"HELP THE HENOKO AND DUGONG"
Please stop the government! Our dugong are crying !! And we are crying!!!
US government and Japanese government has a plan of the construction of the HUGE MILITURY BASE at Okinawa now. Please stop them! That plan will destroy not only the living environment of dugong, but also OUR LIVING ENVIRONMENT in Okinawa.
Will you kill us, and our dugong? Please appeal to the public and your government to stop that plan. Please help us!!!!

Save the Dugong, Stop the Airbase

2008年03月08日

辞書の問題について

 とても疲れてしまったのは、kさんから「マスコミ批判をしてるのに、批判はいけないと批判している。その頭のロジックに興味がある」という内容の書き込みを頂いたことです。

 ここにあるのは、ひとつは辞書問題。もう一つは倫理の話です。が、私は言語学者でもないし、また人の道徳について論じるような立派な人間でもなくて、私にはあまりにも重荷です。それらは、可能ならご自身で習得してほしいものなのです。
 こういうことを他者から教えられる事って、私だったらとてつもなく恥ずかしくて、死ぬよりも辛いことなんです。ですから、あざみ子さんに対しても、私もこの点について説明することはできませんでした。それは今後も同じなのです。申し訳ないです(__)

 私は言葉の意味の解釈は人それぞれ違うという前提に立っています。先のあざみ子さんの書き込みから派生したコメントでも、その点は充分に説明していたつもりだったですが、未だこのような誤解があるのが残念です。その意味についてもっと深く考えて頂けたらいいのですが、短絡的に中傷となってしまうような発言をされるのか、とても悲しいです。

 でも理解できない方の立場に立って見れば、確かにこういう行動になってしまうのも仕方ないのかもと、思います。私自身、幼い頃は同じでしたし、同じ過ちを繰り返して、当時多くの方にご迷惑をかけてしまい、申し訳なかったのです。ですから、今回もその点について責める気持ちは、私はありません。ただ、理解していただく余地があるならと思って、これも書かせて頂いています。

 少しですが私に説明できる言葉で追加の説明をさせて頂きます。

 「赤」という色は、赤く見えるのだと思います(視覚にハンディキャップのある方、この例を使ってごめんなさい(__))。でもこの赤いというのは、見る方にとっては黒に近かったり、ある方にとっては白っぽかったり、オレンジに近かったり、パープルに近かったり、本当に見ている色の感じは、その方にしか分かりませんよね。言葉も同じで、同じ言葉を発していても、その言葉の理解は、それぞれ異なっている筈なのです。それが特に「批判」という、難しいいろいろな意味を含む言葉であれば尚更だと感じます。

 「批判はいけない」... これは、キリスト者にとっての常識というだけでなく、現在のヒューマンコミュニケーションの基礎として必須の知識でもあり、また古くからある知恵でもあります。広辞苑を引くと「批判には否定が含まれる」と説明されています。

 ちょっと単純に考えて頂きたいのは、もし貴方が相手に対して「説得したい、分かってほしい」と考えるとき、批判という方法を取るでしょうか?
 それはあり得ないことだと感じます。批判という方法をとるのは、相手を否定し、蔑むのが目的なのではないでしょうか。批判によって議会は荒れ、紛糾し、議論が進まなくなってしまいます。もし発言者に「他者の同意を得たい」、「調整して問題解決に導きたい」という意思があったら、批判というスタンスは採れませんよね?
 ですから「批判」ではなく、「問題提起」とか「嘆願」とかいろいろ適切な方法が他にあるので、それを使った方がいいのではないか、というご提案をさせて頂いているのです。
 実際、批判を用いる必要なんて、最初から何もないんだと私は思っています。ネガティブキャンペーンを展開しても、実質的にどれほどの効果があるのかというと限定的で、逆に、そういうことをしている方の度量や人間性が判断されて、マイナスに働くのが現代の一般の解釈だと感じます。

 しかし一方「批判」を「問題提起」と同義だと理解される方も多いのだと思います。
 ただ、それは誤解を生みやすく、「批判」は危険な言葉だと私は理解していて、私はそれを避けて、明確に分別して適切な言葉を使い分けている、ということなのです。

 どうかご理解いただけましたら幸いです(__)
posted by Jitoh at 19:54| 沖縄 ????| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑談
この記事へのコメント
初めまして、こんばんは。
kouitiと申します。

たまたま巡回していたところに見たのですが、
ちょっと聞き捨てならないとこがありましたので、
意見させて頂きたいと思います。

jitohさんは、
>「批判はいけない」現在のヒューマン・コミュニケーションの基礎として必須の知識でもあり、また古くからある知恵でもあります。

つまり、批判しない=否定しないのはコミュニケーションの基礎であるとおっしゃっていますが、それは明確に間違いであると私は思います。

確かに「批判しない」別の方法でも同様の効果が望める方法も状況によってはあるかもしれませんが、「批判」することが問題の解決に最速と「思われる」場合があるのです。

相手を否定することがいけないとjitohさんは思ってるのかもしれませんが、私はそうは思いません。
私は親しい相手であればあるほど、相手が間違った行動をとっていれば否定すると思います。
「否定しないこと」が相手の不利益になる場合がありますからね。

まぁ私がこんな風に思ってても問題の解決にはならないので、下記のような状況だったときに私のとる行動を上げますので、それに対してjitohさんのとる行動、「批判しない方法」、「問題提起」、「嘆願」どれでもいいですから具体的な行動をお聞かせ願えればと思います。


【状況】
 @期日に終わるか分からない程仕事を大量に抱えている同僚がいる
 Aその同僚が抱えている仕事は自分の仕事と絡んでいる
 B同僚が別部署の人の急ぐ必要の無い相談を長々と受けている
 C同僚は以前に同様の間違いをしている
 D以前同様の間違いをしたときは同僚に対する注意程度に留めている


このような状況があったとして、私は同僚に対して「お前自分の仕事終わるのか?終わらないんなら相談なんて受けてる場合じゃないだろう?」と「批判」するでしょう。
自分の仕事に影響するかもしれないことを考えると、同僚が責任を果たせるかどうかは、自分の責任にも関わるので批判という行動をとると思います。
Posted by kouiti at 2008年03月09日 02:45
kouiti さんこんにちは。

 それこそが「辞書の認識の差」による単純な誤解なのだと、このエントリーの内容ではご説明させて頂いております。

 また議論の仕方や、コミュニケーション技術の話でもありますね。

 私ならどうするかですが、丁寧に説明して可能な限りフォローし、遅れている仕事があれば進んで分担してプロジェクトの推進に尽力します。
 もし批判したとして、そのことで同僚を精神的にも立場的にも追い込んでしまい、仕事を休まれることになる、うつ病に追い込んでしまうとしたら、そのことの方がリスクになると感じますが、如何でしょうか。

 これは私ごときがご説明することでもないと思います。書籍もたくさん出版されていますし、関連セミナーも随時開催されていると思いますから、関心がおありのようなら、お読みになったり、受講されてみてはいかがでしょうか。

 余談ですが、丸一などの機種依存文字は、Macの方には見えないと思いますので、極力使わないで頂けましたら幸いです。
Posted by Jitoh at 2008年03月09日 06:57
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