date: 2008年03月07日 | text : N島 縦 |RSS |
高木敏光の体は、もはやすでに東京にあるのだ。
本拠地はやはり、××××になったようだ。
さっそく彼の家に、招かれた。
PM2:15頃、××××駅の北口を出て××××通りを西へ向かう。
この辺りは、歩いていて実に飽きさせない。
飽きない、という意味では夜の歌舞伎町やゴールデン街、二丁目界隈もそのとおりだが、
こちらは、もっと健康的でファッションや文化の香りとやらがする。
やや女・子供向けの風合いが強いが、それでも中にはマニアックな古本屋や、CD・DVD等のセレクトショップ、趣向の変わった骨董品屋、外見ではどんな飲み屋が判別できない変テコ酒場なぞが点在する。
生欠伸をしながら、ほとんど散歩気分で歩いていると、あっという間に目印の店がわかった。
気の利いた繁華街、というよりショッピングストリートからあまりに近いので、その利便さに舌を巻いた。
「これが住みたい街No.1の本領か……」
ほどなく俺は、シンプルなベージュ色の壁をした瀟洒かつモダンで無駄の無いデザインが、辺りでも渋く個性を放つRC3階建の一軒家の前に立っていた。
おそらくこれだ。
門から続く駐車スペースの奥まったところにそこだけやや古めかしい木製のドアがあり、横にピカピカのスチール製の真新しい表札が出ていた。
「TAKAGISM」の文字と土下座する高木(らしい)の図像。人気Tシャツにもなっている、例の絵柄があった。
ピンポーン……。
「おお、来たか! 入れよ」
玄関先に、新東京人にして未来の文豪・高木敏光が現れた。
靴脱ぎからすぐ左側の部屋に、高木は俺を招き入れた。
「こんにちは」
先客で、ソファーに腰掛けているE垣さんの姿がそこにあった。
株式会社タカギズムの仕事を機能させるシナプスであり、良心でもある彼女のお家は、もともとこの街の近所にあるのだ。
「まだ、なーんも、無いんだよ」
その10畳ほどのスペースには、焦茶色をした革張のソファーとガラス天板のテーブル、そして小さな冷蔵庫だけがあった。3人が体を伸ばしてくつろいでも、まだたっぷりと空間に余裕がある。
ガラス張りの天板の上には3分の1ほど中身が減ったジムビームのボトルとグラス。
そして例の赤いゲラ本と、装丁、つまり表紙カバーの見本と思しきものが乗っていた。
俺は勧められるままにE垣さんの隣に座った。テーブルを挟んで高木専用と思われるアーロンチェア。
「これが鈴木成一センセイのカバーか?」
「そうだ、サンマークの高橋編集長に貰ってきた」
「……いんじゃね?」
俺からすれば、ほぼ期待どおりの仕上がりに思えた。K点をソツなく越えてくるジャンプというか、さすがは一流どころのプロ仕事。この小説のシンボルカラーともいえる赤のバックに、泥か? 吐瀉物か? スライムか? という半固形物がランダムにぶちまけられたデザイン。それでいて汚いイメージはまったく無く、パンキッシュでポップな印象。この本のために新たに作ってくれたという‘クリムゾン・ルーム’のタイトルフォントが、キッチュな可愛らしさも醸し出している。
「リブロの石川部長が『目立ち度100点ですよ! これは。おそらくジャケ買い、あります』って言っていたそうです」
とE垣さん。
「ゲームのほうの‘クリ’をいい意味で逸脱してくれたなぁ」
すでにほろ酔い加減の高木も満足気な様子。
冷蔵庫を開けながら
「えっと、タテはビールがいいんだよな?」
「おう」
「ま、やってくれや、これ、おまえ用のグラス」
と、手渡された細長い代物は、口までの高さが20cmほどもあり、容量はビール中ジョッキほどは入りそうである。
高木のほうは、ニヤニヤしながらバーボンを飲っている。当然ごく普通のサイズのロックグラスだ。
「でけえ、なー」
案の定、札幌黒ラベルの350m缶の液体が、すべてグラスの中に収まってしまった。
「これよう、急いで飲まねーとぬるくなっちまうな」
「そこが、いいんだよ、そこの通りの雑貨屋で一点しか無いのをおまえのために、買った。」
「けど、底が深すぎて、洗いにくくねえか?これ。イソップ童話のツルが飲む壷みたいだな」
「タテもなぁ、インチキな商売ばかりやってないで、もっと俺らの仕事にクチバシを入れていいんだぞ、ということよ」
E垣さんはというと、梅酒らしきものを飲んでいる。
3種の酒と、形がバラバラなグラスを合わせ、乾杯。
「1階のこの部屋をいちおう俺の書斎兼アジトにする。足りないのは、執筆机とプラズマ大画面TVだな」
「いーねぇ。……これであとは、本を出るの待つばかりか?」
「いや」
高木敏光は、もう何万回となく繰り返された無意識な動作で、ラッキーストライクに火をつけた。
「昨日も高橋編集長と2時間半喋って、な。本来この時期、想定外なんだが、数箇所また‘直し’が……発生。すこーし、話が変わるな」
「ほおー」
「読んでのお楽しみ、だ。……高橋編集長とは息があっていて、絶妙というか痒いとこに手が届く感覚を、共有している」
「いいじゃんか」
「……しかし、もう何度直したかわからん。初稿、2稿、3稿。ゲラになってから、初校、再校、3校……これまで5回、書いた」
「回数並べると、すごいですね」とE垣さん。
「ソフトウェア製作での修行が役立ってるよ、まじで。何度も見直して、バグ見つけてつぶしての繰り返し。でも、バグだけじゃなくて、直したい箇所は永遠に出てくるし……」
「小説は長編になればなるほど、全体を見渡すのが大変ですよね」
「……モノを創るのは、大変なんだな」
俺が呟く。
「力が必要ですね」
「っていうか、‘こだわり’なんだよな、結局。これがないと、ロクなもんができない」
煙を吐き出しながら、高木は言った。