは、異常な攻撃性の原因となります。こういった自己陶酔やナルシシズムとは精神的な負債です。もちろん、精神的な負債にも利子がつきますので、利子で負債は幾何級数的に膨れ上がり、いずれは破産してしまいます。具体的には自己愛性人格障害、境界性人格障害という過程で病状は悪化し、最後には統合失調症に至ります。これは見栄を張るためについた小さな嘘がどんどん膨れ上がり、もはや本人さえ嘘をついている自覚がなくなっている心理状態です。いわば、非現実的な誇大妄想に歯止めが利かなくなっている状態です。そして、ナルシシストは惨めな自己を正当化するために、「自分だけは特別」という倒錯した選民思想を抱くようになります。この選民思想を守るために、ナルシシストは必死で他者を価値下げするようになります。つまり、ナルシシストは常に他者を見下す事で、自己の精神を守ろうとします。したがって、自分よりも少しでも優れた存在が居た場合、それは自己の選民思想を脅かす存在であるため、何としてでも視界から消し去ろうとします。これは病的な嫉妬心以外の何物でもありません。彼らは病的な嫉妬心から、異常な攻撃性と敵意を常に抱くようになります。そのため、彼らは弱肉強食の論理の信奉者で、常に競争心だけしか抱けない存在です。決して、共存共栄や協力といった建設的な論理を抱く事はありません。
この「自分だけ特別」という選民思想は、「自分さえよければそれでいい」という利己心につながり、一方で「自分の世代さえよければそれでいい」という現世利益主義にまでつながります。そもそも、資本主義が確立されれば、貨幣という社会制度に依存して生きる事が出来るため、他者との関係性を断つ道を選択できる側面もあります。つまり、人間よりも貨幣を信用するようになるので、非常に個人主義的な価値観が生まれるわけです。彼らは精神的に誰ともつながって居らず、絶対的な孤独者です。そのため、異常な空虚感、孤独感を埋めるために、常に誰かの賞賛か注目を求めます。したがって、ナルシシストは「一人で居る」という行為が全く出来ません。倒錯した選民思想の持ち主は、周囲の人々を罵倒して価値下げし、その上で無条件の賞賛を周囲の人間に強要します。そのため、ナルシシストは他者を激怒させる言動をとります。これは、相手が怒ると知った上でやる恣意的な挑発行為です。このように罵倒されてでも注目されたい、構って欲しいという心理は、病的なマゾヒズム以外の何物でもありません。したがって、ナルシシストが他者を傷つける言動を常習的にやる背後には、病的なマゾヒズムが潜んでいるのです。このマゾヒズムが更に深刻化すれば、自己を傷つける自傷行為を常習的に繰り返す事で、他者からの注目を求めるようになります。正確な統計はとられていないのですが、近年の日本の中学校では一クラスに一人はリストカットを行っている生徒がいると言われています。したがって、自傷行為を行っている若者は水面下では膨大な数にのぼっている事が考えられます。
こういったナルシシズムに冒された人は、認識能力にも障害がでてきます。まず、ナルシシストとは競争心の塊であるため、彼らの対人関係は優劣による上下関係だけしかなく、対等な協力関係は全く築けません。そして、上下関係を決定するために、常に自己と他者を比較し、優劣を格付けします。したがって、ナルシシストの認識においては、勝ちか負けか、100%善か100%悪かかという極端な白黒二元論だけで物事を解釈します。一方で、敵意を抑圧して他者に投影するため、病的な被害妄想を抱くようになります。したがって、根拠もなく他者が悪意を持っていると一方的に決めつけて常態的に攻撃するようになります。こういった一連の行動によって他者からの信用に傷がつくため、彼らは更に精神的孤立を深めるようになります。
そして、病状が悪化して精神的な統合性が著しく損なわれて来ますと、思考そのものにも重篤な障害が出てきます。具体的には、論理的な思考が崩れ始め、物事を統一して解釈する事ができなくなります。その状態が更に悪化すると、次には言語的な思考が解体しはじめます。その結果、何の意味も成さない単語の羅列を口走る「言葉のサラダ」という状態になります。これは統合失調症の陽性症状です。一方で、ここまでで説明して来たものとは正反対の症状もあります。それは精神的に完全に自閉する陰性症状です。これは他者に対して抱いた期待や信頼が執拗に裏切られてしまった結果、完全に他者へ期待する事をやめてしまい、精神的な疎通を諦めてしまった状態です。この陰性症状とは、感情鈍麻(感情が平板化し、外部に現れない)、疎通性の障害(他人との心の通じあいが無い)、自発性の低下、意欲低下、無関心などです。顔には表情がなく、声にも抑揚がなく、何とも形容のしようのない機械的な雰囲気が漂うようになります。こういった一連の認識能力の障害は、気質的にみれば前頭葉機能の障害であるとみなせます。
現在では拝金主義に冒された大衆が、参政権を与えられているため、民主主義が衆愚政治化するのも当然の事です。したがって、資本主義は拝金主義に堕ち、自由と平等は私欲と嫉妬に堕ち、更には民主主義は衆愚政治に堕ちてしまいました。その上、現在の日米の財政状況は悪化の一途をたどっているため、日米中の経済が連鎖破綻する事はもはや不可避な既定路線と化しています。これは資本主義と民主主義を基盤にした近代文明そのものの崩壊以外の何物でもありません。この近代文明の崩壊の根本原因は、この節で説明した拝金主義です。すなわち、人類は私利私欲によって自らの文明を滅ぼしてしまったという事です。
老人支配
現代の市場原理主義と議会制民主主義は、最終的には老人が若者を徹底的に搾取する構造に陥って破綻する運命にあります。皮肉な事に、最初からそのように設計されているとしか言いようがありません。まず、資本家の老人が労働者の若者を苛烈に搾取するため、デフレ不況と少子化が起こります。もちろん、若者は満足に育児もできないほど搾取されるので、急速に勤労意欲を失っていきます。そして、税負担と搾取によって若者が食い潰され、社会全体の活力が急激に殺がれて行きます。しかも、少子高齢化が進めば、数の上でも老人の方が必ず優位に立ちます。その結果、議会では老人を優遇する政治が自然にとられ、若者への支配は法的に正当化されます。そのため、老人天国が完成し、若者はただの奴隷にされます。特に、現在の日本では老人支配によって政治が余りにも保守化・硬直化したため、国全体から若々しい活気がどんどん失われ始めています。
それに加えて、余命の短い老政治家は、孫の世代から借金をする禁じ手を安易に行ってしまう傾向にあります。したがって、天文学的な累積債務が生み出され、それが複利で幾何級数的に殖え始めるようになります。そして、政府が債務不履行を宣言した瞬間に、通貨が紙切れになってハイパーインフレが起こります。このように、市場原理主義と議会制民主主義という政治システムから演繹すれば、こういった推移を辿って国家が自殺に向かう事になります。これはシミュレーションというよりも、既に歴史的事実と化しています。
そもそも、右肩上がりの経済成長がなければ、利子がつかないので資本主義というシステムは続くわけがありません。一方で、高度経済成長期を生きた団塊世代は、本気で経済成長が永久に続くと堅く信じて来ました。しかし、働けば働くほど豊かになる状態というのが、人口増大という環境下でしか実現されないのは当たり前の事です。そのため、団塊世代の一般認識に反して、日米の経済成長は実質的には70年代の時点で既に終わっていました。後は、国債の濫発で孫から借金をする事で、経済規模を水増しして来ただけの事です。そして、長年の国債濫発で築かれた天文学的な累積債務が、現在では複利で幾何級数的に殖え始めていますので、もう国家破産は時間の問題です。そうなれば、老人が若者を搾取する資本主義の構造も終わりを告げるでしょう。
一旦国が破産して、資本主義における資産が凍結されてしまえば、利子による搾取も停止する事になります。それは老人の資本家が若者の労働者を搾取する構造が終わると言う事です。その結果、国家破産の惨状下で、若者は自らの育児に専念するようになります。若者というのは、つまり労働者の事です。労働者が資本家の支配から脱却して、自らの育児に専念するというのは、社会主義革命が起こったと言う事に等しい事です。その善悪や、イデオロギーについて論じるのではなく、ただ事実としてそうなるだろうと言うだけです。そして、いくら老人の側がその若者の動きを批判しても、彼らの資産が凍結されている限りは、若者の側は子供の扶養を優先するに決まっています。そもそも、孫の世代から借金をして贅沢をして来て国を破産させたのですから、本来なら申し訳ないと謝るのが道理です。
何より、早期退職して利子生活に入りたがるより、身体が動く限りは生産活動に従事して社会貢献しつづける意志を持つ事が大切です。現在の若者が勤労意欲を失う背景には、日本の老人が余りにも堕落し、若者を搾取する利子生活への心理的抵抗を失い、平気で若者を搾取するようになった事が原因として横たわっています。本来、育児とは国の未来に関わる事なのですが、それを過剰な搾取で食い潰しても平気な顔をしているのは、堕落以外の何物でもありません。また、目先の小銭に目が眩んで堕落した老人に媚びを売り、老人の側の詭弁を弁護する若者も同罪です。彼らは子供達の裏切り者です。いつの時代でも、最優先すべきは子供の未来であり、若者の育児です。したがって、私もいずれ必ず老いるのですが、ギリギリまで若者の育児を支援する老人でありたいと願います。そして、もし私が堕落した老人となった場合には、正義感のある若者に刺し殺されるのが本望です。なぜなら、そういった気骨のある若者が育ってくれているのであれば、この国の将来は安泰だからです。そもそも、社会的地位において勝る老人が、下の世代の若者に苦言を呈すのは簡単ですが、若者が堕落する原因は上の世代が模範を示して来なかったからに他なりません。そのため、口で説教を言うのではなく、なるべく身を以て模範を示さねばなりません。いくら謙虚になれ、尊敬しろと一方的に命令した所で、それがただの理不尽な驕りに過ぎなければ、若者の側は態度を硬化させるだけです。少なくとも、国家破産後は老人の側が若者の重荷になる事を恥じて、孫の世代のために米を作るといった奉仕精神を持って頂かなければ、一国の財政が持続できるわけがありません。私自身、定年退職後は孫のために米をつくる事を現時点で既に覚悟しています。
第五節 日本経済批判
土地私有制
ここからは、日本国内の資本主義の問題点について指摘させて頂きます。以下の土地本位制の金融制度についての指摘は、2006年初版発行の平松 朝彦氏著『亡国マンション』を参考にしたものです。まずは、土地私有に関する問題です。前提として、日本の銀行は、融資の際に土地を担保として提出する事を債務者に要求する商慣行を持っています。そのため、過去には日本の事業主は銀行に融資して貰うために、土地を血眼になって確保して来たわけです。これが土地バブルにつながったのは言うまでもありません。それに加えて、三代相続すれば無一文になると呼ばれたほどの高い相続税によって、日本の私有地は権利者が代替わりするたびに細分化されました。特に地価の高い都市部では土地の細分化が進んでしまっています。そのため、空港建設など計画的な国土開発が非常に困難になりました。その結果、再開発には常に暴力団による地上げが必要な構造が出来上がったのです。このように、土地私有の容認は、社会の中で世代交替が進むたびに国土開発を困難なものにさせる原因にもつながるのです。
この日本での土地私有の歴史を遡ると、明治政府による地租改正にまでたどり着きます。明治政府は近代国家を築く上で、米によって年貢を支払う従来の税制から、貨幣によって税金を支払う新しい税制を導入せねばなりませんでした。そのため、地価の一部を税金として現金で支払う仕組みを作ったのです。この地価というのは、市場における需給関係で決定されたものではありません。これは、官僚が期待した税収を得るために、全国を回って一方的に土地の評価額を決定し、その土地の地価と定めたのです。つまり、地価があがればそれに比例して税収が増える構造が明治政府によって作られたのです。言い換えれば、日本では税収確保のために国策で地価を上昇させてきた側面もあるのです。この構造があるため、日本の銀行は土地を最も確実な金融商品とみなし、融資の際には土地を担保として提出することを、債務者に求めたのです。そのため、日本の銀行は土地の質屋の異名を持ち、日本の金融制度は土地本位制と呼ばれてきたのです。
その結果、日本では経済成長と地価の上昇がほぼ完全に比例する構造が出来上がりました。むしろ経済成長率よりも、地価の方が日本の経済状態を表す指標としては信頼性が高いのではないでしょうか。例えば、土地バブル崩壊後に、日本の地価が下がり続けている点から見ると、日本の経済が確実に衰退している事が伺えます。この事実から演繹すると、日本が財政破綻した場合には、土地私有を基本とした金融システムが破綻してしまうため、恐らく地価が劇的に暴落する事が予想されます。これは原油バブルの破裂によってドルが信用崩壊する構造に非常によく似ています。これらが、土地私有を基にした日本式資本主義の正体です。
そのため、日本においては、資本主義とはそれイコール土地私有であるとさえ言えます。しかし、このシステムがいかに欠陥だらけであっても、日本の国民はこだわり抜くはずです。特に団塊の世代で、マイホームをもっている人は断固として土地私有に固執するはずです。それもそのはずで、団塊世代の多くは三十年の住宅ローンを組み、毎日往復三時間の通勤に耐えて、マイホームを手に入れて来たからです。私は土地の評価額が目減りしてマイホームの価値が一挙に毀損する問題を、マイホーム問題と名づけています。これは日本の金融や財政に直接根ざした構造的な問題であるため、米国のサブプライムローンの焦げ付きなどとは全くわけの違う、非常に深刻な問題です。かの三島由紀夫は、マイホーム主義を小市民的な夢として蔑視し、当時顰蹙を買ってきました。しかし、彼は東大法学部卒で大蔵官僚の経歴を持ち、日本の法律と金融に知悉していたため、マイホームが将来日本を揺るがす大問題に発展する事を既に予知していたのです。それは彼の作品である『豊饒の海』のシリーズ最終作で『五人五衰』における描写から分かる事です。
ちなみに、欧州では国土はもともと国王のものであり、現在でも国民は土地を一時的に政府から占有する形をとっています。そのため、土地バブルが起こる素地が最初からなく、しかも政府による計画的な国土開発が行えるのです。その結果、欧州では後世の世代に不動産という形で財産を残す事ができるのです。転じて、私有地が細分化する一方の日本では、土地の上に載っている建物の殆どは使い捨てであり、孫の世代まで残る建物が驚くほど少ないです。そもそも、フランスの人口は約六千万人で日本の約半分であり、ドイツの人口は約八千万人で日本の約三分の二です。加えて、日本は国土が山がちで、人口の大半は沿岸部の土地に集中しています。こういった理由から、非常に人口密度の高い日本で土地私有を容認するのは、物理的にも問題が多すぎます。そのため、土地私有に対しては制限を加え、国有地化して政府の管理下に置くべきです。これらが土地私有に関する批判ですが、日本の金融にはそれ以外にも大きな問題があります。それはリコースローンと連帯保証人制度です。
金融制度
これも日本に限っての事例ですが、金融における法的責任に関して大きな問題があります。実は日本の銀行は焦げ付きの際に、損失を自腹で補填する法的義務がなく、債権者とその連帯保証人が全てのリスクを負う形が常態化してしまっています。これでは債権者と債務者の法的責任があまりにも不平等です。これは法の下の平等という近代法の大原則に反する事であり、本来許される事ではありません。そもそも、銀行の側がリスクを被る構造がないと、銀行が無謀な貸し付けを行って、不良債権を山のように築く結果にもつながりかねません。この日本の金融制度の事をリコースローンと言います。実は、バブル経済の後に、膨大な不良債権の山が残された原因は、このリコースローンにあると言われています。
加えて、もう一つの問題は連帯保証人制度です。この連帯保証人制度とは、全くもって前近代的で、非合理極まりない制度です。そもそも、ただ連帯保証のサインを書いただけで負債を全額肩代わりさせられる事になるため、これは常識的に考えてみても明らかに異常です。法的に見た場合、民間経済における契約は、双方の合意の下で行われるという事になっています。そのため、連帯保証人も合意の上でなっているため、法的責任が課せられるという事になってします。しかし、実際に融資を受けたわけでもない人物が法的責任を問われるのは、どう考えてもおかしいのではないでしょうか。転じて、欧米においては貸し付けが焦げ付いた際には、提出された担保を銀行の側が没収して終わりです。それで焦げ付きが補填できなくても、銀行の側が自腹を切るのが常識です。これは債権者と債務者が対等にリスクヘッジする仕組みです。これはモゲージローンと呼ばれています。これが資本主義経済の中での正常な金融です。そもそも、貸し付けを焦げ付かせないために、債権者が債務者を支援する方が、銀行にとっても長期的な利益につながるのです。そのため、債権者と債務者との法的な関係は、対等な協力関係にすべきです。
おわりに
このように、マクロ面では米国中心のグローバル経済、ミクロ面では日本での連帯保証人制度に至るまで、日米の経済システムは包括的な行き詰まりに直面しています。これは高度経済成長が終焉した結果、富を再分配しない資本主義が従来どおりに稼働しなくなってしまったことに原因があります。そのため、日米の市場原理主義は近々決定的な破局を迎えることが結論づけられます。
しかしながら、2008年現在において、米国の破産は認めるものの、日本の実質的な破産を認めない人が非常に多い事には今更ながら驚きます。これは政府による情報統制も原因としてあるのでしょうが、日本人の隠れた自惚れも原因として潜んでいるのではないでしょうか。この自己への買い被りは、独力で経済復興を成し遂げたという認識が元にあります。確かに日本人の優秀性、勤勉さは疑いようがないのは事実ですが、完全に独力だけで経済復興を成し遂げたと見るのは早計です。そもそも、日本は反共の防波堤として優遇されて来た過去を持つ国です。そのため、円安レートで固定されて対米輸出でドルを稼ぐ事が許され、米国の核の傘に守られて軍事費負担もまぬがれる事が出来たのです。加えて、朝鮮戦争とヴェトナム戦争という米ソの代理戦争で、日本は大きな利益を得た経緯がありました。したがって、ここまで好条件が重なれば、経済が繁栄して当然です。そのため、戦後の日本が経済的繁栄を独力で成し遂げたと見るのは、率直に申し上げると同意しかねる部分があります。現実には、戦後の日本は米国の下請として発展して来たの事は否定できないのです。したがって、米国が破産すれば日本も破産するのは当然の事です。そして、日米の破産は世界秩序の再編と、日本の内政の変化へとつながるのは言うまでもありません。したがって、第二章ではその後の世界における復興計画について包括的に論じさせて頂きます。
(第二章へとつづく)
第二章 国家社会主義による復興計画
はじめに
これまでの主張を総論すると、日米の市場原理主義はその原理的な限界から近々破綻すると言う事です。これは大東亜戦争の敗戦に匹敵する、未曾有の国難です。したがって、今後求められるのは、維新でも、革命でもなく、復興という事業です。私は反革命の立場をとるため、過去に倒された幕府を復興するという事を便宜上の大義名分として掲げる事とします。私は祖国の復興が不可能であるとは思っていません。諦めずに突破口を見出し、正しい思想と、国家百年の大計に基づいた適切な政策をとれば、復興は十分に可能であると私は信じています。この論文におきましては、第一節と第二節で、政治思想と教育理念について最初に説明させていただきます。そして、第三節から具体的な政策内容について論じさせていただきます。また、この復興計画の最終目標は、東亜条約機構(EATO)の発足です。
第一節 政治思想
協力主義
現代の日本社会においては価値観が余りにも多様化しすぎために、共通認識や常識というものが余りにも失われてしまいました。特に、現在では個人間の競争ばかり過剰に奨励される風潮があるため、相互の協力が余りにも軽視される風潮が出来ています。したがって、日本人は協調性を大切にするのが昔からの国民性でしたが、最近ではそれが本当に薄れてしまいました。これは敵対勢力の工作員が国内に潜入し、内部分裂を促すために破壊工作を行ってきた成果ではないかと私は疑っています。したがって、まずは日本国内で、最低限の共通認識と常識の復活から始める必要があります。
国家の復興とは、人がなし得る事業の中でも、最も困難な事業の一つです。したがって、揺るぎのない信念を基に、確固たる政治思想を築かねばなりません。元来、政治とは個人では出来るものではなく、当然ながら人々の相互の協力によって行われるものです。これはただの私見ではなく、客観的事実です。そもそも、人間が個人の能力だけで、たった独りで立つのは物理的に不可能です。したがって、社会的な分業によって人間は存在しているのであり、人間はあくまで相互に依存しあって存在している社会的な存在なのです。そのため、まずは協力の精神を社会に敷衍させる事から始めねばなりません。これは個人の殻に閉じこもる内向きの姿勢から、他者との関係性を重視する外向きへの姿勢への抜本的な転換を促す事でもあります。そのため、この協力の精神を認識の種として、政治思想を演繹させて頂きます。
協力の思想とは、何も無償の奉仕を求めるような単純なものではありません。なぜなら、他者から協力を引き出すというのは、言い換えれば他者を巧みに誘導・操作する事であるとも言えるからです。例えば、他者から協力を引き出すために、人類が昔から用いてきた手段が、賄賂と脅迫です。こちらに協力してくれるのであれば報酬を支払うというのは、辛辣な表現をすれば賄賂であると言えます。なぜなら、人間はあくまで報酬がなければ動かない存在だからです。そのため、インセンティブや交換条件という形で、つねに交渉相手に報酬を約束するのが、政治とビジネスの鉄則です。また一方で、協力を拒むのであれば暴力に訴えるというのが、脅迫という行為です。これは暴力などという形で、何も直接的な手段に訴える必要はありません。なぜなら、こちらの交渉に対して乗らなければ、将来的に不利益を被ることになると思わせればよいのです。つまり、将来の不安を煽るというのも一種の脅迫です。実はこの二つの手段によって、社会も政治も動かされていると言っても過言ではありません。非常に露骨な表現をすれば、賄賂と脅迫が巧みな政治家が優れた政治家であるとさえ言えるわけです。したがって、政治とは、片手で握手しながら、もう片方の腕でナイフを握り締める行為なのです。
また、人間社会において賄賂と脅迫が用いられるのと、国際政治において経済力と軍事力が用いられるのは全く同じ構図です。実は、国際社会におけるパワーバランスとは、常に経済力と軍事力のみによって決定されています。そのため、外交とは経済力と軍事力を利用して同盟国を増やす作業なのです。また、同盟国は常に対等なものであるとは限らず、現実には同盟の正体とは、経済力と軍事力の強大な大国が、小国を飲込む事であると言えます。例えば、冷戦期のワルシャワ条約機構とはソ連が東欧の衛星国を強制的に飲込むものでした。そのため、いかに日本人が嫌悪しようとも、軍事力の強い国が世界を支配する構造は厳然と存在しているのです。そのため、他国からの武力侵攻を前提とした国づくりをするのは、世界の常識です。また、外部からの武力侵攻のみならず、内部からのテロ事件、NBC兵器の使用、自然災害、経済危機などの有事に対して平時から備えておくのも、世界の常識です。こういった内外からの有事に備える事が、危機管理です。そのため、財政破綻後の日本は、有事を大前提とした国づくりをしながら、同時に多国間での共存共栄の道を探るべきです。
相続主義
ここまでは、同世代での協力に関する話です。しかし、それだけではなく世代間での協力も重要です。この世代間の協力とは、親から子へと遺産を相続する事を意味します。相続の重要性は、一世代で完遂する事のできない巨大な事業を行う上で何よりも重要視されます。そもそも、大きな事業を実現する際、個人だけでは何も出来るわけがなく、また現世だけでは短すぎますので、協力と相続が必要なのです。したがって、「日本国民は互いに協力し、後世の子孫のために国富を築く義務を有する」と憲法に明記すべきであると主張します。そももそ、同世代の人々と互いに協力しあう目的は、後世の子孫に財産を遺す事にあります。そのため、協力主義と相続主義は両輪の思想なのです。転じて、今の自分の世代さえよければそれでいいという無責任な現世利益主義は、決して許されてはならない無責任な利己主義です。なぜなら、そういった価値観は社会の持続可能性を明らかに毀損してしまうからです。したがって、孫の世代への遺産を築くために、国家百年の大計が必要なのです。
ちなみに、後世に遺すべき財産とは主に建築物です。不動産でも、土地の権利証や謄本などは戦争で仮に役所が焼けてしまえばなくなってしまいます。貨幣や証券などは国家財政が破綻すれば紙切れになるので、これも財産として不適格です。やはり、孫の代まで確実に遺せる財産は頑強に作られた建築物です。それ以外の財産としては、数学が考えられます。なぜなら、数学はその世代において金銭的利益に直結するものではないのですが、百年後に役立つ可能性を持ったものだからです。近年では、イギリスの牧師兼数学者のトーマス・ベイズが発明した主観確率理論が脚光を浴び、ハイテク産業を支えています。そのため、相続の観点から、理系の研究においては建築学と数学に力を注ぐべきです。
また当然の事ですが、国家の存続のためには国家の主体たる国民の生命を尊重しなければなりません。したがって、「人命そのものが国富である」とも重ねて憲法に記載するべきです。そもそも、人命まで個人の私有財産とみなすのは、非常にゲゼルシャフト的な考えです。しかし、共同体に属している人命は、あくまで共有財産ではないでしょうか。したがって、国家に属する人々の生命は、個人の私有物ではなく、国家の共有財産であると私は考えます。だからこそ、己の意志で身勝手に死を選ぶのは、国家に対する罪です。「私の命だから、どう扱おうと勝手でしょう」と考えるのは間違いです。この自殺禁止説は、プラトンの著書『パイドン』の内容と相通じるものです。私はヘレニズムとルネサンスの信奉者であるため、このプラトンの思想を支持します。また、この相続の思想は大乗仏教の輪廻思想と唯識論において構築されて来たものです。ちなみに、私は思想的には仏教徒ですので、部落差別にも反対の立場をとります。
また、後世の子孫のために働く行為は、歴史への関与を意味し、祖先から受継いだ遺産を後世に相続させる行為は、伝統の継承を意味します。したがって、相続主義とは歴史と伝統の保守という意味があります。戦後の日本においては、経済的な成功を追求する事に傾きすぎ、世代間での伝統の継承を怠って来たのではないでしょうか。したがって、伝統文化の修復と復興も今後の課題です。そもそも、世代間で相続されて来た文化的遺産が伝統文化です。長い歴史の中で培われた伝統文化を再認識する事が、民族の自覚につながります。したがって、伝統墨守と非難されるほどまでに伝統の重要性を再認識すべきです。また、伝統文化は農業と深い関わりがあるものです。そのため、文化は英語でcultureで、農業は英語でagricultureなのです。例えば、日本酒は米から作られる物であり、日本の陶芸品は水田の土から作られる物です。これは伝統文化と農業が密接につながっている事の現れです。したがって、伝統文化の修復とは、農業の復興をも意味しているのです。この相続の重視と伝統の修復とは、防衛意識に直結する思想です。
そして、この「協力と相続」の政治思想の結びとして、政治的判断の本質について論じておきます。政治の現場では、冷徹な計算から即座の判断をくだす事が要求されます。そのためには、物事を判断する上での思考回路を明確にしておく必要があります。政治的判断とは、大を活かすために小を犠牲にする保険定理を指します。仮に、航空機内で全乗客が新型のエボラ出血熱に感染してしまったとします。そして、私が為政者であれば、その航空機を地対空ミサイルで撃墜しろと即座に命令をくだします。なぜなら、仮に新型ウイルスの保菌者に本土の土を踏まれて、国民が感染したら大惨事になるので、それは未然に防がないといけないからです。加えて、何が「大」で何が「小」かの判断基準も重要になります。その判断基準も「協力と相続」の原則から演繹されます。まず、協力という観点から見れば、自由を求めた独立運動による国家の分裂は絶対に避けねばなりません。同時に、相続という観点から見れば、老人よりも子供を優先せねばなりません。すなわち、国家の統合性を維持して子供を養うのが、政治という行為なのです。
封建主義
復興の志を完遂するためには、安定した政体が必要です。特に、財政破綻後は社会秩序が崩壊し、一時は完全なディスオーダーに陥ります。したがって、秩序の回復のために、まずは安定志向の権威主義的な政体を築かねばなりません。また、私の主張している協力と相続という思想は、伝統を重視する封建主義に他なりません。この封建主義から演繹される政体は、世襲の君主制です。この主張に対して現在では異論があがる事が避けられませんが、米国の崩壊以後は自由と平等の民主主義への信用が揺らぎ、協力と相続の封建主義が全世界的に見直される事でしょう。
この封建主義の見直しとは、世界の思想界の変化に他なりません。したがって、米国崩壊後の思想界の潮流について、ここから予測してみます。極めて巨視的な観点から見れば、アメリカ合衆国の崩壊は世界史における近代の終焉であると定義できます。これは日本における近代主義への再評価にもつながる事が考えられます。日本における近代の始まりとは、1853年のペリー提督率いる黒舟の来航です。これにより、尊王攘夷論に基づく倒幕運動に火がつき、明治維新が起こりました。ちなみに、近年の研究では明治維新の中心メンバーが欧米のフリーメイソンと何らかの関与があった事が指摘されています。この明治維新以後、日本は近代国家への道を歩み始める事となりました。そして、米国によって開国を迫られた日本は、明治維新を通じて近代国家へと変貌を遂げ、日露戦争以後は西洋列強に肩を並べるまでに至りました。この近代国家への歩みは、全てペリー提督の来航による明治維新から始まったものです。したがって、日本における近代主義の見直しにあたって、明治維新の再評価が進められる事が予想されます。この明治維新は、非常に広義で解釈すれば、市民革命に近いものです。なぜなら、明治維新とは日本における近代主義の始まりに他ならないからです。確かに一般市民は参加していませんが、体制転覆で近代国家へ変貌を遂げる明治維新のプロセスは、市民革命のそれとよく似ています。一方で、これから先の時代はにおける思想界の潮流では、米国崩壊に伴って、市民革命への批判の声が噴出する事が予想されます。したがって、私は思想界の潮流を先読みし、現時点で市民革命と明治維新を批判する反革命主義の立場をとります。
私が理想とする政体は、鎌倉時代から続く日本の伝統的な政体です。すなわち、朝廷の天皇が権威となり、幕府の征夷大将軍が現実の政治を執り行う体制です。したがって、この政体を復活させるために、いわば復幕運動とでも呼べる運動を始めるべきであると主張します。明治維新の際には、尊王攘夷などで天皇制を大義としました。しかし、今回の政変においては逆に幕府を復活させる事を大義とするべきです。これは伝統的な政体への復帰であるため、国民の側を納得させるだけの説得力を備えたロジックになりえます。これは天下泰平の世に還ろうという、便宜的な意味でのスローガンです。具体的には帝国憲法を復活させた後に、天皇制はあくまで国家統合の象徴とした上で、大統領制を導入するべきです。そして、その大統領に対して、帝国憲法における天皇の権限を与えます。これは、朝廷の権威の下で、幕府の将軍が政治を執り行う過去の政体に近いものです。この幕府制度の導入に関しての具体的な法的手続については、第二節の旧憲恢復の項目で詳細に説明しています。
次に経済システムなのですが、個人間の競争を奨励する米国の資本主義も、悪平等を助長するソ連の共産主義も、結果的にはうまく行きませんでした。したがって、現在の欧州で実施されている中道左派の社会民主主義が最も妥当な経済システムであると演繹されます。これは大きな政府を通じて、行政による積極的な介入を行い、福祉の充実を志す政治体制です。この欧州流の社会民主主義に、世襲の君主制を組み込んだものは、国家社会主義です。したがって、財政破綻後に祖国を復興するためには、国家社会主義が最適な政体であると演繹されます。
育児重視
次に、復興の理念と先への見通しについて明記させて頂きます。最重要の理念は、安心して育児のできる社会環境を築く事です。なぜなら、孫の世代のために働く事が政治だからです。また、前述の通り人命は国家の共有財産であり、子供の命は国家の宝です。したがって、育児への徹底的な支援を国策として行い、出生率の向上を目標とすべきです。なぜなら、子供の数を増やして、将来的に若者の比率を増やしていかねば、財政面でも日本は絶対に立ち行かなくなってしまうからです。ここで警告させて頂きますが、これ以上の出生率の低下は、亡国に直結する大問題であるため、絶対に避けなければなりません。仮に、人口減少を自然現象とみなすにしても、ソフトランディングのために出生率を上昇させねばなりません。そのため、出生率の向上は最優先の課題です。
また、子持ちの若者に育児資金を確保させるために、税制の見直しが必要です。それは労働者の若者に富を再分配する事です。前提として、全世界どこの国でも、資本家とは老人で、労働者とは若者です。そのため、金持ちを優遇する政策とは老人を優遇する政策であると言えます。その政策が過剰になると、老人による搾取によって、若者が育児をする余裕を失うため、少子化が進行してしまうのです。そのため、子持ちの中産階級を保護育成する累進課税を導入せねばなりません。ちなみに、フランスや北欧などで行われている、育児手当も富の再配分と同じ事です。また、若者にカネが回る構造をつくれば、消費が刺激されて景気がよくなります。すなわち、最もカネを遣う若者へきちんとカネが回る経済構造を作れば、経済が活性化して税収増も期待できるのです。
そして、恒常的に高い出生率を維持するためには、安定した賃金、広い住宅、長い余暇といった社会環境が総合的に整備されなければなりません。その社会環境の整備にあたって、市場に任せる従来のやり方では限界があります。これからは、政府主導で長期的な開発計画を推進せねばなりません。その目標を達成する上では、資本主義と社会主義と国家主義を折半した国家社会主義が最適な体制です。この論文においては、この国家社会主義に基づく政策を詳細に提唱させて頂きます。
また、国が破産した後には、失業率の上昇から捨て子が増える事が予想されます。現代の資本主義においては、産業の空洞化によってホワイトカラー労働者が多数派を占めているのですが、国家が破産した際には貨幣が紙切れになるため、ホワイトカラー労働者は全て職を失う事になります。したがって、従来では考えられないほど失業率が急上昇し、膨大な数の捨て子が出る事が予想されます。そのため、応急処置として孤児院の整備拡充が急務です。そして国家レベルで大規模な孤児院を創設し、何としてでも孤児を養わねばなりません。したがって、失業対策と並んで、孤児の扶養は最優先課題の一つです。
また、育児と家庭の内容に関する事なのですが、やはり幼い子供を育てる上で、夫婦は仲睦まじいに越した事はありません。育児とはあくまで夫婦の共同作業であるため、互いに協力しあう姿勢が求められます。反対に、夫婦喧嘩の絶えない家庭は、子供の健全な発育を阻害してしまいます。加えて、保護者の側は幼い児童が健康に育つ環境を整備する義務があります。したがって、幼い児童に対しては暴力描写や性描写に満ちたテレビ・ビデオゲーム・インターネットに触れさせる事を厳しく規制するべきです。なぜなら、インターネットを利用すれば海外のポルノサイトをいくらでも閲覧できるため、これは青少年の育成上好ましい事ではないからです。また、ゲームやネットよりも、身体を使った運動を奨励し、心身の発達を促すべきです。
第二節 教育理念
初等教育
仮に内政面での立て直しに成功した場合には、なるべく早期に教育の再建に取り組まねばなりません。ここでは、先に教育の理念について詳細に説明させて頂きます。教育の目的とは、後継者の育成にあります。将来の日本を担う人材を育成する事で、国を永く繁栄させるのが、教育の目的です。すなわち、国を創るとは人を育てるという作業でもあります。特に、日本は加工貿易で生計を立てている資源小国なので、工業系の人材は国の要です。したがって、人材の育成には何にも増して力を入れねばなりません。
まずは、制度面から初等教育について論じます。当たり前の事ですが、どれだけ貧しい子供でも初等教育においては平等に教育を受けられる体制を構築すべきです。それが義務教育というものなのですが、近年ではその常識さえも曖昧になりつつあります。そもそも義務教育とは国家の未来への投資であるため、老人福祉の予算を削ってでもせねばならない政策であり、防衛費よりも更に重要な予算です。したがって、制服・給食の給付は小中学校で一貫して行うべきです。言うまでもなく、教科書やノートは一律で無償配布せねばなりません。この初等教育の上で要求される最低限の予算を削る事を提案する者は、敵対勢力からの工作員だと見なすべきです。加えて、優秀な児童を選抜する体制も完成させる必要があります。これは悪平等を解消するために必要な教育制度です。そのため、飛び級制度を実施すべきです。また、特に優秀な児童は国立のエリート養成機関へ行く道を与えるべきです。これは志願制で運営される全寮制の教育機関で、将来を担う官僚か軍人を養成する国家機関でもあります。具体的には戦前の陸軍幼年学校を復活させ、最優秀の児童には国家を防衛するエリートになる道を与えるべきです。
次は初等教育の内容について論じます。私は初等教育においては、人間として最低限のモラルを叩き込むべきであると主張します。幼い児童はまだ社会理解が不十分であり、責任能力が認められないため、自由を与える必要はありません。したがって、小中学校とは規律と秩序を体に叩き込む場であり、自由と平等の関係論を問う場ではありません。また、規律と秩序を叩き込ませる教育とは、協力の大切さを体でおぼえさせる教育の事です。したがって、組織的分業によって仕事を効率的に処理させる習慣を、初等教育で教え込む必要があります。したがって、放課後の掃除は必ず生徒自らの手でやらせ、規則を破った者には体罰を加える事もある程度は容認すべきです。これは冗談ですが、規則を破った出来損ないの子供を擁護し、学校に苦情の電話をかけて来るような愚かな保護者には、裁判所から親権停止処分を下すべきではないでしょうか。このようにして、まだ子供が幼いうちに徹底的に厳しく躾をする事で、人生の基礎を固めさせねばなりません。これは明確に管理教育ですが、内外からどれだけ強い批判があろうとも、この教育のスタイルは断固として変えてはなりません。
その上で、初等教育においては、厳しい管理下で人生の基礎となる習慣を徹底的に叩き込まねばなりません。その人生の基礎となる習慣とは、読書です。この読書の重要性はいくら強調しても足りません。そもそも人間が独力で考えるだけでは限界があるため、積極的に読書をする姿勢が大切なのです。書物には、賢者が一生をかけて考え抜いた結論が整理されて述べられています。したがって、判断に困った時には読書を通じて各時代の賢者から助言を仰ぐのは当たり前の事です。すなわち、読書とはあらゆる時代の賢者と一対一で対話する作業であると言えます。そして、読書を通じて、先代の賢者が築き上げた来た既存の知の体系を継承する事が何よりも先決です。したがって、凡庸である事は何の恥でもありません。基礎基本と原理原則を厳守し、当たり前の事を当たり前にやる事が出来なければ、高度な応用へと進む事は出来ません。一方で、読書をしない人物は、視野狭窄的な独り善がりに陥りやすくなります。なぜなら、自分一人だけの狭い思考や浅い経験を基にした判断を盲信するからです。これはすなわち、謙虚に他者の意見に耳を貸す姿勢がなく、判断に困った時に他者から助言を仰がないという事でもあります。こういった心理の根底には、自己の判断を過信する自惚れが潜んでいます。彼らは最初から書物を軽蔑し、過去の思想家を侮辱している部分があります。こういった人物は、自らの稚拙な主張を他者から受け入れてもらえない場合、相手を非難するようになります。したがって、このように全く読書をせずに自己主張する人物は、最後には世間から相手にされなくなります。
そのため、国の将来を担う優秀な思想家と発明家を育成するためには、人生の初期における教養の詰込みが重要になります。特に重要な教養とは、国語と歴史です。しかも、最重要なのは国語です。なぜなら、言語的思考力の無い人間は、理系文系問わず、全く役に立たないからです。教養において、特に語学が重視されているのは、語学力がなければ文献が読めないからです。例えば、あのナイチンゲールは幼少期に徹底的な英才教育を施された人物です。その教育内容は、フランス語・ギリシャ語・イタリア語、ラテン語などの外国語、プラトン哲学・数学・天文学・経済学・歴史、美術、音楽、絵画、英語(英文法、作文)、地理、心理学、詩や小説などの文学などです。このように、優れた業績を残した歴史的人物は、幼少期の教育が徹底されているケースが多いのです。したがって、日本の義務教育でも、国語力を徹底的に養うために、読書と論文を毎週宿題として課すべきです。そして、中学校の時点で芥川龍之介や三島由紀夫等の作品を強制的に読ませるべきです。また、高校生になれば、哲学書や思想書などの古典的名作を読ませる事で思考の芽を育み、将来を担う若者を育成せねばなりません。
また、史実に基づく民族的歴史観を教える事で日本人としてアイデンティティを形成させるべきです。これは日本という共同体の一員である事への自覚を覚えさせる事です。それによって、同胞と自然に協力する姿勢を芽生えさせるのです。しかし、民族的歴史観とはあくまで史実に基づいた正確なものでなければいけません。そのため、私は単一民族史観に基づく戦前の歴史教育には反対です。なぜなら、日本の先住民はアイヌ人や琉球人に代表される縄文人であり、現在の本土の日本人は後に入植した弥生人だからです。したがって、日本は単一民族国家ではなく、縄文文化と弥生文化には歴史的な連続性は認められません。そのため、縄文人は別個の文化圏を形成した他民族であると定義し、一般的な本土の日本人は弥生人の末裔であると見なすべきです。これは差別思想を植え付けるというのではなく、アイヌ人や琉球人を一つの他民族として並列して認める文化多元主義です。仮に史実を歪めて強引に単一民族史観に基づく教育を行った場合、琉球の人々のアイデンティティを否定する事につながり、それは更なる軋轢の原因になるだけです。それは将来へ禍根を遺す事にもなるため、絶対に避けなければなりません。
高等教育
次は高等教育に関する問題です。現在は憲法上の学問の自由の規定により、大学の自治は認められています。そのため、大学は行政権や警察権が及ばない治外法権の場と化しています。確かに、刑法に触れる罪を犯せば裁判所が令状を出して介入できるます。しかし、そうでなければ大学には手出しが出来ないのです。仮に政治家が大学に手を出せば、学問の自由を弾圧するファシストだと似非学者から罵られるのが関の山です。過去にはそれらの理由から、大学が学生運動の拠点になっていました。しかし、ベビーブーマーが学生運動に敗れた事で、大学はモラトリアムを楽しむだけの堕落した場に変わってしまいました。もはや痴呆者の楽園と化した日本の大学ですが、既に一部の私立大は定員割れで廃校寸前です。したがって、放置しておけばつまらない大学はそのまま消える運命にあります。そもそも、ずいぶん前から日本の大学教育の内容は実質的に崩壊しており、将来は学歴などは何の価値もなくなる日が来るでしょう。少なくとも、大卒者の教育水準を維持するために、大卒資格を付与する条件として、卒業前に高卒認定試験を課すべきです。
実は、この高等教育の面でも高度経済成長の幻影によって問題が起こっています。それは専門家の過剰育成です。例えば、教職免許を持った人が余りにも多すぎるため、現在では公立高校の教師になるためには、約百倍の倍率に勝ち残らなければならない状態です。そのため、教師になるためには学校か役所のコネが必要であると言われています。これが、人口統計を無視して過剰に人材を育成してしまった結果です。これは理系の研究職でも同様です。実は、理系の研究職では、博士号が有り余ってしまい、今ではダンピングされ始めているのです。この有り余った博士号がダンピングされる問題は、オーバードクターと呼ばれています。特にその弊害が顕著なのが、歯科医です。実は、歯科医の業界は二極化が進み、一部には非常に裕福な歯医者がいながら、一部には非常に貧しい歯科医がいる状態です。具体的には、歯科医の三人に一人は年収三百万円を切るほどで、歯科医のワーキングプアが水面下で大問題となっています。また、この問題が特に深刻なのは、歯学科の多い東京と新潟です。この問題は、私立大学は歯学科を開設すれば、非常に高い学費を得ることが期待できるため、文部省に新しく歯学科を創設する許認可を求め続けたことが原因です。この歯科医の飽和については、1989年に野村證券のシンクタンクが警告していたのですが、当時の政府は無視してしまいました。しかし、これからは人口統計を基に、専門家を育成する数を設定すべきです。
したがって、大学は全て国立大学として、それ以外は職業訓練施設にすべきです。この教育制度はドイツの制度と全く同じものです。そして、職業訓練施設とは、主に工業系の分野を中心とします。それ以外の技術者は、人口減少で需要がどんどん減って行くため、過剰に養成するとダンピングされてしまうだけです。そもそも、日本は物作りの国ですので、物作りに生涯を捧げる職人こそが、真に尊敬されるべきであると言うのが私の考えです。すなわち、背中に入れ墨を掘った大工や、頑固な職人こそが尊敬されるべき存在です。そのため、職業訓練施設出身で、工業系の専門職の労働者には名誉ある地位を授け、彼らへの賛辞は惜しんではなりません。当然、彼らにこそ十分な収入を確保させるべきです。一方で、高学歴を鼻にきた半端なエリート崩れは唾棄すべき軽薄な存在です。
次は留学に関しての問題です。現在の日本の教育においては、アメリカ合衆国に留学させる例が余りにも多すぎるのではないでしょうか。そのため、一時期には米国の私立大で構築されている人文科学が、絶対的真理であるかの如く崇め奉られていました。しかし、所詮はどこの国の大学も、自国に都合のいい学問を構築するものです。例えば、米国流のリバタリアニズムがその良い例です。所詮これは米国の価値観に過ぎません。(この思想を完成させたのがオーストリア出身のハイエクであるのは皮肉な話ですが)そもそも、米国は海洋国家で、外部から直接侵略を受ける心配がないので、こういった個人主義的なイデオロギーを選択できるだけの話です。したがって、リバタリアニズムはあくまで米国のお家事情から出来上がった思想でしかなく、決してこの価値観が普遍的真理というわけではありません。今後は米国が自慢して来た民主主義が自壊し始めるため、あの国の学問や価値観は世界から見放されるでしょう。そのため、これからは学問的にも斜陽化した米国への留学は見直すべきです。そして、それ以後は欧州の国立大への留学枠を拡充させるべきです。
次は高等教育の全般的な内容に関する問題です。ここでは、西澤潤一氏の主張を参考にさせて頂きました。まず、今の暗記偏重のカリキュラムと徹底した競争主義の教育は、知識にだけ偏った人間をつくってしまう弊害があります。また、現在の日本の高等教育の現場は、どちらかと言えば経験主義や帰納法を重視する傾きにあります。しかし、帰納法をとるにしても、事実から一つの因果関係を導き出す作業をちゃんと教えているとは言いがたい状態です。なぜなら、現実には日本の教育現場では、大学の入学試験において高い得点を獲得する事を目的とした丸暗記主義の教育が行われているからです。しかし、知識の丸覚えをさせるだけでは、断片的な知識を詰め込ませるだけなので、統合的な認識能力を築きあげる事が出来ないのです。そのため、丸暗記の教育では論理的思考力を欠いた人材が生まれてしまうのです。何より、上から渡された課題をこなすだけの受動的な指示待ち人間が増えてしまうのです。これは覚えるだけで、考えることを否定された結果、人間としての主体性が失われてしまうのが原因です。そのため、次世代の教育においては、暗記の競争よりも、思考の協力を主軸とすべきです。例えば、議論においても勝ち負けにこだわらせるより、優れたアイディアを出しあう事を教えるべきです。また、読書をして論文を書かせる訓練をさせるべきです。そうする事で、協力して何かを建設する楽しみと、考える楽しみを覚えさせれば、勉強に対して自発的な意欲を持ち始める事が期待できます。それが建設的な精神と、知的好奇心を喚起するのです。これは北欧で近年実践され、高い業績を上げた教育の理念です。これを模範にして日本に導入すれば、現在の学力低下にも歯止めがかかるはずです。
しかし、こう主張すると、恐らく論理の万能性を疑問視する声があがる事が予想されます。確かに、近代に入ってからの自然科学は帰納法によって築き上げられて来ました。加えて、ハイゼンベルグの不確定性原理によって決定論は否定され、数学では背理法による公理的集合論が構築されまた。また、ヒルベルト・プログラムは論理によって森羅万象を説明する事が不可能である事を数学的に証明しました。しかし、それでも論理というものの有用性は変わりません。例えば、カオス理論は非常に複雑な条件が重なりあっているため、将来の状態が予測できないと主張しているだけであり、これもまた決定論である事に変わりはありません。率直に申し上げますと、全中宇宙の森羅万象はほぼ完全に決定論で動いていると私は考えております。また、現代の理論物理学の最前線である超弦理論は、純粋に演繹法的な手法で紡ぎ出されたものです。こういった、非常に高度な抽象論を理解する上で、論理的思考力に長けた人材を育成する事は絶対に必要なのです。もしそうしなければ、日本は高水準の科学技術を維持できなくなってしまうでしょう。
芸術振興
19世紀にハプスブルク家のオーストリア・ハンガリー帝国が栄えていた頃、帝都ウィーンは学問と芸術の都として全盛期を迎えました。世に言う世紀末ウィーンと呼ばれる時代です。この時代のウィーンは、パリなど足下にも及ばないほどの文化都市でした。今でもウィーンは音楽の都として世界に知られています。もちろん、我が国もオーストリアに負けないほどの文化国家です。しかし、これからは芸術振興を更に重視するべきです。そもそも、芸術の意義や目的とは何でしょうか。まず、普遍的な芸術的価値とは真善美です。そのため、美の追求は真実の究明でもあり、これは自然科学の精神にも通じるものです。すなわち、学問は真実を究明する作業であり、芸術とは真実を表現する作業であると定義できます。このように、学問と芸術は両輪なのです。したがって、文明社会の長期的な繁栄には、芸術の振興が必要なのです。
また、優れた文化や芸術を創造する主体は、いつの時代でも才能です。芸術や学問を創造する才能は、天から授かるものです。したがって、そういった天賦の才能は、個人の私有物ではなく、国家の共有財産とみなし、国家が保護せねばならない言うのが私の考えです。これは人命を国家の共有財産とみなす思想から派生したものです。そのため、現在においても、伝統芸能を継承している人物が人間国宝として選定され、法的に保護されているのです。したがって、「私の才能だから、生かそうが殺そうが私の勝手でしょう」と考えるのは間違いです。社会に有用たる才能を出し惜しみする事は、決して赦されない罪です。そのため、本人の意志の如何に関わらず、その才能を限界まで引き出させなければなりません。人種、性別、国籍、身分などは一切問わず、才能を持つ者は国家が半ば強引に活用するべきです。例えば、先天的に卓越した画才や数学の才能等を持って生まれた子供は、国家が支援して英才教育を施すべきです。そして、その天賦の才能を限界まで引き出して、優れた芸術や学問を築き、後世に遺さねばなりません。
また、相続主義の観点から、私は伝統文化の保護も主張します。元来、日本の伝統文化は世界に誇るべき貴重な価値を持つものです。かのヴィンセント・ヴァン・ゴッホも日本の浮世絵に心酔していたという有名な逸話があります。元々持っている高い文化水準を更に高めるためには、無計画に文化会館等を造るばかりなく、海外からの厳粛な審査にも耐え得るだけの優秀な芸術家を育成せねばなりません。そうして国家や財閥がスポンサーとなって芸術を育成する事で、永い繁栄が約束されるのです。例えば、ルネサンス期においてフィレンツェの芸術家のパトロンだったのが、イタリアのメディチ家です。このメディチ家の名は、レオナルド・ダ・ヴィンチの名と共に歴史に刻まれる事となりました。このように、芸術の投資は名誉な事なので、こういった一見無駄に見える事業にこそ、十分な予算を分配するべきです。現にオーストリアでは、国営劇場で採算を度外視して最新のオペラ作品を上演しています。もちろん日本でもそういった試みは行われているのでしょうが、これからはもっと国ぐるみで徹底した文化振興を行い、後世に誇れる優れた芸術を創造するべきです。また、私はあらゆる芸術の中でも建築を最重視しています。なぜなら、精巧に造られた建築物は千年の時を経ても屹立し、後世の世代への遺産として継承されるからです。現に世界最古の木造建築である法隆寺は、世界遺産に指定されています。
この伝統を重視する姿勢は、必ずしも偏狭な民族主義を指しているわけではありません。他の民族の文化であれ、それが長い歴史の中で培われた伝統文化である場合、積極的に受け入れ、自国の伝統文化と混淆させるべきです。こういった文化の混淆の中で、優れた芸術が生まれてくるのです。私が特に尊崇しているのは、ヘレニズムとルネサンスです。このヘレニズムとは、古代ギリシア、古代ローマの文化様式を指し、西洋世界の精神的な故郷であるとされています。そのため、古代ギリシアの芸術と学問が、西洋社会においては共通の教養とされています。明治時代の文明開化においては、西洋の近代文明を積極的に輸入しましたが、これからの時代は西洋の伝統文化(ヘレニズムとルネサンス)を積極的に輸入するべきです。そう主張すると、日本のアニミズムに、西洋の一神教的な宗教観は合わないという反論の声ものぼるかもしれません。確かにユダヤ教・キリスト教のヘブライズムの宗教観は一神教ですが、ヘレニズムの宗教観は多神教です。したがって、私は八百万の神の中に、オリュンポス十二神を加えるべきだと考えております。そもそも、このヘレニズムの主な歴史的舞台は、アレキサンダー大王が征服した小アジア、中東、北インドであるため、ヘレニズムは純西洋的でありながら、アジアとの関係が非常に深いのです。そのため、東洋大学の歴史学者である後藤明教授は、古代世界の学問の中心はエジプトのアレキサンドリアあると主張されています。どうやら、ヘレニズムとは古くはアケメネス朝ペルシアやフェニキア等とも関係があるようです。こういった形で古代から脈々と受継がれてきたヘレニズムを吸収し、日本の伝統文化と混淆させる事で、新しい芸術が創造される事が期待できます。
また、こういった伝統文化と対極に位置するのが、米国発の消費文化です。そもそも、消費文化とは、企業の利潤追求のために設計製造された商品です。そして、テレビは消費文化を販売する広告媒体として発達し、流行は広告代理店によって人為的に作られているものです。特に、現代のハリウッド映画などは、芸術作品などではなく半ば工業製品と化しています。しかも、米国の価値観を啓蒙するためのプロパガンダフィルムの側面を色濃く持っています。ましてや、現在のハリウッド映画はグローバル化の名の下に、他国への文化侵略の道具として利用されていると言えるのではないしょうか。こういった、企業の利潤追求のために製造された消費文化などには、文化的価値などは決して認められません。なぜなら、平均より少し下のレベルの商品を大量生産し、一般大衆に向けて薄利多売するのが一番儲かるからです。そのため、商品として扱われる消費文化とは、最初から最高レベルの芸術や娯楽を目指し作られたものではないのです。こう申し上げると、価値観の多様性を容認すべきだと批判を受けそうです。しかし、現に消費文化の発祥地である米国は、最期までほとんど優れた作家を輩出できませんでした。米国はヘミングウェイは輩出しましたが、結局ドストエフスキーやソルジェニーツィンやダンテ等に匹敵する文士は現れて来ませんでした。これは企業の利潤追求のために製造された消費文化には、高い文化的価値がない事の証拠です。
ここで問題にあがるのは、日本のアニメ・漫画文化が消費文化が否かと言う事です。既に全世界の若者が、こういった日本のサブカルチャーの洗礼を受けています。私は日本発のアニメ・漫画文化には肯定的ですが、米国からの文化侵略には反対の立場をとります。こういった芸術分野の価値判断は主観的な問題であり、最初から客観的に評する事ができないのは百も承知です。しかし、やはり日本のサブカルチャーは人造的な商品ではなく、もっと血の通った作品であり、歴史的に評すれば江戸時代の浮世絵に近い位置づけが出来るはずです。なぜなら日本の漫画は工業製品というよりも、一般庶民のために描かれた娯楽作品だからです。それが偶然にも、普遍的な価値を持っていたため、世界的に人気を博しているだけです。したがって、日本のアニメ・漫画文化とは、文化侵略や利潤追求を目的に設計製造された商品ではないのです。確かに、私はあくまで高尚な伝統文化を支持する立場です。しかし、現時点で漫画家という存在が過小評価されている事には納得がいきません。特に、井上雄彦氏の漫画は立派な芸術作品であると私は見なしています。したがって、米国発の消費文化を駆逐するために、日本発のサブカルチャーを更に世界に広めていくべきだと私は考えております。これは米国発の消費文化に浸蝕された部分を外科的に切除して、まだかろうじて伝統文化が鼓動している部分を育てるという事です。
私はそもそも、アメリカ文化が個人的に大嫌いです。確かに、私も中高生の時期には、あの子供騙しの消費文化によって騙されていました。しかし、今ではとにかく大嫌いです。例えば、ハンバーガーやホットドックといったファストフードは、味覚の幼稚な子供が好む食べ物に過ぎません。特に、彼らが自国の発明品だと自慢しているハンバーガーは、ドイツのハンブルクが発祥の地であると言われています。また、ハーレーダビッドソンは米国のフリーウェイで長距離を走る事を目的に設計されたものです。したがって、日本の国土事情には全く合わない代物です。そもそもハーレーのバイクは世界的にも人気がなく、ハーレー社そのものも販売不振から何度か経営難に陥った事があります。一方で、欧州ではホンダのスポーツバイクが大人気です。私も速度と俊敏性を追求したホンダのバイクには憧れます。しかし、騒音規制で日本ではホンダのスポーツバイクが乗れなくなれました。日本の役人は何を考えているのかと文句を言いたくなります。また、今の私にとって、アメリカ文化の中で特に大嫌いなのは、悪趣味なヒップホップです。ヒップホップにおけるだぶだぶの野暮な服装や、お経のようなラップは単純にダサいです。また、これはもう古いのかもしれませんが、B系と呼ばれる服装を好む女性は、私にとっては米国の売春婦崩れにしか見えません。現在では若者の間でも、ヒップホップそのものが、「頭が悪そうに見える」だの「貧乏人っぽい」と見られ始めてどんどんイメージダウンし始めています。米国における黒人のカルチャーは、マイケル・ジョーダンの全盛期に爛熟期を迎え、それからは衰退する一方になったと言うのが私の意見です。
第三節 治安維持
現憲停止
まず、祖国復興のために最初に着手すべき緊急の課題は、治安維持です。以下の経済破綻の想定は、1982年6月初版発行のアルビン・トフラー著『エコスパズム 発作的経済危機』を参考にさせて頂いきました。日米が財政破綻した際には、社会の大混乱が予想されます。国の破産というのは、明確に有事です。そのため、この事件は震災のような物だと見なすのが適当です。もちろん、日本国民の暴動も想定されるのですが、それだけでは済まされないでしょう。なぜなら、日本の破産の混乱に乗じて、北朝鮮の工作員がテロ活動をする事が想定されるからです。これはあくまで可能性に過ぎないのですが、十分想定されうる事態です。したがって、最初期の課題は工作員のテロ活動の抑止にあります。また、この北朝鮮のテロ活動は、日米安保の枠組みを堅持したい日米両政府の思惑によって行われる自作自演の茶番劇である可能性があります。その場合には、致命的な破壊にまで至る事はあり得ません。そのため、余り恐れすぎずに鷹揚に構えておくべきです。
しかし、こういった経済破綻、テロ活動に対して、現行の日本国憲法の規定では対応が不可能です。なぜなら、日本国憲法においては有事の想定が設けられてないからです。残念ながら、今の日本人は日本国憲法の枠組みの中でしか思考を組み立てられない傾向があります。しかし、恐らく国が破産した際には、事態の収拾のために軍が動くほか無いのです。一応、憲法上は文民統制の原則があるので、内閣総理大臣が自衛隊の指揮をとるとされています。しかし、治安維持のためには緊急事態宣言を発動し、憲法停止による一連の超法規的処置の実施は不可避です。もちろん、混乱期を過ぎれば憲法と議会を回復させる事を目指すのは言うまでもありません。
その超法規的処置の内容は、公安警察による国民生活の監視、検閲による言論統制、インターネットの一時停止、自衛隊による治安出動などです。特に、貯水池や変電所といったライフラインの警備と、原子力発電所や核処理施設の警備は最重要です。したがって、関西電力の原発の集中している若狭湾は、最重要地域になります。仮に若狭湾の原発が破壊されれば、放射能汚染で日本海側は人が住めなくなります。加えて、近畿地方への電力供給がダウンしてしまいます。そのため、五つある海上自衛隊の母港の一つである若狭湾の舞鶴港は、近畿地方における最重要の防衛拠点となります。
また在日米軍との連携のために、関東地方では恐らく神奈川県のキャンプ座間から自衛隊の指揮がなされるはずです。なぜなら、キャンプ座間には米軍の最高司令部と自衛隊の中央即応集団という新部隊の司令部が設置されているからです。この中央即応集団とは、2007年3月28日に新防衛大綱策定により創設された、陸上自衛隊の新部隊です。これは「中即団」(ちゅうそくだん)との略称をつけられており、防衛大臣直轄の機動運用専門部隊です。現在では、この部隊の司令部は東京都練馬区の朝霞駐屯地に置かれています。これは、各種緊急事態が発生した際に迅速に行動・対処する為の部隊として創設された部隊です。この部隊では、機動運用部隊(第1空挺団・第1ヘリコプター団)や専門部隊(特殊作戦群・第101特殊武器防護隊など)を一元的に管理・運用する事となります。この各緊急事態とは、財政破綻時における工作員のテロ活動を指しているはずです。この中即団の創設時の人員は約3,200名で、2008年3月に隷下部隊が全て発足すると人員は約4,100名となる予定です。当然、配給を担当する補給部隊は別にありますので、この中即団は最精鋭の対ゲリラ空挺部隊です。そして、ここが最重要なのですが、中央即応集団の司令部は、2012年までに朝霞駐屯地から、米軍の最高司令部のあるキャンプ座間に移設する予定となっております。この部隊の存在と今後の移設計画は、日米がデフォルトを宣言した際の、治安出動を念頭においているのではないでしょうか。
恐らく、こういった有事における対応マニュアルは非公開ながら、既に完成しているのではないかと私は推測しています。例えば、現在の日本の有事法制においては非常事態宣言が規定されていないのですが、実際の有事に備えて政府内では非常事態宣言が規定されているのではないでしょうか。それどころか、日米両政府は既にデフォルトの対応マニュアルを水面下で完成させていると、私は推測しています。現実の有事の際には、米政府からも強権が発動されるため、大方の予想よりも遥かに迅速な対応がなされてもおかしくはありません。そのため、この日本の破産に伴う最初期の社会的な混乱は、恐らく数ヶ月以内に収束するでしょう。
しかし、工作員のテロ活動の抑止に成功しても、その次にはハイパーインフレが日本を襲います。また、前述の通りヘッジファンドに代表される投機マネーの動きが活発すぎるため、混乱に乗じて恣意的に相場を乱高下させられます。これによって貨幣価値が暴落してハイパーインフレが加速するため、国民生活の混乱と窮乏は避けられなくなります。ハイパーインフレで刻々と物価が暴騰するため、通貨価値が下がる前に国民が品の買い占めを行います。したがって、急激に品不足が進み、物価高で生活が逼迫してくる事が予想されます。恐らく短期間のうちに、現在流通している通貨は紙切れになります。
したがって、国民生活の保護のために各種の私権への制限が行われるはずです。具体的には、インフレ抑止のために市場原理を一時的に凍結処分する事が考えられます。現に、米国ではサブプライムローンの焦げ付き問題に対処するため、2007年11月30日にブッシュ政権が金利の凍結処分を決定した前例があります。恐らく、日米の破産時には市場原理の凍結処分がさらに包括的に行われるはずです。その内容は、預金封鎖、物価・株価・地価の一時的な凍結、生活物資の配給です。もちろん全て違憲行為です。これらの処置を法的に見れば、私有財産権と国民主権という日本国憲法で規定された原則が破られてしまうと言う事です。すなわち、ナポレオン法典によって確立された近代的な私有財産権が瓦解するのです。これは実質的なファシズム化であるとと言わざるを得ません。しかし、どうしても国民の生活保護のために、一時的に市場経済を凍結させた上で、統制経済に移行するのは避けられない事です。
そして、通貨が完全に紙切れになって流通が麻痺すれば、政府による生活物資の配給に頼らざるをなくなります。そのために、自衛隊の補給部隊が全面動員される事は間違いありません。これは震災時における自衛隊の補給活動と全く同じものです。この配給物資の供給源としては、米国が食糧援助が期待できます。なぜなら、米国はモンロー主義に回帰するまでのしばらくの間は、日本の支配権を維持したがるはずなので、日本に対して食糧支援を行う事が予想されるからです。そもそも、日本に輸出しなければ米国の国内で小麦が余ってしまうだけです。加えて、戦後の日本は一度も戦争をやっていないため、国際的な支援が期待できます。これまでODAという形で世界中の貧困国に多大な支援を行ってきたため、他国から食糧援助などが施される事もありえます。具体的には、財閥系の商社がタイ米を日本政府に卸す仕事をするでしょう。つまり、日本は資源小国でありながらも、意外に海外から生活物資を調達する道が残されているのです。したがって、政府からの配給で最低限のカロリーを摂取する事は恐らく可能です。
そして、最初期の混乱が沈静化した後には、若狭湾からロシアと貿易を行い、生活物資をロシアから調達する手段が考えられます。したがって、闇市で取引される生活物資は、主にロシアから輸入して来た品になる事が予想されます。そのため、闇市での取引は、ユーロかルーブルの外貨建てで行われるようになるでしょう。加えて、若狭湾から輸入した物資は交通の都合上、神戸市を拠点にして全国に分配されるため、この利権は山口組のものとなるでしょう。また、神戸市民は1995年に阪神淡路大震災を経験しているため、緊急時において迅速な対応をとられる事が期待できます。ちなみにロシア人も98年にデフォルトした際に、ダーチャと呼ばれる別荘で家庭菜園を開いて生き延びた経験があります。また、都市農業をやるべきだという声もありますが、この手段では十分な作付け面積を確保できないため、恐らく自給は不可能です。したがって、初期の混乱が治まった後には、日本海側の過疎地に集団疎開し、国営農業を開いて組織的に農業をやる案が考えられます。この日本海側への人口移転と国営農業のプランは、第九章から最終章で詳細に説明していますので、ここでの説明はこれまでにします。
最後にこの節で触れておきたいのが、ハイバーインフレが日本人にもたらす精神的な影響についてです。前述の『エコパズムー発作的経済危機』で紹介されている逸話ですが、ジョージタウン大学の精神病学者ウィリアム・フリン氏によると、インフレは「潜在していた性格パターンの誇大化」を引き起こすと言います。したがって、ハイパーインフレの状況下においては、日本人の潜在的な性格パターンが顕在化するでしょう。少なくとも、混乱期において日本人が米国市民のように銃器で武装して殺し合いをする事は、日本人の国民性からしてまず考えられません。加えて、日本人は環境適応が素早くできる性質があるので、配給の列に並ぶの事にはすぐに慣れるはずです。つまり、ハイパーインフレの状況下においては、日本人の従順さ、温厚さという長所が前面に出てくるでしょう。しかし、その従順さが余りにも行き過ぎてしまい、それが裏目になって日本人の性格的な短所として表出する事が考えられます。したがって、経済破綻によって極度に自信喪失した日本人の多くは、神経過敏から精神的な自閉状態になる事が考えられます。例えば、配給の列に並んで食糧を受け取った後に、そのまま自宅にこもり切りになり、一歩も外出できなくなるかもしれません。これを放置しておけば、自殺などへとつながる恐れがあるため、周囲の人々は細心の注意が必要です。したがって、経済が安定期に入った所で、対人恐怖症の患者への精神面でのケアが求められるようになるでしょう。
しかし、現実には対人恐怖症などと言った甘いレベルで済まされず、急激な精神崩壊に至る事が考えられます。現在の日本人はナルシシズムに染まっていますが、これは精神が空洞化し、自分一人だけの堅い殻に閉じこもっている状態であるとも言えます。財政破綻によって、自己愛妄想が瓦解すれば、堅い殻に亀裂が走り、空洞化した自己はまるごと潰れるはずです。したがって、そのまま一部の日本人は廃人になる事もありえます。しかも、大半の日本人は自分の頭で考える習慣を完全に放棄してしまっているため、状況を的確に把握する事は出来ません。その結果として、大半の日本人は上からの命令に盲従する道を選び、完全に受動的な存在になってしまいかねません。その結果、政治参加が求められるデモクラシーという政体を、自ら放棄する事へとつながる事が考えられます。こういった流れを受けて、日本国憲法と民主主義そのものが最終的には破棄されるのでは無いかと私は推測しています。
旧憲恢復
財政破綻の混乱で、現行の日本国憲法は実質的に死文化してしまいます。その後には、なるべく速やかに憲法を回復させねばなりません。しかし、急激に変化した国際情勢の中において日本国憲法は有効なものではありません。なぜなら、武力放棄を規定した日本国憲法はあくまで日米安保とリンクしたものだからです。したがって、米国の崩壊で仮に日米安保の枠組みが崩れてしまった場合には、米国の核の傘が期待できなくなるため、日本は憲法の面でも見直しが迫られる事となります。また、日米安保の破棄は、国家破産後にすぐ起こる事ではないので、時間的猶予があります。そのため、国家破産後には、憲法の見直しをするために、国民全体で今後の憲法のあり方について議論をし、確固たるコンセンサスを形成させる必要があります。
財政破綻後の混乱から、秩序を回復させるためには、権威主義的で安定した政体が必要です。第一節で主張した通り、私は幕府制度が最適な政体であると考えています。その幕府制度的な政体を法的に正当化する上で、戦前に施行されていた大日本帝国憲法は非常に有効です。なぜなら、大日本帝国憲法はプロイセンの欽定憲法を模倣して編纂された法体系だからです。したがって、現憲法が死文化した後には、議会において法的手続を踏んだ上で、旧憲法を回復させるべきです。しかしながら、内容は時代に合わせて抜本的に改訂するべきです。この大日本帝国憲法の問題点は、天皇主権の形式性にあります。実は、戦前の政治においても現実の政治に関する技術的問題などについては、陛下を輔弼する枢密院が最終的な判断を下していました。また、軍の統帥権が陛下にあるか、それとも陛下の周りに居る重臣にあるかという統帥権問題は、二・二六事件の遠因にもなりました。現実には、戦前から陛下は象徴的な存在であり、政治に直接関与した事はほとんど無かったと言われております。したがって、法的な枠組みはほぼ同じものをとりながら、別の政体を目指すべきです。第二章の冒頭部で説明した通り、私が理想とする政体は、鎌倉時代から続く日本の伝統的な政体です。すなわち、朝廷の天皇が権威となり、幕府の征夷大将軍が現実の政治を執り行う体制です。それに倣って、天皇は国家統合の象徴とし、幕府の征夷大将軍に近い地位の身分を築くべきであると主張します。これは前述の復幕運動です。そして、大日本帝国憲法における権限を、その征夷大将軍に値する者に付与すべきであると主張します。
具体的には、強大な行政権を持つ大統領制を導入すべきです。そして、この大統領に大日本帝国憲法における天皇と同じ法的な権限を与えます。したがって、軍の統帥権はこの大統領に与えられます。それに加えて、大統領に十分な行政権を与えるために、戦前並みに中央集権的な体制を敷く必要があります。現在の日本の省庁は国益より省益を優先するセクショナリズムの弊害が顕著であるため、各省庁を統合する総務省の権限を拡大し、総務大臣を大統領の直轄下におく事で、強大な行政権を与えます。この一連の行政改革により、半ば帝政に近いほどの権限を持った大統領制が実現されます。もちろん、大統領は独裁者ではないため、当然、議会と裁判所から弾劾される可能性を持った存在です。しかし、現在の内閣総理大臣とは比べ物にならないほど強大な行政権を執行できるため、より大胆な政治を行う事が出来る事になります。これらは丁度、現在のプーチン政権の政体によく似たものです。
この大統領は直接選挙を通じて選任され、任期は四年とし、三選を禁止します。加えて、三選した後に院政を敷く体制を築くために、大統領による後継者の指名権を法律で認めます。しかし、大統領の直接選挙は戦前のように制限選挙で実施すべきです。まず、現代の民主主義では普通選挙が実施されています。この普通選挙とは、最大多数の最大幸福という功利主義が論理的支柱です。したがって、現代の民主主義では、馬鹿も利口も同じ一票とされています。しかし、満足に政治的な判断能力のない人々にまで参政権を与えると、衆愚政治の罠に陥るだけです。そうなれば、全く功利主義的ではない政治が選択されて民主主義が自殺に走る事になります。したがって、衆愚政治と民主主義の自殺を予防するために、制限選挙にすべきです。しかし、制限選挙も戦前のように納税額を基に参政権を与えて実施するのではなく、現代風に改訂するべきです。具体的には、投票前に一般常識テストを課して、獲得した得点に比例して票の数を割り振る事が考えられます。
しかし、こういった法的処理や行政改革は非常に大きな困難を伴うため、生半可な覚悟では実行できません。なぜなら現行の法体系や行政慣行を一度完全に覆す事になるからです。厳密な法的手続を踏まねば旧憲法の回復は不可能ですが、戦前の大日本帝国憲法に精通した憲法学者も数が限られています。しかし、一度死んだ法体系を甦らせた試みは過去にあります。それは、近代のドイツにおいてローマ法大全を復活させた例です。大陸国家のドイツは、自衛のために常備軍を整備する必要があり、その上で厳密な行政法に基づいて運営される官僚機構を築かねばなりませんでした。したがって、ドイツはその官僚機構の構築のために、同じ官僚国家であった東ローマ帝国で過去に編纂されたローマ法大全を復活させて導入した過去があります。この例に倣って、核の傘が無くなった後の日本でも、旧憲法を復活させる試みを行い、大統領制を通じた疑似的な幕府制度を導入するべきです。この旧憲法回復以後、国家社会主義の本格的な導入が推進される事になります。
綱紀粛正
ここで法治主義の重要性を強調させて頂きます。なぜなら、法の遵守は国家の礎であり、復興のためには法の正義を取り戻す事が急務だからです。何より、国家破産の混乱から立ち上がるためには、第一に社会秩序の再建が求められます。したがって、旧憲法回復の後には綱紀粛正を最優先課題とするべきです。そもそも、個人の自由と、無秩序な混乱は全くの別物です。現代の日本社会の風紀紊乱は明らかに常軌を逸しています。そのため、社会秩序を乱す犯罪に対しては、厳粛な法の裁きを下すのは当然の事です。何よりも、国家を運営する側の綱紀粛正が最優先課題です。言うまでもなく、公金横領や天下りは、国家権力の腐敗です。国家権力の健全化を図るために、こういった役人の不正は断罪すべきです。そして、今後の官僚と代議士は国民に身を範を示すため、厳格に法を遵守せねばなりません。つまり、法を執行する国家の側から、気を引き締めていかねばならないのです。
これを手始めに、刑法に抵触する各種の微罪に対しても処罰を下し、風紀の乱れを正さねばなりません。まず、名誉毀損に対して、現在の日本の司法はあまりにも寛容すぎます。そもそも、言論の自由と事実無根の誹謗中傷とは全くの別物です。これは名誉や信用といった目に見えないものを高く評価しない慣行に問題があります。しかし、信用は社会での生活に欠かせないものであり、基本的人権の尊重のために、個人の信用保護を行うのは国家の義務です。したがって、刑法230条の名誉毀損罪、刑法231条の侮辱罪を厳しく施行し、社会全体の引き締めを図るべきです。また、民事不介入の原則によって、家庭は聖域とされて来ました。しかしなら、近年の児童虐待や家庭内暴力に見られるように、家庭内でも刑事罰の対象になる事件が多発しています。そのため、児童を虐待した親に対しては、児童虐待保護法に基づいて裁判所は親権停止処分を下すべきです。そして何より、児童保護施設を拡充し、国が非虐待児童を責任もって保護育成する体制を完成させねばなりません。
次はサラ金とパンチコの禁止です。そもそも、刑法第185から187条において、賭博は禁止されています。また、利息制限法で15%以上の利息をつけて貸し付けを行う事は禁止されています。したがって、正式な法的続きを踏まえて、サラ金業者とパチンコ業者を廃業させるのは、日本政府に課せられた当然の法的責務です。これらサラ金業界やパンチコ業界がスポンサーとなっている民間放送局にも、規制をかけるべきです。まず、放送コードの厳格化を実施し、青少年の育成上好ましくない内容の番組は、放送を自粛させるべきです。これは言論弾圧などではなく、社会的利益を伴う正当な判断であり、その法的根拠は十分にあります。特に、深夜番組における性的描写に対する規制は急務です。また、法の正義とは平等主義にあります。法の下の平等は近代法の原則であるため、例外や特権などは決して許されてはなりません。そのため、在日朝鮮人への各種の特権や、宗教法人への非課税特権などは即刻廃止すべきです。こういった形で、まずは厳格な法の裁きを通じて、罪に対しては然るべき罰を与え、綱紀粛正を図るべきです。
ちなみに、売春を禁止する法律はそもそもお仕着せのもので、日本人が自ら作ったものではありません。1946年にGHQが民主化の一巻として公娼廃止指令を出し、1958年の売春防止法の施行によって、吉原は潰されてしまいました。彼ら米国のエリートがこういった売春を禁止した背後には、プロテスタンティズムにおける禁欲主義的な価値観が根底に横たわっています。しかし、このGHQの政策は余計なお世話です。我が国の風土を理解しないよそ者に、我々の風俗に対してまでとやかく言われる筋合いはありません。現在の日本では、建前上は売春は禁止されていますが、現実には風俗店という形で売春宿はいくらでもあります。法的には「風呂屋」との事ですが、女が身体を売る風呂屋を売春宿と呼ばずして何と呼ぶのかと思います。私は、こういった売春を禁止する法律自体がそもそもバカげていると考えます。
そのため、綱紀粛正の以後は、法律を改正して売春と賭博を公認するべきです。なぜなら、売春と賭博は人間が人間である限り、永遠に求め続ける普遍的な娯楽であるため、法で禁じても必ず地下で行われるからです。そもそも、遊びや快楽を禁じた社会ほど不毛なものはありません。遊びを通じて快楽を求めるのは当たり前の事であり、全く悪い事ではありません。加えて、呑む打つ買うは遊びの基本であり、こういった庶民の風俗が日本の伝統文化の一翼を担ってきた側面もあります。特に、江戸時代における日本人の性の開放性は世界でも有数のものでした。成功者は、妾や芸者を囲うのが日本の伝統文化です。その中で、遊びを取り仕切るヤクザの存在は庶民の憧れでもありました。私はそういった日本の伝統的な風俗は全く間違ったものだとは思いません。これからは、若者にカネが回る経済構造をつくり、若者を遊ばせる事で消費を促し、おおいにヤクザを稼がせるべきです。極端に言えば、ヤクザが儲かるほど日本の経済は活気づきます。したがって、売春と賭博については法律で公認して明確な規定を築き、庶民の娯楽として堂々と表でやるべきです。具体的には、行政が指定した地区で、売春と賭博を法律で公認し、暴力団に自治権を与えて経営させる案が考えられます。すなわち、赤線を復興し、安土桃山時代に始まった遊郭の伝統を復活させるべきです。もちろん、ヤクザの盆も堂々と開くべきです。また、売春や賭博といった遊びにも伝統的な作法があり、それに本格的にのめり込むだけにはそれ相応の覚悟が必要です。そのため、ヤクザの経営する本格的な賭場で、花札や半丁博打をやる覚悟のない半端者は、最初から賭博などにはに手を出すべきではありません。(かく言う私自身が半端者なので、本格的に賭博にのめり込むだけの勇気はありません。)総論すると、遊びの場にもルールがあるため、遊びにおいても伝統的なルールも復興し、大人が本格的に愉しめる遊郭と賭場を復活させるべきであると主張します。
国連協調
そして、国政の場において法治主義を貫くのみならず、外交の場においても国際法の遵守を徹底すべきです。戦争は双方にとっての不利益にしかならず、当事国とは関係ない第三国を武器輸出で稼がせるだけの結果に終わるため、絶対にやるべきではありません。したがって、国連協調主義は今後も貫くべきです。日本の安全保障のためには、国際紛争は国連を通じた調停で極力穏便に片付けるべきです。例えば、日本と韓国との間で争われている竹島の領有問題は、オランダのハーグに置かれている国際司法裁判所で決着をつけるべきです。これには確固たる態度を示して、公式に国際的な調停に出席させる必要があります。なぜなら、この問題に関しては、国際法に照らし合わして見て、日本側の主張に明確な正当性があるからです。
また、米国の覇権失墜に伴う国際情勢の変化により、これからは国連の再編も求められる事になるでしょう。まず、今後は国連において中露と欧州の発言力が強くなります。その一方で、英米の発言力は相対的に弱体化するでしょう。そのため、国連本部はオランダのハーグに移転されるのではないでしょうか。なぜなら、ハーグには国際司法裁判所と国際刑事裁判所といった国連機関の中でも最重要の機関が置かれているからです。この潮流の中で、国連の中での日独の扱いにも変化が生じるはずです。元々、国連の常任理事国は戦勝国である連合国によって築かれたものです。そのため、大戦中に枢軸国であった日独は、大きな国力を持つにも関わらず常任理事国入りは拒否され続けました。しかし、西側世界の指導者であった英米の覇権が失墜し、一方で東側世界の二大勢力であった中露の勢力が増大すれば、日独を邪見に扱う事は出来なくなります。なぜなら、中露の軍事的脅威の拡大は、ユーラシア大陸の諸国家にとって大きな問題となるからです。したがって、中露の軍事的脅威が拡大する結果、その抑止力として日独の軍事力が期待されるはずです。そのため、日独が安保理の常任理事国に格上げされるのは時間の問題です。
そもそも、国連の目的とはこれはカントが提唱した集団安保体制の構築にあります。地域紛争の解決のために、多国籍軍が編成されて武力介入するのはそのためです。この地域紛争に関する事なのですが、米国崩壊後には地域紛争そのものは恐らく減少傾向になるはずです。なぜなら、これまでは米国がCIAを通じて世界での紛争を煽り、世界の警察を自称して自作自演の武力介入を行って来たからです。しかし、米国が崩壊すれば、米軍に代わって国連が国際法に基づいて、地域紛争に対して武力介入する時代が来ます。すなわち、世界の多極化とは、国連を通じた多国間協議で紛争解決をする時代の本格的な到来を意味します。そのため、国連による平和維持活動(略称:PKO)の重要性はこれまで以上に高まる事が予想されます。もちろん、これからの日本は国際社会における安全保障のために積極的な協力を行い、然るべき責任を果たす事が求められます。そして、日本が恒常的にPKOに参加する場合、憲法改正で集団的自衛権の容認が必要となります。この場合、日本国内での軍備の再編も求められるようになります。具体的には、国連予備軍を恒常的に保持しなければならなくなります。加えて、PKOに恒常的に参加するには、英語と国際法に通じた人材の確保が急務となります。
その過程の中で、これは万一の可能性しかないのですが、国際連合が「世界政府」を目指して再編されるかもしれません。その世界政府の仕事としては、国連を通じて貧困国への福祉を積極的に行う事が考えられます。そもそも、日本が世界に対して真に範を示し、尊敬される国になりたいのであれば、これからも貧困国への援助を続けなければなりません。現在、弱肉強食の市場原理主義の名の下に、世界の貧困国では罪もない子供が次々に死に追いやられてしまっています。それらは貧困、飢餓、疫病などが原因です。やはり、先進国に生きる我々は、一杯の小麦の有り難さや、一掬いの灯油の暖かさを実感できないものです。しかし、ワクチンを接種させる事業や、最低限の初等教育を施す事業には、実は大した費用はかかりません。つまり、先進国は、そういった貧困国を一方的に搾取するのではなく、富の再分配を行って、福祉の漸進を目指すべきです。これは、ただのチャリティーなどではなく、育成的な融資という意味も含まれています。仮にそういった援助を行えば、その援助は近い将来配当という形で必ず返ってくるのです。例えば、第三世界の国々から、政府レベルでの条約を締結して、安く資源を手に入れる事が出来るようになる事等が考えられます。したがって、内政において富の再分配を行うばかりではなく、外交においても富の再分配を行うべきです。
具体的には、ソマリアやシエラレオネなど、内戦で疲弊したアフリカの最貧国においては、PKOで紛争を解決に導いた後に、国際法に基づいて、多国籍軍ならぬ「多国籍政府」なるものを設置する案が考えられます。これは当然、当事国の同意の基に行う政治介入です。この多国籍政府の内容は、一時的に国連による統治体制を築き上げ、そこで最低限の治安維持、初等教育、衛生管理、医療福祉、インフラ整備などを行い、国家としての基盤を完成させるという案です。加えて、日本国内に有り余った人材を貧困国に派遣し、現地において多国籍政府に従事させるべきです。たとえ貧困国に生きる人々であれども、相手は同じ人間ですので、互いに協力しあう姿勢が大切です。そして国家の運営が軌道に乗れば、現地人の政府要人に後の国家運営を相続して頂きます。当然ながら、政府の腐敗防止のために監視団を派遣するのは言うまでもありません。
これは一種、同化政策に近いものですが、私はこの考えに間違いはないと信じています。なぜなら、この政策を通じて友好国を増やして行くのは、資源小国の日本にとって無くてはならない事だからです。例えば、シエラレオネは豊富な金鉱脈を持つ国ですので、政府レベルでの協定を結んで、市場価格より安値で金資源を提供して頂ける事が考えられます。したがって、次世代のグローバリゼーションとは、市場ではなく政府主導で、全世界の人々が最低限の福祉を享受できる体制を築き上げる事ではないでしょうか。それによって、多くの国々が互いに不足している部分を補い合い事を目指すわけです。この新たなパラダイムをこの場で「世界福祉」を命名させて頂きます。福祉を先進国だけの特権とするのではなく、貧困国の人々にも最低限の福祉を保障する事によって、援助国の国益とひいては人類全体の長期的繁栄にもつながるというのが私の考えです。
第四節 外交政策
世界会議
次に求められる課題は、外交取引です。まず、各種の価格統制による市場原理の凍結の後には、多国間協議による日米の破産処理が行われるのはまず間違いありません。これは前述の北野氏の指摘に基づく考察です。なぜなら、圧倒的な経済規模を誇る日米の破産は、当事国だけの問題ではなく世界経済全体にとっての大問題だからです。そのため、多国間協議によって日米の破産の衝撃を分散する試みがなされる事が予想されます。この多国間協議には、全世界のほぼ全ての国家が出席する事が予想されます。そのため、外交上の配慮から、スイスのジュネーヴで多国間協議が開催される事が予想されます。なぜなら、スイスは永世中立国であるのに加えて、ジュネーヴには国連の諸機関が設置されているため、この場所は多国間協議をするのに適した場所だからです。そのため、この多国間協議はジュネーヴ会談と命名される事が予想されます。
この多国間協議によって、ユーロが世界基軸通貨となる事が予想されます。なぜなら、欧州によるユーロ導入を起因に中東でドル離れが加速し、ドルの信用崩壊で米国が破産したからです。この流れを受けて、既に北朝鮮やロシアなどでは、外貨準備としてユーロの備蓄を開始しており、世界的に外貨準備のユーロ化は加速しはじめています。あのイスラエルでさえも、米国からの資金援助をユーロ建てで行ってくれと要求しているほどです。そのため、いずれは国際貿易もユーロ決済が標準となり、石油・食糧・金属といった一次産品もユーロ建てで取引されるようになるはずです。それ以後は、GDPの計測などもドルベースではなくユーロベースで行われるようになります。そもそも、2008年現在に米国は280万オンスの金を保有しているのですが、独仏伊の欧州三ヶ国が持つ金の保有量は合わせて300万オンスを既に超えています。そのため、ユーロの通貨価値の方がドルよりも高くなるのも当然の事です。後世の史家は恐らく、ユーロ革命と命名するでしょう。その流れに乗って、世界金融の中心地は、連邦準備銀行の置かれるニューヨークから、欧州中央銀行の置かれるフランクフルトへと移転する事になります。ちなみに、ニューヨークはロックフェラー財閥の本拠地であり、フランクフルトではロスチャイルド財閥が1989年から事業を再開しています。したがって、これから先のグローバル経済とは、これまでの米国主導のものとは全く別のものとなるはずです。
米国から欧州へ覇権が返還されるに当たって、全世界の貿易体制にも変化が出てくるはずです。まず、米国の破産とは、GATTからWTOに続く自由貿易の流れが事実上終わるという事です。そもそも、自由貿易の枠組みとは、米国が世界からモノを買って無理な消費をする事で保たれてきた側面があります。少なくとも今後の米国が、地球規模での自由貿易体制を築く能力がないのは明らかです。また、米国が主導で行ってきた世界貿易の体制は、あくまで環太平洋の海運による貿易体制でした。将来、世界金融の中心となる欧州が、現在のWTOをそのまま引き継ぐのか、それとも新しい枠組みを築くのかは分かりません。しかし、現時点で考えられる事は、欧州は実質的に護送船団方式を採用しているため、保護貿易を選択するはずです。そのため、米国のように常軌を逸した大盤振舞をする事は期待できません。しかし、仮に欧州が主導で新しい世界貿易を築く事になれば、恐らくそれは環ユーラシア大陸の陸運による貿易体制になる事が考えられます。具体的には、シベリア鉄道を活用して、欧州と極東との間で貿易体制を築く事が考えられます。この新たな貿易体制に日本が参加すれば、相当な利益を享受できる事が期待できます。
同時に、米国から欧州へと世界の政治的な指導権も委譲されるはずです。その結果、この協議以後の世界政治の中心は、ホワイトハウスの置かれるワシントンから、欧州議会の置かれるブリュッセルに移る事でしょう。それは全世界の国際情勢を抜本的に刷新する出来事になりえます。世界の盟主である欧州が、戦争回避のために国民国家の概念が否定しているのであれば、それは世界の政治にも影響を及ぼす事が期待されます。したがって、この多国間協議以後の世界政治では、欧州連合と同じ形で多国間で共同体を築き、自主的な主権放棄をする例が増える事が考えられます。すなわち、今後は国民国家の間で戦争をやる時代が終わり、多国間で経済協力を結んで経済統合へと進む道が開かれる事になるのではないでしょうか。したがって、今後は近代的な国民国家の概念が瓦解して行くはずです。この国民国家の成立の歴史的経緯は、宗教戦争による欧州の分裂にあります。宗教改革が三十年戦争を引き起こし、神聖ローマ帝国という超国家的な統治機構が失われた結果、欧州が分裂して国民国家が誕生しました。これが、いわゆるウェストファリア体制と呼ばれるものです。したがって、国民国家とは、そもそも戦争による欧州の分裂の結果に誕生したものなのです。そして現在の欧州連合は、この国民国家のロジックからの脱却を目指したものです。なぜなら、欧州連合における自主的な主権放棄とは、近代主義的な国民国家の概念に反するからです。この欧州統合の流れは、神聖ローマ帝国などの超国家機構を再構築する動きであるとみなせます。別の視点から考察すれば、古代ローマ帝国を復興する政治的なルネサンスであると見なす事も出来ます。その証拠に、欧州連合の旗には十二個の星が描かれていますが、あれは古代ギリシアのオリュンポス十二神、キリスト教の十二使徒、ローマ法の十二表法を表したものであるとされています。これは十三本の横縞が描かれている米国の星条旗とは対照的です。
一方で、アメリカ合衆国は自国に利益誘導のために、他国に濡衣を着せて戦争の口実をつくり、民主主義の正義の名の下に侵略を繰り返して来ました。そして、軍隊とCIAを利用して、全世界で民主化を煽り、米国の傀儡政権を樹立して来ました。それは戦後に民主化された日本にも当てはまる事です。近年においては、中央アジアでのカラー革命などがそのいい例です。加えて、米国は全世界での地域紛争を煽り、武器輸出で膨大な利益を享受して来ました。また、地域紛争を煽るために、米国は反体制的なマイノリティーを利用して来た経緯があります。例えば、日本国内では一部の在日朝鮮人がそれに該当します。実は、黒塗りの街宣車で軍歌を流す右翼の正体は、在日朝鮮人です。あれは東アジアが連帯して、米国に反抗する事を防ぐためのCIAによる破壊工作です。近年では旧約聖書を重視する親イスラエル系の新興宗教のキリストの幕屋が、日本の論壇における親米保守の大御所の産經新聞社と関与を深めています。一方で、日本において親米保守を自称する人々は、中国と韓国の悪口を言う事が愛国心だと信じています。特に近年では世論が右傾化し、ナショナリズムが高まって来ている事も背景に、親米保守は右翼を自称して攻撃的な性格を強めています。もちろん、私も朝日新聞のような自虐史観には同意しかねます。しかし、親米保守を自任して中韓を異常に憎悪する人々は、マスコミを通じて踊らされている側面があるのは否めません。しかし、米国の崩壊後にはこういった状況が一変するはずです。恐らく、米国が煽って来た世界各国の地域紛争は沈静化の方向に向かう事でしょう。
この流れを受けて、軍事面でも大きな変化が予想されれます。欧州は米国との軍事同盟である北大西洋条約機構(略称:NATO)の見直しを既に検討し始めています。2008年2月12日の田中宇氏の国際ニュース解説においては、『その一方で欧州各国は昨年末に署名した「リスボン条約」を批准しつつあり、EU軍を作る方向に動いている。アフガンでの失敗によって、アメリカが欧州を軍事的に傘下に入れるNATOは事実上崩壊し、欧州がアメリカから独立したEU軍を強化する動きが進みそうだ。』と語られています。仮に欧州が米国から独立して、自前の集団安全保障体制を築く場合は、核兵器を保持しているフランスの存在が重要になります。また、現在の欧州は、アリアンロケットなどの開発で、ロケット技術を蓄積しています。そもそも、ドイツは世界最初の弾道ミサイルであるVー2ロケットを開発した国ですので、ドイツが本腰を入れれば弾道ミサイルは容易に開発が可能でしょう。したがって、欧州連合で軍事同盟が発足されれば、欧州は自前で核抑止力を保有する事になります。形式上は、欧州はフランスの核の傘に入る事になるため、軍事同盟の盟主はフランスになるでしょう。
日独同盟
そして、現在の米国亡き後の日本の指針は、この多国間協議で決定される事が予想されるのです。まず、米国抜きの国際情勢とは、中露の軍事的脅威の拡大に他なりません。したがって、日本の国防のために、将来の東アジアでの通貨統合やシベリア鉄道の利用契約まで見据えて、この多国間協議に臨むべきです。その準備として、現在の国際情勢について理解を深めておく必要があります。現在の国際情勢を理解する上での重要な鍵は、1989年という年です。なぜなら、1989年には世界でも日本でもその後の世界を左右する重大な出来事が重なって起こったからです。世界ではベルリンの壁崩壊、天安門事件によって共産主義が終わり、国内では昭和天皇の崩御、バブル絶頂、坂本弁護士一家殺害事件などがありました。そして、科学技術の面ではインターネットのハイパーテキストのシステムが開発されたのも1989年ですし、常温核融合が発見されたのも1989年です。また、軍事面では米国のB−2ステルス戦略爆撃機が初飛行したのは、1989年7月17日です。ちなみに、この1989年は、ユダヤ暦では5750年に相当します。そして、何より重要なのは、1989年を境に冷戦構造が崩壊した事です。その結果として、対照的な道を進むこととなったのは、日独です。
まずは戦後の日本史から論じます。戦後の日本の対米従属を決定したのは、吉田茂氏です。もともと吉田氏は、駐英特命全権大使を歴任した英国紳士であり、かの白洲次郎氏は吉田氏の右腕でした。吉田氏は戦後の占領統治から独立して主権を回復するためには、中露との国交正常化を後回しにするしかないと判断し、ほぼ独断で対米従属を決定しました。そして、吉田氏は1951年9月8日に、サンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約に調印しました。私は当時の情勢において、この判断は妥当であり、しかもこの判断だけしか選択肢はなかったと考えております。その後、米国は日本を反共の防波堤に仕立て上げるために積極的に復興を支援し、日本は短期間で爆発的な復興を成し遂げる事が出来ました。これは吉田氏の外交取引によって、日本を英米に売り渡した結果であると言えます。
しかし、1989年の冷戦終結により、日本が反共の防波堤としての役割を終えてしまいました。その結果、米国にとって日本を保護優遇する事は、戦略的な合理性を失う事となりました。つまり、ソ連の驚異が消滅したため、米国にとって日本は用済みになったわけです。そのため、冷戦終結後に米国によるジャパンバッシングは過激化し、クリントン政権下では1ドル79円95銭といった円高攻勢が日本にしかけられたわけです。この貿易摩擦を理由にした円高攻勢が、日本における産業の空洞化の原因にもなりました。他には、日本に貿易の自由化を強引に迫り、オレンジと牛肉を強制的に買わせたのも、その端的な例です。現在では、米国は日本の優良企業を三角合併で強引に買収し、経営陣に増配を求めています。そして、バブル崩壊などの内外の理由が加わり、90年代の半ばから日本の国力が急激に衰退していったのです。これは日本にとって米国が戦略上の協力者ではなく、最大の妨害者に変わった事を意味します。その上、上記で描写した通り、米国は市民の内乱で急激に没落するのが明白です。もはや斜陽化したアメリカ合衆国は、中露の軍事的脅威を封じ込めるパートナーとして役不足です。そのため、この多国間協議を通じて、対米従属からの脱却を目指すべきです。仮に日米安保を破棄すれば、北朝鮮の必要性は失われ、沖縄の米軍基地も撤退させる事が出来るようになります。そもそも、日本人は不節操ですので、アメリカ合衆国が破産すれば、すぐに掌を返して世論は反米一色に染まるはずです。戦時中には「鬼畜英米」と叫んでいた日本人が、戦後には「反戦平和」と叫ぶようになったのと同じです。そのため、遅かれ早かれ今以上に反米気運が高まって来るのは間違いありません。
その一方で、ベルリンの壁が崩壊した後のドイツは対照的な道を歩むこととなります。確かに、東西ドイツの統一は西ドイツにとっては多大な負担となり、統一ドイツは高失業率に喘ぐことになりました。しかし、人口と領土の拡大により、ドイツの国力は総合的にみれば、飛躍的に増大したのです。そのため、現在の欧州連合の指導的役割を担っているのは、一見するとフランスに見えますが、実質的にはドイツです。なぜなら、人口・経済力・産業力のどれを見ても、ドイツはフランスを凌駕しているからです。加えて、東欧民主化によって欧州連合はさらに拡大し、地政学に見て東欧に接しているドイツの影響圏もさらに拡大したのです。また、現在最も無視できない勢力を誇るロシアも、統一ドイツの影響下にあります。なぜなら、現在のロシアの指導者であるプーチン大統領が、ドイツとの結びつきが強いからです。彼はKGB出身で、17歳から東ドイツで諜報活動をしてきた経歴の持ち主です。そのため、ドイツの金融界に太いパイプを持っているといわれています。現に、これまでプーチン政権を裏から支援してきたのはドイツの金融界です。また、プーチン大統領は、国家主義的な政治体制を敷いてオリガルヒを解体し、2008年現在、国民から絶大な支持を得ています。ちなみに、現在のロシアは膨大な石油資源を背景に経済力をつけ、世界第二の核保有国でもあり、米国の世界覇権を脅かす勢力に成長しています。
まとめると、私は1989年から現在までの間、統一ドイツが黒幕となって欧州連合とロシアのプーチン政権を裏から操り、国際情勢にも多大な影響を及ぼして来たのではないかと推測しています。そもそも、日米の破産の根本原因は、欧州連合によるユーロ導入が中東産油国のドル離れを促したためです。その結果、米国は破産し、ユーラシア大陸において中露の軍事的脅威が高まる事となりました。今後は中露の軍事的脅威の封じ込めのためと、対米従属からの脱却のために、ドイツとの外交関係を強化せねばなりません。したがって、私は親独反米の外交姿勢を今後の基本路線にすべきであると主張します。そのため、日独同盟を結ぶ事を外交上の最優先課題とするべきです。これは、後の日独直通のシベリア鉄道開通まで見据えた外交政策です。そのため、国富を担保にドイツから投資を要請すべきだと主張します。仮に、それが成功すれば、貸し付けを焦げ付かせないためにドイツから政治的な支援を受ける事も期待できます。これは、世界でも特に高い信用度を誇るドイツだけにしか頼めない契約です。なぜなら、堅実で長期的な利益を重視するドイツ人は、搾取的な高利貸しではなく、育成的な融資を日本に対して行ってくれる事を期待できるからです。
加えて、これは非常に畏れ多い案なのですが、ドイツとの関係を強化するために、オーストリアのハプスブルク家と日本の天皇家が婚姻関係を結んで頂く案を私は提唱します。現在ではハプスブルク家は形骸化したとは言え、やはり欧州で最も権威のある名門中の名門です。この案には相当な抵抗が予想されますが、今後の外交の事も考えると、この案も視野に入れておくべきではないでしょうか。また、ドイツ人との関係を強化する上で、ドイツ人を知らねばなりません。その上で、1977年初版発行篠田雄次郎著『日本人とドイツ人』はオーソドックスながら良書です。既に絶版になっているかもしれませんが、一読の価値があります。もともと、ドイツ人と日本人は比較文化論でよく取りざたされる関係にあります。
中露外交
まず、対米従属の脱却のために、中露に接近する案が考えられます。まず日本は地政学上極めて重要な場所に位置しているため、対米従属から脱却するために、これを利用すべきです。この二カ国と密約を結んで、日本を「反米の防波堤」にすると約束するのです。仮に、日本が反米国家に転換すれば、東アジア全域における米国の覇権は完全に失墜するのは間違いありません。いかに米国といえども、まさかフィリピンを拠点に東アジア全域を支配するのは不可能です。そのため、米国を憎んでいる中国とロシアは、日本を「反米の防波堤」にする案に乗ってくる可能性が高いです。これは非常に危険な賭けですが、対米従属から脱却するにはこれしか手がありません。実際に、完全な親中露としなくとも、こういった外交カードをチラつかせて米国を脅迫すれば、日本にとって有利な交渉条件を米国から引き出す事が出来るはずです。これよにって、米国から巧みに食糧支援を引き出せば、少なくとも日本国民が飢え死にする事は回避できます。
また、地政学的に見た場合、これまでは米国がユーラシア大陸の周縁のリムランドを軍事的に制する事で、ハートランドを制する中露の勢力を封じ込めてきたのですが、恐らく覇権失墜後の米国は伝統的なモンロー主義(孤立主義)に回帰するため、中露の勢力は更に拡大するでしょう。その結果、中露の勢力が相対的に強くなるため、周辺各国に緊張が走る事になります。その結果、これからは日本は独力で中露の脅威と真正面から向き合わねばならなくなります。単刀直入に申し上げますと、日米安保を破棄した後には、遅かれ早かれ日本は核武装せざるを得なくなります。そもそも米国の核の傘を失ってしまうので、日本が核武装の必要に迫られるのは至極当然の成り行きです。ちなみに、核は抑止力として保持する事自体に意味があるものなので、核武装は米国からの独立宣言であり、儀式的な意味合いの強い政策です。派出に宣言しなくとも、有事に備えて水面下で核武装の準備を進める必要があります。この核武装の能力に関する事なのですが、日本は高速増殖炉の運用を通じてプルトニウムを備蓄していますので、原爆の材料は十分にあります。また、核拡散防止条約においては核爆発を禁止しているだけなので、臨界前核実験であれば、条文には抵触しません。加えて、日本の保有するM5ロケットは火星に1,5トンの物資を送る能力を持つ世界最大級の固形燃料ロケットですので、誘導システムさえ開発して搭載すれば、大陸間弾道弾へと転用が可能です。したがって、我が国が本腰を入れれば、核武装は恐らく半年以内に実現可能です。
しかし、同時にこれからの日本は中露と経済協力を結ばねばならなくなります。なぜなら、ロシアの豊富な石油資源やシベリア鉄道の使用権と、中国の巨大な市場は、日本経済の都合上どうしても必要だからです。しかし、中露は二つとも悪名高い大国であるため、完全な友好関係を築く事は最初から期待できません。したがって、この中露外交の鉄則は、中露の対立を利用して、両建て主義の外交を行う事です。すなわち、この二大勢力を均衡させて膠着状態を作り、国際情勢を安定化させるのです。具体的には、中国側には内陸部で勢力を増すロシアの脅威に対抗するために、軍事的支援をすると約束するべきです。具体的には、中国沿岸部と軍事同盟を組むか、または武器輸出をする事が考えられます。仮にロシア側がこれに対して怒れば、中国への軍事的支援をやめる代わりに石油を販売してくれと言い返す事が出来ます。これは、中国に対して軍事的支援をすると約束しながら、ロシアから石油を買い付けるという両建て主義の二枚舌外交です。中国の軍事力を増強させながら、ロシアに経済力をつけさせる事が出来るため、中露の勢力を拮抗させて膠着状態をつくる事も出来ます。これは地域の安全保障にもつながります。
また、仮に日中戦争が勃発した場合には、ロシアが中国に武器と石油を輸出するため、終戦工作のためにはロシアを説得しなければならなくなります。しかし、日本一国でロシアと対等に付き合うのは非常に困難が伴います。何より、軍事力に余りにも差がありすぎるため、ロシア側からの恫喝に対して日本は太刀打ち出来ません。そのため、ロシア外交のためには他国から支援を要請すべきです。このロシアに対して長年真正面から対峙して来た国が、ドイツです。したがって、日本人は獰猛なスラヴ民族と対等に渡り合うために、前述通りドイツとも手を組むべきです。そうする事で、ロシアを東西から挟み撃ちにするのです。
また、ロシアと取引をする上で、これからはロシア人の国民性や価値観などをもっとよく理解する必要があります。このロシア人の価値観を理解する上で無視できない要素が、ギリシア正教の総本山であるアトス山です。なぜなら、ロシア正教はギリシア正教の分派だからです。あのソ連は、東ローマ帝国をモデルとして建設されたのは、ロシア人はバチカンよりもアトス山を宗教的権威とみなしているからです。少なくとも、キリスト教世界を理解する上で、バチカンばかりに目を向ける姿勢は改めるべきです。したがって、ロシアの封じ込めのためにアトス山を擁するギリシアとの外交関係を強化するべきです。 例えば、ギリシアに対して低利で融資を申し出るなどして、ロシア正教の上に立つ宗教的権威に近づくべきです。このようにして二重三重に予防線を張る事で、ロシアとの武力衝突を避けて、経済協力を結ぶ道を切り開くべきです。
ロシアとの外交関係の強化に伴って、日本の裏社会にも大きな影響を及ぼす事になるでしょう。恐らく、ロシアンマフィアやFSB(旧KBG)との関係は嫌でも深くなってくるはずです。したがって、ロシアの勢力と日本国内の勢力が協力関係を築く事も考えられます。言うまでもなく、日本国内で最大の広域指定暴力団は、神戸市を本拠とする山口組です。仮に、政府が国ぐるみでロシアとの外交関係を強化すれば、山口組とロシアンマフィアとの関係が深くなる事が考えられます。一方で、山口組に次ぐ勢力を誇る暴力団は、六本木を本拠とする稲川会です。この六本木では、米国大使館を拠点にCIAが諜報活動を行って来ました。これまで六本木は、米国系の外資が入ってくる事で好景気を謳歌して来ました。特に、六本木ヒルズはその象徴です。しかし、これから先は米国の破産で六本木の勢力は相対的に押されぎみにそうです。つまり、ロシアンマフィアの上陸により、日本国内の裏社会の勢力図にも変化が出て来ると言う事です。
将来予測
恐らく、世界各国の思惑もあいまって、確かに日本は対米従属からは脱却するはずです。これは同時に米国の核の傘を失う事を意味するため、日本を取り巻く今後の国際情勢は、戦前の構図と似たものへと回帰していく事になります。そのため、今後の日本は、外交政策を自主的に決定する必要に迫られるようなります。その上で、将来の国際情勢を的確に予測しておく必要があります。この予測は、北野幸伯氏と田中宇氏の意見を主に参考にさせて頂きました。今後は、米国の失墜と中露の脅威拡大によって、中東と極東での有事に発展する可能性が高いのです。
その背景の中で、特に危険なのは中東情勢です。最大の問題は、英米に支援されてきたイスラエルの今後の動向です。現在のイスラエルは軍事費負担で経済的に疲弊している上、ヒズボラとの戦闘にも敗れ、中東での支配権を急速に失いつつあります。しかもイスラエルは国連の非難決議を再三に渡って無視してきたため、国際社会において完全に孤立してしまっています。つまり、イスラエルの国力は既に限界に達しているのです。それらの背景にあって、今後の中東情勢を左右するのはロシアです。なぜなら、現在のロシアはイランを支援している上、中央アジアのロシア軍はイスラーム化しているからです。そして、中東における米国の覇権失墜とイスラエルの衰退を見て、ロシアが中東の石油利権に野心を燃やした場合には、最悪な結果につながりかねません。つまり、イスラエルとイランの対立が、米ロの代理戦争に発展するのです。もしこの米ロの代理戦争が勃発した場合、これは誇張でも何でもなく、第三次世界大戦へとつながりかねない事態となりうるのです。しかし、残念ながら戦後一貫して、中東情勢は悪化の一途をたどっています。その証拠に、2008年2月12日には、ヒズボラの幹部であるイマド・ムグニエ司令官が何物かによって暗殺されました。この事件を受けて、イスラエルの側は事件への関与を否定していますが、関係者はイスラエル諜報機関のモサドによる犯行であると見ています。
しかも、この中東有事が、極東有事にまで飛び火する可能性があります。なぜなら、仮に中東が戦火に包まれた場合、世界市場への石油供給に支障が出てしまうからです。そのため、日本は中東における有事に備えて、中東石油への依存体質から脱却し、他の供給ルートを開拓しておく必要があります。そのため、東シナ海の海底油田の採掘をしなければならないのです。しかし、この海底油田の採掘の利権を巡って、日中が対立する可能性があります。既にその前兆は現れています。例えば、2004年11月10日に発生した漢級原子力潜水艦領海侵犯事件は、日中戦争に備えて、日本近海において中国が海底の地形調査を行っている証拠です。また、ワシントン州にあった米陸軍第1軍団司令部が、2007年12月19日に神奈川県の座間に移設したのも、極東有事への備えです。この米陸軍第1軍団司令部は、米軍の陸軍・海軍・空軍・海兵隊の4軍を指揮する最高司令部です。そもそも、この日中戦争の糸を引いているのは、米国です。なぜなら、日中が武力衝突した際には、日本への武器輸出で軍産複合体が潤うからです。かのアイゼンハワー大統領が警告した通り、米国では軍産複合体が余りにも肥大化してしまっており、戦争か冷戦によって武器を販売しなければ米国の経済はうまく回らない構造が出来上がってしまっているのです。
私は、この日中戦争には断固として反対です。もちろん、仮にやるなら徹底抗戦するのは言うまでもありません。しかし、この戦争は、短期的にも長期的にも双方にとって全くメリットがありません。特に、明確な戦略目標や講話条件も考えずに、威嚇目的で日中開戦を主張するのは愚の骨頂です。ちなみに、私は親中派ではなく、むしろ反米派です。なぜなら、米国の戦争ビジネスに乗せられて、国民の生命財産が毀損されてはならないと考えているからです。したがって、今すぐにでも戦争回避の工作活動を始めねばなりません。まず、仮に日中間で武力衝突が起こった際には、ロシアの動向が戦局を左右する事となります。なぜなら、中国へ武器と石油を輸出しているのはロシアだからです。仮に、ロシアが中国への武器と石油の輸出をやめれば、その時点で中国の継戦能力は失われるのです。そのため、日本はロシアとの外交交渉によって、戦争回避か早期講和へと持ち込まねばなりません。しかし、ロシアの側からしてみれば、中国と日米が対立して共倒れする事が最も望ましいのです。そのため、ロシアが日本の側の要請を聞き入れる事は期待できません。すなわち、日本はロシアに対して直接的な外交交渉を行うのではなく、他のルートからロシアの説得にあたるべきです。その他のルートとは、ドイツによる仲介です。前述のとおり、現在のプーチン政権はドイツとの結びつきが非常に強いため、ロシアを制止するためにドイツと交渉するルートがあるのです。そのため、ここでもドイツ、すなわち欧州の支援が必要です。つまり、将来の日本の命運を握るのは欧州であり、その中でもドイツとの関係が最重要になるのです。こういった事態を想定した上で、ドイツに日本の国富を売却して、外交的な支援契約を締結すべきです。それは以下の第四節で詳細に説明します。
ちなみに、極東のもう一つの「お化け役」は朝鮮民主主義人民共和国です。この国は現在では中国と結びつきが深いと言われています。しかし、真の北朝鮮の支援国は日米両政府です。なぜなら、日米安保の枠組みの上に胡座をかいていたい日本政府と、沖縄の米軍基地を堅持して極東での覇権を守りたい米国政府にとっては、北朝鮮に「お化け役」を演じてもらわねば困るからです。例えば、麻薬と偽札の製造はCIAの指示によってやらされていると言う話があります。これは米国の機密情報なので、裏のとりようが無い話なのです。しかし、北朝鮮の技術力で精巧な偽札を造るのは現実的には不可能です。また、2006年10月9日の北朝鮮の核実験は、爆発の規模から小型の核兵器を使用されたと見られています。しかし、核兵器は開発は比較的容易ですが、小型化には高い技術力が必要です。したがって、この核実験にはイスラエルが技術供与としたという疑いがあります。表面上は、北朝鮮が中国の制止を振り切って独断で核開発に踏み切っているように見えますが、実際にはそれをやらせているのは米国と、その背後にいるイスラエルです。
そのため、1998年8月31日の北朝鮮によるテポドン発射も、日米両政府の合意の上で金正日政権に命じてやらせた事件ではないかと私は疑っております。このテポドン発射事件は、戦域ミサイル防衛(略称:TMD)開発を求めるイスラエルに対して、日米両政府の産業界が巨大な利権を求めて行った茶番劇に見えてなりません。それを理解するには、TMDの正体について知るのが近道です。まず、TMDには技術的難点が山積しているのはよく指摘される話です。しかしそれ以前に、TMDの運用目的について十分な検討がなされていないのは不自然極まりない話です。世間では誤解されていますが、TMDは日米を防衛する兵器でもなければ、まして台湾を防衛する兵器でもありません。そもそも、TMDで防衛できる範囲面積は非常に狭く、広大な国土を持つ米国を防衛するのは物理的に不可能です。それは南北に長く広がる日本列島も同じ事です。しかし、一方でイスラエルは総面積で岩手県に宮城県の半分を加えた程度の国土面積しかありません。したがって、TMDによって実質的に防衛できる国家はイスラエルだけなのです。そのため、TMDの真の運用目的は、イスラエル防衛にあります。恐らく、TMD開発に参加する事で莫大な予算を投じられる日米の産業界が、この防衛計画に積極的な姿勢を示して来たのでしょう。
したがって、北朝鮮はイスラエル防衛のための兵器開発を行う上で、日米両政府から飼われて来た噛ませ犬に過ぎません。しかし、日米両政府は日米安保の枠組みを固めるため、仮想敵国として死に体の北朝鮮を利用しつづけるはずです。そのため、仮に今後北朝鮮の工作員によるテロ活動などが頻繁に行った場合や、北朝鮮が韓国に武力侵攻などを行った場合は、それらは日米両政府の側の合意の上で行った茶番劇であると疑うべきです。それらを踏まえた上でも、この北朝鮮の動向は今後の極東情勢における最大の不安要素であるため、決して目を離す事は出来ません。
現在では、在韓米軍はほぼ完全に撤退し、韓国では軍事的な空白が生まれています。そのため、ちかぢか韓国が北朝鮮によって武力併合される可能性があります。その際には、かなりの数の難民が出る事が予想されます。仮に朝鮮半島が北からの武力侵攻で統一された場合、日本と目と鼻の先にある朝鮮半島との間の緊張は一挙に高まります。仮にそうなった場合、北九州が最終的な防衛拠点となります。この北朝鮮の武力侵攻への終戦工作なのですが、戦争が勃発するか否かは日米両政府の思惑如何です。戦争を勃発させて北九州を焦土にしても、本州の側の産業は軍需景気で潤う上、米国の軍産複合体も儲かるので、最悪な場合は日米両政府の思惑によって北朝鮮と日本が交戦状態に入る事も考えられます。これは、日本の産業界が同胞を殺して金を稼ぐという事です。仮にこういった動きが見られた場合、率直に申し上げますと手の打ちようがありません。
第五節 財政再建
計画経済
ここからは復興の中期段階です。この中期段階における課題とは、財政再建、外貨獲得、失業対策の三点です。全て経済的な課題ですので、ここでは最初に経済学について論じさせて頂きます。まず、現代のフリードマンに代表される新古典派経済学は、財政破綻時には全く有効なものではありません。なぜなら、市場原理に任せていてはインフレが悪化するだけだからです。国家破産後のインフレの抑制のためには、まずは価格統制を敷いて市場原理を凍結し、統制経済に移行せざるをえません。この統制経済とは、行政が介入して市場経済を法的に規制する事で、市場の歪みを是正するものです。すなわち、旧来の護送船団方式の復活です。
しかし、価格統制を目的とした統制経済だけではまだまだ不十分です。財政破綻で通貨が紙切れになれば、流通システムが一度完全に麻痺してしまいます。その後には、第三次産業に従事してきたホワイトカラー労働者が一挙に職を失う事になるので、失業率が劇的に上昇する事は間違いありません。そのため、国家破産後は、物資と雇用を国家が生産して分配する計画経済を必然的に導入せざるをえなくなります。この計画経済とは統制経済が更に厳格化されたものであり、これが本格的に導入されれば完全な社会主義国家となります。確かに計画経済では、勤労意欲の減退などの問題が起こりるのは百も承知です。そのため、こういった計画経済の問題点を是正するために、優れた能力を発揮した労働者に対して、国家が特別の報酬を与えるといった特例制度を導入するべきです。そもそも、勤労意欲に関する話なのですが、老人の資本家が若者の労働者を苛烈に搾取する現在の日本の資本主義の方が、よほど労働意欲の減退を招くのではないでしょうか。むしろ、働いた利益が労働者に正当に還元され、まともに育児の出来る経済構造を作った方が、若い労働者の勤労意欲が刺激されると私は考えます。
また、長期的にみれば、マルサスが『人口論』で言及した通り、これから先は人口爆発で天然資源が枯渇する事は避けられません。その結果、ゼロ成長経済に対応するため、全体主義的な計画経済を選択せざるを得なくなります。恐らく孫の世代では、限られた資源を節約するために、統制経済の次にはどうしても計画経済を導入せざるをえなくなります。どのみち、消費によって経済規模を拡大する米国の水ぶくれ資本主義は数年以内に破綻します。そうなれば、思想的な揺り戻しが起こり、計画経済への拒絶反応も薄れてくる事が予想されます。
そして、次世代の計画経済は、過去にチリで試験的に導入されたサイバーシン計画を改良した電子計画経済と呼べるものになるでしょう。このサイバーシン計画とは、サルバドール・アジェンデ政権期間中のチリで1971年から1973年にかけて行なわれた、実時間のコンピュータ制御による計画経済システムの試みです。これは首都サンティアゴにある中央コンピュータと、チリ各地の工場とをテレックスで接続し、サイバネティックスに基づく制御を行うことを目指したものです。
このように表現すれば、超ハイテクな管理社会の如く大仰に聴こえてしまいます。しかし、この技術は現在の日本においてとっくの昔に実用化され、今では完全に社会に浸透した身近なものです。その日本におけるサイバーシン計画とは、コンビニの販売時点情報管理(略称:POS)です。日本のコンビニでは、バーコードを利用する事で、とうの昔にオンラインの流通管理体制を完成させています。これは技術的にはサイバーシン計画と全く同じものです。こういった流通管理の電子化は、米国のウォルマートにせよ、フランスのカルフールにせよ、小売業であれば世界中どこの企業でも既に完了させている事です。そのため、情報技術を用いた中央集権的な計画経済は、そういった小売業の協力さえあれば、非常に速やかに実現できるのではないでしょうか。したがって、一時期盛んに宣伝されていたユビキタス社会の将来像は、どうやら電子計画経済となりそうです。
補足説明 新マルクス経済学
国民経済を発展させる上での鉄則は、協力と相続です。なぜなら、同世代の人々の協力を通じて後世の子孫に財産を遺す事を、数世代に渡って繰り返す事で、経済が徐々に発展して行くからです。すなわち、協力と相続によって、世代を超えた巨大な建設事業を行う事が真の経済発展です。その理念の基づいた場合、旧来の護送船団方式が最も適した経済システムなのです。したがって、国民経済の復興を目標に、マルクス経済学と国家社会主義を私は支持します。
また、現代社会の二―ズに合わせて、マルクス経済学を改良すべきであると主張します。それをこの場で「新マルクス経済学」と命名させて頂きます。この新マルクス経済学においては、出生率の向上が最優先の目的とされ、育児支援・中産階級の保護育成・余暇の重視が主張されます。この新しいコンセプトに基づく経済学を、数学的に計量化して、数式モデルを完成させる試みを、大学が主導になって行っていだければ幸いです。
まず、出世率の向上を目的とする理由は、一定数の若者を常に確保しなければ、財政、年金、保険などを維持できないからです。そのため、長期的な経済の安定のためには、出生率の維持が必要不可欠です。そのため、育児手当の給付のために、育児支援には限界まで大きな国家予算を組むべきです。この育児支援には、老人福祉に匹敵するかまたはそれ以上の国家予算を組むべきです。その上で、女性の雇用機会を均等にするばかりではなく、女性に育児を奨励するプロパガンダも国策で行うべきです。そもそも、女性の人権を尊重するとは、雇用の機会を与えるばかりではないはずです。それだけではなく、子供を産む権利を尊重する事も、女性の人権を尊重する事であるはずです。また、出生率の維持のためには、育児給付の拡大ばかりではなく、中産階級の保護育成が絶対に必要です。なぜなら、育児に従事する二十代〜五十代までの中産階級を保護育成する事で、間接的に育児を支援する事が出来るからです。すなわち、子持ちの中産階級の保護育成による長期的な利殖が、国家社会主義における富の再分配の目的です。すなわち、積極的に富の再分配を行って労働者に富を還元し、債務者を支援育成する事で、消費を活性化させるべきです。長期的に見た場合には、中産階級の保護育成は資本家の利益をも極大化するのです。
また、富の再分配によって、一つの系の中で富が循環するのであれば、市場規模を拡大する必要はありません。なぜなら、資本家が利子によって得た不労所得は、富の再分配で労働者に返還されるため、資本家への利払いを続けるために富の総量を増やさなくても済むからです。その結果、無理な通貨の増刷は必要なくなります。つまり、貨幣の増刷は累積債務を拡大するため、通貨の増刷で消費を促すのではなく、富の再分配で消費を促すべきです。この富の再分配を徹底するのが、国家社会主義です。いわば、市場原理主義は搾取的な高利貸しですが、国家社会主義とは育成的な融資制度です。
この場で断らせて頂きますが、私は富の再分配の経済的合理性を重視して、マルクス経済学を支持しているだけです。つまり、国家社会主義が、経済システムとして最も稼働率が高いと判断して選択しているわけです。そのため、イデオロギーとしての共産主義や唯物論などには全く関心はありません。そもそも、原始共産制も市場原理主義も、原理主義である事に変わりはありません。したがって、両方ともドグマを忠実に守れば予定調和的に万事がうまく行くという、宗教的な信仰心に似た類の物です。そもそも、イデオロギーの怖さとは、その視野狭窄的な独善性にあります。こういった極右・極左の原理主義は、中庸の徳を著しく欠くため、共に斥けるべきであるというのが私の主張です。
私財限度
マルクス経済学を実施する国家社会主義とは、教条的な原始共産制とは全くの別物です。そのため、私有財産制、複数政党制、言論の自由といった民主主義の原理原則は堅持します。しかし、私有財産権の制限を加え、富の再分配を徹底する点が、米国的な市場原理主義との最大の相違点です。具体的には、累進課税や高率の消費税によって、資本家から労働者へ富の再分配を行うわけです。これは即ち、私有財産限度を設けるという事です。また、日本ではそれをさらに改良して、徹底したものにすべきです。例えば、高額の宝飾品等には高い消費税率をかけ、生活必需品に対しては無税にするなど、メリハリのある税制を採用する事が考えられます。加えて、年収は上限で一億円までとし、それ以上の所得は徴税して国庫に返還し、国民に再分配するといった税制が考えられます。これはインドの経済学者のラビ・バトラ氏が現在提唱しておられるプラウト主義という社会システムとほぼ同じものです。政治的には、行政の権限拡大による大きな政府を志向したものです。
また、日本国民は深く自覚はしていないのですが、日本国内の産業は一部の財閥によって所有されているのです。こういった財閥の一族は一般大衆の目にも触れず、マスコミにも全く姿を表さないのです。しかし、日常生活で一般大衆が上流階級の富豪に出会う事がないだけであり、実際には日本にも桁違いの資産家は居るのです。確かに、富の過剰集中は排除すべきですが、こういった既存の財閥を解体するのは非常に困難な事業です。そのため、むしろ国内の財閥への利益誘導を行い、彼らに中産階級の保護育成を約束して頂く方が遥かに合理的であると考えています。そもそも、中産階級の保護育成が長期的な利益につながるのは上記の通りです。つまり、私はこの国家社会主義の枠組みの中において、財閥の存在は一切否定していません。
同時に、私有財産権の一種である知的財産権のあり方にも変化が出てくるはずです。なぜなら、インターネットの発展は知的財産権の概念を浸蝕する側面があるからです。近年では、iTunes Music Storeによる音楽配信サービスの展開や、Amazon.comなどの通信販売の発展によって大手レコード店で売上が減少傾向にあります。その良い例が、米国における2006年8月20日のタワーレコードの倒産です。しかし、こういったレコードを扱う企業の倒産の根本原因は、やはりファイル共有ソフトが原因であると考えられます。Winnyなどのファイル共有ソフトを用いれば、ネット上からいくらでも映画や音楽などのコンテンツを無料でダウンロードできます。そのため、レコード店が倒産するのも当たり前の事です。そもそも、インターネットとは、本質的に情報の公開と共有に向いたシステムであるため、情報の秘匿や独占が難しいシステムです。したがって、電子上で情報を私有する事は難しいのでないでしょうか。そのため、遅かれ早かれ、知的財産権の概念は瓦解してしまうと私は考えております。例えば、ソースコードを全面公開していてるLinuxは、将来的にはWindowsを駆逐してしまうでしょう。そもそも、WIndowsは出荷時に特殊なトロージャン型ウイルスが仕込まれている説があり、米国の国家安全保障局(略称:NSA)からハッキングされる恐れがあるため、安全保障上極めて危険な存在です。したがって、政府内でのオンラインの情報処理は、ソースコードが公開されていて安全が保障されたLinux以外は使用してはなりません。
加えて、近年では石油価格の高騰により、紙メディアの印刷費用が急騰しはじめています。国家破産後には、超円安で紙と石油の値が暴騰するため、更に紙メディアのコストが騰がってしまします。したがって、経済性の観点から情報伝達は電子化され、インターネットを通じて公開せざるを得なくなるでしょう。当然ながら、インターネットを通じて公開された情報すぐにコピーされてしまうので、ジャーナリストを稼業とするのは難しくなってくるはずです。こういった理由から、私有財産限度の流れの中で、知的財産権の制限も将来的には盛り込まれるようになる事でしょう。ここまではマクロ面での税制などについて触れてきましたが、次の雇用分配の項目からはミクロ面での技術的な政策について論じさせて頂きます。
行政再編
財政再建のために、中央政府のスリム化も求められます。現在の日本の中央政府の行政機構は、無駄が多いという以前に民主的であるとは言い難いです。なぜなら、国会で審議されて通される一般予算より、官僚の裁量で使われる特別予算の方が遥かに大きいからです。具体的には、郵便貯金が財政投融資という形で特殊法人に注ぎ込まれています。しかも、東京の都政を除く日本の財務管理は、全て単式簿記で行われているため、資金の出入りが非常に不透明です。その上、情報公開法が制定されながらも、特殊法人の会計情報が公開されていない等、官僚の利権はもはや聖域と化しています。しかし、財政面での負担を少しでも軽減させるために、こういった官僚の利権は一刻も早く解体すべきです。その上で、電子政府を全面導入して、会計情報を全面公開すべきです。これは説明責任を官僚に課して、腐敗を予防するためです。また、政府の財務会計では、単式簿記をやめて複式簿記を導入すべきです。こういった一連の行政改革で統治機構を簡略化して、稼働効率を高めるべきです。それにより、プライマリーバランス(財政均衡)の実現を目指すべきです。こういった緊縮財政は国内でのデフレの原因になりえますが、先細りの国内市場は棄てて、世界市場を選ぶべきです。
加えて地方自治のスリム化も求められます。現在の都道府県は、余りにも数が多すぎるため、地方自治は無駄だらけです。これは財政再建の上でも好ましい事ではありません。その上、日本の地方自治体は地元の財源から行政を運営するのではなく、中央から予算を取り付けてくるものです。こういった、形だけの地方自治は余りにも非効率です。そのため、都道府県制に基づく現在の地方自治は撤廃し、道州制を導入すべきです。その上で、州知事は中央から任命された者が就任する形をとるべきです。これは中央集権型の同州制です。ここで言う道州制の導入は、地方分権の要素は含まず、あくまで行政のスリム化を狙った政策です。
第六節 外貨獲得
国富売却
次に求められる課題は、外貨獲得です。まず、米国は石油の購入のために外貨が必要なのですが、それを鑑みてみても、十分資源に恵まれた国です。一方で、資源小国の日本は、海外から生活物資を輸入するために、絶対に外貨が必要です。また、ここで指す外貨とは、ユーロとルーブルです。なぜなら、前述の通り次の世界基軸通貨はユーロだからです。また、現在のロシアは、ルーブルを国際的に流通する通貨にする事を目指しています。したがって、ロシア貿易においてルーブルが必要な構造が既に出来上がりつつあります。しばらくの間は自国通貨の円が実質的な紙切れとなるため、価値を持つ通貨はユーロとルーブルだけになります。したがって、日本国内でも一時的にユーロとルーブルが流通する可能性さえも想定しておくべきです。これは大東亜戦争の敗戦後に、日本国内でドル紙幣が高い価値を持った状況と同じです。
財政破綻が起こった場合には、超円安とインフレが起こる事が予想されるため、輸出においては高い国際競争力を得る事が出来ます。その具体的な輸出先は欧州とロシアです。なぜなら、この二つの経済圏は日米が破産した後にも比較的堅調な経済力を維持すると見られているからです。恐らく、日本の商社は全力で国内の在庫処分のために奔走せねばならなくなるでしょう。また、欧州に大量の品を卸す場合、三井物産を経由するのがベストです。なぜなら、三井財閥はロスチャイルド財閥との関係が深いからです。また、ロシアに品を卸す場合は、若狭湾から輸出する事になります。そこからウラジオストクまで品を卸せば、後はシベリア鉄道で欧州まで物資を運搬できます。シベリア鉄道はウラジオストクーモスクワ間までをつなぐ鉄道ですが、モスクワーサンクトペテルブルク間にも鉄道は敷設されています。したがって、ウラジオストクから欧州各国までをつなぐ鉄道網は既に存在しています。
したがって、日本国内の金品、不動産、優良企業の株式などは、全て欧州かロシアに売却して外貨に換えざるを得なくなります。その売却に関する処理だけで恐らく丸数年はかかる事が予想されます。そのために、今後は世界中から会計士や弁護士が来て日本の資産を監査・評価して売却処分するようになります。そもそも、現時点でも日本の優良企業は米国系の外資に半ば買収されているのです。しかし、日米が破綻した後には、米国系の外資は鳴りをひそめるはずです。なぜなら、米国の自国通貨であるドルが劇的に弱体化するからです。転じて、欧州はユーロ高を背景に圧倒的な金融力を得る事が予想されます。そのため、日本の国富を売り払う相手先は、欧州系の外資にならざるを得なくなります。これは国富を担保に融資を募る事と同じ意味です。したがって、前述の多国間協議における最大のポイントは、日本で樹立される新政権が、復興資金を調達するために、欧州に金融面での援助を要請せざるを得ないという点にあります。その結果、例えば後述の私有地の国有化案の正体は、国内の土地を安く欧州に売り渡すという事になるでしょう。
また、インターネットが復旧した後には、個人事業主によるネットを通じたブローカー業も盛んに行われるはずです。ならなら、国が破産した際には、資産家が現金目当てで自らの所持品を安く手放す事が予想されるからです。例えば、宝飾品、高級腕時計、ゴルフクラブなどの類の高級品です。これらの品は生活必需品ではないため、真っ先に売却されるはずです。それらを販売する手段として、 eBay などに代表されるインターネットのオークションサイトでの競売が活用されるはずです。なぜなら、わざわざ品を持って現地にまで飛ぶ手間を省けるからです。つまり、国が破産した後には指輪を売って小麦を買う構図が出来あがるのです。そのため、恐らく国内にある金目な品は、ほぼ全て海外に格安で売り叩かれてしまう事になるでしょう。
珪素産業
次の課題は、輸出産業の振興です。現在の日米は自国の通貨高を背景に、自由貿易でモノを買い過ぎて来たため、産業が空洞化してしまいました。これは市場原理主義の枠組みの下で、通貨を増刷して消費を刺激する金融政策を続けすぎた結果です。しかし、長期的に安定した外貨獲得を続けるためには、加工貿易で工業製品を輸出せねばなりません。そのため、国家社会主義の政治においては、贅肉をそぎ落とした筋肉質な工業国家に祖国を戻す事を目標とします。これは、金融資本主義から、産業革命的な工業を基本とする産業国家への回帰を指します。
したがって、物流を政府の管理下におき、鉱工業の振興に物資を割り振る傾斜生産方式の採用するべきです。加えて、富の再分配による中産階級の育成と同じように、保護貿易のよる製造業の育成を行うべきです。また、その保護貿易に加えて、積極的な行政指導も行い、企業間の技術提携を促進させるべきです。なぜなら、世界的に経済競争が激化する時代の中で、日本の企業だけが国内で内輪揉めしているわけにはいかないからです。また、近年の日本の大手企業は丸投げ、中抜きといった中間搾取をやる悪癖が染み付いてしまっていると言われています。これは野口悠紀雄氏の指摘ですが、大手企業の下に中小企業が下請として存在し、上から仕事を与えてもらうという形態は、1940年に施行された国家総動員体制の名残です。実質的な生産活動に従事している中小企業が、大手による搾取で疲弊しているのでは、国家の長期的な展望にも支障をきたしてしまいます。そのため、中小の下請企業を法律で手厚く保護すべきです。
この流れの中で、工業製品の開発において、国内での独自規格の採用を即刻やめるべきです。例えば、携帯電話もテレビも独自規格を採用しているので、そのままの形で海外に輸出しても海外では使用できません。なぜ、加工貿易で外貨を稼いでいる技術立国が、自国内だけでしか通用しない独自規格を採用するのか全く理解に苦しみます。そもそも、世界市場よりも遥かに狭い日本市場を優先するとは、本末転倒もいい所ではないしょうか。こういった、国内市場を優先する不可解極まりない行為は止めて、世界市場に対して適応していかねばなりません。
その上で、輸出産業の内容も見直さねばなりません。従来の重厚長大型産業はインドや中国などの新興勢力に対して、人件費の面で圧倒的な不利に立たされてしまっています。その上、資源枯渇で原材料の値が既に高騰し始めています。したがって、重厚長大型産業から将来的には撤退する事を視野に入れて動かねばなりません。具体的には、自動車、鉄鋼、石油精錬、航空機などの産業です。つまり、金属で出来た乗り物を石油で動かす時代は、遅かれ早かれ終わってしまうのです。これも資源枯渇に関わる話なのですが、希少金属の産出国が非常に偏っているのも問題です。例えば、タングステンやインジウムは中国が主な産出地です。仮に、何らかの原因で対中関係が悪化する事があれば、希少金属の禁輸処置が行われる可能性も否定できません。こういった希少金属はハイテク産業を維持する上で必要不可欠ですので、平時から戦略備蓄をし、しかも徹底的なリサイクルに努めねばなりません。ちなみに、日本国内でのこういった重化学工業は、三菱重工が最大手です。なぜなら、大東亜戦争において、三菱重工が零戦や戦艦武蔵などの兵器製造を受注して来た経緯があるからです。現在でも、三菱重工が90式戦車に代表される自衛隊の装備を製造しているのです。しかし、これからは資源枯渇という不可抗力によって、重化学工業の斜陽化は避けられない運命にあります。
また、資源枯渇のみならず、環境問題の観点からみても、重化学工業の斜陽化は避けられません。例えば、カドミウムがイタイイタイ病、メチル水銀が水俣病といった公害の原因になったのは有名な話です。こういった重金属は凄まじい毒性を持った物が多く、その中でも原子力サイクル事業で出てくる劣化ウランやプルトニウムの毒性は最悪の部類のものです。加えて、石油化学は環境汚染が激しい上、プラスチックなどから溶け出す高濃度の環境ホルモンは生物の新陳代謝に甚大な悪影響を及ぼします。それだけではなく、今後は石油文明そのものが確実に限界に達し始めます。石油の枯渇はもちろんなのですが、それ以前に石油文明そのものが環境汚染によって急激に老朽化しはじめています。例えば、石油から造られたアスファルトや、酸性雨に弱いコンクリートは劣化が急速に進み始めています。例えば、ニューヨークの国連ビルは老朽化が進んで取り壊しが検討され始めているほどです。そもそも、コンクリートを急速に劣化させているこの酸性雨の原因は、石油を燃焼した際に出る排出ガスに含まれている窒素酸化物です。石油文明は汚染が余りにも激しいため、今世紀中に継続が不可能になるでしょう。
これは私の推測なのですが、これまでの石油文明は早晩終わりを告げた後には、それからは「珪素文明」なるものが始まると見ています。これは煉瓦と陶器の文明を高度にしたものです。この珪素文明を築く産業を、珪素産業とこの場で名付けさせて頂きます。現在でも既に、ケイ素から合成された合成繊維は、軽くて丈夫なのでスポーツ用品や航空機の材料につかわれています。例えば、従来の航空機の機体素材には、アルミニウム、銅、マグネシウムなどの合金であるジュラルミンが主に用いられて来ましたが、既に金属の価格が高騰し初めているので、炭化ケイ素が航空機をつくる上での代替素材となりはじめています。新型旅客機ボーイング787ドリームライナーでは、アルミより軽いとされる炭素繊維が機体の50%に用いられており、機体の軽量化により従来の航空機よりも燃費を20%向上させる事に成功しています。ここで触れられている炭素繊維とは、主に炭化ケイ素の事です。このセラミックスの一種である炭化ケイ素(シリコンカーバイド)は、化学的にはダイヤモンドとシリコンの中間に位置する物質で、硬度、耐熱性、化学的安定性に優れます。これは主に研磨材、耐火物、発熱体などに使われています。また、半導体でもあることから、電子素子の素材にもなります。これは非常に優れた性質を持つ物質であるため、公汎な分野の工業製品の原料となりえます。こういったセラミックスやシリコンはケイ素から成るものなので、これらの品の原料は、SiO2からなる珪石や石英です。簡単に言えば砂の事です。日本国内の埋蔵量は2億トンあるとされています。金属資源は将来的に枯渇しますが、こういったケイ素であれば豊富にあるので、将来性があると言えます。また、セラミックスは陶器の一種なので、人体の側への影響が小さく、医療用の人工骨として使用されているほどです。
総合的に見れば、珪素産業を中心に据えた輸出産業をシフトすれば、工業によって生計を立て続ける事は十二分に可能であると言えるでしょう。また、珪素産業は知識集約型で高い付加価値をもつ軽薄短小工業と直結しています。こういった軽薄短小工業の代表例とは、情報技術産業、セラミックス等の新素材、環境関連商品、遺伝子技術、ナノテクノジー等です。この産業によって生み出される製品であるセラミックス、太陽電池、コンピュータ、ナノマシン等の原料は、全てシリコンです。現在、日本はこの全ての分野で世界トップクラスの地位に立っています。そのため、日本の産業界の未来は決して暗いものではなく、むしろ十分に希望に満ちた明るいものであると結論づけられます。
第七節 失業対策
雇用分配
ここからは、失業対策のための新マルクス経済学の技術的政策について論じさせて頂きます。前述の通り、新マルクス経済学においては、時間を資源として扱います。繰り返し言うと、時間は資源の一つです。なぜなら、消費活動には余暇が必要だからです。そのため、労働者であり消費者でもある中産階級の保護育成においては、余暇を積極的に確保させるべきです。したがってワークシェアリングと呼ばれる労働政策を導入するべきです。労働時間を短縮して、なるべく多くの人に雇用を与える政策です。これは欧州では70年代から実践されてきた政策であり、既に実績も残されています。実例を上げれば、フランスでは労働時間は週35時間までと厳しく規制されています。また、ドイツ人の一年間の平均労働時間は1450時間で、これは平均すれば週休三日制に近い数字です。転じて日本では、かたや一方に過労死する人間が居ながら、かたや一方に失業者が居るのです。この日本の労働事情は、極めて歪であると言わざるを得ません。このワークシェアリングを導入する事で、限られた雇用を分散して、失業率の低減を試みるべきです。したがって、欧州に倣って雇用確保ための規制強化を、日本でも包括的に執り行う必要があります。
そのための最初の政策は、労働基準法の遵守を徹底させる事です。特に、人材派遣会社は明らかに中間搾取をしており、これは労働基準法に触れるため、漸進的に締め付けを強化する必要があります。既に許認可が下された人材派遣会社は仕方が無いにせよ、これ以上の同種の企業の新設に対しては、行政は絶対に許認可を下ろしてはなりません。そして、次の政策は正規雇用と非正規雇用の時間あたりの賃金を平等にするものです。これはオランダで1982年にワッセナー合意が締結されてから、本格的に始められた政策であり、今の欧州では既に常識化しています。
また、労働政策の重視する事には別の理由もあります。なぜなら、先進国では金融政策が全く通用しない時代に入っているからです。例えば、ゼロ金利政策やケインズ的な財政支出は全て効果が現れなくなっています。専門的に言い換えれば、質的金融緩和も量的金融緩和も既に限界に達しているのです。そもそも、経済成長が終わった時代に、金利や貨幣の総量を操作する政策をやっても、効果がないのは当たり前の事です。むしろ、ケインズ経済学に基づく財政支出は、財政破綻後には悪性インフレの原因になるため全面禁止にすべきです。特に欧州の政治では労働政策への重点が高いのはそのためです。つまり、今後は労働政策で経済を調整するしか道が残されていないため、ワークシェアリングによって失業リスクの分散を試みるべきです。
そして、全国規模でワークシェアリングを徹底的に実施するには、更に強権的な政策が必要です。それは富の再分配ならぬ、雇用の再分配と呼べる政策です。つまり、時短による雇用分散を通じて、完全雇用を図るのです。そのためには、基幹産業の再国有化を実施した後に、専売公社による管理の一元化が必要です。この産業の再国有化は、現在のロシアのプーチン政権で実施され、成功を収めた政策です。具体的には、JR、JT、NTT、郵便貯金を再国有化します。その後、雇用を細分化した後に、なるべく多くの労働者に再分配するのです。もちろん、労働者一人当たりの賃金は減ってしまうのですが、国民全体での失業リスクを分散できるメリットがあります。国営企業の目的とは、公共性の高い事業の実施や生産性の安定だけではなく、雇用を再分配する事にもあります。この政策を実現するためには、極めて綿密なスケジュール管理が必要となります。そのため、労働者のスケジュール管理に情報技術を徹底活用し、無駄のない管理技術を開発せねばなりません。しかしながら、日本の優秀なシステムエンジニアであれば、こういった管理技術の開発も難なく出来ると私は見込んでいます。
また、このワークシェアリングとほぼ同じ効果が期待できるのが、過剰な自動化に対する法的規制です。これは機械によって奪われた雇用を労働者に再分配する政策です。現在の日米では、高すぎる人件費を削るために、あらゆる物が徹底的にオートメーション化されています。例えば身近なところでは、自動ドア、AT車、自動掃除機、自動洗濯機、自動食器洗い機、自動販売機、回転寿司、電動パチンコなどがあげられます。こういった自動化への規制をかければ、機械によって奪われた雇用を労働者に再分配する事ができるのです。もちろん、人件費がかさむことは避けられませんが、雇用を創出できるメリットは大きいです。そのため、ここでも漸進的に自動化への規制をかける事業を推進すべきです。
そもそも、これら過剰なまでに自動化されたシステムは、果たして社会にとって本当に有益でしょうか。人々の雇用を機械が奪ってしまうという以前に、ここまで徹底的に自動化が進んでしまった場合、人間の側の自活能力が削がれてしまう事が問題です。つまり、過剰な自動化によって便利すぎるものに囲まれ、人間の側の能力がどんどん退化してしまうのです。特に、日本国内での自動販売機の多さは異常です。加えて、酒や煙草の自動販売機が、青少年の育成にも悪影響を及ぼしてしまうのは言うまでもありません。そのため、多少不便な状態を保つことで、人々の自活能力を守るべきです。
公共事業
国家破産によって、第三次産業に従事するホワイトカラー労働者はほぼ全て失業し、膨大な数の失業者が出る事が予想されます。恐らく、町中は失業者に溢れ、貧困から犯罪は急増するはずです。したがって、雇用創出のために大規模な公共事業を実施せねばなりません。同時に、公共事業とは国民全体で共有できる共通目標を設定するという事でもあります。そのためには、よく練り込まれた建設計画を構築せねばなりません。そして、これから国家総動員で巨大な公共事業を行う場合には、土地収用がどうしても必要となります。実は、欧州流の社会民主主義の導入とは、これまでの土地私有に基づく日本流の資本主義を終わらせるという事です。そのため、私有地の国有化こそが、国家社会主義での最大のキーポイントです。そして、土地を国家の公有物にした後には、期限付きで個人に占有させる法制度を完成させるべきです。そして、期限付き占有権の売買は市場で自由に執り行うようにするのです。そうすれば、土地私有制度のシステム的な利点も噛み合わせる事が出来るのです。では、私有地の国有化を進めるには具体的にはどうすればいいのでしょうか。
また、公共事業をやる上での開発用地に関してですが、日本国内でも太平洋側は限界まで開発され尽くしています。したがって、今後はこれまで半ば遺棄されてきた日本海側の過疎地を開発する手段が考えられます。現在、日本海側は過疎地を通り越してゴーストタウン化しているため、土地の権利者の数は減っています。したがって、日本海側の過疎地を収用する政策が、最も現実性が高い案でしょう。また、一方で、太平洋側の過密都市での私有地の収用は実質的に不可能です。なぜなら、太平洋側の都市部においては、私有地が細分化しすぎているため、権利関係が複雑になりすぎています。確かに、前述の通り日本では税制や金融などの政治的な理由から、地価が高値に設定されてきました。そのため、国が破産した際には土地の評価額が劇的に暴落しますので、これを逆手にとって土地収用法を通じて私有地を国有化する事を目指す手もあります。
しかし、私有地というのは、元来世襲によって相続されるものであり、本来はなかなか国有化できる代物ではありません。そのため、この政策における実践の現場は、率直に申し上げるとかなり悲惨な状態になる事が、容易に予想されます。なぜなら、日本のサラリーマンは三十年ローンで築いたマイホームがタダ同然になり、その上それを政府に収用されてしまうからです。正に踏んだり蹴ったりです。さすがにこういった政策を実施するとなると、反対は避けられないでしょう。したがって、こういった地域の再開発は実質的に不可能なので、そのまま放置するしか無いでしょう。
仮に国内での開発が限界に達すれば、海外に公共事業の場を求めるべきです。特に、国連を通じて発展途上国おける開発支援を行う場合、国連の大義が立ちますので、話をスムースに進める事が出来るはずです。それか、以下で紹介する東亜環状鉄道の開発に参加する事で、ユーラシア大陸に公共事業の場を求めるべきです。これは国際情勢が安定化して、多国間で経済協力を結ぶ体制が完成している事が大前提となるので、現時点では不可能な案です。しかし、米国崩壊後においては、地域紛争が沈静化に向かう事が期待できるため、こういった案も現実味を帯びて来るでしょう。
第八節 住環境整備
日本海側開発
上記で説明した通り、これからは国家復興のために日本海側の過疎地を開発するべきです。ちなみに、この日本海側の地域は、別名「裏日本」と呼ばれています。今では、日本海側の農村の一部は過疎化が進行してゴーストタウン化しているため、逆に国家主導の都市計画や農業計画にうってつけの土地となりえます。加えて、中露との関係が強化されれば、当然ユーラシア大陸との貿易が盛んになります。そうなれば、これまで長く無視されてきた日本海側の地理的な有利性が注目されるようになるでしょう。恐らく、札幌、新潟、福岡が国際貿易の重要な拠点となります。そして、日本海側で最重要な地域が若狭湾です。現に日露戦争当時、日本海軍はロシア海軍が本土に上陸する地点は若狭湾であると想定し、京都への侵攻を防ぐため舞鶴鎮守府を設置しました。加えて、舞鶴から高浜町にかけての海岸沿いには砲台を設置した事もありました。つまり、若狭湾は軍事戦略的にも非常に重要な土地なのです。したがって、今後ロシアの脅威が拡大する事があれば、舞鶴の海軍基地を増強し、要塞化する必要が出てきます。
また、若狭湾はリアス式海岸を持ち、舞鶴は天然の良港であるため、既に国際港湾都市です。近隣には、小浜港、駿河港などがあります。そして、この若狭湾と兵庫県三木市をつなぐ舞鶴若狭自動車道が1987年に開通しています。この三木市は、神戸市に隣接した場所です。したがって、若狭湾からロシア貿易をやる場合、日本国内における物流の拠点は恐らく神戸市になります。また、神戸市における物資の取引は、しばらくはユーロ建てかルーブル建てで行われるでしょう。この若狭湾からウラジオストクまで船舶で積み荷を運んだ後には、シベリア鉄道で欧州まで物資を輸送する手段があります。若狭湾が総合開発され、ロシアのウラジオストクのみならず、上海や香港など中国の諸都市との交易も盛んになれば、若狭湾周辺は半世紀後にはかなりの都市圏を形成していても不思議ではありません。それは外交関係にも変化を及ぼし、中露と日本が蜜月時代に入る事をも意味します。そうなれば、若狭湾を有する近畿地方は日本の心臓部となります。仮にそれが実現すれば、天皇陛下が京都御所へご帰還なされる事も、ありえない話でありません。それは東京から京都への遷都を意味するため、新国家が建国されるのに等しい意味を持つ大きな出来事となります。
次に考えられるのは、福岡と朝鮮半島との間に海底トンネルを建設する案です。更に、それをシベリア鉄道に接続すれば、大陸直通の大鉄道網を築く事が出来ます。これは、欧州と日本との直通便になるため、シベリア鉄道の利用権を握るロシアは膨大な利益が期待できます。この大プロジェクトに参加する主要国家は日独になるため、ロシアは日独の技術と資本が投下される事になり、大発展を遂げる事になります。既にシベリア鉄道の電線化工事は終了しているため、次は全線の複線化工事が課題ですが、日独が本格支援すればすぐに実現される事でしょう。したがって、大きな利益が期待できるロシアがこの案に乗って来る可能性は十分にあります。また、ロシアが本腰を入れて圧力をかければ、日本と北朝鮮との国交正常化は十分期待できます。そもそも、日本がロシア寄りになれば、日本政府にとって金正日政権は不必要になり、倒される可能性が高いです。これらの理由から、以下で提唱する都市計画や農業計画は、ロシア貿易の重要性と、過疎化で土地に余裕のある裏日本で実施するべきです。
一方で、余りにも人口が過密して住環境が悪化した太平洋側の都市の一部は、将来的には遺棄する事も考えられます。特に東京から横浜にかけての地域は、2008年現在で世界最高の人口密度です。しかも、私有地が細分化されすぎたせいで再開発は非常に困難になっています。そのため、東京オリンピックの頃につくられた首都高は現在の交通需要には全く応え切れておらず、東京の慢性渋滞は解消されなくなっています。加えて、東京では未だに下水が完全に整備されていません。何よりも最大の不安要素は、関東大震災が再び起こる事です。したがって、仮に東京で大震災が起こった際には、東京都市圏を遺棄して新しい居住区を裏日本に建設するべきです。これが現実のものとなれば、三千万の人口を有する関東地方から裏日本に膨大な人口が移動するため、非常に大規模な移住計画になります。過去には、第二次世界大戦当時にロシア西部から、シベリアへと人口が大量移住した例がありましたが、東京を遺棄して日本海側に疎開する計画は、恐らくそれに匹敵する規模のものになるでしょう。
建築基準強化
国土利用を政府の管理下においた上で、総合的な住環境の整備を行うべきです。そもそも日本人が、衣食住の中の食に非常にこだわるのは、それだけ住環境に不満があるからではないでしょうか。つまり、住に不満があるので、食で補おうと言うわけです。そのため、これからの日本は、もっと衣食住の中の住を重視すべきです。仮に住宅建設が飽和すれば、その上に華美な装飾を施しても良いのです。まず、2008年の現在、建築基準の厳格化が実施されていますが、あれは耐震強度偽装事件に対する対処療法的な政策です。そういった対処療法ではなく、確固たる思想に基づく建築文化の熟成を目指すべきです。その思想とは、同世代の協力と、世代間の相続を重視するものです。そのため、孫の世代まで遺せるだけの、高い耐久性を持った建築物を造るべきであると主張します。私は個人的には、アルベルト・シュペーアが提唱していた廃墟価値の理論を支持します。これは、新築されるすべての建築は、数千年先の未来において美学的に優れた廃墟となるべく建築されるべきであるという理論です。これは建築物の使い捨てをやめて、資源を節約するという意味もあります。また、耐久性の高い建築物を作るのは、有事に対する備えでもあります。例えば、欧州において建築物に分厚い壁を備える事を求めるのは、有事の際に小銃弾が建築物の壁を貫通するのを防ぐためです。そのため、確固たる思想に基づく建築文化とは、有事を想定した建築文化の事です。
したがって、建築物に高い耐久度を要求するために、建築基準の厳格化を進めるべきです。これは地震大国の日本では特に重要な政策です。実は日本では、戦時中に物資が不足した時期に建築基準が著しく緩められ、1980年に再び厳格化されるまで放置されてきたのです。そのため、1980年以前に作られた建築物は既に老朽化している上、現在の耐震基準さえも満たしていないものが多いのです。当然、これらの建築物は震災の際には非常に危険です。こういった、明らかに耐震基準を下回る建築物を解体する事業も、危機管理の一環として行う必要があります。しかし、率直な所そういった作業は余りにも手間がかかってしまいます。したがって、前述の通り、太平洋側の過密都市の一部は丸ごと遺棄する手段も考えられます。
また、国内にある老朽化したコンクリート建築を発破解体した後に、別の建材を用いた丈夫な建築物をつくらねばなりません。特に、日本列島改造論によって国土が乱開発された70年代初頭のコンクリート建築には海砂がつかわれており、近年では鉄筋の腐蝕が進行して極めて危険な状態です。コンクリートは酸性雨で酸化が進み、急激に劣化が進んでいます。一方で、コンクリートに並んで現在最も多用されている建材であるアスファルトも、原油価格の急騰でコストが跳ね上がっているため、将来的には利用できなくなる可能性が非常に高いです。したがって、将来的には炭化ケイ素の煉瓦を建材にした建築文化を築かねばならなくなるでしょう。煉瓦建築は関東大震災の際に大きな人的被害をもたらしてしまったため、現在の日本ではほとんど見られなくなりました。しかし、耐震性を高めた煉瓦建築を研究開発して、炭化ケイ素を用いた頑強な煉瓦建築を築く必要があります。
また、建築基準の強化に際しても、耐震性の確保だけでは足りません。これから先の時代を見据えて、より包括的な内容のものにすべきです。具体的には、新規に作られる全建築物に対して、断熱材を使うことを法律で義務づけるのです。既に、ドイツやオランダにおいては、すべての建築物に断熱材をつかうことが法律で義務づけられています。仮に断熱材が導入されれば、夏はエアコンの冷気が逃げず、冬は暖房の暖気が逃げないため、エネルギーの節約にもつながるのです。これは石油危機以降、米国でも推進されてきた事業であり、日本は先進国で断熱材の導入がもっとも遅れた国の一つとなってしまっています。そのため、早急に断熱材の導入を推進すべきです。これらの一連の土地政策と建築基準の強化によって、戦後の焼け野原でバラックを立てて雨風をしのいだ時期の建築文化から脱却して、欧州並みの建築文化を日本に導入すべきです。
そして、日本海側の総合開発には、確固たる都市計画に基づいた余裕のある都市建設を行う必要があります。孫の世代に完璧な都市を遺す事が今後の課題です。そのために、都市計画の先進国であるドイツから建築士を雇い、完全な都市計画を構築すべきです。この都市計画においても有事を想定し、都市の地下には核シェルターを完備させるべきです。仮に陛下が京都御所にご帰還されるのであれば、特に京都は防備を固めておかねばなりません。政府が緊急事態を宣言した際には、即座に市民を収容できる地下空間をつくり、その中で数年は暮らせるだけの設備を完成させておく必要があります。ちなみに、北京の地下には一千万人の市民を収用できる大地下施設が既に建設されているという噂を私は耳にした事があります。しかし、これは中国の軍事機密であるため、事の真偽と詳細は不明です。
そういった優れた建築文化を築くためには、それを支援する社会体制が必要です。まず、今の日本の建設業界の現状について説明させて頂きます。現在、日本の建築会社は民間銀行から資金を借りて、建物を作っているのです。そのため、工期が延びるほど銀行への利払いが嵩んでしまいます。こういった背景から、工期短縮のために企業の幹部が建設現場に圧力をかけるため、手抜き工事が増えてしまうのです。これは何も企業の幹部が全て悪いばかりではなく、企業の経営上やむをえない事です。そのため、耐震強度偽装事件は起こるべくして起こった事件であると言えるのです。しかし、住宅は高額な上に、人命に関わるものです。そのため、今の建築業界の慣行は改めるべきです。長く安心して住める家作りをするためには、やはり時間的な余裕が必要です。そのため、行政が低利で建築業界に融資して、建設現場での十分な工期を確保させるべきです。これは、現場で働く労働者への配慮でもあります。何より、住宅建設は国民の生命財産に関わる事だからこそ、行政による綿密な管理が必要です。
国土美化政策
国土利用を政府の管理下においた上で、是非やるべきは国土美化政策です。これはドイツの戦後復興において徹底的に推進された事業です。この国土美化政策は、雇用創出のためのケインズ的な政策であるため、これは財政が安定してからやるべき政策です。国土美化政策の目的は、意外な事に安全保障にあります。ドイツにおいては送電線を地中に埋める事業を多大な労力をかけて行ってきました。これは単なる国土美化ではなく、実は安全保障という意味も兼ねているからです。仮に有事が起こった際には、地上にむき出しになった送電線は敵国の軍用航空機に狙われてしまうからです。そのため、日本においてもドイツに倣って、地上にむき出しになっているライフラインを地中に埋める事業を行うべきです。しかし、送電線を地中に埋める事業に関しては、常温超伝導物質の発見を待つべきかもしれません。仮に常温超伝導物質が発見されれば、変電所を必要としない送電設備が現実のものとなります。そのため、この物質が発見されて新しい送電線が開発されてから、送電線を地中に埋める事業を推進するのも合理的な案です。
また、都市の美観を高めれば、犯罪率の低下が期待できます。現に、壁の落書きを丁寧に消す作業を試みた結果、犯罪率が低下した事例がニューヨークで報告されています。また、景観規制の厳しいシンガポールは、汚職の少ない国の一つだとして知られています。ちなみに、シンガポールも土地は国有化されているのです。そのため、私有地を国有化した後の日本でも、景観規制を設けて建築物の色、高さ、大きさなどを統一する試みを始めるべきです。したがって、日本海側の総合開発においては、都市の美観に徹底的にこだわり抜くべきです。具体的には、日本と欧州の伝統的な建築様式を融合させ、普遍的な美を備えた都市を構築すべきです。もちろん、完成した建築物には将来的に華美な装飾を施す事を目指します。そして、近代的な高層建築はパリのラ・デファンス地区のように限定された一カ所に集中させるべきです。
第九節 食糧自給化
国営農場創設
また、国土を国有化した後に行うべきは都市計画ばかりではありません。それは、食糧自給率を高めるための農業計画です。まず現在の日本の食糧自給率は40%を切り、しかも農業の担い手は七十代が主流となっています。このままでは、間違いなく十年以内に日本の農業は壊滅してしまうでしょう。また、食糧自給率が余りにも低すぎるため、有事の際に海外から食糧の輸入がストップした場合には国民が餓死してしまう事も想定されます。また、自由貿易によって安い外国産の食糧を輸入すべきだと言う声もありますが、将来的には人口爆発で食糧が不足し、国際的に食糧の価格高騰は避けられません。
そのため、早急に食糧自給率の向上を図る必要があります。その農業計画の内容は、地方の過疎地を利用して、国営の集団農場を創設し、雇用創出と自給率向上を同時に狙う事業です。また、過疎地であれば土地が余っているので、広い住宅を作って与える事が出来ます。そのため、その農場とセットで広い住宅を作り、労働者に対してインセンティブとして提供するのです。そのコストに関する事ですが、地方の過疎地を国有化するため、土地代はかかりません。この国営農場の建設候補地は、前述の通り裏日本です。特に新潟県は重要です。なぜなら、若狭湾に大都市を建設する場合、近隣した土地から食糧を供給しなければならないからです。したがって新潟県を大農地として開墾し、そこに大きな労働力を投入するべきです。次は、北海道が有力な候補地です。なぜなら、広大な土地があり、しかも気候が寒冷で、地球温暖化の影響をうけにくいからです。実は地球温暖化の影響で、米の粒が大きくなってしまい、東北の米は大味になり、品質がほんの少し落ち始めています。また、それは寒冷な土地での栽培に適しいている蕎麦にも当てはまる話です。そのため、最高級の米と蕎麦は、既に北海道産の品とされているのです。この米と蕎麦の話は2007年7月初版発行の高城剛著「サヴァイヴ!南国日本」からの引用です。
この国営農場には団塊世代の人々を主に動員すべきです。これは、定年退職後の雇用確保という意味合いがあります。この団塊の世代の老後に関する話ですが、老後に年金を貰ってゲートボールをするだけになると、本人からしても生活にハリがなくなるのではないでしょうか。なぜなら、社会から疎外され、社会に貢献できなくなるからです。そうなれば、息子や娘から疎まれても無理はないでしょう。老後に何をやっていいですよ、自由ですよと言われると、大半の人は途方に暮れるだけです。そのため、「孫のためにお米を作ろう!」いうスローガンで農業を奨励すべきです。実際に、作った米を孫の家に送る宅配サービスを実現する事も十分可能なはずです。こういった事業に、世界最高の正確度を誇る日本の宅配便を利用しない手はありません。しかも、全ての住宅にブロードバンド環境を提供して、パソコンを通じて無料のテレビ電話であるSkypeを利用できるようにすべきです。それにより、孫といくらでもテレビ電話で会話できるようになります。
しかも、適度な肉体労働は、健康維持にもつながます。また、組織的な定期検診を徹底して疾病の予防と早期発見を試みるべきです。そして、全てのカルテは住基ネットで管理し、必要とあらばインターネットを通じていつでも本人が参照できるシステムを作るべきです。こういった総合的な取り組みを行えば、医療費をギリギリまで圧縮でき、同時に健康な老後を実現できるようになります。つまり、老後に広い家に住んで、健康な体で農業を営める社会体制を国ぐるみで築くわけです。
加えて、この政策は団塊世代の人々が持つマイホームを、早期に手放させる効果も狙ったものです。つまり、田舎に広い家を用意する事で、都市部にある彼らのマイホームを早期のうちに政府へ収用させてしまうのです。また、この政策で食糧自給を実現し、人口の分散を実現できれば、生活環境が改善されるため、出生率の上昇も期待できます。蛇足ですが、東京湾にアクアラインを開設するより、こういった事業を立ち上げた方が遥かに国民のためになるのではないでしょうか。なぜなら、ミニマムな投資で、一石二鳥どころか三鳥も四鳥も狙えるからです。また、食糧自給の次の課題は、エネルギー自給です。これは安全保障の要でもあります。
また、この国営農場における農業なのですが、できうる限り有機農業を目指すべきであると主張します。なぜなら、近代的な機械農業が実質的に破綻し始めているからです。70年代に、ソビエト政府は中央アジアにおいて、綿花の増産のために大規模な灌漑を行いました。その結果として、短期間には綿花の収穫量が急増しました。しかし、その後は大規模な塩害が発生して、綿花の収穫は激減し、灌漑を実施した地域は人が住めない塩の砂漠に変わってしまいました。これからは、米国中部のグレートプレーンズが同じようになります。なぜなら、地下水の過剰な汲み上げで、地下水脈の推移が急激に低下し始めているからです。これが進めば、いずれは地下水脈が枯渇して農業を維持できなくなります。しかも塩害の被害が急速に広がりつつあります。化学肥料のつかい過ぎて地力が疲弊し、米国の農地は既に荒廃し始めています。そのため、アメリカの企業式農業は半世紀後には破綻する事がほぼ確実です。どうやら、現行の機械農業は、塩の砂漠しか遺しそうもありません。したがって、有機農業を見直し、それを早急に導入する必要があります。
淡水輸出事業
農業には当然、水が必要です。しかし、これから先の時代には、人口爆発による需要の増大で、淡水は石油並みに貴重な資源となります。したがって、今後最も大きなニーズが期待できる商品は、安全な飲み水と農業用水です。特に、水不足に喘ぐ中国北部とインド南部は、淡水を販売すれば積極的に購入する事が予想されます。加えて、人口の増大が著しい中東や、地下水脈の枯渇が顕著な北米は将来有望な市場です。そのため、日本は海水の淡水化事業を国策として推進し、それを輸出する事業を外交戦略上の武器に位置づけるべきです。
この淡水輸出事業に、通貨制度をリンクさせる手が考えられます。つまり、水を購入する際にその通貨が必要となる水本位制を築くべきです。そもそも、通貨というものには、何か実体的な価値を持つ資源を担保にしなければ価値を保証する事が出来ません。そのため、過去には金がポンドの担保にされ、今では石油がドルの担保とされ、円では土地が担保とされて来たのです。特に、石油の購入の際にドルが必要とされる今の体制は、石油本位制だと呼ばれています。これからの時代の通貨は、水が担保とされるはずです。なぜなら、安定したニーズが期待できるからです。
また、ユーロとは水本位制を既に目指している通貨であると私は推測しています。なぜなら、現在国際的な水の取引は、ネスレ、スエズ、ヴィヴィアンといった欧州の企業によってほぼ独占されているからです。そのため、国際市場から水を購入する際には、ユーロが必要になる体制が将来できあがるのではないかと推測しています。20世紀においては、米国が世界の石油取引を支配して、ドルを基軸通貨の地位にまで押し上げたのですが、21世紀においては、欧州が世界の水取引を支配する事で、ユーロを基軸通貨の地位にまで押し上げるのではないでしょうか。仮に、こういった新しい通貨体制の一翼を日本が担えば、日本は膨大な富を得る事が出来るはずです。また、現在欧州の年金基金は、水企業に大量に投資しています。その結果、水企業が儲かれば年金基金も潤う仕組みが既に出来上がっています。そのため、水企業が稼げる構造を作れば、欧州と外交上の友好関係を築く事が期待できます。
具体的には、日本はドイツと技術提携して、海水の淡水化事業を実現すべきです。それでつくった膨大な淡水を、水不足の顕著なインドと中国に円建てかユーロ建てで販売するわけです。加えて、日本で製造した淡水を中国北部に送る淡水パイプラインの敷設計画を推進すべきです。また、前述の外交上の配慮から、水パイプラインを敷設する利権に関しても、欧州の水企業に与えるべきです。仮に、この計画が実現すれば、これは中国と朝鮮半島と日本の友好親善につながる国際的な建設事業となります。また、淡水パイプラインと言えば仰々しく聞こえるものの、実際は水道管を巨大化したものに過ぎません。そのため、恐らく石油パイプラインの技術を応用すれば、淡水パイプラインの技術を容易に開発できるはずです。ちなみに、日本の準大手ゼネコンの三井住友建設に建設を委託して、三井財閥にも利益誘導を行うべきです。そして、大量に製造された淡水の販売は、欧州の水企業に委託します。これで更に欧州の水企業を稼がせるわけです。また、中国とインドが日本の製造した淡水を輸入する構造が出来れば、東アジア地域での安全保障にもつながます。なぜなら、武力ではなく、水禁輸処置という経済制裁によって、インドと中国の武力を抑止する事が出来るからです。また、水を円建てで販売すれば、水本位制という新しい通貨体制を実現できます。もし、この通貨統合と淡水の販売事業が実現すれば、東アジアの安全保障と、水不足の解決が期待できます。
第十節 資源安保策
対露石油外交
対米従属脱却後、日本が国家として独立するためには、独自のエネルギー政策が必要になります。なぜなら、現在の日本はアメリカ系の石油メジャーから供給される中東産の石油に依存しきっているからです。実は、過去にも石油メジャーの支配から脱却するために動いた人々が日本にも数多く居ました。例えば、1978年のイラン革命の際には、米国政府の制止を押し切って、日本の石油会社がイランに出向いて石油買い付けを行った事がありました。また、田中角栄氏は独自のエネルギー外交を行い、中東から石油を輸入する道を模索していたと言われています。また、ロシアからの石油輸入のために奔走していたのが、あの鈴木宗男氏です。彼らが失脚した背後には、米国資本による隷属体質から脱却する事を志したため、米国政府から濡衣を着せられという説があります。現時点では、これは真実がどうかは判断しかねます。しかし、仮に真実であった場合、鈴木議員の名誉回復は必ずせねばならない事になります。
鈴木氏の構想を受継ぎ、豊富な石油資源を保有するロシアからの石油を輸入すべきです。もちろん、安全保障上ロシアから石油を輸入するのは極めて危険である事は百も承知です。あの国は、石油禁輸処置を外交カードとして用いる事は間違いありません。しかし、石油の供給源はなくべく分散する事で、リスクヘッジを目指さねばなりません。しかし、既に東シベリアから日本にパイプラインを敷設する契約があるのですが、ロシアの側が一方的に契約を破棄して中国の側に優先的にパイプラインを敷設してしまいました。このように、ロシアや中国と相手にする場合、契約などは何の意味もないものです。恐らく、日中を争わせる事で両国から譲歩を引き出すのがロシア側の狙いです。当然、日本の側はロシア政府の高官に徹底的にリベートを送ったのでしょうが、中国の側の買収工作が上だった可能性があります。これは既に実行に移されている手段なのですが、競争相手である中国を懐柔するために、東シナ海の海底油田を共同開発し、利権を山分けするという交換条件で、中国側から譲歩を引き出させる手があります。これは日中戦争を回避する外交政策でもあるため、確かに日本側の取り分が減る事はありますが、一石二鳥の政策となりえます。
海底資源採掘
排他的経済水域の地下に眠っているメタンハイドレートは、かなり有望なエネルギー供給源になりうると言われています。これは前述の西澤潤一氏の指摘を参考にしたものです。まず、排他的経済水域とは国連海洋法条約に基づいて設定される経済的な主権がおよぶ水域のことを指します。沿岸国は国連海洋法条約に基づいた国内法を制定することで自国の沿岸から200海里(約370km)の範囲内の水産資源および鉱物資源などの非生物資源の探査と開発に関する権利を得られる代わり、資源の管理や海洋汚染防止の義務を負うとされています。また、日本列島は南北に長く広がっており、非常に広い排他的経済水域を持つ国です。そのため、この排他的経済水域の地下にある資源を採掘する道を模索すべきです。
また、メタンハイドレートとはメタンを中心にして周囲を水分子が囲んだ形になっている物質です。1立方メートルのメタンハイドレートを1気圧の状態で解凍すると164立方メートルのメタンガスに変わります。このメタンはメタンハイドレートの体積の20%に過ぎず、他の80%は水である。石油や石炭に比べ燃焼時の二酸化炭素排出量がおよそ半分であるため、地球温暖化対策としても有効な新エネルギーです。大陸棚が海底へとつながる、海底斜面内、水深1000から2000メートル付近での、地下数百メートルに集中する、メタンガス層の上部境目に多量に存在するとされています。
日本近海は世界最大のメタンハイドレート埋蔵量を誇ると言われ、このため日本のエネルギー問題を解決する物質として考えられています。2006年 東京大学や海洋研究開発機構の研究グループによると新潟県上越市直江津港沖合30km付近に海底上(水深約900メートル)に露出しているメタンハイドレートを確認。海底面上にあるのは東アジア初との事です。これは本来、新聞紙面で大きく取りざたされなければおかしいニュースです。恐らく、米国系の石油メジャーによって、この情報の公開にかなりの圧力がかけられているのでしょう。これが真実であるとすれば、メタンハイドレートは十二分に有望なエネルギー資源であり、この採掘に成功すれば日本は一躍資源大国に変貌を遂げる可能性を持つ事となります。
しかしながら、採取方法には難題がつきまとっています。海底のメタンハイドレートは潜水士が作業できない深海に存在し、また地層中や海底で氷のように存在するため、石油やガスのように穴を掘って簡単に汲み上げることも、石炭のように掘ることもできません。ゆえに低コストでかつ大量に採取することは技術的に課題が多いです。また、採取方法によっては、大量のメタンハイドレートが一気に気化し大気中に拡散、地球温暖化に拍車を掛ける恐れもあり、慎重に検討すべきと指摘する研究者もいます。そのため、現在のところ採掘にかかるコストが販売による利益を上回ってしまいます。したがって、商売として成立せず、研究用以外の目的では採掘されていません。しかし、エネルギー自給の可能性を秘めたメタンハイドレートの採掘には、国家予算を投じて全力で行うべきです。日本政府は2016年までにこれらのメタンハイドレートの商業化に必要な技術を完成させる計画を行うとしています。
新核技術開発
常温核融合は、一時は似非科学の類であると見なされて来ましたが、これは実現可能な技術であると近年見直され始めています。まず、この常温核融合とは、室温で水素原子の核融合反応が起きるとされる現象です。核融合が起こると、質量がエネルギーに変換されます。そのため、室温で核融合を起こす事が出来れば、水から無尽蔵にエネルギーを抽出する事が可能になるのです。1989年にイギリス・サウサンプトン大学のマルチン・フライシュマン教授とアメリカ・ユタ大学のスタン・ポンス教授が偶発的にこの現象を発見したと発表した。しかし、その後の追試で、同じ結果が得られないことや核融合反応で発生する中性子が観測されないことから、現在では、測定誤りによる誤認であったと一般には考えられています。
しかしながら、日本の研究チームが常温核融合について研究を続け、この現象が現実に起こる事を究明しつつあります。特に、三菱重工の岩村康弘氏と北大の水野忠彦博士は、常温核融合の研究成果が認められ2004年には国際的なPreparata賞をともに受賞しています。水野氏は現在の常温核融合核融合研究の第一人者です。その他、阪大の高橋亮人博士、同志社大の山口栄一博士なども、常温核融合の研究で実績をあげているとの事です。また、現在の常温核融合研究の権威が終結して執筆した「固体内核反応研究 No.1」(高橋亮人他著、工学社)は、それらの研究成果の集大成です。また、近年では地震の原因は地下における核融合爆発という説が提唱され始めています。これは、地下においてプレートとプレートの隙間に水が入り込み、それが常温核融合で核爆発した結果、地震が起こるという仮説です。これが真実であるとすれば、人為的に地震を起こす事も技術的には可能であるのかもしれません。とにもかくにも、常温核融合が実用化できれば、水から無尽蔵にエネルギーを取り出せるため、エネルギー問題は一挙に解決するのです。
そもそも、レーザー核融合や磁場核融合は、発電には向かないものです。なぜなら、超高温・超高圧の環境をつくった場合、炉壁が溶解してしまうからです。連続的に核融合状態を維持するためには、超高温・超高圧に耐えうる炉壁の開発が必要ですが、それは化学的に非常に困難な技術です。一方で、核燃料サイクル事業は、高速増殖炉に技術的困難があるため、近年では研究が停滞しています。何より、原子力発電は核廃棄物の処理に問題が伴います。また、大量のプルトニウムは核兵器に転用可能ですので、諸外国から核保有の意志があるのかと疑念を持たれる原因になります。それ以前に、非常に毒性の強いプルトニウムの管理には、大きな危険が伴います。また、原爆の材料を求めているテロリストから狙われる可能性も高いのです。そのため、これ以上のプルトニウムを抱え込む事は、デメリットが多いのです。そのため、常温核融合の可能性を信じて、ここにも国家予算を投じるべきです。
また、常温核融合が実用化されれば、水から無尽蔵にエネルギーを取り出す事が出来るようになります。当然、これは軍事転用が可能です。例えば、純粋水爆や、常温核融合で動く潜水艦や航空母艦です。いわば、これは原子力潜水艦ならぬ、核融合潜水艦です。これは水から無限に発電するシステムが搭載されるため、理論上は半永久的に潜水が可能です。また、軍事転用の次は宇宙開発への転用が考えられるのですが、ここから先は想像の私の範疇を超えているので、率直に申し上げると現時点ではどうとも評価しがたい所です。
最終節 東亜共同体
東亜共同通貨
仮に日中戦争を回避するか、または早期に終結させる事に成功すれば、東アジアで米国の覇権が失墜します。もちろん、そうなれば日米安保は破棄すべきです。その後には、東アジアにおいて権力の空白が生まれるため、新秩序を構築する必要があります。しかし、軍拡競争は国民を疲弊させるだけなので、積極的な経済協力を目指すべきです。また、輸出先の市場という面から見ても、米国が破綻して購買力を失うため、輸出先として東アジア市場を開拓せざるを得ません。したがって、日本は自国の権益だけに視野を狭めずに、東アジア全域での経済協力と集団安全保障に積極的に参加すべきです。それは近代的な国民国家の枠組みを超えて、多国間の主権放棄によって共同体を築く思想です。その上で、日本は華僑資本との協力関係を強化すべきです。現在のASEANの背後に居るのは、華僑資本です。彼らと連帯して、日本もASEANに加盟させて頂き、将来的には東アジア共同体を目指すべきです。同時にこれは、日本が積極的に東アジア全域を支援して、域内の貧困・腐敗などを一掃する手助けを行うという事です。その一環として、環境技術を中国に供与すべきです。 これは中国のみならず、日本の安全保障に関わる問題です。現在の中国では、急激な経済発展に伴い、環境汚染が急激に進んでいます。しかも、中国が大量に輩出する硫黄酸化物が偏西風に乗り、それが酸性雨となって日本に降り注いでしまっています。これは日中に両国にとって不利益極まりない事です。そのため、世界一の環境技術を持つ日本は、中国に対して環境技術を供与すべきです。また、こういった高度な技術は維持点検が非常に難しいため、日本の技術に対して中国が依存する体質が出来上がるため、地域の安全保障にもつながります。
それらを踏まえた上で、ここから東アジアでの通貨統合について論じさせて頂きます。この案が実現できれば、東アジアでは交易が活性化して、地域経済の発展が約束されます。まず、日本の経済力の失墜に伴う円安を悲観するのではなく、逆に絶好のチャンスと見なすべきです。なぜなら、財政破綻によって日本円の価値が劇的に下がるため、東アジア諸国と日本との間での通貨価値の差が一挙に縮まるからです。そのため、私は東アジアで通貨統合を目指すべきであると主張します。まずは通貨間での変動幅を小さくするために、多国間でのバスケット通貨を導入します。これはアジア通貨単位(英名:Asian Currency Unit 略称:ACU)です。それで通貨変動幅を漸進的に縮め、最終的には通貨統合を目指すべきです。ここで、次の通貨統合で生まれる新通貨を、暫定的に東亜共同通貨と呼ばせて頂きます。そして、東アジア中央銀行をシンガポールに設置すべきです。このシンガポールはという国は、その時代その時代で最も勢力の強い国と手を組む狡猾な国です。しかし、あの国を味方につけるというのは、時代を味方につけている証拠でもあります。したがって、何としてもシンガポールを取り込むべきです。また、この中央銀行は金融資本家の手に下らないようにするため、完全な国営銀行とします。この通貨統合は、まずシンガポール、香港、台湾、韓国といった経済的な先進地域から優先的に行うべきです。その上で、中国の沿岸都市などでも徐々に通貨統合を進めて行くべきです。例えば、通貨特区などと呼ばれる地区をつくり、その地域では東亜共同通貨を利用できるように法整備を進めるわけです。これが実現すれば、東京でも上海でもシンガポールでも、同じ統一通貨を利用できる体制が出来上がります。 加えて、アジア債権市場(英名:Asia Bond Market 略装ABM)を開き、東亜共同通貨建てでアジア債の販売を行うべきです。
また、いつになるかは全く見当もつきませんが、この東亜共同通貨がユーロと融合した場合には、ユーラシア通貨なるものが誕生する事でしょう。そもそも、ユーラシア (Eurasia) の名は、ユーロ (Euro) とアジア (Asia) を足したものです。しかし、それは恐らく孫の世代の事となります。したがって、いつの日かユーラシア通貨を築くために、我々の世代は何としてでも通貨価値を長く安定させねばなりません。そのためにも、安易な通貨増刷と金融緩和は絶対にしてはなりません。したがって、消費を活性化させて経済を水増しするのではなく、工業主体の筋肉質な生産経済を築くべきです。
東亜環状鉄道
日本国内の開発は既に限界に達しているため、開発の場を海外に求める事で雇用を創出するべきです。 この海外における雇用創出は、国連を通じた前述の「世界福祉」の一巻として執り行うべきです。これは、日本国民全体での共通目標を設定するという意味合いも含まれるため、非常に分かりやすく、しかも夢を与えるような建設計画でなければなりません。その建設計画とは、ユーラシア大陸をぐるりと囲む超巨大な環状線を建設する案です。具体的には、中東、インド、中国を縦断する鉄道を敷設し、それをシベリア鉄道に接続する形になります。これは、大東亜縦貫鉄道と呼ばれるもので、戦前に考案されたものです。それを現代風に改訂して、東亜環状鉄道と命名します。仮に実現すれば、人類史上最大の建設計画となり、多国間の経済協力と平和共存の象徴となります。
東亜条約機構
米国崩壊後の世界情勢は、ドイツを盟主とした欧州連合と、それと友好路線をとるロシアが背骨として貫かれる事になるでしょう。将来的には、欧州とロシア西部が経済的に統合される事も考えられます。冷戦時代に欧州と旧ソ連は敵対関係にあり、軍拡競争で膨大な軍事費負担を強いられた経験のある欧州とロシアは、その経験を踏まえて今後は経済協力に踏み切る可能性が高いです。また、ウイグル自治州を間接支配下においたロシアは、中国内陸部を橋頭堡に軍事的脅威を徐々に拡大しはじめるはずです。一方で、覇権失墜後の米国はモンロー主義に回帰し、他国への武力介入は控えるようになるはずです。そして、仮に日本が核武装を宣言して日米安保が破棄された後には沖縄の米軍基地も撤退を余儀なくされます。問題はその国際情勢の中における東アジアの将来です。実は白人社会において、東アジアほど恐ろしい存在はありません。圧倒的な人口と経済規模を誇る東アジアにおいて、仮に技術の日本と物量の中国が軍事同盟を組む事があれば、世界中のどの勢力も太刀打ちが出来なくなるからです。特に、米国は日中を離反させ、対立を煽る工作活動を行って来ているのはこれまで説明して来た通りです。
仮に、こういった工作活動に東アジアが乗せられて、多国間が互いに争ったのでは、国力を疲弊して共倒れするだけです。何より、仮に中国沿岸部が倒れてしまった場合には、ロシアの軍事的脅威が高まってしまいます。ロシアは非常に手強い国です。条約を一方的に破棄する事で悪名高く、ロシア兵のモラルの低さは世界的に広く知れ渡っています。現に、あの石原莞爾が満州事変を起こして満州国を建国した理由は、ソ連の脅威に対抗するためだったと言われています。したがって、ロシアへの緩衝地帯として中国沿岸部を戦略的に支援せねばならなくなるでしょう。また、中国に武器輸出をすれば日本の産業も潤います。そのために、経済面での協力関係が完成した後には、軍事面でも東アジアにおいて集団安全保障体制を発足すべきです。同時に、この軍事同盟の真の目的は、二度と東アジアをアメリカ合衆国の支配に置かれないようにする事にあります。そのため、この軍事同盟の仮想敵国はロシアと米国となります。そして、ユーラシア大陸方面は中国、太平洋方面は日本が主に防衛を担う事なります。
この軍事同盟に名前をつけるなら、東亜条約機構(英名:East Asia Treaty Organization 略称:EATO)となる事でしょう。このEATOの理念は東アジアの結束です。同時に、これはアジア人によるアジア人のための軍事同盟でもあります。EATOはシンガポールに本部を設置し、年に一度共同軍事演習を執り行う事にします。仮に、このEATOの構想が実現すれば、北大西洋条約機構(NATO)を超えて、質・量ともに世界最強の軍事同盟が誕生します。したがって、太平洋戦争方面の防衛のために、日本海軍を中心に東アジア連合艦隊を編成する事になるでしょう。これは現時点では全く現実性のない構想ですが、この復興計画における最終目標です。
おわりに
これらが、国家社会主義による復興計画の要綱です。これは、これから起こるであろう変化を予測したものでもあり、いわば演劇の脚本の如き代物でもあります。また、この復興の草案で語られている内容そのものは、過去にあった北一輝の『日本改造法案大綱』によく似たものです。そのため、現代版『日本改造法案大綱』と見て頂ければ幸いです。しかし、私は暴力的なクーデターは絶対にやるべきではないと考えています。なぜなら、そういった手段に出た場合、その反動で暴力の連鎖が起こってしまうからです。そのため、私が目指しているものは革命ではなく、あくまで復興です。言い換えれば、競争や闘争による破壊ではなく、子供達のために互いに協力して祖国を復興する事こそを、私は心から願っています。そして、この論文を書き上げるにあたって、数多くの人々から有意義な助言をして頂いた事に心から感謝します。この論文は、ゼミの教授から受けたご教鞭や、国の内外で出会った人々などの思想、意見、主張を参考にして紡ぎ上げられたものです。また、結びに申し上げたいのは、祈る事と願う事の重要性を再認識する事です。現世を共にする人々の堕落を呪うのはたやすい事です。しかし、後世の子孫のために祈るのは意外に難しいものです。そのため、後世の子供達の幸福と安泰を願う心をもう一度思い出して頂きたいと切に願います。
平成二十年三月 匿名
参考文献
『仏教的ものの見方』(森章司著、国書刊行会、2001年)
『ボーダーレス・ワールド』(大前研一著/田口統吾訳、プレジデント社、1990年)
『グローバリゼーションとは何か—液状化する世界を読み解く』(伊豫谷 登士翁著、平凡社、2002年)
『国際戦略会計—グローバル経営に不可欠な会計の知識』(山本 昌弘著、文眞堂、1999年)
『続・世界の闇を語る父と子の会話集』(リチャードコシミズ著、自費出版、2007年)
『ユダヤが解ると日本が見えてくる』(宇野正美著、徳間書店、1986年)
『五人五衰 豊饒の海(四)』(三島由紀夫著、新潮社、1971年)
『若きサムライのために』(三島由紀夫著、文芸春秋、1969年)
『文化防衛論』(三島由紀夫著、新潮社、1969年)
『亡国のイージス(上)』(福井晴敏著、講談社、2002年)
『日本滅亡論』(澤田洋太郎著、エール出版社、1990年)
『エコスパズム 発作的経済危機』(アルビン・トフラー著/福島正光訳、中央公論社、1982年)
『ジャパニーズ・マインド』(ロバート・C・クリストファー著、講談社、1983年)
『世論の政治心理学』(ドナルド・R・キンダー著、加藤秀治郎/加藤裕子訳、2004年)
『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日 』(ベンジャミン・フルドード著、光文社、2002年)
『反社会学講座』(パオロ・マッツァリーノ著、イースト・プレス、2004年)
『国家の品格』(藤原正彦著、新潮社、2005年)
『祖国とは国語』(藤原正彦著、講談社、2003年)
『技術大国・日本の未来を読む—繁栄を続けるための5つの直言 』(西澤潤一著、PHP研究所、1989年)
『ギリシア人の教育ー教養とはなにかー』(廣川洋一著、岩波書店、1990年)
『イスラームとは何か』(後藤 明・山内 昌之編、新書館、2003年)
『「ひきこもり国家」日本』(高城剛著、宝島社、2007年)
『サヴァイヴ!南国日本 』(高城剛著、集英社、2007年)
『若者を喰い物にし続ける社会』(立木信著、洋舟社、2007年)
『現代法学入門』(伊藤 正己著、 加藤 一郎著、有斐閣双書、2005年)
『日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり』(カレル・ヴァン・ウォルフレン著/井上 実訳、徳間書店、2007年)
『 なぜ日本人は日本を愛せないのか—この不幸な国の行方 』(カレル ヴァン・ウォルフレン著/大原 進訳、 毎日新聞社、1998年)
『1940年体制—「さらば戦時経済」 』(野口 悠紀雄著、東洋経済新報社、1995年)
『働くということ』(ロナルド・ドーア著/岩塚 雅彦訳、中央公論新社、2005年)
『ロックフェラー対ロスチャイルド—巨大対立軸のなか、日本の進むべき道を探る! 』(藤井昇著/徳間書店、1994年)
『「世界地図」の切り取り方』(藤井厳喜著、光文社、2003年)
『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日』(北野幸伯著、草思社、2007年)
『理解しやすい地理B』(中村泰三著、文英堂、2003年)
『日本人とドイツ人 猫背の文化と胸を張る文化』(篠田雄次郎著、光文社、1977年)
『アメリカ合州国』(本田勝一著、朝日新聞社、1981年)
『世界同時大恐慌』(ラビ・バトラ著/藤原直哉訳、あ・うん、2004年)
『地球白書〈2006-07〉』(クリストファー フレイヴィン著/日本環境財団 環境文化創造研究所編集、ワールドウォッチジャパン、2006年)
『恐竜と共に滅びた文明』(浅川嘉富著、徳間書店、2004年)
『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』(マーク・ブキャナン著/阪本 芳久訳、草思社、2005年)
『ゲーム理論入門』(武藤滋夫著、日本経済新聞社、2001年)
『EUの知識』 (藤井良広著、日本経済新聞社、1994年)
『ヨーロッパ現代史』(ウォルター・ラカー著/加藤秀治郎訳、芦書房、1999年)
『亡国マンション』(平松 朝彦著、光文社、2006年)
『ウォーター・ビジネス』(中村 靖彦著、岩波書店、2004年)
『失敗の本質』(戸部 良一著、寺本 義也著、鎌田 伸一著、杉之尾 孝生著、村井 友秀著、野中 郁次郎著、中央公論社、1991年)