津軽・有床助産所姿消す 76歳 思い残し引退

家庭を訪問し、取り上げた赤ちゃんの様子を見る福士さん(右)。母子の健康のため、必要なら何度でも足を運んだ=2007年3月、五所川原市
 津軽の母子を見守り続けた助産師が、お産の現場から身を引いた。青森県五所川原市で助産所を営んできた福士レイ子さん(76)。青森県に7日、廃業届を出した。寄る年波に引き際を考えていたところに、新しい嘱託医制度がのしかかった。津軽地方から出産を扱う有床助産所は姿を消し、引退を惜しむ声も聞こえる。

 弘前市の産科医院に15歳で見習に入り、2年後に助産師の資格を取った。地元・五所川原の病院で看護師を務め、1966年に「福士助産所」を開いた。当時は津軽地方西北部だけで、50人近い助産師が開業していた。

 見習から数えて61年の助産人生。取り上げた赤ちゃんの記録が手元に残る。最後は2月4日に誕生した男の子。7817人目だった。
 多い年は300人以上。秋田県境近くからも妊婦が来た。昼も夜もない生活に「家族に迷惑をかけた」と福士さん。長男が小学生のころ、「母は世界一の働き者です」と書いた作文を読み、涙があふれ出た。

 福士さんは「元気な産声を聞き、母親の感動した表情を見た瞬間、疲れなんて吹き飛ぶ。素晴らしい仕事をさせてもらった」と感慨深げに語る。
 体力的にきつくなり、近年は「引退」の2文字が頭をよぎっていた。そこに昨年4月、改正医療法が施行された。産婦人科(産科)の嘱託医と救急に対応できる医療機関の確保が必要になった。

 嘱託医を引き受けていた吉田秀也さん(84)=五所川原市=は2006年で産科をやめている。嘱託医などを決める期限は、3月末に迫っていた。
 「もうちょっと続けたいという気持ちもあったが、新たにお願いするのは大変。これからは家族と自分のために時間を使うことにした」と福士さん。今後も育児相談などには応じるが、助産業務からは一切手を引く。

 20年来の付き合いという吉田さんは「妊婦だけでなく、家族の面倒も一生懸命見ていた」と労をねぎらいながら、「医師の協力があればもっと続けられるのに」と廃業を残念がっている。
2008年03月08日土曜日

青森

社会



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