名人戦の挑戦権を懸けたA級順位戦の最終日は「将棋界の一番長い日」と呼ばれる。棋界の最高峰を目指す情熱、トップ棋士を意味するA級の地位を死守しようとする気迫がぶつかり合って、すべての対局が終わるまで目が離せないからだ。
A級の棋士は十人。総当たりのリーグ戦で、名人挑戦者とB☆級への降級者(二人)が決まる。今期の最終戦は三日朝から四日未明にかけて行われ、羽生善治二冠(王座・王将)が三期ぶりに挑戦権を獲得した。
一番大切な対局、いわゆる「ここ一番」という勝負とは何だろう。厳しい生存競争に身銭を切ってきた日本将棋連盟の米長邦雄会長は含蓄のある勝負観を披歴している。
勝てば優勝とか昇段・昇級を決める一局は重い意味を持つ。確かに重いが、これでは正解とはならない。自分には一見、何の影響もない一番だが、相手にとっては運命を左右しかねない勝負の時、その時こそ最大限の力を注ぐべきだと説く。
「負けたところで…」と手と気を抜くことが伝統の技芸を汚し、互いの誇りを傷つける。そして何よりの致命傷はその後に負け癖がついて勝利の女神にそっぽを向かれてしまうことだという。
白と黒。星一つの移動で挑戦や残留と降級の行方が猫の目のように変わる長い日に消化試合はない。だからこそ、ファンは盤上の棋譜だけではなく、水面下で織りなす人間ドラマにしびれる。
別れと出会いの季節、進級・進学、異動、退職…の節目を迎える人も多かろう。人生観にも通じる米長流の「ここ一番」は一顧に値する。
(編集委員・国定啓人)
(注)☆はローマ数字の1